良い宇宙人と悪い宇宙人,宇宙の真相, The Earth is Controlled by Evil Alien


NO4861


“御代”“神の世”で検索 


jula です。

太陽さん解説の“御代”が気になりましたので検索してみました。

下つ巻第14帖 (056) から抜粋


一二三(ひふみ)の仕組とは、

永遠(とは)に動かぬ道のことぞ、

三四五(みよいづ)の仕組とは、

みよいづの仕組ぞ、

御代出づとは神の御代になることぞ、

この世を神の国にねり上げることぞ、

神祀りたら三四五の御用にかかるから、

その積りで用意して置いて呉れよ。

Hitした御代は色々な表現はありますが、どうも神の御代に集約されるようです。

そこで神の御代、神の代で検索しましたが下つ巻第14帖 (056)しかHitしませんでした。

このため神の世

で検索したところかなりHitしました。

御代がHitした帖及び神の世がHitした帖を抽出しましたので送信します。


●御代

下つ巻 第14帖 (056)

日の出の巻 第04帖 (217)

磐戸の巻 第04帖 (240)

磐戸の巻 第05帖 (241)

水の巻 第09帖 (283)

水の巻 第12帖 (286)

松の巻 第01帖 (292)

夜明けの巻 第12帖 (332)

雨の巻 第06帖 (340)

風の巻 第01帖 (352)

風の巻 第04帖 (355)

風の巻 第09帖 (360)

荒の巻第01帖 (377)150

荒の巻第01帖 (377)163

荒の巻第01帖 (377)171

荒の巻第01帖 (377)208

荒の巻第01帖 (377)240

荒の巻第01帖 (377)242

荒の巻第01帖 (377)298

荒の巻第01帖 (377)302

荒の巻第01帖 (377)328

荒の巻第01帖 (377)333

荒の巻第01帖 (377)336

光の巻 第06帖 (402)

梅の巻 第01帖 (428)

梅の巻 第17帖 (444)

空の巻 第04帖 (459)

空の巻 第14帖 (469)

海の巻 第05帖 (497)

黄金の巻 第044帖 (555)

春の巻 第01帖 (658)

春の巻 第03帖 (660)

春の巻 第42帖 (699)

扶桑の巻 第07帖(856)

星座の巻 第25帖(908)

紫金の巻 第01帖 (131)

紫金の巻 第09帖 (139)


●神の世

上つ巻 第04帖 (004)

上つ巻 第18帖 (018)

上つ巻 第20帖 (020)

上つ巻 第25帖 (025)

上つ巻 第28帖 (028)

上つ巻 第29帖 (029)

上つ巻 第42帖 (042)

下つ巻 第20帖 (062)

富士の巻 第06帖 (086)

天つ巻 第20帖 (127)

天つ巻 第28帖 (135)

日月の巻 第27帖 (200)

日の出の巻 第09帖 (222)

磐戸の巻 第13帖 (249)

キの巻 第08帖 (265)

夜明けの巻 第06帖 (326)

雨の巻 第16帖 (350)

雨の巻 第17帖 (351)

荒の巻第01帖 (377)197

荒の巻第01帖 (377)231

地震の巻 第17帖 (394)

青葉の巻 第19帖 (488)

碧玉の巻 第10帖(874)

御代 を含む帖


臣民ばかりでないぞ、

神々様にも知らせなならんから、

なかなか大層と申すのぞ。

一二三(ひふみ)の仕組とは、

永遠(とは)に動かぬ道のことぞ、

三四五(みよいづ)の仕組とは、

みよいづの仕組ぞ、

御代出づとは神の御代になることぞ、

この世を神の国にねり上げることぞ、

神祀りたら三四五の御用にかかるから、

その積りで用意して置いて呉れよ。

この神は世界中の神と臣民と、

けだものも草木もかまはねばならんのざから、

御役いくらでもあるぞ。

神様と臣民 同じ数だけあるぞ。

それぞれに神つけるから、

早う身魂みがいて呉れよ、

みがけただけの神をつけて、

天晴れ後の世に残る手柄立てさすぞ。

小さいことはそれぞれの神にきいて呉れよ、

一人ひとり、何でもききたいことは、

病直すことも、それぞれの神がするから、

サニワでお告うけて呉れよ、

この方の家来の神が知らせるから何でもきけよ。

病も直してやるぞ、

その神たよりたなら、

身魂みがけただけの神徳あるぞ。

この世始まってない今度の岩戸開きざから、

これからがいよいよぞ。

飛んだところに飛んだこと出来るぞ。

それはみな神がさしてあるのざから、

よく気つけて居れば、

さきの事もよく分かるようになるぞ。

元の神代に返すと申すのは喩へでないぞ。

七から八から九から十から神烈しくなるぞ、

臣民の思う通りにはなるまいがな、

それは逆立してゐるからぞ。

世界一度にキの国にかかりて来るから、

一時は潰れたやうに、

もうかなはんと云ふところまでになるから、

神はこの世に居らんと臣民申すところまで、

むごいことになるから、

外国が勝ちたやうに見える時が来たら、

神の代近づいたのぞ、

いよいよとなりて来ねば分らん様では御用出来んぞ。

七月の二十日、

ひつ九のか三。

下つ巻 第14帖 (056)


旧十月八日、十八日、五月五日、三月三日は幾らでもあるぞと申してあろが、

此の日は臣民には恐い日であれど神には結構な日ざぞと申してあろが、

神心になれば神とまつはれば神とあななへば臣民にも結構な日となるのぞ。

其の時は五六七(みろく)の世となるのざぞ。

桜花(さくらばな)一度にどっと開く世となるのざぞ、

神激しく臣民静かな御代となるのざぞ、

日日(ひにち)毎日富士晴れるのざぞ、

臣民の心の富士も晴れ晴れと、

富士は晴れたり日本晴れ、

心晴れたり日本晴れぞ。

十二月二日、

ひつくのかみ。

日の出の巻 第04帖 (217)


ひふみ神示 第八巻 磐戸の巻 第四帖(240)

昭和二十年一月二日、

旧十一月十九日(1945年)

この方この世のあく神とも現はれるぞ、

閻魔とも現はれるぞ、

アクと申しても臣民の申す悪ではないぞ、

善も悪もないのざぞ、

審判(さばき)の時来てゐるのにキづかぬか、

其の日 其の時さばかれてゐるのざぞ、

早 う洗濯せよ、

掃除せよ、

磐戸(ゐわと)いつでもあくのざぞ、

善の御代来るぞ、

悪の御代来るぞ。

悪と善とたてわけて、

どちらも生かすのざぞ、

生かすとは神のイキに合すことぞ、

イキに合へば悪は悪でないのざぞ。

この道理よく肚に入れて、神の心 早うくみとれよ、

それが洗濯ざぞ。

一月二日、

のひつ九のか三。

使用された特殊文字 


ひふみ神示 第八巻 磐戸の巻 第五帖(241)

昭和二十年一月三日、

旧十一月二十日(1945年)

天(あま)さかり地(くに)さかります御代となるぞ、

臣民の心の中にいけおいた花火 愈々ひらくとききたぞ、

赤い花火もあるぞ、

青いのもあるぞ、

黄なのもあるぞ、

それぞれのミタマによりて、その色ちがふのざぞ、

ミタマ通りの色出るのざぞ。

金は金ぞ、

鉄は鉄ぞ、

鉛は鉛として磨いてくれよ、

金のまねするでないぞ。

地つちの軸 動くぞ、

フニャフニャ腰がコンニャク腰 になりて どうにもこうにもならんことになるぞ、

其の時この神示、心棒に入れてくれよ、

百人に一人位は何とか役に立つぞ、

あとはコンニャクのお化けざぞ。

一月三日、

のひつ九のか三。

使用された特殊文字 


富士は晴れたり日本晴れ、

いよいよ岩戸開けるぞ。

お山開きまこと結構。

松の国 松の御代となるぞ。

旧九月八日から大祓ひのりとに天津祝詞の太のりと「一二三(ひふ み)のりとコト」入れてのれよ。

忘れずにのれよ。

その日からいよいよ神は神、

けものはけものとなるぞ。

江戸道場やめるでないぞ、

お山へ移してよいぞ、

役員一度やめてよいぞ。

またつとめてよいぞ。

めぐりあるから心配あるのぞ。

めぐり無くなれば心配なくなるぞ。

心配ないのが富士は晴れたりぞ、

富士晴れ結構ぞ。

日津久の御民 何時も富士晴れ心でおりて下されよ。

肉体ちっとの間であるが、

魂は限りなく栄へるのざぞ。

金に難渋して負けぬ様にして下されよ。

金 馬鹿にしてはならんぞ。

あせるでないぞ。

あせると心配事出来るぞ。

神が仕組みてあること、

臣民がしようとて出来はせんぞ。

細工はりうりう滅多に間違ひないのざぞ。

見物して御座れ、見事して見せるぞ。

不和の家、不調和(ふわ)の国のささげもの神は要らんぞ。

喜びの捧げもの米一粒でもよいぞ。

神はうれしいぞ。

旧九月八日とどめぞ。

六月二日、

みづのひつ九のか三。

水の巻 第09帖 (283)


人間心には我(が)があるぞ。

神心には我がないぞ。

我がなくてもならんぞ、

我があってはならんぞ。

我がなくてはならず、

あってはならん道理分りたか。

神にとけ入れよ。

てんし様にとけ入れよ。

我なくせ、

我出せよ。

建替と申すのは、神界、幽界、顕界にある今までの事をきれいに塵一つ残らぬ様に洗濯することざぞ。

今度と云ふ今度は何処までもきれいさっぱりと建替するのざぞ。

建直しと申すのは、

世の元の大神様の御心のままにする事ぞ。

御光の世にすることぞ。

てんし様の御稜威(みいつ)輝く御代とする事ぞ。

政治も経済も何もかもなくなるぞ。

食べるものも一時は無くなって仕舞ふぞ。

覚悟なされよ。

正しくひらく道道鳴り出づ、

はじめ苦し、

展きゐて、月鳴る道は弥栄、

地ひらき、世ひらき、世むすび、

天地栄ゆ、

はじめ和の道、

世界の臣民、てん詞様おろがむ時来るのざぞ。

邪魔せずに見物いたされよ、

御用はせなならんぞ。

この神示読めよ、声高く。

この神示血とせよ、

益人となるぞ。

天地まぜこぜとなるぞ。

六月十二日、

みづのひつ九の

水の巻 第12帖 (286)

