二二に、九の花どつと咲くぞ。 拍手は清めであるが、 神様との約束固めであるぞ。 約束たがへるでないぞ。
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ロックです。 こんな文章あったのかな? と思いました。 黄金の巻第七十六帖に、
これは黄金の巻555とは関係無いのでしょうか。 歌でイワト開く? 何を歌う? 御前に、歌たてまつる。 弥栄み歌?
と太陽さんの解読にはあります。 御柱とは、ハンドルネーム?
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ロックさん 申です 「御柱とは、ハンドルネーム?」について 御柱とはハンドルネームや、ニックネームでの様な通り名ではなくて、 真実の名じゃないでしょうか?
生まれてのち、いただく名前は、その人を支配していますから 一般の神社でお祓いして頂く時も、 必ず神主さんに名前を祝詞の中に読み込んでいただいてますよね?
については 「花の白きに祈る人あ り、拍手のひびきて中今のよろこび」 を指しておられるんでしょうか? 555は、神事を讃え、己の意思を御前に言挙げする祝詞だと思いますが、 確かに神との約束と言えばそうなるのでしょうかね。 約束は必ず言葉にしますから、約束なのであって、御前に誠で言挙げした言 葉をたがえると、約束を固められないと言う事でしょうか。 ちなみに約束と、契約は違うと思います。
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イーグルです。 横からすみません。 御柱っていうと、諏訪地方に伝わる7年に1度の御柱祭が浮かびます。 祭りの様式等に何かカギがあるのでしょうか。 山から切り出した神木は、ズルズルと街中を引っ張って ホントに諏訪大社内に立てます。
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jula です。 (私も横からですが自分なりの見解を・・・)
![]() ひふみから 拍手 をざっと検索すると以下のようにあります。
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ひふみ祝詞 宣(の)りて呉れよ、 拍手は元の大神様の全 き御働きぞ、 タカミムスビ と カミムスビの御働きぞ、 御音(おんおと)ぞ、和ぞ、 大和(だいわ)のことぞ、 言霊ぞ、 喜びの御音ぞ、 悪はらう御音ぞ。 節分境に何も彼 も変りて来るぞ、 何事も掃除一番ぞ。 一月二十九日、
キの巻 第01帖 (258)
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使用された特殊文字
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神への感謝ばかりでないぞ、 拍手は弥栄ざぞ、P> 祓ざぞ、 清めぞと申してあらうが、 清め清めて祓ひてから頂くのざぞ、判りたか、・・・ 二月二十四日、 ひつくの神。 光の巻 第01帖 (397)
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昭和二十四年十一月二十七日、 旧十月八日(1949年) 538 何故、喜び受けぬのぢゃ。 宗教は無くなって了ふぞ。 誠光るのぢゃ。 光のマコトの宗教生れるのぢゃ。 その時は宗教でないぞ。 心得なされよ。 かしはでとカシハデと二つあるぞ。 拍手はちかひとチカヒのしるし。 手摺(す)るのは願ひのしるし。 かのととり。 一二十 黄金の巻 第027帖 (538)
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神様との約束固めでもあるぞ。 約束たがへるでないぞ。 (一月三日) 一二十 黄金の巻 第076帖 (587)
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拍手とは・・・
拍手自体が 元の大神様の全き御働き、タカミムスビ と カミムスビの御働き、御音(おんお と)、和、大和(だいわ)のこと、言霊、喜びの御音、悪はらう御音、神への感謝ば かりでない、拍手は弥栄、祓、清め そういう音から意味から働きからと色々な物を包含しているようです。 (一方で“手摺(す)るのは願ひのしるし”との事です。) ですので、パンパンと威勢良く拍手を打つ事自体が、“元の大神様の全き御働き”に 繋がっていくようです。 そういう意味では、下手な言葉はむしろ何かを限定したり、特定の事柄にばかり作用 してしまう働きとなってしまうのかも知れません。
![]() Netで 御柱 起源 で検索
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