立山山頂の雄山神社詣
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こんにちは。 おしゃべるサルです。 立山から帰りました。 昨日の夜戻りましたが、疲れてへろへろ状態で、PC開かずにすぐに寝てしま いました。 日ごろの運動不足が祟ったようです(−−)。 10年くらい前に登った時は もっと楽に登れたんですが、日ごろの体力作りが大切だなと思いました。 ちなみに富士山よりは体力的に楽です。 下記のすずしい写真をどうぞ。 あと、山頂の神社は雄山神社(おやまじんじゃ)といいまして、 祭神は天手力雄神と、伊邪那岐神です。 全国各地にいくつか高天原・岩戸開きの伝説がありますが、ここも、その一 つのようです(竹内文書)。 天手力雄神はアマテラス神の岩戸明け時にでて くる神です。 気になったのは、伊邪那岐神が、祭ってあるのになぜ、 伊邪那美神が祭って なくて、天手力雄神なのかな? 2人揃ってない…。 千引きの磐戸閉め後だから? 伊邪那岐神、伊邪那美神が共に立つ日はいつか来るのかな? 近いかな?
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おしゃべりサルさん、立山登山でお疲れのところ、メールを いただきましてありがとうございます。 とっても涼しそうな景色ですね。 きっと爽快だったことでしょう。 山頂でお参りされた神社が岩戸開きに関係あるとのこと。 おしゃべりサルさんがお参りされたことにも、何か意味がありそうですね。
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トッチです。 サルさん、いいですね〜! 「UFOによる都市攻撃は北から始まり、南下する」 そうですが、 「では何故北からなの?」 と考えていました。 悪の神とて、所詮は元神に自由に生かされている存在であれば、当然大宇宙の真理法則の枠内での悪行三昧と言えるのかもしれません。 そうしますと、岩戸開きの御役を担う神サタンが攻撃を考えた場合、「北からにしようね」となってしまうのは、サルさんが仰る 「人間の魂の浄化・肉体と魂の統合から来るぞ」 なる、一つの法則の枠組みによる影響下でサタンも活動をしている証拠といえるのではないでしょうか。 サタンもサタンなりの雛形を担っているはずですよね。 スケールの大きい話なので何だか良く分かりませんが、そんな気がします。 「北に気をつけろ」 ですが、私が密かに色々と考えた一つに、第2次大戦時のソ連(オロシア)参戦がありました。 1945年2月ヤルタ会談で、アメリカのルーズベルト大統領がソ連のスターリンに、 「是非対日戦争に参加して欲しい」 と持ちかけ、それに対してスターリンは 「では、北方領土をもらっても良いなら話に乗ろう」 ルーズベルトは、北方領土など取るに足らない小さな問題だと承諾しました。 結果、今の北方領土問題となっています。 大戦後、共産国のソ連は好き勝手に振舞っているなんてスタンスでNATOの悪役を演じて冷戦構造が出来上がりました。 その立役者の一人が次の大統領トルーマン。 ですので、北方領土問題の根本はロシアというよりも、アメリカ(ユダヤ支配層)にあるのですね。 それは置いときまして、 「北に気をつけろ」 は、やがて満州を攻める(神示風に言えば)“オロシア”に気をつけろといった意味も含まれているのかもと考えていました。 でも、そう解釈した場合、南国の沖縄戦はどうなるの?となり、頓挫状態。 サルさんのお話を読んで、何かが1本の線で繋がりそうな感じです。 今後の検証報告を楽しみにしています。
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ロックです。 「北から来るぞ」 ですが、 神示に子の年に関する内容がいくつかありますね。 方角で子は北になりますので子の年からそれは来るとかも思っちゃいました。 思いつきですけど^^; あ、思いつきでしたが、うしとらに当たる東北も、それで考えると方角でなくて年代であてると、子が2008年なら牛と寅で字は艮でないですが 「2009年から2010年くらいに来るぞ」 になったりして。 となると太陽さんが報われるのは2008年頃でめでたく、 そこから何かあるのかな?
