良い宇宙人と悪い宇宙人,宇宙の真相, The Earth is Controlled by Evil Alien


NO4435


善 悪 交流で検索抽出 


julaさんのメール

jula です。

思うことがあって善 悪 交流で検索抽出してみました。

意識しつつも自分が惹かれてしまうもの(趣味、興味、性向、好み(より見えやすい物 、事))や、知らず知らずに惹かれてしまうもの惹き付けてしまうもの、こと(他人の 言葉に対しての反応、自分の近くに居る存在、(見えにくい感性、感覚、親しみ))な どを時に振り返ってみたり意識してみる事も必要かもしれませんね。

自分の場合は・・・


どんな仕組み?

どうやって?

やり方は?

作り方は?

どんな感じのシステム?

根本って一体何?

みたいなところに惹かれるようです。

ですので、どうしてもオリジナリティーを出したいとか、自分を出さずには居られない 、兎に角自己を主張するといったものとは違うみたいです。

このため、


見回す、検索する、仮定する、考察する、当てはめてみる、その延長として 試してみる

なんて事を好むようです。

とすれば、それを応用して自分なりに再構成するなんてのもあるのでしょうが、なかな かそこまで辿りつきません。

完成させる事、オリジナリティーを盛り込む事が最終点にある訳ではなく、解明してい く、照合してみる、仮定して見る、その仮定で無駄な知識を仕込む、そのような事に興味が あり、惹かれるようです。

判った気になりたいってとこでしょうか。

ロックさんみたいに当って砕けろ〜、が出きるのは凄いなと思います。

みなさんは何に惹かれる、惹きつけられてしまうのでしょうか。


われわれの一切は生れつつある。

神も、宇宙も、森羅万象の悉くが、常に生れつつある。

太陽は太陽として、太陰は太陰として、絶えず生れつづけている。

一定不変の神もなければ、宇宙もない。

常に弥栄えつつ、限りなく生れに生れゆく。

過去もなければ、現在もなく、未来もない。

只存在するものが生れに生れつつある。

生もなければ死もない。

善も思わず真も考えず美も思わない。

只自分自身のみの行為はない。

只生れゆき栄えゆくのみである。

善を思い悪を思うのは、死をつくり生をつくり出すことである。

故に地上人が自分自身でなすことには、総て永遠の生命なく、弥栄はあり得ない。

何故ならば、地上人は、地上人的善を思い、悪を思い、真を思い、偽を思うからである。

思うことは行為することである。

生前、生後、死後は一連の存在であって、そこには存在以外の何ものもないのである。

存在は生命であり、生れつつあるもの、そのものである。

何ものも、それ自らは存在しない。

弥栄しない。

必ず、その前なるものによって呼吸し、脈うち、生命し、存在し、弥栄する。

また、総てのものの本体は、無なるが故に永遠に存在する。

地上人は、生前に生き、生前に向って進みゆく。

また、地上人は、地上に生き、地上に向って進みゆく。

また、地上人は、死後に生き、死後に向って進みゆく。

しかし、その総ては神の中での存在であるから、それ自体のものはない。

善でもなく、悪でもなく、只生れつつあるのみ。

霊人に空間はない。

それは、その内にある情動によって定まるが故である。

また、その理によって一定せる方位もない。

また時間もなく只情動の変化があるのみである。

地上人は、肉体を衣とするが故に、宇宙の総てを創られたものの如く考えるが、創造されたものではない。

創造されたものならば、永遠性はあり得ない。

宇宙は、神の中に生み出され、神と共に生長し、更に常に神と共に永遠に生れつつある。

その用は愛と現われ、真と見ゆるも、愛と云うものはなく、また、真なるものも存在しない。

只大歓喜のみが脈うち、呼吸し、生長し、存在に存在しつつ弥栄するのである。

存在は千変万化する形に於て、絶えず弥栄する。

それはであり、 なるが故である。

は大歓喜の本体であり、はその用である。

それは、善でもなく悪でもない。

真でもなく偽でもない。

美でもなく醜でもない。

また愛でもなく憎でもない。

プラスでもなければマイナスでもない。

しかし、善の因と真の因とが結合し、悪の因と偽の因とが結合し、美の地震の巻

第01帖 (378)


