良い宇宙人と悪い宇宙人,宇宙の真相, The Earth is Controlled by Evil Alien


NO4327 


五葉の巻 第1帖〜15帖  


ロックさんのメール

ロックです。

何度目の“五葉の巻第1帖”の考察になるでしょうか。


五葉の巻 第01帖 (115)

あの子を生んで、

この子を産んで去ったのであるぞ。

その中に一人だけよくない子が出来た、

その子には海の藻草や山の菜、野菜を食べさせてくれよ、

段々よい子になるぞ。


■平易意訳■

あの子を生んで、この子を産んで去ったのです。

その中に一人だけ良くない子が出来ました。

その子には海の藻草や山の菜、野菜を食べさせなさい。段々良い子になるのです。

あの子を生んで、この子を産んで去ったとあります。

これは


自分の中の同じ名を持つ神とも関係があるのかなと考えてみました。

自分の中の善の部分と悪の部分について触れていて、その中に一人だけ良くない子が出来た。

その子には、海の藻草や山の菜、野菜を食べさせることによって、食べられる事が嬉しくない動物の悲しみや絶望よりも食べられる事が嬉しい植物達の歓喜を与えることで良くない子も段々良い子になるのではと考察してみました。

こうして考えてみましたが、そうなると

「去ったのは誰?」

ってところなのですが、一応、人間の魂をいじれる存在としておきます。

五葉の巻全部をとりあえず読んでみましたが、人類を生み出した存在のことを

「去った存在としているのかな?」

と思いました。

そうだとするとサタン(月人)かと思います。

後々出て来る内容に、流行病は邪霊集団の仕業とありますが、巷での流行などのブームなどのことも言っているのかも知れませんね。

人為的に作られた人民扇動のためのブームということなのかもしれません。

人民は選挙と言うマヤクに酔っているともありますので、単にインフルエンザなどのことを云っているのではないなと思いました。

そうしたことも植物などは本来競って生長しているわけではありませんので、その本質をいただくことで、変ってくるのかなとも思いましたがどうでしょう。


■平易意訳■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

あの子を生んで、この子を産んで去りました。

その中に一人だけ良くない子が出来ました。

その子には海の藻草や山の菜、野菜を食べさせてください。

そうすれば、段々と良い子になります。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

あの子を産んで、この子を産んで去ったのです。

その中に一人だけ良くない子が出来ました。

その子には海の藻草や山の菜、野菜を食べさせて下さい。 段々良い子になります。


■解説と補足説明■

ロックさんの解釈 :(二巡目)

基本的にはそのまま読める文なので、もしかすると、どこかから出てくる誰かの身の上に伝えている内容かもと取りました。

サタンが人類に共食いを要請している節はありますので、サタンに海の藻草や山の菜、野菜を食べさせると良い子になるかも知れません。

これはあめのひつくの神に聞いてみないと判りません。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

あの子やこの子を産んで去ったのはイザナミで、一人だけ良くない子はスサノオ?

スサノオは高天の原では悪い子でしたが、人間界に来て環境が変わってからは良い子になりました。

スサノオは海の統治を任されているので、海の象徴とし、海の藻草や山の菜、野菜は太陽の恵みにより育まれるものと言う事で、五葉の巻 第01帖は、大洪水で環境が変わった後に太陽(ミロク)により良い世界が作られていく事を言っているのかもしれませんね。


Dシナリオ・アラカルト02からです。

イザナギ、イザナミの神は、多くの国土や神々を御産みになったが、その内イザナミの神が、「火のカグツチの神」を御産みになったとき、病気になられ御崩れになり、黄泉(ヨミ)の国に行かれた。

イザナギの神は黄泉(ヨミ)の国に行き御尋ねになって、穢(ケガレ)を受けられたので、日向の橘(タチバナ)の小門(オド)のアオキが原で、御身を洗い滌(ソソ)ぎ、禊(ミソ)ぎ清めらるる時に十四柱の神々を御産みになった。

その神々様のうち終りに、神様は


天照大御神〜左の眼を御洗いになったとき御生れになった 〜〜

「あなたは高天の原を御統治なさい」


月読の神〜右の眼を御洗いになったとき御生れになった 〜〜

「あなたは月の世界を統治なさい」


須佐(スサ)之男(オ)の神〜鼻を御洗いになったとき御生れになった 〜〜

「あなたは海を統治なさい」


ロックさんのメール

ロックです。

一つだけでも解読進みます(^^)。


五葉の巻 第02帖 (116)

