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昭和十九年十月七日、 旧八月二十一日(1944年) 地つ巻 第32帖 (169) 仕組通りに出て来るのざが大難を小難にすること出来るのざぞ。 神も泥海は真っ平ぞ、 臣民喜ぶほど神うれしきことないのざぞ、 曇りて居れど元は神の息入れた臣民ぞ、 うづであるのぞ。 番頭どの、 役員どのフンドシ締めよ。 十月の七日、 ひつ九のか三。
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その前に仕組む所あるなれど、 今では成就せんから、 その時は言葉で知らすぞ。 宝持ちくさりにして呉れるなよ、 猫に小判になりて呉れるなよ。 天地一度に変ると申してあること近づいたぞ、 世は持ちき りにはさせんぞよ、 息吹(いぶ)き払ひて議論(ろん)なくするぞ、 ことなくするぞ、 物言はれん時来るぞ、 臣民見当とれんことと申してあらうが、 上の人つらくなるぞ、 頑張りて呉れよ。 十月八日、 ひつ九のか三。 地つ巻 第33帖 (170) |
昭和十九年十月十日、 旧八月二十四日(1944年) 地つ巻 第34帖 (171) 神は言波ぞ、 言波とはまことぞ、 いぶきぞ、 道ぞ、 まこととはまつり合はした息吹ぞ、 言葉で天地にごるぞ、 言波で天地澄むぞ、 戦なくなるぞ、 神国になるぞ、 言波ほど結構な恐いものないぞ。 十月十日、 あめの一二か三。
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日本の国はこの方の肉体であるぞ。 国土おろがめと申してあらうがな、 日本は国が小さいから一握りに握りつぶして喰ふ積りで攻めて来てゐるなれど、 この小さい国が、のどにつかえて何うにも苦しくて勘忍して呉れといふやうに、 とことんの時にな りたら改心せねばならんことになるのぞ。 外国人もみな神の子ざから、 一人残らずに 助けたいのがこの方の願ひと申してあらうがな、 今に日本の国の光出るぞ、 その時になりて改心出来て居らぬと臣民は苦しくて日本のお土の上に居れんやうになるのぞ、 南の島に埋めてある宝を御用に使ふ時近づいたぞ。 お土の上り下りある時近づいたぞ。 人の手柄で栄耀してゐる臣民、 もはや借銭済(な)しの時となりたのぞ、 改心第一ぞ。 世界に変りたことは皆この方の仕組のふしぶしざから、 身魂みがいたら分るから、 早う身魂みがいて下されよ。 身魂みがくにはまつりせねばならんぞ、 まつりはまつらふことぞと申して説いてきかすと、 神祭りはしないでゐる臣民居るが、 神祭り元ぞ、 神迎えねばならんぞ、 とりちがへと天狗が一番恐いのざぞ、 千匁(せんじん)の谷へポンと落ちるぞ。 神の規則は恐いぞ、 隠し立ては出来んぞ、 何もかも帳面にしるしてあるのざぞ、 神の国に借銭ある臣民はどんなえらい人でも、 それだけに苦しむぞ、 家は家の、 国は国の借銭済(な)しがはじまってゐるのぞ、 済(す)ましたら気楽な世になるのぞ、 世界の大晦日(おおみそか)ぞ、 みそかは闇ときまってゐるであらうがな。 借銭(かり)返すときつらいなれど、 返したあとの晴れた気持よいであらうが、 昔からの借銭ざから、 素直に苦しみこらへて神の申すこと、 さすことに従って、 日本は日本のやり方に返して呉れよ、 番頭どの、下にゐる臣民どの、 国々の守護神どの、 外国の神々さま、 人民どの、 仏教徒もキリスト教徒もすべての徒もみな聞いて呉れよ、 その国その民のやり方伝へてあらうがな、 九十に気つけて用意して呉れよ。 十月十日、 ひつ九のか三。
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昭和十九年十月十一日、 旧八月二十五日(1944年) 地つ巻 第36帖 (173) 二二は晴れたり日本晴れ、 てんし様が富士(二二)から世界中にみいづされる時近づいたぞ。 富士は火の山、火の元の山で、 汚してならん御山ざから臣民登れんやうになるぞ、 神の臣民と獣と立て別けると申してあろうが、 世の態(さま)見て早う改心して身魂洗濯致して神の御用つとめて呉れよ。 大き声せんでも静かに一言いえば分る臣民、 一いへば十知る臣民でないと、 まことの御用はつとまらんぞ、 今にだんだんにせまりて来ると、 この方の神示(ふで)あてにならん だまされてゐたと申す人も出て来るぞ、 よくこの神示読んで神の仕組、心に入れて、 息吹として言葉として世界きよめて呉れよ。 分らんと申すのは神示読んでゐないしるしぞ、 身魂 芯(しん)から光り出したら人も神も同じことになるのぞ、 それがまことの臣民と申してあらうがな、 山から野(ぬ)から川から海から何が起っても神は知らんぞ、 みな臣民の心からぞ、 改心せよ、 掃除せよ、 洗濯せよ、 雲霧はらひて呉れよ、 み光出ぬ様にしてゐてそれでよいのか、 気つかんと痛い目にあふのざぞ、 誰れかれの別ないと申してあらうがな。 いづれは天(アメ)の日つくの神様 御かかりになるぞ、 おそし早しはあるぞ、 この神様の御神示は烈しきぞ、 早う身魂みがかねば御かかりおそいのざぞ、 よくとことん掃除せねば御かかり六ヶしいぞ、 役員も気つけて呉れよ、 御役ご苦労ぞ、 その代り御役すみたら二二晴れるぞ。 十月十一日、 一二か三。
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昭和二十年八月一日、 旧六月二十四日(1945年) 夜明けの巻 第07帖 (327) 神の臣民に楽な事になるぞ。 理屈無い世にするぞ。 理屈は悪と申してあろが、 理屈ない世に致すぞ。 理屈くらべのきほひ無くして仕舞ふぞ。 人に知れん様によいことつとめと申してあろが。 人に知れん様にする好い事 神こころぞ。 神のした事になるのざぞ。 行けども行けども白骨と申したが、 白骨さへなくなる所あるぞ。 早よ誠の臣民ばかりで固めて呉れよ。 神世の型 出して呉れよ。 時、取違へん様に、時、来たぞ。 八月一日、 あめのひつく神。
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朝の、夕の、日々の人民の食事 皆 直会ぞ。 日々の仕事 皆まつりぞ。 息すること此の世の初めのまつりぞ。 まつれまつれと申してあろが。 おはりの御用は はじめの御用ぞ。 まつりの御用ぞ。 オワリノ十ノヤマにまつり呉れよ。 世につげて呉れよ。 役員 皆 宮つくれよ。 宮とは人民の申す宮でなくてもよいのざぞ。 一の宮、二の宮、三の宮と次々につくり呉れよ。 道場も幾らつくってもよいぞ。 神の申した事、なさば成るのざぞ。 宮と道場つくり神示読んでまつれまつれ、 まつり結構ぞ。 奥山にはオホカムツミの神様もまつり呉れよ。 守りは供へてから皆に下げて取らせよ。 五柱、七柱、八柱、十柱、十六柱、二十五柱、三十三柱、 三十六柱、四十七柱、四十八柱、四十九柱、五十柱、五十八柱、五十九柱、世の元 ぞ。 八月の二日、 アメのひつくの神。 夜明けの巻 第08帖 (328)
