雨の巻 第01帖 (335) |
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トッチです。
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天の日津久の大神(あめの一二の 特にお許しもろて書きしらすぞ。 十二の巻 説いて知らすのであるぞ、 此の巻アメの巻と申せよ、 此の度は昔から無かりた事致すのであるから人民には判らん事であるから素直に致すが一 等ざぞ、 惟神(かんながら)の道とか神道とか日本の道とか今の臣民申してゐるが、 それが一等の間違ひざぞと申してあろが、 惟神(かんながら)とは神人共に融け合っ た姿ざぞ。 今の臣民 神無くして居るではないか、 それで惟神も神道もないぞ、 心大きく、深く、広く持ちて下されよ、 愈々となるまでは落しておくから見当とれんから、 よくこの神示読んでおいて下されよ。 世界ぢゅうに面目ない事ないよにせよと申して あろが。 足元から鳥立ちてまだ目覚めんのか、 神示(ふで)裏の裏までよく読めと申してあろがな。 此の道は只の神信心とは根本から違ふと申してあろが、 三千世界の大道ざぞ。 所の洗濯と身魂の洗濯と一度になる所あるぞ、 「イスラ」の十二の流れの源泉(みなもと)判る時来たぞ。 命がけで御用つとめてゐると思ふて邪魔ばかり致して おろがな、 金や学や智では大峠越せんぞ。 神はせよと申すことするなと申すこともあ るのぞ、 裏の裏とはその事ぞ、 よく心得て下さりて取違ひいたすでないぞ。 手のひら返すぞ返さすぞ、 此の度の岩戸開きは人民使ふて人民助けるなり、 人民は神のいれものとなって働くなり、 それが御用であるぞ、 いつでも神かかれる様に、いつも神かかっていられるようでなくてはならんのざぞ。 神の仕組 愈々となったぞ。 十月十三日、 ひつ九のかみ。
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「天の日津久の大神(あめの一二のかみ)の神示(ふで)です。 特にお許しをもらって書きしらせます。 十二の巻を説いて知らてます。 此の巻は「アメの巻」といいなさい。 此の度は昔から無かつた事を実施するのですから、人民には判らないことです。 であるから、素直に致しておくことが一番です。 惟神(かんながら)の道とか、神道とか、日本の道とか、今の臣民は云いますが、それが一番の間違いです。 惟神(かんながら)とは神人共に融け合った姿なのです。 今の臣民は神を無くしています。 それで惟神(かんながら)も神道もないのです。 心を大きく、深く、広く持って下さい。 いよいよとなるまでは、落しておくから(落ちぶれた生活をさせますから)、見当とれんから(見通しを持つことができませんから)、よくよく、この神示を読んでおいて下さい。 世界中に面目ない事が無い世にしなさいと云っているでしょう。
足元から鳥立ちて 神示(ふで)の裏の裏までよく読みなさいと言いつけているでしょう。 (普通は神事の表の面だけしか読みませんが、良く読むと不可解な記述があります。 その意味を考えることが、裏を読むことになります。 その裏を読んでいくと、その裏にも不可解な事がありますので、その裏を読みなさいと説明しています。 ) 此の道は只の神の信心とは根本から違うと説明しています。 (裏を読んでいくと、教えのようなものの他に、何かの出来事を預言しているような内容があります。 その預言のようなものを読んでいくと、表に書かれたことと違う裏の背景のようなものを読むことが出来るようになります。 ただ、それは現実の人類が理解するにはよほど頭が柔らかくないと不可能と考えられます) 三千世界の大道だからです。 宇宙(天界・地上界)の洗濯と身魂の洗濯とが一度に実施されるのです。 「イスラエル」の十二の流れの源泉(みなもと)が判る時が来ました。 (イスラエルの12族の本当の祖先が分かる時が来るのです) 臣民は命がけで御用を勤めると思っていますが、神の邪魔ばかり致しているのです。 金や学や智では大峠を越せないのです。 神は 「実施しなさいと云うこと」 を実施するなと言いつけることもあるのです。 裏の裏とはそのことです。 よく心得て、取り違いしないようにしなさい。 手のひら返しますし、手のひらを返させます。 此の度の岩戸開きは人民を使って人民を助けることなのです。 人民は神の入れ物(神の神懸かりの対象)となって働くことなのです。 それが御用なのです。 いつでも神懸かりに身魂を磨いておかなければなりませんし、いつも神懸かりでいられるようでなくてはならないのです。 「神の仕組」はいよいよの段階になりました。
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・「イスラエル」の十二の流れの源泉(みなもと)が判る時が来ました。 今見れば、ヒトラー、シオン賢人議定書などから、フリーメーソン、ユダヤ支配層の計画が明らかになって行く事を言っているように思えます。
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天の大神様は慈悲深くて何んな偉い臣民にも底知れぬし、 地の大神様は力ありすぎて、人民には手におへん見当取れん、 そこで神々様を此の世から追い出して悪神の云ふこと聞く人民許りとなりてゐたのであるぞ。 七五三(しめ)は神々様をしめ込んで 出さぬ為のものと申してある事これで判るであろがな、 鳥居は釘付けの形であるぞ、 基督(キリスト)の十字架も同様ぞ、 基督信者よ改心致されよ、 基督を十字架に釘付けしたのは、そなた達であるぞ、 懺悔せよ、
