「これから話す事は先ほど読み取った星々の言葉を私なりの言葉に置き換えて述べる物です。ですから全てがすでに起こっている事とは限りません。そこの所よく覚えておいてください。さて、ではどこからお話しましょうか……。
 そう、では、今東宮と今上が行なおうとしている事からでよろしいですか?
 はきと申し上げれば、それは藤原氏の勢力を押さえる事でございましょう。
 今から十七年前、今上が皇子授かった時からその謀は始まりました。
 己の皇子に狂気の仮面をつけさせ、藤原の油断を誘う。
 そして時満ちた時、その仮面を外し、藤原氏への攻勢に転ずる。
 その為にはその皇子が人一倍人心を集める事ができ、そして、人一倍に賢くなければならなりません。
 賢くなければ仮面はすぐに剥がされてしまうでしょうし、人心を集める事が出来ないようであれば、藤原氏と対抗する事など夢のまた夢でしょうから。
 もちろん、生まれたばかりの赤子が賢くなるのか、人望厚い者になるのかなどは誰にも解りません。
 ですから、それから暫くは今上も普通に、と申しましょうか、とにかくその謀を表に出さず、ただ皇子を可愛がっておりました。
 そして数年の時が経ち、その皇子も物事の道理が解る年頃となりました時、今上はそっとその謀の事を告げた訳です。
 幸か不幸か、その皇子はとても賢かった。
 父の言った言葉をその場で理解できたほどに。
 仮面を剥がされぬほどに。
 もちろん、突然に物狂いとなっては周りの者もいぶかしむでしょう。いや、周りの者は訝しがらなくとも、藤原の者は怪しむでしょう。
 そこで、今上は一計を案じました。
 その年、都では流行り病が蔓延しておりました。
 今上は、病に乗じて皇子に物狂いの仮面をつけさせたのです。
 この計は上手くゆきました。
 誰もが疑わずに、ただその皇子に哀れの眼差しを向けるだけでした。
 そして今の、立派な狂気の仮面と、その裏にある優しき心を持つ東宮が誕生したと言う訳であります」
 憲平の心に動揺が走る。
 清明の話とは、そこまで的を射ていたのであった。
 思考が泳ぐ。
 昔の記憶が次々と心内に浮かんでは、消えてゆく。
 その中を、涼やかな男の声だけが朗々と響いてくる。
「しかしながら、ここに来て一つ、大きな誤算がありました。いえ、誤算ではなかったのかもしれません、ただ気がついていなかっただけだったのかもしれません」
 近くで聞いているというのに、憲平の耳にはまるで別の世界で話されている事であるかのように遠く、しかし、はっきりと聞こえて来るその声。
「誤算……?」
「その誤算とは、あまりにも狂気を装う事に気を向け過ぎていたため、人の心を掴む事を忘れていたと言う事です」
 雷に打たれたかのような衝撃が憲平を襲う。
 急激に現世へと思考が浮上する。
「そうだ、俺は……」
 狂気の裏にあるものを隠し通す事だけにその力を注いでいた為、それと同じほどに大切な筈であった人心を掴むと言う事を忘れていた。いや、もし忘れていなかったとしてもその相反する二つの事を同時に出来たかどうか、憲平にははっきりと断言できない。
 不安が胸を貫く。
 恐怖が襲ってくる。
 もう遅すぎるかもしれない。
 だが、やらなければならない。
 しかし、憲平には行わなければならないことが解ってはいても、その手段、その方法が皆目見当もつかないのであった。
「俺は……どうすれば良いのだ?」
 先ほどまでは、使い物になるのであれば自分の手駒として使ってやろうと思っていたが、しかし話を聞いているうちに憲平の清明を見る眼差しは畏怖畏敬へと、そして、助けを求める物へと変化していた。
「どうする事も。今はまだ動く時期ではありません」
 その眼差しに気づいているのかいないのか、清明は月明かりさす幽玄な庭園を眺め見ながら囁ささやく。
「何も、打つ手がないという事か。しかし、父上が、御門が崩御あそばすかも知れぬのだぞ?」
「それは、臣の身では心苦しき事ですが、今上はもう永くはないでしょう」
 この時に飽きてきたのであろうか、清明は手に持った扇を何回も開閉させる。
