良い宇宙人と悪い宇宙人,宇宙の真相, The Earth is Controlled by Evil Alien


NO4906


SARS禍と旅行医学の現在 


太陽のコメント

国際的に移動する旅行者には要注意と云う情報です。

保菌者の旅行者が世界中を渡り歩けば、手に負えなくなるという見本的な説明です。

たいへんに長いですが、鳥インフルエンザのことも細菌兵器がどのようにして使われるかと云うことも理解出来るとおもいます。

具体的な説明ですから分かりやすいです。

参考にしてください。


SARS禍と旅行医学の現在

http://www.asyura2.com/0505/gm11/msg/485.html

投稿者 デラシネ 日時 2005 年 10 月 27 日 01:32:31: uiUTTMWMO8Vq6

http://www.apaoj.or.jp/forum/2003/
2003_11_kouen.pdf

SARS禍と旅行医学の現在 濱田 篤郎氏

はじめに

ご紹介いただきましたように、私は厚生労働省の特殊法人である労働福祉事業団の海外勤務健康管理センターに勤務しております。 来年には独立行政法人となる予定です。 当センターは、ひとことでいえば旅行医学の仕事をしているところですが、旅行医学は日本ではまだ始まったばかりの医学であり、一般の人はもちろん、医療関係の人でもご存知ないことが多い分野です。 ですから旅行医学をより広く知っていただくために、歴史読み物的な要素も入れて、お 手元の『旅と病の三千年史――旅行医学から見た世界地図』(文春新書、2003 年)を書きました。 この本を出版してから数か月後、SARS が大流行しました。これは旅行医学と非常に関連の深い病気です。 今日は、まず SARS についてお話しし、次に旅行医学について歴史的なお話をして、最後に海外勤務健康管理センターで行っている旅行医学についてご説明することにしたいと思います。

1.SARS の流行とその社会的インパクト

(1)世界的拡大への経緯

@メトロポールホテルから世界へ
SARS は中国の奥地が発生地と考えられますが、この病気を世界的に広げたのは旅行者です。 SARS が世界に拡大していった経緯はすでに明確にわかっています。 今年の 2 月 21 日、中国広東省の中山大学医学部教授で、60 歳前後のある男性が、親戚の結婚式のために香港の九龍半島にあるメトロポールホテル 9 階に宿泊しました。 この大学教授は、昨年暮れごろから今回香港に来る前まで、広東省で流行っていた原因不明の肺炎の患者をたくさん治療していました。 そして、この時点ですでに少し熱があり、呼吸器の症状もあったということです。 この男性旅行者が、まさに SARS のスーパースプレッダーでした。 この日に同じメトロポールホテルの 9 階に宿泊した人々、それからこの男性を訪ねてきた訪問者が、ことごとく SARS をうつされてしまいました。 その中には、ベトナム、シンガポール、カナダ、中国、そしてもちろん香港の人々もいました。 知らずに感染してしまった旅行者達は、数日後、自国に帰ってゆき、そこで SARS を爆発的に流行させてしまったのです。 これが2 月 21 日に起こった悲劇でした。

メトロポールホテルから帰ってまず発病したのが、ベトナムに向かったアメリカ人ビジネスマンでした。 2 月 26 日です。 この男性はハノイで肺炎の症状を起こし、病院にかかりました。 このとき、当然のことながら、ハノイの病院ではこれがそれほど怖い病気であるとはまったく気づかず、単なる肺炎として取り扱いました。 ところが 3 月に入ると、この患者を治 療したり看護したりした病院職員が、次々と肺炎にかかるという事態が起こります。 異常に最初に気づいたのは、当時 WHO からハノイに派遣されていたイタリア人医師のウルバニ氏です。 この方が、変な肺炎が流行っているということをいち早く WHO のマニラ事務所に報告しました。 このウルバニ医師も、後に自身が SARS にかかってしまって亡くなりました。 ウルバニ医師の報告を受けた WHO のマニラ事務局は、秘密裏に警戒態勢に入りました。約 1 週間後、香港の病院でも同じように原因不明の肺炎が流行っているという情報が WHO に届きます。 このような状況を受けて、WHO は 3 月 12 日、「最近ハノイと香港で原因不明の肺炎が流行っており、同様の症状を呈している患者がいたら至急報告するように」という警報を 発しました。

2 日後、カナダのトロントやシンガポールでも同様の患者が発生しているとの通報を受けます。 そしてついに 3 月 15 日、WHO は、この肺炎が全世界の健康上の脅威であるという発表を行ったのです。

A情報開示をめぐる WHO と中国政府の緊張関係

WHO はこの肺炎についていろいろ調べました。 当時、一つ関連しているのではないかと思われる事実がありました。昨年 11 月から中国の広東 省で原因不明の肺炎が流行っているという情報が WHO に入っていたのです。 200 人、いや 300 人の患者が出ている、あるいは 100 人以上がこの病気で死んだ、などの情報もありましたが、WHO が中国政府に問い合わせても、はっきりした答えが返ってきません。 そこで WHO は中国に強い圧力をかけて問いただしたところ、3 月 26 日になってようやく中国は、広東省での SARS 流行を WHO に報告したのです。 それまでのところ、SARS は患者を治療した医師や看護師など、病院の中でだけ感染する病気でした。 ところが 3 月 30 日、香港のアモイガーデンという大きなマンションで集団発生が起こりました。 病院の外での大流行が始まったのです。 これを受けて、4 月 2 日、ついにWHOは香港と広東省への渡航自粛勧告を出しました。 これほどの強い勧告は、WHO が発足してから初めての措置でした。 4 月 16 日、SARS の病原体が新型コロナウイルスであるということが確認されました。 このころ、中国政府が広東省以外の情報をまったく開示しようとしない点について、WHOのマニラ事務局長自らが北京に赴き、中国の衛生大臣に直談判しています。 しかし効果はありませんでした。 この間、WHO と中国の間では非常に緊張したやり取りがあったようで、その経緯について、先日の国際保健医療学会で、WHO マニラ事務局長が訴えていました。 4 月 20 日になると、全世界で明らかになっている患者数が 3000 人を超えました。 そうなるとさすがに中国も情報を隠匿するわけにもいかなくなり、衛生大臣と北京市長に責任を負わせて更迭し、500?600 人にものぼる、北京での SARS 患者大量発生を報告しました。 そして 4 月 23 日、ついに北京およびカナダのトロントにも WHO は渡航自粛勧告を出しました。

