
「このような場所では、死ねんな……」
足を止め、空を仰ぐ。
先程まで降り注いでいた雨はすっかりと上がり、漆黒の空は輝かんばかりの星々に埋め尽くされ煌々と鋼色に輝いている。
その隙間を縫い蒼白き光を放つ、満月の姿。
双眼を満月へと向け眩しそうに目を細めながら両の膝に手を置き息を整えようとしたが、ここまで一度も立ち止まらず山道を駆け抜けた為か、その息は容易には静まらなかった。
彼方から聞こえくる、地を踏み鳴らす具足の音。
風に乗り耳へと入る僅かながらの叫び声。
さんばらになった髪を伝い頭の先から流れ落ちる水滴。
脇腹、甲冑の下から滲み出てくる深紅の体液。
ぬかるんだ大地。
状況は甚だ芳しいものではなかったが、ふと華月は笑い出したい衝動に駆られた。
月の光も美しい夏の夜に、鬱蒼と木々の生い茂る山中を必死に逃げ惑う女と、それを追捕する多勢の郎党。しかもその女はまるで男であるかのように甲冑を身にまとい、満身に傷を負っているのだ。
「まったく、なにゆえこのような事のなってしまったか……」
黒々とした、しかし、裳着を済ませた姫にしては短い髪を鬱陶しげに撫で付け、未だ少しばかり息を上がらせながらも、歩き出す。
しかしその足は確実に先程よりも鈍くなっていた。
「ええい、若に近づけさせるな!」
巨体の坊主、右慶が、その体躯よりも遥かに大きい金棍を軽々と振り回しながら叫んでいる。
「右慶、もっと考えて棍を使えよ」
危うく巻き込まれそうになった小柄な男、宇佐和政が得物の槍を軽く右慶の方へと突き出す。右慶を背後から斬り付けようとしていた兵が、その槍に顔面を貫かれた。
「和政殿!礼は言うが、危ないではないか!」
「それはお互い様だ!」
喧嘩するほど仲がよいとは言え、このような時にまで喧嘩せずともよいだろうに。
華月はまるで舞を舞っているかのように太刀を振るい、殺気立ちながら攻め寄って来る兵達を薙倒しながら思った。
「こら!口喧嘩など後でもできよう。今は若をお守りする事に全力を注げ!」
そんな華月の思いを知ってか知らずか、この中では一番年上である、頭に白いものが混じり始めてきた内藤貴信が馬上から二人を叱りつけた。
「そんな事を言う貴様は何をしている!」
忙しなく棍を振り回しながら右慶が聞くと、
「わしは年寄りじゃからの、白兵は苦手なんじゃよ」
手に持った弓を上げ、にやっと笑った。
勿論、老人と言えど敵が手を抜いてくれる訳も無く、貴信の周りにも何人かの兵が群っている。しかし、この兵達の繰り出す攻撃をなんとも器用に避け、さらには華月に近寄ろうとする敵に矢を浴びせ掛けていた。
「若君、我々が道を作りますので、そこからお逃げください」
ほっそりとした涼やかな顔立ちの男、この中で唯一華月の正体を知っている葉山寛親が、そっと耳打ちをしてきた。
「逃げるにしても、そうやすやすとできはしまい」
寛親に答えながらも、太刀を一閃し、右から襲い掛かってきた兵の首を一刀のもと跳ね上げる。
鮮やかな太刀捌きであった。
恐らく何が起こったのかも判らないうちにこの男は絶命したであろう。
相当の怪力を持っているか骨の隙間を狙えるほどの優れた腕を持っていなければ、人の骨まで絶つ事など出来はしない。
華月はこの中の誰よりも華奢な体つきである。剛力など持っている訳が無い。とすれば、彼女の腕が恐ろしいまでに鮮やかなのであろう。
しかし、多勢に無勢であった。
いくら腕の立つ者が集まっているとは言え、こちら五人に対して、敵は優に百は超えている。
五人の中で一番初めに限界に近づいたのは、やはり華月であった。
息が上がり苦しそうに肩で呼吸を取りながらも、重くなってきた太刀を懸命に動かす。
しかし、ふとした隙に、
「くっ!」
右脇腹に感じる、鈍い痛み。
見れば、一人の兵が華月の方へと槍を突き出し、それが華月の右脇腹へと刺さっていた。
「貴様!」
先程まで感じていた疲れも一瞬のうちに吹き飛び、怒りと共に太刀を振る。
形などまるで考えていない、力任せの一撃。
兵の肩へめり込むと同時に、太刀は音を立てて折れた。
悪い事は続けざまにやって来るとはよく言ったもので、無理な体勢から太刀を繰り出した事により、華月の体は流され、馬上から落下してしまった。
(これまでか)
