“三千”“五千”“千”で 検索・抽出
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jula です。 五千関連での考察となっているようですので関連しそうな帖を抽出します。 “三千” “五千” “千で” 但し“三千”は63帖程度Hitしてしまうので三千世界、三千年以外の三と千を含む帖の みとします。
松の巻 第17帖 (308) 雨の巻 第12帖 (346) 白銀の巻 第01帖 (612) 月光の巻 第08帖 (795) 扶桑の巻 第01帖(850) 碧玉の巻 第05帖(869)
雨の巻 第14帖 (348)
松の巻 第17帖 (308) 黄金の巻 第063帖 (574) 白銀の巻 第01帖 (612) 黒鉄の巻 第30帖 (648) 月光の巻 第08帖 (795) 碧玉の巻 第05帖(869)
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五千
キリスト祀れ。 マホメット祀れ。 カイの奥山は五千の山に祀り呉れよ。 七月の十と二日に天晴れ祀りて呉れよ。 愈々富士晴れるぞ。 今の人民よいと思ってゐる事、間違ひだらけざぞ。 此処までよくも曇りなされたな。 二の山 三の山 四の山に祀り呉 れよ。 まだまだ祀る神様あるぞ。 七月二日、 あめのひつぐのかみ。 松の巻 第17帖 (308)
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肚の掃除なかなか出来んぞ、 道広める者から早う掃除まだまだであるぞ、 今度 神から見放されたら末代浮ぶ瀬ないぞ。 食ひ物大切に家の中キチンとしておくのがカイの御用ざぞ、 初めの行ざぞ。 出て来ねば判らん様では、それは神力無いのぞ、 軽き輩(やから)ぢゃぞ、 それで神示読めとくどう申してゐるのざぞ、 神の申す事 誠ざと思ひながら出来んのは守護神が未だ悪神の息から放れてゐぬ証拠ざぞ、 息とは初のキであるぞ、 気であるぞ。 悪神は如何様にでも変化(へんげ)るから、 悪に玩具にされてゐる臣民人民 可哀想なから、 此の神示読んで言霊高く読み上げて悪のキ絶ちて下されよ、 今の内に神示じっくりと読んで肚に入れて高天原となっておりて下されよ。 未だ未だ忙しくなって神示読む間もない様になって来るのざから くどう申してゐるのざぞ、 悪魔に邪魔されて神示読む気力も無くなる臣民 沢山出て来るから気付けておくのざ。 まだまだ人民には見当取れん妙な事が次から次にと湧いて来るから、 妙な事 此の方がさしてゐるのざから、 神の臣民 心配ないなれど、 さうなった神の臣民 未だ未だであろがな、 掃除される臣民には掃除する神の心判らんから妙に見えるのも道理ぢゃ。 天の様子も変りて来るぞ。 何事にもキリと云ふ事あるぞ、 臣民 可哀想と申してもキリあるぞ、 キリキリ気付けて下され、 人に云ふてもらっての改心では役に立たんぞ、 我と心から改心致されよ、 我でやらうと思ってもやれないのざぞ、 それでも我でやって鼻ポキンポキンか、 さうならねば人民得心出来んから やりたい者はやって見るのもよいぞ、 やって見て得心改心致されよ、 今度は鬼でも蛇(ぢゃ)でも改心さすのであるぞ。 これまでは夜の守護であったが、 愈々日の出の守護と相成ったから物事誤魔化しきかんのぞ、 まことの人よ、よく神示見て下され、 裏の裏まで見て下され、 神国の誠の因縁判らいで、 三千年や五千年の近目ではスコタンぞ、と申してあろがな、 天四天下平げて、誠の神国に、世界神国に致すのざぞ、 世界は神の国、 神の国 真中の国は十万や二十万年の昔からでないぞ、 世の元からの誠一つの神の事判らな益人とは申されんぞ、 神の申すこと一言半句も間違ひないのざぞ。 人民は其の心通りに写るから、 小さく取るから物事判らんのさぞ、 間違ひだらけとなるのざ、 人民が楽に行ける道作りて教へてやってゐるのに、 我出すから苦しんでゐるのざ、 神が苦しめてゐるのでないぞ、 人民 自分で苦しんでゐるのざと申してあろがな。 十二月七日、 七つ九のか三神示。 雨の巻 第12帖 (346)