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天津日嗣皇尊大神様(あまつひつぎすめらみことお ほかみさま)とまつり奉れ。 奥山には御社(みやしろ)造りて、いつき奉(まつ)れ。 皆のうちにも祀れ。 天津日嗣皇尊 弥栄ましませ、弥栄ましませとおろがめよ。 おろがみ奉れ、 天照皇大神様、 天照大神様、 月の大神様、 すさなるの大神様、 大国主の大神様もあつくまつりたたえよ。 奥山の前の富士に産土の大神様 祀れよ、 宮いるぞ。 清めて祭れよ、 タマの宮はその前横に移せよ。 奥の富士に国常立大神、豊雲野大 神 祀る日 近うなりたぞ。 宮の扉あけておけよ。 臣民の住居(すまい)も同様ぞ。 大難小難にまつりかへて下されとお願ひするのざぞ。 取違ひ、お詫び申せよ、楽にして やるぞ。 天の異変 気付けよ。 八月の五日、 アメのひつ九の神。 夜明けの巻 第09帖(329)
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スメラミコト唱へ、 次に声高く天津日嗣皇ミコト大神唱へ、 天のひつくの大神と唱へ奉れ。 タマの宮は、かむながら祝詞でよいぞ。 一二三(ひふみ)のりともよいぞ、 シメは当分造りめぐらしてもよいぞ。 今までのシメは此の方等しめて、悪の自由にする逆のシメざから、 シメ張るなら、元のシメ、 誠のシメ張れよ。 七五三は逆ざぞ。 三五七ざぞ。 天地のいぶきぞ。 波の律ぞ。 風の律ぞ。 神々様のおんいぶきの律(なみ)ざぞ。 八月の六日、 アメのひつ九の神。 夜明けの巻 第10帖 (330)
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あなさやけ、 元津御神の御光の、 輝く御代ぞ近づけり。 岩戸開けたり野も山も、 草の片葉(かきは)も言(こと)止(や)めて、 大御光に寄り集ふ、 誠の御代ぞ楽しけれ。 今一苦労二苦労、とことん苦労あるなれど、 楽しき苦労ぞ目出度けれ。 申、酉すぎて戌の年、亥の年、子の年 目出度けれ。 一二三(ひふみ)の裏の御用する身魂も今に引き寄せるから、 その覚悟せよ。 覚悟よいか。 待ちに待ちにし秋来たぞ。 八月の七日、 アメのひつくのかみ。 ひふみ、よいむなや、こともちろら ね、しきる、ゆゐつわぬ、そおたはくめか、うをえ、にさりへて、のます、あせえほ れけ、 八月八日、秋立つ日、 アメの一二のおほかみ。 夜明けの巻 第12帖 (332)
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世は朝晴れたり、 昼晴れたり、 夜も晴れたり。 あらたのし、すがすがし、 世は岩戸明けたり、 待ちに待ちし岩戸開けたり、 此の神示の臣民と云ふても、人間界ばかりでないぞ。 神界幽界のことも言ふて知らしてあると、 申してあろが。 取違ひ慢心一等恐いと申してあろが。 祭典(まつり)、国民服もんぺでもよいぞ。 天明まつりの真似するでないぞ。 役員まつりせい。 何も云ふでないぞ。 言ふてよい時は知らすぞよ、 判りたか。 仕へる者無き宮、 産土様の横下にいくら祀ってもよいぞ。 天明は祈れ。祈れ。 天に祈れ、地に祈れ、 引潮の時引けよ。 満潮の時進めよ。 大難小難にと役員も祈れよ。 口先ばかりでなく、誠祈れよ。 祈らなならんぞ。 口先ばかりでは悪となるぞ。 わかりたか。 今度は借銭済(な)しになるまでやめんから、 誰によらず借銭無くなるまで苦し行せなならんぞ、 借銭なしでないと、お土の上には住めん事に今度はなるぞ。 イシの人と、キの人と、ヒの人と、ミヅの人と、できるぞ。 今にチリチリバラバラに一時はなるのであるから、 その覚悟よいか。 毎度知らしてあること忘れるなよ。 神示 腹の腹底まで浸むまで読んで下されよ。 神頼むぞ。 悟った方 神示とけよ。 といて聞かせよ。 役員 皆とけよ。 信ずる者皆人に知らしてやれよ。 神示読んで嬉しかったら、知らしてやれと申してあらうが。 天明は神示書かす役ぞ。 アホになれと申してあろが、まだまだぞ、 役員 気付けて呉れよ。 神示の代りにミ身に知らすと申してある時来たぞ。 愈々の時ぞ。 神示で知らすことのはじめは済みたぞ。 実身掃除せよ。 ミ身に知らすぞ。 実身に聞かすぞ、 聞かな聞く様にして知らすぞ。 つらいなれど、がまんせよ。 ゆめゆめ利功出すでないぞ。 判りたか、 百姓にもなれ、 大工にもなれ、 絵描きにもなれ。 何にでもなれる様にしてあるでないか。 役員も同様ぞ。 まどゐつくるでないぞ、 金とるでないぞ。 神に供へられたものはみな分けて、 喜ばしてやれと申してあろが。 此の方 喜ぶこと好きぞ、 好きの事栄えるぞ。 いや栄へるぞ。 信者つくるでないぞ。 道伝へなならんぞ。 取違へせん様に慢心せん様に、生れ赤児の心で神示読めよ。 神示いただけよ。 日本の臣民 皆勇む様、祈りて呉れよ。 世界の人民 皆よろこぶ世が来る様 祈りて呉れよ、 てんし様まつれよ。 みことに服(まつ)ろへよ。 このこと出来れば他に何も判らんでも、峠越せるぞ。 御民いのち捨てて生命に生きよ。 「鳥鳴く声す 夢さませ、見よ あけ渡るひむかしを、空色晴れて沖つ辺に、千船行きかふ靄(もや)の裡(うち)。」 「いろは、にほへとち、りぬるをわかよ、たれそ、つねならむ、うゐのおくやま、けふこ、えてあさき、ゆめみしゑひもせすん。」 「アオウエイ。カコクケキ。サソスセシ。タトツテチ。ナノヌネニ。ハホフヘヒ。マモムメミ。ヤヨユエイ。ラロルレリ。ワヲウヱヰ。」 アイウエオ。ヤイユエヨ。ワヰヱヲ。カキクケコ。サシスセソ。タチツテト。ナニヌネノ。ハヒフヘホ。マミムメモ。ヤイユエヨ。ラリルレロ。ワヰウヱヲ。 五十九柱ぞ。 此の巻 夜明けの巻とせよ。 この十二の巻よく腹に入れておけば何でも判るぞ。 無事に峠越せるぞ。 判らん事は自分で伺へよ。 それぞれにとれるぞ。 天津日嗣皇尊(あまつひつぎすめらみこと) 弥栄(やさか)いや栄(さか)。 あら楽し、あら楽し、 あなさやけ、あなさやけ、おけ。 一二三四五六七八九十百千卍(ひふみよいつむゆななやここのたりももちよろず)。 秋満つ日に、 アメのひつ九かみしるす。 夜明けの巻 第13帖 (333)
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五つに咲いた梅の花、 どちら採る気ぢゃ。 今迄の教ではこの道判らんぞ、 益々食ふ物なく曇りてくるぞ、 その国その所々で当分暮しむき出来るぞ、 野見よ、森見よと申してあろ、 青山も泣き枯る時来ると申してあろ、 海川も泣き枯る時来るぞ、 まだきかず我さへよけらよいと、 我れよしして御座る人民神々様 気の毒来るぞ、 今迄は神も仏も同じぞと申してゐたが神と仏とは違ふのざぞ、 十(かみ)の動くが卍(ほとけ)ぞ、
卍の動くが
神と仏と臣民とは違ふのぢゃぞ。 八月八日、
一二 マツリの巻 第01帖 (405)
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愈々一二三(ひふみ)の力 加はるぞ、 「いろは」はやさしいが「一二三」は新(あら)いから、 新事(あらごと)もするから その覚悟致されよ、 その覚悟よいか、 きたない心すててゐると、 小さい心大きくなって自分でもびっくりする様 結構が来るぞ。 警察いらんと申してあるぞ。 八月九日、
一二 マツリの巻 第02帖 (406)