得物が無くなったとしても、馬上にいればまだ逃げ遂せる機会はあったであろう。しかし、徒歩となればこの大人数の中逃げる事もままならない。
あきらめの感で折れた太刀を投げ捨てようとしたその時、
「殿!こちらです」
敵包囲の一角が崩れ、華月の目に道筋が映った。
もう何も考えている暇など無い。
僅かばかりに開いた逃げ道に無我夢中で突入する。
手にある得物は、中ほどから折れた太刀一本。
家臣達の安否も気にはなったが、まともな得物の無い身では、かえって邪魔になるだけである。
華月は折れた太刀を振り回し、漆黒の木々の中へと目指し走った。
それからどのくらいの時が過ぎたのであろう。
幸いにして負った傷は大した物ではなかったらしく、今までの所何とか敵から逃げ遂せてはいるらしい。
しかし、傷は確実に体力を奪い取っている。このままでは力尽きるまでそう長い事でもないであろう。
華月は手にしている折れた太刀を眺め見た。
「これでは腹を切ることもできんか」
敵の手に落ちるぐらいならば自害を、と思ってはみても、あいにく折れた太刀ではそれさえもままならない様である。
「このような時、男であればよかったと思うな」
男であれば敵に捕まったとしても自害を許されるであろうが、女であればそれさえも許されず、下手をすれば兵達の慰みもの、良くても政略の道具としてどこかの狒々爺の下へと嫁がされるのがおちであろう。
「しかし、女だと知られていなければ」
あるいは追手に殺してもらえるかもしれない。
しかし、それは余りにも楽観的な考えであった。
敵の襲ってきた場所、時、その統率された動き、華月に対する攻勢の甘さ、どれをとって見ても華月を華月と知った上での事と考えた方が頷ける。
「とすれば、黒幕は誰だ……」
華月の正体を知っている者はそう多く無い。
華月の父、母は勿論知っているが、しかし、この様な手の込んだ事はすまい。
家臣の中にも知っている者はいるにはいるが、どれも心の置ける者達、華月に長年仕えている者ばかりである。
残るは、
「兄上か」
二人いる兄。その内、下の兄が華月に対して悪い心象を持っている事は知っていたが、果たして、血を分けた者に対してここまでするものなのだろうか。
「くっ、頭が働かん」
疲労と傷は体だけでなく頭をも蝕んできたらしい。気がついてみれば歩調はもはや走ると言うものでもなく、普段歩くよりかは少し早い程度にまで下がっていた。
先程より追っ手の気配が近づいているように感じる。
華月は余計な事は考えまいと思い直し、今よりも少しばかり速く歩けるように力を尽くす。
一月ぶりとは言え遠乗りはやはり楽しいものである。
このところ父の政を手伝うのに忙しく、久しく羽を伸ばす事など無かったが、こうして澄んだ空気の中馬を駆っていると、嫌な事全てが忘れられる。
「やはり外はいいな。一日中部屋に篭っていると体にカビが生えてきそうだ」
晴れやかな笑みを浮かべ、華月は後ろを顧みた。
少し遅れた所からついてくる四つの影。その中の一つが徐々に華月へと近づいてきた。
「若、もそっとゆっくりと走ってくださらんか。貴信殿がこれではついてこられんですぞ」
右慶が馬を並べながらそう言うと、
「すまぬ、久しぶりの遠乗りであったから、少し浮かれすぎた」
満面の笑みを浮かべたまま、華月が応える。
穏やかな時の流れであった。
その場にいた者皆が、この時を永遠の物と感じていた。
しかし、現実は厳しくも儚いものである。
それは少しばかり狭まった森道での事であった。
真夏の突き刺さるばかりの日差しも木々に埋もれ穏やかな木漏れ日となって華月達に降り注ぎ、先程までの早馬の疲れを癒すようにゆっくりと皆が並び歩いていた時の事であった。
「若君、何か怪しき気配を感じます」
初めに気づいたのは寛親であった。
整った顔を僅かにしかめ、華月にだけ聞こえるように声をひそめて語りかけてくる。
「多いか?」
「少なくとも五十はいると思われます」
物騒な話題の割には全く持って平静に話している二人。
他の者に気を使わせない為の配慮であったのだろうか、それとも敵に知られない為の努力であったのか。しかし、それはすぐに徒労となる。
「若!何物かに囲まれておりますぞ!」
右慶の大音声が木々の隙間を駆け巡る。その声に応えるかのごとく、何者かの気配は急に殺気立った。
(ちっ!)