天界も無限段階、地界も無限段階があり、

その各々の段階に相応した霊人や地上人が生活し、歓喜している。

その霊人たちは、その属する段階以外の世界とは、内的交流はあっても、全面的交流はないのである。

何故ならば、自らなる段階的秩序を破るからである。

秩序、法則は、神そのものであるから、神自身もこれを破ることは許されない。

しかし、同一線上に於ける横の交流は、可能である。

それは丁度、地上に於ける各民族がお互に交流し、融和し得るのと同様である。

総て分類しなければ生命せず、呼吸せず、脈うたない。

分類しては、生命の統一はなくなる。

其処に、分離と統合、霊界と現実界との微妙極まる関係が発生し、半面では、平面的には割り切れない神秘の用が生じてくる。

一なるものは、平面的には分離し得ない。

二なるものは、平面的には一に統合し得ないのである。

分離して分離せず、統合して統合せざる、天地一体、神人合一、陰陽不二の大歓喜は、立体的神秘の中に秘められている。

については一なるも、に於ては二となり三となり得るところに、永遠の生命が歓喜する。

一は一のみにて一ならず、善は善のみにて善ならず、また、真は真のみにて真となり得ない。

神霊なき地上人はなく、地上人とはなれた神霊は、存在しない。

しかし、大歓喜にまします太神の≠ヘ、そのままで成り鳴りやまず存在し、弥栄する。

それは、立体を遥かに越えた超立体、無限立体的無の存在なるが故である。

霊人は、その外的形式からすれば地上人であり、地上人は、その内的形式からすれば霊人である。

生前の形式は、生後の形式であり、死後の形式である。

即ち、死後は生前の形式による。

形式は愛と現われ、真と現われ、善と現われ、美と現われる。

而して、その根幹をなし、それを生命させるのは歓喜であって、歓喜なき所に形式なく、存在は許されない。

愛の善にして真の美と合一しなければ呼吸せず、現の現人にして霊の霊人と合一しなければ生命しない。

これら二つが相関連せるを外の真と云う。

外の愛も外の真も共に生命する。

人間に偽善者あり、霊界に偽善霊の存在を許されたるを見れば判るであろう。

表面的なるものの動きも、内面的に関連性をもつ。

故に、外部的にまげられたる働きの許されてあるを知ることができるであろう。

許されてはいるが、それは絶えず浄化し、弥栄すればこそである。

浄化し弥栄しゆく悪は悪でなく、偽は偽でない。

動かざる善は善でなく、進展せぬ真は真でない。

更に善を善とし、悪を悪として

地震の巻 第02帖 (379)

使用された特殊文字  


地震の巻 第04帖 (381)