B日本政府の不可思議な対応による混乱

5 月 2 日が患者発生のピークでした。5 月の連休のときには日本でも、テレビ番組は SARS だらけでみなさんもご心配であったと思います。 このとき日本政府がとった対応は、実に奇妙なものでした。 流行地からの帰国者に対して、症状がなくても帰国後 10 日間はあまり人に密に接しないようにと書かれた注意書きを渡し、事実上の自宅待機勧告を行ったのです。 これは世界でも最も厳しい対応ではなかったかと思います。 しかし医学的に見て、SARS は発病、つまり発熱していなければ人にうつす可能性は極めて低い。 ですから潜伏期間に自宅待機しなければいけないというのは、医学的には不可思議な対応です。 この政府の対応に対して、自宅にこもっていなければいけないのか、など、当センターにもいろいろ問い合わせがありました。 とくに困惑したのは航空会社です。 パイロットも客室乗務員も、しょっちゅう流行国を行き来しています。 そのような人々が仕事をしてはいけないのかとずいぶんクレームなども入りました。 結局、日本政府がなぜこのような勧告をしたのか、いまだにわかりません。

Cアジアが作った診断基準に反発するカナダ

その後、5 月 8 日の日本での台湾人医師事件を経てようやく 5 月末から患者が減ってきました。 ところが 5 月 22 日にトロントでまた流行が発生しました。これがなぜ起こったのかは非常に興味深い点です。 WHO のマニラ事務局長によると、次のような背景がありました。 SARS に関して、診断基準は WHO のマニラ事務局が作成しました。 しかしカナダはアジア人の作った診断基準に従おうとせず、別個に独自の診断基準を作ってしまったのです。 マニラ事務局の基準では、一度でも肺炎を起こした人は SARS として隔離することになっているのですが、カナダの基準はそれより甘く、何度か再発する患者を SARS とするとなっています。 このために、この時期にいたってトロントでの再燃が発生したというわけです。 カナダのアジア蔑視がこのような状況を生んだのでしょう。 ともあれ、このような経緯を経て、7 月 5 日、WHO は終息宣言を出しました。

(2)患者数、死者数より社会的インパクトが甚大

今回の SARS 禍によって、世界 32 か国で患者が発生し、患者総数 8422人、死亡者数 916 人でした。 この数値は決して多くはありません。 たとえば第一次大戦中に流行したスペインカゼでは、2,000 万人近くが亡くなりました。 しかし社会的な影響は非常に大きいものでした。 一つは医療の崩壊です。 SARS は最初、病院で流行したために、流行地域の病院は役割を果たすことができなくなりました。 医療自体が機能を失ったということです。 次に経済的損失です。 これも大きいものがありました。 渡航自粛勧告の出た香港では、GDP が 4%落ちたと言われています。 そして何と言っても心理的影響です。 これは、流行の起こらなかった日本でも、人々の心に恐怖を植え付けました。

(3)SARS の基本事項

ここで SARS がどのような病気であるかを簡単にまとめておきたいと思います。 法律的には、7 月 14 日に、指定感染症という扱いになりました。 今月中(H15.11)には感染症法(「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」)の一類感染症に指定されるはずです。 こうなると、発病した患者はみな隔離されることになります。 原因は SARS コロナウイルス。症状は発熱、肺炎。病気が進むと肺全体に肺炎が広がります。 感染経路は、当初、空気感染するのではないかと噂されましたが、結局、飛沫感染するということがわかりました。 唾や鼻水などを介してうつりますから、患者から半径約 2 メートルくらいに近づくと、感染の危険性が生じます。 検査法としては、日本の栄研化学で簡易キットが開発されたとの記事もありますが、今のところ、確実な検査法はまだありません。 症状で診断するしかないのが実情です。 治療法についてもさまざまな報告がなされていますが、本当にその薬が効いて治ったのかどうかは特定できない状況です。 検査法も治療法も、これからの課題です。ワクチンについても、今後おそらく 1?2 年はできる見込みはありません。

(4)SARS に関する「よくある質問」

SARS に関しては、みなさんも日ごろからいろいろ疑問に思っていらっしゃることがあると思います。 よく聞かれる質問について、いくつか答えを用意してみました。

@なぜ流行が発生したか?――感染源はまだ特定されていない

なぜ SARS が流行したのか、なぜそれが今なのか。 このように思われる方は多いと思います。 これを解き明かす手がかりになる例として、ニーパウイルスの流行についてお話しいたしましょう。 1998 年、マレーシアの半島部で原因不明の脳炎が流行り、100 人近くが亡くなりました。 最初は日本脳炎ではないかと言われましたが、ニーパウイルスという新しい感染症であることがわかりました。 この原因をつきつめてゆくと、感染した人のほとんどが養豚業に従事する人であることが わかりました。 しかも同じ時期に、ブタも脳炎でたくさん死んでいました。 これによって、ブタからヒトに感染したのだということが明らかになりました。 それではブタはなぜ感染したのでしょうか。 通常、感染症の場合、保菌動物というものが存在します。この動物は決して発病せずに病原体をまきちらします。 そこで、ブタの感染元になった保菌動物がいるはずだということで、調査がなされました。 そしてわかったのが、コウモリだったのです。 マレーシアは、もともとムスリムの国ですからブタは忌まれていましたが、めざましい経済発展にともなって、養豚業が盛んになり、どんどん山の奥地に養豚場が広がっていきました。

