砂の結晶[27]
光と影
1
夢を見た。
僕はどこかに向かって歩いていた。
いや、歩いているような感覚だっただけだ。
実際には、僕は空気のような存在で、肢体は見えていなかった。
でも、普段と同じように、手がある部分には手があるような感覚、足がある部分には足があるような感覚は存在していた。
だから、目や耳の感覚もあり、周りの景色は見えていたし、周りの音も聞こえていた。
五感が捉えているのは、よく知る光景。
宮殿の中だ。
視界には、数メートル先に『僕』がいた。
これは、よく知る舞台での新しい演出じゃない。
過去の記憶だ。
少し前まで、こうやって僕は過去の『僕』を眺めていた。
それがいつの間にか、『僕』と重なるようになったのだ。
でも、今日は『僕』より数歩後ろにいる。
『僕』はどこかに向かって歩いていた。
行き先は明白だ。
『僕』が宮殿に訪ねてくるのは、大本は必ず同じ理由。
長い廊下の向こうから、いつしか音楽が聞こえてくるようになっていた。
進むごとにその音源は近づく。
優しい音。
今日も姫が楽器を弾いてる。
突き当たりの部屋から、光が漏れていた。
その中に、姫と、そして僕の仲間たちが輪になって集まっていた。
まるでハープのような楽器が、ゆっくりと音を紡ぐ。
『僕』がその輪に腰を下ろしても、充[みつる]さんが一瞬『僕』に視線を合わせた以外、一秒前と変わらぬ空気が辺りを包んでいた。
やんわりと緩やかな空気。
ゆったりとした時間。
僕がずっと憧れて,好んでいた『僕』の世界。
無意識に、導かれるように、僕は『僕』に向かって足を進めていた。
過去を知り始めた頃、どんなにもがいても縮められなかった一定の距離が、障害物など最初から何もなかったかのように、縮まっていく。
もともと一つであったもの。
『僕』と僕が自然と重なっていった。
!!
重なると同時に、何かが抜けていった。
『僕』と重なった僕の目が、その何かを追いかけた。
体のラインが見えていたわけではない。
ただ、さっきまでの僕と同じように、空気のように景色の中に同化していたけれど、そこに手や足や顔が存在している感覚はあった。
・・・・・・沢口[さわぐち]?
当然、過去の僕の記憶の中でのことだから、声をかけることはなかったけれど、『僕』から離れた沢口が僕を振り返ったように見えた。
無表情でも悲しい顔でもなかった。
事実をありのままに受け入れた、なんていうか、憑き物が落ちたような表情。
笑ったように見えた。
そして、そのまま、沢口と思われる空気は、どこか遠くへと消えていった。
翌朝、学校で会った沢口からは、砂の王国の人たちが持つ独特のオーラがほぼ消えていた。
その後も、会話の中でこの件に触れることはなかった。
僕の記憶を持っていたという告白を境に距離を置いたとか遠慮したとかじゃなく、本人も言っていたように、もうほとんど覚えていないのだと痛感した。
あんなに、沢口が無関係であることを望んでいたのに、いざそうなると、複雑な気分だった。
たぶん僕は、沢口に甘えていたばかりでなく、無関係のはずの彼のほうが僕よりもこの件の中心に近い位置にいるような気がして、いろんな意味で切羽詰っていたのだろうと思う。
だから、今さら切なくなる。
これが本来あるべき日常なのに。
「・・・・・・何?」
紙パックのジュースにさしたストローに口をつけたまま、沢口が訊いた。
「あ、いや、なんでもない」
昼食のパンをかじったまま、僕は沢口を凝視していたらしい。
慌てて視線をそらした。
沢口はいたって自然だった。
ほとんど、じゃなく、ほぼ全部、忘れたのかもしれない。
それでも時折、視線が栞[しおり]を追いかけているように見えた。
姫のことは、覚えているのだろうか?
放課後の廊下を歩く。
ゴーストホワイトの壁は、雰囲気を変えていた。
僕の気持ちが変化したせいだろう。
充さんや優[すぐる]と会った廊下は、寂しさを運んでくるけれど、それすら本当に夢にも思えた。
事実は小説より奇なり。
こっちが現実、あれが夢、のほうがよっぽど実感しやすい。
でも、確かにいた。
確かに王国で暮らしていた。
それは、とっくに僕に浸透していた。
当然のように、向かったのは、音楽室だった。
ここが、姫との再会の場所。
掲げられた音楽室のプレートを眺める。
それを合図とするように、中からピアノの音が響いてきた。
え?
姫の音だった。
それは、見なくてもわかった。
でも、僕は中に入るのをためらった。
少しだけ開いていた扉の隙間から、中が覗けてしまったから。
・・・・・・沢口?
直感した。
姫の弾くピアノの横にいる誰か。
だから、僕はそのまま黙って離れることを決めた。
邪魔をしたくはなかった。
その足でそのまま帰路に向かう。
夕日が怒ったように空を赤く染めていた。
オーバーなほどに真っ赤。
そんなことを思いながら、なぜかふとUターンして、不慣れな道を選んだ。
十数メートル先がT字路になっている。
親子(?)が通り過ぎていった。
よくあるような何でもない光景だった。
なのに、その瞬間、僕の体が硬直した。
稲妻が走ったような衝撃。
僕は慌てて、通り過ぎていった親子を追いかける。
突き当たりまで行くと、今しがた見た親子の後ろ姿が見えた。
焦燥感が逆流してきた。
すぐさま呼び止めようとしたところで、僕は息を止めた。
背後に誰かの気配があった。
僕と同じように誰かが足を止めている。
振り返る。
「尊[たける]さん?」
どうしてここに?
