良い宇宙人と悪い宇宙人,宇宙の真相, The Earth is Controlled by Evil Alien


NO4498


”で検索・抽出 NO2 


julaさんのメール

jula です。

”について抽出しましたので送信します。(64帖(+荒れの巻き2行))


世界の臣民 皆手引き合って行く時来た位 申さいでも判ってゐるであろが、それで もまだまだ一苦労二苦労あるぞ、

頭で判っても肚で判らねば、発根(ほっこん)の改心出来ねば、まだまだ辛い目に会ふのざぞ、人民 自分で首くくる様なことになるのざぞ、判りたであろ。

天の御三体の大神様と ちのおつちの先祖様でないと今度の根本のお建替出来んのざぞ、判りても中々判らんであろがな。洗濯足らんのであるぞ。

今度はめんめにめんめの心改めて下されよ、

神は改めてあるが、神から改めさすのでは人民可哀想なから めんめめんめで改めて下されよ、

改まっただけ おかげあるのざぞ。

今度の岩戸開いたら末代の事ざぞ、

天地の違ひに何事も違ふのざぞ。

信者引張りに行って呉れるなよ、

神が引き寄せるから、

役員の所へも引き寄せるから、

訪ねて来た人民に親切尽くして喜ばしてやれと申してあろが、

人民喜べば神嬉しきぞと申してあろが、

木喜ばしてやれよ、

神示よく読めばどうしたら木動物喜ぶかと云ふことも知らしてあるのざぞ、

今迄の心 大河に流してしまへば何もかもよく判って嬉し嬉しとなるのざぞ、

まだまだ世界は日に日にせわしくなりて云ふに云はれん事になって来るのざから、 表面(うわつら)許り見てゐると判らんから、心大きく世界の民として世界に目とどけてくれよ、

元のキの神の子と、渡りて来た神の子と、渡りて来る神の子と三つ揃ってしまはねばならんのぞ、

アとヤとワと申してあるが段々に判りて来るのざぞ。

実地のことは実地の誠の生神でないと出来はせんぞ、

臣民はお手伝ひぞ、

雨風さへどうにもならんであろうが、

生物 何んで息してゐるか、それさへ判らいで居て何でも判ってゐると思ってゐるが鼻高ぞと申すのざ、

今の内に改心すれば名は現はさずに許してよき方に廻してやるぞ、

早う心改めよ。

十月十六日、

ひつ九のか三。

雨の巻 第04帖 (338)


ひふみ神示 第十三巻 雨の巻 第五帖

昭和二十年十月十七日、

旧九月十二日(1945年)

神示に書かしたら日月の神(一二) が天明に書かすのであるから其の通りになるのであるぞ、

皆仲よう相談して悪き事は気付け合ってやりて下され、

それがまつりであるぞ、王(おー)の世が (さかさまのおー)の世になって居るのを今度は元に戻すのであるから、

その事 早う判っておらんと一寸の地の上にもおれん事になるぞ、

今度の戦(いくさ)すみたら世界一平一列一体になると知らしてあるが、

一列一平 其の上に神が居ますのざぞ、

神なき一平一列は秋の空ぞ、

魔の仕組、

神の仕組、

早う旗印見て悟りて下されよ、

神は臣民人民に手柄致さして万劫末代、

名残して世界唸らすのざぞ、

これ迄の事は一切用ひられん事になるのざと申してあろ、

論より実地見て早う改心結構、

何事も苦労なしには成就せんのざぞ、

苦労なしに誠ないぞ、

三十年一切(ひときり)ぞ、

ひふみ肚に入れよ、

イロハ肚に入れよ、

アイウエオ早ようたためよ、

皆えらい取違ひして御座るぞ、

宮の跡はボウボウとなるぞ、

祭典(まつり)の仕方スクリと変へさすぞ、

誠の神の道に返さすのざから、

今度は誠の生神でないと人民やらうとて出来はせんぞ。

十月十七日、

ひつ九のかミ。

雨の巻 第05帖 (339)