霊界に方位はない、人民は東西南北と申してゐるなれど、今に東の東が現れてくるぞ。

霊界では光のさす方が北ぢゃ、

その他の東西南北は皆南ぢゃ、

北が元ぢゃ、

北(基田)よくなるぞと申してあろうがな。

鳴門(ナルト)の渦巻を渡る時はカヂをはなして、手放しで流れに任せると渡れるのであるぞ、

カヂをとると同じ処をグルグルぢゃ。

カヂをはなせる人民少ないのう。

何んでも彼んでもカヂをとって自分の思ふ通りに舟を進めようとするから大変が起るのぢゃ、

渦にまかせる時はまかさなければならんぞ、

ナルトの仕組の一面であるぞ、大切ごとぞ。


■平易意訳■

霊界に方位はありません。

人民は東西南北と云っていますが、今に東の東が現れて来るのです。

霊界では光のさす方が北になるのです。

その他の東西南北は皆南です。

北が元なのです。

北(基田)がよくなるぞと云っているでしょう。

鳴門(ナルト)の渦巻を渡る時はカヂをはなして、手放しで流れに任せると渡れるのです。

カヂをとると同じ処をグルグルです。

カヂをはなせる人民少ないですねえ。

何んでも彼んでもカヂをとって自分の思う通りに舟を進めようとするから大変が起るのです。

渦にまかせる時はまかさなければなりませんよ、これが「ナルトの仕組」の一面なのです。

これは大切なことなのです。

前半は北に関する内容ですね。

北は歓喜の方向でもあったように思います。

北(基田)が良くなるとの説明です。

人民を稲に例えるなら、人類を育てる土壌が良くなるとの意味合いかも。

ナルトの仕組の発動の際には、ミロクとサタンのお互いの渦がお互いを干渉し合うのかも知れませんね。

霊的な糸で結ばれているミロクとサタンがせめぎ合えばボスのサタンの霊的な糸の先にいるであろう人類には影響が出ているのではと思います。

その力は宇宙全体を支配する事が出来るようですから、人類は自然の流れにまかせて行くのが良さそうです。

外側からの悪も干渉してくるでしょうし、内側からの悪も干渉してくるでしょう。

もちろん外側からの善も内側からの善も 干渉してくるでしょう。

そういった時に、無理に渡りあおうとしても、人類ではさばききれない事が起きてくるのではと思います。

五葉の巻では、悪の中に身を置いていかなくてはいけない時が来るともあります。

悪が九分九厘まで押し寄せるとなればそうなることも考えられると思います。

今の世の中、何を仕事にしても宇宙の真実から見て、綺麗な仕事は存在しないと思います。

我々はそうした現実を前に何に気づくべきなのでしょう。

お互いの力が干渉し合うときに出来る見えない何かが双方に何をもたらすのか気になるところです。

「ナルトの仕組」は台風のように激しいのかも、、、、


■平易意訳■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

霊界に方位は ありません。

人民は東西南北と云っています。

ですが、今に東の東が現れて来ます。

霊界では光の射す方が北です。

その他の東西南北は皆南です。

北が元です。

北(基田)が良くなります。

鳴門(ナルト)の渦巻を渡る時は梶を離して、手放しで流れに任せると渡れます。

人民が梶をとると同じ処をグルグルと廻って、目的に到達できません。

梶を離せる人民は少ないですね。

何んでも彼んでも梶をとって、自分の思う通りに舟を進めようとするから、大変が起きます。

渦に任せる時は任せる必要があります。

これが、「ナルトの仕組」の一面です。

このことは大切な情報です。

ロックさんの解釈 :(二巡目)

霊界に方位はない、

人民は東西南北といますが、今に東の東が現れて来ます。

霊界では光のさす方が北なのです、

その他の東西南北は皆南です、

北が元なのです、

北(基田)よくなるぞと言っているでしょう。

鳴門(ナルト)の渦巻を渡る時はカヂをはなして、手放しで流れに任せると渡れるのであるぞ、

カヂをとると同じ処をグルグルぢゃ。

カヂを放せる人民は少ないですね。

何んでも彼んでもカヂをとって自分の思う通りに舟を進めようとするから大変が起るのです、

渦にまかせる時はまかさなければなりませんよ、

ナルトの仕組の一面であるぞ、

大切ごとぞ。


■解説と補足説明■

ロックさんの解釈 :(二巡目)

霊界的な部分での、東の東とはなんでしょう?

立体的な見方でしょうか?