「それならば!」
「……では、少しだけ助言、と申しますか、行なったほうが良いと思われる事を」
 思わず声の大きくなった憲平に対して軽く眉をひそめ、
「まずは、もう暫くの間その仮面をつけている事です。そう、今はまだ外す時ではありません。今外しても、藤原氏の傀儡に仕立て上げられてしまうだけです。二年の後、その機は訪れるでしょう。それまでは藤原の者に決して本心を悟られないようにする事です。そしてもう一つ。この後、今上が御崩御なされたならば彼の一門は動きます。まずは、恐らく今右大臣殿を排斥しようとするでしょう。それをなんとしても阻止する事です。もちろん狂気の仮面をつけている事を悟られないように、やりすぎずに、です」
「それで、何とかなるのか?」
 それで藤原氏の勢いを落とす事が出来るのか、勢い込んで聞く憲平に、しかし清明は首を横に振るのであった。
「それは無理です。藤原氏の命運はあまりにも強すぎます。そして、恐らく二年後に起こる騒乱にて、更にその勢いが増す事となるでしょう。ですから今はただ、後の世代にその運命を託すしかありません。そして、次代の御門が藤原の勢いを落とす事が出来るかどうかは、今、あなたの行動如何にかかっているのです」
 つまり、憲平の時代では藤原氏の勢力を弱める事が出来ないと言う事である。
「……もし俺が今、上手く立ち回る事が出来れば、あるいは次の世代にその勢いを静める事が出来る、と言う訳か」
 月明かりに映し出されたその表情は暗い。
 自分の力では藤原氏の勢いを止める事が出来ないと言う事が、そして後の世代にまでその希望を託さなければいけないと言う事が、憲平の肩に重くのしかかってくる。
「お嫌ですか?」
 小首を傾げ、まるで女性かのような仕草を見せる清明。その仕草は妙に妖しく、艶かしく、この月明かりにの下にはふさわしくもある。
「あぁ。もしかすると俺の子がまた俺と同じような運命を辿るかもしれないかと思うと、やり切れん」
「では、おあきらめになりますか?」
「それは……できんな。今までの、十七年だけではあったが、その努力を無にする事は俺にはできん」
「それならば、どうなされます?」
「やるしかないのであろうな。次の世代になるべく負担を残さぬように、上手く」
 その言葉を聞き、清明は初めて心の底からの、見る者全てを和ませるかのような優しい笑みを浮かべた。
「では、もしよろしければ私も微力ながら力をお貸ししましょう」
 それはまたとない心強い言葉であった。
 稀代の陰陽師と詠われる者の言葉である。
 その力の程は、今までの話からでも十分にうかがう事が出来た。
 そしてそれは、憲平の想像を遥かに超える物でもあった。
 だから、
「よろしく頼む。俺に力を貸してくれ」
 東宮と言う命令をする立場の者が今、その清明の言葉に深々と頭を下げるのであった。
 その様子を見、清明は軽く頷くと、
「では、最後にもう一つだけ助言をさせて頂きましょう。懐子殿に真実をお告げなさい。あの方は賢い。それにあなたの事を心の底から思っています。本当の事を告げれば、必ずあなたの力となってくれるでしょう。しかし、今真実を告げなければ、父親の、伊尹の手の者となってしまいます」
 ふと、殿の中が騒がしくなった。
 誰かがやってきたらしい。
「東宮、どちらにおわせられます?」
 年若い、憲平の傍に使える女房の声に、一瞬注意をそらされた。
「後々をお考えになり、事を起こされますように……」
 清明の声が、ほんの耳元から聞こえる。
 はっとしてそちらを見ると、しかしすでに清明の姿はどこにも無いのであった。
「東宮、こちらでございましたか」
「どうした?」
 狐にでも抓まれたかのように思いながらも、その事などおくびにも出さず尋ねる憲平。
「ただいま清涼殿の方から使いのものが参りまして、その、今上が、たった今御崩御なされたと……」
 その問いに、涙をこぼしながら、震えた声でその女房は答えた。

 

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