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神の御用は、神のみこと(命(実言))のままでなくては成就せん。 皆々釈迦ぞ、キリストぞ。 もっと大き計画もちて御座れ。 着手は出来る処からぞ。 つかめる所から神をつかめよ。 部分からつくり上げなされよ。 我出してはならん。 そなたはそれでいつもしくじってゐるでないか。 天狗ではならん。 心出来たら足場固めねばならん。 神の足場は人ぢゃ。 三千の足場、 五千の足場。
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日( この巻 扶桑(二三)の巻、 つづく六の巻を合せて七の巻一百四十四帖の黙示を五十黙示と申せよ。 イシもの言ふぞと申してありたが、 イセにはモノ言ふイシがあると昔から知らしてあろうがな、 五の一四(イシ)がもの言ふのであるぞ、 ひらけば五十となり、 五百となり、 五千となる。 握れば元の五となる、 五本の指のように一と四であるぞ、 このほうを五千の山にまつれと申してあろうが、 これがイチラ(五千連)ぞ、 五十連(イツラ)ぞ、判りたか、 五十連 世に出るぞ。 天に神の座あるように、 地には人民の座があるぞ、 天にも人民の座があるぞ、 地に神の座があるぞ。 七の印(しるし)と申してあるぞ、七とはモノのなることぞ、 天は三であり、 地は四であると今迄は説かせてあったなれど愈々時節到来して、 天の数二百十六、地の数一百四十四となりなり、 伊邪那岐三となり、 伊邪那美二となりなりて、 ミトノマグハイして五となるのであるぞ、 五は三百六十であるぞ、 天の中の元のあり方であるぞ、 七の燈台は十の燈台となり出づる時となったぞ、 天は数ぞと申してあろう、 地はいろは(意露波)であるぞ。 判らん者が上に立つこととなるぞ、 大グレン目の前、 日本のみのことでないぞ、 世界中のことであるぞ、 今度は三千世界が変るのであるから今迄のようなタテカヘではないのであるぞ。 何も彼も鏡にうつるのであるぞ。 鏡が御神体であるぞ。 何もうつらん御神体のカガミは何もならんぞ。 扶桑の巻 第01帖(850)
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八の隈(くま)からひらきかけるのであるぞ、
ひらけると これを宮と申すのぞ、 宮とはマコトのことであるぞ、 西と東に宮建てよと申すこと、 これでよく判るであろうが、 マコトの数を合せると五と五十であるぞ。 中心に五があり、その周辺が五十となるのであるぞ。 これが根本の型であり、 型の歌であり、 型の数であるぞ、 摩邇(マニ)の宝珠(タマ)であるぞ、 五十は伊勢であるぞ、 五百は日本であるぞ、 五千は世界であるぞ、 このほう五千の山、 五万の川、 五億のクニであるぞと申してあろうがな。 碧玉の巻 第05帖(869)