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五つに咲いた桜花、 五つに咲いた梅の花、 皆始めは結構であったが段々と時経るに従って役員が集まってワヤにいたしたのぢゃ、 気の毒ぞ、 神の名汚しておるぞ。 大日月と現はれたら、 何かの事キビシクなって来て、 建替の守護と建直しの守護に廻るから、 その覚悟よいか。 間違った心で信心すれば、信心せんより、も一 つキビシクえらい事がみちはじめみつようになるぞ。 今に此処の悪口申してふれ歩く人出て来るぞ、 悪口云われだしたら結構近づいたのざと申してあろ、 悪口は悪の白旗ざぞ。 飛んで来て上にとまってゐる小鳥、 風吹く度にびくびくぢゃ、 大嵐来ん前にねぐらに帰って下されよ、 大嵐 目の前。 此処は先づ苦労、 あなたその苦労に勝ちたら、己に克ちたら魂磨けるぞ、 段々と楽になって嬉し嬉しとなるぞ、 結構な仕組、知らしたら邪魔入るなり、 知らさんので判らんなり、 心でとりてくれよ、 世界の民の会なせばなる、 なさねば後悔ぞ。 八月十三日、
一二 海の巻 第01帖 (493)
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昭和二十二年八月十四日、 旧六月二十八日(1947年) 今迄は神様も別れ別れで勝手にしてゐたのであるから、神様の申された事にも間違 ひとなることあったのぢゃ、 今でも神様はウソを申されんのであるが、 和合なく離れ 離れであったから、自分の目で届くグルリは、自分の力の中では誠であっても、 広い 世界へ出すと間違ったことになってゐたのぢゃ、 神のお示しが違ったと申して其の神 様を悪く申すでないぞ、 今の上に立つ人も同様ざぞ、 心得なされよ。 今度は愈々一致 和合して、 大神様の仕組結構が相判り来て、 大日月の神となりなされて現はれなさる のぢゃ。 判りたか、 雨結構、風結構、岩結構、荒結構、地震結構。 八月十四日、ひつ くのかミ。 海の巻 第03帖 (495)
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今度は魂抜けてゐるからグニャグニャぞ、 グニャグニャ細工しか出来んぞ、 それに迷ふでないぞ。 神示が肚に入って血になると、 何が起って来ても結構であるが、 始の内は、ちょっとの事で迷いの雲が出て悪のとりことなって苦しむぞ、 悪はないのであるが、 無い悪を人民の心から生むのざぞ、 悪のとりことなって苦しむが見へてゐるから、 苦も結構なれど いらん苦はいらんぞ、 神示よく読んで苦を楽とせよ、 楽は喜びぞ、 苦のハタラキが楽ぞ、 楽は喜びぞ、 光ぞ、 神人共のまつりぞ、 楽で岩戸開けるぞ、 苦しんで開く岩戸は誠の岩戸でないぞ。 八月十四日、 ひつくのかミ。 海の巻 第04帖 (496)
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悪を殺せば善ばかり、 輝く御代が来ると云ふ、 こ れが悪魔の御教(みおしへ)ぞ、 この御教に人民は、 すっかりだまされ悪殺す、 こと が正しきことなりと、 信ぜしことのおろかさよ、 三千年の昔から、 幾千万の人々が、 悪を殺して人類の、 平和を求め願ひしも、 それははかなき水の泡、 悪殺しても殺して も、 焼いても煮てもしゃぶっても、 悪は益々ふへるのみ、 悪殺すてふ其のことが、 悪 そのものと知らざるや、 神の心は弥栄ぞ、 本来 悪も善もなし、 只み光の栄ゆのみ、 八 股おろちも金毛も、 ジャキも皆それ生ける神、 神の光の生みしもの、 悪抱きませ善も 抱き、 あななふ所に御力の、 輝く時ぞ来たるなり、 善いさかへば悪なるぞ、 善悪不二 と云ひながら、 悪と善とを区別して、 導く教ぞ悪なるぞ、 只御光の其の中に、 喜び迎 へ善もなく、 悪もあらざる天国ぞ、 皆一筋の大神の、 働きなるぞ悪はなし、 世界一家 の大業は、 地の上ばかりでなどかなる、 三千世界大和して、 只御光に生きよかし、 生 れ赤児となりなりて、 光の神の説き給ふ、 誠の道をすすめかし、 マコトの道に弥栄ま せ。 八月十五日、 言答(いわと)明けたる今日ぞ目出度し 、 二の言答(いわと)早よう明けてよ。 海の巻 第05帖 (497)
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昭和二十二年八月二十三日、 旧七月八日(1947年) 海の巻 第06帖 (498) いくら利巧でも今迄の人間心では神の仕組は分らんぞ、 帰るに帰れず、 他を探しても根本のマコトを伝へる所はなし、 泣く泣くつらい思ひせねばならんぞ、 くどう気つけてゐるのざぞ、 慢心取違ひの鼻高さん、 路頭に立たねばならんぞ。 一二四、 結構な日に生れたのぢゃ、 この日に生れた仕事は皆よくなるぞ、 この神示よく読んでくれたら何を申さんでも、 何を聞かんでも、 よいことになるのであるぞ、 戦や天災では人の心は直らんと申してあろが、 今迄のどんなやり方でも人の心は直らんぞ、 心得なされよ。 八月二十三日、
一二
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昭和二十二年八月二十三日、 旧七月八日(1947年) 海の巻 第07帖 (499) 今度は先づ心の建直しぢゃ、 どうしたら建直るかと云ふこと、 この神示読んで覚りて下されよ、 今度は悪をのうにするのぢゃ、 のうにするは善で抱き参らすことぢゃ、 なくすることでないぞ、 亡ぼすことでないぞ、 このところが肝腎のところぢゃから、 よく心にしめて居りて下されよ。 この世は一つの神で治めんことには治まらんぞ、
人民の力だけでは治まらんのぢゃぞ、 一つの教となってそれぞれの枝葉が出て来るのぢゃ、 今では枝から根が出て大切なミキがなくなって居るのぢゃぞ、 中つ代からの神では何も出来んと申してあろがな、 神と人と一つになって一つの王となるのぢゃ、 上下揃ふて一つになるのぢゃ、 善も悪もあななひて、 一つの新しき善となるのぢゃ、 王となるのぢゃぞ。 八月二十三日、
一二
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昭和二十二年八月二十三日、 旧七月八日(1947年) 海の巻 第08帖 (500) 折角 神が与えたおかげも今の人民では荷が重いから途中で倒れん様に神示を杖として下されよ、 イキ切れん様になされよ。 一つでも半分でも神の御用つとめたらつとめ徳ざぞ、 何と申しても神程たよりになるものはないと判らんのか、 おかげ取り徳。 破れるは内からぞ、 外からはビクとも致さんぞ。 天では月の大神様、 ミ、ヤ、カ、ラ、ス、 出て来るぞ、 始末よくして下されよ、 始末よく出来れば何事も楽になって来るぞ、 火のタキ方から水の汲み方まで変るのであるぞ、 大切なことであるぞ。 うそはちっとも申されん、 この神示通りに出て来るのぢゃ、 先の先の先まで見通しつかん様な事では、 こんなタンカは切れんのざぞ、 おかげは其の心通りに与へてあるでないか。 下の神が上の神の名をかたりて来ることあるぞ、 それが見分けられん様では取違ひとなるぞ、 十人位は神示がそらで云へる人をつくっておかねばならんぞ。 八月二十三日、
一二
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昭和二十二年八月二十三日、 旧七月八日(1947年) 海の巻 第09帖 (501) マコトの改心は愈々とならねば出来んものぢゃが、 出来んことも無理もきかねば この峠越せんこともあるのざぞ。 天も近うなるぞ、 地も近うなるぞ、 田舎に都、 都に田舎が出来ると申してあろが、 も少し人民に判りて来んと、 今びっくり箱をあけたら助かる人民一分もないぞ、 早う知らしてくれよ。 神せけるなれど人民中々云ふこと聞かんから物事おそくなるばかり、 おそくなれば益々苦しむばかりぞ。 色はにほへど散るものぞ、 世の乱れ神界のいろからであるぞ、 気つけておくぞ。 日の本(もと)の国を取らうとしても何とだましても、 御先祖様には何も彼も世の元からの仕組してこの事判ってゐるのであるから、 悪のやり方よ、 早う善にまつろへよ、 まつろへば悪も善の花咲くのぢゃぞ。 八月二十三日、