神国と外国との分けへだて誤ってゐるぞ。 大き心持てよ、 かがみ掃除せよ、 上中下三段に分けてある違ふ血統(ちすじ)を段々に現すぞよ、 びっくり箱あくぞ、
八九の次は 何事もウラハラと申してあろが、 ひとがひとがと思ってゐた事 我の事でありたであろがな、 よく神示読んでおらんと、 キリキリ舞ひせんならんぞ、 日本 が日本がと思って居た事 外国でありた事もあるであろがな、 上下ひっくり返るのざぞ、 判りたか。 餓鬼までも救はなならんのであるが、 餓鬼は食物やれば救はれるが、 悪と善と取違へてゐる人民、守護神、神々様 救ふのはなかなかであるぞ、 悪を善と取違へ、天を地と信じてゐる臣民人民なかなかに改心六ヶ敷いぞ。 我と改心出来ねば今度は止むを得ん事出来るぞ、 我程偉い者ないと天狗になりてゐるから気を付ける程 悪 ふとりてゐるから、こんな身魂は今度は灰ざぞ、 もう待たれん事になったぞ。 十月の十四日、 ひつ九のかみしるす。
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「天の大神様」は慈悲が深く、何んなに偉い臣民にも底を知ることができません。 「地の大神様」は力があり過ぎて、人民には手におへないし見通せません。 そこで神々様を此の世から追い出して、悪神の云うことを聞く人民許りとなったのです。 七五三(しめ)は神々様を閉め込んで出さない為のものと説明している事の意味が、これで判るでしよう。 鳥居は釘付けの形であるのです。 基督(キリスト)の十字架も同様です。 基督(キリスト)信者は改心しなさい。 基督(キリスト)を十字架に釘付けしたのは臣民、そなた達です。 臣民は懺悔しなさい。 ○は外国の事です。
神国と外国との分けへだてが誤っています。 大き心を持なさい。 鏡を掃除しなさい。 上中下の三段に分けてある(太古に輪廻転生させている上中下の身魂)、それぞれの(違う)血統(ちすじ)が段々に現れてきます。 びっくり! 驚きます。 八九の次は+(トウ=神の世)です。 何事もウラハラと説明しました。 一人一人の事と思っていた事が我の事であることになるのです。 よく神示を読んでいないと、キリキリ舞いするようになります。 日本が日本がと思って居た事が、外国でもあった事もあるのです。 岩戸開きで上下がひっくり返るのです。 判りましたか。 餓鬼までも救はなければなら無いのです。 餓鬼は食物やれば救われますが、悪(神サタン)と善(善神)と取り違へている人民、守護神、神々様を救うのはなかなか難しいのです。 悪(神サタン)を善(善神)と取り違へ、天を地と信じている臣民人民なかなかに改心するのが難しいのです。 我から改心が出来なければ、今度は止むを得ない事になります。 我程偉い者ないと天狗になっているから気を付けなければならない程に悪太りしています。 こんな身魂は今度は灰にします。 (岩戸開きではこのような方たちは皆殺しということのようです) もう、神は待つことが出来なくなりました。
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ミロクなど大天使は慈悲が深く、何んなに偉い臣民にも底を知ることができません。 地震の神、風の神など自然現象の御用を務める神は力があり過ぎて、人民には手におへないし、見通せません。 そこで神々様を此の世から追い出して、悪神の云うことを聞く人民許りとなったのです。 信じる者は救われると。 七五三(しめ)=宗教・信仰は神々様を閉め込んで出さない為のものと説明している事の意味が、これで判るでしよう。 鳥居は釘付けの形であるのです。 真実を封印する象徴なのです。 基督(キリスト)の十字架も同様です。 基督(キリスト)信者は改心しなさい。 基督(キリスト)を十字架に釘付けしたのは臣民、そなた達です。 神サタンに環境を与えられ飼育されているとは言え、あなた達は自ら信仰に走っているのです。 洗脳から脱する事が出来ないのは、我よしが邪魔をしているあなた自身の問題です。 臣民は懺悔しなさい。 ○(肚に神の無い未完成の器だけ)は外国の事です。
神国の旗印です。 神国と外国との分けへだてが誤っています。 ミロクが宿るか、排除しているかです。 大き心を持なさい。 鏡を掃除しなさい。 神が映るよう身魂を磨きなさい。 曇った鏡には何も映りません。 上中下の三段に分けてある(太古に輪廻転生させている上中下の身魂)、それぞれの(違う)血統(ちすじ)が段々に現れてきます。 びっくり! 驚きます。 八九の次は+(トウ=神の世)です。 何事もウラハラと説明しました。 一人一人の事と思っていた事が我の事であることになるのです。 人の為にしていたつもりが、実は自分の為であったでしょう。 よく神示を読んでいないと、キリキリ舞いするようになります。 日本が日本がと思って居た事が、外国でもあった事もあるのです。 正しいと思ってしていた事が(しめ)ている事になっているなど、世の中で常識と思われている事が、実はサタンにより作られた常識である事が多いのです。 岩戸開きで上下がひっくり返るのです。 判りましたか。 餓鬼までも救はなければなら無いのです。 餓鬼は食物やれば救われますが、悪(神サタン)と善(善神)と取り違へている人民、守護神、神々様を救うのはなかなか難しいのです。 悪(神サタン)を善(善神)と取り違へ、天を地と信じている臣民人民なかなかに改心するのが難しいのです。 我から改心が出来なければ、今度は止むを得ない事になります。 我程偉い者ないと天狗になっているから気を付けなければならない程に悪太りしています。 こんな身魂は今度は灰にします。 (岩戸開きではこのような方たちは皆殺しということのようです) もう、神は待つことが出来なくなりました。
