申さんの555の解読
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申です 最近解読送っていませんでしたが、ほぼ毎日 3223(黄金の巻 第44帖 (555)) を詠んでいました。 これ気に入っているんです(^^)。 なんだか心の底から力が湧いてきて盛り上がるんです。 私は細部にわたる解説はしませんが、おのおの方の心で感じ取ればいいのではと 思っています。 嬉しいので、解読班増員のお祝い(^^)…。
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ひふみゆら、ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆら 恐れ多い事ではありますが、日月の神様を召喚し、御前にて御歌を奉らせていただきます。 御身の世が永遠に栄える為の御歌を御前に奉ります。 世を救う大いなる御業であります、御事=御言(神の成す神業)にわが身は恐れ入ります。 まさに今、神の御事=御言を、この実身(耳)に聞きます(この身に思い知りました)。 3千世界を救う御業でありますので、既存の概念を正し行き、真実を見るのです。 大神が、地球の大海に敷かれた島(陸地)、八十島(多くの島々で成り立つ国)は永遠に栄えます。 天を翔け、地を駆ける神々ですら、大神の御光に伏してしまいます。 耐えに耐え、3千年間待った岩戸が開き、大神がいよいよお出ましと成りました。 天の下の民も祝い、神の御元に居り、神に御仕えいたします。 大いなる神の威光の有無を問い、魚のように集団で右へならえの人々(自分の意志を持たずに、メディアなどに洗脳され集団行動をとる人々)ですら平伏し、そこに集います。 神と共にある道、みこと(常に心・言・体が一致している)となる夜明けの朝には、御民は身も心も曇りが無くなり、真実に健やかになるのです。 神の子ですよ、大神の御民であるこの今を、この幸を感涙いたします。 国原(大陸)は、大波が打ちつけて始めて、ようやく御文を拝す事になりました。 天も無く、地も無く(善悪を超えて)、今を、みこと(常に心・言・体が一致している、真実のいのち)に生きます。 大いなる御告げに八百万神も勇み立って下さいませ。 天地の光となって、御筆が湧き出ます。 一つの血と集約される御民の血は今、魂からの叫びが湧き上がり、その流れは止まる事はありません。 その流れによって、大いなる命が身(地球自身)に甦ります。 それは遠い祖神である、真実の親の血が甦るという事であります。 この時、すでに吾は有る無しの始まりの神(物質の元と、その物質が存在としてある様に働く力の双方を指す?)の傍らでこそ、我が生を赦されているのです。 この魂が高ぶるのは、この私自身の血潮でしょうか? それとも、遠い祖神がこの血に共鳴しているのでしょうか? 区別はし難いですが、御告げが高ぶりとなって現れている事は証しでありますので、尊い事であるとありがたく賜っております。 すでに我(われ)は無く、神々がこの身に宿り、共に祈る事と成ります。 この時、天地は極まりを迎え、鳴動します。 それはかつてない、大いなる御告げなのです。 多々で(多くの所で)神の怒りよ、どうか止んで下さいませと、祈りの声が聞こえます。 天地は極まり、ここに新しい御世が生まれ来ます。 大きな太陽の陽光に融合し、国を開く為の道を命の限り呼びます。 命の限り叫ぶ時、真実のいのちの理は輝き、今こそ岩戸は開く事と成。 神宿る為の御柱は、言挙げによって、しかと御前にお伝えいたしますので、どうか御心のままにお使い下さい。 善悪を超えて、すべてを包括し、神の大いなる御心に今、応えます。 言い向かい(自分の中にある真実の声と向かい合い)、末路を示し(結果を決定し)、命に謹んで意を表します(真実のいのちとして生きる事は、我を尊重する事であると意思を表します)。 唯、涙するばかりで、わが身を惜しむ事はありません、我が御前に倒れる事になろうとも。 御前にささげる命は、今ここに、現れている神仕業と生まれ変わるのです。 大いなる御前に、謹んで伏しますが、祈る術も無いほどなのです。 だから今は唯、いのちの限りに大いなる道をお伝え致します。 そう祈りながら我が限りを尽くし、御民である事をこの身で示します。 生命である命を超えて大いなるいのちに生かさせて下さいませ。 唯ひたすらに、命に敬意を表し、今まで生きてまいりました。 言霊の声も高らかに、太陽に融合しようと。 天に叫び、我に鞭打って、今日まで生きて参りました。 我が魂の叫が、一陣の嵐となって天を翔けるならば、この心は癒えるのだろうか。 我が魂は天に想いを馳せつつ、今海の地平からいずる大きな月に叫びます。 御身を隠し、この生命と生まれました遠い祖神。 神々の智は永遠に栄える事となり、ここに我は立ち上がります。 御民は皆、死を(死はすべての終わりであるという概念を)捨てる事は、もともとあった、あるべき姿なのです。 ああ、清清しい、御民に繁栄がもたらされます、それは神と共にあってこそなのです(繁栄の基には、御民と神が共にあるからという事なのです)。 真新の我の生命は尊く、我は自らを拝します。 この身が尽きようとも、苔むす程の年月が経とうとも、いのちとして生きてお使え致します。 さあ、行きましょうぞ、曲がった存在の引き起こす、曲がった出来事を断ち、その根を止めるために。 素の姿に戻すという神仕組みを(5度の岩戸閉めを開きに開いて、基の理に基ずいた、あるべき姿に再生しなおす事)、声高に白日の下に晒し、今日に死に、明日に死にという覚悟で今この時を生きてまいります(ただ現在がすべてであるという意識を持って、瞬間瞬間に集中して生きる事)。 追い詰めて、試練の都度に、この意思を揺らぎ無きものにするのだ。 揺らぎの基を自分の中から(地球から)追い払って、清めの川の瀬に(天の川、銀河の河の瀬に)流して、曲事を宥めるのです。 みことであるならば、天が壁となって立ちはだかろうとも、乗り越え、極め行き、その身で証明いたしましょう。 心に呼応し、天も雄たけびをあげ、高く鳴動したまへ。 虚構を暴き、真実を真実として世間に知らせたまへ。 神恵みである稲穂を育てようと、水田に肘まで浸かりながらグルグルかき混ぜると、水泡が発っています。 左右向かい合った股の間に肘をかき寄せて棚田を作ります。 狭い田、細長い田、隅々まで隙間なく、実らせてください。 神々の血潮(生きて実行する存在)となって、生きてまいります。 これらの言葉は、民の言葉として向かい合い、神にささげます。 にぎわいながら、共に歌えば、岩戸が開きます。 大きな出来事のある日に対し、神の名を叫ぶが如くに、真正面に向かって取り組んで行きます。 その道のりで咲いた、花のような白い清純さに祈る人が居ります(祈るような熱心さで見ている人がいます)。 只今に生きる大きな喜びに、拍手が響きます。 悔いる事なく、御前に頭を垂れ伏して、祝詞いたします。 祝詞すれば、誰かも和して、波が引いては寄せてを繰り返すが如くに広がってゆきます。 のりと申すと、我が魂に叫ぶ何かが感じられます。 謙虚に御前に額ずけば、神の波動を感じます。 悔いる事無い1日でありましたと、夕暮れの月の下を歩いています。 我に一点の曇り無く、幸はえたまへと、今我が魂の全てを込めて祝詞いたします。 御身を奉ります歌をお聞き下さいますよう。 幸はえたまへ。 ひふみよい むなやここたり ももちよろず (日月宵六七八九九足り百千代万(かな?)) (日月の宵は、六・七・八ですが、九九の理が足りて百となり、千代万の永遠になります(これは苦しいかな?))
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