人民の物事を繋げる働きをする霊的な存在の仕事を無視して、自分の我だけで物事を動かそうとしても難しいということを示しているのかも知れません。


julaさんのメール

jula です。

こんな感じに読んでみました。


五葉の巻 第02帖 (116) 霊界に方位はない、

現世には東西南北と方位が定められています。

しかしこれは平面に対して定められたものです。

霊界にはこのような平面に対しての方位は定められていません。

(思いを巡らせば、直ぐにどこにでも行くことが出来るのですから、平面的な方位は必要ありません。)


人民は東西南北と申してゐるなれど、今に東の東が現れてくるぞ。

現世の人民は東西南北と言います。

そして東から陽が昇ると言います。

しかし本当の太陽があるべきところがはっきりしてきますよ。


霊界では光のさす方が北ぢゃ、

霊界においては光のさす方が北です。

光はそもそも影を成さぬよう、真上から頂くものです。

平面的な方位から上下のタテ軸への変化。

カミおはすところ天上こそが光の元、基田、北であるのです。


北が元ぢゃ、北(基田)よくなるぞと申してあろうがな。

北が元なのですよ。

北(基田、キのカミが居て全天を照らす様子?)がちゃんと認識できるようになりますよ。

(キのカミの発する弥栄、歓喜の光を真上から頂く事こそが本来です。そしてこの光が来るところをキタというのです)


鳴門(ナルト)の渦巻を渡る時はカヂをはなして、 手放しで流れに任せると渡れるのであるぞ、

一方、建て直しの際に避ける事ができない鳴門(ナルト)の渦巻を渡る時には、渦に飲み込まれないように ついついカヂで立て直そう、飲み込まれないようにしようと頑張ってしまいます。

しかし、これは現世の常識に捕らわれたまま、平面世界に踏みとどまろうとする事に他ならないのです。

そこで現世の慣習、慣わし、常識に捕らわれた状態を一端解いて、一切を受け入れるつもりで手放しで 鳴門(ナルト)の渦巻の流れに身を任せてみなさい。

すると鳴門(ナルト)の渦巻を渡れるのですよ。

(ナルトの仕組み、渦海の仕組みには下手に抗わず身を任せなさいということなのでしょうね)


カヂをとると同じ処をグルグルぢゃ。

カヂでなんとか踏みとどまろうと頑張ってしまうから平面世界で同じ所をグルグル回るばかりなのですよ。

片輪車でトンテントンテンと同じです。

これでは渦海の中心に巻き込まれる事がありません。

渦海の中心に巻き込まれる事によって平面世界から立体世界への繋がりを認識できるようになるのですよ。


カヂをはなせる人民少ないのう。

素直にカヂを離して立体世界を認識して、入れる人民は少ないですね。

(おそらく肉体(物質)と霊が別れ別れの世界ではなく、半々にあるような世界を指しているのでしょう)


何んでも彼んでもカヂをとって自分の思ふ通りに舟を進めようとするから 大変が起るのぢゃ、

なんとかする、と、カヂでコントロールしようとするから、自分の見えている世界、見えている状況しか認識できません。

そんな自分の見えている世界、見えている状況のみを何とかしようとしていますから、 渦海に隠された本来の立体世界が見えません。

認識できません。

結果無理矢理なんとかしようとその場しのぎの対処ばかりで(辻褄の合わない)おかしなことばかりと なってしまうのです。


渦にまかせる時はまかさなければならんぞ、

渦に任せる時には、自分の観念を脇に置いて任せてしまわなければどうにも上手く行かない事があるのですよ。


ナルトの仕組の一面であるぞ、大切ごとぞ。

自分でなんとかする、などと頑張って見ても逆に無駄になってしまう事もあります。

ナルトの仕組みはそんな一面を持っていますから、よくよく注意しておいてください。


トッチさんのメール

トッチです。

私にはこんな風に見えちゃいました。

若干ひねくれているかもしれませんけど。

皆様は、三者三様の解釈をお楽しみ下さればと思います。


霊界には、この世で認識されているような東西南北の方位は有りません。

無いといっても無い訳ではなくて、神界における時間の概念と同じで、有り方が違うのです。

当然、右手側の反対には左手側が有りますし、前の対極には後ろがあるのですから、それを方位といえば方位となります。

まあ、それはこの後の話の為の掴みとして置いときまして、 身魂の曇りが取れて、岩戸が開けると、東の東が現れてきますよ。

同様に西の西、南の南、北の北が見えてきます。

太神の真理、仕組みの本質(元・基)が理解できます。

元、元の元の世界との繋がりの中で存在する事を自覚する事になります。

これが鳴門(成十)での状態です。

霊界において、流れてきた生命の源、エネルギーを頂く身魂の有様を、あえて方向で表すとしますと、北としておきましょう。

(“基田”元からの田という事で語呂が良いですし)