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昭和二十年十月十五日、 旧九月十日(1945年) 草木は身を動物虫けらに捧げるのが嬉しいのであるぞ。 種は残して育ててやらねばならんのざぞ、 草木の身が動物虫けらの御身(みみ)となるのざぞ、 出世するのざから嬉しいのざぞ、 草木から動物虫けら生れると申してあろがな、 人の身(み)神に捧げるのざぞ、 神の御身(みみ)となること嬉しいであろがな、 惟神のミミとはその事ぞ、 神示よく読めば判るのざぞ、 此の道は先に行く程 広く豊かに光り輝き嬉し嬉しの誠の惟神の道で御座るぞ、 神示よく読めよ、 何んな事でも人に教へてやれる様に知らしてあるのざぞ、 いろはに戻すぞ、 一二三(ひふみ)に返すぞ、 一二三(ひふみ)が元ぞ、 天からミロク様みづの御守護遊ばすなり、 日の大神様は火の御守護なさるなり、 此の事 魂までよくしみておらぬと御恩判らんのざぞ。 悪も善に立ち返りて御用するのざぞ。 善も悪もないのざぞと申してあろがな、
日本も外国も神の目からは無いのざと申してあろうが、 神の国あるのみざぞ、 判りたか。
改心すれば 何事も我がしてゐるなら自由になるのであるぞ。 我の自由にならんのはさせられてゐるからざぞ、 此の位の事判らんで神の臣民と申されんぞ、 国々所々に宮柱太敷キ立てよ、たかしれよ。 此の先は神示に出した事もちいんと、 我の考へでは何事も一切成就せんのざぞ、 まだ我出して居る臣民ばかりであるぞ。 従ふ所には従はなならんぞ、 従へばその日から楽になって来るのざぞ、 高い所から水流れる様にと申して知らしてあろがな。 十月の十五日、 ひつ九のかみ。 雨の巻 第03帖 (337)
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草木は身を動物虫けらに捧げるのが嬉しいのです。 種は残して育ててやらねばなりません。 草木の身が動物虫けらの御身(みみ)となるのです。 出世するのですから嬉しいのです。 草木から動物虫けら生れると説明してあります。 人の身(み)を神に捧げるのです。 人民は神の御身(みみ)となること嬉しいでしょう。 惟神(かみながら)のミミ御身とはその事を云うのです。 神示をよく読めば判るのです。 此の道は先に行く程、広く豊かに光り輝き嬉し嬉しの誠の惟神(かみながら)の道であるのです。 神示をよく読みなさい。 何んな事でも人に教えてやれる様に知らしてあるのです。 「いろは」(元に)に戻します。 一二三(ひふみ)に返します。 一二三(ひふみ)が元です。 天からミロク様が水の御守護をします。 日の大神様は火の御守護をします。 此の事は魂までよく理解していないと御恩が判らないのです。 悪も善に立ち返りて御用するのです。 善も悪もないのです。
日本も外国も神の目からは無いのです。 神の国があるのみです。 臣民は判りましたね。
改心すれば「 何事も我がしているなら自由になるのです。 我の自由にならんのはさせられているからです。 此の位の事が判らなくて神の臣民と云えません。 国々の所々に宮柱太敷キを立てなさい。 そして、高らかに知らせなさい。 此の先は神示に出した事を用いないと、我の考えでは何事も一切成就しないのです。 まだ、我を出して居る臣民ばかりです。 従う所には従わななければなりません。 従えば、その日から楽になって来るのです。 高い所から水流れる様にと説明して知らしてあるでしょう。 |
雨の巻は長いですので、簡単にまとめます。 存在する物には、それぞれ存在する理由、本質、目的があります。 そして、真の在り方を行くならば、喜びが生まれます。 人の身(み)を神に捧げるのです。 都市攻撃も、ノアの大洪水も神の加護の元にあります。 人類にとっては恐ろしい事ですが、それも進化弥栄に世を迎える為に欠かせない御用なのです。 神の目からは、善も悪もありません。
サタン牧場で飼育され洗脳されている為に我は不自由ですが、改心すれば「 神示の通りの御用をして下さい。 我を捨て、従う所には従ってください。 そうすれば、無為自然となるのです。
