けもの” “獣” “けだもの” “ケダモノ”で抽出
|
|---|
jula です。 “けもの” “獣” “けだもの” “ケダモノ” などで抽出しました。 誰でもけものの部分は何らかあるのではないかと思います。 それ故掃除、洗濯、御魂磨きがしつこく書かれているようです。 一方けものは本来の獣に戻す、収めるようですね。 どうも“けもの”の烙印を押されてしまうようにも読めます。 押されたらそこからやり直し。 では、人の姿形をしながら、 “けもの”そのものとして事にあたっているのはどいつら?
|
昭和十九年七月十八日、旧五月二十八日(1944年) けものさへ神のみ旨に息せるを神を罵る民のさわなる。 草木さへ神の心に従ってゐるではないか、 神のむねにそれぞれに生きてゐるでないか、 あの姿に早う返りて呉れよ、 青人草と申すのは草木の心の民のことぞ。 道は自分で歩めよ、 御用は自分でつとめよ、 人がさして呉れるのでないぞ、 自分で御用するのぞ、 道は自分で開くのぞ、 人頼りてはならんぞ。 七月の十八日、 ひつくのか三。
|
神々様にも知らせなならんから、 なかなか大層と申すのぞ。 一二三(ひふみ)の仕組とは、 永遠(とは)に動かぬ道のことぞ、 三四五(みよいづ)の仕組とは、 みよいづの仕組ぞ、 御代出づとは神の御代になることぞ、 この世を神の国にねり上げることぞ、 神祀りたら三四五の御用にかかるから、 その積りで用意して置いて呉れよ。 この神は世界中の神と臣民と、 けだものも草木もかまはねばならんのざから、 御役いくらでもあるぞ。 神様と臣民 同じ数だけあるぞ。 それぞれに神つけるから、 早う身魂みがいて呉れよ、 みがけただけの神をつけて、 天晴れ後の世に残る手柄立てさすぞ。 小さいことはそれぞれの神にきいて呉れよ、 一人ひとり、何でもききたいことは、 病直すことも、それぞれの神がするから、 サニワでお告うけて呉れよ、 この方の家来の神が知らせるから何でもきけよ。 病も直してやるぞ、 その神たよりたなら、 身魂みがけただけの神徳あるぞ。 この世始まってない今度の岩戸開きざから、 これからがいよいよぞ。 飛んだところに飛んだこと出来るぞ。 それはみな神がさしてあるのざから、 よく気つけて居れば、 さきの事もよく分かるようになるぞ。 元の神代に返すと申すのは喩へでないぞ。 七から八から九から十から神烈しくなるぞ、 臣民の思う通りにはなるまいがな、 それは逆立してゐるからぞ。 世界一度にキの国にかかりて来るから、 一時は潰れたやうに、 もうかなはんと云ふところまでになるから、 神はこの世に居らんと臣民申すところまで、 むごいことになるから、 外国が勝ちたやうに見える時が来たら、 神の代近づいたのぞ、 いよいよとなりて来ねば分らん様では御用出来んぞ。 七月の二十日、 ひつ九のか三。 下つ巻 第14帖 (056)
|
神々様には分って居れど、 世界ところどころにその事知らし告げる神柱あるなれど、 最後のことは 九(こ)の神でないと分らんぞ。 この方は天地をキレイに掃除して天の大神様にお目にかけねば済まぬ御役であるから、 神の国の臣民は神の申す様にして、 天地を掃除して てんし様に奉らなならん御役ぞ。 江戸に神早う祀りて呉れよ、 仕組通りにさすのであるから、 臣民 我を去りて呉れよ。 この方祀るのは天(あめ)のひつくの家ぞ、 祀りて秋立ちたら、 神いよいよ烈しく、 臣民の性来(しょうらい)によって、 臣民の中に神と獣とハッキリ区別せねばならんことになりて来たぞ、 神急けるぞ。 七月の三十日、 ひつ九のか三。 下つ巻 第23帖 (065)