北の北です。

身魂が成す行い、姿勢など神との繋がりを北となります。

これが元となります。

そうした場合、他の東西南北は皆南となります。

一方があれば、同様に他方がある。

囚われの無い、無垢で自由な身魂にとりましては、そういう事になるのです。

霊界を用いて話をしていますが、当然、岩戸開け後は、物質界と霊界が半々の状態となりますので、この世でも同じ事が言えます。

岩戸が開けた際には、霊界から神界、その先の神界から元の世界へ、更には元の元の世界との繋がり、流れが鳴門の渦のように途切れる事無くスムーズに廻り、神の光(生命の源、エネルギー)が滞りなく頂けるようになります。

北が良くなるのです。

では、鳴門(成十)と成る為には何が肝心なのでしょう。

神(ミロク)の云う事に逆らわず身を任せ、無為自然に生きる事です。

作為を起こし、自分の我を喜ばせる事に執着する者、捉え違いを認めない者、また捉え違いに気が付かない者は鳴門の渦を乗り切る事は出来ません。

鳴門の“渦”は、ミロクの厳しさ、神懸りまでの苦労、難しさです。

メクラツンボは、得てして自分でカジを取って流れに逆らうものです。

渦をありのままに受け止め、流れに身を任せなければならない時もあるのです。。。

これは鳴門(成十)についての一面でしかありませんが、とても大切な心構えです。


五葉の巻 第03帖 (117)

友つくれと申してあろうが、

友と申しても人間ばかりでないぞ、

山も友ぞ、川も友ぞ、動植物も友ぞ。

一人の友を得たら一つの世界を得たことぞ、

何も彼も皆友ぢゃ、

友は己ぢゃ、

皆己となれば己なくなるぞ、

己なくなれば永遠に生きられる、

無限の己となるぞ。

御神前で拝むもよいなれど、

空を拝めよ、

山も川も拝めよ、

野菜拝めば野菜が、

魚を拝めば魚が神となり、

又、己となるのぢゃ。

足らぬことないクワシホコチタルのウラヤスの自分となるのであるぞ。


■平易意訳■

友を作りなさいと云っているでしょう。

友と云っても人間ばかりでないのです。

山も友であり、川も友です。

動植物も友なのです。

一人の友を得たら一つの世界を得たことになるのです。

何も彼も皆友なのです。

友は己です。

皆己となれば己がなくなるのです。

己なくなれば永遠に生きられるのです。

無限の己となるのです。

御神前で拝むもよいですが、空を拝みなさい。

山も川も拝みなさい。

野菜拝めば野菜が、魚を拝めば魚が神となり、又、己となるのです。

足らぬことのない「クワシホコチタルのウラヤス」の自分となるのです。

友に接するような心境で森羅万象に接すると全てが友となるのかも知れませんね。

孤独と言うものは本来自分しか見えなくなっているが故に起こる事なのかも知れません。

全てを友に出来た時に、足らぬことのない「クワシホコチタルのウラヤス」の自分となるようですが、 残念なことにクワシホコチタルのウラヤスの意味がわかりません。

ためしに字を当ててみます。

鍬始、矛、智、足るの浦安?=岩戸閉め以前の古き良き日本の自分となるのでしょうか?

