おしゃべりサルさんの怖い体験談
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もしも 災害から逃れる為に 住んでいる土地を離れるよう移動を警告され、 いったいどれだけの人がそれに従う事ができるだろう? 今まで築きあげて来た、全てを捨てて、長年住んでいる土地を捨てて 新しい場所に移る事がすぐに決断できるだろうか? ぎりぎりになって警告され、迅速に行動に移せる人がどれだけいるかな? 兆候が現れ始めたらば、自分の中で早めに決断し、ある程度準備しておいた方が 行動に移し易いだろうな。 素直に天使の導きに従う事が出来るか それとも同じパターンの今の生活を望み、自我で天使の導きを否定してしまうか。 米国のハリケーンで被災し、全てを失い困り果てている人たちを見てて、 自国の将来の事を考えると他人(ひと)ごとのように思えませんでした。 事が起こったとはいえ、獣にだけはなりたくないです。 略奪・物資のいさかい…困難で大変なのはよく分かりますが、悲しい光景です。 私は生命に対する執着も、もしかしたら最後は捨てなくてはいけないのかもしれないなと考えています。 多分その為にデモを何度かさせられたんだなと自分の体験を振り返って見たりします。 生命に対する執着を捨てるといっても、無気力に生きる、あきらめて生きるという事ではないですよ。 言葉だけでニュアンスを伝える事は何だか難しいですね。 体験した事のある方はなんとなく言いたい事が分かるとおもいます。 さるのこわごわ体験談の一つを恥ずかしながら言うならば、 事故の体験ですが、対向車がセンターラインを割り、正面衝突され、車がぐるぐる回転し、自力ではどうにもならず、正面前方からもう一台車が真近に迫り、死という物を覚悟した瞬間の心…流れに逆らわない、すべてを神(自分を生かしてくれている大本の存在。けしてキリスト・仏陀のような人神ではない)に御委ねしますと、心で言ってました。 車はお釈迦(まだ購入後2年たってなかったのに。おまけに相手がブラジル人で、知らぬ存ぜぬで、罪を認めず、「獣」め…まったく賠償無かった;;)ですが、体は無事。 この時の感覚は生命に対する執着が無い状態だったなと思います。 助けてという気持ちは無かったような記憶があります。 しかし! この後異様に怖がりに成ってしまい、かえって執着するようになってしまいました。 でもこれは、こういった体験をして、自分の課題に気が付いてゆくプロセスなんだろうと今は思えます。 生命に対する執着、これが克服できるまで何度でも試させられるんでしょう。 でも、試させられるより、自分で挑んだ方が自覚出来ていいかもなと考えてます。 楽しみながら挑む事が出来れば一番いいんですが、なかなかに難しそうです(^^)。
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おしゃべりサルさん、こわ〜い体験をされたんですね。 読んでいるだけで、その場の緊迫感が伝わってきました。 サイトに関連される方は、今までに、2.3度は、命拾いした体験をされているようです。
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