|
なかなかそんなチョロッコイことではないぞ、 今度の戦で埒つく位なら、臣民でも致すぞ。 今に戦も出来ない、動くことも引くことも、進むことも何うすることも出来んことになりて、 臣民は神がこの世にないものといふ様になるぞ、 それからが、いよいよ正念場ぞ、 まことの神の民と獣とをハッキリするのはそれからぞ。 戦出来る間はまだ神の申すこときかんぞ、 戦出来ぬ様になりて、 始めて分かるのぞ、 神の申すこと、ちっとも違はんぞ、 間違ひのことなら、こんなにくどうは申さんぞ。 神は気(け)もない時から知らしてあるから、 いつ岩戸が開けるかと云ふことも、この神示(ふで)よく読めば分かる様にしてあるのぞ、 改心が第一ぞ。 七月の三十日、 ひつくのか三のふで。 下つ巻 第25帖 (067)
|
昭和十九年八月十三日、 旧六月二十五日(1944年) 一二三(ひふみ)の仕組が済みたら三四五(みよいづ)の仕組ぞと申してありたが、世の本の仕組は三四五の仕組から五六七(みろく)の仕組となるのぞ、 五六七の仕組とは弥勒(みろく)の仕組のことぞ、 獣と臣民とハッキリ判りたら、それぞれの本性出すのぞ、 今度は万劫末代のことぞ、 気の毒出来るから洗濯大切と申してあるのぞ。 今度お役きまりたら そのままいつまでも続くのざから、 臣民よくこの神示(ふで)よみておいて呉れよ。 八月十三日、
![]()
使用された特殊文字
|
天つ国三つ、地(つち)の国三つ、 その間に一つ、 天国が上中下の三段、 地国も上中下の三段、 中界(ちうかい)の七つぞ、 その一つ一つがまた七つに分かれてゐるのぞ、 その一つがまた七つずつに分れてゐるぞ。 今の世は地獄の二段目ぞ、 まだ一段下あるぞ、 一度はそこまで下がるのぞ、 今一苦労あると、くどう申してあることは、 そこまで落ちることぞ、 地獄の三段目まで落ちたら、 もう人の住めん所ざから、悪魔と神ばかりの世にばかりなるのぞ。 この世は人間にまかしてゐるのざから、 人間の心次第ぞ、 しかし今の臣民のやうな腐った臣民ではないぞ、 いつも神かかりてゐる臣民ぞ、 神かかりと直ぐ分かる神かかりではなく、 腹の底にシックリと神鎮まってゐる臣民ぞ、 それが人間の誠の姿ぞ。 いよいよ地獄の三段目に入るから、 その覚悟でゐて呉れよ、 地獄の三段目に入ることの表(おもて)は一番の天国に通ずることぞ、 神のまことの姿と悪の見られんさまと、 ハッキリ出て来るのぞ、 神と獣と分けると申してあるのはこのことぞ。 何事も洗濯第一。
八月の十八日、 富士の巻 第09帖 (089)
|
昭和十九年八月二十六日、 旧七月八日(1944年) 神世のひみつと知らしてあるが、 いよいよとなりたら地震かみなりばかりでないぞ、 臣民アフンとして、これは何とした事ぞと、 口あいたまま何うすることも出来んことになるのぞ、 四ツン這ひになりて着る物もなく、獣となりて、 這ひ廻る人と、空飛ぶやうな人と、 二つにハッキリ分かりて来るぞ、 獣は獣の性来いよいよ出すのぞ、 火と水の災難が何んなに恐ろしいか、 今度は大なり小なり知らさなならんことになりたぞ。 一時は天も地も一つにまぜまぜにするのざから、 人一人も生きては居れんのざぞ、 それが済んでから、 身魂みがけた臣民ばかり、 神が拾ひ上げて弥勒(みろく)の世の臣民とするのぞ、 どこへ逃げても逃げ所ないと申してあろがな、 高い所から水流れるやうに時に従ひて居れよ、 いざといふときには神が知らして一時は天界へ釣り上げる臣民もあるのざぞ。 人間の戦や獣の喧嘩位では何も出来んぞ、 くどう気附けておくぞ、 何よりも改心が第一ぞ。 八月の二十六日、
