良い宇宙人と悪い宇宙人,宇宙の真相, The Earth is Controlled by Evil Alien


NO4426


鳴、鳴門、鳴戸、素盞鳴、鳴雷、須佐鳴、鳴り成、高鳴る で検索・抽出 


julaさんのメール

鳴る≒成る、鳴戸、鳴門≒成十、成答 。

(Not equal but nearly equal)

もしくは 相互関連性大ということなのでしょうね

やはり月、素盞鳴、須佐鳴 と成るは呼応するところがあるからこそなのだと思いま す。

試に“鳴”で検索しましたがかなりの帖がHitしました。

Hitした帖には以下のような鳴が含まれていました。

鳴、鳴門、鳴戸、素盞鳴、鳴雷、須佐鳴、鳴り成、高鳴る

更にそこから“鳴り成る”などの相互に関連しそうな帖を選んでみました。


ひふみ神示 第一巻 上つ巻 第十六帖(016)

昭和十九年六月二十四日、

旧五月四日(1944年)

ひふみの火水とは結ぞ、

中心の神、表面に世に満つことぞ、

ひらき睦び、中心に火集ひ、ひらく水。

神の名二つ、

カミと神世に出づ。

早く鳴り成り、

世、新しき世と、

国々の新しき世と栄へ結び、

成り展く秋来る。

弥栄に神、世にみちみち、

中心にまつろひ展き結ぶぞ。

月出でて月なり、

月ひらき弥栄え成り、

神世ことごと栄ゆ。

早く道ひらき、

月と水のひらく大道、

月の仕組、

月神と日神二つ展き、

地上弥栄みちみち、

世の初め悉くの神も世と共に勇みに勇むぞ。

世はことごとに統一し、

神世の礎 極まる時代来る、

神世の秘密と云ふ。

六月二十四日、

一二文(ふみ)


富士を開いたら まだ開くところあるのざ、

鳴戸へ行くことあるのざから このこと役員だけ心得て置いて呉れよ。

七月一の日、

ひつくのか三。

上つ巻 第30帖 (030)


か一の八マに立ちて、

一(ひ)れ二(ふ)りて祓ひて呉れよ、

ひつくの神に仕へている臣民、代る代るこの御役つとめて呉れよ。

今は分かるまいなれど結構な御役ぞ。

この神示(ふで)腹の中に入れて置いてくれと申すに、

言ふ事きく臣民少ないが、

今に後悔するのが、よく分りてゐるから神はくどう気つけて置くのぞ、

読めば読むほど神徳あるぞ、

どんな事でも分かる様にしてあるぞ、

言ふこときかねば一度は種だけにして、

根も葉も枯らして仕まうて、

この世の大掃除せねばならんから、

種のある内に気つけて居れど、

気つかねば気の毒出来るぞ。

今度の祭典(まつり)御苦労でありたぞ、

神界では神々様 大変の御喜びぞ、

雨の神、風の神殿ことに御喜びになりたぞ。

此の大掃除一応やんだと安緒する。

この時、富士(二二)鳴門がひっくり返るぞ、

早やう改心して呉れよ。

八月の十一日、

富士の巻 第02帖 (082) のひつくの

使用された特殊文字 


ひふみの秘密 出でひらき鳴る、

早く道展き成る、

世ことごとにひらき、世、なる大道で、神ひらき、世に神々満ちひらく、

この鳴り成る神、

ひふみ出づ大道、

人神出づはじめ。

九月二日、

ひつぐのかみ。

天つ巻 第09帖 (116)


この道分りた人から一柱でも早う出てまゐりて神の御用なされよ。

どこに居りても御用はいくらでもあるのざぞ。

神の御用と申して稲荷(いなり)下げや狐つきの真似はさせんぞよ。

この道はきびしき行(みち)ざから楽な道なのぞ。

上にも下(しも)にも花さく世になるのざぞ、

後悔は要らぬのざぞ。

カミは見通しでないとカミでないぞ、

今のカミは見通しどころか目ふさいでゐるでないか。

蛙(かえる)いくら鳴いたとて夜あけんぞ。

赤児になれよ、

ごもく捨てよ

その日その時から顔まで変るのざぞ、

神烈しく結構な世となりたぞ。

九月二十三日、

ひつくのか三。

地つ巻 第14帖 (151)

 


三ハシラ、五ハシラ、七ハシラ、コトアマツカミ、

ツギ、ウヒジニ、ツギ、イモス ヒジニ、

ツギ、ツヌグヒ、ツギ、イモイクグヒ、

ツギ、オホトノジ、

ツギ、イモオホ トノべ、

ツギ、オモタル、

ツギ、イモアヤカシコネ、ミコトト、アレナリ、イキイキテ、イキタマヒキ、

ツギ、イザナギノカミ、イザナミノカミ、アレイデマシマシキ。

足許に気付けよ。

悪は善の仮面かぶりて来るぞ。

入れん所へ悪が化けて入って神の国をワヤにしてゐるのであるぞ、

己の心も同様ぞ。百人千人万人の人が善いと申しても悪い事あるぞ。

一人の人云っても神の心に添ふ事あるぞ。

てんし様拝めよ。

てんし様拝めば御光出るぞ、

何もかもそこから生れるのざぞ。

お土拝めよ。

お土から何もかも生れるのぞ。

人拝めよ、上に立つ人拝めよ、

草木も神と申してあろがな。

江戸に攻め寄せると申してあろがな。

富士目指して攻め来ると知らしてあること近付いたぞ。

今迄の事は皆型でありたぞ、

江戸の仕組もお山も甲斐の仕組も皆型ぞ、

鳴門とうづう みの仕組も型して呉れよ。

尾張の仕組も型早よう出して呉れよ。

型済んだらいよいよ末代続くまことの世直しの御用にかからすぞ。

雨降るぞ。

十月二十八日、ひつ九のかみ。

日月の巻 第12帖 (185)


ひふみ神示 第六巻 日月の巻 第二十九帖(202)

昭和十九年十一月二十五日、

旧十月十日(1944年)

一日一日(ひとひひとひ)みことの世となるぞ。

神の事いふよりみことないぞ。

物云ふなよ。

みこと云ふのぞ。

みこと神ざぞ。

道ぞ。

アぞ。

世変るのぞ。

何もはげしく引上げぞ。

戦も引上げぞ。

役に不足申すでないぞ。

光食へよ。

息ざぞ。

素盞鳴尊(スサナルノミコト)まつり呉れよ。

急ぐぞ。

うなばらとはこのくにぞ。

十一月二十五日、一二

使用された特殊文字 


おもてばかり見て居ては何も判りはせんぞ。

月の神様まつりて呉れよ。

此の世の罪穢れ負ひて夜となく昼となく守り下さる素盞鳴神様あつくまつり呉れよ。

火あって水動くぞ。

水あって火燃ゆるぞ。

火と水と申しておいたが、その他に隠れた火と水あるぞ。

それを一二三と云ふぞ、

一二三とは一二三と云ふ事ぞ、

言波ぞ。

言霊(コトタマ)ぞ、

祓ひぞ、ぞ。

スサナルの仕組ぞ。

成り成る言葉ぞ、

今の三み一たいは三み三たいぞ。

一(ひ)とあらはれて二三(ふみ)かくれよ。

月とスサナルのかみ様の御恩忘れるでないぞ。

御働き近づいたぞ。

十一月十七日、

ひつ九かみ。

日月の巻 第32帖 (205)

