良い宇宙人と悪い宇宙人,宇宙の真相, The Earth is Controlled by Evil Alien


NO4561


シオンの賢人議定書_2〜5 


太陽のコメント


{私の書き換えた原文}

シオンの賢人議定書_2 

我々(ユダヤ人)の目的には戦争は、欠くべからざるものなのである。

が、できる限り、戦争が領土的な利益をもたらさぬように仕向けるべきなのである。

さすれば、戦争は 経済に基盤を置くようになり、 各国は 我々(ユダヤ人)の支配の強力さを思い知らされるであろう。

また、当事国は、双方とも我々が国境を越えて放った代理人団の思うがままに操れるのである。

朕は、如何なる制約があろうとも、やつら(非ユダヤ人=畜生)が百万の眼を持っていて監視するから、身動きがとれぬなどということはないであろう。

世界にまたがる我々(ユダヤ人)の権利は、各国の権利を一掃するだろうが、国家の市民法が国民の関係を律するのと全く同じように、普通の権利という意味で、我々の権利が正確に各国を律するであるろう。

我々(ユダヤ人)が公衆の中から選んだ行政官たちは、奴隷のように従順な資質であるかどうかを厳しく監視され、支配技術に長けた人物にはさせない。

それゆえに、やつらが、全世界の諸問題を律すべく幼年期より養育された助言者・専門家である学識者と天才の手の内にある駒となるのは容易なのである。

諸氏(ユダヤ人の賢人会のメンバ−)もご存知のように、これら我々(ユダヤ人)の専門家たちは、歴史の教訓や一瞬一瞬の現実の出来事の観察から、我々(ユダヤ人)の政治計画に必要とする知識を体得しておる。

畜生(非ユダヤ人)共は、偏見なく歴史的観察を実際に適用することなく、一連の結果に厳しい批判を加えることなく空理空論に走るのである。

ゆえに、我々は、やつらに一顧も与える必要もない。

時が一撃をくらわせるまで楽しませてやろうではないか。

過去の栄光に新しい形を与える希望に生きさせてやろうではないか。

古き良き思い出にひたらせてやろうではないか。

やつらには、我々が

「科学が説くところでは」(学説)

と吹きこんだことを後生大事にいつまでも守らせておこうではないか。

我々が一貫して、新聞を通じて、声を大にしてそれらの学説を盲信させておるのは、そのことが目的なのである。

畜生(非ユダヤ人)共の知識人たちは、やつらの知識にいい気になり、論理的検証を行なうことなく科学から得た知識すべてを信じこむであろう。

その知識たるや、我々の代理人団たる専門家が、畜生(非ユダヤ人)共の心魂を手なづけて我々が望む方向におもむかせんが為に、巧みに断片を寄せ集めたものなのである。

ここに述べたことは根も葉もないことであるとは、瞬時たりとも考えんでいただきたい。

我々が仕掛けたダーウィン主義、マルクス主義、ニーチエ主義が、いかに功を奏しておるかに注目していただきたいのである。

我々ユダヤ人にとっては、少なくとも、これらの指導者たちが畜生(非ユダヤ人)共の心魂に及ぼしたことどもを直視すれば、事は、明白であるはずなのであるから。

政治上の、また、行政上の諸問題の方向において、些細な誤りを避ける為には、各国民の思想、性格、傾向を顧慮することが絶対に必要なのである。

我々(ユダヤ人)の方式は、我々(ユダヤ人)が遭遇する人民の気質に応じて、さまざまに仕組の組み合せが案配されるが、もしも現在の光に照らして過去の教訓を集約することを怠れば、この方式の勝利はおぼつかぬであるろう。