使用さされた特殊文字 


ひふみ神示 第十一巻 松の巻 第一帖(292)

昭和二十年六月十七日、

旧五月八日(1945年)

富士は晴れたり世界晴れ。

三千世界一度に晴れるのざぞ。

世の元の一粒種の世となったぞ。

松の御代となったぞ。

世界ぢうに揺すりて眼覚ますぞ。

三千年の昔に返すぞ。

煎り豆 花咲くぞ。

上下ひっくり返るぞ。

水も洩らさん仕組ぞ。

六月十七日、あめのひつ九のか三。


あら楽(たぬ)し、あなさやけ、元津御神の御光の、輝く御代ぞ近づけり。

岩戸開けたり野も山も、草の片葉(かきは)も言(こと)止(や)めて、

大御光に寄り集ふ、

誠の御代ぞ楽しけれ。

今一苦労二苦労、

とことん苦労あるなれど、

楽しき苦労ぞ目出度けれ。

申、酉すぎて戌の年、亥の年、子の年目出度けれ。

一二三(ひふみ)の裏の御用する身魂も今に引き寄せるから、その覚悟せよ。

覚悟よいか。

待ちに待ちにし秋来たぞ。

八月の七日、

アメのひつくのかみ。

ひふみ、よいむなや、

こともちろらね、しきる、ゆゐつわぬ、

そおたはくめか、うをえ、にさりへて、

のます、あせえほれけ、

八月八日、秋立つ日、

アメの一二のおほかみ。

夜明けの巻第12帖 (332)


神示よく読めと、

神示よく肚に入れと申してあるが、

神示肚に入れると胴すわるのざぞ、

世界から何んな偉い人が出て来て何んな事尋ねても教へてやれる様になるのざぞ、

神示胴に入れて頭下げて天地に働いて下されよ、

まつりて下されよ、

素直になれば其の場から其の場其の場で何事も神が教へてやるから、

力つけて導いてやるから、

何んな神力でも授けてやるぞ。

一二三四五六七八九十百千卍(ひとふたみよいつむゆななやここのたりももちよろず)授け申して神人となるぞ。

我さえよけらよいとまだ思って御座る臣民まだで御座るぞ、

自分一人で生きてゆけんぞ、

神許りでも生きてゆけんぞ、

爪の垢でもだてについてゐるのではないのざぞ、

判らんと申しても余りで御座るぞ、

まつりせよ、

地(つち)にまつろへよ、

天(あめ)にまつろへよ、

人にまつろへよ、

草木動物にまつろへよ、

と、

くどう知らしてあるのに未だ判らんのか、

神拝む許りがまつりでないぞ。

待ちに待ちし日の出の御代となりにけり、

一二三(ひふみ)いろはの世はたちにけり。

身慾信心してゐる臣民人民、

今に神示聞けぬ様にいれものつんぼになるのざぞ、

きびしくなって来るぞ、

毒にも薬にもならん人民、

今度は役に立たんのざぞ、

悪気ない許りでは一二(ひつき)の御民とは申されんぞ。

あら楽し、

黒雲一つ払ひけり、

次の一つも払ふ日近し。

淋しくなりたら神示尋ねて御座れ、

神示読まねば益々判らん事になったであろうが、

天国に底ない様に地獄にも底ないぞ、

何処までも落ちるぞ、

鼻高の鼻折らな人民何んと申しても神承知出来ん。

十一月二十三日、

ひつ九のかミ。

雨の巻第06帖 (340)


用意なされよ。

いよいよざぞ、

愈々九三(くるぞ)。

神のみこと知らすぞ。

知らすぞ、

眼覚めたら起き上がるのざぞ。

起きたらその日の命頂いたのざぞ。

感謝せよ、

大親に感謝、

親に感謝せよ、

感謝すればその日の仕事与へられるぞ。

仕事とは嘉事(よこと)であるぞ、

持ち切れぬ程の仕事与へられるぞ。

仕事は命ざぞ。

仕事喜んで仕へ奉れ。

我出すと曇り出るぞ。

曇ると仕事わからなくなるぞ。

腹へったらおせよ。

二分は大親に臣民腹八分でよいぞ。

人民食べるだけは与へてあるぞ。

貪(むさぶ)るから足らなくなるのざぞ。

減らんのに食べるでないぞ。

食(おせ)よ。

おせよ。

一日一度からやり直せよ。

ほんのしばらくでよいぞ。

神の道 無理ないと申してあろが。

水流れる様に楽し楽しで暮せるのざぞ、

どんな時どんな所でも楽に暮せるのざぞ。

穴埋めるでないぞ、

穴要るのざぞ。

苦しいという声 此の方嫌ひざ。

苦と楽 共にみてよ、

苦の動くのが楽ざぞ。

生れ赤児みよ。

子見よ、神は親であるから人民守ってゐるのざぞ。

大きなれば旅にも出すぞ、

旅の苦 楽しめよ、

楽しいものざぞ。

眠くなったら眠れよ、

それが神の道ぞ。

神のこときく道ざぞ。

無理することは曲ることざぞ。

無理と申して我儘無理ではないぞ、

逆行くこと無理と申すのざ。

無理することは曲ることざ、

曲っては神のミコト聞こへんぞ。

素直になれ。

火降るぞ。

相手七と出たら三と受けよ、

四と出たら六とつぐなへよ、

九と出たら一とうけよ、

二と出たら八と足して、

それぞれに十となる様に和せよ。

まつりの一つの道ざぞ。

(おう)の世 (おう) の世にせなならんのざぞ、

今は(をう)の世ざぞ、

(わう)の世の 世となりて、

(おう)の世に 入れて(おう)の世となるのざぞ。

タマなくなってゐると申してあろがな、

タマの中に仮の奥山移せよ、

急がいでもよいぞ、

臣民の肉体 神の宮となる時ざぞ、

当分 宮なくてもよいぞ。

やがては二二(ふじ)に九(コ)の花咲くのざぞ、

見事二二(ふじ)に九(こ)の火(ほ)が鎮まって、

世界治めるのざぞ、

それまでは仮でよいぞ、

臣民の肉体に一時は静まって、

此の世の仕事仕組みて、

天地でんぐり返して光の世といたすのぢゃ。

花咲く御代近づいたぞ。

用意なされよ、

用意の時しばし与えるから、

神の申すうち用意しておかんと、

とんでもないことになるのざぞ。

の世輝くととなるのざぞ、

と申して知らしてあろがな。

役員それぞれのまとひつくれよ、

何れも長(おさ)になる身魂でないか。

我軽しめる事は神軽くすることざ、

わかりたか。

おのもおのも頭領であるぞ、

釈迦ざぞ。

キリストざぞ。

その上に神ますのざぞ、

その上 神又ひとたばにするのざぞ、

その上に又でくくるぞ、

その上にもあるのざぞ、

上も下も限りないのざぞ。

奥山 何処に変っても宜いぞ、

当分 肉体へおさまるから何処へ行ってもこの方の国ぞ、

肉体ぞ、

心配せずに、グングンとやれよ、

動くところ、神力 加はるのざぞ、

人民のまどひは神無きまどひぞ、

神無きまどひつくるでないぞ、

神上に真中(まなか)に集まれよ。

騒動待つ心 悪と申してあること忘れるなよ、

神の申した事ちっとも間違ひないこと、

少しは判りたであろがな。

同じ名の神 二柱あるのざぞ、

善と悪ざぞ、この見分けなかなかざぞ、

神示よめば見分けられるように、

よく細かに解(と)いてあるのざぞ、

善と悪と間違ひしてゐると、

くどう気付けてあろがな、

岩戸開く一つの鍵ざぞ、

名同じでも裏表ざぞ、

裏表と思ふなよ、

頭と尻 違ふのざぞ。

千引(ちびき)の岩戸開けるぞ。

十二月二十五日、

ひつぐのかミ。

風の巻 第01帖 (352)

使用さされた特殊文字      


岩戸開けたり野も山も、

草のかき葉もことやめて、

大御光により集ふ、

楽しき御代とあけにけり、

都も鄙(ひな)もおしなべて、

枯れし草木に花咲きぬ、

今日まで咲きし草や木は、

一時にどっと枯れはてて、

つちにかへるよすがしさよ、

ただ御光の輝きて、

生きの生命(いのち)の尊さよ、

やがては人のくにつちに、

うつらん時の楽しさよ、

岩戸開けたり御光の、

二二(ふじ)に九(こ)の花どっと咲く、

御代近づきぬ御民等よ、

最後の苦労 勇ましく、

打ち越し呉れよ共々に、

手引きあひて進めかし、

光の道を進めかし。

ウタのまどひつくれよ。

目出度(めでたき)夜明けぞ。

旧一月一日、

一二

風の巻 第04帖 (355)