使用された特殊文字  


ひふみ神示 第六巻 日月の巻 第三十七帖(210)

昭和十九年十一月三十日、

旧十月十五日(1944年)

天にも あまてらすすめ大神様、あまてらす大神様ある様に、

地にも あまてらすすめ大神様、あまてらす大神様あるのざぞ。

地にも月読の大神様 隠れて御座るのざぞ。

素盞鳴の大神様 罪穢れ祓ひて 隠れて御座るのざぞ。

結構な尊い神様の御働きで、何不自由なく暮して居りながら、 その神様あることさへ知らぬ臣民ばかり。

これで此の世が治まると思ふか。

神々まつりて神々にまつはりて神国のまつりごといたして呉れよ。

詰らぬ事申してゐると愈々詰らぬ事になりて来るぞ。

十一月三十日、

ひつ九の神しらすぞ。


ひふみ神示 第六巻 日月の巻 第四十帖(213)

昭和十九年十一月三十日、

旧十月十五日(1944年)

ここに伊邪那美の命 語らひつらく、

あれみましとつくれる国、

末だつくりおへねど、

時まちてつくるへに、

よいよ待ちてよと宣り給ひき。

ここに伊邪那岐命、

みましつくらはねば吾とつくらめ、

と宣り給ひて、

帰らむと申しき。

ここに伊邪那美命 九(こ)聞き給ひて、

御頭(みかしら)に 大雷(おおいかつち)、

オホイカツチ、

胸に火の雷(ホのいかつち)、

ホノイカツチ、

御腹には

黒雷(くろいかつち)、

黒雷(クロイカツチ)、

かくれに 折雷(さくいかつち)、

サクイカツチ、

左の御手に

若雷(わきいかつち)、

ワキ井カツチ、

右の御手に 土雷(つちいかつち)、

ツチイカツチ、

左の御足に

鳴雷(なるゐかつち)、

ナルイカツチ。

右の御足に

伏雷(ふしいかつち)、

フシ井カツチ、

なり給ひき。

伊邪那岐の命、是見(こみ)、

畏みてとく帰り給へば、

妹伊邪那美命は、

よもつしこめを追はしめき、

ここに伊邪那岐命 黒髪かつら取り、

また湯津々間櫛(ゆつつまぐし)引き かきて、

なげ棄(う)て給ひき。

伊邪那美命 二(つき)の八くさの雷神(いかつちかみ)に黄泉軍(よもついくさ)副(そ)へて追ひ給ひき。

ここに伊邪那岐命 十挙剣(とづかのつるぎ)抜きて後手 (しりへて)にふきつつさり、

三度 黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に到り給ひき。

坂本なる桃の実一二三(ひふみ)取りて待ち受け給ひしかば、

ことごとに逃げ給ひき。

ここに伊邪那岐命 桃の実に宣り給はく、

汝 (みまし)吾助けし如、

あらゆる青人草の苦瀬(うきせ)になやむことあらば、

助けてよと宣り給ひて、

また葦原の中津国にあらゆる、

うつしき青人草の苦瀬に落ちて苦しまん時に助けてよとのり給ひて、

おほかむつみの命、

オオカムツミノ命

と名付け給ひき。

ここに伊邪那美命 息吹き給ひて千引岩(ちびきいわ)を黄泉比良坂に引き塞(そ)へて、

その石なかにして合ひ向ひ立たして つつしみ申し給ひつらく、

うつくしき吾が那勢命 (なせのみこと)、

時廻り来る時あれば、

この千引の磐戸、

共にあけなんと宣り給へり、

ここに伊邪那岐命しかよけむと宣り給ひき。

ここに妹(いも)伊邪那美の命、汝(みまし)の国の人草、

日にちひと死(まけ)と申し給ひき。

伊邪那岐命 宣 り給はく、

吾は一日(ひとひ)に千五百(ちいほ)生まなむと申し給ひき。

この巻二つ合して日月の巻とせよ。

十一月三十日、

ひつ九のか三。


次の世とは通基(月)の世の事ざぞ、

一二(ひつき)の通基(二)の世ぞ、

の月の世ぞ、

取違ひせん様に致して呉れよ。

智や学がありては邪魔になるぞ、

無くてもならぬ六ヶ敷い仕組ぞ、

月の神様 祀りて呉れよ、

素盞鳴(すさなる)の神様 祀りて呉れよ、

今に会得(わか)る事ぞ、

日暮よくなるぞ、

日暮(一九れ)に祀り呉れよ、

十柱揃ふたら祀り呉れいと申してあらうがな、

神せけるのざぞ。

十二月二日、

ひつくのかみふで。

日の出の巻 第03帖 (216)

使用された特殊文字 


右(みぎり)に行かんとする者と左りに行かんとするものと 結ぶのがの神様ぞ、

の神様とは素盞鳴の大神様ざぞ、

この御用(おんはたらき)によりて生命あれるのぞ、

力生れるのぞ、

がまつりであるぞ、

神国の祀りであるぞ、

神はその全き姿ぞ、

神の姿ぞ。

男の魂は女、女の魂は男と申して知らしてあろがな。

十二月三日、

ひつ九のかみ。

日の出の巻 第05帖 (218)

使用された特殊文字  


ひふみ神示 第七巻 日の出の巻 第九帖(222)

昭和十九年十二月八日、

旧十月二十三日(1944年)