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昭和二十年十月十六日、 旧九月十一日(1945年) 世界の臣民 皆手引き合って行く時来た位 申さいでも判ってゐるであろが、 それでもまだまだ一苦労二苦労あるぞ、 頭で判っても肚で判らねば、 発根(ほっこん)の改心出来ねば、 まだまだ辛い目に会ふのざぞ、 人民 自分で首くくる 様なことになるのざぞ、 判りたであろ。 天の御三体の大神様と ちのおつちの先祖様でないと今度の根本のお建替出来んのざぞ、 判りても中々判らんであろがな。 洗濯足らんのであるぞ。 今度はめんめにめんめの心改めて下されよ、 神は改めてあるが、 神から改めさすのでは人民可哀想なから めんめめんめで改めて下されよ、 改まっただけ おかげあるのざ ぞ。 今度の岩戸開いたら末代の事ざぞ、 天地の違ひに何事も違ふのざぞ。 信者引張りに行って呉れるなよ、 神が引き寄せるから、 役員の所へも引き寄せるから、 訪ねて来た人民に親切尽くして喜ばしてやれと申してあろが、 人民喜べば神嬉しきぞと申してあろが、 草木喜ばしてやれよ、 神示よく読めばどうしたら草木動物喜ぶかと云ふことも知らしてあるのざぞ、 今迄の心 大河に流してしまへば 何もかもよく判って嬉し嬉しとなるのざぞ、 まだまだ世界は日に日にせわしくなりて云ふに云はれん事になって来るのざから、 表面(うわつら)許り見てゐると判らんから、 心大きく世界の民として世界に目とどけてくれよ、 元のキの神の子と、 渡りて来た神の子と、 渡りて来る神の子と三つ揃ってしまはねばならんのぞ、 アとヤとワと申してあるが段々に判りて来るのざぞ。 実地のことは実地の誠の生神でないと出来はせんぞ、 臣民はお手伝ひぞ、 雨風さへどうにもならんであろうが、 生物 何んで息してゐるか、 それさへ判らいで居て何 でも判ってゐると思ってゐるが鼻高ぞと申すのざ、 今の内に改心すれば名は現はさずに許してよき方に廻してやるぞ、 早う心改めよ。 十月十六日、 ひつ九のか三。
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世界の臣民が全員手を引き合って行く時が来た位のことは神が云わなくても判っているでしょう。 それでも、まだまだ一苦労二苦労あるのです。 頭で判っても肚で判らねばなりません。 発根(ほっこん)の改心が出来ないと、まだまだ辛い目に会うのです。 人民、自分で首くくる様なことになるのです。 判りましたね。 天の御三体の大神様と地のお土の先祖様でないと今度の根本のお建替は出来ないのです。 判ったつもりでも、中々、判らないでしょう。 身魂の洗濯が足らないからです。 今度はめんめにめんめの心改めて下さい。 神は改めていますが、神から改めさすのでは人民可哀想です。 めんめめんめで改めて下さい。 改まっただけ、お陰(御利益)があります。 今度の岩戸開いたら末代の世となる事です。 天地の違いです。 何事も違うのです。 信者を引張り(勧誘)に行かないでください。 神が引き寄せますから、役員の所へも引き寄せますから、訪ねて来た人民に親切を尽くして喜ばしてください。 人民が喜べば、神は嬉しいと云っているでしょう。 草木を喜ばしてください。 神示をよく読めば、どうしたら草木動物が喜ぶかと云うことも知らしあります。 今迄の心は大河に流してしまへば何もかもよく判って嬉し嬉しとなるのです。 まだまだ、世界は日に日に忙しくなり、云ふに云はれない事になって来るのです。 表面(うわつら)許り見ていると判りません。 心を大きく世界の民として世界に目とどけてください。 「元の「キ」の神の子」と「渡りて来た神の子」と「渡りて来る神の子」と三つ揃わなければならないのです。 「ア」と「ヤ」と「ワ」と説明していることが段々に判るように成ってきます。 実地のことは「実地の誠の生神」でないと出来はしません。 臣民はお手伝いをするのです。 臣民は雨風さへどうにもならないでしょう。 生物が何んで息しているか、それさへ判らないで何でも判っていると思っています。 それが鼻高と云っているのです。 今の内に改心すれば、名は現わさずに許して、よき方に廻してあげます。 早く心を改めなさい。
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この神示は、そのまま読んでくださればと思います。 神示が判らないのは改心が出来ていないからです。 そのうちにだんだんと判ってきますから、身魂の洗濯を急いで下さい。 まだまだ、世界は日に日に忙しくなり、云ふに云はれない事になって来るのです。 表面(うわつら)許り見ていると判りません。 (メディアから流れてくる報道を鵜呑みにしていると、何も判りません) 心を大きく世界の民として世界に目とどけてください。 (世界全体の動きに注意して、シナリオを検証してください)
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昭和二十年十月十七日、 旧九月十二日(1945年)
神示に書かしたら日月の神(一二 皆仲よう相談して悪き事は気付け合ってやりて下され、
それがまつりであるぞ、王(おー)の
世が その事 早う判っておらんと一寸の地の上にもおれん事になるぞ、 今度の戦(いくさ)すみたら世界一平一列一体になると知らしてあるが、 一列一平 其の上に神が居ますのざぞ、 神なき一平一列は秋の空ぞ、 魔の仕組、 神の仕組、 早う旗印見て悟りて下されよ、 神は臣民人民に手柄致さして万劫末代、 名残して世界唸らすのざぞ、 これ迄の事は一切用ひられん事になるのざと申してあろ、 論より実地見て早う改心結構、 何事も苦労なしには成就せんのざぞ、 苦労なしに誠ないぞ、 三十年一切(ひときり)ぞ、 ひふみ肚に入れよ、 イロハ肚に入れよ、 アイウエオ早ようたためよ、 皆えらい取違ひして御座るぞ、 宮の跡は草ボウボウとなるぞ、 祭典(まつり)の仕方スクリと変へさすぞ、 誠の神の道に返さすのざから、 今度は誠の生神でないと人民やらうとて出来はせんぞ。 十月十七日、 ひつ九のかミ。 雨の巻 第05帖 (339)