使用された特殊文字 


土地分け盗りばかりか、

天まで分け盗って自分のものと、

威張ってゐるが、

人民の物一つもないのぢゃ。

大引上げにならんうちに捧げた臣民 結構ぞ。

宮の跡はSとなるぞ。

ナルトとなるぞ。

天の言答(一八十)は開いてあるぞ。

地の言答(一八十)、

人民開かなならんぞ、

人民の心次第で何時でも開けるのざぞ。

泥の海になると、

人民思ふところまで一時は落ち込むのぢゃぞ、

覚悟はよいか。

神国には神国の宝、

神国の臣民の手で、

元の所へ納めなならんのざ。

タマなくなってゐると申してあらうがな。

何事も時節到来致してゐるのざぞ、

真理(ふじ)晴れるばかりの御代となってゐるのぢゃぞ。

人民 神に仕へて下さらんと神のまことの力出ないぞ、

持ちつ持たれつと申してあらうがな、

神まつらずに何事も出来んぞ、

まつらいでするのが我よしぞ、

天狗の鼻ざぞ。

まつらいでは真暗ぞ、

真暗の道で、

道開けんぞ。

神は光ぞと申してあらうが、

てん詞(し)様よくなれば、

皆よくなるのざぞ。

てん詞(し)様よくならんうちは、

誰によらん、

よくなりはせんぞ、

この位のことなぜにわからんのぢゃ、

よくなったと見えたら、

それは悪の守護となったのぢゃ。

神がかりよくないぞ、

やめて下されよ、

迷ふ臣民出来るぞ。

程々にせよと申してあらうが。

皆々心の鏡掃除すれば、

それぞれに神かかるのぢゃ。

肉体心で知る事は皆粕(カス)ばかり、

迷ひの種ばかりぢゃぞ、

この道理判りたであらうがな、

くどう申さすでないぞ。

二月の十六日、

ひつ九の

風の巻第09帖 (360)

使用された特殊文字 


千萬の御代(チヨロズのミヨ)。

荒の巻第01帖 (377)


玉の御代とて神代より(タマのミヨとてカミヨより)

荒の巻第01帖 (377)


尊き御代と成りますのぞ(トートきミヨとナりますのぞ)。

荒の巻第01帖 (377)


大実光りの尊き御代ぞ(オオミヒカりのトウトきミヨぞ)、

荒の巻第01帖 (377)


貴人の御代成り成るぞ(ウズヒトのミヨナりナるぞ)。

荒の巻第01帖 (377)


御代印しの基継ぐ成るぞ(ミヨジルしのモトツぐナるぞ)。

荒の巻第01帖 (377)


良き嘉き御代来るぞ(ヨきヨきミヨクるぞ)。

荒の巻第01帖 (377)


誠の御代ぞ(マコトのミヨぞ)。

荒の巻第01帖 (377)


普字に花咲く御代(フジにハナサくミヨ)

荒の巻第01帖 (377)


文命の言の御代の(フミミコトのコトのミヨの)、

荒の巻第01帖 (377)


尊き御代とぞなりふる(トートきミヨとぞなりふる)

  荒の巻第01帖 (377)


今に世界の臣民人民 誰にも判らん様になりて上げもおろしもならんことになりて来て、

これは人民の頭や力でやってゐるのでないのざといふことハッキリして来るのざぞ。

何処の国、

どんな人民も成程ナアと得心のゆくまでゆすぶるのであるぞ。

今度は根本の天の御先祖様の御霊統と根元のお地(つち)の御先祖様の御霊統とが一つになりなされて、

スメラ神国とユツタ(ユダヤ)神国と一つになりなされて末代動かん光の世と、

影ない光の世と致すのぢゃ、

今の臣民には見当とれん光の世とするのぢゃ、

光りて輝く御代ぞ楽しけれく。

悪い者殺してしまふて よい者ばかりにすれば、

よき世が来るとでも思ふてゐるのか、

肉体いくら殺しても魂迄は、

人民の力では何うにもならんであろがな。

元の霊(たま)まで改心させねば、

今度の岩戸開けんのぢゃぞ、

元の霊(たま)に改心させず肉体ばかりで、

目に見える世界ばかり、

理屈でよくしようとて出来はせんぞ、

それ位判って居らうが、

判りて居り乍ら他に道ないと、

仕方ないと手つけずにゐるが、

悪に魅入られてゐるのぢゃぞ、

悪は改心早いぞ、

悪神も助けなならんぞ、

霊(たま)から改心させなならんぞ、

善も悪も一つぢゃ、

霊も身も一つぢゃ、

天地(アメツチ)ぢゃとくどう知らしてあろが。

何んなよいこと喜ばして知らしても、

聞かせても、

今の臣民人民中々云ふこときかんものぢゃぞ。

この道にゆかりある者だけで型出せよ、

カタでよいのぢゃぞ。

六月三十日、

ひつぐの神。

光の巻第06帖 (402)


今度の建替は敵と手握らねばならんのぢゃ、

敵役の神々様人民よ、

早う尋ねて御座れ、

この方 待ちに待って居るぞ。

引張ったのでは、

心からでないと役に立たんのぢゃ、

此の神示十三の巻からは肚の中の奥まで見抜かんでは、

見届けんでは見せて下さる なよ、

今にいろいろ身魂集まって来るから十二の巻も申し付けてある様にちゃんとし ておいて下されよ。

御剣(みつるぎ)の大神、

黄金(こがね)の大神、

白銀(しろが ね)の大神と称へまつり結構結構ぞ、

結構致しまつりくれよ、

オロチ、

九火(キュウ ビ)、

ジャキ、

の三大将殿の御力まつりて弥栄よくよきに動くぞ、

ひらけ輝くぞ、

一火(ひかり)の御代となるぞ。

九月二十八日、

ひつ九の

梅の巻 第01帖 (428)

使用された特殊文字  


今の人民 少しは神示判って居らんと恥づかしい事出来て来るぞ、

なさけない事出来てくるぞ、

くやしさ目の前ぞ。

次の世がミロクの世、

天の御先祖様なり、

地の世界は大国常立の大神様御先祖様なり、

天の御先祖様 此の世の始まりなり、

お手伝いが弥栄のマコトの元の生神様なり、

仕上げ見事成就致さすぞ、

御安心致されよ。

天も晴れるぞ、

地も輝くぞ、

天地一つとなってマコトの天となりなりマコトの地となりなり、

三千世界一度に開く光の御代ぞ楽しけれ、

あな爽(さや)け、

あなすがすがし、

あな面白や、

いよいよ何も彼も引寄せるからその覚悟よいか、

覚悟せよ、

あな爽け、

あなすがすがし、

四十七と四十八と四十九ぢゃ。

十二月四日、

七つ九のかミしらす。

梅の巻第17帖 (444)


建直しの道つづき、

結び、

展く、

日月出で、

よろづのもの、

一二三(ひふみ)とみち、

つづき鳴り成り、

ひらく大道、

真理の出でそむ中心に、

マコト動きて、

元津神栄ゆ、

元津神は真理、

真愛、

大歓喜の大道ぞ、

うづぞ、

神々のうづぞ、

ナルトぞ、

人のよろこびぞ、

代々の大道ぞ、

真理、

真愛、

大歓喜は、

中心にひかり、

ひらき極まる道ぞ、

展き極まる世ぞ、

鳴り極み、

ひらき、

うごく大道、

うごき、

和し、

なり、

大歓喜、

足りに足り足る世、

生れ出づる世、

うごき更にひらき、

次々に栄え極みて、

新しきはたらきの湧く次の大御代の六合つづく道、

つづき睦びて、

富士晴れ極み、

鳴門は殊にひかり出でて、

大道は日神の中心にかへり、

亦出でて、

ひらき、

大道いよいよ満つ、

焼く神々、

早くせよ。

一月六日、

一二

空の巻 第04帖 (459)


御光(みひかり)の輝く御代となりにけり、

嬉し嬉しの言答(一八十)明けたり。

あなさやけ、

三千年の夜は明けて、

人、

神、

となる秋(とき)は来にけり。

日月(一二)大神、

キリスト大神、

シャカ大神、

マホメット大神、

黒住大神、

天理大神、

金光大神、

大本大神、

老子大神、

孔子大神、

総て十柱の大神は、

光の大神として斎き祀り結構致しくれよ、

二二晴れるぞ、

一八十開けるぞ。

御神名書かすぞ、

ひかり教会のりとは、

ひかりの大神、

弥栄ましませ弥栄ましませ、

ひかりの大神守り給へ、

幸へ給へと、

申せよ。

弥栄弥栄(やさかいやさか)。

四月五日、

ひつくのかみ。

空の巻第14帖 (469)


今日(こんにち)までの御教は、

悪を殺せば善ばかり、

輝く御代が来ると云ふ、

これが悪魔の御教(みおしへ)ぞ、

この御教に人民は、

すっかりだまされ悪殺す、

ことが正しきことなりと、

信ぜしことのおろかさよ、

三千年の昔から、

幾千万の人々が、

悪を殺して人類の、

平和を求め願ひしも、

それははかなき水の泡、

悪殺しても殺しても、

焼いても煮てもしゃぶっても、

悪は益々ふへるのみ、

悪殺すてふ其のことが、

悪そのものと知らざるや、

神の心は弥栄ぞ、

本来悪も善もなし、

只み光の栄ゆのみ、

八股おろちも金毛も、

ジャキも皆それ生ける神、

神の光の生みしもの、

悪抱きませ善も抱き、

あななふ所に御力の、

輝く時ぞ来たるなり、

善いさかへば悪なるぞ、

善悪不二と云ひながら、

悪と善とを区別して、

導く教ぞ悪なるぞ、

只御光の其の中に、

喜び迎へ善もなく、

悪もあらざる天国ぞ、

皆一筋の大神の、

働きなるぞ悪はなし、

世界一家の大業は、

地の上ばかりでなどかなる、

三千世界大和して、

只御光に生きよかし、

生れ赤児となりなりて、

光の神の説き給ふ、

誠の道をすすめかし、

マコトの道に弥栄ませ。

八月十五日、

のひつ九のしるす。

 言答(いわと)明けたる今日ぞ目出度し、

二の言答(いわと)早よう明けてよ。

海の巻第05帖 (497)