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此の事判りて来て天晴れ世界唸(うな)るのぢゃ、 落した上に落して もう落す所無い様にして上下引繰り返るのぢゃ、 引繰り返すのでないぞ、 引繰り返るのぢゃぞ、 此の事 間違へるでないぞ。 此の道 難しい道でないぞ、 欲はなれて、命はなれてなる様にしておりて下されたら それでよいのぢゃ。 今が神国の初めぞ、 今までのことすっかり用ひられんのに未だ今迄の事云ふて今迄の様な 事考えてゐるが、 それが盲聾(めくらつんぼ)ざぞ、 今迄の事自慢すると鼻ポキンぞ、 皆 鼻ポキン許りぢゃなあ。 まだまだ俘虜(とりこ)になる者 沢山あるなれど、 今度の俘虜(とりこ)まだまだぞ、 何れ元に帰って来るから、 元に帰って又盛り返して来るなれど、 またまた繰り返すぞ、 次に又捕へられる者 出て来るのざぞ、 次はひどいのざぞ、 是も因縁ざぞ。 神の国は誰が見ても、どう考へても、 二度と立ち上がられん、 人民 皆外国につく様になって、 此の方の申した事、神示に書かした事、 皆 嘘(うそ)ざと申す所まで世が落ちてしまうてから始めて神力現れるのざぞ、 人民臣民 早合点して御座るが九分九分九厘と申してあろがな、 事務所作らいでもよいぞ、 事務所作るのは表の仕組ぞ、 裏の御用 事務所禁物ぞ、 それぞれの役員殿の住むとこ皆それぞれの事務所でないか、 よく相談してやりて下され、 段々判りて来るぞ。 表と裏とあななひぞ、 あななひの道と申してあろ、 引寄せる身魂は、天で一度改めて引寄せるのであるぞ、 今お役に立たん様に臣民の目から、役員の目から見えても袖にするでないぞ、 地でも改めしてまだまだ曇り取らなならんぞ、 磨けば皆結構な身魂許りぢゃぞ、 人民の肚さへたら天もさへるぞ、 心鎮(しづ)もれば天も鎮もるぞ、 神勇むぞ。 我(が)はぢっと奥に鎮めて表面(うわべ)には気(け)も出されんぞ、 我の無い様な事では、我で失敗(しくじ)た此の方の御用出来ないのざぞ、 毒にも薬にもならん人民 草木にかへしてしまふぞ。 此の神示 無闇(むやみ)に見せるでないぞ、 神示は出ませんと申せよと申してある事 忘れるでないぞ。 天の規則 千でやる事になってゐるのざぞ、 今度 規則破りたら暗い所へ落ち込んで末代浮ばれんきつい事になるのざから、 神くどう気付けておくぞ。 次に世に出る番頭殿 まだ神なきものにして御座るから一寸先も判らんぞ、 先判らずに人間の勝手な政治して世は治まらん道理ぢゃぞ、 三日天下でお出直しぞ、 その次もその次も又お出直しぢゃ、 此の神示よく見てこの先何うなる、 其の先どうなると云ふ事、 神はどんな事計画しておいでますと云ふ事判らいで政治ないぞ、 すればする程 悪うなるぞ、 神にはこうなる事判って呑んでゐるのざから、 何んなことあっても心配ないなれど、 それでは臣民 可哀想なから、 此の神示ウタにして印刷して世によき様にして皆に知らしてやれよ、 表の集団でよいぞ、 神は天からも地からも日も夜も九十(コト)で知らしてゐるのに、 九十(コト)聞く身魂ないから、 九十(コト)きく御身(みみ)曇りてゐるから、 人民は判らんなれど、 余り判らんでは通らんぞ、 早う洗濯掃除せよと申してゐるのざ。 人の十倍も今の仕事して其の上で神の御用するのが洗濯ぞ、 掃除ぞと申して知らした事忘れたか、 地に足つけよと申した事判らんのか、 百姓になれ、大工になれと申した事判らんのか、
天の百姓、大工もあるのざぞ。 善と悪と小さく臣民分けるから判らんのざぞ、 大きく目ひらけよ。 松食(お)せよ、 松おせば判らん病直るのぢゃぞ、 松心となれよ、 何時も変らん松の翠(みどり)の松心、 松の御国の御民幸あれ。 十二月十八日、 ひつ九のかみ。 雨の巻 第14帖 (348)
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三千(“三千世界”以外、“三千年”以外)(三と千を含む))
キリスト祀れ。 マホメット祀れ。 カイの奥山は五千の山に祀り呉れよ。 7月の十と二日に天晴れ祀りて呉れよ。 愈々富士晴れるぞ。 今の人民よいと思ってゐる事、間違ひだらけざぞ。 此処までよくも曇りなされたな。 二の山 三の山 四の山に祀り呉れよ。 まだまだ祀る神様あるぞ。 7月二日、 あめのひつぐのかみ。 松の巻 第17帖 (308)