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「ひふみ神示」として書かされましたら、日月の神(一二三) 皆は仲よう相談して、悪き事は注意しあい気を付け合って何事も進めてください。 それが祀りであるのです。 善の王=ミロクの世であるはずが、逆の王=悪の王=神サタンの世になって居るのです。 今度はその状態を元に戻すのです。 ですから、その事を早う判っておらんと一寸の地上にも居られないようなるのです。 今度の戦(いくさ)が済みましたら、 「世界は一平一列一体になる」 と知らしてあります。 ですが、全てが一列一平になってしまうのではなくて、其の上に神が居るのです。 神なき一平一列は秋の空なのです。 (秋の空=秋の空に都市攻撃のUFO群が襲来して、人類の社会は壊滅する、その一平一列の体制は神ミロクが保護監視していないと消滅することを意味しています)
皆さんは早く、それぞれの旗印を見て、それぞれのシステムの存在を悟り・認識してください。 神は臣民人民に働いて貰って、万劫末代まで続く臣民人民の名を残して、世界を唸らすのです。 これ迄のやり方や認識は一切用いられない様になるのです。 論より証拠、実地されているのを見て早う改心すれば結構なことです。 何事も苦労なしには成就しないのです。 苦労なしに誠は存在しないのです。 三十年一切(ひときり)りで世の中の推移を見てください。 そして、ひふみ神示の内容を肝に銘じて下さい。 銘じるのです! イロハの神示を肝に銘じるのです! アイウエオの神=「天人と天使(霊人達=神ミロク達)」 を早く称えなさい。 皆さんは大変な誤解・取り違いをしています。 宮の跡は草ボウボウとなるのです。 祭典(まつり)の仕方もキッパリと完全に変へさせます。 誠の神の道に返さすのですから、今度は誠の生神ミロクでないと、人民がやろうとしても出来ないのです。
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平文に直すと、それほど難しい内容の説明をしていません。
の意味は我々のHPを読んでいたなら容易に理解できると思います。 また、魔の仕組・システムも神の仕組・システムも常識的な内容です。 アイウエオの神の語彙が 「天人と天使(霊人達=神ミロク達=神の霊達)」 であることを理解していると、この意味は 「神の霊と天使達が地上のミロク」 を起(・覚醒させようとしている)こして、世界中に埋め込んだ宝を掘り起こして、教育して、岩戸開き・ビックリ箱を開けさせようとしていることが分かりますので、それを称えるように説明していることがわかります。
とありますが、現実の地上界は神サタンの魔の仕組・システムで動いているので、容易にその旗印すら人々が認識出来ないのが実状です。 その為でもないでしょうが、決定打として「女王の登場」によって宇宙を含めた地上の認識を変えてしまうイベントが必要になるのであろうと考えています。
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・三十年一切(ひときり)りで世の中の推移を見てください。 2010年
だいたい、これらの年代前後の世界情勢(政治・経済・軍事などの推移)を見れば、陰の支配層がどのようにシナリオを書いてスケジュールを組んできたのかが分ると思います。 サイトをくまなく読んで行けば、色々と検証していますので参考になる事と思います。
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トッチです。 難しい所は有りませんので紹介だけとします。 よくよんで下さればと思います。 「草木動物に祀りをしなさい」 草木動物にも愛し感謝しなさいという意味で使われているようです。 人間だから偉い訳でもなく、謙虚に素直でなければいけませんね。 この世の全ては、等しく太神の体の中で生かされている存在です。 判らなければ、全てに祀りをしなさいという事で。
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神示よく肚に入れと申してあるが、 神示肚に入れると胴すわるのざぞ、 世界から何んな偉い人が出て来て何んな事尋ねても教へてやれる様になるのざぞ、 神示胴に入れて頭下げて天地に働いて下されよ、 まつりて下されよ、 素直になれば其の場から其の場其の場で何事も神が教へてやるから、 力つけて導いてやるから、 何んな神力でも授けてやるぞ。 一二三四五六七八九十百千卍(ひとふたみよいつむゆななやここのたりももちよろず)授け申して神人となるぞ。 我さえよけらよいとまだ思って御座る臣民まだで御座るぞ、 自分一人で生きてゆけんぞ、 神許りでも生きてゆけんぞ、 爪の垢でもだてについてゐるのではないのざぞ、 判らんと申しても余りで御座るぞ、 まつりせよ、 地(つち)にまつろへよ、 天(あめ)にまつろへよ、 人にまつろへよ、 草木動物にまつろへよ、 と、くどう知らしてあるのに未だ判らんのか、 神拝む許りがまつりでないぞ。 待ちに待ちし日の出の御代となりにけり、 一二三(ひふみ)いろはの世はたちにけり。 身慾信心してゐる臣民人民、 今に神示聞けぬ様に いれものつんぼになるのざぞ、 きびしくなって来るぞ、 毒にも薬にもならん人民、 今度は役に立たんのざぞ、 悪気ない許りでは一二(ひつき)の御民とは申されんぞ。 あら楽し、黒雲一つ払ひけり、 次の一つも払ふ日近し。 淋しくなりたら神示尋ねて御座れ、 神示読まねば益々判らん事になったであろうが、 天国に底ない様に地獄にも底ないぞ、 何処までも落ちるぞ、 鼻高の鼻折らな人民何んと申しても神承知出来ん。 十一月二十三日、 ひつ九のかミ。 雨の巻 第06帖 (340)