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先日書いたスケジュールと一致しますね。 うほほ。 自分の資料にする為にもロックさんのご意見を追加させて頂きました。 “北に気をつけろ” ですが、 「神の行う事に気を付けて対応しろよ」 なんて意味もあったりして。 “西と東に宮” なら北は神かなといった感じで。。。 大雑把に神としますと、ミロクとサタンの両方の御用が当てはまりそうですが、この場合はサタンとしておきます。
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うーん トッチさん・ロックさん さるです 北とは北斗七星を指し、地上の人間や死者たちの生死禍福を司る道教でいう 北斗星君を思い出しました。 それで、「北から」とは、 「人間の魂の浄化・ 肉体と魂の統合から来るぞ」 もありかと思ったんですが、確かに、年代で考 えても当てはまりそう。
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3099に 以下の帖がありました。 それによると
2012年に、神始めで、桜も咲くらしいです。 ということは、それまでに、すべて、かたがつくので しょうか!
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神始めの年と申せよ。 一二三(ひふみ)、三四五(みよいづ)、五六七(みろく)ぞ、 五の歳は子の歳ざぞよ。 取違ひせん様にせよ。 月日の巻 十人と十人の役員に見せてやりて呉れよ、 時節到来したのであるぞ。 桜咲き神の御国は明けそめにけり。 十二月二日、 ひつ九のか三しらす。 日の出の巻 第02帖 (215)
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此の日は臣民には恐い日であれど神には結構な日ざぞと申してあろが、 神心になれば神とまつはれば神とあななへば臣民にも結構な日となるのぞ。
其の時は五六七(みろく)の世となるのざぞ。
桜花(さくらばな)一度にどっと開く世となるのざぞ、 神激しく臣民静かな御代となるのざぞ、 日日(ひにち)毎日富士晴れるのざぞ、 臣民の心の富士も晴れ晴れと、 富士は晴れたり日本晴れ、 心晴れたり日本晴れぞ。 十二月二日、 ひつくのかみ。 日の出の巻 第04帖 (217)
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十月になったらぼつぼつ会得るぞと申してあろがな。
叩(はたき)かけてばたばたと叩く処もあるぞ、
箒(ほうき)で掃く処もあるぞ、
雑巾かけしたり水流す処もあるのざぞ。 掃除始まったらばたばたに埒(らち)つくと申してあろがな、 めぐりだけの事は、今度は何うしても借銭無しにするのざぞ、 花咲く人もあるぞ、 花散る人もあるぞ。 あめのひつ九のかミの御神名書かすぞ、 それを皆の者に分けてやれよ。 聴き度い事はサニワで聞けよ、 何んなことでも聞かしてやると申してあろがな、 神せけるぞ。 火吹くぞ。 火降るぞ。 十二月十日、 ひつくのか三。 日の出の巻第10帖 (223)
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さるです。 ここら辺の神示はあまり見てなかったんですが、大事そうですね。 これからじっくり考えてみたいと思いますが、以下はあくまでざっと見た感じの感想です。
の
は、はっきり新時代の始まりの年を示しているように思えます。 「桜咲き神の御国は明けそめにけり。」 これだけ見てると、 桜が咲いた後で、新時代の幕開けがあるように 見えますが、
を見ると、桜は特定の年に咲くようではなさそうに感じます。 どっと咲く時が何度かありそうな印象です。 ここで言う桜は、季語ではないように思います。 何かのたとえでしょうか? 桜→春・生命がどっとあふれる時期、華やかに一度に咲く→桜はどっと散る花→桜散る様は人の命の散る様にたとえられる事がある→昔から日本では戦争や戦では人の散り際を桜に例える事があった…。 「桜に花咲かせよ」 命の象徴でしょうか。
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おしゃべりサルさん、 “桜”を命の象徴と感じられたのですか! 見事な発想ですね。 五六七(みろく)の世となる時には、桜咲く人もいれば、桜散る人も いる。 つまり、生き延びる人もいれば、アウトになる人もいる。 納得です! そして
の時は、時空を操作出来る、対サタン作戦なので、特定の日を指定できない、ということなのでしょうか。 それとも、言うと仕組みが壊れるから、言うに言われぬ? どちらにせよ、
と言っている? 以下の帖には
とあります。 この花は、何の花?
って何のために土にもぐるのでしょう。
という神示もどこかにありました。
ってことは、愈々のイクの前には、戦いがある。
のことを説明しているのでしょうか? この部分を読むと、みなさんの解説されているとおりみたいですね。
この“一”って? “一”って太陽のこと? それともサタンのこと? わたしたちは太陽のことがわかっていない? それともサタンのことを、全然知らない? う〜ん。
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