そのために、これまで接することのなかったコウモリとブタが接する状況が生まれ、ニーパウイルスがコウモリからブタに、そしてブタからヒトへと感染したのです。 おそらく SARS もこのような経路をたどっていると思われます。 報道されているように、中国南部のいろいろな動物、たとえばハクビシンなどか らヒトに感染したのかもしれません。 しかしハクビシンも症状を呈していることから、保菌動物がいるはずだと思われます。 WHO が現在も懸命に、その動物を探しています。 なぜ中国南部が震源地であったかということも疑問に思われるでしょう。 中国南部とインドは、昔から疫病の産地でした。 ペストやインフルエンザなど、中国南部から発した病気はいくつもあります。 中国南部とインドに共通しているのは、ヒトと家畜が非常に密に暮らしているということです。 ですから、いつでも疫病が起こりうる環境であるということがいえます。 しかも最近、中国の経済発展には目を見張るものがあります。 その中で、当然のように自然破壊が起こります。 それによって、これまでならば接するはずのない動物と家畜が、接することになります。 こうして家畜が感染し、家畜と密に暮らしているヒトにうつる。 これが今回の SARS 発生の経路であると考えられています。

Aなぜ日本人はかからなかったか?――閉鎖性と清潔指向

日本人がなぜ感染しなかったのかということも、よく聞かれる質問です。 これについては、8 月 18 日付の日本経済新聞の医療コラム(「医師の目」)にも書きました。 日本人の食生活がいいのではないかとか、生活環境がいいのだとか、いろいろと言われていますが、まず挙げられるのは、日本人の閉鎖性だと思います。 日本人はシャイなところがあって、旅行でも出張でも、海外で現地の人とあまり密に接することがありません。 そのような閉鎖的な面が、日本人がSARS にかからなかった原因の一つではないでしょうか。 もう一つ、より大きな原因は、清潔指向です。日本人はヒステリックなほど清潔に気を使います。 「寄生虫博士」と呼ばれている東京医科歯科大学の藤田先生に言わせれば、「日本は無菌国家になってしまった。 だから非常に病原体に弱い。 そして今、みんな清潔指向があって、無菌国家をどんどん助長している」。 こんなところに SARS などという話が伝われば、そんな怖い病気にかかっては大変だいうことで、過剰に反応します。 この良し悪しは別として、今回の SARS 流行においては、日本人の清潔指向が日本人の感染を防ぐ一助になったと思います。

B今後も流行するか?――可能性大いにあり

今後も流行する可能性があるかどうかについても、マスコミなどで取り沙汰されています。 確かに、患者は一人もいなくなりました。 しかし、率直に申し上げて、再燃の可能性は十分あります。昨年広東省で流行が始ま ったのは 11 月、ちょうど去年の今ごろです。 ですから今、WHO などは中国で非常に警戒態勢を強めています。 患者がいないのになぜまた流行るかというと、先ほど申し上げたように、保菌動物がまだ特定されていないからです。 無症状で感染源となった動物が、絶対にどこかにいるはずです。 コウモリかもしれませんしトリかもしれません。 それが見つからないかぎり、今後も発生する可能性は十分にあります。

Cなぜ制圧できたか?――中世の制度、技術と現代の情報化社会

これだけ大流行した病気をなぜ制圧できたかについては、大きく分けて三つの理由があります。 一つは検疫隔離制度です。 出入国の際に病気を発見し、その時点で隔離してしまうというシステムです。 これは 14 世紀にできた制度です。 これによって、SARS を囲い込むことに成功し、制圧につながりました。 道具としては体温計です。 これも最先端の医学技術ではありません。 空港や病院で熱を測り、それによって SARS かどうかを見つけることができました。 この 17 世紀の技術も病気を制圧するのに大いに役立ちました。 それでは、我々の科学技術は中世のころから進歩していないのか。 もちろんそうではありません。 今ひとつ、SARS 制圧に非常に大きな役割を果たした力がありました。 みなさんは小松左京の『復活の日』を読まれたことがあるでしょうか。 これは 1960 年代の SF の名作ですが、原因不明の、インフルエンザに似た病原体が突然流行り始め、結局世界の人類が絶滅するという非常に恐ろしい話です。 病原体の発生元が中国であることや、飛沫感染による感染症であったこと、まるでマスクの花が咲いたかのようにみんながマスクをつけていること、途中で WHO が「世界の健康上の脅威である」といった警報を発することなど、今回の SARS 流行と非常に似たところがあって、空恐ろしくなります。 違ったのは、『復活の日』では人類は滅亡しますが、SARS の流行は食い止めることができたということです。 そして、これほどまでに想像力豊かで未来を見通す能力のあった小松左京でさえ予知できなかったこと、それは現代のインターネット社会です。 今回 SARS を制圧した一番の功労者は、インターネットではないでしょうか。 2 月 26 日にベトナムで最初の患者が発生した直後に、ウルバニ医師がいち早く WHO にインターネットを介して報告しています。 これを受けた WHO のマニラの事務局も、アジアの各支局にインターネットを介して、即座に、警戒を強めるようにと指示しました。 3 月 11 日にハノイの病院での集団感染が WHO に報告されると、ProMED という感染症関連では非常に情報の速いメーリングリストを通じて、そのニュースがすぐに世界中に流されました。 翌 12 日に WHO が警告を発すると、インターネットを介してすぐに日本の厚生労働省にも情報が入り、そこから医師会を通じて日本全国の開業医にまでこの情報が届く仕組みになっていました。 届いた情報を読むか読まないかは別として、現実に、3 月 12 日の夕方までには、日本のどんな地方の開業医の先生も、この情報を手にしていたのです。 メールなどを通じた情報のやり取りだけでなく、インターネットを通じた電子会議、バーチャルカンファレンスも頻繁に開催されました。 世界中の科学者がインターネットの世界で会合し、そこで病原体についてディスカッションする。 このようなやりとりがあったことによって、わずか 1 か月半というスピードで、病原体が見つかったのです。 AIDS も最近の病気ですが、これが最初に流行したときにはまだインターネット網はありませんでした。 そして AIDS の病原体が発見されるまで、2 年という歳月がかかっています。 これと比較しても、やはりインターネットの功績は大きいということが言えるでしょう。