使用された特殊文字  


神示よく読めと、

神示よく肚に入れと申してあるが、

神示肚に入れると胴すわるのざぞ、

世界から何んな偉い人が出て来て何んな事尋ねても教へてやれる様になるのざぞ、

神示胴に入れて頭下げて天地に働いて下されよ、

まつりて下されよ、

素直になれば其の場から其の場其の場で何事も神が教へてやるから、

力つけて導いてやるから、

何んな神力でも授けてやるぞ。

一二三四五六七八九十百千卍(ひとふたみよいつむゆななやここのたりももちよろず)授け申して神人となるぞ。

我さえよけらよいとまだ思って御座る臣民まだで御座るぞ、

自分一人で生きてゆけんぞ、

神許りでも生きてゆけんぞ、

爪の垢でもだてについてゐるのではないのざぞ、

判らんと申しても余りで御座るぞ、

まつりせよ、

地(つち)にまつろへよ、

天(あめ)にまつろへよ、

人にまつろへよ、

木動物にまつろへよ、

と、くどう知らしてあるのに未だ判らんのか、

神拝む許りがまつりでないぞ。

待ちに待ちし日の出の御代となりにけり、

一二三(ひふみ)いろはの世はたちにけり。

身慾信心してゐる臣民人民、

今に神示聞けぬ様に いれものつんぼになるのざぞ、

きびしくなって来るぞ、

毒にも薬にもならん人民、

今度は役に立たんのざぞ、

悪気ない許りでは一二(ひつき)の御民とは申されんぞ。

あら楽し、黒雲一つ払ひけり、

次の一つも払ふ日近し。

淋しくなりたら神示尋ねて御座れ、

神示読まねば益々判らん事になったであろうが、

天国に底ない様に地獄にも底ないぞ、

何処までも落ちるぞ、

鼻高の鼻折らな人民何んと申しても神承知出来ん。

十一月二十三日、

ひつ九のかミ。

雨の巻 第06帖 (340)