![]()
使用された特殊文字
|
昭和十九年八月三十一日、 旧七月十三日(1944年) 天つ巻 第05帖 (112) 牛の喰べ物たべると牛の様になるぞ、 猿は猿、虎は虎となるのざぞ。 臣民の喰べ物は定まってゐるのざぞ、 いよいよとなりて何でも喰べねばならぬやうになりたら虎は虎となるぞ、 獣と神とが分れると申してあろがな、 縁ある臣民に知らせておけよ、 日本中に知らせておけよ、 世界の臣民に知らせてやれよ、獣の喰ひ物くふ時には、 一度 神に献げてからにせよ、 神から頂けよ、 さうすれば神の喰べ物となって、 何たべても大じょうぶになるのぞ、 何もかも神に献げてからと申してあることの道理よく分りたであろがな、 神に献げきらぬと獣になるのぞ、 神がするのではないぞ、 自分がなるのぞと申してあることも、 よく分ったであろがな、 くどう申すぞ、 八から九から十から百から千から万から何が出るか分らんから神に献げな生きて行けん様になるのざが、 悪魔にみいられてゐる人間いよいよ気の毒出来るのざぞ。 八月の三十一日、 ひつくのか三。
|
昭和十九年八月九日、 旧六月二十一日(1944年) 天つ巻 第22帖 (129) 十柱の世の元からの活神様 御活動になりてゐること分りたであろうがな、 けものの入れものには分るまいなれど、 神の臣民にはよく分りてゐる筈ぞ。 まだだんだんに烈しくなりて外国の臣民にも分る様になりて来るのざぞ。 その時になりて分りたのではおそいおそい、 早う洗濯いたして呉れよ。 八月の九日、 ひつ九のか三。
|
昭和十九年九月二十三日、 旧八月七日(1944年) 地つ巻 第13帖 (150) 赤い眼鏡かければ赤く見えると思うてゐるが、 それは相手が白いときばかりぞ、 青いものは紫にうつるぞ。 今の世は色とりどり眼鏡とりどりざから見当とれんことになるのざぞ、 眼鏡はづすに限るのぞ、 眼鏡はづすとは洗濯することざぞ。 上ばかりよくてもならず、 下ばかりよくてもならんぞ。 上も下も天地そろうてよくなりて世界中の臣民、 けものまで安心して暮らせる新(あら)の世に致すのざぞ、 取り違へするなよ。 九月二十三日、
一二
![]()
使用された特殊文字
|
昭和十九年十月七日、 旧八月二十一日(1944年) 地つ巻 第30帖 (167) 一度に立替へすると世界が大変が起るから、 延ばし延ばしてゐるのざぞ、 目覚めぬと末代の気の毒できるぞ。 国取られた臣民、どんなにむごいことになりても何も言ふこと出来ず、 同じ神の子でありながら余りにもひどいやり方、 けものよりもむごいことになるのが、 よく分りてゐるから、 神が表に出て世界中救ふのであるぞ、 この神示腹に入れると神力出るのざぞ、 疑ふ臣民沢山あるが気の毒ざぞ。 一通りはいやがる臣民にもこの神示一二三(ひふみ)として読むやうに上の人してやりて下されよ。 生命あるうちに神の国のこと知らずに死んでから神の国に行くことは出来んぞ、 神の力でないと、 もう世の中は何うにも動かんやうになってゐること、 上の番頭どの分かりて居らうがな、 何うにもならんと知りつつ まだ智や学にすがりてゐるやうでは上の人とは申されんぞ、 智や学越えて神の力にまつはれよ、 お土拝みて米作る百姓さんが神のまことの民ぞ、 神おろがみて神示取れよ、 神のない世とだんだんなりておろがな。 真通(まつ)ることは生かす事ぞ。 生かす事は能(はたら)かす事ぞ。 神の国には何でもないものないのざぞ、 神の御用なら何でも出て来る結構な国ぞ、 何もなくなるのは やり方わるいのぞ、 神の心に添はんのぞ。
十月七日、一二