人、神とまつはれば喜悦(うれ)しうれしぞ、

まつはれば人でなく神となるのぞ、

それが真実(まこと)の神の世ぞ、

神は人にまつはるのざぞ、

と申してあろが、

戦も壊し合ふのでは無いぞ、

とまつらふことぞ、

岩戸開く一つの鍵ざぞ、

和すことぞ、

神国真中に和すことぞ。

それには掃除せなならんぞ、

それが今度の戦ぞ、

戦の大将が神祀らねばならんぞ。

二四(にし)は剣(つるぎ)ざぞ。

神まつりは神主ばかりするのではないぞ、

剣と鏡とまつらなならんぞ、

まつはれば霊(たま)となるのざぞ。

霊なくなってゐると申して知らせてあろがな、

政治も教育も経済の大将も神祀らねばならんのぞ。

天の天照皇大神様は更なり、

天の大神様、

地(くに)の天照大神様、

天照皇太神様、

月の神様、

特に篤く祀り呉れよ、

月の大神様 御出でまして闇の夜は月の夜となるのざぞ。

素盞鳴の大神様も篤く祀りて呉れよ、

此の神様には毎夜毎日御詑びせなならんのざぞ、

此の世の罪穢(つみけがれ)負はれて陰から守護されて御座る尊い御神様ぞ、

地の御神様、土の神様ぞ、

祓ひ清めの御神様ぞ、

国々の産土の神様 祀り呉れよ、

遅くなればなる程 苦しくなるのざぞ、

人ばかりでないぞ。

十二月八日、

ひつ九のか三。

使用された特殊文字  


此れまでの仕組や信仰は方便のものでありたぞ。

今度は正味(せうまつ)の信仰であるぞ、

神に真直(ますぐ)に向ふのざぞ。

日向(ひむか)と申してあろがな。

真上(まうへ)に真すぐに神を戴いて呉れよ、

斜めに神戴いても光は戴けるのであるが、

横からでもお光は戴けるのであるが、

道は真すぐに、

神は真上に戴くのが神国のまことの御道であるぞ。

方便の世は済みたと申してあろがな、

理屈は悪ざと申して聞かしてあろが、

今度は何うしても失敗(しくじる)こと出来んのざぞ。

神の経綸(しぐみ)には狂ひ無いなれど、

臣民 愈々苦しまなならんのざぞ、

泥海に臣民のたうち廻らなならんのざぞ、

神も泥海にのたうつのざぞ、

甲斐ある御苦労なら幾らでも苦労甲斐あるなれど、

泥海のたうちは臣民には堪(こば)られんから早う掃除して神の申す事 真すぐに肚に入れて呉れよ。

斜めや横から戴くと光だけ影がさすのざぞ、

影させば闇となるのざぞ、

大きいものには大きい影がさすと臣民申して、

止むを得ぬ事の様に思ふてゐるが、

それはまことの神の道知らぬからぞ、

影さしてはならんのざぞ、

影はあるが、それは影でない様な影であるぞ、

悪でない悪なると知らせてあろが。

真上に真すぐに神に向へば影はあれど、

影無いのざぞ、

闇ではないのざぞ。

此の道理 会得るであろがな、

神の真道(まみち)は影無いのざぞ、

幾ら大きな樹でも真上に真すぐに光戴けば影無いのざぞ、

失敗(しくじり)無いのざぞ、

それで洗濯せよ掃除せよと申してゐるのぞ、

神の真道(まみち)会得(わか)りたか。

天にあるもの地にも必ずあるのざぞ、

天地合せ鏡と聞かしてあろがな、

天に太陽様ある様に地にも太陽様(おひさま)あるのざぞ、

天にお月様ある様に地にもお月様あるのざぞ。

天にお星様ある様に地にもお星様あるのざぞ。

天からい吹(ぶ)けば地からもい吹くのざぞ、

天に悪神あれば地にも悪神あるのざぞ。

足元気つけと申してあろがな。

今の臣民 上許り見て頭ばかりに登ってゐるから分らなくなるのざぞ、

地に足つけよと申してあろが、

地 拝(おろが)めと、地にまつろへと申してあろが、

地の神様 忘れてゐるぞ。

下と申しても位の低い神様のことでないぞ、

地の神様ぞ、

地にも天照皇太神様、

天照大神様、

月読大神様、

須佐鳴之大神様あるのざぞ、

知らしてあること、神示克く読んで下されよ、

国土の事、国土のまことの神を無いものにしてゐるから世が治まらんのざぞ。

神々祀れと申してあろがな、

改心第一と申してあろがな、

七人に伝へと申してあろがな、

吾れ善しはちょんぞ。

十二月十四日、

ひつくのかみ。

日の出の巻 第13帖 (226)


富士の御用は奥山に祀り呉れよ、

カイの御用も続け呉れよ、

江戸一の宮作りて呉れよ、

道場も同じぞ、

海の御用とは

海の鳴門(なると)と

海の諏訪と

海のマアカタと三所へ祀りて呉れよ。

その前の御用、言葉で知らした事済みたぞ、

海マアカタとは印幡ぞ。

十柱とは火の神、

木の神、

金の神、

日の出の神、

竜宮の乙姫、

雨の神、

風の神、

地震の神、

荒の神、

岩の神であるぞ。

辛酉の日に祀りて呉れよ。

暫く御神示出ないぞ。

皆の者 早く今迄の神示肚に入れて呉れよ、

神せけるぞ。

神示読めば神示出て来るぞ。

神祀り早く済せて呉れよ。

十二月二十一日朝、

一二のか三。

日の出の巻 第18帖 (231)

使用された特殊文字 


ひふみ神示 第八巻 磐戸の巻 第九帖(245)

昭和二十年一月十一日、

旧十一月二十八日(1945年)

富士と鳴門の仕組わかりかけたら、

いかな外国人でも改心するぞ、

それ迄に神の国の臣民 改心して居らぬと気の毒出来るぞ。

天狗や狐は誰にでもかかりてモノいふなれど、

神は中々にチョコラサとはかからんぞ、

よき代になりたら神はモノ云はんぞ。

人が神となるのざぞ、

この神は巫女(みこ)や弥宜(ねぎ)にはかからんぞ、

神が誰にでもかかりて、

すぐ何でも出来ると思ふてゐると思ひが違ふから気つけておくぞ。

かみがかりに凝るとロクなことないからホドホドにして呉れよ。

この道は中行く道と申してあろがな。

戦すみたでもなく、

すまぬでもなく、

上げもおろしもならず、

人民の智や学や算盤では、

どうともできんことになるのが目の前に見へてゐるのざから、

早う神の申す通り素直に云ふこときけと申してゐるのざぞ。

長引く程、国はヂリヂリになくなるぞ。

米あると申して油断するでないぞ、

タマあると申して油断するでないぞ。

命(いのち)あると申して油断するでないぞ。

この神示よく読めば楽になって人々から光り出るざぞ、

辰の年はよき年となりてゐるのざぞ、

早う洗濯してくれよ。

一月十一日、のひつ九


ひふみ神示 第九巻 キの巻 第十六帖(273)

昭和二十年三月二十日、

旧二月七日(1945年)

元津神代の道は満つ、

一時は闇の道、ひらき極み、

富士の代々、鳴り成るには弥栄に変わり和すの道、

道は弥栄。

ひふみ道出で睦び、

月の神 足り足りて成り、

新しき大道みつ。

神々みち、ゑら ぎ百千万のよきこと極む。

いよいよとなり、何も彼も百千とひらき、

道栄え道極み進み、

道極み真理の真理極む。

元の光の神々ゑらぎ、

更に進む世、

和合まずなりて百(もも)の世極みなる。

世に光る神々の大道、

神々ことごとにゑらぎて大道いよいよ展き進みて、

大真理世界の三つは一と和し、

鳴り成りて始めて、

まことの愛の代 極み来る、

弥栄の代の神、人、神人わけへ だてなく光り輝き、

道は更に極みの極みに進み動き、

ありとあることごとくの成り結び、更に新しく更に極むるの大道、

神代歓喜の代々。

三月二十日、ひつ九の神。


人間心には我(が)があるぞ。

神心には我がないぞ。

我がなくてもならんぞ、

我があってはならんぞ。

我がなくてはならず、

あってはならん道理分りたか。

神にとけ入れよ。

てんし様にとけ入れよ。

我なくせ、

我出せよ。

建替と申すのは、神界、幽界、顕界にある今までの事をきれいに塵一つ残らぬ様に洗濯することざぞ。

今度と云ふ今度は何処までもきれいさっぱりと建替するのざぞ。

建直しと申すのは、

世の元の大神様の御心のままにする事ぞ。

御光の世にすることぞ。

てんし様の御稜威(みいつ)輝く御代とする事ぞ。

政治も経済も何もかもなくなるぞ。

食べるものも一時は無くなって仕舞ふぞ。

覚悟なされよ。

正しくひらく道道鳴り出づ、

はじめ苦し、

展きゐて、月鳴る道は弥栄、

地ひらき、世ひらき、世むすび、

天地栄ゆ、

はじめ和の道、

世界の臣民、てん詞様おろがむ時来るのざぞ。

邪魔せずに見物いたされよ、

御用はせなならんぞ。

この神示読めよ、声高く。

この神示血とせよ、

益人となるぞ。

天地まぜこぜとなるぞ。

六月十二日、

みづのひつ九の

水の巻 第12帖 (286)

