一厘は1/100? それとも1/1000?
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千成さん さるです 又おじゃまします ひとつ教えてください。 神事には、「一厘」と出てきますが、 一般常識では一厘って何%の事ですか? 1%?3%?10%? よろしくお願いします。
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千成です 一厘は学校の数学では1%の1/10と教えています。 ですから一厘=0.001=1/1000 となるのですが、 国語辞典で見てみました。 国語辞典によると1%の場合もあるし、0.1%の場合もあるようです。 このややこしさは、分(ぶ)にもあてはまります。 分は1/10の場合もあるし1/100の場合もあるようです。 神示の解読のときには、どちらを採用していいのか困りますよね。
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千成さん さるです わざわざ辞典で調べられたんですか、どうもすいません。 ありがとうございます。 もし、1%の1/10=0.001の確率だとしたら ほんとにわずかの確率の仕組みなんですね。 でも神事では必ずおこる仕組みになってるんですね。
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トッチです。 日本人には、野球の打率と同じに統一した方が分りやすいと思います。 10回打って、1回ヒットなら1割0分0厘。 1厘は1割(10%)の100分の1 1分は1割の10分の1 なのですが、これは現代の野球の話で “腹八分”なんてありましたね。 この場合、八分は80%ですね。 神示でも、こちらの使い方をしているものが多いようです。
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トッチさん、野球では一厘=1/1000でも 慣用的は使い方は腹八分などというように 分=1/10 厘=1/100 ということですね。 “一厘の仕組”の場合は、“1%の仕組”ということでしょうか 以下、“厘”とか“分”が出てくる帖を並べてみました。
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九分九厘につきましては99%を意味しているようですね。 そうしますと、この場合1厘は1%となるようです。
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人から見てあれならばと云ふやうになれば、この方 の光出るのじや。
行出来ねばお出直し、お出直し多いなあ。
独断役には立たんぞ。
イワトびらきの九分九厘でひつくり返り、 又九分九厘でひつくり 返る。
天明九十六才七ヶ月、ひらく。
かのととり。
一二十。
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昭和二十年一月九日、 旧十一月二十六日(1945年) 神の国の昔からの生神の声は、世に出てゐる守護人の耳には入らんぞ、 世に出てゐる守護人は 九分九厘迄 外国魂ざから、聞こえんのざぞ。
外国の悪の三大将よ、 いざ出て参れ よ、 マトモからでも、上からでも、下からでも、横からでも、いざ出てまゐれよ。
この神の国には世の元からの生神が水ももらさぬ仕組してあるから、 いざ出て参りて得心ゆくまでかかりて御座れ。
敗けてもクヤシクない迄に攻めて御座れよ、 堂々と出て御座れ、 どの手でもかかりて御座れ。
その上で、敗けてこれはカナワンと云ふ時迄かかりて御座れよ。
学、勝ちたら従ってやるぞ、 神の力にカナワンこと心からわかりたら末代どんなことあっても従はして元の神のまことの世にして、改心さして、万劫末代 口説(くぜつ)ない世に致すぞよ。
一 月九日、
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臣民の思ふやうにやれるなら、 やりて見よれ、 九分九厘 でグレンと引繰り返ると申してあるが、 これからはその場で引繰り返る様になるぞ。
誰れもよう行かん、臣民の知れんところで何してゐるのぞ、 神には何も彼も分りてゐ るのざと申してあろがな、 早く兜脱いで神にまつはりて来いよ、 改心すれば助けてや るぞ、 鬼の目にも涙ぞ、 まして神の目にはどんな涙もあるのざぞ、 どんな悪人も助け てやるぞ、 どんな善人も助けてやるぞ。
江戸と申すのは東京ばかりではないぞ、 今の 様な都会みなエドであるぞ、 江戸は何うしても火の海ぞ。
それより他 やり方ないと 神々様申して居られるぞよ。
秋ふけて草木枯れても根は残るなれど、 臣民かれて根の 残らぬやうなことになりても知らんぞよ、 神のこのふみ早う知らしてやって呉れよ。
八と十八と五月と九月と十月に気つけて呉れよ、 これでこの方の神示の終わりぞ。
こ の神示は富士(二二)の巻として一つに纒(まと)めておいて下されよ、 今に宝とな るのざぞ。
八月の三十日、
富士の巻 第27帖 (107)
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宇都志(うつし)水に 天津(あまつ)水添え 奉(たてまつ)らむを。
夕陽(ゆうひ)より 朝日照るまで フトノリトせむ。
