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2001/2/03 <0786> 春の雨はいやしき降るに梅の花いまだ咲かなくいと若みかも (大伴家持) ●春の雨は強く降り続けていますが、梅の花はまだ咲きません。まだ若いせいでしょうか。 <0787> 夢のごと思ほゆるかもはしきやし君が使の数多く通へば ●夢のように思われます。愛しいあなたの使者が、たくさん僕の家に通うと。 <0788> うら若み花咲きかたき梅を植ゑて人の言繁み思ひぞ我がする ●若すぎて花も咲かない梅を植えて、人の言葉が煩わしく思えます。 <0789> 心ぐく思ほゆるかも春霞たなびく時に言の通へば ●心の晴れない感じがしますよ。春霞のたなびく時期に、このようなお言葉をいただいたので。 <0790> 春風の音にし出なばありさりて今ならずとも君がまにまに ●春風の音にさえ出たならば、今すぐには無理かもしれませんが、君の思うままにどうぞ。 日本の文学作品に見える男色的な物語の最初は、『日本書紀』神功皇后紀摂政元年にみえる「阿豆那比之罪」の件にあると言われています。 ”皇后が紀伊国を訪れたとき、ある場所にさしかかると、夜のような暗さになってしまいました。常にそれが直らないので老人に尋ねたところ、「二つの社の神主を一緒に埋葬しているからでしょうか」と言った。村人が言うには、「片方の神主が病で死んだとき、別の社に仕えていた神主が激しく泣いて、『僕たちは仲の良い友人でした。だから死んでも同じ墓に葬られなくてはいけません』と言い、その屍の上に伏して自殺してしまったのです。ですから彼等を同じ墓に埋葬しましたが、もしかしてそれが原因だったのでしょうか」とのことである。 そこで二人の棺を改めて別々に葬ったところ、太陽が輝いて昼と夜の区別ができたそうである” 要約しすぎですが、要約するとそういう内容です。 さて、和歌の世界での最初は大伴家持と藤原朝臣久須麻呂との間に交わされた上記の歌(万葉集に残っているのは家持の返歌のみなので、久須麻呂の歌は想像に任せるより他ないみたいです)と言われていますが、最初ひとつめの歌(0788)しか聞かなかった私には、はっきり言って 「お偉い学者さんの と思っていました。 腐女子に分類される私ですが、どこがどう怪しいのか解りませんでした。 この歌の解釈を「久須麻呂がまだ幼い家持の娘を口説いてきたので、父親の家持がオレの娘はまだ若いんじゃゴルァ!!と言って拒否した歌」とする説が強いのも納得できます。むしろ私もその説に賛同させてください。ちょっとこれで怪しがるのは苦しいです。 ただ、二番目の歌が怪しいというのなら解ります。 はっきりと「はしき」と歌っているのですからね。「はしき」は漢字で書くと「愛しき」になります。「愛しい」って意味です。 三番目の歌は……微妙ですねぇ……。 「人の言」は、歌の調子から考えていい意味には取れない気もします。 となると、 (1)久須麻呂の口説き文句 (2)他人の噂 ということになるんじゃないかなと思います。 さて、万葉集には載っていませんが、久須麻呂の返歌に対し、更に返事しているのが789.790の二首です。 状況が前章に上げた通りなので、説明は特に要らないかなと思います。 問題は790。 ま、これが本当に男色の歌だったら、萌えますね。 単純ですみません(むしろ下品ですみません?)。 「春風の音にし出なば」の解釈が微妙ですが、 (1)覚悟がついたら(男色説の場合) (2)一人前の女性の年齢になったら(娘の父説の場合) (3)その人があなたに恋をしている予兆が見えたなら(両方可能) くらいの意味じゃないかと思います。 さて、結論が出しにくかったので、以後は大伴家持に関する他の怪しそうな歌を挙げていこうと思います。 しかしアレですね。どっちにせよ微妙です。 男色疑惑が晴れたら、もれなくロリコン。 藤原朝臣久須麻呂さん、タイヘンです(合掌) (2002/02/18追加) |
