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昭和十九年十二月一日、 旧十月十六日(1944年) 春とならば萌(もえ)出づるのざぞ、 草木許りでないぞ、 何もかも もえ出づるのぞ、 此の方の申す事 譬(たとへ)でないと申してあろが、少しは会得(わか)りたか。 石も の云ふ時来たぞ、 此の道 早く知らして呉れよ、 岩戸は五回閉められてゐるのざぞ、 那岐(なぎ)、那美(なみ)の尊の時、 天照大神の時、 神武天皇の時、 仏来た時と、 大切なのは須佐之男神様に罪着せし時、 その五度の岩戸閉めであるから此の度の岩戸開きはなかなかに大そうと申すのぞ。 愈々きびしく成ってきたが此れからが正念場ざぞ、 否でも応でも裸にならなならんぞ、 裸程結構なもの無い事 始めて会 得(わか)りて来るぞ。 十二月一日、
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我一(いち)力では何事も成就せんぞ、 手引き合ってやりて下されと申してあること忘れるでないぞ。 霊肉共に岩戸開くのであるから、 実地の大峠の愈々となったらもう堪忍して呉れと何んな臣民も申すぞ、 人民には実地に目に物見せねば得心せぬし、 実地に見せてからでは助かる臣民少ないし神も閉口ぞ。 ひどい所程 身魂に借銭あるのぢゃぞ、 身魂(みたま)の悪き事してゐる国程 厳しき戒(いまし)め致すのであるぞ。 五と五と申してあるが五と五では力出ぬし、 四と六、六と四、三と七、七と三ではカス出るしカス出さねば力出んし、 それで神は掃除許りしてゐるのざぞ、 神の臣民それで神洲清潔する民であるぞ、 キが元と申してあるが、 キが餓死(うえじに)すると肉体餓死するぞ、 キ息吹けば肉息吹くぞ、d 神の子は神のキ頂いてゐるのざから食ふ物無くなっても死にはせんぞ、 キ大きく持てよと申してあるが、 キは幾らでも大きく結構に自由になる結構な神のキざぞ。 臣民利巧(りこう)なくなれば神のキ入るぞ、 神の息通ふぞ、 凝りかたまると凝りになって動き取れんから苦しいのざぞ、 馬鹿正直ならんと申してあろがな、 三千年余りで身魂の改め致して因縁だけの事は否でも応でも致さすのであるから、 今度の御用は此の神示読まいでは三千世界のことであるから、 何処(ドコ)探しても人民の力では見当取れんと申してあろがな、 何処探しても判りはせんのざぞ、 人民の頭で幾ら考へても智しぼっても学ありても判らんのぢゃ。 ちょこら判る様な仕組ならこんなに苦労致さんぞ、 神々様さえ判らん仕組と知らしてあろが、 何より改心第一ぞと気付けてあろが、 神示肚にはいれば未来(さき)見え透くのざぞ。 此の地(つち)も月と同じであるから、 人民の心 其の儘に写るのであるから、 人民の心悪くなれば悪くなるのざぞ、 善くなれば善くなるのぞ。 理屈悪と申してあろが、 悪の終りは共食ぢゃ、 共食ひして共倒れ、 理屈が理屈と悪が悪と共倒れになるのが神の仕組ぢゃ、 と判ってゐながら何うにもならん事に今に世界がなって来るのざ、 逆に逆にと出て来るのぢゃ、 何故そうなって来るか判らんのか、 神示読めよ。 オロシヤの悪神の仕組人民には一人も判ってゐないのざぞ。 神にはよう判っての今度の仕組であるから仕上げ見て下されよ、 此の方に任せておきなされ、 一切心配なく此の方の申す様にしておりて見なされ、 大舟に乗って居なされ、 光の岸に見事つけて喜ばしてやるぞ、 何処に居ても助けてやるぞ。 雨の神、 風の神、 地震の神、 荒の神、 岩の神様に祈りなされよ、 世の元からの生き通しの生神様拝(おろ)がみなされよ。 日月の民を練りに練り大和魂の種にするのであるぞ、 日月の民とは日本人許りでないぞ、 大和魂とは神の魂ぞ、 大和の魂ぞ、 まつりの魂ぞ、 取違ひせん様に気付けおくぞ。 でかけのみなとは九九(ココ)ぢゃぞ、 皆に知らしてやりて下されよ、 幾ら道進んでゐても後戻りぢゃ、 此の神示が出発点ぞ、 出直して神示から出て下されよ、 我張りてやる気ならやりて見よれ、 九分九分九厘で鼻ポキンぞ、 泣き泣き恥ずかしい思いしてお出直しで御座るから気付けてゐるのぢゃ、 足あげて顔の色変へる時近付いたぞ。 世建替へて広き光の世と致すのぢゃ、 光の世とは光なき世であるぞ、 此の方の元へ引寄せて目の前に楽な道と辛い道と作ってあるのぢゃ、 気付けてゐて下されよ、 何(ど)ちら行くつもりぢゃ。 十一月二十七日、
一二 雨の巻 第10帖 (344)
