<Before
Dalian>
そもそも、なんだって大連だったんだろう。
春闘だか秋闘の時に, が腕章巻いて闘わなければならない私に向かって「同志」って言ったからなのか?
(そしてそれは定着している) だったら北京だよなあ。あそこには天安門が在るもの。
共産党と沢山の学生さんの血の赤のしみ込んだような壁が我々を待ち受けていたことだろう。
でも、さして北京には興味がなかった。上海にも。上海は上海で面白かったかも知れないけれど、
だったら香港だって別に構わないし。1930年代にタイムスリップできるのなら、それもいいけれど、タイムマシンはないし。
でも、私には多少理由があったかも知れない。 私は満州国を舞台に卒論を書いた。
特に大連の街をテーマにしたから、大連とその街のつくり、そして港を実際書いたことも含めて
確かめてみたいと思い続けていた。
大連から出発して瀋陽へ、さらに長春へ。日本人から「奉天」「新京」と呼ばれたそこへ行って、
日本人らしい罪悪感とかを感じるのもいいかなあ、そんなことを考えたこともあった。
......とか真面目なことを書きつつも、卒論真面目に書いた期間なんてたいしたことない。
史料と言ったら新聞の「体育面」そう、日本の「スポーツ欄」ばかり眺めて過ごし、秘密結社の暗号文を解いて楽しんだり、
小姐(お嬢さんの意味。可愛い女の子ね)のブロマイド眺めたり。
まったくろくなことはしていない。恩師の高田先生がいらっしゃらなかったら、私の大学生活はあと2、3年長引いただろう。
そんな程度だ。大連、でもなんとなく行きたかった。行こうと思っていた。
( 注:理由がないのは の方。やはり遺伝子がそそのかせたとしか思えない。)
そんなおり、某オフ会で がパンフレットを持ってきた。安いツアーでホテルは五つ星、
飛行機はめったに落ちないJALかANA、自由行動もとれて高くても39800円だという。
これは行かねば仕方ないだろう!
1月に会議攻めだった私は2月の出発目指したが.......激安の期間に予約はあっという間に埋まり、
「きゅうしょくコンビ」となって3月はじめの出発と相成ったのだった。
( 注:給食つくったわけではないのよ。)
ますます試練は我が身にふりかかる。2、3月。私の労働人生において重大な危機が発生した。
旅行どころじゃない。俗に言う「出社拒否」状態になってしまったのである。
頭は行きたがっているのだが、体は断固拒否している。困った私は医者に相談した。
「会社を2ヶ月くらい休みなさい。そして旅行で思いきりたのしんでいらっしゃい」
いいんだか悪いんだか分からない医者の判断により、休職中の身となった私の体調はいきなり快調になり、
いざ大連!ということになったのである。
( 注:偶然なんだか仕組んだのか、 はこのとき求職中の身。)
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