一二
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云はれるには云はれるだけの事もあるのぢゃ、 此の方さへ改心いたしたのであるぞ、 改心のおかげで此の度の御用の立役者となったのぢゃぞ、 誰によらん改心致されよ。 改心とは まつろふ事ぞ、 中行くことぞ、 判りたか。 今度は十人並のおかげ位では誠の信心とは申されんぞ、 千人万人のおかげを取りて下されよ、 千人力与へると申してあろが、 大事な御先祖様の血統を皆世に落して了ふて無きものにして了ふて、 途中からの代へ身魂を、渡りて来た身魂を、まぜこぜの世と致して、今の有様は何事ぞ、 まだ判らんのかなあ、 人民もぐれんぞ。 八月二十三日、
一二 海の巻 第10帖(502)
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ウソの世となったのぢゃ、 この道理判るであろう、 ニセ神やら、だました神やら、次々に五度の岩戸閉めと申してあろが、 タンバはタニハ、 田庭とは日の本の国ぞ、 世界の事ぞ、 タンバとはタンバイチとは世界の中心と云ふ事ぞ、 日の本と云ふ事ぞ、 キミの国ざぞ、 扶桑の国ざぞ、 地場ざぞ、 判りたか。 地場を固めなならんぞ、 五十鈴の川はムツの川、 和合の川ぞ。 社殿(やしろ)は八方に開く時来たら八尋殿(やひろどの)建てて下されよ、 マコトの八尋殿。 何も判らん無茶苦茶者が、偉ら相な名の神がかりして、何も知らん人民をたぶらかしてゐるが、 今に尻尾を出して来るぞ、 尻尾つかまらん内に改心して神の道に従って来いよ。 八月二十三日、
一二 海の巻 第11帖 (503)
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昭和二十二年八月二十三日、 旧七月八日(1947年) 海の巻 第12帖 (504) 神は人民には見へん、 たよりないものであるが、 たよりないのが、 たよりになるのであるぞ。 外国行きとは幽界行きの事ぞ。 時節来て居れど人民心でせくでないぞ、 せくとしくじるぞ。 あちらに一人、 こちらに一人、 と云ふ風に残る位むごい事にせなならん様になってゐるのざから、 一人でも多く助けたい親心汲みとりて、 早う云ふこと聞くものぢゃ。 ここ迄神示通りに出てゐても、 まだ判らんのか、 疑ふのにも余りであるぞ。 地に高天原(たかあまはら)が出来るのざぞ、 天の神 地に降りなされ、 地(くに)の神と御一体と成りなされ大日月の神と現はれなさる日となった、 結構であるぞ、 肉体の事は何とか分るであろが、 タマは判るまい、 永遠(とわ)にタマは生き通しであるから、 タマの因縁の判る所は九九(ここ)の二(ふ)でより他にはいくらさがしてもないのざぞ。 八月二十三日、
一二
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昭和二十二年八月二十三日、 旧七月八日(1947年) 海の巻 第13帖 (505) 表に出て居る神々様に和合して貰ふて世の建替にかかりて下されよ、 苦労なしには何事も成就せんぞ、 苦を楽しめよ。 此の世を乱したのは神界から、 此の世乱した者が、 此の世を直さねばならんのざぞ、 この道理判るであろがな、 建直しの御用に使ふ身魂は此の世乱した神々様であるぞよ。 秘密は秘密でないぞ、 火水であるぞ、 明らかな光であるぞ、 火水(ひみず)のマコトを悪神にたぶらかされて判らなくなったから、 秘密となったのであるぞ、 秘密は必ず現はれて来るぞ。 あと七つの集団(まどゐ)が出来るぞ、
一には この世一切のことを建替へるのぢゃ、 神の道も変へるぞ、 心のおき所も変へるぞ。 八月二十三日、
一二
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早う其の神と共に此処へ参りて、マコトの言(こと)を聞いて誠に早う立ち返りて下されよ、
一二三四五六七八かくれてゐるのざぞ。 縁あればこそ、そなた達を引寄せたのぢゃ、 此の度の二度とない大手柄の差添へとなって下されよ、 なれる因縁の尊い因縁をこわすでないぞ。 見て見よれ、 真只中になりたら学でも智でも金でもどうにもならん見当取れん事になるのぢゃ、 今は神を見下げて人民が上になってゐるが、 さうなってから神に助けてくれと申しても、時が過ぎてゐるから時の神様がお許しなさらんぞ、 マコトになってゐれば何事もすらりすらりぞ。 八月二十三日、
一二 海の巻 第14帖 (506)
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マコトが磨けては居らんのぢゃ、 今の法律で も、 教育でも、 兵隊でも、 宗教でも、 この世は建直らんぞ、 新しき光が生れて世を救 ふのぢゃ、 新しき光とはこの神示ぢゃ、 この神ぢゃ。 七つの花が八つに咲くぞ、 此の 神示八通りに読めるのぢゃ、 七通りまでは今の人民でも何とか判るなれど八通り目は 中々ぞ。 一厘が、 かくしてあるのぢゃ、 かくしたものは現はれるのぢゃ、 現はれてゐ るのぢゃ。 何でもない事が中々のことぢゃ、 判りたか。 八月二十三日、 一二 海の巻 第15帖 (507) ![]()
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昭和二十二年八月二十三日、 旧七月八日(1947年) 海の巻 第16帖 (508) 今はなれた人民、 此処がよくなったと云ふて帰る事ははづかしい事になって、 帰っても変なことになるぞ、 今の内に早う立ち返って御用結構ぞ。 世界に、人民に判らんめづらしき事を出すぞ、 皆この神の仕組であるから、変りたこと、 判らん事が愈々となったら、 神代近づいたのであるぞ。 役員には神示の肚に入った者がなるのざぞ、 役員の御魂は沢山あれど、 神示読まねば役員にはなれないのざぞ、 なればスコタンばかり、 長らく世に落ちて居た神人神々様を世にお上げせねば世はよくならんのざぞ、 軽く見るから神示分らんのぢゃ、 人も軽く見てはならんぞ。 八月二十三日、
一二
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昭和二十二年八月二十三日、 旧七月八日(1947年) 海の巻 第17帖 (509) 天地ひっくり返ると云ふことはミタマがひっくり返ると云ふことぞ。 神示読みて聞かせよ、 目も鼻も開けておられん事が、 建替への真最中になると出て来るぞ、 信仰の人と、無信仰の人と、 愈々立分けの時ぢゃぞ、 マコト一つで生神に仕へ奉(まつ)れよ。 八月二十三日、
ひつ九 ![]()