一番尊い所 一番落してあるのぢゃ、

此の事判りて来て天晴れ世界唸(うな)るのぢゃ、

落した上に落して もう落す所無い様にして上下引繰り返るのぢゃ、

引繰り返すのでないぞ、

引繰り返るのぢゃぞ、

此の事 間違へるでないぞ。

此の道 難しい道でないぞ、

欲はなれて、命はなれてなる様にしておりて下されたら それでよいのぢゃ。

今が神国の初めぞ、

今までのことすっかり用ひられんのに未だ今迄の事云ふて今迄の様な 事考えてゐるが、

それが盲聾(めくらつんぼ)ざぞ、

今迄の事自慢すると鼻ポキンぞ、

皆 鼻ポキン許りぢゃなあ。

まだまだ俘虜(とりこ)になる者 沢山あるなれど、

今度の俘虜(とりこ)まだまだぞ、

何れ元に帰って来るから、

元に帰って又盛り返して来るなれど、

またまた繰り返すぞ、

次に又捕へられる者 出て来るのざぞ、

次はひどいのざぞ、

是も因縁ざぞ。

神の国は誰が見ても、どう考へても、

二度と立ち上がられん、

人民 皆外国につく様になって、

此の方の申した事、神示に書かした事、

皆 嘘(うそ)ざと申す所まで世が落ちてしまうてから始めて神力現れるのざぞ、

人民臣民 早合点して御座るが九分九分九厘と申してあろがな、

事務所作らいでもよいぞ、

事務所作るのは表の仕組ぞ、

裏の御用 事務所禁物ぞ、

それぞれの役員殿の住むとこ皆それぞれの事務所でないか、

よく相談してやりて下され、

段々判りて来るぞ。

表と裏とあななひぞ、

あななひの道と申してあろ、

引寄せる身魂は、天で一度改めて引寄せるのであるぞ、

今お役に立たん様に臣民の目から、役員の目から見えても袖にするでないぞ、

地でも改めしてまだまだ曇り取らなならんぞ、

磨けば皆結構な身魂許りぢゃぞ、

人民の肚さへたら天もさへるぞ、

心鎮(しづ)もれば天も鎮もるぞ、

神勇むぞ。

我(が)はぢっと奥に鎮めて表面(うわべ)には気(け)も出されんぞ、

我の無い様な事では、我で失敗(しくじ)た此の方の御用出来ないのざぞ、

毒にも薬にもならん人民 木にかへしてしまふぞ。

此の神示 無闇(むやみ)に見せるでないぞ、

神示は出ませんと申せよと申してある事 忘れるでないぞ。

天の規則 千でやる事になってゐるのざぞ、

今度 規則破りたら暗い所へ落ち込んで末代浮ばれんきつい事になるのざから、

神くどう気付けておくぞ。

次に世に出る番頭殿 まだ神なきものにして御座るから一寸先も判らんぞ、

先判らずに人間の勝手な政治して世は治まらん道理ぢゃぞ、

三日天下でお出直しぞ、

その次もその次も又お出直しぢゃ、

此の神示よく見てこの先何うなる、

其の先どうなると云ふ事、

神はどんな事計画しておいでますと云ふ事判らいで政治ないぞ、

すればする程 悪うなるぞ、

神にはこうなる事判って呑んでゐるのざから、

何んなことあっても心配ないなれど、

それでは臣民 可哀想なから、

此の神示ウタにして印刷して世によき様にして皆に知らしてやれよ、

表の集団でよいぞ、

神は天からも地からも日も夜も九十(コト)で知らしてゐるのに、

九十(コト)聞く身魂ないから、

九十(コト)きく御身(みみ)曇りてゐるから、

人民は判らんなれど、

余り判らんでは通らんぞ、

早う洗濯掃除せよと申してゐるのざ。

人の十倍も今の仕事して其の上で神の御用するのが洗濯ぞ、

掃除ぞと申して知らした事忘れたか、

地に足つけよと申した事判らんのか、

百姓になれ、大工になれと申した事判らんのか、

(てん)の地もあるぞ、

天の百姓、大工もあるのざぞ。

善と悪と小さく臣民分けるから判らんのざぞ、

大きく目ひらけよ。

松食(お)せよ、

松おせば判らん病直るのぢゃぞ、

松心となれよ、

何時も変らん松の翠(みどり)の松心、

松の御国の御民幸あれ。

十二月十八日、

ひつ九のかみ。

雨の巻 第14帖 (348)

使用された特殊文字


岩戸開けたり野も山も、

のかき葉もことやめて、

大御光により集ふ、

楽しき御代とあけにけり、

都も鄙(ひな)もおしなべて、

枯れし木に花咲きぬ、

今日まで咲きしや木は、

一時にどっと枯れはてて、

つちにかへるよすがしさよ、

ただ御光の輝きて、

生きの生命(いのち)の尊さよ、

やがては人のくにつちに、

うつらん時の楽しさよ、

岩戸開けたり御光の、

二二(ふじ)に九(こ)の花どっと咲く、

御代近づきぬ御民等よ、

最後の苦労 勇ましく、

打ち越し呉れよ共々に、

手引きあひて進めかし、

光の道を進めかし。

ウタのまどひつくれよ。

目出度(めでたき)夜明けぞ。

旧一月一日、一二

風の巻 第04帖 (355)

使用された特殊文字 


ひふみ神示 第十六巻 荒の巻 第一帖,

昭和二十一年一月十九日、

旧十二月十七日(1946年)

言問ひしのかきはも言止め(コトトひしクサのかきはもコトヤめ)、


ひふみ神示 第十六巻 荒の巻 第一帖

昭和二十一年一月十九日、

旧十二月十七日(1946年)

のかき葉も競ひかも(モモグサのかきハもキソひかも)、


ひふみ神示 第十六巻 荒の巻 第一帖

昭和二十一年一月十九日、

旧十二月十七日(1946年)