同気同類の霊人は、同一の情態で、同じ所に和し、弥栄え、

然らざるものは、その内蔵するものの度合に正比例して遠ざかる。

同類は相寄り、相集まり、睦び栄ゆ。

生前の世界は、地上人の世界の原因であり、主体であるが、また死後の世界に通ず る。

同気同一線上にいる霊人たちは、且って一度も会せず語らざるも、百年の友であり、 兄弟姉妹である如くに、お互いに、その総てを知ることができる。

生前の世界に於ける、かかる霊人が肉体人として生れ出でた場合の多くは、同一の思 想系をもつ。

但し、地上人としては、時間と空間に制限されるが故に相会し、相語られざる場合も 生じてくる。

また、生前の生活と同様のことを繰り返すこともある。

霊人の同一線上にある場合は、その根本的容貌は非常に似ているが、部分的には相違 し、同一のものは一つとしてない。

そこに、存在の意義があり、真実の道が弥栄え、愛を生じ、真が湧き出てくるのであ る。

生前の霊人の場合は、自分自身のもつ内の情動はそのままに、その霊体の中心をなす 顔面に集約され、単的に現われていて、いささかも反する顔面をもつことは許されな い。

一時的に満たすことはできても、長くは続かない。

この情態の原理は、地上人にも、反影している。

生前の世界は、以上の如くであるから、同一状態にある霊人が多ければ、その団体の 大きく、少なければ、その集団は小さい。

数百万霊人の集団もあれば、数百、数十名 で一つの社会をつくる団体もある。

各々の団体の中には、また特に相似た情動の霊人の数人によって、一つの家族的小集 団が自らにしてでき上がっている。

そしてまた、各々の集団の中心には、その集団の中にて最も神に近い霊人が座を占 め、その周囲に幾重にも、内分の神に近い霊人の順に座をとりかこみ運営されてい る。

若しそこに、一人の場所、位置、順序の間違いがあっても、その集団は呼吸しない。

而して、それは一定の戒律によって定められたものではなく、惟神の流れ、則ち歓喜 によって自ら定まっているのである。

またこれら集団と集団との交流は、地上人の如く自由ではない。

総てはを中心として の姿を形成しているのである。

とを、 生前の世界に於て分離することは極めて至難ではあるが、 或る段階に進むときは一時的に分離が生ずる。

しかし、この場合も でありである。

これが地上世界の行為に移りたる場合は、不自由不透明な物質の約束があるため、その分離、乱用の度が更に加わって、真偽混乱に及ぶものである。

悪人が善を語り、善をなし、真を説くことが可能となるが如く写し出されるのであ る。

生前界では、悪を意志して悪を行なうことは、御用の悪として自ら許されている。

許されているから存在し行為し現われているのである。

この場合の悪は、悪にあらずしてであることを知らねばならない。

即ち、道を乱すが故である。

地上人の悪人にも善人にも、それは強く移写される。

愛は真により、真は愛により向上し、弥栄する。

その根底力をなすは歓喜である。

故に、歓喜なき所に真実の愛はない。歓喜の愛は、これを愛の善と云う、歓喜なき愛 を、愛の悪と云うのである。

その歓喜の中に、また歓喜があり、真があり、真の真と顕われ、となり、と集約 され、その集約のの中にを 生じ、更に尚と弥栄ゆる。

生前の世界、死後の世界 を通じて、一貫せる大神の大歓喜の流れ行く姿がそれである。

大神は常に流れ行きて、一定不変ではない。

千変万化、常に弥栄する姿であり、大歓 喜である。

完成より大完成へ向い進む大歓喜の呼吸である。

されど、地上人に於ては、地上的物質に制限され、物質の約束に従わねばならぬ。

其処に時間を生じ、距離を生じ、これを破ることはできない。

故に同時に、善と悪との両面に通じ、両面に生活することとなるのである。

其処に、地上人としての尊きかなしさが生じてくる。

霊人に於ては、善悪の両面に住することは、原則として許されない。

一時的には仮面をかむり得るが、それは長くつづかず、自分自身 耐え得ぬこととな る。

地上人と雖(いえど)も、本質的には善悪両面に呼吸することは許されていない。

しかし、悪を抱き参らせて、悪を御用の悪として育て給わんがために課せられたる地 上人の光栄ある大使命なることを自覚しなければならない。

悪と偽に、同時にはいることは、一応の必要悪、必要偽として許される。

何故ならば、それがあるために弥栄し、進展するからである。

悪を殺すことは、善をも殺し、神を殺し、歓喜を殺し、総てを殺す結果となるからで ある。

霊物のみにて神は歓喜せず、物質あり、物質と霊物との調和ありて、始めて力し、歓 喜し、弥栄するからである。

霊は絶えず物を求め、物は絶えず霊を求めて止まぬ。

生長、呼吸、弥栄は、そこに歓 喜となり、神と現われ給うのである。

霊人も子を生むが、その子は歓喜である。

歓喜を生むのである。

地震の巻 第04帖 (381)

