追悼・吉村貫一郎「壬生義士伝」
南部・盛岡編
(17-18 April 2004)
南部盛岡は日本一の美しい国でござんす。
西に岩手山がそびえ、東には早池峰。北には姫神山。
城下を流れる中津川は北上川に合わさって豊かな流れになり申す。
春には花が咲き乱れ、夏は緑、秋には紅葉。
冬ともなりゃあ、真綿のごとき雪こに、すっぽりとくるまれるのでござんす。
(浅田次郎『壬生義士伝』下巻 P.82)
JR盛岡駅構内


盛岡城址

不来方のお城/吉村の勤務先
上の橋

脱藩ば決意したとき、次郎衛殿だけには話しておかねばなるめえと思って、
道場の帰りに中津川にかかる上ノ橋で、そこっと打ちあけたった。
(同、上巻 P.20)
「盛岡にも、ここ(京都・三条大橋)とよく似たところがありまして。
ずっと小さな橋ですけれど、こういう擬宝珠がついているのです。
秋は紅葉、冬は雪景色、そして春になると真白な辛夷の花が咲いて−。」
(同、上巻 P.96)
藩校・明義堂跡と宰相・原敬銅像
藩校の明義堂は盛岡城の日影門の外小路にあり、
藩士の子弟は毎朝早くからそこに通って学問を修め、
午後は同じ校内にある道場で剣術の稽古に励みました。
(同、上巻 P.136)
当時の教場は、床の間を背にした助教の左側に十三畳の細長い座敷があり、
そこに南部家後家門の若様方と、御高知の子弟が座る。
一段下がった三十六畳の広間に、一般の生徒が机を並べるのです。
(同、下巻 P.135)
石割桜

盛岡の桜は石ば割って咲ぐ。盛岡の辛夷は北さ向いて咲ぐのす。
んだば、おぬしらもぬくぬくと春ば来るのを待つではねぞ。
南部の武士ならば石ば割って咲げ。盛岡の子だれば、北さ向いて咲げ。
(同、上巻 P.401)
高松の池・上田堤


三人目のおぼっこを腹に宿したとき、しづは上田の堤さ嵌まって死のうとしたのさ。
(同、上巻 P.399)
宿泊場所:ホテルルイズ (旧ホテルリッチ)
日本料理 開運亭の「壬生義士伝膳」(¥4,042)食すべし!
□突 出 莫久来
□小 鉢 若布煮びたし うど
□お造り 帆立 北奇
□焼き物 川魚田楽焼
□揚 物 天婦羅
□煮 物 油目揚げ出し
□強 肴 酢の物
□食 事 ひっつみ汁
□デザート フルーツ
おまけ
村上弘明さんは陸前高田のご出身 小岩井農場直営レストラン「小岩井リグレ」
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