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ふでは奥山から出て、 奥山で分けるくらいのこと、何故に分らんのじゃ。 誰でもが勝手にしてならん。 それぞれの順立てねば悪となるぞ。 判らんのは、われよしからぢゃ。 本から固めて行かねば何時までたっても小田原ぢゃ。 小田原も道筋ながら、 それでは世界の人民 丸つぶれとなるぞ。 三分残したいために三千の足場と申してあるのぢゃ。 早う三千集めよ。 御役 御苦労。 (十二月七日)一二十 黄金の巻 第063帖 (574) 昭和二十四年十二月七日、 旧十月十八日(1949年)
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この巻しろかねの巻。 天国ぢゃ、 霊国ぢゃ、地獄ぢゃ、浄土ぢゃ、穢土ぢゃと申してゐるが、 そんな分けへだてはないのであるぞ。 時、所、位に応じて色々に説き聞かせてあるのぢゃが、 時節到来したので、 まことの天地のことわりを書き知らすぞ。 三千の世界の中の一つがそなた達の世界であるぞ。 この世も亦三千に分れ、 更に五千に分れてゐるぞ。 このほう五千の山にまつれと申してあろう。 今の人民の知り得る世界はその中の八つであるぞ。 人民のタネによっては七つしか分らんのであるぞ。 日の光を七つと思うてゐるが、 八であり、九であり、十であるぞ。 人民では六つか七つにしか分けられまいが。 「イワトがひらけると更に九、十となるぞ。 【かくしてある一厘の仕組、九十の経綸、成就した暁には何も彼も判る】」 と申してあらうが。
八つの世界とは、 八は固、七は液、六は気、五はキ、四は霊の固、三は霊の液、二は霊の気、一は霊のキ、 と考へてよいのぢゃ。 キとは気の気であるぞ。 その他に逆の力があるぞ。 九と十であるぞ。 その上に又霊の霊の固から始まってゐるのであるが、 それはムの世界、 無限の世界と心得よ。 霊界に入って行けば、その一部は知れるなれど、 皆直ちには判らないのであるぞ。 判らんことは判らんと、 わからねばならんと申してあらうがな。 天、息吹けば、地、息吹くと申してあろう。 このことよくわきまえよ。 地の規則、天の規則となることあると申して知らしてあらう。 この大切こと忘れるでないぞ。 おもひの世界が天ぞ。 にくの世界が地ぞ。 おもひは肉体と一つぞ。 二つぞ。三つぞ。 おもひ起って肉体動くぞ。 肉体動いておもひ動くこともあるぞ。 生れ赤児の心になって聞いて下されよ。 何も彼も、ハッキリうつるぞ。 陰と陽、右と左、上と下、前と後、男と女と考へてゐるなれど、 タカミムスヒとカミムスヒと考へてゐるなれど、 別のミナカヌシ、
現はれるぞ。 一であり、二であり、三であらうがな。 三が道と申してあろう。 陰陽二元でないぞ。 三元ぞ。三つであるぞ。
このこと先づ心得て下されよ。 そなた達は父と母と二人から生れ出たのか。 さうではあるまいがな。 三人から生れ出てゐること判るであらうがな。 どの世界にも人が住んでゐるのであるぞ。
その中に又 限りないのざと知らせてあらうが。 そなた達の中に又人がゐて限りないのぢゃ。 このほう人民の中にゐると知らしてあらうがな。 そなた達も八人、 十人の人によって生きてゐるのぞ。 又十二人でもあるぞ。 守護神と申すのは心のそなた達のことであるが、 段々変るのであるぞ。 自分と自分と和合せよと申すのは、 八人十人のそなた達が和合することぞ。 それを改心と申すのざぞ。 和合した姿を善と申すのぢゃ。 今迄の宗教は肉体を悪と申し、 心を善と申して、 肉体をおろそかにしてゐたが、 それが間違ひであること合点か。 