
昔からよく道に迷う夢を見ます。
それは、例えば普通に学校から帰る途中の事であったり、どこかへ旅行している夢であったり、また、部屋にいたはずなのに突然どこかの知らない道にいる、と言う夢であったり、とにかく、色々な場面の中で私は道に迷うのです。
見知っている道。
見知らぬ道。
さまざまな道が私の前に現れ、そして、私を惑わします。
夢の中では、私は夢を見ているんだ、と言う事に気がつかないので、私はただ不安だけを胸にその道を当ても無くさ迷い歩きます。
そして、いつの間にか辺りの景色は深々とした緑が目に染みる森の中へと変わるのです。
一度も見た事が無いはずなのに、懐かしい感じのする森。
その中を私はある一点へと向かい歩きます。
歩いている時はどこへ向かっているのか解りません。しかし、その方向に私の求めている物がある、それだけはなんとなく解るのです。
深々とした緑の森。
明るいようでいて、薄暗い道。
後ろなど振り返らずに、ただひたすら前へ、前へと歩く私。
夢の中ででも感じることの出来る、長い、長い時間の流れの後、私の目の前に一軒の民家が見えてきます。
まるで映画のワンシ−ンでも見ているかのような、古い造りの家。
よく昔話に出てくるような、小さな木造の家。
私はここで、いつもこれが夢である事に気がつきます。
いつも夢の中でこの家にたどり着き、そして、中へと入る。
小さな外見に似つかわしい、小さな間取。
小奇麗に整理された、室内。
そして、真中にある、古い、大きな囲炉裏。
中には誰もいませんが、しかし、先ほどまで人がいたのか囲炉裏には火が入っていて、その上で何か料理をしていたのか、古い鉄のなべが、中身を吹きこぼそうとしています。
私は何をするでもなく、ただ囲炉裏の傍へと座り、その火を見つめながら時を過ごす。
そうしていると、いつの間にか目が覚めるのです。
このような夢を、子供の頃からよく見ていました。
はじめの頃は何だかとても気味が悪くて夜眠るのが怖かったのですが、何回も同じ夢を見ているうちに、不思議とその夢を見ると心が安らぐようになっていたのでした。
そして今日もまた、私はあの夢の民家へとやってきているのです。
いつものように道に迷い、
いつものように薄暗い森を抜け、
いつものように民家の前へと立ち、その戸を開ける私。
しかし、いつもと同じだったのはそこまででした。
「お入りなさい」
家の中に人がいる。
囲炉裏の前に人がいる。
それはどこか懐かしい人。
それは、年老いた女性。
「えっ?」
これまで何回も、何十回も訪れたこの部屋がまるで見知らぬ物となり、私を混乱させるのでした。
「そんなところに立っていたら、外の風が入ってきちゃうでしょ。中へお入り」
はっきりと聞こえるその言葉。
私はその言葉に逆らう事もできず、中へと、その老女の前へと座るのでした。
「人に会うなんて久しぶりだねぇ。ここまで大変だったろう、まずはこれでもお食べ」
そう言って老女は目の前にあった鍋のふたを開け、中に入っていたおいしそうなお粥を碗へと注ぎ、私の前へと差し出しました。
「身体が芯からあたたまるよ。つかれた身体にはこれば一番さね」
そう言えば、今日はいつにもまして身体が疲きっています。
言われてみるまで解らなかったのですが、そう、疲れているというよりも、ものすごく身体がだるいのでした。
「大丈夫、これを食べればすぐに元気になるよ」
私は老女が差し出したお粥をそっと受け取り、一口すすってみました。
身体の中から暖かくなるような、優しい味。
夢の中だというのに、確かに感じられる、その味。
「どうだい、おいしいだろう?」
穏やかに語りかけてくる老女。
何か、何かが思い出されそうになる……。
「もっとお食べ。今のあなたにはこれが一番の薬さね」
以前にも聞いた事のある言葉。
知っている顔。
老女。
もう少し、もう少しで全てが思い出されそうになった時、夢の目覚めを知らせる鐘の音が木霊する。
「おや、もう行くのかい?」
(行きたくない。戻りたくない……)
「大丈夫、もう元気になったろう?」
(でも、ここにずっといたい)
「それは駄目だよ」
(どうして?)
「ここが迷い家だからさ」
(マヨイガ?)
「そう、記憶の迷い家。あなたの記憶の迷い家だからさ」
……
辺りがうっすらと明るくなる。
徐々に全ての物がその光りに包まれてゆく。
(まだ聞きたいことがあるのに……)
「それは嬉しいねぇ、でも、もうあなたはここにはこられないんだよ」
(どうして?)
にっこりと微笑む老女。
その姿も光りに包まれてゆき、やがて、まともに見られないぐらいの輝きを放つのでした。
「私の出来る事は全て終わったからね。だから、もうここへ来ちゃ駄目なんだよ」
(でも、まだ、私はあなたの事を思い出せない!)
すでに辺りは光りに満たされ、私の目に映るのは痛いぐらいに輝いた、白。
「大丈夫、もうあなたはわかっているから。そして」
老女の言葉も光の中に吸い込まれるかのように小さくなってゆく。
「私はずっと見守っているから……」
激しい白。
光りが爆発したかのような、閃光。
何か得たいの知れない力が私をこの外へと押し出そうとしている。
そして、抗え難いその力に、私は夢の外へ、現実の世界へと弾き飛ばされるのでした。
…
……
………。
目が覚めるとそこは全くの暗闇でした。
未だ目が覚めていないのだろうか、とも思いましたが、背中から伝わるベッドの感触や、身体のあちこちに感じる痛みは、現実の物のようです。
「よかった、目が覚めたのね」
すぐ近くから聞こえる母の声。
「お母さん?」
右手が暖かな物に包まれます。
「よかった……本当によかった」
涙声の母、しかし、その姿は私からは全く見えません。
「お母さん、私、どうしたの?」
いつもと違う感覚。僅かながらの不安が胸を刺します。
「覚えてないの?」
「何?」
うっすらと思い出される記憶。
そう、いつもの様に会社から帰る電車に乗っていて……。
「事故の遭ったんですよ。電車の」
見知らぬ男性の声。
「あ、先生」
母の手が私から離れてゆく。
「ひどい事故だったんですよ。あなたが助かったのは本当に奇跡的だった」
母はしきりに先生に御礼を言っています。そして最後に、
「そう、もう大丈夫なんですね?」
「ええ、意識を取り戻されたのですから、もう心配はありません」
そして、誰かが去っていく足音。
と、その瞬間、私の中で何かがはじけました。
『大丈夫』
夢の中の老女が言った言葉。
声。
母と似た声……。
そう、あれは幼い頃に他界した私のおばあちゃん……。
「どうしたの?」
ふとこぼれ出た笑い声に気がついたのでしょう、母が心配そうに聞いてきました。
あれは本当に夢だったのかもしれません。
でも、私が今こうして生きていると言う事は、
「私、さっき夢の中でおばあちゃんに会ったよ。おばあちゃんね、私の事守ってくれたんだ……」
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