使用さされた特殊文字  


霊、力、体の三つがよりよく調和する処に真実が生れ、生命する。

これは根元からの存在であり用であるが、動き弥栄する道程に於て、復霊、復力、復体の(うごき)を なす。

霊の立場よりすれば、霊は善であって、体は悪、体の立場よりすれば、体は善で あって、霊は悪である。

悪あればこそ善が善として救われ弥栄する。

善あればこそ悪は 悪の御用を為し得るのである。

悪は悪善として神の中に、善は善悪として神の中に弥栄 える。

力がそこに現れ、呼吸し、脈打ちて生命する。

故に生前の霊人は、生前界のみに ては善なく、生命なく、地上人との交流によって始めて善悪として力を生じ、 生命してゆく。

地上人は地上物質界のみの立場では悪なく、生命なく、生前界との交流によって 始めて悪善としての力に生き、弥栄してゆく。

而して、尚地上人は死後の世界に通じな ければならぬ。

死後の世界との関連により複数的悪善におかれる。

善悪善の立場におか れる場合が多いために、地上に於ける司宰神としての力を自ら与えられるのである。

善 悪の生かされ、御用の悪として許されているのは、かかる理由によるものである。

善の みにては力として進展せず無と同じこととなり、悪のみにても また同様である。

故に 神は悪を除かんとは為し給わず、

悪を悪として正しく生かさんと為し給うのである。

何 故ならば、悪もまた神の御力の現われの一面なるが故である。

悪を除いて善ばかりの世 となさんとするは、地上的物質的の方向、法則下に、総てをはめんとなす限られたる科 学的平面的行為であって、その行為こそ、悪そのものである。

この一点に地上人の共通 する誤りたる想念が存在する。

悪を消化し、悪を抱き、これを善の悪として、善の悪善 となすことによって、三千世界は弥栄となり、不変にして変化極まりなき大歓喜となる のである。

この境地こそ、生なく、死なく、光明、弥栄の生命となる。

地上人のもつ想 念の本は霊人そのものであり、霊人のもつ想念の本は神であり、神のもつ想念の本は大 歓喜である。

故に、地上人は霊人によって総ての行為の本をなし、霊人は神により、神 は大歓喜によりて総ての行為の本とする。

故に、地上人そのもののみの行為なるものは ない。

何れも、神よりの内流による歓喜の現われであることを知らねばならぬ。

歓喜の内奥より湧き出づるものは、霊に属し、外部より発するものは体に属する。

霊に属する ものは常に上位に位し、体に属するものは、常に下位に属するのであるが、体的歓喜と 霊的歓喜の軽重の差はない。

しかし、差のない立場に於て差をつくり出さねば、力を生 み出すことは出来ず、弥栄はあり得ない。

すなわち善をつくり力を生み出すところに悪 の御用がある。

動きがあるが故に、反動があり、そこに力が生れてくる。

霊にのみ傾いてもならぬが、強く動かなければならない。

体のみに傾いてもならぬが、強く力しなけ ればならない。

悪があってもならぬが、悪が働かねばならない。

常に、動き栄えゆく、 大和のを中心とする上下、左右、前後に円を描き、中心をとする立体的うごきの中 に呼吸しなければならない。

それが正しき惟神の歓喜である。

惟神の歓喜は総てのもの と交流し、お互いに歓喜を増加、弥栄する。

故に、永遠の大歓喜となり、大和の大真、 大善、大美、大愛として光り輝くのである。

地震の巻 第09帖 (386)