奉る歌書かして置いたに何故読まんのぢゃ。

大き声で読み上げよ。

歌うたひ呉れと申してある時来てゐるぞ。

歌でイワトひらけるぞ。

皆 歌へ唄へ。

各も各も心の歌つくって奉れよ。

歌結構ぞ。 

ひふみゆら、

ひふみゆらゆら、

ひふみゆらゆら。 

かけまくも、かしこけれども、歌たてまつる。 

御まへに、歌たてまつる、

弥栄(ヤサカ)み歌を。 

世を救ふ、大みゐわざぞ、みことかしこし。 

まさに今、神のみことを、このみみに聞く。 

三千世界、救ふみわざぞ、言(コト)ただし行かな。 

大神の、しきます島の、八十島(ヤソシマ)やさか。 

天かけり、地(クニ)かける神も、みひかりに伏す。 

堪へに堪へし、三千年の、イワトひらけぬ。 

したたみも、いはひもとほり、神に仕へむ。

大稜威(オオミイヅ)、あぎとふ魚も、ひれ伏し集ふ。

かむながら、みことの朝を、みたみすこやかに。 

神の子ぞ、みたみぞ今の、この幸になく。 

国原は、大波うちて、みふみを拝す。 

天もなく、地もなく今を、みことに生きん。 

あなた 大みつげ、八百万神も、勇みたつべし。 

天地の、光となりて、みふで湧き出づ。 

一つ血の、みたみの血今、湧きて止まらず。

大みこと、身によみがえる、遠つ祖神(オヤ)の血。

すでに吾れ、あるなし神の、辺にこそ生きん。

高鳴るは、吾か祖の血か、みつげ尊し。

吾れあらじ、神々にして、祈らせ給ふ。

天地も、極まり泣かん、この時にして。

かつてなき、大みつげなり、たたで止むべき。

天地も、極まりここに、御代生れ来ん。 

大き日の、陽にとけ呼ばん、くにひらく道。 

みことのり、今ぞ輝き、イワトひらけん。 

宮柱、太しき建てて、神のまにまに。 

抱き参らせ、大御心に、今ぞこたへむ。

言いむけ、まつろはしめし、みことかしこし。 

ただ涙、せきあへず吾(ア)は、御(オン)まへに伏す。

ささげたる、生命ぞ今を、神と生れます。

大まへに、伏すもかしこし、祈る術(スベ)なし。 

今はただ、いのちの限り、太道(オミチ)伝へむを。 

祈りつつ、限りつくさん、みたみなり吾れ。 

いのち越え、大きいのちに、生きさせ給へ。

ひたすらに、みことかしこみ、今日に生き来し。

言霊の、言高らかに、太陽(オオヒ)にとけな。

天に叫び、吾れにむちうち、今日に生き来し。

あらしとなり、あまかけりなば、この心癒えむか。 

走りつつ、今海出づる、大き月に呼ぶ。

みみかくし、生命と生れて、遠つ祖神(オヤ)さか。 

神々の、智は弥栄え、此処に吾れたつ。

みたみ皆、死すてふことの、ありてあるべき。

あな爽け、みたみ栄(ハエ)あり、神ともに行く。

さあれ吾の、生命尊し、吾(ア)を拝(オロガ)みぬ。

みづくとも、苔むすとても、生きて仕へん。

いゆくべし、曲(マガ)の曲こと、断たで止むべき。

かへりごと、高ら白さんと、今日も死を行く。

追ひ追ひて、山の尾ことに、まつろはさんぞ。 

追ひはらひ、川の瀬ことに、曲なごめなん。

みことなれば、天(アメ)の壁立つ、極み行かなん。 

と心の、雄たけび天も、高く鳴るべし。

まさ言を、まさ言として、知らしめ給へ。

たな肱(ヒヂ)に、水泡(ミナワ)かきたり、御稲(ミトシ)そだてんを。 

むか股に、ひぢかきよせて、たなつつくらむ。

狭田長田、ところせきまで、実のらせ給へ。

神々の、血潮とならん、ことに生き行く。

言さやぐ、民ことむけて、神にささげん。

にぎてかけ、共に歌はば、イワトひらけん。 

大き日に、真向ひ呼ばん、神の御名を。

道端の、花の白きに、祈る人あり。 

拍手(カシワデ)の、ひびきて中今(イマ)の、大きよろこび。

悔ゆるなく、御まへに伏し、祝詞(ノリト)申すも。

祝詞せば、誰か和し居り、波の寄す如。

のりと申す、わが魂に、呼ぶ何かあり。

御まへに、額(ヌカ)づきあれば、 波の音きこゆ。 

悔ゆるなき、一日(ヒトヒ)ありけり、夕月に歩す。 

曇りなく、今を祝詞す、幸はへたまへ。

奉る、歌きこし召せ、幸はへ給へ。

ひふみよい、むなやここたり、ももちよろづう。

かのととりの日。

黄金の巻 第044帖 (555)


新しき御代の始めのタツの年。

スメ大神の生れ出で給ひぬ。

皆々御苦労ながら、

グルグル廻って始めからぢゃと申してあらうが。

始の始と始が違ふぞ。

皆始めヒからぢゃ。

赤児になりて出直せよ。

ハラで見、

ハラできき、

ハラで話せよ。

ハラには間違ひないのぢゃ。

祈りばかりでは祈り地獄、

神から光いただけるように理(ミチ)つけねばならん。

水は低きに流れるぞ。

喜びに叶ふ心、

喜びの行あるところ喜び来るのぢゃ。

喜びにも正しきと曲れるとあるぞ。

無限段階あるのぢゃ。

心して迷はんように致しくれよ。

此処は光の理(ミチ)伝へ、

行ふ所、

教でないと申してあろう。

教は教に過ぎん。

理でなくては、

今度はならんのぢゃ。

天の理、

地の理、

もろもろの理、

カタ早う急ぐぞ。

教は局部的、

時、所で違ふのぢゃ。

迷信となるぞ。

ハラが神であるぞ。

春の巻 第01帖 (658)


掛巻も、畏き極み、

九二つ千の、

清(スガ)の中なる大清み、

清みし中の、

清らなる、

清き真中の、

よろこびの、

其の真中なる、

御光の、

そが御力ぞ、

綾によし、

十九立(トコタチ)まし、

大九二の十九立(オオクニのトコタチ)大神、

十四九百ヌ(トヨクモヌ)、

十四(トヨ)の大神、

瀬織津の、

ヒメの大神、

速秋の、

秋津ヒメ神、

伊吹戸の、

主の大神、

速々の、

佐須良ヒメ神、

これやこの、

太日月(オオヒツキ)、

皇神(スメカミ)の御前畏こみ、

謹みて、

うなね突貫き、

白さまく、

ことのマコト(真言)を。

伊行く水、

流れ流れて、

月速み、

いつの程にや、

この年の、

冬も呉竹、

一と夜(ヨサ)の、

梓(アズサ)の弓の、

今とはや、

明けなむ春の、

立ちそめし、

真玉新玉、

よろこびの、

神の稜威(ミイヅ)に、

つらつらや、

思ひ浮べば、

天地(アメツチ)の、

始めの時に、

大御祖神(オオミオヤ)、

九二十九立(クニトコタチ)の、

大神伊、

三千年、

またも三千年の、

もまた三千年、

浮きに瀬に、

忍び堪えまし、

波風の、

その荒々し、

渡津海(ワタツミ)の、

塩の八百路の、

八汐路の、

汐の八穂合ひ、

洗はれし、

孤島の中の、

籠らひし、

籠り玉ひて、

畏くも、

この世かまひし、

大神の、

時めぐり来て、

一筋の、

光の御代と、

出でませし、

めでたき日にぞ、

今日の日は、

御前畏こみ、

御饌御酒(ミケミキ)を、

ささげまつりて、

海山野(ウミヤマヌ)、

種々(クサグサ)珍(ウズ)の、

みつぎもの、

供へまつりて、

かごぢもの、

ひざ折り伏せて、

大まつり、

まつり仕へむ、

まつらまく。

生きとし生ける、

まめひとの、

ゆくりあらずも、

犯しけむ、

罪やけがれの、

あらむをば、

祓戸にます、

祓戸の、

大神達と相共に、

ことはかりまし、

神直日、

大直日にぞ、

見伊直し、

聞き直しまし、

祓ひまし、

清め玉ひて、

清々(スガスガ)し、

清(スガ)の御民(ミタミ)と、

きこし召し、

相(アイ)諾(ウズナ)ひて、

玉へかし、

玉はれかしと、

多米津(タメツ)もの、

百取(モモトリ)、

さらに、

百取の、

机の代(シロ)に、

足らはして、

横山の如、

波の如、

伊盛、

栄ゆる、

大神の、

神の御前に、

まつらまく、

こひのみまつる、

畏こみて、

まつらく白す、

弥つぎつぎに。

新玉(アラタマ)の 玉の御年(ミトシ)の 明けそめて 罪もけがれも 今はあらじな 節分の祝詞であるぞ。

太のりとせよ。

いよいよの年立ちそめたぞ。

うれしうれしの御代来るぞ。

(一月の三十日、 日月神。

春の巻 第03帖 (660)

使用された特殊文字 


星座の巻 第25帖 (059)

歓喜に裁きのない如く、神には裁きなし。

さばき説く宗教はいよいよ骨なしフニャフニャ腰となるぞ、

戒律や裁きは低い段階、

過去の部分的一面に過ぎん、

裁きを説くのは自分で自分をさばいてゐること、人民に罪なし。

手長手伸(たながたのし) 堅磐常磐(かきはときは)に 祝ふ御代なる。

生井栄井津(いくゐさかゐつ) 長井阿須波比支(ながゐあすはいき) たたへましを。

底つ岩根 千木岩(ちぎいわ)高く 瑞(みづ)の御舎(みあらか)。

四方(よも)の御門(みかど) 五方(いつも)とひらき 宇都幣帛(うづみてくら)を。

御巫(かむなぎ)の 辞竟(ことお)へまつる 生足御国(いくたるみくに)。

塩沫(しほなは)の 留まる限り 皇国弥栄(みくにやさか)ゆ。

海原の 辺にも沖にも 神つまります。

天の壁 地(くに)の退立(そぎた)つ 極み手伸(たの)しき。

八十綱(やそつな)を 百綱(ももつな)とかけて ささし給はむ。


高天原、おのころに神祇(カミ)つまります、

すめむつカムロギ、カムロミのミコトもちて、

千万(ちよろづ)の神祇(かみ)たちを神集(つど)へに集へ給ひ、

神はかりにはかり給ひて、

下津岩根に真理(みや)柱二十(ふと)敷建て高天原に千木高知りて、

伊都の神宝の大御心のまにまに千座(ちくら)の置座(おきくら)におき足らはして、

天地祝詞(アメツチのりと)の二十(ふと)祝詞言をのれ、

かくのらば神祇はおのもおのもの岩戸を押しひらきて伊頭(いづ)の千別きに千別き給ひて聞し召さむ、

かく聞し召してば、

天(アメ)の国うつし国共につみと云ふつみはあらじと科戸(しなど)の風の吹き放つことの如く、

朝風夕風の吹きはらふ如く、

大つ辺に居る大船を舳(へ)ときはなち艫(とも)とき放ちて大海原に押しはなつ事の如く、

のこる罪も穢もあらじと祓へ給へ清め給ふことを、

よしはらへ、

あしはらへ給ひて弥栄の御代とこそ幸はへ給へ幸はへ給へ。

一二三四五六七八九十百千万歳万歳。

紫金の巻 第01帖 (131)