今日の国家は、人民の世論を創り出す強力な力をその手に持っておるのである。

すなわち、それは、新聞なのである。

新聞が果たす役割は、必要欠くべからざると考えられることを指摘し、人民の愚痴に、はけ口を与え、不平不満を表明し作り出すことに有るのである。

言論の自由の勝利が具体的になるのは、新聞においてなのである。

であるが、畜生(非ユダヤ人)共の国家は、いかにこの力を効果的に使うかについては知っていたためしがなく、したがって新聞は、我々の手中に落ちた。

新聞を通じて、我々は、その背後にあって、影響力を行使したのである。

ヴァイスマン博士が、我々が血と汗の大洋を越えて集結してきたにもかかわらず、金力が我々(ユダヤ人)の手中にあることを知悉しておることは他言を要さない。

我々(ユダヤ人)である為に、あまたの同胞を犠牲にしてきたが、十分に報いられておるのである。

わが方(ユダヤ人たち)の犠牲の一人一人は、神の見られるところでは、畜生(非ユダヤ人)共一千人に相当するのである。


{私の書き換えた原文}

シオンの賢人議定書_3

今日、我々(ユダヤ人)は、あと数歩で目標に到達せんとしておると言ってよい。

横切るべき空間は、あとわずかを残すのみであり、我々(ユダヤ人)が歩んできた長い道のりは、今まさに象徴の蛇の輪を閉じようとしておる。

その蛇は、わが民を象徴しておる。

この輪が閉じられるとき、ヨーロッパのすべての国家は、強力な万力によって締め上げられるのである。

当今の国政機構(非ユダヤ人たちの国家機構)の天秤は、ほとんど破壊しておるも同然なのである。

なぜならば、我々(ユダヤ人)が、支点を軸として揺れ動き、転回させるべく、正確な均衡を欠くように設定してあるからなのである。

畜生(非ユダヤ人)共は、しっかり固定してあると思い込んでいて、天秤が釣り合いを取り戻すはずだと、ずっと期待し続けておるのである。

であるが、支点(王座についておる王たち)は、自分たちで押えが利かず無責任極まりない力に困惑する阿呆の役を演じる代議員たちに取り巻かれておるのである。

この力は、宮殿内に吹き込まれてきた恐怖支配に負うておるのである。

王たちには、人民に近付く手だてがない。

まさに取り巻き連中のド真中で王位に就いておる王たちは、もはや人民を受け入れ、権力を追い求める者たちに対抗する強い力を与えてやることができない。

明敏な統治権力と人民の盲目の力との間に、双方ともが、あらゆる意味を失うように、我々(ユダヤ人)は、深い溝を設けたのである。

盲人と彼の杖のように、両者は、離れ離れにされれば全くの無力となるのである。

権力を追い求める者たちを煽動して権力を誤用させるため、我々(ユダヤ人)は、すべての勢力を相対立させ、独立を得ようとする自由主義傾向を鼓吹するように仕向けてきたのである。

この目的に向って、我々(ユダヤ人)は、如何なる形の企てでも指嗾教唆し、あらゆる政党に戦闘準備させ、如何なる野望の目的をも権威に対して向けるようにさせたのである。

国家というものを、我々(ユダヤ人)は、混乱した問題の大群が争乱する競技場と化せしめたのである。

ほどなく、混乱と破綻があまねく広がるであろう。

後から後から出てくるおしゃべり屋たちが、議場と行政会議の場を討論会場に変えてしまったのである。

向う見ずなジャーナリストと破廉恥なパンフレット屋が毎日のように政府当局を攻撃するのである。

権力に対する悪口雑言は、すべての制度を転覆させる最後の一太刀となり、ことごとくが狂乱した群集のめった打ちに会って空中に吹き飛ばされるであるろう。

なべての人民(ほとんどの人民)は、奴隷や農奴として縛り付けられていた、かつての時代よりもきびしく、貧困なるがゆえに重い労働の鎖につながれておるのである。

なんとかしてやつら(非ユダヤ人=畜生たち)は、この束縛から逃れようとするかも知れぬが、この重荷を取り除くことはできず、決して貧困からは脱却できない。

我々(ユダヤ人)が憲法に書き込んだ大衆に関する権利というようなものは、虚構であって実際に使える権利などではないのである。

いわゆる「人民の権利」なるものは、単なる観念、実際生活では決して実現されるはずのない観念としてのみ存在することができるのである。

おしゃべり屋には、無駄口をたたく権利があり、ジャーナリストには 良いことも書くが阿呆なことを書きなぐる権利があるとして、生活の重荷に打ちひしがれ、重き犠牲に腰を二重に折り曲げておる労働者には、何があるというのかなのである。