矛はこのような意味のようです。


ほこ 1 【矛/▼鉾/▼戈/▼鋒/▼戟】

(1)両刃の剣に長い柄をつけた武器。刺突用。

古代に用いられたが平安時代からは薙刀(なぎなた)などにとってかわられ、儀仗・祭祀(さいし)に用いられるのみになった。

(2)武器。

(3)弓の幹(から)のこと。

ゆがら。

――を収・める 戦闘をやめる。

争いをやめる。

――を倒(さかしま)にす 矛の先を味方の方へ向ける。

裏切る。

「弐(ふたごころ)ある者出来て、―する事あるべし/太平記 38」 ――を交・える 戦う。

戦(いくさ)をする。

一戦交える。

浦安はこんな意味のようです。


うらやすのくに 【浦安の国】

〔「心安(うらやす)の国」の意〕心安らぐ国。

平安な国。

転じて、大和(やまと)の国。

また、日本の美称。

「日本は―/日本書紀(神武訓)」


鍬始めを鍬始(クワシ)としているとするなら

くわはじめ くは― 【▼鍬始め】

農家で、正月吉日に畑に餅(もち)や米などを供えて農事始めとし、豊作を祝うこと。

[季]新年。

《天は晴れ地は湿ふや―/正岡子規》


ち 1 【知/▼智】

(1)物の道理を知り、正しい判断を下す能力。

儒教における五常の一。

(2)〔哲〕

(ア)「知識(5)」に同じ。

(イ)知識を獲得するはたらき。

(3)〔仏〕〔梵 jna〕慧(え)の一。

真理に従って判断し、煩悩(ぼんのう)を打ち消す精神のはたらき。

《智》

要は神に祀れば、(森羅万象を友にすれば)足るを知る智を得た平和な自分でいられる?ということかも。


■平易意訳■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

友を作りなさい。

友と云っても人間ばかりでないのです。

山も友です。

川も友です。

動植物も友です。

一人の友を得たら、一つの世界を得たことと同じことです。

何も彼も皆友です。

友は己です。

皆、己となれば己が無くなります。

己が無くなれば、永遠に生きられる無限の己となります。

御神前で拝ことも良いのですが、 空を拝みなさい。

山も川も拝みなさい。

野菜拝めば野菜が、魚を拝めば魚が、神となり己となります。

足らないことない

「クワシホコチタルのウラヤスの自分」

となります。

ロックさんの解釈 :(二巡目)

友つくれと言っているでしょう、 友と申しても人間ばかりでありませんよ、

山も友です、

川も友です、

動植物も友です。

一人の友を得たら一つの世界を得たことぞ、

何も彼も皆友ぢゃ、

友は己ぢゃ、

皆己となれば己なくなるぞ、

己なくなれば永遠に生きられる、無限の己となるぞ。

御神前で拝むもよいですが、

空を拝めよ、山も川も拝めよ、

野菜拝めば野菜が、魚を拝めば魚が神となり、又、己となるのです。

足らぬことないクワシホコチタルのウラヤスの自分となるのであるのです。


■解説と補足説明■

ロックさんの解釈 :(二巡目)

森羅万象を友と思えれば、無限の己となれるというようなことを言っているようです。

これも思考が関係しますので、そう考えることでの現界から霊界に影響を与える動きなのかも知れません。


五葉の巻 第04帖 (118)

お尻を出したらお尻をキレイにふいてやれよ、

怒ってはならん、

お尻を出されるには、出されるだけの何かの原因が己の中にあるのであるぞ。

利子は後からでよいと申すが先に払ふこともあるぞ、

先にお尻をふいてやらねばならんこともあるぞ。

世が迫って岩戸があいたのであるから、先にお尻をふく事も出てくるぞ、

思わぬお尻もち込まれることもあるなれど、怒ってはならん、

気持よくふいてやれよ、

やがては神がそなたのお尻をふいて下さるぞよ。


■平易意訳■

お尻を出したらお尻をキレイにふいてやりなさい、怒ってはなりません。

お尻を出されるには、出されるだけの何かの原因が己の中にあるのです。

利子は後からでよいと云いますが先に払うこともあるのです。

先にお尻をふいてやらねばならないこともあるのです。

世が迫って岩戸が開いたのですから、先にお尻をふく事も出てくるのです。

思わぬお尻がもち込まれることもありますが、そのような時に怒ってはなりません。

気持よくふいてやりなさい。

やがては神がそなたのお尻をふいて下さるのです。

人民を育てるための何かはこの現実界においては、表面的には厄介ごとのように思えることの中に潜んでいるのかもしれませんね。

岩戸開きを乗り切る上での訓練の意味合いもあるでしょう。

ある面では、悪が九分九厘まで乗り込んでくる時には、そうとうの悪に対しての対処も知っておかなければ一厘まで持たないことでしょう。

そうした面も含めて、善を知り、悪を知り、どのような形で世の中にそれらが影響しているのか理解するためには、知識だけではなく経験や体験が一番だと思います。

それはさておいても、厄介事に思えることが起きても、気持ちよく対応することは大事なようです。

天然で出来るといいですね。


■平易意訳■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

お尻を出したら、お尻を綺麗に拭いて上げなさい。

怒ってはなりません。

お尻を出されるには出されるだけの何かの原因が己の中にあります。

利子は後からで良い云う方がいますが、先に払うこともあります。

先にお尻を拭いてやらねばならないこともあります。

世が迫って、岩戸が開いたのです。

ですから、先にお尻を拭く事も出てきます。

思わぬお尻を持ち込まれることもあります。

ですが、怒ってはなりません。

気持良く拭いてあげなさい。

やがては神がそなたのお尻を拭いてくれます。

ロックさんの解釈 :(二巡目)