使用さされた特殊文字 


新しき御代のはじめの【たつ】の年、

あれ出でましぬ かくれゐし神。

かくり世もうつし御国の一筋の光りの国とさきそめにけり。

紫金の巻第09帖 (139)

“神の世”を含む帖


ひふみ神示 第01巻 上つ巻 第04帖 (004)

昭和19年06月13日、

旧閏04月23日(1944年)

急ぐなれど、臣民なかなかに言ふこときかぬから、

言ふこときかねば、きく様にしてきかす。

神には何もかも出来てゐるが、

臣民まだ眼覚めぬか、

金(かね)のいらぬ楽の世になるぞ。

早く神祀りて呉れよ、

神祀らねば何も出来ぬぞ。

表の裏は裏、

裏の裏がある世ぞ。

神をだしにして、今の上の人がゐるから、

神の力出ないのぞ。

お上に大神を祀りて政事(まつりごと)をせねば治まらん。

この神をまつるのは、みはらし台ぞ、

富士みはらし台ぞ、

早く祀りてみつげを世に広めて呉れよ。

早く知らさねば日本がつぶれる様なことになるから、

早う祀りて神の申す様にして呉れ。

神急けるよ。

上ばかりよくてもならぬ、

下ばかりよくてもならぬ、

上下揃ふたよき世が神の世ぞ。

卍も一十もあてにならぬ、

世界中一つになりて真の国に寄せて来るぞ。

それなのに今のやり方でよいと思うてゐるのか、

分らねば神にたづねて政事(まつりごと)せねばならぬと云ふことまだ分らぬか。

神と人とが交流(まつり)合はしてこの世のことが、

さしてあるのぞ。

人がきかねば神ばかりで始めるぞ。

神ばかりで洗濯するのは早いなれど、

それでは臣民が可哀そうなから、

臣民みなやり直さねばならぬから、

気をつけてゐるのに何してゐるのざ、

いつ何んなことあっても知らんぞ、

神祭第一、神祭結構。

二三の木ノ花咲耶姫の神様を祀りて呉れよ。

コハナサクヤ姫様も祀りて呉れよ。

六月十三の日、

ひつくのか三。


ひふみ神示 第一巻 上つ巻 第十八帖(18)

昭和十九年六月二十六日、

旧五月六日(1944年)

岩戸開く役と岩戸しめる役とあるぞ。

一旦世界は言ふに言はれんことが出来るぞ、

シッカリ身魂みがいて置いて呉れよ、

身魂みがき第一ぞ。

この道開けて来ると、世の中のえらい人が出て来るから、

どんなえらい人でも分らん神の道ざから、

よくこの神示読んで置いて何んな事でも教へてやれよ、

何でも分らんこと無いやうに、この神示で知らして置くから、

この神示よく読めと申すのぞ。

この道はスメラが道ざ、

すめるみ民の道ぞ。

みそぎせよ、

はらひせよ、

臣民 早くせねば間に合はんぞ。

岩戸開くまでに、まだ一苦労あるぞ、

この世はまだまだ悪くなるから、

神も仏もこの世には居らぬのざといふところまで、

とことんまで落ちて行くぞ。

九月に気をつけよ、

九月が大切の時ぞ。

臣民の心の鏡凹(くぼ)んでゐるから、

よきことわるく映り、

わるきことよく映るぞ。

今の上に立つ人、

一つも真の善い事致しては居らん、

これで世が治まると思ふてか、

あまりと申せばあまりぞ。

神は今まで見て見んふりしてゐたが、

これからは厳しくどしどしと神の道に照らして神の世に致すぞ、

その積りでゐて呉れよ。

神の申すこと、ちっともちがはんぞ。

今の世に落ちてゐる臣民、

高い所へ土持ちばかり、

それで苦しんでゐるのざ。

早う身魂洗濯せよ、

何事もハッキリと映るぞ。

六月二十六日、

ひつくのかみ。


ひふみ神示 第一巻 上つ巻 第二十帖(20)

昭和十九年六月二十七日、

旧五月七日(1944年)

神がこの世にあるならば、こんな乱れた世にはせぬ筈ぞと申す者 沢山あるが、

神には人のいふ善も悪もないものぞ。

よく心に考へて見よ、

何もかも分りて来るぞ。

表の裏は裏、

裏の表は表ぞと申してあろうが、

一枚の紙にも裏表、

ちと誤まれば分らんことになるぞ、

神心になれば何もかもハッキリ映りて来るのざ、

そこの道理分らずに理屈ばかり申してゐるが、

理屈のない世に、神の世にして見せるぞ。

言挙げせぬ国とはその事ぞ、

理屈は外国のやり方、

神の臣民 言挙げずに、

理屈なくして何もかも分かるぞ、

それが神の真の民ぞ。

足許から鳥が立つぞ、

十理(トリ)たちてあわてても何んにもならんぞ、

用意なされよ、

上下にグレンと引繰り返るぞ。

上の者 下に、

落ちぶれた民 上になるぞ、

岩戸開けるぞ、

夜明け近づいたから、早う身魂のせんだくして呉れよ、

加実の申すこと千に一つもちがはんぞ。

六月二十七日、

ひつくのか三。


一日に十万、人死にだしたら神の世がいよいよ近づいたのざから、

よく世界のことを見て皆に知らして呉れよ。

この神は世界中のみか天地のことを委(まか)されてゐる神の一柱ざから、

小さいこと言ふのではないぞ、

小さいことも何でもせなならんが、

小さい事と臣民思うてゐると間違ひが起るから、

臣民はそれぞれ小さい事もせなならんお役もあるが、

よく気をつけて呉れよ。

北から来るぞ。

神は気もない時から知らして置くから、

よくこの神示、心にしめて居れよ。

一日一握りの米に泣く時あるぞ、

着る物も泣くことあるぞ、

いくら買溜めしても神のゆるさんもの一つも身には附かんぞ、

着ても着ても、食うても食うても何もならん餓鬼の世ざ。

早う神心にかへりて呉れよ。

この岩戸開くのは難儀の分らん人には越せんぞ、

踏みつけられ踏みつけられている臣民のちからはお手柄さして、

とことはに名の残る様になるぞ。

元の世に一度戻さなならんから、

何もかも元の世に一度は戻すのざから、

その積りで居れよ。

欲張っていろいろ買溜めしてゐる人、

気の毒が出来るぞ、

神よく気をつけて置くぞ。

この道に縁ある人には、

神からそれぞれの神を守りにつけるから、

天地の元のニ(てん)の大神、

くにの大神と共に、よく祀りて呉れよ。

六月の三十日、ひつくのか三。

上つ巻 第25帖 (025)


ひふみ神示 第一巻 上つ巻 第二十八帖(28)

昭和十九年七月一日、

旧五月十一日(1944年)

世界中まるめて神の一つの詞(王)で治めるのぞ。

それが神のやり方ぞ、

百姓は百姓、

鍛冶は鍛冶と、

今度はとことはに定まるのぞ、

身魂の因縁によりて今度はハッキリと定まって動かん神の世とするのぞ、

茄子の種には瓜はならんぞ、

茄子の蔓に瓜をならすのは悪の仕組、

今の世はみなそれでないか。

これで世が治まったら神はこの世に無いものぞ。

神とアクとの力競べぞ。

今度はアクの王も神の力には何うしてもかなはんと心から申す所まで、 とことんまで行くのざから、

アクも改心すれば助けて、よき方に廻してやるぞ。

神の国を千切りにして膾(ナマス)にするアクの仕組は分りて居る、

アクの神も元の神の仕組を九分九厘までは知ってゐて、

天地ひっくり返る大戦となるのぞ。

残る一厘は誰も知らぬ所に仕かけてあるが、

この仕組、心で取りて呉れよ、

神も大切ざが、この世では臣民も大切ぞ。

臣民この世の神ぞ、

と言ふて鼻高になると、ポキン折れるぞ。

七月一日、

ひつ九のか三。


この世が元の神の世になると云ふことは、

何んなかみにも分って居れど、

何うしたら元の世になるかといふこと分らんぞ、

かみにも分らんこと人にはなほ分らんのに、

自分が何でもする様に思ふてゐるが、

サッパリ取り違ひぞ。

やって見よれ、

あちへ外れこちへ外れ、

いよいよ何うもならんことになるぞ、

最後のことは この神でないと分らんぞ。

いよいよとなりて教へて呉れと申しても間に合はんぞ。

七月一日、

ひつくのか三。

上つ巻 第29帖 (029)


初めの御用はこれで済みたから、

早うお山開いて呉れよ。

お山開いたら、

次の世の仕組書かすぞ、

一月の間に書いて呉れた神示(ふで)は「上つ巻」として後の世に残して呉れよ、

これから一月の間に書かす神示は次の世の、

神の世の仕組の神示ざから、

それは「下つ巻」として後の世に残さすぞ、

その積りで気をつけて呉れよ。

御苦労なれども世界の臣民の為ざから、

何事も神の申すこと、

すなをに聞いて下されよ。

七月の九日、

ひつくのか三かく。

上つ巻 第42帖 (042)