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早よ我捨てて この方について参れよ、 素直にいたせば楽に行けるのざぞ、 大峠越せるのざぞ、 時節の仕組 中々人民には判るまいがな、 悪抱き参らす為には我が子にまで天のトガをおはせ、 善の地の先祖まで押し込めねば一応抱く事出来んのであるぞ、 ここの秘密知るものは天の御先祖様と地の御先祖様より他には無いのであるぞ。 我が我がと早う出世したい様では、心変へんと人民は御用六ヶ敷いぞ。 神に分けへだてなし、 へだては人民の心にあるぞ。 此の道は因縁なくしては判らん六ヶ敷い道であれど、 此の道つらぬかねば、世界は一平にならんのぢゃ、 縁ある人は勇んで行けるのぢゃ、 神が守るからおかげ万倍ぢゃ、 神の帖面 間違ひないぞ、 思ふ様にならぬのは、ならぬ時は我の心に聞いて見るがよいぞ、 神の仕組は変らねど、此の世では、人民の心次第で良くも悪くも出て来るのぢゃ、 仕事は変らねど出て来るのが変るのざ、 悪く変ると気の毒なから くどう申してゐるのぢゃぞ。 八月二十三日、
一二 海の巻 第18帖 (510)
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愈々身実(みみ)に聞かす時ざぞ。 それぞれ人に応じて時によって、 口から耳に肚から肚に知らしてくれよ、 あなさやけ、 あなすがすがし、 言答(いわと)開けたり、 二十三巻で此の方の神示(ふで)の終り、 終りの終りぞ、 後の七巻は他から出してあるのざぞ、 いづれ判りて来るぞ、 合せて三十の巻、 それが一つの節ざぞ、 天明 御身(みみ)に聞かすぞ、 よきにはからへ、 この行中々ぞ。 八月二十三日、
ひつ九の 海の巻 第19帖 (511)
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「竜音の巻」、 つづく巻五は 「極(きわみ)の巻」、 巻六は 「至恩の巻」、 巻七は 「五葉の巻」ぞ。 この五十黙示(いせもくじ)の七巻は神、 人共に与へたもの、 一巻からつづいたものぞ。 同じ意をもつものが天国にもあるのであるぞ。 合せて三十巻、 これで岩戸までの神示の終りぞ、 前に出した「黄金の巻」からの七巻(日月地聖典下編)は 人民に与へたものであるぞ。 言(こと)やめて 草の片葉も 陽にのび行かな。 八十(やそ)隈手 行きにし神は 今かへります。 素盞鳴の 命しらせる 海原ぞやよ。 天ヶ下 おつるくまなく 照らす大神。 高低(たかひき)の 伊百理(いほり)かきわけ きこし召すらむ。 罪と言ふ 罪はあらじな 神の子なれば。 ひふみ百千万(ももちよろず)と 咲(ゑ)ます 元つ太神。 八十伴男(やそとものを) 百(もも)足り足りて 仕へまつらむ。 行く水に 清めて仕ふ 極みの宮殿(みあらか)。 言霊の 栄ゆる御歌に はらひてましを。 みそぎして 祝ふ生命(いのち)ぞ 弥栄ましませ。 安国の 瑞穂(みづほ)の国と 御(しら)し給ひぬ。 八重雲の 十重雲千別き 千別き天降(あも)りぬ。 千木高知り 美頭(みづ)の御殿(みあらか) 咲(え)み仕へなむ。 許々太久(ここたく)の 罪はあらじな 大岩戸あく。 四方の国 咲(え)み集うらし 真中の国に。 よきあしき 皆はらひませ 科戸(しなど)の風に。 竜音の巻 第01帖(909)
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みかのはら みて並べてぞ 天地(アメツチ)の座に。 御服(みそ)輝(かが)し 明妙照妙和 妙(あかてるにぎ) 風のまにまに。 巫(かむなぎ)の 大御心のまま 弥栄へ む。 千木千木し 瑞の御舎(みあらか) 仕へまつらむ。 御宝前(おんまえ)に 宇豆の幣帛(みてくら) たたへまつ栄。 大神の 咲(えみ)に弥栄ゆ生国足国(いくくにたるくに)。 狭(さ)き国は 広く峻(さか)しき 国は平に。 日のみかげ 百島千島 おつるくまなく。 青雲の たなびく極み 座(し)きます宝座(みくら)。 甘菜辛菜(あまなからな) 地の極みまで 生ひて尚生ゆ。 見はるかす 四方の国みな えらぎ賑はふ。 竜音の巻 第02帖(910)
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かかりてゐる世界自 身わからなくなっているぞ、 サニワせねばならん、 サニワの方法書き知らすぞ。 世界 を、日本を、自分をサニワせねばならん。 目に見へぬ所からの通信は高度のものほど 肉体的には感応が弱くなり、 暗示的となるものであるぞ、 ドタンバタン、大声でどな り散らすのは下の下。 神もフトマニに従わねばならん。 順を乱すわけには参らん、 高度の霊が直ちに肉体人に感応することはなく、 それぞれの段階を経て感応するのであることを忘れてはならんぞ、 下級霊は現実界と紙一重の所に住んでゐるのであるから、 その感応は極めて強く、 如何にも尤(もっと)もらしく人民の目にうつるもので あるぞ、 高度のものは、その人民のミタマの如何(いかん)によって、それと同一波 調の神霊に伝達され、 その神霊の感応によって表現されるのであるぞ。 特別の使命を もつ天使は、最下級の霊界まで降って来て、人民に特別な通信をなし、指示すること もあるぞ。 また天使の霊が母体に宿り人民として生れてくる事もあるぞ、 末世にはこの種の降誕人が沢山あるぞ。 竜音の巻 第03帖(911)
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又神界は天国と霊国に分けられ、 天国には天人、 霊国には天使が住み、 幽界は陽界と陰界に分れ、 陽霊人、陰霊人とが居 る、 陽霊人とは人民の中の悪人の如く、 陰霊人とは善人の如き性をもってゐるぞ。 高 い段階から申せば善も悪も、神界も幽界もないのであるが、 人民の頭で判るように申 してゐるのであるぞ。 幽界は本来は無いものであるが、人民の地獄的想念が生み出したものであるぞ。 竜音の巻 第04帖(912)
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初期の霊かかりの殆どは この幽界からの感 応によることを忘れるでないぞ。 霊かかりの動作をよく見極めればすぐ判る。 高ぶったり、 威張ったり、 命令したり、 断言したり、 高度の神名を名乗ったりするものは必ず下級霊であるぞ、 インチキ霊であるぞ、 インチキ霊にかかるなよ、 たとへ神の言葉 でも尚サニワせよと申してあろう。 迷信であってもそれを信ずる人が多くなれば、 信ずる想念によって実体化し、 有力な幽界の一部をつくり出すことがあるから気付けて おくぞ。 無き筈(はず)のものを生み出し それが又地上界に反影してくるのである から心して下されよ。 今の人民 九分九厘は幽界とのつながりをもつ、胸に手をあててよくよく自分をサニワせよ。 竜音の巻 第05帖(913)
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又高度な科学書も参 考となるものぞ、 科学を馬鹿にしてはならん。 幽界の霊であっても高度のものともな れば、 神界の高級神霊と区別することが六ヶ敷いぞ。 初歩のサニワの誤り易いところ であり、 又霊眼するものの誤り易いところ、 注意しなければならん、 例へば霊光の如 きものも強く大きくて中々にサニワ出来ないぞ。 竜音の巻 第06帖(914)
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仙人界には戒 律があるからぞ、 神界には戒律なし、 戒律ある宗教は亡びる、 マコトの宗教には戒律 はないぞ。 しかし神界にも仙人的存在はあるぞ。 竜音の巻 第07帖(915)
