「“岩戸” “言答” “一八十” “イワト” + 開」で検索 NO3
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地(くに)の岩戸 臣民の手で開かなならんぞ、 誠一つで開くのぢゃ、 誠のタチカラオの神、 誠のウズメの命殿、 御用結構ぞ。 ダマシタ岩戸開きではダマシタ神様お出ましざぞ、 この道理判らんか、 取違ひ禁物ぞ、 生れ赤子の心になれば分るのぢゃぞ。 今の臣民お日様明るいと思ふてゐるが、 お日様、マコトの代のマコトのお日様どんなに明るいか見当とれまいがな。 見て御座れ、 見事な世と致してお目にかけるぞ、 神示読みて聞かせてやれよ、 嫌な顔する人民 後廻しぢゃ、 飛び付く人民 縁あるのぢゃ、 早う読み聞かす神示より分けておいて下されよ、 間に合はんぞ、 御無礼ない様に致し下されよ。 十一月十七日、一二の神。 梅の巻 第13帖 (440)
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人民も磨けば神に御意見される程に身魂に依ってはなれるのざぞ、 地(くに)の日月の神と栄えるのざぞ、 何より身魂磨き結構。 人気の悪い所程メグリあるのざぞ、 日本のやり方違って居たと云ふこと、 五度違ったと云ふ事判って来ねば、日本の光出ないぞ。 表面(うわべ)飾るな。 コトもかめばかむ程味出て来るのが磨けた身魂。 中味よくなって来ると表面飾らいでも光出て来るぞ。 これまでの日本のやり方悪いから、神が時々、神がかりて知らしてやったであらうが、 気付けてやったが気の付く臣民ほとんどないから、 今度五度の岩戸一度に開いてびっくり箱開いて、 天晴れ神々様に御目にかけ申すぞ、 お喜び載くのぢゃ。 神示通り出て来ても、 まだ判らんか。 神示は神の息吹きぢゃ。 心ぢゃ。 口上手身振り上手で誠ない者この方嫌ひぢゃぞ。
とどめ 先見へるぞ、 先見んのは途中からの神ぢゃ。 十二月十四日、
ひつ九のかミしる 梅の巻 第24帖 (451)
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楽しむと伸びるぞ、 此の方 苦しむこと嫌ひぢゃ、 苦を楽しみて下されよ。 此の方に敵とう御力の神、いくらでも早う出て御座れ、 敵とう神 此の方の御用に使ふぞ、 天晴れ御礼申すぞ。 世界のどんな偉い人でも、此の方に頭下げて来ねば今度の岩戸開けんぞ、 早う神示読んで神の心汲み取って、 ミロクの世の礎 早う固めくれよ。 算盤のケタ違ふ算盤でいくらはじいても出来はせんぞ、 素直にいたしてついて御座れ、 見事 光の岸につれて参って喜ばしてやるぞ。 十二月十四日、 ひつ九のかミ。 梅の巻 第27帖 (454)
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嬉し嬉しの言答(一八十)明けたり。 あなさやけ、 三千年の夜は明けて、人、神、となる秋(とき)は来にけり。 日月(一二)大神、キリスト大神、シャカ大神、マホメット大神、黒住大神、天理大神、金光大神、大本大神、老子大神、孔子大神、 総て十柱の大神は、 光の大神として斎き祀り結構致しくれよ、 二二晴れるぞ、 一八十開けるぞ。 御神名書かすぞ、 ひかり教会のりとは、 ひかりの大神、 弥栄ましませ弥栄ましませ、 ひかりの大神守り給へ、 幸へ給へと、申せよ。 弥栄弥栄(やさかいやさか)。 四月五日、 ひつくのかみ。 空の巻 第14帖 (469)
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他の教会とは天地の違ひであるぞ、 今度は人民の心の底まであらためて一々始末せねばならんなり、 誰によらん、今迄の様なゼイタクやめて下されよ。 せねばする様せなならんなり、 世界のハラワタ腐り切って居るのであるから愈々を致さねばならんなり、 愈々をすれば人民愈々となるから、 神がくどう気つけてゐるのざぞ。 此処へは善と悪とどんな身魂も引寄せてコネ廻し練り直す所であるから、 チットモ気緩(ゆる)しならん所であるぞ。 ここの仕組は天の仕組と地の仕組と、
カミとなりホトケとなり結び
この世を神の国と致す仕組ぢゃ。 今迄は天の神ばかり尊んで上ばかり見て居たから、 今度は地は地の神の世と致すのぢゃ、 天の神は地ではお手伝ひざと申してあろが、 下見て暮せ、 足元に気付けと申してあらうが、 皆 地の神尊び斉き祀りて弥栄ましませ。 天の教許りではならず、 地の教許りでもならず、 今迄はどちらかであったから、 時が来なかったから、 マコトがマコトと成らず、 いづれもカタワとなってゐたのざぞ、 カタワ悪ぞ、 今度上下揃ふて夫婦和して、 天と地と御三体まつりてあななひて、 末代の生きた教と光り輝くのざぞ。 八月九日、 ひつ九のかミ。 青葉の巻 第19帖 (488)