もの云ふ世となりふなり(クサものイふヨとなりふなり)。


霊界には、山もあり、川もあり、海もあり、また、もろもろの社会があり、霊界の生活がある。

故に、其処には霊人の住宅があり、霊人はまた衣類をもつ。

住宅は、その住む霊人の生命の高下によって変化する。

霊人の家には、主人の部屋もあれば、客室もあり、寝室もあり、また、食堂もあり、風呂場もあり、物置もあり、玄関もあり、庭園もある、

と云ったふうに、現実世界と殆ど変りがない。

と云うことは、霊人の生活様式なり、思想なりが、ことごとく同様であると云うことを意味する。

また、内分を同じくする霊人たちは、

相集まり、住宅は互に並び建てられており、

地上に於ける都会や村落とよく似ている。

その中心点には多くの場合、神殿や役所や学校等あらゆる公共の建物が、ほどよく並んでいる。

そして、これらの総てが霊界に存在するが故に、

地上世界に、それの写しがあるのである。

霊界を主とし、霊界に従って、地上にうつし出されたのが、

地上人の世界である。

地上人は、物質を中心として感覚し、

且つ考えるから、真相が中々につかめない。

これら総ての建物は、神の歓喜を生命として建てられたものであって、

霊人の心の内奥にふさわしい状態に変形され得る。

また天人の衣類も、

その各々がもつ内分に正比例している。

高い内分にいる霊人は高い衣を、

低いものは低い衣を自らにして着することとなる。

彼等の衣類は、彼らの理智に対応しているのである。

理智に対応すると云うことは、

真理に対応すると云うことになる。

但し、最も中心に近く、

太神の歓喜に直面する霊人たちは衣類を着していないのである。

この境地に到れば、総てが歓喜であり、

他は自己であり、

自己は他であるが故である。

しかし、他よりこれを見る時は、

見る霊人の心の高低によって、

千変万化の衣類を着せる如く見ゆるのである。

また、衣類は総て霊人の状態の変化によって変化して行くものである。

霊人はまた、いろいろな食物を食している。

云う迄もなく霊人の食物であるが、

これまたその霊人の状態によって千変万化するが、

要するに歓喜を食べているのである。

食べられる霊食そのものも、

食べる霊人も何れも、食べると云うことによって歓喜しているのである。

地上人の場合は、物質を口より食べるのであるが、

霊人は口のみでなく、

目からも、鼻からも、耳からも、皮膚からも、手からも、足からも、食物を身体全体から食べるものである。

そして、食べると云うことは、霊人と霊食とが調和し、

融け合い、一つの歓喜となることである。

霊人から見れば、食物を自分自身たる霊人の一部とするのであるが、

食物から見れば霊人を食物としての歓喜の中に引き入れることとなるのである。

これらの行為は、本質的には、地上人と相通ずる食物であり、食べ方ではあるが、

その歓喜の度合および表現には大きな差がある。

食物は歓喜であり、歓喜は神であるから、

神から神を与えられるのである。

以上の如くであるから、他から霊人の食べるのを見ていると、

食べているのか、食べられているのか判らない程である。

また霊人の食物は、その質において、その霊体のもつ質より遠くはなれたものを好む。

現実社会に於ける、山菜、果物、海等に相当する植物性のものを好み、

同類である動物性のものは好まない。

何故ならば、性の遠くはなれた食物ほど歓喜の度が強くなってくるからである。

霊人自身に近い動物霊的なものを食べると歓喜しないのみならず、

返って不快となるからである。

そして霊人は、これらの食物を歓喜によって調理している。

そしてまた与えられた総ての食物は、悉く食べて一物をも残さないのである。

すべての善はより起り、にかえるのと同様、

総ての悪もまたより起りにかえる。

故に、神をはなれた善はなく、

また神をはなれた悪のみの悪はあり得ないのである。

殊に地上人はこの善悪の平衡の中にあるが故に、

地上人たり得るのであって、

悪をとり去るならば、

地上人としての生命はなく、

また善は無くなるのである。

この悪を因縁により、

また囚われたる感情が生み出す悪だ、

と思ってはならない。

この悪があればこそ、

自由が存在し、生長し、弥栄するのである。

悪のみの世界はなく、

また善のみの世界はあり得ない。

所謂、悪のみの世界と伝えられるような地獄は存在しないのである。

地上人は、霊人との和合によって神と通ずる。

地上人の肉体は悪的な事物に属し、その心は善的霊物に属する。

その平衡するところに力を生じ、生命する。

しかし、地上人と、霊人と一体化したる場合は、神より直接に地上人にすべてが通じ、

すべてのもののが与えられると見えるものである。

これを、直接内流と称し、

この神よりの流入するものが、意志からするときは理解力となり、

真理となる。

また、愛より入るときは善となり、

信仰力となって現われる。

そして、神と通ずる一大歓喜として永遠に生命する。

故に、永遠する生命は愛と離れ、

真と離れ、

また信仰とはなれてはあり得ないのである。

神そのものも神の法則、秩序に逆らうことは出来ない。

法則とは歓喜の法則である。

神は歓喜によって地上人を弥栄せんとしている。

これは、地上人として生れ出ずる生前から、

また、死後に至るも止まざるものである。

神は、左手にての動きをなし、

右手にての動きを為す。

そこに、地上人としては割り切れない程の、

神の大愛が秘められていることを知らねばならぬ。

地上人は、絶えず、善、真に導かれると共に、

また、悪、偽に導かれる。

この場合、その平衡を破るようなことになってはならない。

その平衡が、神の御旨である。

平衡より大平衡に、

大平衡より超平衡に、

超平衡より超大平衡にと進み行くことを弥栄と云うのである。

左手は右手によりて生き動き、栄える。

左手なき右手はなく、右手なき左手はない。

善、真なき悪、偽はなく、

悪、偽なき善、真はあり得ない。

神は善、真、悪、偽であるが、

その新しき平衡が新しき神を生む。

新しき神は、常に神の中に孕み、

神の中に生れ、神の中に育てられつつある。

始めなき始めより、

終りなき終りに到る大歓喜の栄ゆる姿がそれである。

地震の巻 第15帖 (392)

使用さされた特殊文字  


取られたり取り返したりこねまわし、

終りは神の手に甦(よみが)へる。

世の元のまし水 湧きに湧く所、

やがて奥山移さなならんぞ。

神示判る臣民二三分できたなら、

神愈々のとどめのさすなり。

三界を貫く道ぞ誠なり、

誠の道は一つなりけり。

神界の誠かくれし今迄の道は誠の道でないぞや。

鬼おろち木動物虫けらも一つにゑらぐ道ぞ誠ぞ。

八月十三日、一二

マツリの巻 第06帖 (410)

昭和二十一年八月十三日、

旧七月十七日(1946年)