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ひふみ神示をよく読めと、神示をよく肚に入れよと、命じていますが、ひふみ神示を肝に銘じると胴(はら)がすわるのです。 世界から何んな偉い人が出て来て、何んな事を尋ねても教へてやれる様になるのです。 ひふみ神示を肝に銘じて頭を低くして天地(宇宙でも地上でも)で働いて下さい。
まつりて下さい! 素直になれば其の場から、其の場、其の場で何事も神が教へてくれるし、力もつけて導いてれますので、出来るようになるのです。 何んな神力でも授けてあげるからです。 一二三四五六七八九十百千卍(ひとふたみよいつむゆななやここのたりももちよろず)=「ひふみ神示の全て」を授けますので、それを修得したあかつきには晴れて神人となるのです。 我さえよければ良いと、まだ思っている臣民はまだまだです。 自分一人では生きてゆけないのです。 神も許(しか)りでも生きてゆけないのです。 爪の垢でも、だてについているのではないのです。 判らんと云うかたはどうにもなりません。 分からなければ全てに祀りをしなさい。 地(つち)に祀りをしなさい。 天(あめ)に祀りをしなさい。 人に祀りをしなさい。 草木動物に祀りをしなさい。 と、くどく知らしてあるのに未だ判りませんか! 神を拝むばかりが祀りでないのです。 待ちに待ちし日の出の御代となりました。 「一二三(ひふみ)神示」 の 「いろはの教え」 の世になります。 心身の私欲を信心している臣民人民は今に、神示が聞けない様に、入れ物(人間)の耳に聞かしても聞き入れない「つんぼ」になるのです。 きびしくなって来ますよ!
毒にも薬にもならん人民 悪気はないのでしょうが、それでは一二(ひつき)の御民とは云えないのです。 (賛成するわけでもなく、反対する分けでもなく、ただ、ノンポリを決め込んでいるかたたちは最終的には相手にしないのです) あら楽し! 黒雲一つ払い落としました。 次の一つも払ふ日は近いのです。 臣民は淋しくなりたら「ひふみ神示」を尋ねてきなさい。 神示を読まねば益々判らん事になったでしょう! 天国に底がない様に地獄にも底はないのです。 何もしなければ、何処までも落ちていくのです。 神をないがしろにする人民の鼻高の鼻折ります。 人民が何んと行っても、神は承知出来ないのです。
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平文になおしておきましたので、長文ですが記載してある内容は容易に理解できると思います。 なお、
の「日の出の御代」と類似のものとして「日の出の神」と表現している帖もあります。 「日の出」は太陽が上がる・出る・現れるを意味しています。 単にミロクの御代であれば、この方・此の方などの表現を使って 「この方の御代」 としたほうが具体的でわかりやすいのです。 私は我田引水的に
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助ける御用とは清めの御用で御座るぞ、 天地よく見て悟りて呉れよ。 三四五(みよいづ)の御用は出来上がりてしまはんと御用してゐる臣民にはさっぱり判らんのであるぞ、 つかわれてゐるから判らんのであるぞ、 出来上がりてから これは何んとした結構な事でありたかとビックリするのざぞ。 アメのひつ九のか三とはアメの一二の神で御座るぞ、
アメの 元神で御座るぞ、 ムの神ぞ、 ウの神ぞ、 元のままの肉体持ちて御座る御神様ぞ、 つちのひつ九のおん神様ぞ、
つちの 今度の仕組 見事成就なされるので御座るぞ、 判りたか、 九二つちの神 大切申せとくどう知らしてあろがな、 今迄の臣民人民、九二の御先祖の神おろそかにしてゐるぞと申して知らしてあらう、 神は千に返るぞ、 九二つちつくること何んなに難儀な事か人民には判るまいなれど、 今度さらつの世にするには人民もその型の型の型位の難儀せなならんのざぞ。 それでよう堪(こば)れん臣民 沢山にあるのざぞ、 元の神の思ひの何万分の一かの思ひせんならんのざぞ、 今度 世変りたら、臣民 此の世の神となるのざぞ。 国の洗濯はまだまだ楽であるが、ミタマの洗濯 中々に難しいぞ、 人民 可哀想なから延ばしに延ばして御座るのざぞ、 幾ら言ひ聞かしても後戻り許りぢゃ、 言ひ聞かして改心出来ねば改心する様致すより もう手ない様になってゐるのざ。 何時どんな事あっても神は知らんぞ、 上から下までも誰によらん今迄の様な我儘させんぞ、 役員 馬鹿にならなならんぞ、 大のつく阿呆になれよ、
阿呆でないと今度の誠の御用なかなかざぞ。 命捨てて命に生きる時と申してあろがな、 非常の利巧な臣民人民アフンで御座るぞ、 今にキリキリ舞するのが目に見へんのか。 何時も変らぬ松心でおれと申して御座ろがな、 建替へ致したら世界は一たん寂しくなるぞ、 神が物申して居る内に改心せなならんぞ、 後悔間に合はんと申してあろがな。 十一月二十三日、 ひつ九のかミ。 雨の巻 第07帖 (341)