お尻を出したらお尻をキレイに拭いて下さい、

怒ってはなりません、

お尻を出されるには、出されるだけの何かの原因が己の中にあるのです。

利子は後からで良いと申すが先に払うこともあるぞ、

先にお尻をふいてやらねばならんこともあるのです。

世が迫って岩戸が開いたのであるから、先にお尻を拭く事も出てくるぞ、

思わぬお尻もち込まれることもあるなれど、怒ってはならん、気持よくふいてやれよ、

やがては神がそなたのお尻をふいて下さるのです。


■解説と補足説明■

ロックさんの解釈 :(二巡目)

岩戸が開いた際のことを言っているようです。

お尻をふくというのは、出された方の後始末をしてあげるという意味合いに聞こえます。

何やらその人に課された訓練の印象もします。

それらをきちんとこなしていくなかで、やがて神が自分のお尻を拭いてくれるようです。


五葉の巻 第05帖 (119)

もの与へること中々ぢゃ、

心してよきに与へねばならんぞ。

与へることは頂くことと知らしてあろうが、

与へさせて頂く感謝の心がなくてはならん、

強く押すと強く、

弱く押すと弱くハネ返ってくるぞ。

自分のものと言ふもの何一つもないぞ、

この事判れば新しき一つの道がわかるぞ。


■平易意訳■

物を与えることは中々です。

心して良いように与えねばなりません。

与えることは頂くことと知らしてあるでしょう。

与えさせて頂く感謝の心がなくてはなりません。

強く押すと強く、弱く押すと弱くハネ返ってくるのです。

自分の物と言うものは何一つもないのです。

この事が判れば新しき一つの道がわかるのです。

第4帖のお尻を拭いてあげる事にもつながりそうです。

その時の心構えでもあるようです。

この世で自分にその時与えられる物と言うのは、その時の状況において必要であるから借り出されているようなものなのかも知れませんね。

貨幣経済が終焉を迎えれば、必要な物はその時借りる形で、用が済めば返すようなものなのかもしれません。

いつか成長を果たして、上の階梯へ進む時も肉体もお返しすると言うような感じになるのかもしれませんね。


■平易意訳■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

もの与へること中々難しいです。

心して良いように与えてください。

与えることは頂くことです。

与えさせて頂く感謝の心が必要です。

強く押すと強く、弱く押すと弱く、ハネ返って来ます。

自分のものと言うものは何一つも有りません。

この事が判れば、新しき一つの道が理解できます。

ロックさんの解釈 :(二巡目)

物を与えることは中々です、

心して良きに与えねばならんぞ。

与えることは頂くことと知らしてあろうが、与えさせて頂く感謝の心が無くてはなりません、

強く押すと強く、弱く押すと弱くハネ返ってくるのです。

自分のものと言うもの何一つもありません、

この事判れば新しき一つの道がわかるぞ。


■解説と補足説明■

ロックさんの解釈 :(二巡目)

世の中に蔓延しているギブアンドテイクを越えた、ギブアンドギブ(常に与える)の考え方でしょうか。

自分のものと言う物何一つもありませんということが判れば、新しき一つの道がわかるとありますので、新世界での貨幣経済を消失させた中での生き方の一つが判るということかと思います。


五葉の巻 第06帖 (120)