上(うえ)、

中(なか)、

下(しも)の三段に身魂をより分けてあるから、

神の世となりたら何事もきちりきちりと面白い様に出来て行くぞ。

神の世とは神の心のままの世ぞ、

今でも臣民神ごころになりたら、

何でも思ふ通りになるぞ。

臣民 近慾(ちかよく)なから、

心曇りてゐるから分らんのぞ。

今度の戦は神力と学力のとどめの戦ぞ。

神力が九分九厘まで負けた様になったときに、

まことの神力出して、

ぐれんと引繰り返して、

神の世にして、

日本のてんし様が世界まるめてしろしめす世と致して、

天地神々様にお目にかけるぞ。

てんし様の光が世界の隅々まで行きわたる仕組が三四五(みよいづ)の仕組ぞ、

岩戸開きぞ。

いくら学力強いと申しても百日の雨降らすこと出来まいがな。

百日雨降ると何んなことになるか、

臣民には分るまい、

百日と申しても、

神から云へば瞬きの間ぞ。

七月の二十三日、

ひつ九の

下つ巻第20帖 (062)

使用された特殊文字


今は善の神が善の力弱いから善の臣民苦しんでゐるが、

今しばらくの辛抱ぞ、

悪神総がかりで善の肉体に取りかからうとしてゐるから よほどフンドシしめてかからんと負けるぞ。

親や子に悪の神かかりて苦しい立場にして悪の思ふ通りにする仕組立ててゐるから気をつけて呉れよ。

神の、も一つ上の神の世の、

も一つ上の神の世の、

も一つ上の神の世は戦済んでゐるぞ、

三四五(みよいづ)から五六七(みろく)の世になれば天地光りて何もかも見えすくぞ。

八月のこと、

八月の世界のこと、

よく気つけて置いて呉れよ、

いよいよ世が迫りて来ると、

やり直し出来んと申してあろがな。

いつも剣の下にゐる気持で心ひき締めて居りて呉れよ、

臣民口でたべる物ばかりで生きてゐるのではないぞ。

八月の十五日、

ひつくのひつ九のか三しるさすぞ。

富士の巻 第06帖 (086)


神の世と申すのは、

今の臣民の思ふてゐるやうな世ではないぞ、

金(きん)は要らぬのざぞ、

お土からあがりたものが光りて来るのざぞ、

衣類たべ物、

家倉まで変るのざぞ。

草木も喜ぶ政治と申してあらうがな、

誰でもそれぞれに先の分る様になるのぞ。

お日様もお月様も海も山も野も光り輝いて水晶の様になるのぞ。

悪はどこにもかくれること出来ん様になるのぞ、

ばくち、

しょうぎは無く致すぞ。

雨も要るだけ降らしてやるぞ、

風もよきやうに吹かしてやるぞ、

神をたたえる声が天地にみちみちてうれしうれしの世となるのざぞ。

八月の七日、

ひつ九のか三ふで。

天つ巻第20帖 (127)


おそし早しはあるなれど、

一度申したこと必ず出て来るのざぞ。

臣民は近慾で疑ひ深いから、

何も分らんから疑ふ者もあるなれど、

この神示一分一厘ちがはんのざぞ。

世界ならすのざぞ、

神の世にするのざぞ、

善一すじにするのざぞ、

誰れ彼れの分けへだてないのざぞ。

土から草木生れるぞ、

草木から動物、

虫けら生れるぞ。

上下ひっくり返るのざぞ。

九月の十三日、

ひつ九のか三。

天つ巻 第28帖 (135)


神の国は生きてゐるのざぞ、

国土おろがめよ、

神の肉体ぞ。

神のたまぞ。

道は真直ぐとばかり思ふなよ、

曲って真直ぐであるぞ、

人の道は無理に真直ぐにつけたがるなれど曲ってゐるのが神の道ぞ。

曲って真直ぐいのざぞ。

人の道も同じであるぞ。

足許から鳥立つぞ。

愈々が近づいたぞ。

世の元と申すものは泥の海でありたぞ。

その泥から神が色々のもの一二三で、

いぶきで生みたのぞ。

人の智ではわからぬ事ざぞ。

眼は丸いから丸く見えるのざぞ。

この道理わかりたか。

一度はどろどろにこね廻さなならんのざぞ。

臣民はどない申しても近慾ざから先見えんから慾ばかり申してゐるが、

神は持ち切れない程の物与へてゐるでないか。

幾ら貧乏だとて犬猫とは桁違ふがな。

それで何不足申してゐるのか。

まだまだ天地へ取上げるぞ。

日々取上げてゐる事わからんか。

神が大難を小難にして神々様御活動になってゐること眼に見せてもわからんか。

天地でんぐり返るぞ。

やがては富士晴れるぞ。

富士は晴れたり日本晴れ。

元の神の世にかへるぞ。

日の巻終りて月の巻に移るぞ。

愈々一二三が多くなるから、

今までに出してゐた神示よく腹に入れておいてくれよ、

知らせねばならず、

知らしては仕組成就せず、

臣民早よ洗濯して鏡に映る様にしてくれよ。

今の世 地獄とわかってゐるであろがな。

今のやり方 悪いとわかってゐるであろがな。

神まつれと申すのぞ。

外国には外国の神あると申してあろが。

み戦さすすめて外国に行った時は、

先づその国の神まつらねばならんぞ、

まつるとはまつろふ事と申してあろが。

鉄砲や智では悪くするばかりぞ。

神先づまつれとくどう気つけてあるのは日本ばかりではないぞ。

此の方の申すこと小さく取りては見当取れんと申してあろがな。

三千世界の事ぞ。

日本ばかりが可愛いのではないぞ、

世界の臣民皆わが子ぞ。

わけへだてないのざぞ。

この神示よみて聞かしてくれよ。

読めば読むほどあかるくなるぞ。

富士晴れるのざぞ。

神の心晴れるのざぞ。

あらたぬし世ぞ。

十一月二十三日、

一二

日月の巻 第27帖 (200)

使用された特殊文字 


ひふみ神示 第七巻 日の出の巻 第九帖(222)

昭和十九年十二月八日、

旧十月二十三日(1944年)

人、神とまつはれば喜悦(うれ)しうれしぞ、

まつはれば人でなく神となるのぞ、

それが真実(まこと)の神の世ぞ、

神は人にまつはるのざぞ、

と申してあろが、

戦も壊し合ふのでは無いぞ、

とまつらふことぞ、

岩戸開く一つの鍵ざぞ、

和すことぞ、

神国真中に和すことぞ。

それには掃除せなならんぞ、

それが今度の戦ぞ、

戦の大将が神祀らねばならんぞ。

二四(にし)は剣(つるぎ)ざぞ。

神まつりは神主ばかりするのではないぞ、

剣と鏡とまつらなならんぞ、

まつはれば霊(たま)となるのざぞ。

霊なくなってゐると申して知らせてあろがな、

政治も教育も経済の大将も神祀らねばならんのぞ。

天の天照皇大神様は更なり、

天の大神様、

地(くに)の天照大神様、

天照皇太神様、

月の神様、

特に篤く祀り呉れよ、

月の大神様 御出でまして闇の夜は月の夜となるのざぞ。

素盞鳴の大神様も篤く祀りて呉れよ、

此の神様には毎夜毎日御詑びせなならんのざぞ、

此の世の罪穢(つみけがれ)負はれて陰から守護されて御座る尊い御神様ぞ、

地の御神様、土の神様ぞ、

祓ひ清めの御神様ぞ、

国々の産土の神様 祀り呉れよ、

遅くなればなる程 苦しくなるのざぞ、

人ばかりでないぞ。

十二月八日、

ひつ九のか三。

使用された特殊文字  


コトちがふから、

精神ちがふから、

ちがふことになるのざぞ、

コト正しくすれば、

正しきこととなるのざぞ。

日本の国は元の神の血筋のまじりけのないミタマで、末代 世治めるのざ。

何事も末代のことであるから、

末代動かん様に定めるのざから、

大望であるぞ。

上の臣民この儘で何とか彼んとかいける様に思ふてゐるが、

其の心われよしざぞ。

今度は手合して拝む許りでは駄目ざと申してあろが、

今度は規則きまりたら、 昔より六ヶ敷くなるのざぞ、

まけられんことになるのざぞ、

神魂(カミタマシ) の臣民でないと神の国には住めんことになるのざぞ。

この世治めるのは地の先祖の生神の光出さねば、

この世治まらんのざぞ、

今度はトコトン掃除せねば、少しでもまぢ り気(け)ありたら、

先になりて また大きな間違ひとなるから、

洗濯々々とくどう 申してゐるのざ。

神は一時は菩薩とも現はれてゐたのざが、もう菩薩では治まらんから、愈々生神の性来現はしてバタバタにらちつけるのざぞ、

今の学ある者 大き取り 違ひいたしてゐるぞ。

大国常立尊大神と現はれて、一時は天もかまひ、地の世界は申すに及ばず、天へも昇り降りして、(モト)の(ニホン)の(カミ)の光り クッキリ現はさなならんと仰せあるぞ、