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昭和三十六年八月三日、 旧六月二十二日(1961年) (ひふみ神示 第三十四巻)(916) 竜体をもつ霊は神界にも幽界にもあるぞ、 竜体であるからと申して神界に属すると早がってんならん。
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昭和三十六年八月三日、 旧六月二十二日(1961年) (ひふみ神示 第三十四巻)(917) 霊界にすむものは多くの場合、 自分の住む霊界以外のことは知らない。 その霊界が総ての霊界であるかの如く思ふものであるぞ。 同じ平面上につながる霊界のことは大体見当つくのであるなれど、 段階が異なってくると判らなくなるのであるぞ。 他の霊界は霊自身のもつ感覚の対象とならないからである。 人民界のことをよく知ってゐる霊は、 人民界を去って間もない霊か、 地上世界に長く住んでゐた動物霊か、 人民に憑依してゐた霊であるぞ。 特別な使命をもつ天使は別として、 人霊以外の霊で人民に憑依するのは、 日本では天狗風(てき)、 神風(てき)、 仙人風(てき)、 狐風(てき)、 狸風(てき)、 猫風(てき) などが大部分であるから気つけおくぞ。
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昭和三十六年八月三日、 旧六月二十二日(1961年) (ひふみ神示 第三十四巻)(918) 人間の肉体に他の霊が入って自由にしてゐるのだと、 多くの霊覚者やサニワが信じてゐるなれど、 事実そう見へるなれど、 それは誤りであるぞ。 人間の肉体は原則として真理の宿り給ふ神の生宮であるから、 下級霊は中々に入ることは出来ん。 例外はあるなれど、肉体霊、外部霊、副守護霊等の想念は、 時によって動物的、幽界的となるものであるから、 それと同一波調の動物的霊が感応する、 感応はするが肉体の内部迄は入り込めない、 しかし感応の度が強ければ入ったと同様に見へる状態となるのである。 先祖霊も大体同様であるぞ。
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霊には、人間の肉体は無いのと同じである。 祖先霊に化けて何かを企てる動物霊が多いから注意せよ。 動物霊が何故祖先のこ とを知るかと申せば、その憑依の対象となる人間の肉体霊の知ってゐることを、直ち に知り得るからである。 竜音の巻 第11帖(919)
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例へば他人の家に入って、其処にある道具類をそのまま使用するのと 同じ道理ぢゃ、 判りたか、 動物霊でも他の霊でも人間に感応したならば、 その人間の もつ言葉を或る程度使いこなせるのであるぞ、 故に日本人に感応すれば日本語、 米人 なれば英語を語るのであるぞ。 今の偉い人民がこの神示をよむと、理屈に合わん無茶 苦茶な文章であるから、 下級霊の所産だと断ずるなれど、 それは余りにも霊界の事を 知らぬ霊的白痴であることを、自分で白状してゐるのぞ、 気の毒ぢゃなあ、 ましてこ の神示は八通りに読めるのであるから、 いよいよ判らん事になるぞ。 竜音の巻 第12帖(920)
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この場合は 肉体に入り込んだと考へてよいぞ。 こう言ふ場合、例へばそれが狐ならば狐の様相を露呈するから、誰にでもすぐ判るなれど、 悪行を積んだ霊ともなれば巧みに、その時 代々々の流れに合せて化けているから、中々見破ること六ヶ敷いぞ、 心得なされよ。 或る種の霊は、自分自身は高度な神界に住んでゐると誤信してゐるものもあるが、 こうした霊が感応した場合は自信を以って断言する場合が多い、 人間が知らぬ世界のこ とを、自信を以って強く告げられると、 多くのサニワは参って了ふぞ。 竜音の巻 第13帖(921)
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昭和三十六年八月三日、 旧六月二十二日(1961年) (ひふみ神示 第三十四巻)(922) 幽界霊も時により正しく善なることを申すなれど、 それは只申すだけであるぞ。 悪人が口先だけで善を語るようなものであるぞ、 よいことを語ったとて直ちに善神と思ってはならん。 よい言葉ならば、 たとへ悪神が語ってもよいではないかと申すものもあるなれど、 それは理屈ぢゃ、 甘ければ砂糖でなくサッカリンでもよいではないかと申すことぞ。 真の善言真語は、 心、言、行、一致であるから直ちに力する、 言葉の上のみ同一であっても、 心、言、行、が一致しておらぬと力せぬ。 偽りの言葉は、落ちついてきけばすぐ判るぞ、 同じ「ハイ」と言ふ返事でも、 不満をもつ時と喜びの時では違ふであろうがな。 われは天照太神なり、 などと名乗る霊にロクなものないぞ、 大言壮語する人民はマユツバもの。
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又霊に向って常に愛を持って接しなければならんぞ。 誰でも絶へず霊界とのつながりがあり、霊界からの呼びかけがあるから、 サニワはそれを助け、導くように努力しなければならんぞ。 竜音の巻 第15帖(923)
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玄関に先づ出て来るのは玄関番であるぞ。 祖霊の出る場合は、何か頼みたい場合が多いぞ、 浄化した高級霊ともなれば、人民に判るような感応は殆どないぞ。 竜音の巻 第16帖(924)
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昭和三十六年八月三日、 旧六月二十二日(1961年) (ひふみ神示 第三十四巻)(925) 霊の要求ぢゃと申して、そのまま受け入れてはならんぞ、 よく判断した上で処理せねばならん。 下級霊、動物霊の場合は酔ひどれのように箸にも棒にもかからんことを 申すものぞ。 殊にその霊が病気に関連をもってゐる場合は微妙であるから、 よく心得なされよ。 悪い企て、悪い行為ぢゃとて、直ちにキメつけてはならん、 やんわりともちかけて善きに導かねばならんぞ、 悪をきらふ心があってはならん、 悪抱き参らせと申してあろうがな。 邪道的要求を容れて一時的に病気を治すと、 それに倍してブリ返すぞ、 この呼吸大切。
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昭和三十六年八月三日、 旧六月二十二日(1961年) (ひふみ神示 第三十四巻)(926)
霊に その偉大さがハッキリ判るぞ。 どんな下級霊であっても、 その霊を馬鹿にしてはいけない、 馬鹿にすると反射的にサニワを馬鹿にして始末におへんことになるぞ。 霊覚者や行者の中には奇跡的なことや非常識な行動をする者がよくあるぞ、 一般の人民はそれにだまかされることがよくあるぞ、 何れも下級霊のしわざであるぞ、 正神には奇跡はない、 奇跡ないことが大きな奇跡であるぞ、 奇跡するものは亡びる。 高級霊は態度が立派であるぞ、 わかりたか。