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今度は魂抜けてゐるからグニャグニャぞ、 グニャグニャ細工しか出来んぞ、 それに迷ふでないぞ。 神示が肚に入って血になると、 何が起って来ても結構であるが、 始の内は、ちょっとの事で迷いの雲が出て悪のとりことなって苦しむぞ、 悪はないのであるが、 無い悪を人民の心から生むのざぞ、 悪のとりことなって苦しむが見へてゐるから、 苦も結構なれど いらん苦はいらんぞ、 神示よく読んで苦を楽とせよ、 楽は喜びぞ、 苦のハタラキが楽ぞ、 楽は喜びぞ、 光ぞ、 神人共のまつりぞ、 楽で岩戸開けるぞ、 苦しんで開く岩戸は誠の岩戸でないぞ。 八月十四日、 ひつくのかミ。 海の巻 第04帖 (496)
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ウソの世となったのぢゃ、 この道理判るであろう、 ニセ神やら、だました神やら、次々に五度の岩戸閉めと申してあろが、 タンバはタニハ、 田庭とは日の本の国ぞ、 世界の事ぞ、 タンバとはタンバイチとは世界の中心と云ふ事ぞ、 日の本と云ふ事ぞ、 キミの国ざぞ、 扶桑の国ざぞ、 地場ざぞ、 判りたか。 地場を固めなならんぞ、 五十鈴の川はムツの川、 和合の川ぞ。 社殿(やしろ)は八方に開く時来たら八尋殿(やひろどの)建てて下されよ、 マコトの八尋殿。 何も判らん無茶苦茶者が、偉ら相な名の神がかりして、何も知らん人民をたぶらかしてゐるが、 今に尻尾を出して来るぞ、 尻尾つかまらん内に改心して神の道に従って来いよ。 八月二十三日、
一二 海の巻 第11帖 (503)
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愈々身実(みみ)に聞かす時ざぞ。 それぞれ人に応じて時によって、 口から耳に肚から肚に知らしてくれよ、 あなさやけ、 あなすがすがし、 言答(いわと)開けたり、 二十三巻で此の方の神示(ふで)の終り、 終りの終りぞ、 後の七巻は他から出してあるのざぞ、 いづれ判りて来るぞ、 合せて三十の巻、 それが一つの節ざぞ、 天明 御身(みみ)に聞かすぞ、 よきにはからへ、 この行中々ぞ。 八月二十三日、
ひつ九の 海の巻 第19帖 (511)
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昭和二十四年十一月二十七日、 旧十月八日(1949年) 536 こんなになったのも この方等が我が強過ぎたからであるぞ。 我出すなと申してあろう。 この度のイワト開きに使ふ身魂は、 我の強い者ばかりが、 めぐりだけのこと償って、 償ふことぞ。 天地かもう神でも我出せんことであるぞ。 神々様も懺悔して御座るぞ。 まして人民。
てん かのととりの日。 一二十 黄金の巻 第025帖 (536)
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空白とは九八九であるぞ、 八と九、九と八の境をひらくことが岩戸を開くことぢゃ、 空白とは最も根本を為す最も力あることであるぞ。 扶桑の巻 第04帖(853)
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つまらぬ霊界とのゑにしが残ってゐることぞ。 早う岩戸を開いて富み栄へて下されよ、 人民 富み栄えることは、神が富み栄えることぞ。 何事もはらい清めて下されよ、 清めるとは和すことぞ、 違ふもの同士和すのがマコトの和であるぞ。 8迄と910とは性が違ふのぞ。 極めの巻 第05帖 (932)
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死者も甦る程の力があったのであるなれど段々と曇りが出て来て、 これだけでは役にたたんことになって来たのぞ。 岩戸開きの鍵であったが、 今度の岩戸ひらきには役にたたんようになったのであるぞ。
始めに
至恩の巻 第04帖(951)
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神は一時は仏とも現れたと申してありたが、仏ではもう治まらん、 岩戸が開けたのであるから、蓮華ではならん。 人民も改心しなければ、地の下に沈むことになるぞ、 神が沈めるのではない、 人民が自分で沈むのであるぞ、 人民の心によって明るい天国への道が暗く見へ、 暗い地の中への道が明るく見えるのであるぞ、 珍しきこと珍しき人が現れてくるぞ、 ビックリ、ひっくり返らんように気つけてくれよ、 目の玉 飛び出すぞ、 たとへでないぞ。 紫金の巻 第07帖 (137)
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