使用された特殊文字 


我が勝手に解訳してお話して神の名汚さん様にしてくれよ、

曇りた心で伝へると、

曇りて来る位 判って居ろがな、

神示通りに説けと申してあろが、

忘れてならんぞ。

履物も今に変って来るぞ、

元に返すには元の元のキのマヂリキのない身魂と入れ替へせねばならんのぢゃ、

(タマ)が違って居るから世界中輪になっても成就せん道理分るであろがな、

一度申した事はいつまでも守る身魂でないと、

途中でグレングレンと変る様では御用つとまらんぞ、

人力屋、酒屋、料理屋、芸妓(げいこ)屋、娼妓(しょうぎ)、無く致すぞ、

世つぶす基(もと)ざぞ、

菓子、饅頭も要らんぞ、

もくせぞ、

よき世になったら別の酒、煙、菓子、饅頭出来るぞ、

勝手に造ってよいのざぞ、

それ商売にはさせんぞ。 

旧五月五日からの礼拝の仕方書き知らすぞ。 

朝は大神様には一拝、二拝、三拝、八拍手。

「ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆら 々々 、ひふみゆらゆら 々々 々々 。」

ひふみ祝詞のりてから、

「御三体の大神様 弥栄(やさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ、天之日月の大神様 弥栄ましませ弥栄ましませ、地の日月の大神様 弥栄ましませ弥栄ましませ」

八拍手

「御三体の大神様」七回のれよ。

終りて大神様のキ頂けよ、

八拍手一拝二拝三拝せよ。

夜は同じ様にしてひふみ祝詞の代りにいろは祝詞のれよ。

三五七に切りて手打ち乍ら ひふみ祝詞と同じ様にのりて結構ぞ。

昼は大地に祈れよ、

黙祷せよ。

時に依り所によりて、暫し黙祷せよ、

お土の息 頂けよ、

出来れば、はだしになってお土の上に立ちて目をつむりて足にて呼吸せよ、

一回、二回、三回せよ。

神々様には二拝四拍手。

「ひふみゆらゆら、 々々 々々 、 々々 々々 々々 。」

天(あめ)の数歌 三回唱へ。

「神々様 弥栄ましませ弥栄ましませ」

とのりて四拍手せよ。

誓は時に依りてよきにせよ。 

霊の宮には一拝、二拍手、天の数歌一回

「弥栄ましませ弥栄ましませ」

二拍手、一拝。

でよいぞ、

ひふみゆらゆら いらんぞ、

誓(ちかい)はその時々に依りてよきにせよ。

各々の先祖さんには今迄の祝詞でよいぞ。

当分これで変らんから印刷してよく判る様にして皆の者に分けて取らせよ、

弥栄に拝みまつれよ。

三月三日、

ひつ九のしるす。

空の巻 第13帖 (468)

使用さされた特殊文字  


ひふみ神示 第二十四巻 黄金の巻 第六十四帖

昭和二十四年十二月十四日、

旧十月二十五日(1949年)

何処で何してゐても道さへふんで居れば弥栄えるぞ。

行き詰ったら省みよ。

己の心の狂ひ、判って来るぞ。

神から伸びた智と愛でないと、

人民の智や学や愛はすぐペシャンコ。

やりてみよれ。

根なしには実は結ばんぞ。

お尻出したら お尻綺麗にふいてやれよ。

怒ってはならん。

子の尻と思うて拭いてやれよ。

判った人民よ。

今の内は阿呆結構ぞ。

一つに和して御座れ。

人間心で急ぐでないぞ。

(十二月十四日)

一二十,

黄金の巻 第064帖 (575)


ひふみ神示 第二十四巻 黄金の巻 第九十一帖

昭和二十五年一月三日、

旧十一月十五日(1950年)

愛の人間は深く、

智の人間は広く進むぞ。

経(タテ)と緯(ヨコ)であるぞ。

二つが織りなされて、

結んで弥栄える仕組。

経のみでならん。

緯のみでならん。

この世に生れてはこの世の御用、

この世の行せねばならん道理。

この世に生れて、この世の行せねば、

生れた時より悪くなるぞ。

木より役に立たんものとなるぞ。

木に変へると申してあらう。

神が変へるのでない。

自分でなり下がるのであるぞ。

判りたか。

(一月三日)

黄金の巻 第091帖 (602)


ひふみ神示 第二十六巻 黒鉄の巻 第二十五帖

昭和二十五年一月二十二日、

旧十二月五日(1950年)

心はにも木にも石にもあるぞ。

天にまたたく星にもあるぞ。

ただ薄いか厚いかの相違であるぞ。

の中のに悪は入れんのであるぞ。

外のの中に、外の智の中に悪が入るのぢゃ。

人間の智の中には悪も善も入るぞ。

入るからこそ、これは善ぢゃ、これは悪ぢゃと判るのぢゃ。

人間の自由は其処にあるのぢゃ。

自由なければ発展ないぞ。

弥栄ないぞ。

霊を信ずる者は霊と語り、肉を信ずる者は肉と語り得るのぢゃ。

人間そのものから湧き出づる喜びは無いぞ。

よく心得なされよ。

(一月二十二日),黒鉄の巻 第25帖 (643)

使用された特殊文字 


ひふみ神示 第二十六巻 黒鉄の巻 第三十五帖

昭和二十五年十月十八日、

旧九月八日(1950年)