2.旅行医学の歴史

(1)疫病は旅人が運ぶ

繰り返しますが、SARS を拡大させたのは旅行者でした。このように、旅人が疫病を運ぶということは、これまでにも歴史上何度も起こっていることです。 古くはアテネの疫病と呼ばれるもので、紀元前 430 年にさかのぼります。疫病の震源地となるのはだいたいアジアやアフリカで、それを広げる役割を果たした旅人としては、商人や移民、航海者、兵士などが挙げられます。 これらの疫病の中でも大きなインパクトを持ったものを三つとり上げて、説明してみたいと思います。

@マラリアによるローマ帝国の没落

まずローマ帝国のマラリアです。マラリアは、昔、日本でも流行っていましたから、ご存知の方も多いと思います。 今では蚊に媒介される病気であることがわかっていますが、昔の人たちはそのようなことをまったく知りませんでした。 ただ、沼の近くで流行るということはわかっており、「沼地熱」と呼ばれたりもしていました。 もちろん沼の近くは蚊が繁殖しやすいから感染も多かったのです。 古代ローマ、あるいはローマ共和国ができる前のイタリア半島も、マラリアの流行地でした。 ローマ市は 7 つの丘に建設されたと言われていますが、これには戦略的な意味に加えて、マラリアを避ける意味合いもあったと思われます。 沼地のある低地ではマラリアが流行するからです。 何度か小規模な流行を経て、ローマ帝政の中期以降、マラリアが爆発的に流行いたします。 この時期は軍人皇帝が出てくる時代で、国内が非常に乱れた時期でした。 そのために公共事業が停滞し、水路が滞るなど、蚊の繁殖しやすい環境ができ上がってしまったのです。 これと並行して、大土地所有制が進むことにより、アフリカやアジアの属州から、たくさん移民を受け入れるようになりました。 これらの国々はマラリアが非常に流行している地域で、感染者がローマに大量に移動して くることになりました。 こうして感染者の存在、蚊の繁殖という条件が重なって、中期以降、イタリア半島でマラリアが爆発的に流行したのです。 もちろん兵士もたくさん感染しましたから、軍の弱体化を招くこととなり、これが結局は、ゲルマン民族の侵入を許してしまうということにつながりました。 ただ、マラリアがもともと存在しない北方から来たゲルマン民族も、このようにマラリアが蔓延するイタリアには定住できませんでした。 そのため、中世には、イタリア半島には大きな国家ができることはなかったのです。 ローマ帝国の没落を招いたのもマラリア、ゲルマン民族のイタリア定住を妨げたのもマラリアでした。 そしてこの地にマラリア流行を引き起こしたのは、属州からの移民という旅人だったのです。

A黒死病によるヨーロッパ中世社会の崩壊

中世における黒死病、つまりペストの大流行は、おそらく人類史上最大の危機だったと思われます。 この流行が起こったのは 1347 年です。このときにはジェノバを中心とした、地中海貿易に従事する商人が、疫病を広げる旅人の役割を果たしました。 これ以前からモンゴル帝国内でペストが流行していたということが、記録に残っています。 当時、クリミア半島にカッファという町があり、そこにジェノバの商人達の交易所がありました。 このカッファの町は、今回のSARS でいえば香港と同じような役割を果たしたと言えます。 カッファは、当時背後のモンゴル帝国と戦争を行っていました。 ところが 1347 年、ある日突然モンゴル帝国の軍隊が引き揚げていってしまったのです。 ジェノバ人たちは大喜びし、戦いが終わったということで、順次イタリア半島に帰ってゆきました。 ところがモンゴルの軍隊が退却した理由は、兵士たちの間にペストが流行したからでした。 こうして、ジェノバの商人たちは、ペスト菌をヨーロッパに連れて帰ることになってしまいました。 イタリア半島にペストが上陸したのは、それから一年後の 1348 年頃だと言われています。 そこからヨーロッパに爆発的に流行し、ヨーロッパでは以後 3 年の間に 3 千万人がペストで亡くなりました。 3 千万人と一口にいいますが、当時の人口に照らしてみれば、実にヨーロッパの人口半分以上です。 もちろんヨーロッパ以外でも、たとえば中国などでも同じ時期にペストが流行したという記録があります。 これから考えると、人類は 1348 年前後に絶滅の危機を迎えたことは間違いないでしょう。 ペストは通常、ネズミからノミを介して感染します。ところが 14 世紀のヨーロッパで大流行した時には、空気感染していたのです。SARS のような飛沫感染では、せいぜい半径 2 メートルくらいまでしか感染しませんが、空気感染ですと同じ部屋のすみからすみまでさらに同じ建物の別の階にもダクトなどを通してうつるのです。 もちろん当時の医者が正確な感染経路を知っていたわけではありません。 しかし、うかつに診察すると死んでしまうのですから、診察に当たる医者もたまりません。 そこで、ペスト診療のための特別な服装が用意されました。 全身をただ覆うだけではなく、呼吸する空気を浄化するための芳香剤やニンニクを鼻のところにセットし、視線で感染するのを防ぐために、患者の眼を直接見ないためのサングラスを目のところにほどこし、今から考えれば非常に奇妙なかっこうでした。 ペストの大流行は、大量の死者とともに人心の荒廃ももたらしました。 当時フィレンツェに滞在していたボッカチオは、ペストが蔓延する街から教会に避難してきた男女が互いに物語する話を書きました。 『デカメロン』です。 この『デカメロン』の序章は、非常に上質のノンフィクションで、ペストの流行によって人々が混乱する様子が描かれています。 その中に、ペストに感染した夫を妻が捨て、父や母は子供たちをまるで他人のように放置したという記述があります。 感染を恐れるあまり、家族も何もない。 そのように心を失って行ったのです。 実は今回の SARS の流行で、同様の状況にぶつかりました。香港に単身赴任中のある日本人男性から、当センターに電話相談がありました。 帰国して暫く休みたいということでした。 当センターとしては、そのほうがよいでしょうとお答えしたのですが、この男性は、一つ困ったことがあるとおっしゃるのです。 何かというと、感染をおそれる妻が「家に帰ってくるな」と言っているのだと。 まさに「妻は夫を捨て」という表現がぴったりだと感じました。 話をもとに戻すと、家族も見捨てるほど当時のヨーロッパの人心は荒れ果ててしまいました。 その結果、当時中世社会を支配していたキリスト教に対する尊厳が失われるという結果になりました。 そして人口の激減は、中世社会を支えていた荘園制の崩壊を招きました。 こうしてペストが中世社会崩壊の大きな原因になったと考えることもできるのです。