仕事はいくらでもあるではないか、

七つの仕事があるぞ、

七人のかへミタマあると知らせてあろうがな、

高く昇らねば遠くは見えん、

目の先ばかり見ているから行きつまるのぢゃ、

道には落し穴もあるぞ、

心得て、仕事に仕へまつれよ。

岩戸はひらかれてゐるのに何してゐるのぞ、

光がさしてゐるのに何故背を向けてゐるのぞ、

十の仕事して八しか報酬ないことあるぞ、

この場合二は神にあづけてあると思へよ、

神の帳面あやまりなし、利子がついて返って来るぞ、

まことのおかげはおそいと申してあろうがな。


■平易意訳■

仕事はいくらでもあるではないですか。

七つの仕事があるのです。

七人の替えミタマがあると知らせてあるでしょう。

高く昇らねば遠くは見えません。

目の先ばかり見ているから行きつまるのです。

道には落し穴もあるのです。

心得て、仕事に精進して下さい。

岩戸は開かれているのに何をしているのですか。

光がさしているのに何故背を向けているのですか。

十の仕事して八しか報酬ないこともあるのです。

この場合二は神に預けてあると思いなさい。

神の帳面は誤りなしなのです。

利子がついて返って来るのです。

真・誠のおかげは遅いと云っているでしょう。

七つの仕事の例えは、いくらでも仕事はあるという意味合いかも知れません。

七人の替え身魂があるようです。

これもその働きが色んな面で出て来るとしたら、七人でもあり、また七人ではないという感じになるかも。

目の先のことではなく遠くに目を向けるようにしなくてはいけないようです。

その道には、落とし穴もあるようで、この道を目指す方は様々な落とし穴にはまって鍛えられている部分もあるのかもしれませんね。

そうしたことも心得て仕事に精進するというような意味ならわかるかも。

○ 岩戸は開かれているのに何をしているのですか。

光がさしているのに何故背を向けているのですか。

十の仕事して八しか報酬ないこともあるのです。

この場合二は神に預けてあると思いなさい。

このあたりは、それぞれに何か該当するような事象があるのかも知れません。

誠のおかげというものは、人間世界では種を蒔いても相当時間のかかるものなのかもしれませんね。

それは何代も転生を繰り返して蒔いてきたような内容かもしれません。

何を繰り返してきたのかは、自らの癖や動向をよく観察すると判ってくるのかも。

それをしたら、仕事に何が必要かは理解出来る部分もあるでしょうし、その上で癖を直すために出来ることをするとか、 選択肢も出てくるような気もします。


■平易意訳■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

仕事はいくらでもあります。

七つの仕事があります。

七人の替え身魂があります。

高く昇らねば、遠くは見えません。

目の先ばかり見ているから行き詰まります。

道には落し穴もあります。

その道理を心得て、仕事に仕えなさい。

岩戸は開かれているのに何をしているのですか。

光が射しているのに何故に背を向けていますか。

十の仕事をして、八しか報酬が無いこともあります。

この場合、二次ぎは神に預けてあると思いなさい。

神の帳面は誤りがありません。

利子がついて返って来ます。

誠・真のお陰(御利益)は遅いのです。

ロックさんの解釈 :(一巡目)

仕事はいくらでもあるではないですか、

七つの仕事がありますよ、

七人の替えミタマあると知らせてあろうがな、

高く昇らねば遠くは見えません、 目の先ばかり見ているから行きつまるのぢゃ、

道には落し穴もあるのです、

心得て、仕事に仕へまつって下さい。

岩戸は開かれているのに何しているのですか、

光が射しているのに何故背を向けているのですか、

十の仕事して八しか報酬ないこともありますよ、

この場合二は神に預けてあると思ってください、

神の帳面誤りなし、

利子がついて返って来るぞ、

真のおかげはおそいと言ってあるでしょう。


■解説と補足説明■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

仕事はいくらでもあります。

七つの仕事があります。

七人の替え身魂があります。

高く昇らねば、遠くは見えません。

目の先ばかり見ているから行き詰まります。

道には落し穴もあります。

その道理を心得て、仕事に仕えなさい。

岩戸は開かれているのに何をしているのですか。

光が射しているのに何故に背を向けていますか。

十の仕事をして、八しか報酬が無いこともあります。

この場合、二次ぎは神に預けてあると思いなさい。

神の帳面は誤りがありません。

利子がついて返って来ます。

誠・真のお陰(御利益)は遅いのです。

ロックさんの解釈 :(一巡目)

七つの仕事に七人の替えミタマ、七つの仕事ですから、例えば解読の作業、サイト管理、地震研究、というような分野別の仕事にそれぞれ七人の作業する人がいれば、それに替えミタマを待機させていると言うことでしょうか。

岩戸はいつなのかはわかりませんが、何かをきっかけに開いているようです。

もしも、タイムリーに今、開いているのであれば、現時点の仕事に背を向けずにしっかり頑張ってくださいと叱咤激励している感じがします。

地道なことほど、おかげは遅いのは世の常ですね。


五葉の巻 第07帖 (121)

昨日は昨日、今日は今日の風、

昨日に囚われるなよ、

人民の道は定まってゐるなれど、

目の前だけしか見えんから踏み迷ふのであるぞ。

薬飲んで毒死せんように致しくれよ、

薬は毒、毒は薬ぢゃ、

大峠にも登りと下りとあるぞ、

馬鹿正直ならん、

頭の体操、ヘソの体操大切ぞ。


■平易意訳■

昨日は昨日、今日は今日の風、昨日に囚われるないようにしなさい。

人民の道は定まっていますが、目の前だけしか見えないから踏み迷うのです。

薬飲んで毒死しないようにしなさい。

薬は毒、毒は薬なのです。

大峠にも登りと下りとあります。

馬鹿正直はなりません。

頭の体操、ヘソの体操が大切なのです。

頭の体操、へその体操が必要なようです。

○薬飲んで毒死しないようにしなさい。

薬は毒、毒は薬なのです。

○大峠にも登りと下りとあります。

この二つは、二枚舌のダブルスタンダードでよくあることかもしれません。

薬も、体に投与する薬もあれば、反省を促す内容も自らを反省する薬になります。

民主主義の世の中で、これは素晴らしい世の中を立て直す代物だとみんなが大挙して決めたようなものは、 実際は、己の利権獲得のためのものであって、それは薬ではなく毒でしかないものもあるかと思います。