火結神(ほむすび)の 実秀答(ミホト)焼かへて 岩戸(言答)(一八十)閉ざしき。
世界を一つにするのであるから王は一人でよいぞ、 動きは二つ三つとなるのぢゃ、 キはキのうごき、 ミはミのうごき、 動いて和してキミと動くのぢゃ。
三が道ぞと知らしてあろう、 自他の境界つくるでないぞ、 おのづから自他の別と和が生れて お互に折り重なって栄へるのぢゃ、 世界一家への歩み方、 やり方、間違へるでないぞ。 九分九厘まで進まねば後の一厘は判らん、 今が九分九厘であるぞ、 日本は日本、 世界は世界、 日本は世界のカタ国、 おのづから相違あるぞ。
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上の帖の場合の一厘は1/100かもしれません。
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煎(ゐ)り豆 花咲く目出度い時となってゐるのに何して御座るのぞ。
いくら人民の尻叩いて野山切り拓いても食物三分むつかしいぞ。
神々まつれと申してあろが、 野拓く時は野の神まつれ。
物作る時は保食の神まつれ。
産土の神様にもお願ひしてお取次願はな何事も成就せんぞ。
人民の学や智ばかりで何が出来たか。
早よ改心第一ぞ。
山も川も野も人民も草も木も動物虫けらも何もかも此の方の徳であるぞ。
それぞれの御役あるのざぞ。
学や智捨てて天にむかへ。
地にむかへ、 草にむかへ、 生物にむかへ、 木にむかへ、 石もの云ふぞ。
草もの云ふぞ。
七月十八日、 あめのひつくのかみ。
松の巻 第28帖 (319)
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上の帖の3分=3割=0.3のような印象を受けます。
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昭和二十四年十一月二十七日、 旧十月八日(1949年) 552 このほうの許へ引寄せた人民、 八九分通りは皆一度や二度は死ぬる生命を神が助けて、 めぐり取って御用さしてゐるのぞ。
奉仕せよ。
どんな御用も勇んで勉めよ。
肚に手あてて考へて見よ。
成程なあと思ひあたるであらうが。
喉元すぎて忘れて居らうが。
かのととり。
ひつ九十 黄金の巻 第041帖 (552)
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上の帖の場合も 八九分通り=8〜9割 のような感じです。
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昭和二十四年十一月十七日、 旧九月二十七日(1949年) 日本が日本がと、まだ小さい島国日本に捉はれてゐるぞ。
世界の日本と口で申してゐるが、生きかへるもの八分ぞ。
八分の中の八分は又生きかへるぞ。
生きかへっても日本に捉はれるぞ。
おはりの仕組はみのおはり。
骨なし日本を、まだ日本と思うて目さめん。
九十九十(コトコト)と申してカラスになってゐるぞ。
古いことばかり守ってゐるぞ。
古いことが新しいことと思うてゐるなれど、 新しいことが古いのであるぞ。
取違ひいたすなよ。
【神は生命ぞ】。
秩序ぞ。
秩序は法則ぞ。
為せよ。
行ぜよ。
考えよ。
考へたらよいのぢゃ。
為すには先づ求めよ。
神を求めよ。
己に求めよ。
求めて、理解した後 為せ。
為して顧みよ。
神のいのち其処に弥栄えるぞ。
今迄の日本の宗教は日本だけの宗教、 このたびは世界のもとの、三千世界の大道ぞ。
教でないぞ。
八分の二分はマコトの日本人ぢゃ。
日本人とは世界の民のことぢゃ。
一度日本すてよ。
日本がつかめるぞ。
日本つかむことは三千世界をつかむことぞ。
悪の大将も、そのことよく知ってゐて、天地デングリ返るのぢゃ。
物の食べ方に気つけよ。
皆の者、物ばかり食べて御座るぞ。
二分の人民、結構に生きて下されよ。
喜び神ぞ。
十一月十七日。
ひつ九のか三
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上の帖はhttp://www31.tok2.com/home2/slicer21/0-o-space-3180.html に解説が載っています。 ここの解説では、分=1/10のようです。
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“おそし早しはあるなれど、神の申したこと一厘もちがはんぞ” 人民様の使っている単位でみたら少々のズレはあるだろうけれども〜と言っている感 じです。 逆に言うと、現世の単位は普遍的なものではなく、この現世でのみ通用する尺度なの ではないかと思います。 そのためひふみで使われる一厘は厳密な割合を現すものではなく相対的な事を言って いるのだと思います。 ○にテンで一つの完成形。 それらが集まってまた○にテンと完 成形は無限と続くわけですからそういう意味でも絶対的な割合を示さないのじゃない かな〜とも思います。 ですから たった一つでさえ 色々あるうちのたったの一つ 取るに足りない程のごくごく僅か みたいな感じで、一厘としているのではないかな〜とむしろ曖昧さを許容する形で捉 えています。
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