早う洗濯せんと間に合はんぞ。

この道の役員、吾は苦労して人助けるのざぞ、

その心でないと我出して吾のこと思ふてゐるとグレンざぞ。

仏もキリストも何も彼もスカリと救はねばならんのざ、

殺して救ふのと、

生かして御用に使ふのとあるぞ、

今度はハッキリ区別するのざぞ、

昔からの因縁ざぞ。

この方のもとに参りて、昔からの因縁、この先のこと克く聞いて得心出来たら、 肚の底から改心してマコトの御用結構につとめあげてくれよ。

逃げ道つくってはならんぞ、

二つ三つ道つくってはならんぞ。

ますぐに神の道に進めよ。

神の道は一筋ざと 申してあろが。

何なりとそれぞれの行せねばマコトのことは出来んのざぞ、

世界の片 八四浜辺からいよいよが始まると知らしてあること近うなりたぞ、

くどい様なれど さっぱりと洗濯してくれよ、

神の国は神のやり方でないと治まらんから今までの法度 (はっと)からコトから、

やりかたかえて、今迄はやりかた違ってゐたから、

神のお 道通りに致しますと心からお詫びせねば、

する迄 苦しむのざぞ、

この苦しみは筆に も口にもない様なことに、

臣民の心次第でなるのざから、

くどう申してゐるのざぞ、

何も彼も神にささげよ、

てんし様にささげよと申してあろがな、

それが神国の民の心 得ぞ、

否(いや)でも応(おう)でもそうなって来るのざぞ。

神国の政治経済は一つ ざと申してあろうがな、

今の臣民に判る様に申すならば、

臣民働いてとれたものは、

何でも神様にささげるのざ、

神の御社は幸でうづもれるのざぞ、

御光輝くのざぞ、

光のまちとなるのざぞ。

神からわけて下さるのざぞ、

其の人の働きによってそれぞれに 恵みのしるし下さるのざぞ、

それがお宝ぞ、

お宝 徳相当に集まるのざぞ、

キンはいらんと申してあろがな、

元の世になる迄に、

さうした事になって それからマコトの 神の世になるのざ。

神の世はマツリあるだけぞ、

それ迄にお宝下さるのざぞ、

お宝と は今のお札(さつ)の様なものざぞ。

判る様に申すなら、神の御社と臣民のお役所と 市場と合した様なものが、

一時は出来るのざぞ、

嬉し嬉しとなるのざぞ、

マコトのマ ツリの一(ハジメ)ざぞ。

このことよく肚に入れて一二三(ひふみ)として説いて、

早う上の守護人殿にも、

下の守護人殿にも知らして、

安心して、勇んで暮す様にして やりて下されよ。

それも臣民の心次第、

素直な人、早う嬉しくなりて、心勇むぞ、

さ びしくなりたら たづねて御座れと申してあろがな。

一月十三日、

の一二か三。

磐戸の巻 第13帖 (249)

使用された特殊文字 


今迄して来た事が、

成程 天地の神の心にそむいてゐると云ふこと心から分りて、

心からお詫びして改心すれば、

この先末代身魂をかまうぞ、

借銭負うてゐる身魂はこの世にはおいて貰へん事に規則定まったのざぞ、

早う皆に知らしてやれよ。

タテコワシ、

タテナホシ、

一度になるぞ、

建直しの世直し早うなるも知れんぞ、

遅れるでないぞ。

建直し急ぐぞ、

建直しとは元の世に、

神の世に返す事ざぞ、

元の世と申しても泥の海ではないのざぞ、

中々に大層な事であるのざぞ。

上下グレンと申してあることよく肚に入れて呉れよ。

三月十一日、

ひつぐの神。

キの巻 第08帖 (265)


今迄の様な大便小便 無くなるぞ。

不潔と云ふもの無き世となるのざぞ。

不潔物 無くなるのぞ。

新しき神の世となるのざから、

神々にも見当取れん光の世となるのざぞ。

七月三十一日、

あめのひつくのかみ。

夜明けの巻第06帖 (326)


此の世と申しても臣民の世ばかりでないぞ、

神の世界も引くるめて申してゐるのぢゃぞ、

勇んでやって下されよ、

勇む所 此の方 力添え致すぞ。

心配顔此の方 嫌ひぞ、

歌唄ひ下されよ、

笑ひて下されよ、

笑へば岩戸開けるぞ。

今の人民キリキリ舞しながら まだキリキリ舞する様もがいて御座るぞ。

つ千に返ると申してあろがな、

早う気付いた臣民人民楽になるぞ。

神の守護と申すものは人民からはちっとも判らんのであるぞ、

判る様な守護は低い神の守護ざぞ、

悪神の守護ざぞ、

悪神の守護でも大将の守護ともなれば人民には判らんのざぞ、

心せよ、

何んな事あっても不足申すでないぞ、

不足悪ざぞ、

皆人民の気からぞと くどう申してあろがな、

人民キから起って来たのざぞ、

我の難儀、

我が作るのざぞ、

我恨むより方法(ほか)ないぞ、

人民の心さへ定まったら、

此の方 自ら出て手柄立てさすぞ、

手柄結構ざぞ。

此の世の物一切 神の物と云ふ事まだ判らんのか、

一切取り上げられてから成程なァと判ったのではおそいから嫌がられても、

くどう同じ様な事申してゐるのざぞ、

人民の苦しみ此の方の苦しみざぞ、

人民も此の方も同じものざぞ、

此の道理判りたか、

此の方人民の中に居るのざぞ、

別辞(ことわけ)て申してゐるのざぞ。

まだまだ大き戦激しきぞ、

是で世よくなると思ってゐると大間違ひとなるのざぞ、

是からが褌(ふんどし)ざぞ、

よき世となれば褌要らんのざぞ、

フラリフラリと風に吹かれるヘチマぢゃ、

ヘチマ愉快で嬉しひなあ、

風の間に間に雨の間に間にユタリユタリと嬉しかろがな、

何も彼も嬉し真から楽しき世ざぞよ。

誠が神であるぞ、

コトが神であるぞ、

元であるぞ、

道であるぞ、

日であるぞ月であるぞ。

始めコトありと申してあろがな、

キであるぞ、

まつりであるぞ。

十二月十九日、

一二

雨の巻 第16帖 (350)

使用された特殊文字 


天地の先祖、

元の神の天詞(てんし)様が王の王と現はれなさるぞ、

王の王はタマで御現はれなされるのざぞ。

礼拝の仕方 書き知らすぞ、

節分から始めて下されよ、

先づキ整へて暫し目つむり心開きて一拝二拝八拍手せよ、

又キ整へて一二三四五六七八九十(ひとふたみよいつむゆななやここのたり)と言(こと)高くのれよ、

又キ整へてひふみ三回のれよ、

これはこれは喜びの舞、

清めの舞、

祓の歌であるぞ。

世界の臣民皆のれよ、

身も魂も一つになって、

のり歌ひ舞へよ、

身魂(みたま)全体で拍手するのざぞ、

終って又キ整へて一二三四五六七八九十、

一二三四五六七八九十百千卍(ももちよろず)と言(こと)高くのれよ、

神気整へて天(アメ)の日月の大神様弥栄ましませ弥栄ましませと祈れよ、

これは祈るのざぞ、

九二(くに)のひつくの神様 弥栄ましませ弥栄ましませと祈れよ、

終りて八拍手せよ、

次に雨の神様、

風の神様、

岩の神様、

荒の神様、

地震の神様、

百々(もも)の神様、

世の元からの生神様、

産土(うぶすな)の神様に御礼申せよ、

終りてから神々様のキ頂けよ、

キの頂き方前に知らしてあろがな、

何よりの臣民人民の生(いき)の命の糧(かて)であるぞ、

病なくなる元の元のキであるぞ、

八度繰り返せと申してあろ、

暫くこのやうに拝めよ、

神代になる迄にはまだ進むのざぞ、

それまではその様にせよ、

此の方の申す様にすればその通りになるのざぞ、

さまで苦しみなくて大峠越せるぞ、

大峠とは王統消(わうとうけ)すのざぞ。

新しき元の生命(いのち)と成るのざぞ。

神の心となれば誠判るぞ。

誠とはマとコトざぞ、

神と人民同じになれば神代ざぞ、

神は隠身(かくりみ)に、

人民 表に立ちて此の世治まるのざぞ。

雀の涙程の物 取り合ひ へし合ひ 何して御座るのぞ、

自分のものとまだ思ってゐるのか。

御恩とは五つの音の事ざぞ、

御音(恩)返さなならんのざぞ、

此の事よく考へて間違はん様にして下されよ。

此の巻は雨の巻ぞ、

次々に知らすからミタマ相当により分けて知らしてやれよ、

事分けて一二三(ひふみ)として知らしてやるのもよいぞ。

役員皆に手柄立てさしたいのぢゃ、

臣民人民皆にそれぞれに手柄立てさしたいのぢゃ、

待たれるだけ待ってゐるのぢゃ、

一人で手柄は悪ぢゃ、

分けあってやれよ、

手握りてやれよ。

石もの云ふぞ、

十六の八の四の二の一目出度や目出度やなあ。

神の仕組の世に出でにけり、

あなさやけ、

あな面白や、

五つの色の七変はり八変はり九(ここ)の十々(たりたり)て百千万(ももちよろず)の神の世弥栄。

十二月十九日、

ひつ九のかミ。

皆出てござれそれぞれにうれしうれしの御用いくらでもあたえてとらすぞ この巻かぜの巻 

ひつ九のかみ 

十二月十六日

雨の巻 第17帖 (351)


誠もの云ふ神の世の(マコトものイふカミのヨの)、

荒の巻第01帖 (377)


寄り集ふ誠一つの神の世ぞ(ヨりツドふマコトヒトつのカミのヨぞ)。

荒の巻第01帖 (377)