使用さされた特殊文字 


裏切る者 沢山出てくるぞ、

富士と鳴門の仕組、

諏訪(スワ)マアカタの仕組。

ハルナ、カイの御用なされよ。

悪の総大将よ、早よ改心なされ、

悪の神々よ、早よ改心結構であるぞ。

いくら焦りてあがいても神国の仕組は判りはせんぞ。

悪とは申せ大将になる身魂、

改心すれば、今度は何時迄も結構になるのぞ。

日本の臣民人民 皆思ひ違ふと、くどう知らしてあろが。

まだ我捨てぬが、水でも掃除するぞ。

六月二十九日、

あめのひつぐのかみ神示。

松の巻 第14帖 (305)


国々所々に、

神人鳴り動く、

道は世にひらき極む、

日月地 更に交わり結び、

その神々ひらき弥栄え、

大地固成、まことの神と現はれ、

正し、三神は世に出づ、

ひふみと鳴り成るぞ。

正しくひらけ弥栄へて更につきづ、

鳴る道に成り、交わる。

永遠の世光ることは永遠の大道、

息吹き大地に充ち満つ道。

展きてつきず、

極まり成る神の道。

苦しむ道をひらき、

日月地に苦しむ喜び出で、

神の国むつび、

悉く歓喜弥栄ゆ。

七月十日、

あめのひつくのかみ。

松の巻 第23帖 (314)


早く早くと申せども、

立体の真道に入るは、

小我(われ)死なねば、大我(われ)もなき道ぞ、

元栄えひらき鳴る神、

元にひらき成る神、

元津神日の神、

極みきわまりて足り

いよいよ月の神はらみ交わりさかゆ、

成りむつび、

神々極まるところ、

ひふみ、よろづ、ち、ももと、ひらく、

歓喜の大道、

神々更に動きひらき栄ゆ。

元津神のナルトの秘密、

永遠に進み、いき、ひらき極む。

元津大神かくりみ、

次になる神かくりみのナルトぞ、

富士栄え、火の運動き、うづまき鳴り、極みに極みて、地また大地動き、うづまくぞ、

真理なりて極まり、

鏡の如くなり、

極まりて、動きひらき、極まりて大道、遂に成るぞ。

七月十日、

あめのひつくのかみ。

松の巻 第24帖 (315)


あら楽し、すがすがし、

世は朝晴れたり、

昼晴れたり、

夜も晴れたり。

あらたのし、すがすがし、

世は岩戸明けたり、

待ちに待ちし岩戸開けたり、

此の神示の臣民と云ふても、人間界ばかりでないぞ。

神界幽界のことも言ふて知らしてあると、申してあろが。

取違ひ慢心一等恐いと申してあろが。

祭典(まつり)、国民服もんぺでもよいぞ。

天明まつりの真似するでないぞ。

役員まつりせい。

何も云ふでないぞ。

言ふてよい時は知らすぞよ、

判りたか。

仕へる者無き宮、産土様の横下にいくら祀ってもよいぞ。

天明は祈れ。

祈れ。

天に祈れ、地に祈れ、

引潮の時引けよ。

満潮の時進めよ。

大難小難にと役員も祈れよ。

口先ばかりでなく、誠祈れよ。

祈らなならんぞ。

口先ばかりでは悪となるぞ。

わかりたか。

今度は借銭済(な)しになるまでやめんから、誰によらず借銭無くなるまで苦し行せなならんぞ、

借銭なしでないと、お土の上には住めん事に今度はなるぞ。

イシの人と、キの人と、ヒの人と、ミヅの人と、できるぞ。

今にチリチリバラバラに一時はなるのであるから、その覚悟よいか。

毎度知らしてあること忘れるなよ。

神示 腹の腹底まで浸むまで読んで下されよ。

神頼むぞ。

悟った方 神示とけよ。

といて聞かせよ。

役員 皆とけよ。

信ずる者皆人に知らしてやれよ。

神示読んで嬉しかったら、知らしてやれと申してあらうが。

天明は神示書かす役ぞ。

アホになれと申してあろが、

まだまだぞ、

役員 気付けて呉れよ。

神示の代りにミ身に知らすと申してある時来たぞ。

愈々の時ぞ。

神示で知らすことのはじめは済みたぞ。

実身掃除せよ。

ミ身に知らすぞ。

実身に聞かすぞ、聞かな聞く様にして知らすぞ。

つらいなれど、がまんせよ。

ゆめゆめ利功出すでないぞ。

判りたか、

百姓にもなれ、

大工にもなれ、

絵描きにもなれ。

何にでもなれる様にしてあるでないか。

役員も同様ぞ。

まどゐつくるでないぞ、

金とるでないぞ。

神に供へられたものはみな分けて、

喜ばしてやれと申してあろが。

此の方 喜ぶこと好きぞ、

好きの事栄えるぞ。

いや栄へるぞ。

信者つくるでないぞ。

道伝へなならんぞ。

取違へせん様に慢心せん様に、

生れ赤児の心で神示読めよ。

神示いただけよ。

日本の臣民 皆勇む様、祈りて呉れよ。

世界の人民 皆よろこぶ世が来る様 祈りて呉れよ、

てんし様まつれよ。

みことに服(まつ)ろへよ。

このこと出来れば他に何も判らんでも、峠越せるぞ。

御民いのち捨てて生命に生きよ。

「鳥鳴く声す 夢さませ、見よ あけ渡るひむかしを、

空色晴夜明けの巻 第13帖 (333)


普字鳴戸(成答)の経綸動ぞ(フジナルトのシグミイゴクぞ)。

荒の巻第01帖 (377)


真問ひ成り成り鳴り(マトひナりナりナり)、

荒の巻第01帖 (377)

 


弥栄鳴戸(成答)は(ヤサカナルト は)、

荒の巻第01帖 (377)


鳴戸(成答)理開きに開き(ナルトミチヒラきにヒラき)、

荒の巻第01帖 (377)


解りし字に言玉息吹き鳴り(ワカりしジにコトタマイブきナり)、

荒の巻第01帖 (377)