一切がよいのぢゃと云ふこと合点か。 地獄ないこと合点か。 悪抱き参らせよと申してあること、 これで合点か。 合点ぢゃナア。 各々の世界の人がその世界の神であるぞ。 この世ではそなた達が神であるぞ。 あの世では、そなた達の心を肉体としての人がゐるのであるぞ。 それがカミと申してゐるものぞ。 あの世の人をこの世から見ると神であるが、 その上から見ると人であるぞ。 あの世の上の世では神の心を肉体として神がゐますのであって限りないのであるぞ。 裏から申せば、神様の神様は人間様ぢゃ。 心の守護神は肉体ぢゃと申してあらうがな。 肉体が心を守ってゐるのであるが、 ぢゃと申して肉体が主人顔してはならんぞ。 何処迄も下に従ふのぢゃ。 順乱すと悪となるぞ。 生れ赤児ふみこえ、 生れ赤児になって聞いて下されよ。 そなた達の本尊は八枚十枚の衣着ているのぢゃ。 死と云ふことは、 その衣、上からぬぐことぢゃ。 ぬぐと中から出て来て又八枚十枚の衣つけるやうになってゐるのぢゃ。 判るやうに申してゐるのぢゃぞ。 取違ひせんやうにせよ。 天から気が地に降って、 ものが生命し、 その地の生命の気が又天に反影するのであるが、 まだまだ地には凸凹あるから、 気が天にかへらずに横にそれることあるぞ。 その横の気の世界を幽界と申すのぢゃ。 幽界は地で曲げられた気のつくり出したところぢゃ。地獄でないぞ。 (十二月十四日) 白銀の巻 第01帖 (612)
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水晶の心なれば三千里先のこともありやか。 人民と云ふものは奇跡見ても、病気になっても、中々改心出来んものぢゃ。 死後の生活が ハッキリ判っても、未だ改心出来んのぢゃ。 それは外からのものであるからぢゃ。 まことの改心は、中の中の
死後の生活 知らすことはよいなれど、 それのみによって改心せよと迫るのは悪のやり方。 奇跡を見せ、病気を直してやるのもよいのぢゃが、それのみによって改心を迫ってはならん。 そ れのみで道を説いてはならんぞ。 そんなこと位でマコトのホッコンの改心が出来るなら ば、人間は遠の昔に改心して御座るぞ。 今迄のやうな宗教は亡びると申してあらうが。 亡びる宗教に致して下さるなよ。 (一月二十二日) 黒鉄の巻 第30帖 (648)
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神の御用は、神のみこと(命(実言))のままでなくては成就せん。 皆々釈迦ぞ、キリストぞ。 もっと大き計画もちて御座れ。 着手は出来る処からぞ。 つかめる所から神をつかめよ。 部分からつくり上げなされよ。 我出してはならん。 そなたはそれでいつもしくじってゐるでないか。 天狗ではならん。 心出来たら足場固めねばならん。 神の足場は人ぢゃ。 三千の足場、 五千の足場。
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八の隈(くま)からひらきかけるのであるぞ、
ひらけると これを宮と申すのぞ、 宮とはマコトのことであるぞ、 西と東に宮建てよと申すこと、 これでよく判るであろうが、 マコトの数を合せると五と五十であるぞ。 中心に五があり、その周辺が五十となるのであるぞ。 これが根本の型であり、 型の歌であり、 型の数であるぞ、 摩邇(マニ)の宝珠(タマ)であるぞ、 五十は伊勢であるぞ、 五百は日本であるぞ、 五千は世界であるぞ、 このほう五千の山、 五万の川、 五億のクニであるぞと申してあろうがな。 碧玉の巻 第05帖(869)
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