キが到ればモノが到る。

モノを求める前にキを求めよ。

めあてなしに歩いたとて、くたびれもうけばかり。

人生のめあて、行く先の見当つけずに、その日暮しの、われよしの世となり下がってゐるぞ。

めあてはでないか。

に向かないでウロウロ。

木より、なり下がってゐるでないか。

為すとはイノること。

人の為にイノるは、己の為にイノること。

今の人民、イノり足らん。

(旧九月八日),黒鉄の巻 第35帖 (653)

使用された特殊文字  


一切のものは(ウズ)であるぞ。

同じことくりかへしているように、人民には、世界が見えるであろうなれど、

一段づつ進んでいるのであるぞ。

木でもでも同様ぞ。

前の春と今年の春とは、同じであって違って居らうがな。

行き詰りがありがたいのぢゃ。

進んでいるからこそ、行きあたり行きつまるのぢゃ。

省みる時与えられるのぢゃ。

さとりの時与えられるのぢゃ。

ものは、はなすからこそ掴めるのぢゃ。

固く握って戸しめていてはならんのう。

扉あけておけと申してあろうが。

着物ぬいで裸体となること つらいであろうなれど、ぬがねば新しい着物きられんぞ。

裸になってブツカレよ。

神様も裸になって そなたを抱いて下さるぞよ。

重い石のせたタクアンはうまいのであるぞ。

春の巻 第10帖 (667)


どんなでも木でも その木でなければならん御用あるぞ。

だから生きているのぢゃ。

そのはたらき御用忘れるから苦しむ。

行き詰る。

御用忘れるから亡びるのぢゃ。

個人は個人の、一家は一家の、国は国の御用がある。

御用大切、

御用結構。

日本が変って世界となったのぢゃ。

自分の為ばかりの祈りには、自分だけの神しか出て来ない。

悪の祈りには悪の神。

善の祈りには善の神。

始めの間は中々判らんものぢゃ。

神様のなされるマネから始めて下されよ。

春の巻 第14帖 (671)


ひふみ神示 第二十七巻 春の巻 第三十帖

昭和二十七年二月一日、

旧一月六日(1952年)

宇宙のすべてがつながりであるぞ。

石でも水でもでも木でも動物でもすべてがつながりぢゃ。

手と頭のようなもんぢゃ。

拝み合へよ。

親しみ合へよ。

和せよ。

和すと自分となるのぢゃぞ。

自分 大きく、明るくなるのぢゃ。

豊かにうれしうれしぢゃ。

赤いものの中にゐると赤くなって行く。

理(リ)に向ってゐると、いつの間にか神の気いただくぞ。

神の光がいただけるのぢゃ。

二度三度、話きいたり、おろがんだりくらいで理は判らん。

神は解らん。

体験せねばならん。

一方的では何事も成就せん。

もちつもたれつであると申してあろう。

春の巻 第30帖 (687)


ひふみ神示 第二十七巻 春の巻 第三十三帖

昭和二十七年二月五日、

旧一月十日(1952年)

新玉の 真珠の波も も木も 春立ちそめて

よみかへりけり。

今の科学は科学のことは判るが、それより上のことは判らん。

今の科学はあるものがあると云ふことだけしか判らんのぢゃ。

よい求めにはよい感応、

よい感応によい働き、

よい理解となり、

よい生活 生れる。

間違った求めには間違った神、

間違った生活 生れるぞ。

道理ぢゃナア。

窮屈であってはならん。

しかつめらしく固くなってゐてはならんぞ。

笑ひの道、喜びの道にこそ神のハタラキあるのぢゃ。

宿命は宿されたもの。

一つのワクに入ってゐるのであるぞ。

運命は自分で切りひらくこと出来るぞ。

磨け磨け、ミタマ磨き結構。

信念だけでは行き詰るぞ。

春の巻 第33帖 (690)


自分は自分の意志で生れたのではないのぢゃ。

その時、その環境を無視出来ん。

その法則に従はねばならん。

を拝めばが神となり、

機械拝めば機械が神ぢゃ。

食物拝めば食物が神となる。

心せよ。

神は人民を根本から永遠の意味でよくしようと、

マコトの喜び与へようとしてゐるのぢゃ。

局都的、瞬間的に見て判らんこと多いぞ。

おかげは、すぐにはないものと思へ。

すぐのおかげは下級霊。

まゆにつばせよ、

考へよ。現在の環境を甘受せよと申してあるが、

甘受だけでは足らん。

それに感謝せよ。

積極的に感謝し、

天地の恩に報じねばならん。

誠の真理を知らぬ人間に神は判らん。

春の巻 第34帖 (691)


月光の巻第二十五帖(812)

