鎌倉物語@大河ドラマ「北条時宗」
2001年は鎌倉が大いに盛り上がった(と思いたい)。
NHK大河ドラマで鎌倉時代が取り上げられるのは初めてで、
個人的には期待していたのに、馴染みがないだけに視聴率はちっとも上がらなかった。(笑)
それにしても、今年(2002年)の金沢の異様な盛り上がりを見るに付け、
いかに鎌倉が大河を「地域起こし」に結び付けなかったかが分かる。
もっともいまさら「起こさ」なくてもいい地域なのかもしれないが。
*お断り*
文中の説明はあくまでもフィクション「大河ドラマ・北条時宗」の
設定に基づいたものであり、歴史的事実と異なることはご了承ください。
<東慶寺>
鎌倉市山之内1367
JR北鎌倉駅
・ 徒歩5分
8代執権・北条時宗の妻・覚山尼(ドラマでは西田ひかる→十朱幸代)が開山として1285年に創建。
1903年(明治36年)まで「縁切寺・駆込寺」として男子禁制の尼寺であった。
江戸時代、豊臣秀頼の遺児・天秀尼は養母千姫の庇護を受け、女人救済に当たった。
(その昔この天秀尼が主役の時代劇を見たことがある。ほとんど女版水戸黄門。
ちなみにずっと忘れていたタイトルは「姫将軍!大暴れ」。ネットって便利だ。)
この寺は文化人の墓が多いのでも有名。(岩波茂雄、小林秀雄、鈴木大拙など。)

覚山尼の墓塔
<建長寺>
鎌倉市山之内8
JR北鎌倉駅
・ 徒歩15分
第5代執権で時宗の父である北条時頼(渡辺謙)が宋人蘭渓道隆を招いて1253年建立。
一説には宝治合戦で滅ぼした三浦氏供養のための建立とも。
建長寺は「けんちん汁」発祥の寺であり、鎌倉禅宗五山の第1位。
ちなみに鎌倉五山は上から順に建長寺・円覚寺・寿福寺・浄智寺・浄明寺。
「ケン・エン・ジュ・ジョ・ジョ」と覚えよう。(笑)

時頼と言えば「鉢の木」伝説!

建長寺の隣はサザンの桑田佳祐氏の母校! 安倍晴明ゆかりの石碑が!
<<宝戒寺>
鎌倉市小町3-5-22
JR鎌倉駅
東口 ・ 徒歩15分
後醍醐天皇が北条一族の慰霊の為、1335年足利尊氏に命じ、北条得宗家邸跡に建立。
ここは「小町亭」と呼ばれ、代々の執権が暮らしていたらしい。

「北條家執権館督跡」の碑文 北条家の家紋・三つ鱗 「得宗大権現」
<日蓮辻説法跡>
鎌倉市小町2-22あたり
JR鎌倉駅 東口 ・ 徒歩10分
宝戒寺から鎌倉駅へ向かって真っ直ぐ小町大路を進むと、左手にみえる。
蹴られても石を投げられても鎌倉幕府にたてついた(?)日蓮上人(奥田瑛二)受難の説法地。
そりゃ、執権館と目と鼻の先じゃ、しょっぴかれるって。
(首相官邸付近でデモするようなものだ。)
<法華堂跡>
鎌倉市西御門2-4あたり
JR鎌倉駅 東口 ・ 徒歩20分
宝戒寺前の通りを二階堂方面に進むと、この辺り一帯は有力御家人・三浦一族の邸跡。
三浦氏は北条氏のライバルで、両者の間には常に火種が生じていたが、
1247年(宝治元年)謀反の疑いをかけられ、
執権・北条時頼により追い詰められ、ここ、法華堂で三浦泰村(津嘉山正種)以下、
一族500余名が自害した(宝治合戦)。
ちなみに、泰村の妹=藤子(大谷直子)の娘が時頼の正室で、時宗の母である。
(大河ドラマでは涼(あきら)子(浅野温子)。なかなか複雑怪奇な役でした。)
三浦氏の家督はその後、反乱に加わらなかった佐原氏が継ぎ、
三浦半島一帯を治めたとのこと。

鎌倉に貼ってあったポスター(これはハガキですが)。時宗パパ(最明寺入道時頼)=渡辺謙じゃなきゃイヤだ〜。(笑)
参考文献:「鎌倉散歩
24コース」
神奈川県高等学校教科研究会
社会化部会歴史研究分科会
山川出版社
鎌倉TODAY
eーざ鎌倉・ITタウン
鎌倉観光協会
鎌倉市
江ノ電オフィシャルサイト
a<3 May 2001>
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