Bコレラによる 19 世紀市民革命の扇動

19 世紀に入ると、各地でブルジョアによる市民革命が起こり、絶対主義体制が崩れてゆきました。 これをある意味で後押ししたのがアジアコレラの流行ではないかと思います。 アジアコレラは、もとはベンガル地方の風土病でした。1757 年にプラッシーの戦いで英国が勝利して以降、インドはイギリスの植民地として開発されました。 これ以降、ベンガル地方を中心に散発的に流行っていたアジアコレラが、兵士や植民者などによって地域外にもたらされる機会が生まれたのです。 1817 年、アジアコレラは初めてインド以外に飛び散る第一次世界流行を起こしました。 このときにはヨーロッパまでは到達しませんでした。 ところが 1826 年に第二次流行が起こり、これが 1832 年にパリに到達しています。 この年の 6 月に、パリで共和派暴動が起こっています。 この暴動は、アジアコレラで亡くなったラマルク将軍の葬儀を契機として起こりました。 彼はナポレオンの元配下で、共和派の人々に非常に人気のあった人物です。 この経緯は、ビクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』にも描かれています。 このころからコレラはヨーロッパで何度も流行を起こし、そのたびに市民革命を後押ししました。 これが結局は、社会が近世から近代に移ってゆく一因となったのではないかと、私は考えています。

(2)旅人は病に苦しむ

現代のわれわれにとって、旅はどちらかというと楽しみの要素が強いと思います。 しかし旅を表すトラベル(travel)の語源は、「苦痛、骨折り」を表すトラブル(trouble)やトイル(toil)に通じると言われているように、昔から、旅行は苦しいものでした。 天変地異や強盗にあうこともあったでしょうし、病気もそうでした。

@玄奘の旅――熱射病と高山病

たとえば『西遊記』の三蔵法師としても有名な玄奘は、唐を出発してナンダーラに行き、そこで仏典を学びました。 この僧の旅の実際の記録として『慈恩伝』があり、これを読むと彼が旅の過程で非常に苦労したことがわかります。 病気の記述もいくつかあります。 まず彼が越えなければならなかったのは、広大なタクラマカン砂漠です。 ただでさえ過酷な場所ですが、玄奘は国禁を犯して出国していますから、正規のルートをとることができませんでした。 そのために砂漠の中で玄奘は熱射病にかかり、生死の間をさまよいながらやっとのことでオアシスにたどり着いたのです。 次に待ちかまえていたのが、標高 5 千メートルの天山山脈でした。 重装備でなければ我々には越えられないこの天山山脈に、玄奘は軽装で挑んでおり、一行の中には凍死した人もいます。 玄奘の記録によると、天山山脈を越えている途中で猛烈な頭痛がしたとあります。 高山病です。これは標高 4 千メートル以上のところではほとんどの人がかかりますが、非常に強い頭痛を伴い、ひどい場合には死に至ります。

Aマルコポーロの旅――中央アジアで感染症に

「旅人」といえばマルコポーロを思い浮かべる方が非常に多いと思います。 ベニスから「元」の大都に行き、東洋の文化を西洋に伝えた人です。 彼の旅の記録として『東方見聞録』がありますが、これはいわばガイドブックであり、ここからは旅の途上での苦しみをうかがい知ることはほとんどできません。 ただ一つだけ、今のアフガニスタンのバダフシャンというところで原因不明の病気になり、一年間療養したという記述があります。 この病気は、前後の記述から推測するに、結核か何か、慢性の感染症だと思われます。 さて、マルコポーロはカシミールの村に立ち寄りますが、そこで村の領主から歓待を受けます。 いったいどのような歓待だったかという三択のクイズをしましょう。
@宝石のちりばめられた風呂につかる、
A象の姿焼きを食べる、
B領主の妻を提供される、の中のどれでしょうか。 これは文化人類学的にも重要な問題です。
実は答えはBの「領主の妻を提供される」です。 この当時、とくにカシミールのような山奥の村では、自分の妻や処女を提供することが旅人に対する最高のもてなしとされていました。 これには隠れた理由があり、旅人のような新しい血を入れることで自分たちの種族が維持できるという意味合いがあったのです。 しかしこの風習は、その後、観光地での売春産業へと発展していったようです。 ですから『東方見聞録』のこの記述は、旅行医学においても重要なものなのです。