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まだ我張りてゐる様では今度は灰にするより方法(ほか)ないぞ。 恐しなっての改心では御役六ヶ敷いぞ。 因縁あるミタマでも曇りひどいと、 御用六ヶ敷い事あるぞ、 神示頂いたとて役員面(やくいんづら)すると鼻ポキンぞ、と気付けてあろがな、 五十九柱いくらでもあるのざぞ、 かへミタマあると申してあろがな、 務めた上にも務めなならんぞ、 因縁深い程 罪も借銭も深いのざぞ、 岩戸閉めにもよき身魂あるぞ、 岩戸開きにも悪きあるぞ、 気付け合ってよき御用結構ざぞ、 勇んで務め下されよ。 心から勇む仕事よき事ぞ、 此の方の好く事ざぞ。 木の葉落ちて冬となれば淋しかろがな、 紅葉(もみじ)ある内にと気付けおいたが紅葉の山も落ちたであろがな、 他で判らん根本のキのこと知らす此の方 の神示ぢゃ、 三千世界のこと一切の事 説いて聞かして得心させて上げますぞや。 落ち付いて聞き落しのない様になされよ、 悔しさ目に見へておろがな、 どぶつぼに我と落ち込む人民許り出て来て、 神の国 臭くて足の踏場もないぞ、 なれども見て御座れ、 三千世界一度にひらいて世界一列一平一つのてん詞(四)で治めるぞ。 地の世界に大将なくなって五大州引繰り返りてゐると申すことまだ判らんのか、 目に見せても耳に聞かしても、まだ判らんか、 尻の毛まで悪魔に抜かれてゐて まだ判らんのか、 あんまりな事ぢゃなあ。 是までは高し低しの戦でありたが、 是からは誠の深し浅しの戦(いくさ)ざぞ、 誠とはコトざぞ 口でないぞ、 筆でないぞ コトざぞ、 コト気付けと申してあろがな。 コト、コト、コト、ざぞ。 始めウタあったぞ、 終もウタぞ、 今も昔もウタざぞ、 人民も動物もウタ唄ふのざぞ、 終の御用の始はウタぞ、 ウタの集団(つどひ)とせよ。 此の神示ウタとして知らす集団とせよ、 ウタの集団 始ざぞ、 表ざぞ、裏の裏ざぞ、表の表ぞ、 道開く表の終の御用ぞ、 江戸の御用すみたから、尾張の御用と申してあろがな、 カイの御用も忘れてならんのざぞ。 食物(おしもの)の集団も作らなならんぞ、 カイの御用の事ぞ、 此の集団も表に出してよいのざぞ、 時に応じてどうにでも変化(へんげ)られるのがまことの神の集団ざぞ。 不動明王殿も力あるに、あそこ迄落してあるは神に都合ある事ぞ。 世に落ちて御座る守護神と 世に落ちてゐる神々様と 世に出てゐる神々様と 世に落ちて出てゐる守護神殿と 和合なさりて物事やって下 されよ、 二人でしてくれと申してあろがな、 判りたか。 十二月十八日、 ひつくのかみ神示。 雨の巻 第13帖 (347)
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外国の性根入れたのが岩戸閉めであるぞ、 五度ざぞ、 判りたか。 それを元に戻すのであるから今度の御用中々であるぞ、 中つ枝からの神々様には判らん事ざぞと申してあることもガッテン出来るであろがな。 この神示肚に入れて居ればどんなことあっても先に知らしてあるから心配ないのざ、 ソレ出たとすぐ判るから胴すわってゐるから何事も結構におかげ頂くのざ。 死ぬ時は死んだがよく、 遊ぶ時には遊べ遊べ、 嬉し嬉しざぞ。 十一月十六日、 ひつ九のか三。 梅の巻 第11帖 (438)
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ウソの世となったのぢゃ、 この道理判るであろう、 ニセ神やら、だました神やら、次々に五度の岩戸閉めと申してあろが、 タンバはタニハ、 田庭とは日の本の国ぞ、 世界の事ぞ、 タンバとはタンバイチとは世界の中心と云ふ事ぞ、 日の本と云ふ事ぞ、 キミの国ざぞ、 扶桑の国ざぞ、 地場ざぞ、 判りたか。 地場を固めなならんぞ、 五十鈴の川はムツの川、 和合の川ぞ。 社殿(やしろ)は八方に開く時来たら八尋殿(やひろどの)建てて下されよ、 マコトの八尋殿。 何も判らん無茶苦茶者が、偉ら相な名の神がかりして、何も知らん人民をたぶらかしてゐるが、 今に尻尾を出して来るぞ、 尻尾つかまらん内に改心して神の道に従って来いよ。 八月二十三日、
一二 海の巻 第11帖 (503)
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夕陽(ゆうひ)より 朝日照るまで フトノリトせむ。 火結神(ほむすび)の 実秀答(ミホト)焼かへて 岩戸(言答)(一八十)閉ざしき。 世界を一つにするのであるから王は一人でよいぞ、 動きは二つ三つとなるのぢゃ、 キはキのうごき、 ミはミのうごき、 動いて和してキミと動くのぢゃ。 三が道ぞと知らしてあろう、 自他の境界つくるでないぞ、 おのづから自他の別と和が生れて お互に折り重なって栄へるのぢゃ、 世界一家への歩み方、 やり方、間違へるでないぞ。 九分九厘まで進まねば後の一厘は判らん、 今が九分九厘であるぞ、 日本は日本、 世界は世界、 日本は世界のカタ国、 おのづから相違あるぞ。 極めの巻 第01帖 (928)
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