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神の心が判った臣民から助ける御用にかかってください。 助ける御用とは清めの御用です。 天地をよく見て悟ってください。 三四五(みよいづ)の御用は出来上がってしまわないと御用している臣民にはさっぱり判らないのです。 神に使われているから判らないのです。 出来上がってから、これは大変に結構な事だとビックリするのです。 「天のひつ九の神」とは「天の一二の神」のことです。 「天の月日(つきひ)の神」のことであるのです。 元神であるのです。 「ム」の神です。 「ウ」の神です。 元のままの肉体持っている御神様です。 「地のひつ九のおん神様」です。 「地の日月(ひつき)の御神様」と今度は御一体となり、「今度の仕組」を見事に成就するのです。 臣民は判りましたね。 「国地の神」を大切に奉りなさいとくどく知らしてあります。 今迄の臣民人民は「国の御先祖の神」を疎かにしていますと知らしてあるでしょう。 神は千(ち)に返ります。 国土造ること何んなに難儀な事か人民には判らないでしょう。 今度は更(さら)津(昔の何も無い更の世界・世)の世にするので、人民もその型の型の型位の難儀はしなければならないのです。 それで、容易に堪(こば)れない臣民が沢山いるのです。 元の神の思いの何万分の一かの思いをしなければならなくなっているのです。 今度、世が変りましたたら、臣民は此の世の神となるのです。 国の洗濯はまだまだ楽です。 神懸かり出来るようになる為の身魂の洗濯は中々に難しいです。 人民が可哀想ですから、延ばしに延ばしているのです。 幾ら言い聞かしても後戻り許りしています。 言い聞かして、改心が出来ないのでしたら改心する様にするより他に手がない様になっているのです。 何時どんな事があっても神は知りません。 上から下までも誰によらず、今迄の様な我儘はさせません。 役員は馬鹿になって働かなければなりません。 臣民は大のつく阿呆になりなさい。 馬鹿のつく阿呆に間違って呉れないようにしてください。 阿呆でないと、今度の誠の御用はなかなか難しいのです。 「命を捨てて命に生きる時」と説明しているでしょう。 非常の利巧な臣民人民はアフンであるのです。 今にキリキリ舞するのが目に見えませんか。 何時も変らない松の心でいなさいと云っています。 建替へ致したら、世界は一たん寂しくなります。 (一度は都市攻撃で焼き払われ、ノアの大洪水で全てが流され、世界の諸都市・町・山村などなど泥芥のようになり、ススキが原となつてしまうのです。) 神がいろいろと説明している内に改心しなければなりません。 後の悔間では間に合わないのです。
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「馬鹿になれ、阿呆になれ」とは、「命を捨てて命に生きる時」と難しい説明がありますが、平たく言えば神示の心に成り切れという意味合いですので、ただ馬鹿な事などしないようにご注意ください。 「天の月日(つきひ)の神」 のことであるのです。 元神であるのです。 「ム」の神です。 「ウ」の神です。 元のままの肉体持っている御神様です。 「地のひつ九のおん神様」です。 「地の日月(ひつき)の御神様」 と今度は御一体となり、「今度の仕組」を見事に成就するのです。 臣民は判りましたね。 天の日月の元神と地上で肉体を持って活動している日月の神(ミロク)が“御”一体となって、今度の仕組みを成就します。 御一体となるとは、どのような様子なのでしょうね。 ミロクの活動に関することですので、重要な部分だと思います。
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如何様にでも受け入れてよき様にしてやる様仕組てある神の心判らんか、 天災待つは悪の心、 邪と知らしてあるがまだ判らんのか、 くにまけて大変待ちゐる臣民 沢山あるが、 そんな守護神に使はれてゐると気の毒になりて来るぞ、 よく神示読んで下されよ。 今の守護神、悪の血筋眷属であるぞ、 悪も御役ながら奥表に出ては誠おさまらんぞ、 悪結構な世は済みて、 善結構、 悪結構、 卍(ホトケ)結構、 基(ヤソ)結構、 儒結構(コトゴトク)の世となりなる神の仕組 近くなって来たぞ。 世の元からの仕組、 中行く仕組、 天晴(アッパレ)三千世界結構であるぞ、 心の不二も晴れ晴れとなるぞ、 結構々々。 甘くてもならんぞ、 辛(カラ)くてもならんぞ、 甘さには辛さいるぞ、 天の神様許りではならんのざ、 くどう申して此処迄知らしてゐるにまだ判らんのか、 心さっぱり大河に流して神示読んで下されよ、 何時迄も神待たれんぞ、 辛さには甘さかげにあるのざぞ、 此の道理よく判るであろがな、 水の味 火の味 結構ぞ、 恐い味ない様な結構な恐さであるぞ、 喜びであるぞ、 苦しみであるぞ、 此の道理よく判りたか。 神の御恵み神の御心判りたか、 御心とは三つの御心ぞ、
一と十と 御心結構ぞ、 世の元の神の仕組の現はれて三千世界光り輝く、 あなさやけ。 十一月二十七日、 ひつくのか三。 雨の巻 第08帖 (342)