B大洋航海者を襲う病――壊血病

もう一つ、旅人として航海者を挙げることができるでしょう。 16 世紀頃から大洋航海が行われるようになると、航海者の間に「海のペスト」とも呼ばれて恐れられた壊血病が流行りはじめます。 これはビタミンCが欠乏することによって起こる病気です。 たとえばインドに行ったバスコ・ダ・ガマの一行は、帰途海上で迷ったためにほとんどが壊血病で死亡してしまい、170 名のうち 44 名しか帰還することができませんでした。 マゼランの世界一周では、マゼラン海峡を通って太平洋に出てから 100 日近く海の上をさまよいました。そのために壊血病が蔓延し、270 名の船員のうち 18 名しか帰還していません。 その 後、キャプテン・クックが、柑橘類が壊血病に効果があるということを証明し、以来この病気で苦しむ人は少なくなりました。

(3)旅人の病への挑戦――古典的旅行医学の発祥

かつて、病は旅人にとって運命であると思われており、それを克服しようとする試みはあまりなされませんでした。 旅人を苦しめる病気への挑戦が始まったのは、16 世紀のことです。 このころからヨーロッパ諸国は植民地経営に乗り出します。植民地の運営のためには現地に派遣される旅人を守る必要がありました。 たとえばイギリスの東インド会社を見てみると、1758 年から 1858 年の間に派遣された総督 14 名のうち 4 名が、現地で、あるいは帰国後間もなく、亡くなっています。 死亡率は 29%です。 社員となると、645 名のうち半数以上が亡くなりました。 警備にあたる兵士にいたっては、1444 名のうち 1243 名が亡くなっています。 死亡率 86%です。 もちろん全てが病気による死亡ではありませんが、相当な死亡率です。 また、シンガポールを開いたラッフルズはスマトラに住居をかまえていましたが、4 人の子供のうち 3 人を、1820 年にたてつづけにマラリアで亡くしました。 そのためにラッフルズは酒におぼれ、仕事ができなくなって帰国しています。 このように旅先の病気は深刻な問題で、その中でもとくに恐れられたのがマラリアでした。 16 世紀中頃、南米から朗報が届きました。キナという薬草の発見です。 当時南米へはたくさんの宣教師が行き、布教活動をしていました。 そこでイエズス会の修道士が、インディオの秘薬というものを見つけてきました。 それがアンデス山脈の東側だけに生えるキナでした。 インディオはこれを解熱剤として用いていましたが、修道士はこれがマラリアにも効果があるということを知ってすぐにヨーロッパに伝え、16世紀末ごろからヨーロッパでもマラリア治療にキナが使われるようになりました。 さらに、19 世紀初頭にキナからキニーネという有効成分が抽出されると、この薬は植民地でも爆発的に使われるようになりました。 メリル・ストリープとロバート・レッドフォードが共演した『愛と哀しみの果て』という映画の中でも、英領東アフリカ(今のケニア)に到着したヒロインに、現地に前からいる植民者が投げかけた挨拶は、「ちゃんとキニーネを飲んでいますか」というものでした。 この映画は 20 世紀初頭の物語ですが、このような挨拶からもわかるように、当時、マラリアの治療だけでなく予防薬としてもキニーネは多用されていました。 植民地の人々は、キニーネを水で薄めて毎日服用していたようです。 しかし味気ないということで、ある植民者がキニーネ水をジンで割って飲んでみたところ、とても美味でした。 それがジントニックの起源だそうです。 今ではトニックウォーターでジンを割りますが、トニックウォーターはもともとはキニーネ水で、今でも少量のキニーネが含まれています。 このようにキニーネによってマラリアはかなり克服されました。 その後、19 世紀には微生物学も非常に発展し、19 世紀中頃には植民地における旅人の医学を体系づけた、「植民地医学」というものが誕生します。 これは古典的旅行医学とでも呼ばれるべきものでしょう。 19 世紀中頃から後半にかけて、植民地では数々の戦闘が行われ、多数の兵士が本国から派遣されましたが、そこで死亡した人の多くは戦死ではなく病死でした。 それも感染症で亡くなる人がほとんどでした。 20 世紀に入ったころ、ようやく日本を含めた欧米諸国で、植民地医学が一般化し、派遣先で感染症にかかる率が低下してきました。日露戦争では初めて、病死者数が戦闘による死 者数を下回りました。 旅行医学は太平洋戦争でも大きな役割を果たしました。 太平洋戦争は、マラリアとの戦いでもありました。 日本軍はいち早くジャワ島を攻略しました。 このジャワ島攻略は石油を確保するという目的がありましたが、実はもう一つ大きな目的がありました。 ジャワ島を植民地としていたオランダがキナの大農園を作っていたため、当時、ジャワ島は世界有数のキナの産地だったのです。 つまりジャワ島をおさえるということは、世界のキニーネをおさえてしまうに等しいことでした。 同じころドイツは連合国とアフリカで戦っており、やはりマラリアが戦略上大きなポイントでした。 日本はそのドイツを支援するためもあって、ジャワ島のキナ畑をおさえたわけです。 ところが、連合国側はすでにキニーネに代わるアテブリンという新しい薬を開発していました。 そのため、日本軍がジャワ島をおさえたことは、アフリカ戦線に影響することはありませんでした。