驚きと共に声をかけても、尊さんの視線は僕を見ていなかった。
もっと先を凝視している。
あの親子?
僕もその視線を追って、再び親子を振り返る。
どこかで曲がったのか、もう彼らの姿は見えなくなっていた。
今だったら、まだ追いかけられる。
でも・・・・・・僕は追いかけなかった。
尊さんが僕を通り越して、親子を追うこともなかった。
追いかけなかったかわりに、僕は改めて尊さんを振り返った。
僕よりもずっと追いかけたそうな顔をしていた。
そのただならぬ様子に一瞬躊躇した後、思い切って声をかけた。
「尊さん?」
ハッ。
音として聞こえるようだった。
我に返った尊さんの拳がゆっくり開かれていく。
眉間によっていた皺も、緩やかに消えていった。
「あぁ・・・・・・」
明らかに違う態度。
次の言葉を紡ぐことも、いつもの笑みを浮かべることもなく、ただ一回、大きく息を吐いた。
「知り合い? ですか?」
単なる知り合いにしては、様子がおかしい。
それに、追いかけたい理由も追いかけなかった理由もよくわからなかった。
「・・・・・・」
間が空いた。
数秒待って、「・・・・・・いや」と否定の返事があった。
わかりやすい嘘だった。
理由は気になるけれど、それ以上は追求してはいけない気がした。
女の子の手を引く父親。
ありふれた幸せそうな日常の一コマ。
ただ一度、いなくなったあの親子を思った。
尊さんの時間は長くない。
自分の残り時間を確かめるように、彼は透けた体を見た。
「一つだけ、願いを叶えられるかもしれない」
そう言って、静かに微笑んで、尊さんは帰っていった。
またしても謎がめぐるばかりで、解決の糸口が見えない。
部屋の天井からつるされた照明に目をチカチカさせながら、僕はまた砂の王国を思い返していた。
いろんな光景が浮かんでは消えていった。
その中に、夕方見た女の子の手を引く父親の姿も混じっていた。
僕を刺激した感覚。
あの親子を知っている?
・・・・・・いや、そうじゃない。
気にすればするほど、親子じゃなくて、女の子の手を引いていた『父親』がクローズアップされた。
衝撃が忘れられなかった。
全身に起きたサイン。
・・・・・・!
ふと、以前、先生――前・時の扉の番人――が言っていた台詞が頭を掠めた。
番人交代の時、先生は何て言った?
確か「急に神のお告げがあった」って。確か「ピンと来た」って。
・・・・・・つまり、番人交代?
「・・・・・・今?」
導き出した答えのあまりの驚きに、仰向け状態の僕は見事に腹筋を駆使して飛び起きた。
自分の両手を眺めた。
鍵は見つかっていない。
でも、鍵がなくても、番人が交代することはあるかもしれない。
世襲制でも何でもなく、突然、交代の時期は訪れるのだから。
きょろきょろと辺りを見回す。
やっぱり鍵はない。
鍵があれば、一発でその判断ができるのに。
そう思って首を振った。
無理だ。
僕は、過去に聞いたおぞましいエピソードを思い出した。
番人以外は鍵を持てない。
・・・・・・だったら、あの衝撃は何?
確かめることはできずとも、結局彼は、新しい番人なのか?
『・・・・・・違う』
またしても『僕』が登場した。
いや、「登場」じゃなくて、「閃いた」と表した方が正しかったかもしれない。
僕自身が、僕の推理を否定した。
番人という立場への執着でも、交代の時期が来ることへの恐れでもなくて、あの瞬間のあの衝撃はそういうものじゃなかったのだ、と全身が訴えていた。
でなければ、尊さんの行動の意味が説明できない。
尊さんは、番人ではないのだから。
そうしてまた疑問は振り出しに戻り、さすがに疲れを感じて、目蓋を下ろした。
あの衝撃は、何だったのだろう?
すぅっと闇に引き込まれていった。
深い深い穴に落ちていくような感覚。
抗いもせず、ただその感覚に身を任せていた。
ゆっくりゆっくり落ちていく様が、妙に心地よかったのだ。
そうして、かなり深く落ちた頃、少しずつ光を感じるようになった。
徐々に光の大きさが増し、出口が近くなっているのだとわかった。
そして、全てが拓け、やがて、僕の過去に辿り着いた。
一面の砂の世界に。
・・・・・・って、僕は何をやっているんだ?
視界が見事なスカイブルーで埋まっていた。
それ以外に何も映し出さない。
そう、砂の上に仰向けになっている状態で、僕は意識を取り戻したのだ。
「おーい」
空色に、影が差した。
「いつまでそうしてるんだ?」
誰かが僕を覗き込む。
呆れた声を耳にした途端、僕の意識が過去と結ばれた。
先生!
跳ね起きた。
つもりだった。
けれど、過去の『僕』はどうやらそうしなかったらしい。
一秒前と変わらぬ状態で、空を眺めている。
放心している。
「俺はもう行くぞ?」
「あ・・・・・・」
やっと『僕』が上半身を起こす。
「晴れて就任、おめでとう。じゃあな」
まだ呆けている僕に、わりとあっさり別れ文句を言って、本当にあっさり先生は去って行った。
そうだ、番人交代の報告と就任式に、宮殿に行ってきたんだ。
疑問がだんだん整理されてきた。
その式で、初めてちゃんと姫と向き合った。
一緒に、王家の人や家来の人も何人か見た。
あれ!?
ビデオテープを巻き戻すように、録画再生されていた記憶を振り返った。
やっぱり。
見つけた、あの人だ。