われわれの一切は生れつつある。

神も、宇宙も、森羅万象の悉くが、常に生れつつある。

太陽は太陽として、太陰は太陰として、絶えず生れつづけている。

一定不変の神もなければ、宇宙もない。

常に弥栄えつつ、限りなく生れに生れゆく。

過去もなければ、現在もなく、未来もない。

只存在するものが生れに生れつつある。

生もなければ死もない。

善も思わず真も考えず美も思わない。

只自分自身のみの行為はない。

只生れゆき栄えゆくのみである。

善を思い悪を思うのは、死をつくり生をつくり出すことである。

故に地上人が自分自身でなすことには、総て永遠の生命なく、弥栄はあり得ない。

何故ならば、地上人は、地上人的善を思い、悪を思い、真を思い、偽を思うからである。

思うことは行為することである。

生前、生後、死後は一連の存在であって、そこには存在以外の何ものもないのである。

存在は生命であり、生れつつあるもの、そのものである。

何ものも、それ自らは存在しない。

弥栄しない。

必ず、その前なるものによって呼吸し、脈うち、生命し、存在し、弥栄する。

また、総てのものの本体は、無なるが故に永遠に存在する。

地上人は、生前に生き、生前に向って進みゆく。

また、地上人は、地上に生き、地上に向って進みゆく。

また、地上人は、死後に生き、死後に向って進みゆく。

しかし、その総ては神の中での存在であるから、それ自体のものはない。

善でもなく、悪でもなく、只生れつつあるのみ。

霊人に空間はない。

それは、その内にある情動によって定まるが故である。

また、その理によって一定せる方位もない。

また時間もなく只情動の変化があるのみである。

地上人は、肉体を衣とするが故に、宇宙の総てを創られたものの如く考えるが、創造されたものではない。

創造されたものならば、永遠性はあり得ない。

宇宙は、神の中に生み出され、神と共に生長し、更に常に神と共に永遠に生れつつある。

その用は愛と現われ、真と見ゆるも、愛と云うものはなく、また、真なるものも存在しない。

只大歓喜のみが脈うち、呼吸し、生長し、存在に存在しつつ弥栄するのである。

存在は千変万化する形に於て、絶えず弥栄する。

それはであり、 なるが故である。

は大歓喜の本体であり、はその用である。

それは、善でもなく悪でもない。

真でもなく偽でもない。

美でもなく醜でもない。

また愛でもなく憎でもない。

プラスでもなければマイナスでもない。

しかし、善の因と真の因とが結合し、悪の因と偽の因とが結合し、美の地震の巻

第01帖 (378)


天界も無限段階、地界も無限段階があり、

その各々の段階に相応した霊人や地上人が生活し、歓喜している。

その霊人たちは、その属する段階以外の世界とは、内的交流はあっても、全面的交流はないのである。

何故ならば、自らなる段階的秩序を破るからである。

秩序、法則は、神そのものであるから、神自身もこれを破ることは許されない。

しかし、同一線上に於ける横の交流は、可能である。

それは丁度、地上に於ける各民族がお互に交流し、融和し得るのと同様である。

総て分類しなければ生命せず、呼吸せず、脈うたない。

分類しては、生命の統一はなくなる。

其処に、分離と統合、霊界と現実界との微妙極まる関係が発生し、半面では、平面的には割り切れない神秘の用が生じてくる。

一なるものは、平面的には分離し得ない。

二なるものは、平面的には一に統合し得ないのである。

分離して分離せず、統合して統合せざる、天地一体、神人合一、陰陽不二の大歓喜は、立体的神秘の中に秘められている。

については一なるも、に於ては二となり三となり得るところに、永遠の生命が歓喜する。

一は一のみにて一ならず、善は善のみにて善ならず、また、真は真のみにて真となり得ない。

神霊なき地上人はなく、地上人とはなれた神霊は、存在しない。

しかし、大歓喜にまします太神の≠ヘ、そのままで成り鳴りやまず存在し、弥栄する。

それは、立体を遥かに越えた超立体、無限立体的無の存在なるが故である。

霊人は、その外的形式からすれば地上人であり、地上人は、その内的形式からすれば霊人である。

生前の形式は、生後の形式であり、死後の形式である。

即ち、死後は生前の形式による。

形式は愛と現われ、真と現われ、善と現われ、美と現われる。

而して、その根幹をなし、それを生命させるのは歓喜であって、歓喜なき所に形式なく、存在は許されない。

愛の善にして真の美と合一しなければ呼吸せず、現の現人にして霊の霊人と合一しなければ生命しない。

これら二つが相関連せるを外の真と云う。

外の愛も外の真も共に生命する。

人間に偽善者あり、霊界に偽善霊の存在を許されたるを見れば判るであろう。

表面的なるものの動きも、内面的に関連性をもつ。

故に、外部的にまげられたる働きの許されてあるを知ることができるであろう。

許されてはいるが、それは絶えず浄化し、弥栄すればこそである。

浄化し弥栄しゆく悪は悪でなく、偽は偽でない。

動かざる善は善でなく、進展せぬ真は真でない。

更に善を善とし、悪を悪として

地震の巻 第02帖 (379)

使用された特殊文字  


十二の流れ、六の流れとなり、

三つの流れとなり、

二となり一と成り鳴りて、

一つ になり、

一つの王で治めるのぢゃぞ、

弥栄の仕組、普字と成答の仕組、

いよいよとなったぞ。

あな嬉し、

あなすがすがし普字は晴れたり日本晴れ。

此の巻 んの巻と 申せよ、

後の世の宝と栄へるぞ。

十二月十四日、一二

梅の巻 第28帖 (455)

使用された特殊文字 


なる世、極まりて扶桑みやこぞ、

みち足り足りて、

万世のはじめ、

息吹き、動き和し、弥栄へ、

展き、睦び、結ぶ、扶桑の道 鳴りはじむ道、代々の道ひらき、次に睦び、マコトの道にひかり極む、

新しき世、出で、みちつづぎ、

道つづき、極みに極まりなる大道、

極まる神の大道、ひらく世、弥栄神、かく、千木高く栄ゆ世に、世かわるぞ、

太神、大神、神出でまして、道弥栄極む、大道に神みち、

極み、栄え、更に極む、

元津日の大神、元津月の大神、

元津地(くに)の大神弥栄。

一月一日、

ひつくのかみ。

空の巻 第01帖 (456)


建直しの道つづき、結び、展く、

日月出で、よろづのもの、

一二三(ひふみ)とみち、つづき鳴り成り、

ひらく大道、真理の出でそむ中心に、マコト動きて、元津神 栄ゆ、

元津神は真理、真愛、大歓喜の大道ぞ、うづぞ、神々のうづぞ、

ナルトぞ、人のよろこびぞ、

代々の大道ぞ、

真理、真愛、大歓喜は、中心にひかり、ひらき極まる道ぞ、

展き極まる世ぞ、鳴り極み、ひらき、うごく大道、うごき、和し、なり、大歓喜、足りに足り足る世、

生れ出づる世、うごき更にひらき、

次々に栄え極みて、

新しきはたらきの湧く次の大御代の六合つづく道、

つづき睦びて、富士晴れ極み、

鳴門は殊にひかり出でて、

大道は日神の中心にかへり、

亦出でて、ひらき、

大道いよいよ満つ、

焼く神々、早くせよ。

一月六日、

一二

空の巻 第04帖 (459)

使用された特殊文字 


よき神にはよき御用、

悪き神には悪き御用、

自分で自分がつとめあげるのぢゃ、

人になんと云はれても腹の立つ様では御用六ヶ敷いぞ、

腹立つのは慢心ぢゃと申してあろがな。

仕組途中でグレンと変り、

カラリと変る仕組してあるのぢゃ、

其処に一厘の仕組、

火水の仕組、

富士と鳴門の仕組、

結構々々大切致してあるのぢゃ。

仕組変り変りて人民には判らんなり、

よき世と致すのぢゃ、

いくら智あっても人間心では出来ん仕組ぞ、

捨てて神にすがりて来ねば分らん仕組ぢゃ、

と云ふて人間世界は人間の智いるのぢゃ、

智でない智を神が与へるぞ、

神人共にと申してあろがな、

つとめ上げたら他にない結構な御用。

八月三日、

ひつ九

青葉の巻 第10帖 (479)