(4)現代の旅行医学の発祥

大戦後、民族自決の理念により植民地は姿を消し、それと同時に植民地医学も消滅してゆきました。 この古典的旅行医学の消滅と並行して興ってきたのが現代の「旅行医学」です。 戦後、1960 年には全世界で 6900 万人、70 年には 1 億 6 千万人と、海外旅行者の数はどんどん増えてゆきました。 このように海外旅行者数が増大すると、旅行者の健康問題に取り組むことが必要になってきました。 欧米では 1960 年ごろからトラベルクリニックが各地に建設されるようになりました。 これは海外旅行者にさまざまな健康指導をしたり、予防接種をしたり、あるいは帰国した人の中に症状のある人がいれば治療をする施設です。 そして 1980 年代になると、これを学問として確立しようということで、旅行医学が成立いたしました。 旅行医学とは、国際間のヒトの移動にともなう健康問題を扱う医療で、海外旅行者だけでなく仕事のための出張者、長期滞在者、あるいは移住者から難民まで対象とするものです。 一方、日本では、海外旅行が解禁されたのが 1964 年でした。60 年代、70 年代を通して、海外旅行者はさほど多くありませんでしたが、バブル経済に浮かれた 1980 年代後半になると急激に海外旅行者が増加して、90年代に入ると 1 千万人を超え、最近では 1700 万人もの人々が海外に旅行に出かけています。 こうして、1990 年代になってようやく旅行医学に対する必要性が日本でも一般に認識されるようになりました。 日本で 90 年代に旅行医学が必要になってきた理由は、旅行者の数が増えたことだけではありません。 古典的な旅行医学は帝国主義を連想させるため、戦後しばらくは「禁断の医学」とされていました。 私自身、アメリカに渡って旅行医学を学んで帰国したのが 1985 年。当時、所属していた 大学でも、旅行医学をやることに賛成してくれる先生はいませんでした。 依然として「禁断の医学」だったのです。 それが 90 年代になると旅行医学が日本でも再生したわけですが、その背景には、海外旅行者の急増だけでなく、冷戦の終焉があったと考えています。 これ以降、日本の世論は次第に、過去の植民地支配などに関しても比較的柔軟な考えを示すようになってきたように思います。 これが 90 年代の旅行医学の再生につながりました。

3.海外勤務者の健康問題 ―― 海外勤務健康管理センターの任務を中心に

(1)海外勤務健康管理センターの設立

最後に、われわれのセンターを中心に、旅行医学がどのようなことをやっているかをお話したいと思います。 現代の旅行医学の中心的な対象者は海外旅行者ですが、それ以外にも海外勤務者も、そして海外派遣兵士も対象となっています。 ですから自衛隊でも旅行医学には非常に興味を持っています。 今回のイラク派遣でも、またチモールへも、旅行医学専門の医官が随行しています。 中でも、「禁断の医学」であったころから継続的に対象となっているのが海外勤務者です。 たとえばサミットなどで出張中の VIP の健康管理も重要です。 日本は一度大失敗をしたことがあります。 村山首相がベネチアサミットに参加したときにお腹を痛めました。 このようなことは、普通、旅行医学の存在する先進国では絶対に起こりえないことです。 前もって予防処置をとり、万全の体調でのぞめるようにしておきます。 ですからこの一件は、日本では旅行医学が発達していないということを世界中に知らし めてしまったようなものでした。 とはいえ、長期滞在者に対しては昔からさまざまな対策が講じられています。 海外勤務健康管理センターは 1992 年に、仕事で海外に行く人々のための健康管理施設として設立されました。 トラベルクリニック業務も、政策医療業務も行っています。

(2)海外長期滞在者が直面する健康問題

長期に亘り海外に駐在する日本人は、どんどん増加しています。 昨今の景気低迷にもかかわらず、右肩上がりに増えつづけています。 ただ興味深いことに、先進国と途上国で派遣先をわけて見てみますと、70 年代は同じように増加していましたが、景気のよかった 80 年代には先進国に行く人が大きく増え、途上国に派遣される人は横ばい、一方、景気が低迷してきた 90 年代になると、先進国に派遣される人の伸びが横ばいになり、途上国に派遣される人の数が大きく増えています。 これについてはご承知かと思いますが、80 年代は商社や金融業が海外進出をした時期であり、90 年代は製造業が海外に製造拠点を移転するのにともなって人員を海外に派遣した時期です。 途上国は先進国に比べて衛生状態が悪いですから、それだけ健康管理に気をつける必要があります。 海外長期滞在者が直面する健康問題としては、気候の変化による疲労や皮膚病など、ストレスによる精神面での障害、あるいは肉食中心の食生活による生活習慣病などがありますが、もっとも大きいのが衛生状態の悪化による感染症の問題です。とくに途上国ではそうです。