![]()
使用された特殊文字
|
昭和十九年十月十一日、 旧八月二十五日(1944年) 地つ巻 第36帖 (173) 二二は晴れたり日本晴れ、 てんし様が富士(二二)から世界中にみいづされる時近づいたぞ。 富士は火の山、火の元の山で、 汚してならん御山ざから臣民登れんやうになるぞ、 神の臣民と獣と立て別けると申してあろうが、 世の態(さま)見て早う改心して身魂洗濯致して神の御用つとめて呉れよ。 大き声せんでも静かに一言いえば分る臣民、 一いへば十知る臣民でないと、 まことの御用はつとまらんぞ、 今にだんだんにせまりて来ると、 この方の神示(ふで)あてにならん だまされてゐたと申す人も出て来るぞ、 よくこの神示読んで神の仕組、心に入れて、 息吹として言葉として世界きよめて呉れよ。 分らんと申すのは神示読んでゐないしるしぞ、 身魂 芯(しん)から光り出したら人も神も同じことになるのぞ、 それがまことの臣民と申してあらうがな、 山から野(ぬ)から川から海から何が起っても神は知らんぞ、 みな臣民の心からぞ、 改心せよ、 掃除せよ、 洗濯せよ、 雲霧はらひて呉れよ、 み光出ぬ様にしてゐてそれでよいのか、 気つかんと痛い目にあふのざぞ、 誰れかれの別ないと申してあらうがな。 いづれは天(アメ)の日つくの神様 御かかりになるぞ、 おそし早しはあるぞ、 この神様の御神示は烈しきぞ、 早う身魂みがかねば御かかりおそいのざぞ、 よくとことん掃除せねば御かかり六ヶしいぞ、 役員も気つけて呉れよ、 御役ご苦労ぞ、 その代り御役すみたら二二晴れるぞ。 十月十一日、 一二か三。
|
昭和十九年十月十七日、 旧九月一日(1944年) 富士は晴れたり日本晴れ。 の巻 書き知らすぞ。 此の世に自分の物と云ふ物は何一つないのであるぞ。 早う自分からお返しした者から楽になるのざぞ。 今度の大洗濯は三つの大洗濯が一度になって居るのざから、 見当取れんのざぞ。 神の国の洗濯と外国の洗濯と世界ひっくるめた洗濯と一度になってゐるのざから、 そのつもりで少しでも神の御用務めて呉れよ。 此れからがいよいよの正念場と申してあろがな。 今はまだまだ一の幕で、 せんぐり出て来るのざぞ。 我(が)出したら判らなくなるぞ、 てんし様おがめよ、 てんし様まつりて呉れよ、 臣民 無理と思ふ事も無理でない事 沢山にあるのざぞ、 神はいよいよの仕組にかかったと申してあろがな。 毀(こわ)すのでないぞ、 練り直すのざぞ。 世界を摺鉢(すりばち)に入れて捏(こ)ね廻し、 練り直すのざぞ。 日本の中に騒動起るぞ。 神の臣民 気つけて呉れよ。 日本も神と獣に分れているのざから、 いやでも応でも騒動となるのざぞ。 小さくしたいなれど。 旧九月一日、 ひつくのか三。
|
まだまだ激しくなって何うしたらよいか分らなくなり、 あちらへうろうろ、 こちらへうろうろ、 頼る処も着るものも住む家も食ふ物も無くなる世に迫って来るのざぞ。 それぞれにめぐりだけの事はせなならんのであるぞ、 早い改心はその日から持ちきれない程の神徳与へて喜悦(うれ)し喜悦(うれ)しにしてやるぞ、 寂しくなりたら訪ねて御座れと申してあろがな、 洗濯次第で何んな神徳でもやるぞ、 神は御蔭やりたくてうづうづしてゐるのざぞ、 今の世の様見ても未だ会得らんか。 神と獣とに分けると申してあろが、 早う此の神示(ふで)読み聞かせて一人でも多く救けて呉れよ。 十二月十二日、 ひつ九のか三。 日の出の巻 第12帖 (225)
|