かって労働者階級共は、我々(ユダヤ人)が説きつけたことに賛成し、我々(ユダヤ人)が権力の中に潜ませておいた我々(ユダヤ人)が代理人団の手下に賛成して投票した見返りに、我々(ユダヤ人)が食卓からパン屑を恵んでもらっただけで、憲法からは、何の利益も得られなかった。

貧者についての共和国の権利とは、皮肉以外の何ものでもない。

なぜならば、ほとんど一日中働いておる労働者に必要なものは、憲法を使うことによっては、全く与えられない。

であるが、その一方で、彼(非ユダヤ人=畜生たち)は、仲間たちが打つ同盟罷業や主人が行う工場閉鎖によって、確実な生活の資をすべて奪われるからなのである。

我々(ユダヤ人)の誘導によって人民は、貴族階級を全滅させてしまったのである。

人民の福利と密接に結びついた貴族自身の利益の為に、貴族階級は、人民の唯一の保護者であり養い親であったのである。

現今では、貴族階級の滅亡によって、人民は、労働者の首に残酷無慈悲な頸木をつないだ守銭奴の手中に落ちたのである。

我々は、労働者にわが戦列(社会主義者、無政府主義者、共産主義者)に加わるよう提案し、振りかかる圧迫からやつら(非ユダヤ人=畜生たち)を救出する救世主を買って出るのである。

我々(ユダヤ人)は、我々(ユダヤ人)がフリーメーソン員が言われなく唱えた(人類団結という)兄弟の定めどおりに、一貫して主義者たちを支援している。

貴族は、法律によって労働者が提供する労働の恩恵を受け、労働者たちがよく食べ、健康で、強壮であるかどうかに関心を払っていたのである。

我々は、全く反対のこと(劣化、畜生(非ユダヤ人)共から生命を奪うこと)に関心を寄せておるのである。

我々の権力は、労働者の慢性食料不足と肉体的虚弱を必要とするのである。

まさにそうしておいてこそ、彼(非ユダヤ人=畜生たち)は、我々(ユダヤ人たち)の意のままに従うようになり、我々(ユダヤ人たち)に敵対する強さも意志もなくなり、自分たちの権威を見つけ出そうとはしなくなるのである。

王たちが正当に貴族に与えた権力よりも、さらに確実に労働者を資本の権利に従わせるのが飢えなのである。

飢えが引き起こす貧困と嫉妬と憎悪によって、我々(ユダヤ人たち)は、群集を動かし、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)の手を使って我々(ユダヤ人たち)が行く手を阻む者すべてを掃討するであるろう。

全世界王が王冠を戴く時が至れば、同じ方法を用いて障害となるものをことごとく一掃するであるろう。

畜生(非ユダヤ人=畜生たち)共は、我々(ユダヤ人たち)の専門家たちの助言なしには、考えるという習慣を失ってしまったのである。

為に、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)は、我々(ユダヤ人たち)の王国が実現したあかつきには、直ちに採択せねばならぬ必要欠くべからざることが見えない。

すなはち、公教育の場においては 唯一単純かつ真実の知識、全知識の基礎を教えることが肝要であるということで有るのである。

それは、人間生活の構造に関する知識、社会存在のあり方に関する知識、 労働には分業が必要であるとする知識である。

従って、人々は、階級と身分(ユダヤ人たち=貴族階級と非ユダヤ人=畜生たち=奴隷階級)に分かれねばならぬということなのである。

人間活動の実際には、さまざまな差異があって、平等などというものは、ありえず、なんらかの行為で階級全体に累を及ぼす者と、自分自身の名誉を傷つけるだけの者とは、法律の前では平等の責任を負うはずがないということは、万人が心得ておくことが肝要なのである。