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大難を小難にしてくださいと祈れとくどく知らしてあるでしょう。 如何様にでも受け入れてよき様にしてやる様仕組てある神の心判りませんか! 天災を待つは悪の心、邪悪と知らしてありますがまだ判りませんか! 国が戦争に負けて(昭和二十年十一月二十七日公開ですから、第二次大戦は日本の敗戦で終わっています)ているので岩戸開きの大変を待まっている臣民が沢山います。 そんな守護神に使はれていると気の毒になってきます。 よくよく「ひふみ神示」を読んで下さい。 今の守護神は「悪の血筋眷属」(=神サタンの配下の人間の姿をしている)であるのです。 悪も御役(人類を背後から操り戦争をさせたりする=悪役)ですが、奥深い操りのシステムの表に出ては悪役の悪役たる所以がないのです。 (背後で分からないように操るから、悪魔・悪役なのです) 悪・悪魔が活躍する 「悪魔にとって結構な世」 は終わりにして、 善も結構です、 悪も結構です、 卍(ホトケ)・仏教も結構です、 基(ヤソ)・キリスト教も結構です、 儒教も結構です。 ことごとく結構な世となるような神の仕組の世の中が近くなって来たのです。 世の元からの仕組・システムなのです。 中道を行く仕組・システムなのです。 天晴(アッパレ)、天地の三千世界の全てが結構になるのです。 心の富士も晴れ晴れとなるのです。 結構々々・・・・。 甘くてもなず、辛(カラ)くてもなず、甘さには辛さが必要です。 天の神様だけではならないのです。 くどく申し聞かしているのに、ここ迄、丁寧に知らしているにまだ判らないのですか! 我心さっぱり大河に流して神示をよく読んで下さい。 いつ迄も神は待つことができないのです。 辛さには甘さの加減が必要なのです。 此の道理よく判るでしよう。 水の味、火の味、は大変に良いことです。 恐い味が無い様なことは大変な恐さでもあるのです。 喜びであるぞ、 苦しみであるぞ、 此の道理よく判りましたか。 神の御恵み、神の御心、判りましたね。 御心とは三つの御心のことです。 一と十と真とであるのです。 御心は大変に良いことです。 世の元の神の仕組が現はれて、天地の三千世界は光り輝くのです。 あなさやけ。
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この帖は第二次大戦で日本が負けて、 人々の生活が大変な時期に公開されています。 その為に、苦しい生活をしている臣民達が、「岩戸開き」の大変を 渇望している様子をかいま見ることができます。 「岩戸開き」の大変を望んでいる臣民を戒めて、背後にいる、 日本を始めにして世界中の悪の仕組みを操る神サタンの存在を それとなく説明している内容です。 それらの悪の仕組み・システムを構成している人々も含めて、 人民の全てを救済することも説明しています。 もっとも、どうにもならない連中はこの範疇でないですが・・・ 平文とコメントを読めば、内容としては分かりやすいと思います。 ただ、下記の所は理解しにくいとおもいますので追加説明をしておきます。
水の味は「ノアの大洪水」です。 この大津波に襲われるという恐怖心と「岩戸開き」が進んでいると 確認できる喜びの心、を水の味と表現しています。 火の味は「都市攻撃」です。 この神サタンのUFOに襲われるという恐怖心と「岩戸開き」が始まったと確認できる喜びの心、を火の味と表現しています。 以上ですが、これらの味の恐怖心が無いとするならば、その事が起きることを理解していないことになりますので、それ自体が
という大変な恐怖を意味し運命を持っていることを説明しています。 喜びの心は容易に理解出来ますが、その過程での避難を含めた諸々の苦しみがあることも理解できるとおもいます。
大難を小難にする為には、身魂磨きも勿論大切な事ですが、同時に今後それぞれの時節に何があるのか、それに対してどの様に対処するべきなのかを知る為の努力が必要です。 それを怠れば、大難を小難どころか無駄な苦しみと死が待っている事でしょう。 「世の動きを良く見ろよ」 「時節を間違えるなよ」 神示の所々に忠告がちりばめられていますので、よく読見ながら世の中の動きも注視し、良い対応を取れるようにする事が大難を小難に変える基本と言えるでしょう。 今は仏教、キリスト教などに深くのめり込んでいるとしても、気がつき改心がなれば結構となります。 善も抱き参らせられれば、悪も抱き参らされます。 善に囚われる事無く、悪に囚われる事もない、善も悪も無い中を行く仕組みが元の世のシステムであり、それがミロクの世の仕組みという事のようです。
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jula です。 眷属はこんなのがあるようです。 “神社 眷属”で検索。
どこかの帖での “四足くうてはならぬぞ” というのは、
なんて言っているのでは? なんて思ってみたり。 古い言葉だと“おぼしめす”なんてのを見かけますが、“思し召す”の“めす”はど うも“食す”のようです。 祝詞の中ではこの“めす”、“食す”というのが結構出ていました。 食べるというよりは、腹に収める、受け取る、受け入れる、(神からの授かり物を) 頂くみたいな感じのようです。 そう言えば “いただきま〜す” も食べる時に使われますね〜。
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