内心の舌打ちを隠し、華月は、
「皆、走れ!」
馬に鞭を入れた。
頭が朦朧とする。
自分は何者から逃げているのか、何故このような夜更けに鬱蒼とした木々の間を疲れながらも懸命に走っているのか、そのような事さえも少し考えなければ思い浮かんでこない。
「……せめて、一息つきたいものだ」
誰にとも無く呟く。何かを口に出していなければ今にも倒れこんでしまいそうだった。
「あっ!」
ふと華月の行く手に明かりがちらついた。
(先回りされたのか?)
いくら疲労しているとはいえ、自分の命にかかわる問題だけにその点では未だ頭も働く。華月は足を止め、傍らの木にそっと身を隠し周囲を覗った。
背後からは何も聞こえない。先ほどまでの出来事が嘘であったかのように殺気や人の気配がまるでない。
(やはり、回られたか?)
しかし前方にうっすらと燈っている明かりも、まるで動く気配が無い。やがて目が慣れてくると同時に、華月はほっと息をついた。
「……民家か」
思いのほか息を詰めていたのであろう、体の力が一気に抜け、軽いめまいを感じる。
「このような場所に民家と言うのも面妖だな……」
どこをどう走ったのかは覚えていなかったが、しかし、未だ森の深部にいる事は間違い無い。このような場所に住む人間などいるのであろうか。
華月は頭を一振りし、思考を中断させる。
そんな事を考えている余裕など無い筈であった。今は気配がまるで感じられはしないが、追っ手が近くまできている事は疑い無い。今は少しでも遠くへ、少しでも歩いていなければいけない。
それは解っている。解っている筈なのだが、華月の足は自然と、いや何かに引き寄せられるかのように明かりの方へと向かっていた。
今にも崩れ落ちてしまうのではないか、と思われるような小屋を想像していたが、華月の目の前に現れたのは意外なほどに小奇麗な庵であった。
(どうしてこのような場所に?)
確かに庵であれば人里離れた森の奥にあってもおかしくは無い。しかし、何かが引っかかる。頭の片隅ではすぐにでもここから立ち去るようにと警告が発せられているが、しかし、体はその意に反し庵の引き戸へと向かう。
「夜分遅く恐れ入る、誰かあるか?」
「戸は開いている。お入りなさい」
華月はそっと戸を開いた。
小さな、しかし整理された庵内。その中央に火の入っていない囲炉裏があり、華月と向かい合わせる形でその囲炉裏の奥の方に年老いた女が座っていた。
「すまぬが、少しの間休ませてはもらえぬか」
「このような所でよろしければ、どうぞ」
顔も上げず、老女は言う。
「かたじけない」
華月は軽く頭を下げ庵の中へと上がり、追手の気配が近づけばすぐにでも外へと飛び出せるように、老女の向かい側、引き戸のすぐ傍に腰を下ろした。
華月が座ると静寂が庵の中を包み込む。
森の中も静かではあったが、この静寂とは違っていた。そう、たとえて言うなら森の中の静寂は動の静寂であった。動くものが他にもいる筈なのに、皆が息を潜めあたりを覗っている、そんな張詰めた糸のような静寂であったが、ここは違う。この庵の中の静寂はまるで人一人居ない草原の真中で、穏やかな日差しを浴びているかのような安心できる、心が弛緩してしまうような静寂であった。
だからであろうか、腰を下ろした途端、華月はふっと意識を失ってしまった。
彼方から琵琶の音が聞こえてくる。
(琵琶……、寛親か。きっとまた女房らにせがまれたのであろうな)
独り言のつもりで呟いてはみたが、その声は聞こえてこない。不思議に思い少しばかり頭を廻らせてみると、ある事に思い至った。
(そうか、私は眠っているのか。道理で体が動かない訳だ)
眠っていた事に気がつき、心の中で苦笑を浮かべた。
(たまにはこうしてゆっくりするのも悪くない)
つい先程までの忙しさが嘘のような、穏やかな時の流れに身を任せながら、華月は意識のある聴覚を琵琶の音色へと傾ける。
綺麗、と言う言葉では物足りない。
心に響く、では弱すぎる。
心の内を震わすような、激しい訴えかけをしてくる音。
(これは、寛親ではない……?)