使用された特殊文字 


此の度の岩戸開きに御用に立つ身魂ばかり選り抜きて集めて行さして御用に使ふのであるから、

他の教会とは天地の違ひであるぞ、

今度は人民の心の底まであらためて一々始末せねばならんなり、

誰によらん、今迄の様なゼイタクやめて下されよ。

せねばする様せなならんなり、

世界のハラワタ腐り切って居るのであるから愈々を致さねばならんなり、

愈々をすれば人民愈々となるから、

神がくどう気つけてゐるのざぞ。

此処へは善と悪とどんな身魂も引寄せてコネ廻し練り直す所であるから、

チットモ気緩(ゆる)しならん所であるぞ。

ここの仕組は天の仕組と地の仕組と、

カミとなりホトケとなり結び と和し雲と顕れ動き、鳴り成りてマコトの世「みろく」の代と致して、

この世を神の国と致す仕組ぢゃ。

今迄は天の神ばかり尊んで上ばかり見て居たから、

今度は地は地の神の世と致すのぢゃ、

天の神は地ではお手伝ひざと申してあろが、

下見て暮せ、

足元に気付けと申してあらうが、

皆 地の神尊び斉き祀りて弥栄ましませ。

天の教許りではならず、

地の教許りでもならず、

今迄はどちらかであったから、

時が来なかったから、

マコトがマコトと成らず、

いづれもカタワとなってゐたのざぞ、

カタワ悪ぞ、

今度上下揃ふて夫婦和して、

天と地と御三体まつりてあななひて、

末代の生きた教と光り輝くのざぞ。

八月九日、

ひつ九のかミ。

青葉の巻 第19帖 (488)

使用された特殊文字


奉る歌書かして置いたに何故読まんのぢゃ。

大き声で読み上げよ。

歌うたひ呉れと申してある時来てゐるぞ。

歌でイワトひらけるぞ。

皆 歌へ唄へ。

各も各も心の歌つくって奉れよ。

歌結構ぞ。 

ひふみゆら、

ひふみゆらゆら、

ひふみゆらゆら。 

かけまくも、かしこけれども、歌たてまつる。 

御まへに、歌たてまつる、

弥栄(ヤサカ)み歌を。 

世を救ふ、大みゐわざぞ、みことかしこし。 

まさに今、神のみことを、このみみに聞く。 

三千世界、救ふみわざぞ、言(コト)ただし行かな。 

大神の、しきます島の、八十島(ヤソシマ)やさか。 

天かけり、地(クニ)かける神も、みひかりに伏す。 

堪へに堪へし、三千年の、イワトひらけぬ。 

したたみも、いはひもとほり、神に仕へむ。

大稜威(オオミイヅ)、あぎとふ魚も、ひれ伏し集ふ。

かむながら、みことの朝を、みたみすこやかに。 

神の子ぞ、みたみぞ今の、この幸になく。 

国原は、大波うちて、みふみを拝す。 

天もなく、地もなく今を、みことに生きん。 

あなた 大みつげ、八百万神も、勇みたつべし。 

天地の、光となりて、みふで湧き出づ。 

一つ血の、みたみの血今、湧きて止まらず。

大みこと、身によみがえる、遠つ祖神(オヤ)の血。

すでに吾れ、あるなし神の、辺にこそ生きん。

高鳴るは、吾か祖の血か、みつげ尊し。

吾れあらじ、神々にして、祈らせ給ふ。

天地も、極まり泣かん、この時にして。

かつてなき、大みつげなり、たたで止むべき。

天地も、極まりここに、御代生れ来ん。 

大き日の、陽にとけ呼ばん、くにひらく道。 

みことのり、今ぞ輝き、イワトひらけん。 

宮柱、太しき建てて、神のまにまに。 

抱き参らせ、大御心に、今ぞこたへむ。

言いむけ、まつろはしめし、みことかしこし。 

ただ涙、せきあへず吾(ア)は、御(オン)まへに伏す。

ささげたる、生命ぞ今を、神と生れます。

大まへに、伏すもかしこし、祈る術(スベ)なし。 

今はただ、いのちの限り、太道(オミチ)伝へむを。 

祈りつつ、限りつくさん、みたみなり吾れ。 

いのち越え、大きいのちに、生きさせ給へ。

ひたすらに、みことかしこみ、今日に生き来し。

言霊の、言高らかに、太陽(オオヒ)にとけな。

天に叫び、吾れにむちうち、今日に生き来し。

あらしとなり、あまかけりなば、この心癒えむか。 

走りつつ、今海出づる、大き月に呼ぶ。

みみかくし、生命と生れて、遠つ祖神(オヤ)さか。 

神々の、智は弥栄え、此処に吾れたつ。

みたみ皆、死すてふことの、ありてあるべき。

あな爽け、みたみ栄(ハエ)あり、神ともに行く。

さあれ吾の、生命尊し、吾(ア)を拝(オロガ)みぬ。

みづくとも、苔むすとても、生きて仕へん。

いゆくべし、曲(マガ)の曲こと、断たで止むべき。

かへりごと、高ら白さんと、今日も死を行く。

追ひ追ひて、山の尾ことに、まつろはさんぞ。 

追ひはらひ、川の瀬ことに、曲なごめなん。

みことなれば、天(アメ)の壁立つ、極み行かなん。 

と心の、雄たけび天も、高く鳴るべし。

まさ言を、まさ言として、知らしめ給へ。

たな肱(ヒヂ)に、水泡(ミナワ)かきたり、御稲(ミトシ)そだてんを。 

むか股に、ひぢかきよせて、たなつつくらむ。

狭田長田、ところせきまで、実のらせ給へ。

神々の、血潮とならん、ことに生き行く。

言さやぐ、民ことむけて、神にささげん。

にぎてかけ、共に歌はば、イワトひらけん。 

大き日に、真向ひ呼ばん、神の御名を。

道端の、花の白きに、祈る人あり。 

拍手(カシワデ)の、ひびきて中今(イマ)の、大きよろこび。

悔ゆるなく、御まへに伏し、祝詞(ノリト)申すも。

祝詞せば、誰か和し居り、波の寄す如。

のりと申す、わが魂に、呼ぶ何かあり。

御まへに、額(ヌカ)づきあれば、 波の音きこゆ。 

悔ゆるなき、一日(ヒトヒ)ありけり、夕月に歩す。 

曇りなく、今を祝詞す、幸はへたまへ。

奉る、歌きこし召せ、幸はへ給へ。

ひふみよい、むなやここたり、ももちよろづう。

かのととりの日。

黄金の巻 第044帖 (555)