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昭和三十六年八月三日、 旧六月二十二日(1961年) (ひふみ神示 第三十四巻)(927) 霊の発動をとめて、静かにする法は 「国常立大神 守り給へ幸(さき)はへ給へ」 と三回くり返すこと。 又 「素盞鳴大神 守り給へ幸はへ給へ」 と三回くり返すこと、 又は 「太日月地大神 守り給へ幸はへ給へ」 と三回くり返すこと。 世界そのものの霊かかり、 日本の霊かかり、 早うしづめんと手におえん事となるが、見て御座れよ、 見事な事を致してお目にかけるぞ。 (竜音の巻了)
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宇都志(うつし)水に 天津(あまつ)水添え 奉(たてまつ)らむを。 夕陽(ゆうひ)より 朝日照るまで フトノリトせむ。 火結神(ほむすび)の 実秀答(ミホト)焼かへて 岩戸(言答)(一八十)閉ざしき。 世界を一つにするのであるから王は一人でよいぞ、 動きは二つ三つとなるのぢゃ、 キはキのうごき、 ミはミのうごき、 動いて和してキミと動くのぢゃ。 三が道ぞと知らしてあろう、 自他の境界つくるでないぞ、 おのづから自他の別と和が生れて お互に折り重なって栄へるのぢゃ、 世界一家への歩み方、 やり方、間違へるでないぞ。 九分九厘まで進まねば後の一厘は判らん、 今が九分九厘であるぞ、 日本は日本、 世界は世界、 日本は世界のカタ国、 おのづから相違あるぞ。
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昭和三十六年八月五日、 旧六月二十四日(1961年) (ひふみ神示 第三十五巻) 極めの巻 第02帖 (929) 青玉の 水江の玉ゆい よよ栄えむ。 天地咲(え)む 神の礼白(いやしろ) 臣(おみ)の礼白(いやしろ)。 天(あま)つ神の 寿言(よごと)のままに 八十(やそ)岩明けぬ。 守護神をよく致せば肉体もよくなるぞ。 神の道は一本道であるから、多くに見へても終りは一つになるのぢゃ、 今が終りの一本道に入るところ、 この道に入れば新しき代は目の前、 神も今迄はテンデンバラバラでありたなれど、 今に一つにならねばならぬことに、 天が命じてゐるのであるぞ。 人民の中と外も同様ぞ。 今の人民はマコトが足らんから、 マコトを申しても耳に入らんなれど、 今度は神が人民にうつりて、 又 人民となりてマコトの花を咲かす仕組、 同じことを百年もづづけてクドウ申すと人民は申すなれど、 判らんから申してゐるのであるぞ。
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昭和三十六年八月五日、 旧六月二十四日(1961年) (ひふみ神示 第三十五巻) 極めの巻 第03帖 (930) わが身をすてて、 三千世界に生きて下されよ、 わが身をすてると申すことは我(が)をすてること、 学をすてることぢゃ、 すてると真理がつかめて大層な御用が出来るのであるぞ、 それぞれの言葉はあれどミコトは一つぢゃと申してあろうが、 ミコトに生きて下されよ。 言葉の裏には虫がついてゐるぞ、 英語学ぶと英語の虫に、 支那語学ぶと支那語の虫に犯されがちぢゃ。 判らねばならんし、 中々ながら御苦労して下されよ。 大難を小難にすることは出来るのであるが無くすることは出来ん。 不足申すと不足の虫が湧くぞ、 怒ると怒りの虫ぞ。 一生懸命、自分の信じるように、神を小さくして自分で割り切れるように、 引きづり降ろして居るなれど、困ったもんぢゃ、 長くゆったりとした気持ちで神を求めて下されよ。
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大空を腹一杯吸ひ込んで下されよ。 そなたの神を一応すてて心の洗濯を致してくれよ、 神示が腹に入ったらすてて下されと申してあろうがな、 神を信じつつ迷信に落ちて御座るぞ。 日本が秘の本の国、艮(宇詞答裸)(ウシトラ)のかための国、
国常立大神がウシトラの扉をあけて出づる国と言うことが判りて来んと、 今度の岩戸ひらきは判らんぞ、 こんなことを申せば、 今のエライ人々は、古くさい迷信ぢゃと鼻にもかけないなれど、 国常立命がウシトラからお出ましになることが岩戸(言答)ひらきぞ、 今の学では判らんことばかり。 善と悪とに、自分が勝手にわけて、 善をやろうと申すのが、 今の世界のあり方。 天の王、地(智、千)の王のこと、
足場も、めあてもなくてメクラメッポーに歩んだとて目的には 行きつけぬ道理。 極めの巻 第04帖 (931)
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つまらぬ霊界とのゑにしが残ってゐることぞ。 早う岩戸を開いて富み栄へて下されよ、 人民 富み栄えることは、神が富み栄えることぞ。 何事もはらい清めて下されよ、 清めるとは和すことぞ、 違ふもの同士和すのがマコトの和であるぞ。 8迄と910とは性が違ふのぞ。 極めの巻 第05帖 (932)
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昭和三十六年八月五日、 旧六月二十四日(1961年) (ひふみ神示 第三十五巻) 極めの巻 第06帖 (933) 和すには5と5でなくてはならんが、 陽が中、 陰が外であるぞ、 天が主で地が従ぞ、 男が上、女が下、 これが正しき和ぞ、 さかさまならん、 これが公平と申すものぢゃ、 陰と陰と、 陽と陽と和しても陰ぢゃ、 陽と陰と和して始めて新しき陽が生れる、 陽が本質的なもの、 この和し方がはらひきよめ。
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世に出てゐた神も皆一つ目ぢゃ、 一方しか見へんか ら、 世界のことは、 逆の世界のことは判らんから、 今度の岩戸ひらきの御用は中々ぢ ゃ、 早う改心して こ(九、 光)の神について御座るのが一等であるぞ。 外国の方が早 う改心するぞ、 外(幽)国人とは逆の世界の人民のことであるぞ。 神の目からは世界 の人民、 皆わが子であるぞ。 世界中 皆この神の肉体ぞ、 この神には何一つ判らん、 出 来んと申すことないのぢゃ。 どんなことでも致して見せるぞ。 極めの巻 第07帖(934)
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昭和三十六年八月五日、旧六月二十四日(1961年) (ひふみ神示 第三十五巻)(935) 元は5で固めたのぢゃ、 天のあり方、天なる父は5であるぞ。 それを中心として、ものが弥栄えゆく仕組、 それを人民は自分の頭で引き下げて4と見たから行き詰って世界の 【難ぢう】であるぞ。 手や足の指は何故に5本であるか、誰にも判るまいがな。
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昭和三十六年八月五日、旧六月二十四日(1961年) (ひふみ神示 第三十五巻)(936) 天の5を地にうつすと地の五則となるのぢゃ、 天の大神は指を折りて数へ給ふたのであるぞ、 天の大神の指も五本であるから、 それを五度折りて二十五有法となされ、 五十をもととされたのぢゃ、 神々、神心、神理、神気、神境であるぞ、 この交叉弥栄は限りなし、 これを五鎮と申すのであるぞ。 上天、下地、照日、輝月、光星、 これを五極と申すぞ。 東木、南火、中土、西金、北水、 これを五行と申す。 裸物、毛物、羽物、鱗物、甲物を五生と申し、 文則、武則、楽則、稼則、用則を五法と申すのぢゃが、