寛親の琵琶は確かに巧いが、しかし、ここまで感情を表す、訴えかけてくるような音色ではなかった筈であった。
疑問が華月の意識を急速に現世へと浮上させる。
(……そう、違う。ここは私の邸ではない)
鮮明に脳裏へと映し出される、血飛沫。
鈍く光る太刀。
跳ね飛ぶ見知らぬ男の頭部。
(そうだ、何者かに襲われたのだ)
巨躯の男が振り回す金棍。
(……右慶)
猿のようなすばしっこい動きで見事に槍を操る小柄な男。
(和政)
白髪の混じった初老の男が矢継ぎ早に引く弓。
(貴信)
そして、血霞の中流れるような太刀捌きで白拍子を踊るかの如く次々と死屍を築き上げてゆく眉目秀麗な男。
(寛親!)
「お目覚めですか?」
琵琶の音色が途絶える。
まるで張り付いてしまっているのではないかと思われるほどに重たい瞼を開いてみると、そこは先程小休止の為に訪れた庵の中であった。
「すまぬ、寝入ってしまったようだ」
座った体勢のまま眠っていた為か、体の節々が悲鳴を上げていた。
「琵琶の音が気に障りましたか?」
「いや、とても良い音であった」
その言葉に老女が初めて顔を上げる。
皺がよってはいるものの、気高さをうかがわせるその容貌。
目鼻筋の通った、上品な顔立ち。
しかし、何よりも華月が驚いたのはその瞳に対してであった。
「失礼かとは思うが、貴君、もしや……?」
「えぇ、あなたの思う通り、私は盲目ております」
焦点の合っていない瞳。
しかし、魅入ってしまうような輝き。
吸い込まれてしまいそうな、深さ。
「それは……、失礼した」
「いえ、別にお気使い無く。このようになってからもう長い年月が経っておりますから」
老女はにっこりと微笑み、琵琶の弦を調律しなおす。
「先程、琵琶を弾いていたのは貴君か?」
(何を解りきった事を……)
しかし、口に出してしまった事はしょうがない。自嘲の念に駆られ、華月は口元に苦笑いを浮かべたが、老女は、
「お耳汚しで申し訳ありません」
謙虚にもこう答えた。
「いや耳汚しなどと謙遜なさらないでいただきたい。素人の私が聞いても貴君の音色は素晴らしい物であった。ぜひとももう一曲聞かせていただきたいものだな」
それは本心である。いくら下手に出られようとも、事実は事実、華月は心の底からそう思っていた。
「……では、拙い腕ですが、もう一曲弾かせていただきましょう」
それは悲しき物語 ある姫君の物語
その姫君は女の身 しかし、男の身でもある
幼き頃より男とし 育てられたる定めかな
さてその姫も年のころ 人並み逢瀬も迎えたり
しかしその事怒る者 姫の兄君その人ぞ
その者逢瀬の相手おば 許されざる事甚だし
やがて思いは収まらず その者歯牙にかけようと
事を起こすに居たりけり
目の前が暗くなる。
老女の語っている事はもしかすると自分の事なのかもしれない。
その思いが、華月の心に波風を立たせる。
さてその事の有様は すでにご存知その事よ
兄の計りし謀 その顛末はいかようか
まずおこないしは政 姫を動けぬ者とせば
それを長らく続けたり
さすれば姫は思いゆぬ この時からの脱却を
それはそのもの思う壺 ほくそ笑みたりその事に
何かがおかしい。心は未だに警告を発している。この曲を聴いてはいけないと。しかし華月の体は動かない。
それはある日の出来事か それは思わぬ出来事か
姫は従者を少しだけ 連れて遠出へでかけたり
男は思うこの時は 神与えし機会ぞと
そして起こりしその所業 それは誰もが知っている
そう 先程の起こりし所業 それはいかなるものなのか
琵琶が鳴り終わり、幾許かの時が過ぎた。
「今の話は、真実なのか?」