食物は科学的栄養のみに囚われてはならん。

霊の栄養大切。

自分と自分と和合せよと申してあるが、肉体の自分と魂の自分との和合出来たら、も一段奥の魂と和合せよ。

更に、又奥の自分と和合せよ。

一番奥の自分は神であるぞ。

高い心境に入ったら、神を拝む形式はなくともよいぞ。

為すこと、心に浮ぶこと、それ自体が礼拝となるからぞ。

山も自分、川も自分、野も自分、海も自分ぞ。

木動物 悉く自分ぞ、歓喜ぞ。

その自分出来たら天を自分とせよ。

天を自分にするとはムにすることぞ。

に化すことぞ。

ウとムと組み組みて新しきムとすることぢゃ。

使用されている特殊文字


ひふみ神示 補巻 月光の巻 第四十二帖

昭和三十四年二月十八日、

旧一月十一日(1959年)

未来にもえることが現在に生きることであるぞ。

そなたは現在に生きる努力が足らん。

夢ばかり追ってゐてはうたかたぢゃ。

そなたは先祖に対する考へ方が間違ってゐるぞ。

先祖はそなたではないか。

地下にあるそなたの根が先祖でないか。

根のない木はすぐ枯れる道理ぢゃ。

先祖は家をついだ兄がまつってゐるから、分家した自分は先祖はまつらいでもよいのぢゃと申して御座るなれど、よく考へて下されよ。

根から芽が出て幹となり枝が栄えてゐるのと同様ぞ。

枝には根はいらんと申すのと同じような間違ひであるぞ。

分家しても先祖まつらねばならん。

先祖をおろそかにするでないと、気付けてあるでないか。

月光の巻 第42帖 (829)


何も六ヶ敷いこと申すのではない。

自分の、内の自分を洗濯して明らかに磨けばよいのぢゃ。

内にあるものを浄化すれば、外から近づくものがかわって来る道理。

内の自分を洗濯せずにゐて、きたないものが近づくとか、世の中がくらいとか不平申して御座るなれど、そこにそなたの間違いがあるぞ。

木でもでも中から大きくなって行くのぢゃ。

三千年に一度の時がめぐり来てゐるのであるぞ。

為せば成る時が来てゐるのぢゃ。

為さねば後悔ぞ。

時すぎて種まいても、くたびれもうけ。

そなたは世の中が悪いとか人がよくないとか申してゐるが、すべては大神の肚の中にゐて、一応 大神が許しなされて居ればこそ存在し、いのちしてゐるのであるぞ。

悪くうつるのは心のかがみがくもってゐるからぞ。

悪い世の中、悪い人と申すことは、神を悪く申し、神界が悪いのぢゃと申すのと同じであるぞ。

新しき世界には新しき【てんし(天詞)てんか】をこしらえねばならん。

このこと間違えるでないぞ。

珍らしき御型(方)が出て来てびっくりぢゃ。

びっくりしなければヒックリとはならんぞ。

神は今迄 化けに化けていたが、もう化けては居られん。

人民ももう化けては居られんぞ。

九分九厘までは化けて、がまんしてゐたなれど、化けの世、方便の世、方便の教はすんだのぢゃ。

教では世は正されん。

教のつどいはつぶれて了うのぢゃ。

無理してはならん。

そなたの無理押しは よいことをわるく曲げるぞ。

月光の巻 第50帖 (837)


春が来れば木に芽が出る。

花が咲く。

秋になれば葉が枯れるのぢゃ。

時節よく気付けて取違ひせんよういたしくれよ。

時節程結構なものないが、又こわいものもないのであるぞ。

丁度 呼吸のようなもので一定の順序あるのぞ。

吸の極は呼となり、呼の極は吸となるぞ。

これが神の用(ハタラキ)であるから、神の現われの一面であるから、神も自由にならん。

この神も時節にはかなわんのであるのに、そなたは時々この時節を無視して自我で、或ひは時節を取違ひして押しまくるから失敗したり怪我したりするのぢゃぞ。

素直にしておれば楽に行けるようになってゐるぞ。

時まてばいり豆にも花さくのであるぞ。

水が逆に流れるのであるぞ。

上下でんぐり返るのであるぞ。

上の人が青くなり、下の人が赤くなるのであるぞ。

取りちがひないように理解して下されよ。

月光の巻 第58帖 (845)


扶桑の巻 第13帖 (013)