畜生(非ユダヤ人)共には、知らされていぬ秘密であるが、社会構造の真の知識は、身分とかけ離れた仕事をさせぬようにせねばならず、個々人に要求される仕事と受ける教育との落差が悩みの元にならぬように、万人に実地をもって示そう。

この知識を完璧に身に付けたあかつきには、人々は進んで権威に服従し国家に指示された仕事を受け入れるであるろう。

現状の知識と我々(ユダヤ人たち)が人民(非ユダヤ人=畜生たち)を育成してきた方向からいえば、印刷されたものを鵜呑みにし (我々ユダヤ人たちがやつら非ユダヤ人の畜生に誤りを吹き込んできたためと、やつら非ユダヤ人の畜生自身の無知のおかげとで)これまでに考察した身分という身分に対して、全面的に憎悪を燃えつのらせるのである。

それは、階級と身分の意味を全く理解しておらぬことから生じておるのである。

この憎悪は「経済危機」の効果で数倍もの火の手を挙げるであるろう。

経済危機たるや為替取引を中止させ、工業を停止させるであるろう。

我々(ユダヤ人たち)は、自分(ユダヤ人)たちが熟知しておる隠密な方法を総動員し、すべて我々(ユダヤ人)の手中にある金力の助けを借りて、大規模な経済危機を作りだし、それによって全ヨーロッパ諸国の労働者群集をいっせいにまとめて路上に放り出すであるろう。

これらの群集は、ただ単に無知であるがゆえに、揺籃時代から羨み妬んでいた連中を喜んで血祭りにあげ、連中の財産を略奪できるであろう。

やつら(非ユダヤ人=畜生たち)は、「我々(ユダヤ人)のもの」には手をつけない。

なぜなら、襲撃の時機を知っておるのは、我々(ユダヤ人)であり、我々(ユダヤ人)は、財産を守る手が打てるからなのである。

我々(ユダヤ人たち)は、すべての畜生(非ユダヤ人)共に、

「進歩こそが理性の支配をもたらすだろう」

と強調してきたのである。

我々(ユダヤ人たち)の専制は、 一分の隙もない独裁なのである。

それがいかに、炯眼厳格な方法によってあらゆる不満を鎮圧し、すべての制度慣習の自由主義を麻痺させるかを知るであろう。

非ユダヤ人=畜生たちの一般大衆は、あらゆる種類の利権特権は自由の名のもとに生み出されたと見ていて、君主がそれを握っておると思い込み、怒涛のように襲いかかったが、盲人のならいでおのずとあまたの石に蹴つまづく結果となり、案内人を求めて猛進したが、今さら昔の状態に戻ることはできず、我々(ユダヤ人たち)の足下に全権をゆだねてしまったのである。

フランス革命を想起していただきたい。

それを「大革命」と名付けたのは 我々(ユダヤ人たち)であった。

その準備が秘密裡に行われたことを、我々(ユダヤ人たち)は、熟知しておる。

あの革命は、全面的に我々(ユダヤ人たち)の手で遂行した一大事業であったのである。

その時以来、我々(ユダヤ人たち)は、人民を幻滅から幻滅へと導き、その帰結として最終的には、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)は、我々(ユダヤ人たち)が世界の為に準備しておる、シオンの血を受けた専制君主に、我々(ユダヤ人たち)にも頼らずしても賛同するに至るはずなのである。

今日、我々(ユダヤ人たち)は、多国家にまたがる勢力として無敵なのである。

何ものかが攻撃しようとも、我々(ユダヤ人たち)は、他の国家に支援されるからなのである。

畜生(非ユダヤ人)共人民の底無しの無気力さ、

力の前には、腹這いになって這いつくばるが、 弱者には、無慈悲であり、他人の過失には、厳しく、罪悪には、寛容、

自由社会制度の矛盾は、認めようとせぬが、 思い切った専制者の強圧に対しては、殉教者のように耐える。

我々(ユダヤ人たち)の今日をあらしめたのは、畜生(非ユダヤ人)共のそれらの特徴に助けられたところが多いのである。

現在の首相という専制者のもとで畜生(非ユダヤ人)共人民は、 呻吟しておるが、かってなら、その何分の一かの権力濫用でもあれば、 王の二十人ぐらいは打ち首にしたであろう。

この現象、同じ性質の事象と見えることだが、

非ユダヤ人=畜生たち人民大衆のこの矛盾撞着は、どう説明したらよいのか?