そなたは何時もあれもよいらしい、

これもよいようだと迷って、

迷ひの世界をうみ出し、

自分で自分を苦しめて、

気の毒よなあ。

これと一応信じたらまかせきれよ。

梶をはなして鳴門の渦の中にまかせきれよ。

まかせきるとひらけてくるのぢゃ。

悟れたようでゐて、そなたが悟り切れんのはまかせきらんからぞ。

そなたはいつも孤独、

そなたの不運は孤独からぢゃ。

友をつくりなさい、友つくることは己をつくることと申してあろうが。

友つくることは新しき世界をつくることぞ。

一人の世界は知れたものぞ。

一人ではマコトの道を生きては行かれんぞ。

友と申しても人間ばかりではないぞ。

山も友、川も友、動物も植物も皆友ぞ。

大地も大空も皆友となるぞ。

何も彼も皆友ぢゃ、皆己ぢゃ。

皆々己となれば己はなくなるぞ。

己なくなれば永遠に生命する無限の己となるのぢゃ。

御神前で拝むばかりでは狭いぞ。

野菜拝めば野菜が、魚拝めば魚が己となるのぢゃ。

拝むことは和すこと。

和すことが友つくる秘訣ぞ。

友を己とすることは、己を友とすることぢゃ。

友にささげることぢゃ。

親は子にささげるからこそ、子が親となるのぢゃ。

判りたか。

赤ん坊のお尻をふいてやることもあるであろうがな。

そなたが赤ん坊と同じであったら出来ない芸当ぞ。

お尻を出すものがあっても、決して怒ってはならん。

子のお尻と思って きれいにふいてやれよと申してあろうが。

お尻を持ち込まれるのは、持ち込まれるだけのわけがあるからぞ。

利子は後から支払えばよいと、そなたは思ってゐるが、先に支払ふこともあるのであるぞ。

先にお尻をふかねばならんことも、世が迫ってくると出てくるのぢゃ。

その代り、後では神がそなたのお尻をきれいにふいて下さるぞ。

ぶつぶつ申さずに勇んでやって下されよ。

そなたは他にものを与えることに心せねばならんぞ。

与えることは頂くことになるのであるから、与えさしてもらう感謝の心がなければならんぞ。

強く押すと強く、弱く押すと弱くはねかえってくること、よく知って居ろうがな。

自分のものと云ふものは何一つないこと、よく判って居る筈ぢゃ。

月光の巻 第56帖 (843)


碧玉の巻 第10帖(874)

岩戸は五回閉められてゐるのざぞ、

●那岐(なぎ)、那美(なみ)の尊の時、

●天照大神の時、神武天皇の時、

●仏来た時と、

●大切なのは須佐之男神様に罪着せし時、

その五度の岩戸閉めであるから此の度の岩戸開きはなかなかに大そうと申すのぞ。

● 岩戸しめの始めはナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時であるぞ、

ナミの神が火の神を生んで黄泉国に入られたのが、そもそもであるぞ、

十の卵を八つ生んで二つ残して行かれたのであるぞ、

十二の卵を十生んだことにもなるのであるぞ、

五つの卵を四つ生んだとも言へるのであるぞ、

総て神界のこと、

霊界のことは、現界から見れば妙なことであるなれど、

それでちゃんと道にはまってゐるのであるぞ。

一ヒネリしてあるのぢゃ、

天と地との間に大きレンズがあると思へば段々に判りてくるぞ。

夫神、妻神、別れ別れになったから、一方的となったから、岩戸がしめられたのである道理、判るであろうがな。

その後、独り神となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになったのであるが、それが一方的であることは申す迄もないことであろう、

妻神も同様、黄泉大神となられて、黄泉国の総てを生み育て給ふたのであるぞ、

この夫婦神が、時めぐり来て、千引の岩戸をひらかれて相抱き給う時節来たのであるぞ、

うれしうれしの時代となって来たのであるぞ。

同じ名の神が到るところに現はれて来るのざぞ、

名は同じでも、はたらきは逆なのであるぞ、

この二つがそろうて、三つとなるのぞ、

三が道ぞと知らせてあろうがな。

時来たりなば この千引の岩戸を倶にひらかんと申してあろうがな。

●次の岩戸しめは天照大神の時ぞ、

大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、

ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞと知らせてあろう。

いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神、揃ふてお出まし近うなって来たぞ。

●次の岩戸しめは素盞鳴命に総ての罪をきせてネの国に追ひやった時であるぞ、

素盞鳴命は天下(あめがした)を治しめす御役(おんやく)の神であるぞ。

天ヶ下(あめがした)は重きもののつもりて固まりたものであるからツミと見へるのであって、よろづの天の神々が積もる(と言ふ)ツミ(積)をよく理解せずして罪神と誤って了ったので、これが正しく岩戸しめであったぞ、

命(みこと)をアラブル神なりと申して伝へてゐるなれど、 アラブル神とは粗暴な神ではないぞ、

あばれ廻り、こわし廻る神ではないぞ、

アラフル(現生る)神であるぞ、

天ヶ下、大国土を守り育て給う神であるぞ、

取違ひしてゐて申しわけあるまいがな。

このことよく理解出来ねば、今度の大峠は越せんぞ。

絶対の御力を発揮し給ふ、ナギ、ナミ両神が、天ヶ下を治らす御役目を命じられてお生みなされた尊き御神であるぞ。

素盞鳴の命にも二通りあるぞ、

一神で生み給へる御神と、

夫婦呼吸を合せて生み給へる御神と二通りあるぞ、

間違へてはならんことぞ。

●神武天皇の岩戸しめは、御自ら人皇を名乗り給ふより他に道なき迄の御働きをなされたからであるぞ。

神の世から人の世への移り変りの事柄を、一応、岩戸にかくして神ヤマトイハレ彦命として、人皇として立たれたのであるから、大きな岩戸しめの一つであるぞ。

●仏教の渡来までは、わずかながらもマコトの神道の光がさしてゐたのであるなれど、仏教と共に仏魔わたり来て完全に岩戸がしめられて、クラヤミの世となったのであるぞ、

その後はもう乱れほうだい、やりほうだいの世となったのであるぞ、

これが五度目の大き岩戸しめであるぞ。

碧玉の巻 第10帖(874)


宇宙の総てが高天原(タカアマハラ)であるぞ。

天照大神は高天原を治し、

また高天原を御(しら)し、

また高天原を知らす御役、

月読大神は天照大神と並びて天のことを知らし、

また【あほうなはら】の汐の八百路を治し、

また夜の食す国を知らす御役、

素盞鳴の大神は【あほうなはら】を治らし、

又 滄海之原を御(しろ)し、

又、天下を知(し)(治)らす御役であるぞ。

碧玉の巻 第11帖(875)


ナルの仕組とは【成十】(七十)の経綸であるぞ、

八が十になる仕組、岩戸(言答)ひらく仕組、

今迄は中々に判らなんだのであるが、

時節が来て、岩戸がひらけて来たから、

見当つくであろう、

富士(二二、普字)と鳴門(ナルト)(七十、成答)の仕組、結構致しくれよ。

星座の巻 第02帖(885)

使用さされた特殊文字 


自由も共産も共倒れ、

岩戸がひらけたのであるから元の元の元のキの道でなくては、

タマ(玉)の道でなくては立ちては行かん、

動かん二二(普字、富士)の仕組、

ひらけて渦巻く鳴門(ナルト)(七十、成答)ぢゃ。

新しき人民の住むところ、

霊界と現界の両面をもつ所、

この岩戸ひらきて二度とない九十(光透)でひらく仕組。

星座の巻 第11帖(894)

使用さされた特殊文字 


土のまんぢうと申してあろう、

土が食べられると申してあろう、

土から人民を生んだと申してあろう、

ウシトラコンジンの肉体は日本の土ざと知らしてあろう、

土に生きよと申してあろう、

地は血(智)であるぞ、

素盞鳴命様であるぞ、

その土が生長して果ての果てに皮をぬぐ、

それが地変であるぞ。

星座の巻 第17帖(900)