称言(たたえごと) 太祝詞(ふとのりと)こと 今ぞ高らに。

木でもでも皆、中から大きくなるのざと申してあろう、

つけ焼刃や膏薬はりで大きくなるのでないぞ、

三千年に一度と言ふ、又とない結構な時がめぐりて来てゐるのであるぞ、

為せば成るぞ、

六ヶ敷いこと申してゐるのではない、

自分の中の自分を掃除して自分の外の自分を洗濯して磨けと申しているのぞ、

みがけば神と同列のミタマぞ、

釈迦ぞ、キリストぞと申してあろう。

内にあるものを磨けば外からひびくものも磨かれた、けがれのないものとなるのぢゃ、

中の自分を掃除しないで居るといつ迄たっても、岩戸がひらけてゐても岩戸はひらけん。


四ツ足を食ってはならん、

共喰となるぞ、

木から動物生れると申してあろう、

神民の食物は五穀野菜の類(たぐい)であるぞ。

今の人民の申す善も悪も一度にひらいて、

パッと咲き出るのが、次の世の新しき世の有様であるぞ、

取違いせぬように、悪と申しても魔ではないぞ、

アクであるぞ。

大峠の最中になったら、キリキリまひして、

助けてくれと押しよせるなれど、

その時では間に合わん、

逆立してお詫びに来ても、

どうすることも出来ん、

皆 己の心であるからぞ、

今の内に改心結構、

神の申す言葉が判らぬならば、

天地のあり方、天地の在り方による 動きをよく見極めて下されよ、

納得の行くように致して見せてあるでないか。

碧玉の巻 第08帖(872)


この巻

「竜音の巻」、

つづく巻五は

「極(きわみ)の巻」、

巻六は

「至恩の巻」、

巻七は

「五葉の巻」ぞ。

この五十黙示(いせもくじ)の七巻は神、

人共に与へたもの、

一巻からつづいたものぞ。

同じ意をもつものが天国にもあるのであるぞ。

合せて三十巻、

これで岩戸までの神示の終りぞ、

前に出した「黄金の巻」からの七巻(日月地聖典下編)は 人民に与へたものであるぞ。 

言(こと)やめて の片葉も 陽にのび行かな。 

八十(やそ)隈手 行きにし神は 今かへります。 

素盞鳴の 命しらせる 海原ぞやよ。 

天ヶ下 おつるくまなく 照らす大神。

高低(たかひき)の 伊百理(いほり)かきわけ  きこし召すらむ。 

罪と言ふ 罪はあらじな 神の子なれば。

ひふみ百千万(ももちよろず)と  咲(ゑ)ます 元つ太神。

八十伴男(やそとものを) 百(もも)足り足りて  仕へまつらむ。 

行く水に 清めて仕ふ 極みの宮殿(みあらか)。

言霊の 栄ゆる御歌に はらひてましを。

みそぎして 祝ふ生命(いのち)ぞ 弥栄ましませ。

安国の 瑞穂(みづほ)の国と 御(しら)し給ひぬ。

八重雲の 十重雲千別き 千別き天降(あも)りぬ。 

千木高知り 美頭(みづ)の御殿(みあらか)  咲(え)み仕へなむ。 

許々太久(ここたく)の 罪はあらじな 大岩戸あく。 

四方の国 咲(え)み集うらし 真中の国に。

よきあしき 皆はらひませ 科戸(しなど)の風に。

竜音の巻 第01帖(909)


あの子を生んで、

この子を産んで去ったのであるぞ。

その中に一人だけよくない子が出来た、

その子には海の藻や山の菜、

野菜を食べさせてくれよ、

段々よい子になるぞ。

五葉の巻 第01帖 (115)


五葉の巻 第09帖 (123)

平等とか公平とか申すのは悪魔のワナであるぞ、

天地をよくみよ、

人民の申す如き平等も公平もないであろうがな、

一寸のびるもあれば一尺のびるもあるぞ、

一寸のは一寸が、

一尺のは一尺が頂天であるぞ。

これが公平であり平等と申すもの。

人民は選挙と申すマヤクに酔ってゐるぞ、

選挙すればする程、本質から遠ざかるぞ。

他に方法がないと定めてかかるから、

悪魔に魅入られてゐるから判らんことになるぞ。

世は立体であるのに平面選挙していては相成らんぞ。

平面の数で定めてはならん、

立体の数に入れよ。


何も彼も前つ前つに知らしてあるのに、

人民は先が見えんから、

言葉の【ふくみ】がわからんから取違ひばかり、

国土(九二つち)の上は国土の神が治(し)らすのぢゃ、

世界の山も川も海も木も動物虫けらも皆この方が道具に、

数でつくったのぢゃ。

愈々が来たぞ、

いよいよとは一四一四ぞ、

五と五ぞ。

十であるぞ、

十一であるぞ、

クニトコタチがクニヒロタチとなるぞ、

クニは黄であるぞ、

真中であるぞ、

天は青であるぞ、

黄と青と和合してみどり、

赤と和して橙(だいだい)となり、

青と赤と和して紫となる、

天上天下地下となり六色となり六変となり六合(クニ)となるのぢゃ、

更に七となり八となり白黒を加へて十となる仕組、

色霊(イロタマ)結構致しくれよ。

紫金の巻 第11帖 (141)



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