少しばかり声に力をこめ、他の者が聞けば脅しているのではないか、と思われるほどの迫力で華月が詰め寄る。しかし、老女はまったく居住まいを変えず、
「本当の事かどうかはあなた様が考える事です」
只一言そう言うのみであった。
「では、失礼したな」
暫くの後、華月は腰を上げた。少しばかりでも眠っていた為かここに入るまでよりは多少その物腰は軽くなっている。
「もう、ゆきまするか?」
老女はまるで引き止めでもするかのようにそう囁く。
「ここに長居しては貴君に迷惑がかかる」
「いえ、迷惑などかかりませぬよ」
老女はにやりと笑い、
「ここは現世とあの世を結ぶ場所、そのような心配、無用です」
その言葉を聞いた瞬間、納得したくない、と言う考えを納得せざるを得無いと言う考えに変えなければいけなくなった。
過去、現在、未来、その全てが解っていたからこそ、この老女は自分に現在までの事を告げ、そしてここに残るように言っているのだと言う事を。
何故かは解らない。解らないが、しかし華月は知ってしまったのだ。
しかしまた、こうも思う。
この老女の語った歌がたとえ真実であろうと無かろうと、自分は自分で生きる道を選ぶ。それはたとえ運命として決まっているとしても、だ。華月は今、この庵から出たいと思っている。この訳の解らない空間から抜け出したいと思っている。それは真実がどうのこうのと言うよりも、今の華月にとっては大切な事であった。
だから、
「ここよりい出れば、お主に災いがふりかかるぞ」
老女のその言葉にも耳を傾ける必要が全くなかった。
「私は私だ。お主が何を知っていようと、何かを私にさせたいのだとしても、私は私の考えた、私なりの道をゆく」
「もしお主がお主の道を行くとなれば、お主だけでなくお主の回りの者もつらい目にあうことになるのだぞ」
「たとえこれ以上のつらい目にあうとしてもそれはそれでかまわぬ。私はただ、私の進みたい道を進む。私の回りのに居る者達も私の考えに賛同してくれる筈だ。そして、その道がたとえ険しかろうとも、たとえ間違っていようとも、それは私の選んだ道、異存は無い」
その言葉を聞くと老女は淡く微笑み、
「では、気高き者よ、お主の選ぶ道、しかと見届けさせてもらうぞ……」
澄みきった、しかししゃがれた声が庵の中、華月の頭の中に鳴り響く。急に視界がぼやけた。
庵が霞の如く、移ろい易きときの流れを物語っているかのように儚く霞んでゆく。
老女が、まるでもとからそこには居なかったのかのように消えてゆく。
ほんの僅かな時の中で、その事象は起こった。
そして、
気がつけば、華月は先程まで逃げ惑っていた森の中、静かなる森の中に立ちすくんでいた。
「夢、全てが夢だったと言うのか?」
華月の感覚はこれ以上に無いほど戸惑い狂っていた。
しかし、
「若君、若君!どこにおわせられますか!!」
すぐ傍らから聞こえてくる聞きなじんだ声。
細いが低い、その声。
「寛親!!」
「若〜!どこでござるか!」
「右慶!」
「若、無事でございますか」
「和政!」
「若〜!」
「貴信!」
戸惑いが薄れてゆく。
たとえ先程までの老女との会話が現実であろうと夢であろうと、今華月はここに居る。
そしてその傍には自分が最も頼りとする者達が居る。
老女へと語った言葉を思い出す。
これから先、どのような困難が待ち構えていようとも、自分は自分の道を行く。
たとえ険しくとも、自分には頼れる者が居る。
木々の間から時折見え隠れする蒼月の中、華月はゆっくりと声のする方、寛親達の方へと歩き出すのであった。
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