地獄はないのであるが、

地獄的現われは、

生前にも、生後にも、また死後にもあり得る。

しかし、それは第三者からそのように見えるのであって、

真実の地獄ではない。

大神は大歓喜であり、

人群万類の生み主であり、

大神の中に、すべてのものが生長しているためである。

死後、一先ずおかれる所は、

霊、現の中間の世界であり、

其処では中間物としての中間体をもっている。

意志のみでは力を生まない。理解のみでも進展しない。意志と、理解との結合によって弥栄する。

このことは、中間の状態、即ち、死後の最初の世界に於て、

何人もはっきりと知り得る。

しかし、生存時に於て、既に過去を精算している霊人は、

この中間世界にとどまる必要はなく、

その結果に対応した状態の霊界に、

直ちに入るのである。

精算されていないものは、

精算が終るまで、この中間世界にとどまって努力し、

精進、教育される。

その期間は五十日前後と見てよいが、

最も長いものは十五、六年から二十年位を要する。

この中間世界から天国的世界をのぞむ時は、

光明にみたされている。

故に、何人も、この世界へ進み易いのである。

また、地獄的な世界は暗黒に満たされている故に、

この世界に行く扉は閉ざされているのと同様であって、

極めて進みにくいのである。

天国には昇り易く、

地獄にはおち難いのが実状であり、

神の御意志である。

しかし、この暗黒世界を暗黒と感ぜずして進みゆくものもあるのであって、

そのものたちには、それがふさわしい世界なのである。

其所(そこ)に、はかり知れない程の大きく広い、

神の世界が展かれている。

この地獄的暗黒世界は、暗黒ではあるが、

それは比較から来る感じ方であって、

本質的に暗黒の世界はなく、

神の歓喜は限りないのである。

以上の如く、中間世界からは、

無数の道が無数の世界に通じており、

生前から生後を通じて、

思想し、行為したことの総決算の結果に現われた状態によって、それぞれの世界に通ずる道が自らにして目前にひらかれてくるのである。

否、その各々によって自分自身が進むべき道をひらき、

他の道、他の扉は一切感覚し得ないのである。

故に、迷うことなく、

自分の道を自分で進み、

その与えられた最もふさわしい世界に落ち付くのである。

他から見て、それが苦の世界、

不純な世界に見えようとも、

当の本人には楽天地なのである。

何故ならば、一の世界に住むものには、

二の世界は苦の世界となり、

二の世界に住むものには、

一の世界は また苦の世界と感覚するからであって、

何れも自ら求むる歓喜にふさわしい世界に住するようになっているのである。

また一の世界における善は、

二の世界では善でなく、

あなた 二の世界の真が一の世界に於ては真でない場合も生じてくる。

しかし、その総ての世界を通じ、

更に高きに向って進むことが、

彼等の善となるのである。

は中心であり、

大歓喜であり、

神である。

死後の世界に入る時に、

人々は先ず自分の中の物質をぬぎすてる。

生存時に於ては物質的な自分、即ち肉体、衣類、食物、住宅等が主として感覚の対象となるから、

そのものが生命し、

且つ自分自身であるかの如くに感ずるのであるが、

それは自分自身の本体ではなく、

外皮に過ぎない。

生長し、考慮し、行為するものの本体は、自分自身の奥深くに秘められた自分、即ち霊の自分である。

霊の自分は、物質世界にあっては物質の衣をつける。

故に、物質的感覚は、その衣たる物質的肉体のものなりと錯覚する場合が多いのである。

しかし、肉体をすてて霊界に入ったからと云って、

物質が不要となり、物質世界との因縁がなくなってしまうのではない。

死後といえども、物質界とは極めて密接なる関係におかれる。

何故ならば、物質界と関連なき霊界のみの霊界はなく、霊界と関連なき物質のみの物質界は、呼吸し得ないからである。

生前の霊界、生後の物質界、死後の霊界の何れもが不離の関係におかれて、

互に呼吸しあっている。

例えば、地上人は生前世界の気をうけ、

また死後の世界に通じている。

現実世界で活動しているのが、

半面に於ては生前の世界とも、

また死後の世界とも深い関連をもっており、

それらの世界に於ても、

同時に活動しているのである。

地震の巻 第17帖 (394)

使用さされた特殊文字 


此の度の岩戸開きに御用に立つ身魂ばかり選り抜きて集めて行さして御用に使ふのであるから、

他の教会とは天地の違ひであるぞ、

今度は人民の心の底まであらためて一々始末せねばならんなり、

誰によらん、今迄の様なゼイタクやめて下されよ。

せねばする様せなならんなり、

世界のハラワタ腐り切って居るのであるから愈々を致さねばならんなり、

愈々をすれば人民愈々となるから、

神がくどう気つけてゐるのざぞ。

此処へは善と悪とどんな身魂も引寄せてコネ廻し練り直す所であるから、

チットモ気緩(ゆる)しならん所であるぞ。

ここの仕組は天の仕組と地の仕組と、

カミとなりホトケとなり結び と和し雲と顕れ動き、鳴り成りてマコトの世「みろく」の代と致して、

この世を神の国と致す仕組ぢゃ。

今迄は天の神ばかり尊んで上ばかり見て居たから、

今度は地は地の神の世と致すのぢゃ、

天の神は地ではお手伝ひざと申してあろが、

下見て暮せ、

足元に気付けと申してあらうが、

皆 地の神尊び斉き祀りて弥栄ましませ。

天の教許りではならず、

地の教許りでもならず、

今迄はどちらかであったから、

時が来なかったから、

マコトがマコトと成らず、

いづれもカタワとなってゐたのざぞ、

カタワ悪ぞ、

今度上下揃ふて夫婦和して、

天と地と御三体まつりてあななひて、

末代の生きた教と光り輝くのざぞ。

八月九日、

ひつ九のかミ。

青葉の巻 第19帖 (488)

使用された特殊文字


五十黙示録 第二巻 碧玉の巻 第十帖(25)

昭和三十六年五月六日、旧三月二十二日(1961年)

(ひふみ神示 第三十二巻)(874)

岩戸しめの始めはナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時であるぞ、

ナミの神が火の神を生んで黄泉国に入られたのが、そもそもであるぞ、

十の卵を八つ生んで二つ残して行かれたのであるぞ、

十二の卵を十生んだことにもなるのであるぞ、

五つの卵を四つ生んだとも言へるのであるぞ、

総て神界のこと、霊界のことは、

現界から見れば妙なことであるなれど、

それでちゃんと道にはまってゐるのであるぞ。

一ヒネリしてあるのぢゃ、

天と地との間に大きレンズがあると思へば段々に判りてくるぞ。

夫神、妻神、別れ別れになったから、

一方的となったから、

岩戸がしめられたのである道理、

判るであろうがな。

その後、独り神となられた夫神が三神をはじめ、

色々なものをお生みになったのであるが、

それが一方的であることは申す迄もないことであろう、

妻神も同様、黄泉大神となられて、

黄泉国の総てを生み育て給ふたのであるぞ、

この夫婦神が、時めぐり来て、

千引の岩戸をひらかれて相抱き給う時節来たのであるぞ、

うれしうれしの時代となって来たのであるぞ。

同じ名の神が到るところに現はれて来るのざぞ、

名は同じでも、はたらきは逆なのであるぞ、

この二つがそろうて、三つとなるのぞ、

三が道ぞと知らせてあろうがな。

時来たりなば この千引の岩戸を倶にひらかんと申してあろうがな。

次の岩戸しめは天照大神の時ぞ、

大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、

ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞと知らせてあろう。

いよいよとなって

マコトの天照大神、

天照皇大神、

日の大神、

揃ふてお出まし近うなって来たぞ。

次の岩戸しめは素盞鳴命に総ての罪をきせてネの国に追ひやった時であるぞ、

素盞鳴命は天下(あめがした)を治しめす御役(おんやく)の神であるぞ。

天ヶ下(あめがした)は重きもののつもりて固まりたものであるから ツミと見へるのであって、

よろづの天の神々が積もる(と言ふ)ツミ(積)をよく 理解せずして罪神と誤って了ったので、

これが正しく岩戸しめであったぞ、

命(みこと)をアラブル神なりと申して伝へてゐるなれど、

アラブル神とは粗暴な神ではないぞ、

あばれ廻り、こわし廻る神ではないぞ、

アラフル(現生る)神あるぞ、

天ヶ下、大国土を守り育て給う神であるぞ、

取違ひしてゐて申しわけあるまいがな。

このことよく理解出来ねば、今度の大峠は越せんぞ。

絶対の御力を発揮し給ふ、

ナギ、ナミ両神が、

天ヶ下を治らす御役目を命じられてお生みなされた尊き御神であるぞ。

素盞鳴の命にも二通りあるぞ、

一神で生み給へる御神と、

夫婦呼吸を合せて生み給へる御神と二通りあるぞ、

間違へてはならんことぞ。

神武天皇の岩戸しめは、

御自ら人皇を名乗り給ふより他に道なき迄の御働きをなされたからであるぞ。

神の世から人の世への移り変りの事柄を、

一応、岩戸にかくして神ヤマトイハレ彦命として、

人皇として立たれたのであるから、

大きな岩戸しめの一つであるぞ。

仏教の渡来までは、

わずかながらもマコトの神道の光がさしてゐたのであるなれど、

仏教と共に仏魔わたり来て完全に岩戸がしめられて、

クラヤミの世となったのであるぞ、

その後はもう乱れほうだい、

やりほうだいの世となったのであるぞ、

これが五度目の大き岩戸しめであるぞ。



海外旅行保険の加入はコチラ! 給料前でお金がない・・ 生命保険の切り替えはココ
[PR] | 店舗デザイン監視カメラ浦和熊谷木更津新橋中国SEO対策消費者金融車 買取テンプレート沖縄旅行免許合宿二輪引越しプレゼントゴルフ会員権留学レーシックマッサージFXアフィリエイトFXホームページ制作デイトレードハワイ旅行タイバンコクハワイ レンタカーベスト ハワイ ホテル レーツバリ島Hawaii hotelsHawaii Activitiesbhhrハワイホテルテキスト広告
【運営会社「パラダイムシフト」サービス】 ハワイ現地オプショナルツアーリラックマ) - ビジネスクラス航空券 - 格安航空券(1) - 格安航空券(2) - 海外ホテル - 韓国旅行 - タイムシェア - ホテル 予約
無料ホームページ - 携帯ホームページ - 無料ホームページ作成 - レンタルサーバー - ブログ - ヴィラ - ハワイ コンドミニアム - バリ島 ホテル - プーケット ホテル - レップチェッカー - 海外旅行 - 国際電話 - ホノルルマラソン - 掲示板監視 - 誹謗中傷 - 宿泊料金比較 - ノースウェスト 航空券 - 旅館