ここには厳然たる事実が有るのである。

現代の専制者たちは、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)の代理人 (大統領・首相・官僚・財閥などなど)を通じて、非ユダヤ人=畜生たち 人民に向い、こう囁くのである。

「権力をこういうふうに使えば、国家には害を及ぼすが、 崇高な目的には適っておるのだ」と。

非ユダヤ人=畜生たち人民の生活保護、国境を超えた非ユダヤ人= 畜生たち人民どうしの友情、連帯、平等の権利という目的の為には、言わずもがなのことではあるが、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)は、これらすべては、我々(ユダヤ人たち)の統治支配のもとで初めて実現するものだとは言っていない。

かくて、非ユダヤ人=畜生たち人民は、正しいものを罰し、不正なるものを許し、前にもまして、望んだことは何でも実現できると信じ込まされるのである。

このような事態のおかげで、非ユダヤ人=畜生たち人民は、あらゆる種類の安定をくつがえし一歩一歩混乱を生み出している。

「自由」なる言葉は、さまざまの人間集団に、あらゆる種類の権力、あらゆる種類の権威、さらには、神や自然の掟に対してまで闘争することに入らせたのである。

このため、我々(ユダヤ人たち)が我々(ユダヤ人たち)の王国を実現したあかつきには、群集を血に飢えた獣に改造する暴力的概念であるこの言葉を、我々(ユダヤ人たち)は、目に触れる辞書からは抹殺するであるろう。

獣たちは、血をたらふく呑んで腹がふくれると眠り込むので、鎖につなぐのはいとも容易いというのは、事実なのである。

であるが、血を呑まさねばやつら(非ユダヤ人=畜生たち)は、眠らず、引き続き闘争を続けるであるろう。


{私の書き換えた原文}

シオンの賢人議定書_4 

如何なる共和国もいくつかの段階を経るのである。


その最初は、かなたこなた、右に左に攪乱された盲目の群集の狂瀾が猛威を振るってやまぬことから始まるのである。


次は、デモゴギー、つまり民衆煽動なのである。

ここから無政府状態が生じ、無政府状態は、必然的に専制に向う・・合法的とも明白とも言えぬ専制、専制の総本山、目には見えず密かに姿を隠し、にもかかわらず目立ってそれと解る、あれこれの秘密組織の手による専制、その活動は幕の蔭であらゆる代理人の背後で働くだけに、手きびしいことでも平気でやるのである。

それら代理人たちは交代するので、不当に襲われぬばかりか、秘密の勢力を効果的に助けておるのである。

しばしば交代するおかげで、長期活動の報酬が節減できるのである。

見えぬ勢力というものを転覆する位置にあるのは、一体誰か? ここにこそ我々の特徴が有るのである。

非ユダヤ人を入れてあるフリーメーソン員は、我々(ユダヤ人たち)と我々(ユダヤ人たち)の目標の前に立てられた屏風として隠密裡に活動するが、わが勢力の活動計画は、その所在すら人民には全く謎に包まれたままにされるのである。

しかし、自由が神に対する信仰や人類愛に支えられ、 平等思想と結びつかぬならば無害なものであり、 人民の安寧幸福になんら害を与えず、国家経済の中に居場所があって もよろしい。