人民が正しく言葉すれば霊も同時に言霊するぞ、

神も応へ給ふのであるぞ。

始め言葉の元があるぞ、

ムムムムムウウウウウゝゝゝゝゝアと現はれるぞ、

神の現はれであるぞ、

言葉は神をたたへるものぞ、

マコトを伝へるものぞ、

倶(トモ)に鳴り、倶に栄えるものぞ。

星座の巻 第20帖(903)


この巻

「竜音の巻」、

つづく巻五は

「極(きわみ)の巻」、

巻六は

「至恩の巻」、

巻七は

「五葉の巻」ぞ。

この五十黙示(いせもくじ)の七巻は神、

人共に与へたもの、

一巻からつづいたものぞ。

同じ意をもつものが天国にもあるのであるぞ。

合せて三十巻、

これで岩戸までの神示の終りぞ、

前に出した「黄金の巻」からの七巻(日月地聖典下編)は 人民に与へたものであるぞ。 

言(こと)やめて 草の片葉も 陽にのび行かな。 

八十(やそ)隈手 行きにし神は 今かへります。 

素盞鳴の 命しらせる 海原ぞやよ。 

天ヶ下 おつるくまなく 照らす大神。

高低(たかひき)の 伊百理(いほり)かきわけ  きこし召すらむ。 

罪と言ふ 罪はあらじな 神の子なれば。

ひふみ百千万(ももちよろず)と  咲(ゑ)ます 元つ太神。

八十伴男(やそとものを) 百(もも)足り足りて  仕へまつらむ。 

行く水に 清めて仕ふ 極みの宮殿(みあらか)。

言霊の 栄ゆる御歌に はらひてましを。

みそぎして 祝ふ生命(いのち)ぞ 弥栄ましませ。

安国の 瑞穂(みづほ)の国と 御(しら)し給ひぬ。

八重雲の 十重雲千別き 千別き天降(あも)りぬ。 

千木高知り 美頭(みづ)の御殿(みあらか)  咲(え)み仕へなむ。 

許々太久(ここたく)の 罪はあらじな 大岩戸あく。 

四方の国 咲(え)み集うらし 真中の国に。

よきあしき 皆はらひませ 科戸(しなど)の風に。

竜音の巻 第01帖(909)


五十黙示録 第四巻 竜音の巻 第十九帖(78)

昭和三十六年八月三日、

旧六月二十二日(1961年)

(ひふみ神示 第三十四巻)(927)

霊の発動をとめて、静かにする法は

「国常立大神 守り給へ幸(さき)はへ給へ」

と三回くり返すこと。

「素盞鳴大神 守り給へ幸はへ給へ」

と三回くり返すこと、

又は

「太日月地大神 守り給へ幸はへ給へ」

と三回くり返すこと。

世界そのものの霊かかり、

日本の霊かかり、

早うしづめんと手におえん事となるが、見て御座れよ、

見事な事を致してお目にかけるぞ。

(竜音の巻了)


今の学者には今の学しか判らん、

それでは今度の岩戸ひらきの役にはたたん、

三千世界の岩戸ひらきであるから、

少しでもフトマニに違ってはならんぞ。

廻りくどいようなれど【とつぎ】の道から改めなされよ、

出舟の港は夫婦からぢゃと申してあろう、

ミトノマグハヒでなければ正しき秩序は生れんぞ、

素盞鳴命が、荒ぶる神、悪神ではなく、

人民の罪を背負って下さる救ひ主の大神であることが判らねば、

岩戸はひらけんぞ。

新しき世界の宮は土地(神智)(十千)であるぞ、

住所(数真意)(すまい)であるぞ、

永遠に在(おわ)す神は住む(澄む、数務)土地(十千)であるぞ、

下には永遠の腕(宇丁)(うで)があるぞ。

極めの巻 第20帖 (947)


国常立神も素盞鳴命も大国主命も、総て地(智)にゆかりのある神々は皆、九(光)と十(透)の世界に居られて時の来るのをおまちになってゐたのであるぞ、

地は智の神が治(し)らすのぞと知らしてあろうが、

天運 正にめぐり来て、千(智)引の岩戸(言答)はひらかれて、

これら地(智)にゆかりのある大神達が現れなされたのであるぞ、

これが岩戸ひらきの真相であり、誠を知る鍵であるぞ。

至恩の巻 第10帖(957)


太陽は十の星を従へるぞ、

原子も同様であるぞ。

物質が変るのであるぞ、

人民の学問や智では判らん事であるから早う改心第一ぞ、

二二と申すのは天照大神殿の十種(とくさ)の神宝に(テン)を入れることであるぞ、

これが一厘の仕組。

二二となるであろう、

これが富士の仕組、

七から八から鳴り鳴りて十となる仕組、

なりなりあまるナルトの仕組。

富士(不二)と鳴門(ナルト)(成答)の仕組いよいよぞ、

これが判りたならば、

どんな人民も腰をぬかすぞ。

一方的に一神でものを生むこと出来るのであるが、

それでは終りは完う出来ん、

九分九厘で【リンドマリ】ぞ、

神道も仏教もキリスト教もそうであろうがな、

卍(ぶつ)も十(キリスト)もすっかり助けると申してあろうがな、

助かるには助かるだけの用意が必要ぞ。

用意はよいか。

このこと大切ごと、

気つけおくぞ。

なりなりなりて十とひらき、

二十二となるぞ、

富士(普字)晴れるぞ、

大真理世に出るぞ、

新しき太陽が生れるのであるぞ。

至恩の巻 第16帖(963)

使用さされた特殊文字 


五葉の巻 第02帖 (116)

霊界に方位はない、人民は東西南北と申してゐるなれど、今に東の東が現れてくるぞ。

霊界では光のさす方が北ぢゃ、

その他の東西南北は皆南ぢゃ、

北が元ぢゃ、

北(基田)よくなるぞと申してあろうがな。

鳴門(ナルト)の渦巻を渡る時はカヂをはなして、手放しで流れに任せると渡れるのであるぞ、

カヂをとると同じ処をグルグルぢゃ。

カヂをはなせる人民少ないのう。

何んでも彼んでもカヂをとって自分の思ふ通りに舟を進めようとするから大変が起るのぢゃ、

渦にまかせる時はまかさなければならんぞ、

ナルトの仕組の一面であるぞ、大切ごとぞ。


この巻 五葉の巻と申せよ、

四つの花が五つに咲くのであるぞ、

女松の五葉、

男松の五葉、

合せて十葉となりなりなりて笑み栄ゆる仕組、

十と一(+と−)の実り、

二二と輝くぞ、

日本晴れ近づいたぞ、

あな爽々し、

岩戸あけたり。

国土をつくり固める為に、根本大神が何故にヌホコのみを与へたまひしか?

を知らねば、岩戸ひらきの秘密はとけんぞ。

千引岩戸をひらくことに就いて神は今迄何も申さないでゐたのであるなれど、

時めぐり来て、その一端をこの神示で知らすのであるぞ、

素盞鳴の命のまことの御姿が判らねば次(通基)の世のことは判らんそ、

神示をいくら読んでも【カンジンカナメ】のことが判らねば何にもならんぞ。

紫金の巻 第10帖 (140)

使用された特殊文字 + −



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