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2001/2/13 <3960> 庭に降る 雪は千重敷く しかのみに 思ひて君を 我が待たなくに (大伴家持) ●庭に降る雪は、深く深く降り積もった。 だけど、僕が君を待ち焦がれた気持ちは、こんなもんじゃまだ足りないんだ。 どうでもいいですが、この歌。 globeの『DEPARTURES』を思い出すのは私だけでしょうか。 そして、 「globeって何?」 とかいう世代がコレを見ていたらちょっと……否かなり…… イヤンなカンジです。 「どこまでも限りなく降り積もる雪とあなたへの想い」 ってヤツですね。 そしてこの歌にめろりとしたヒトにヒトツお尋ねしたい。 この歌、男同士でやりとりしてるってドウですか? クロですか? やはりクロなんですか、家持サン。 |
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2001/4/2 <0680> 蓋しくも人の中言聞かせかもここだく待てど君が来まさぬ ●たぶん、誰かから悪い噂でも聞いたんだろう。こんなに待ってるのに君が来てくれないなんて。 <0681> 中々に絶ゆとし云はばかくばかり息の緒にして吾が恋ひめやも ●君が中々絶交だと言ってくれないからだ。そうじゃなければ、どうしてこんなに恋しく想うことがある? 息も止まらんばかりにして。 <0682> 思ふらむ人にあらなくに懇ろに心尽くして恋ふる吾かも ●君の好きな人は俺じゃないと知っているのに、こんなにも細やかに心尽くして、君を恋しく思う俺は一体何なのだろう? なんだか、歌だけみていると、まるで他のヒトに悪口告げられて幻滅した彼女サンに「チガウんだよぅ。好きなんだよ、君が!」って一生懸命主張しているヲトコノコのようなのですが。 チガウんですよ。 だって、コレの注。 「大伴宿祢家持与交遊別歌三首」 交遊ってのは同性の(男同士の)トモダチのコトで、女性ではないのです。 「大伴宿祢家持、交遊と別れるときに与ふる歌三首」ってので、つまり トモダチと絶交するときに相手に向かって詠みかけた歌三つ、 というコトなんです。 とてもトモダチ同志とは思えないのは、私がヲタだからですか?(汗) っていうか、 しつこく出てくる「恋」って何デスカ?(汗) しかも当時年齢まだ10代後半頃。 どうですか、ヤヲイオトメの皆様。妄想するにはベストな時期ではありませんか?(笑) しかもこの二人。 友情だと素直に認めるとしましょう。しかしですね、 絶交する間際までワザと恋歌ちっくなニュアンス織り交ぜて歌交わして面白がってるって、 ソレはソレでかなりの関係ではないのかと……(しーん)。 あ、いや、ホモだとは云いませんけど(汗)。 絶交だって言いながら、冗談言って別れられるトモダチって、何かすごくないですか? ただものじゃない信頼関係を感じさせます。 本当に、お互い心を揺れ動かされっぱなしという固い友情の背景を思わされます。 |
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2001/11/13 <3943> 秋の田の 穗向見がてり 吾が背子が 房手折りける 女郎花かも ●秋の田の収穫ぶりを見がてらに、愛しいあなたの手折ってくれた女郎花なのですね。 <3944> 女郎花咲きたる野邊を行きめぐり君を思ひ出徘徊り來ぬ ●女郎花の咲いてる野辺を歩いていたら、君を思い出したからわざわざ遠回りしてきちゃったんだよ さて、コレは学校で習った歌です。大学のネ。 そのときの解説でセンセが、 「我が背子というのは、和歌で言う女性から思い人への呼び名です。しかし、僕は思うんですよね。 宴席で、同性愛的な冗談を混ぜて詠むことはアリじゃないかと」 と。 漸くホモな歌の多すぎる家持サン、シロの気配が見えてきました! よかったですね。 ああ、ハイ、つまりアレですね。関係の有無はこの際モンダイじゃなくて、よく男子高生がお互いの家泊まりに行ったコトをワザとエロっぽく表現して会話してクラスメイトを笑わせたりするのと同じノリなワケです。 え? しない? え、困ったな。 ウチの中高時代はそんなヤツばっかだったんですけど。 |
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2001/11/15 さて、これでこのテーマは一旦終了。 しかし多分、 見つけたらメールかBBSでどうぞ。 リクエストを受け次第、頑張ってツッコんでみようと思います。 |