しかし、平等思想は自然法則に悖るものであって、 平等思想が一段下の思想であることは動かぬところなのである。

このような信仰をもって、人民が教区の保護のもとにあり、 地球に対する神の支配に従う牧師の手に導かれ満足して 敬虔に歩んでくれるならいいのである。

そうでないからこそ、我々は、信仰という信仰をむしばみ、畜生(非ユダヤ人)共の心から神の摂理と霊魂なるものを引き離し、代わりに損得勘定と物欲を入れることが絶対不可欠なのである。

畜生(非ユダヤ人)共に考えたり留意観察したりする暇を与えぬ為には、やつら(非ユダヤ人たち=畜生たち)の気持を工業や商業に向き放しにさせねばならない。

そうしてこそ、非ユダヤ人=畜生たち国民という国民が利益追求に没頭し、そのあげくにやつらの共同の敵に気をとめなくなるであるろう。

重ねて述べるが、自由が畜生(非ユダヤ人)共の社会をきっぱりと崩壊滅亡せんが為には、投機を産業の基礎にせねばならない。

その結果、産業が国土から引き出したものは、いくつかの手を通り抜けて投機に手渡される、

すなはち、我々(ユダヤ人たち)が階級に転り込むであろう。

他人よりも優位に立とうとする激烈な闘争と、経済生活に加えられた打撃とは、薄情冷酷きわまりないな社会を生み出すだろう。

いや、すでに生み出している。

かように社会は、政治・宗教など高度のものに対する反発を強めるであるろう。

やつら(非ユダヤ人=畜生たち)の生きがいは、唯一、利益、すなはち金を集めることなのである。

やつら(非ユダヤ人=畜生たち)は、金があれば手に入る物質的喜びを求めて、まぎれもなく拝金教徒と化すであるろう。

次いで時至れば、高尚な目的のためでもなく、また、富を得んがためですらなく、ただただ特権畜生(非ユダヤ人)共憎しの為に、畜生(非ユダヤ人)共の下層階級は、権力をめぐる我々(ユダヤ人たち)の競争相手、畜生(非ユダヤ人)共の知識人たちに逆らって我々の指導に従うであろう。


{私の書き換えた原文}

シオンの賢人議定書_5

見せ物団体、言説混乱による疲労困憊、いたる所で腐敗が広まっておる社会、富者だけが詐欺同然の悪賢い奇策に富んだ社会、たるみ切った社会、道徳が進んで守られるのではなく懲罰厳罰によって維持される社会、信仰心や愛国心が無国境主義的信念に一掃された社会に、如何なる種類の統制支配なら適用できるか?

あとで述べるような専制支配以外に、 如何なる支配形態ならこのような社会にあてはめられるか?

我々(ユダヤ人たち)は、社会の全勢力をこの手に掌握せんがため、 強力に集中化した政府を樹立しよう。

我々(ユダヤ人たち)は、新たな法律によって、非ユダヤ人=畜生たち国民の政治生活すべてを手加減することなく律しようと思うのである。

それらの法律は、畜生(非ユダヤ人)共が許してきた寛大とか特典とかを一つづつ全部取り潰すであるろう。

いかなる時にも、いかなる場所でも、行動や言葉で我々(ユダヤ人たち)に盾突く畜生(非ユダヤ人)共を一人残らず一掃する立場で臨み、専制ということの強力さを遺憾なく発揮するのが、わが(ユダヤ人たち)王国の特徴なのである。

朕が述べておるような専制は、時代の推移には、そぐわぬという意見も聞くが、事実は、正反対であることを証明しよう。

非ユダヤ人=畜生たち人民が王は、神の意志を純粋に体現した者だと見ていた時代には、なんの不平不満も鳴らさずに王の専制権力に従ったのである。

であるが、非ユダヤ人ち=畜生たち人民には、権利というものがあるという考えを我々がやつらの心に植えつけてからは、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)は、王座に座る者を単に普通の人間とみなし始めたのである。

「神権による王」の聖油は、人民が見ておる前で王たちの額から消えうせてしまい、我々(ユダヤ人たち)が人民から信仰心を奪った時に、権力の強力な力は飛び散って公共の所有権となり、我々(ユダヤ人たち)がそれを押収したのである。