一(ひ)は始めなき始であるぞ、 ケは終りなき終りであるぞ、 神の能(はたらき)が一二三であるぞ、 始なく終なく弥栄の中今(なかいま)ぞ。 一二三は神の息吹であるぞ、 一二三唱えよ、 神人共に一二三唱へて岩戸開けるのざぞ、 一二三にとけよ、 一二三と息せよ、 一二三着よ、 一二三食(お)せよ、 始め一二三あり、 一二三は神ぞ、 一二三は道ぞ、 一二三は祓ひ清めぞ、 祓ひ清めとは弥栄ぞ、 神の息ぞ、 てんし様の息ぞ、 臣民の息ぞ、 けもの、草木の息ぞ。 一であるぞ、 二であるぞ、 三であるぞ、 ケであるぞ、 レであるぞ、 ホであるぞ、
皆の者に一二三唱へさせよ、 五柱 御働きぞ、 八柱 十柱 御働きぞ、 五十連(いつら)ぞ、 意露波(いろは)ぞ、 判りたか。 三月十四日、 ひつ九ノか三。 キの巻 第11帖 (268)
![]()
使用さされた特殊文字 |
いよいよ岩戸開けるぞ。 お山開きまこと結構。 松の国 松の御代となるぞ。 旧九月八日から大祓ひのりとに天津祝詞の太のりと「一二三(ひふ み)のりとコト」入れてのれよ。 忘れずにのれよ。 その日からいよいよ神は神、 けものはけものとなるぞ。 江戸道場やめるでないぞ、 お山へ移してよいぞ、 役員一度やめてよいぞ。 またつとめてよいぞ。 めぐりあるから心配あるのぞ。 めぐり無くなれば心配なくなるぞ。 心配ないのが富士は晴れたりぞ、 富士晴れ結構ぞ。 日津久の御民 何時も富士晴れ心でおりて下されよ。 肉体ちっとの間であるが、 魂は限りなく栄へるのざぞ。 金に難渋して負けぬ様にして下されよ。 金 馬鹿にしてはならんぞ。 あせるでないぞ。 あせると心配事出来るぞ。 神が仕組みてあること、 臣民がしようとて出来はせんぞ。 細工はりうりう滅多に間違ひないのざぞ。 見物して御座れ、見事して見せるぞ。 不和の家、不調和(ふわ)の国のささげもの神は要らんぞ。 喜びの捧げもの米一粒でもよいぞ。 神はうれしいぞ。 旧九月八日とどめぞ。 六月二日、 みづのひつ九のか三。 水の巻 第09帖 (283)
|
云ふた事 必ず行はねばならんぞ。 天から声あるぞ、 地から声あるぞ。 身魂磨けばよくわかるのざぞ。 旧九月八日までにきれいに掃除しておけよ。 残る心 獣ぞ。 神とならば、食ふ事も着る事も住む家も心配なくなるぞ。 日本晴れとはその事ざぞ。 六月十九日、 あめのひつ九のかみ。 松の巻 第03帖 (294)
|
幽界(がいこく)身魂は幽界(がいこく)行き。 一寸の住むお土も神国にはないのざぞ。 渡れん者が渡りて穢して仕舞ふてゐるぞ。 日本の人民、大和魂 何処にあるのざ、 大和魂とは神と人と解け合った姿ぞ。 戦いよいよ烈しくなると、 日本の兵隊さんも、これは叶はんと云ふ事になり、 神は此の世にいまさんと云ふ事になって来るぞ。 それでどうにもこうにもならん事になるから、 早よう神にすがれと申してゐるのぞ。 誠ですがれば、その日からよくなるぞ、 神力現れるぞ。 今度の建替は、此の世 初まってない事であるから、 戦ばかりで建替出来んぞ。 世界隅々まで掃除するのであるから、 どの家もどの家も、 身魂も身魂も隅々まで生き神が改めるのざから、 辛い人民 沢山出来るぞ。 ミタマの神がいくら我張っても、人民に移っても、 今度は何も出来はせんぞ。 世の元からの生神でない事には出来ないのであるぞ。 それで素直に言ふ事聞けとくどう申すのぞ、 今度は神の道もさっぱりとつくりかへるのざぞ。 臣民の道は固(もと)より、獣の道もつくりかへぞ。 戦の手伝い位 誰でも出来るが、 今度の御用はなかなかにむつかしいぞ。 赤いものが赤い中にゐると色無いと思ふのぞ、 気付けて呉れよ。 悪神の守護となれば自分で正しいと思ふ事、 悪となるのざぞ。 悪も改心すれば助けてやるぞ。 海の御守護は竜宮のおとひめ様ぞ。 海の兵隊さん竜宮のおとひめ殿まつり呉れよ。 まつわり呉れよ。 竜宮のおとひめ殿の御守護ないと、海の戦は、けりつかんぞ。 朝日照る夕日たださす所に宝いけておいてあるぞ。 宝 愈々世に出るぞ。 人民の改心第一ぞ。 顔は今日でも変るぞ。 民の改心なかなかぞ。 六月二十三日、 アメのひつ九のかみ。 松の巻 第08帖(299)