それだけでは足りない、その中に 大神がましますのぢゃ、 人民の頭では中々に理解出来んなれど、理解して下されよ。 これが妙であるぞ、奇であるぞ、 天の父の教であり、地にうつした姿であるぞ。
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昭和三十六年八月五日、 旧六月二十四日(1961年) (ひふみ神示 第三十五巻) 極めの巻 第10帖 (937) 神示に出したら天明に書かすのであるぞと知らしてあろう、 神示はいくらでも神界に出してあるのぢゃ、 神が想念したならば、 神界ではそれが神示となっているのぢゃ、 それを人民に判るように書かすのぢゃ。 父と母との文字で書かすのであるぞ、 天明は神示うつす役、 書かす御役。
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昭和三十六年八月五日、 旧六月二十四日(1961年) (ひふみ神示 第三十五巻) 極めの巻 第11帖 (938) 陽(ひ)あたりのことと、 陽かげのことと一時に出て来るのぢゃ、 タテコワシとタテナホシが一時にくるのぢゃ、 神の申した通りになって居ろうがな、 学で説くと学の鬼に囚われるぞ、 智で説くと智の、 理で解くと理の鬼に囚われる、 このままに伝へて下されよ。 天の世界も潰してはならん、 地の世界も潰すわけには参らんが、 地上の事は潰さねば建直し六ヶ敷いなれど、 見て御座れよ、 一厘(理云)(リン)の火水でデングリ返して、 見事なことをお目にかけるぞ。
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己(おのれ)自身のいくさが終ってゐないからであるぞ。 そなたのもつ悪いくせを直して下されよ、 それが御神業ぢゃ。 神々様も自分のくせを直すために御苦労なさってゐるぞ、 そのために生長する。 昨日の自分であってはならんぞ。 六十の手習でとまってはならん、 死ぬまで、死んでも手習ぢゃ。 お互におろがめよ、 おがむと総てが自分となる、 おがむところへ集まって来て弥栄ぢゃ。 極めの巻 第12帖 (939)
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昭和三十六年八月五日、 旧六月二十四日(1961年) (ひふみ神示 第三十五巻) 極めの巻 第13帖 (940) これまでに申してきかせても言ふこときかぬ人民多いぞ、 きく耳ないならば思ふようにやって見なされ、 グルグル廻って又はじめからぞ、 人民は神の中にゐるのであるから、 いくら頑張っても神の外には出られん。 死んでも神の中にゐるのぞ、 思ふさまやりて得心改心、 われがわれがで苦しむのも薬と申すもの。
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昭和三十六年八月五日、 旧六月二十四日(1961年) (ひふみ神示 第三十五巻) 極めの巻 第14帖 (941) 正しくないものが正しい方に従はねばならんと人民申して御座るなれど、 正とか不正とか申す平面的衣を早うぬいで下されよ。 マコトを衣として下されよ、 マコトを衣にするには心がマコトとなりなりて、 マコトの肉体とならねばならん、 マコトとは数(かず)ぢゃ、 言(こと)ぢゃ、 色ぢゃ、 その配列、順序、法則ぞ。
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右の頬をうたれたら左の頬を出せよ、 それが無抵抗で平和の元ぢゃと申してゐるが、その心根をよく洗って見つめよ、 それは無抵抗ではないぞ、 打たれるようなものを心の中にもっているから打たれるのぞ。 マコトに居れば相手が手をふり上げても打つことは出来ん、 よくききわけて下されよ。 笑って来る赤子の無邪気は打たれんであろうが、 これが無抵抗ぞ。 世界一家天下泰平ぢゃ、 左の頬を出すおろかさをやめて下されよ。
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昭和三十六年八月五日、 旧六月二十四日(1961年) (ひふみ神示 第三十五巻) 極めの巻 第16帖 (943) 頭さげて低うなって見なされよ、 必ず高い所から流れてくるぞ。 高くとまっているから流れて来んのぢゃ、 神のめぐみは水のように淡々として低きに流れて来るぞ、 自分が自分にだまされんように心して下されよ、 善悪をきめて苦しんで御座るぞ。 世界の片端浜辺から いよいよが起って来たぞ、 夜明け近づいたぞ。
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昭和三十六年八月五日、 旧六月二十四日(1961年) (ひふみ神示 第三十五巻) 極めの巻 第17帖 (944) 今迄の、のがれ場所はヤマであったが、 今度はヤマに逃げても駄目、 カミの御旨の中であるぞ、 山に移りて海に入れよと申してあろう、 今度のことぞ。
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昭和三十六年八月五日、 旧六月二十四日(1961年) (ひふみ神示 第三十五巻) 極めの巻 第18帖 (945) この神示は、神と竜神と天人天使と人民たちに与へてあるのぢゃ。 天界での出来事は必ず地上に移りて来るのであるが、 それを受け入れる、 その時の地上の状態によって早くもなればおそくもなり、 時によっては順序も違ふのであるぞ、 人民は近目であるから色々と申すなれど、 広い高い立場で永遠の目でよく見極めて下されよ。 寸分の間違ひもないのであるぞ、 これが間違ったら宇宙はコナミジン、 神はないのであるぞ。
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昭和三十六年八月五日、 旧六月二十四日(1961年) (ひふみ神示 第三十五巻) 極めの巻 第19帖 (946) 天人天使の行為が人民にうつるのであるなれど、 人民の自由、 能力の範囲に於ける行為は又逆に、 天界に反影するのであるぞ、 日本とカラ(支那中国)と土地が違ふように、 日本人とカラ人とは違ふ、 天界のうつり方も違ふのであるぞ。 同じ日本人でも時と所によって違ふ。 肌のこまかい絹と荒壁にうつる映画は同じでも少しづつ違ふようなもの、 違ってうつるのがマコトであるぞ、 同じ数でも123と一二三は違ふのであるぞ、 判りて下されよ。 新しき世界に進む大切ことぢゃ。
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それでは今度の岩戸ひらきの役にはたたん、 三千世界の岩戸ひらきであるから、 少しでもフトマニに違ってはならんぞ。 廻りくどいようなれど【とつぎ】の道から改めなされよ、 出舟の港は夫婦からぢゃと申してあろう、 ミトノマグハヒでなければ正しき秩序は生れんぞ、 素盞鳴命が、荒ぶる神、悪神ではなく、 人民の罪を背負って下さる救ひ主の大神であることが判らねば、 岩戸はひらけんぞ。 新しき世界の宮は土地(神智)(十千)であるぞ、 住所(数真意)(すまい)であるぞ、 永遠に在(おわ)す神は住む(澄む、数務) 土地(十千)であるぞ、 下には永遠の腕(宇丁)(うで)があるぞ。 極めの巻 第20帖 (947)
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