(3)リスクのある感染症――よく知って予防措置を

感染症の中で多いのは、やはり飲食物からかかるもので、下痢症などは1 か月滞在すると 30?80%の方が経験します。 ですから 3 か月滞在するならば、ほとんど全員が下痢にかかることになります。 この原因のほとんどは大腸菌です。 生命にかかわるようなことはほとんどありませんが、苦しいものです。 生水は飲まない、加熱してあるものを食べるといったことは、旅行心得としてご存知だと思いますが、意外と見落としがちな点があります。 たとえばジュースに入っている氷です。 きちんとしたホテルのレストランで出されるものであればよいのですが、町なかの飲食店などでは、やはり飲まないほうがよいでしょう。 それから現地の人の手で処理されたカットフルーツも、途上国では絶対に食べてはいけません。 今日の話の中に何度も出てきた、蚊に媒介される感染症にも気をつけなければなりません。 マラリアもそうですが、東南アジアでは今、デング熱が大流行しています。 現地の人の中には、これによって昏睡状態に陥っている人々もいます。 日本人の場合はそれほど重い症状になる人はいませんが、やはり蚊に刺されないよう注意する必要があります。 マラリアの場合は、アフリカで流行っており、現地ではマラリアで亡くなる日本人がいまだにいます。 ただ、マラリアに対してはメフロキンという予防薬が日本でも最近認可されました。 副作用が強いのが難点ですが、マラリアがひどく流行している地域に行く方には飲んでおいてもらいたいと思います。 単身赴任で海外に行く方に多いのが、性行為でかかる感染症です。 梅毒、淋病、B型肝炎などが多く報告されています。 HIV はそれほど事例は多くありませんが、やはり十分注意すべきです。 以前は禁欲するように指導していましたが、性病学の祖と言われる人が「禁欲的な予防措置はきわめてまれな事例を除き、無理である」と断言しているように、最近ではコン ドームを使用するなど、安全な性行為をこころがけるようにという指導に変わってきています。 もう一つ、使用人からかかる感染症というのがあります。 途上国に行く人の多くは、運転手や家政婦など、家内労働に現地の人を雇います。 こういった身近にいる現地の人から飛沫感染などによりかかる病気があります。 SARS もこれに入るでしょう。 その他、結核やはしかなどがあります。 とくに調理を衛生観念の異なる現地の人に任せることによって、食べ物からいろいろな感染症にかかる可能性があります。 たとえばトイレの汚水が流れ出てくるところで食器を洗うことが普通のことであるような社会もあります。 衛生観念の違いを十分考慮しておいていただきたいと思います。

(4)海外勤務者の SARS 対策 ―― 感染リスクと企業の採算のバランスをどうとるか

SARS も感染症の中で重要な位置を占めています。 飲食物や蚊、あるいは性行為によってかかる感染症ならば、明確な防御手段があります。しかし SARS は飛沫感染です。 飛沫感染を防ぐ方法としては二つしかありません。 一つはワクチンです。 たとえば結核やはしかなどはワクチンで予防します。 ところが SARS にはまだワクチンがありません。そうするともう一つの選択肢しかありません。 それは、流行地に行かないということなのです。 しかし派遣企業で完璧な SARS 対策を行えば、つまり海外に人員を派遣しないということですから、企業の採算性に大きく影響してきます。 これが難しい点で、どこまで感染リスクを落とすべきか、どの企業も悩みました。 一つの例として、5 月 2 日、発生がピークを迎えていたころに、外務省の主催で SARS 演会が開かれ、大きな海外派遣企業 143 社が参加しました。 このうちほとんどの会社が出張制限をしているとのことでした。しかし「駐在員を一時帰国させているか」という問いに対して、「帰国させている」と答えた企業は 15%にとどまっています。 一方、駐在員の家族を帰国させた企業は 66%ありました。家族が帰国する分には会社の採算性は落ちませんから、家族は帰国させる。 しかし本人は会社のために現地に残らせるという対応でした。 駐在員の帰国後の自宅待機ですが、厚生労働省の勧告通り 10 日間の自宅待機をさせている会社は半分で、残りの半分は、帰国後 10 日を待たずに出社させていました。 SARS を現地で発病した場合の対応が、いま非常に大きな課題となっています。 日本に帰国させて検査なり治療なりをさせたいと考える企業が多いですが、そうしてしまうと、台湾人医師事件のように、その企業は社会に大きな迷惑となってしまいます。 ですから現地で発病した場合には、現地で治療しなければなりません。 これは派遣先の国で対応が異なりますから勝手な行動はつつしみ、かならず指定された医療機関に行かなければなりません。その国で指定されている医療機関が必ずしも衛生的で先端の病院であるということはなく、汚いところに押し込められてしまうようなこともあります。 それでも、SARS を発病したならば、その国の方針に従わなくてはならないのです。 企業の側は、それだけのリスクをしょって、海外に人員を派遣しなければならないということです。

(5)海外での医療機関の問題―― 旅行医学発展の重要性を再認識

SARS に限らず、現地の病院に行きたくないという日本人は随分と多く、実際に現地の医療機関が問題を抱えているということも往々にしてあります。 ですから日本人が受診しやすい環境を作るため、現在、我々は友好提携病院事業を進めており、今では、海外 12 か国に提携病院を設けています。 たとえばマレーシアのクアラルンプールにあるスバンジャイ医療センターは、非常に衛生的で、進んだ医療技術をもっている病院ですが、病気の時に日本語が通じないという点に不安を持つ人が多かったことから、日本人の看護師を配置して通訳を兼ねて働いてもらっています。 インドのニューデリーではアシュロック病院を提携病院として指定しています。 ここで受診をした日本人から、医療技術に対する不安の声がありました。 そこで実際に医療現場を視察したところ、医師の服装の問題で、そのような印象を日本人が受けてしまうということがわかりました。 そこで、その医療機関を受診する人に対しては、服装に関係なく医療技術は信頼できるものであることを請合うようにしました。 また、病院食についても、下痢の時に辛いカレーを食べるのは日本人には無理なので、この病院に申し入れて、近くの日本料理屋から出前を取ってもよいことにしてもらいました。 このようにいろいろなかたちで、日本人が受診しやすい環境作りにも努力しています。 現在のところはこのような、護送船団方式と言いますか、手取り足取りといった対応になっておりますが、根本的な解決のためには、海外の医療事情についての知識を身につけ、自己責任能力を持つように、海外勤務者の啓蒙を行う必要があります。 それと同時に、海外に渡航した日本人が困らないように、日本国内の医療制度を改革してグローバルスタンダードに近づけることも必要です。 また、今回の SARS 流行を教訓として、日本で旅行医学を盛り立てていくことの重要性を改めて感じた次第です。

ご清聴ありがとうございました。

(文責:APA 事務局)



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