|
サの神と現はれるぞ、 タの神と現はれるぞ、 ナの神と現はれるぞ、 ハマの神と現はれるぞ。 ヤラワの神と現われたら、 人間 眼明けて居れん事になるぞ、 さあ今の内に神徳積んでおかんと八分通りは獣の人民となるのざから、 二股膏薬ではキリキリ舞するぞ、 キリキリ二股多いぞ。 獣となれば、同胞(はらから)食ふ事あるぞ。 気付けておくぞ。 七月二十九日、 あめのひつくのかみ。 夜明けの巻 第04帖 (324)
|
一分一厘、力一杯、違はんこと書かしてあるのぢゃ。 色眼鏡で見るから、 違ったことに見えるのぢゃ。 神示、嘘ぢゃと申すやうになるのぞ。 眼鏡外して、落ち付いてみて、 ハラで見て下されよ。 世の先々のことまで はっきりと写るぞ。 そなたの心の中にゐる獣(ケダモノ)、 言向けねばならん。 善きに導かねばならん。 一生かかってもよいぞ。 それが天国に行く鍵であるぞ。 マコトの改心であるぞ。 智慧と、愛が主の座に居らねばならん。 物は愛から生れるぞ。 ウムものがもとぢゃ。 生まれるものはナルのぢゃ。 ナルには智慧でなるのぢゃぞ。 (一月三日)
|
神の為と念じつつやれば神のためとなる。 小さい行為でも霊的には大きはたらきするのぢゃ。 自分と云ふことが強くなるから発展ないのぢゃ。 行き止まるのぢゃ。 われよしとなるのぢゃ。 調和が神の現れであるぞ。 霊と調和せよ。 肉体と調和せよ。 人と調和せよ。 食物、住居と調和せよ。 世界と調和せよ。 うれしうれしぞ。 一生かかってもよいぞ。 おそくないのぢゃ。 自分の中のケダモノのため直しにかからねばならん。 悪いくせ直さねばならん。 これが第一歩、土台ぢゃぞよ。 よきことは 人にゆづりて 人をほめ 人たてるこそ 人の人なる。 敬愛の まこと心に まことのり まこと行ふ 人ぞ人なる。 (春立つ日、ひつく神) 春の巻 第35帖 (692)
|
遠慮いらん。 そなたは一足飛びに二階に上がりたい気持がぬけない。 何事も一段ずつ、一歩づつ進まねばならん。 それより他に進み方はないのぢゃぞ。 先づそなたの中にゐるけだものを言向け合さねばならんぞ。 よく話し、教へ、導かねばならん。 けものを人間と同じにしようとしてはならん。 けものはけものとして導かねばならん。 金は金。 鉛は鉛ぞ。 鉛を金にしようとしてはならん。 鉛は鉛として磨かねばならんぞ。 浄化とはそのこと。 世は七度の大変り、いよいよの段階に入ったら、何が何だか、われよしの人民にはいよいよ判らなくなり、あせればあせる程ふかみに落ち込むぞ。 心の窓を大きくひらいて、小さい我の慾をすてると、遠くが見えてくるのぢゃ。 見えたら先づ自分の周囲に知らせねばならん。 知らすことによって次の道がひらけてくるのぢゃ。 自分だけではうれしうれしとならん。 うれしくないものは弥栄しないぞ。 冬になったら冬ごもりぞ。 死ぬ時には死ぬのが弥栄ぞ。 遊ぶ時は遊ぶがよいぞ。 コト=言(光透)と、時と、その順序さへ心得て御座れば、何をしても、何を話しても、何を考へてもよいのぢゃ。 月光の巻 第40帖 (827)
|
![]()
|
![]() |
![]() |
|
|||
|
|