加えるに、巧妙に仕組まれた学説と詭弁により、社会生活の制約やその他ありとあらゆる方便により、あるいは、畜生(非ユダヤ人)共には、まるで解らぬ手段を動員して群集や個々人を支配する技術は、他の技術と相並んで我々(ユダヤ人たち)が支配の中枢である専門家がもともと手中にしていたものである。

分析、観察、精緻な計算に育てられ、この種の熟練技術に関しては、我々(ユダヤ人たち)には肩を並べる者がいないこと、練り上げられた政治行動と固い結束のどちらかでは我々(ユダヤ人たち)の競争相手がいないのと同じなのである。

おるといえば、イエズス会(キリスト教会)だけは、我々(ユダヤ人たち)と比べられるだろうが、我々(ユダヤ人たち)は、無分別な群集の目には見える組織として存在するとは信じられぬように工夫してきたのである。

その裏で我々(ユダヤ人たち)は、終始一貫秘密の組織を維持し続けてきたのである。

カトリックの首領であろうとシオンの血を得た我々(ユダヤ人たち)の独裁者であろうと、専制君主は、専制君主であることに変わりはないのである。

が、神の選民である我々(ユダヤ人たち)にとっては、このことは、無関心ではいられない。

ほんの一時は、我々(ユダヤ人たち)が全世界の畜生(非ユダヤ人)共連合にうまくしてやられることもあったやも知れぬが、畜生(非ユダヤ人)共の間には、今では決して取り返しのつかぬほど深く根を張った不一致があるので、我々(ユダヤ人たち)は、ついぞ危険にさらされずにおるのである。

我々は、畜生(非ユダヤ人)共を宗教的・人種的憎悪によって個人も国民も対立反目応報を繰り返すように仕組んだのである。

このことを過去二千年にわたって営々と積み重ねてきたので、手が付けられぬほど劇しいものになっておるのである。

これが、我々(ユダヤ人たち)に腕を振り上げたとしても、支持してくれる国は、どこにもただの一国もない理由なのである。

我々(ユダヤ人たち)に対抗する同盟を結べば自分が不利になることを、どの国も肝に銘じておるからなのである。

我々(ユダヤ人たち)は、あまりにも強力である・・我々(ユダヤ人たち)の力を逃れおおせるものはないのである。

国家は、我々(ユダヤ人たち)の蔭の関与なしには、ほんの些細な協定を結ぶことすらできぬようになっておるのである。

Per Me reges regnant.(王は 我によりて支配する)のである。

預言者たちによれば、我々(ユダヤ人たち)は、世界のすべてを支配すべく、神自身に選ばれたのである。

神は、我々(ユダヤ人たち)がこの使命を遂行できるように、我々(ユダヤ人たち)に天与の才を授けられたのである。

仮に反対陣営に天与の才が授けられたとしたら、我々(ユダヤ人たち)に闘いを挑んでいたであろうが、駆出し者というものは、しょせん古くから定着しておる者には太刀打ちできないのである。

我々(ユダヤ人たち)とやつら(非ユダヤ人たち=畜生たち)のと闘いは、 この世が始まって以来見たこともないような熾烈を極めたものとなったで あろう。

さよう!