使用された特殊文字  


地上人が、限りなき程の想念的段階をもち、

各々の世界をつくり出している如く、

霊界にも無限の段階があり、

その各々に、同一想念をもつ霊人が住んでおり、

常に弥栄し つつある。

下級段階で正なりとし、善を思い、美を感じ、真なりと信じ、愛なりと思う、

その想念も上級霊界に於ては必ずしもそうではない。

美も醜となり、愛も憎となり、 善も真も そのままにして善となり、真と現われ得ない場合がある。

其処に偉大にして 、はかり知られざる弥栄の御神意がある。

と同時に、+(真善)(真善美愛) (歓 喜)(大歓喜)と現われる神秘なる弥栄があり、

悪の存在、偽の必然性などが判明す るのである。

故に、下級霊人との交流は、地上人にとっても、 霊人にとっても、極めて 危険極まりないものではあるが、

半面に於ては、極めて尊いものとなるのである。

下級 霊人自身が(善)なりと信じて行為することが、 地上人には(悪)と現われること が多いのである。

何故ならば、かかる下級霊と相通じ、 感応し合う内的波調をもつ地上 人は、それと同一線上にある空想家であり、

極めて狭い世界のカラの中にしか住み得ぬ 性をもち、

他の世界を知らないからである。

それがため、感応してくる 下級霊の感応を 、全面的に信じ、

唯一絶対の大神の御旨なるが如くに独断し、

遂には、自身自らが神の 代行者なり、と信ずるようになるからである。

所謂(いわゆる)、無き地獄をつくり出 すからである。

地獄的下級霊の現われには、 多くの奇跡的なものをふくむ。

奇跡とは大 いなる動きに逆行する動きの現われであることを知らねばならない。

かかる奇跡により ては、霊人も地上人も向上し得ない。

浄化し、改心し得ないものである。

また、霊人と 地上人との交流によるのみでは向上し得ない。

脅迫や、 賞罰のみによっても向上し得な い。

総て戒律的の何ものによっても、 霊人も地上人も何等の向上も弥栄も歓喜もあり得 ない。

半面、向上の如くに見ゆる面があるとも、

半面に於て同様の退歩が必然的に起っ てくる。

それは強(シ)いるが為である。

神の歓喜には、 強いることなく、

戒律する何 ものもあり得ない。

戒律あるところ必ず影生じ、

闇を生み出し、カスが残るものである 。

それは、大神の内流によって弥栄する世界ではなく、

影の世界である。

中心に座す太神のお言葉は、順を経て霊人に至り、

地上人に伝えられるのであるが、

それはまた霊界 の文字となって伝えられる。

霊界の文字は、主として 直線的文字と曲線的文字の二つか ら成る。

直線的なものは、月の霊人が用い、

曲線的な文字は、太陽の霊人が使用してい る。

但し、高度の霊人となれば文字はない。

ただ文字の元をなすと+があるのみ 。

また高度の霊界人の文字として、 殆ど数字のみが使用されている場合もある。

数字は 、他の文字に比して多くの密意を蔵しているからである。

しかし これは不変のもので はなく、地上人に近づくに従って漸次変化し、

地上人の文字に似てくるのである。

地震の巻 第13帖 (390)

使用された特殊文字     + 


人間に自由はないのであるぞ。

真の自由は、大神にのみあるものぞ。

大神の自由の一 部が御喜びと共に神に流れ入り、神に流れ入った自由は、又神の喜びとなって人間に流 れ入るから、人間自身は自由をもってゐると信ずるのであるぞ。

本質的には自由はない のであるぞ。

人間には自由の影があり、反影あるのざ。

それを人間は自由と心得てゐる のであるぞ。

自由の反影あるから、悪にも善にも、陽にも陰にも為し得るのであるぞ。

又進歩、弥栄するのであるぞ。

悪自由を、人間は自由と心得てゐるが、それは自由では なく、自分自身首くくるものぞ。

善自由こそ真の自由であるぞ。

自由は神から流れ出る と申してあらう。

他の世界と交流するは、他の世界に住む人間を通じてするのであるぞ 。

世界とは人間のことでもあるぞ。

人間が世界であるぞ。

よく心得なされよ。

+(陽)と−(陰)とであるぞ。

+の陰には−あり、−の陰には +がある。

その和の状 態がであり (イノチ)するのであるぞ。

+は +のみでは力ないぞ。

−は−だけけでは 力ないぞ。

+と −だけでも動きないぞ。

生命の喜びないのであるぞ。

よく心得よ。

があって +−があり、+−がありがあって和があるのであるぞ。

ここの道理よく得心 、合点せよ。

+は人間にとって直接の喜びでない。

が ぢきぢきの喜びぞ。

−も直接の喜びでなく、 が直接の喜びであり、

その二つが和して嬉し嬉しと弥栄えるのである ぞ。

天地の中間を中界と申すぞ。

天の息吹きと地の息吹きの中間ぞ。

天国へ行くのも、 行かんのも先づ落ちつく、死後の始めての世界であるぞ。

(一月二日) 白銀の巻 第05 帖 (616)



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