やつら(非ユダヤ人たち=畜生たち)の天才は、現われるのが遅過ぎたのである。

すべての国家機構を動かす車輪は、エンジンが駆動するのである。

エンジンは、我々の手中に有るのである。

国家機構のエンジンとは・・金なのである。

わが学識ある長老たちが創造した政治経済学は、長期にわたって資本に君主のような威信を与えてきたのである。

資本、それが束縛なく相携えて力を発揮するには、存分に工業と商業の独占がはかられねばならない。

そのことは、すでに世界のあらゆる隅々で、見えざる手によって実践に移されておることであり、そのことは、非ユダヤ人=畜生たち人民を圧迫する助けとなろう。

今日では、非ユダヤ人=畜生たち人民を武装解除させることは、戦争に赴かせることよりも重要なのである。

さらに重要なことは、我々(ユダヤ人たち)の都合からいえば、非ユダヤ人=畜生たち人民の焔を抑えることよりも燃え上らせることなのである。

さらに重要なことは、他人の考えを根絶するよりは、その考えをすばやく掴みとり我々(ユダヤ人たち)に都合がよいように翻案することなのである。

我々(ユダヤ人たち)の役員会が採択しておる原理に次のことが有るのである。

非難によって非ユダヤ人=畜生たち大衆を意気阻喪させること、抵抗心をかき立てるまじめな思考をさせぬようにすること、心の力を空理空論の論争にそらさせること。

いつの時代でも世間の畜生たち人民は、個人も同様であるが、言論と行動とを混同してきたのである。

競技場で見ることに満足しておるが、約束されたことが実行されておるかどうかを考えてみようとする者は、めったにいなくて、専ら見せ物を見るだけで満足しておるのである。

そこで、我々(ユダヤ人たち)は、人民の利益が進歩に向っておると声高く証明する見せ物を行う団体を作るであるろう。

我々(ユダヤ人たち)は、あらゆる問題について、自由主義的な顔つきを装おって全政党に入り込み、聞き手が嫌になるほど喋り立てて、弁論に対する嫌悪を植え付けるであるろう。

非ユダヤ人=畜生たち世論をわが方(ユダヤ人たち)に引き寄せるには、あらゆる角度から意見続出させ、相反する説をいくつも並べ立て、ある期間、十分畜生(非ユダヤ人)共の頭を迷路に迷い込ませて、一番いいのは、政治上のことには何も意見をもたないことだと思い至らせねばならない。

政治のことは、一般大衆には解らない。

なぜなら、大衆は、自分たちを導く者を通じてしか理解できぬからなのである。

これが第一の秘訣なのである。

統治に成功するのに必要な第二の秘訣は、次のことにかかっておるのである。

すなわち、広い範囲にわたり非ユダヤ人=畜生たち国民の欠点、習慣、情欲、市民生活の状態を増殖させ混沌に陥れ、その中にあっては自分がどこにおるのか見当がとれぬ有様にさせると、その結果、非ユダヤ人=畜生たち人民相互の理解ができなくなるのである。

これこそ別の意味で我々(ユダヤ人たち)にとっては、有利なこととなるのである。

すなわち、諸党派の中に軋轢の種子を蒔き、まだ我々(ユダヤ人たち)に従わおうとせぬ集団を撹乱し、どの程度のものであれ我々(ユダヤ人たち)の仕事を妨害するような個人の企てに対して片っ端から気勢をそぐことになるのである。

個人の企てほど、またとなく危険なものはないのである。

その裏に天才があろうものなら、このような企ては、我々(ユダヤ人たち)が軋轢の種子を蒔いた非ユダヤ人=畜生たち人民何百万人にも勝る力を持つのである。

我々(ユダヤ人たち)は、畜生(非ユダヤ人)共の社会の教育を指導する際には、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)が何か創意を示す徴候があれば、いつでも気力を失って絶望してしまうように仕向けねばならない。

自由奔放な活動というものは、別の自由奔放さに出会うと無力になる傾向が有るのである。

衝突すると、容易ならぬ精神的打撃、失望、意気消沈が起こるのである。

これらありとあらゆる手段を駆使して、我々(ユダヤ人たち)は、畜生(非ユダヤ人)共を疲労困憊させたあげく、国境を越えた現実の力を我々(ユダヤ人たち)に提供せざるをえなくなるであるろう。

その現実の力は、いかなる暴力も用いることなく、世界中の国家支配力を次第に吸収して、超政府を形作るのである。

今日の支配者たちに代わって、我々(ユダヤ人たち)は、超国家管理機関という怪物を設けるであろう。

その手は、鉗子のようにあらゆる方向に伸び、その組織は、巨大な規模に広がり、世界中の人間という人間を制圧せずにはおかぬであろう。



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