みんなが賛成する中で、反対をいうこの内容に実は毒ではなく薬になるようなものがあることもあるかと思います。

表向き上手い話、きれいな話は素直に疑ってかかるというのは、この世の中では必要なことなのかもしれません。

へその体操ってなんでしょう(==;;;;

何処に繋がるのか考える体操でしょうか。

中心に何があるか考える体操かも。

生命体として一番何が必要なのかを考えることでしょうか。


へそ 0 【▼臍】

(1)腹部の中央にある、臍の緒のとれたあと。

大人は普通、穴のようにへこんでいる。

ほぞ。

臍窩(さいか)。

(2)物の中央にある、突起または陥没した部分。

「あんパンの―」

(3)石臼(いしうす)・重ね家具などの重なりの部分にある小さな突起。

(4)物の中央にあたる部分。

また、最も重要な部分。

中心。

ポイント。

「日本の―」「文章に―がない」 ――が宿替(やどが)えする 「臍(へそ)で茶を沸(わ)かす」に同じ。

――で茶を沸(わ)かす

おかしくてたまらない、ばかばかしいほど滑稽である、笑止千万である、などの意にいう。

臍が宿替えする。

臍が茶を沸かす。

――を曲・げる

機嫌を悪くして、かたくなな態度になる。

つむじを曲げる。


■平易意訳■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

昨日は昨日、今日は今日の風、昨日に囚われないで下さい。

人民の道は定まっています。

目の前だけしか見えないから踏み迷うのです。

薬を飲んで、毒死しないように致して下さい。

薬は毒、毒は薬です。

大峠にも登りと下りとあります。

馬鹿正直ではいけません。

頭の体操が大切です。

ヘソの体操が大切です。

ロックさんの解釈 :(二巡目)

昨日は昨日、今日は今日の風、昨日に囚われるなよ
(時節はリアルタイムに変っていくので昨日に囚われることの無いように)、

人民の道(行く末)は定まっていますが、目の前だけしか見えないから(苦しさに耐えかねて)踏み迷うのです。

薬飲んで毒死せんように致しくれよ、

薬は毒、毒は薬ぢゃ、

大峠にも登りと下りとあるぞ、

馬鹿正直なりません、

頭の体操、ヘソの体操大切なのです。


■解説と補足説明■

ロックさんの解釈 :(二巡目)

見たままのような気がするのですが、いい話が来て苦しさを解消できるかと思いきや毒のような悪い話(罠)であったというような話にもなるかとも思いました。

大峠にも登りと下りがありますので、時節をよく考えてバカ正直はいけません。

頭を鍛えることと、へそ=腹で悟る体操は大切なのです。

太陽に支援している方がたに言っているような話にも取ってしまいました。


五葉の巻 第08帖 (122)

出し切って了ふと味がなくなるぞ、

自分の力がかくせぬようでは大仕事は出来んぞ。

取り越し苦労、過ぎ越し苦労はやめて下され、

地球と言ふ大船に乗って一連託生ぢゃ、

現在の仕事が御神業と心得よ、

不満をもってはならん、

そなたが招いた仕事でないか。

この道理判らねば迷信の迷路に入るぞ。


■平易意訳■

出し切ってしまうと味がなくなります。

自分の力が隠せないようでは大仕事は出来ません。

取り越し苦労、過ぎ越し苦労はやめて下さい。

地球と言う大船に乗って一連託生なのです。

現在の仕事が御神業と心得なさい。

不満をもってはなりません。

そなたが招いた仕事でないですか。

この道理判らなければ迷信の迷路に入りますよ。

考えすぎずに現在の仕事を行うようにしなさいとのアドバイスでもあるようです。

この地球劇場で例えば仕事といえばお給料をもらえる仕事ともなりそうですが、それらも地球劇場という場では、 人から貨幣をせしめることが仕事でもありますし、それを避けては生活していく事が出来ません。

それについては恐らく避けることは出来ないことなのだから、とり越し苦労などをしすぎることはやめるように云っているのかもしれません。

活動する際にも、力を見せびらかさず謙虚に行うことは基本であるようです。

自らが選んだ仕事は何であれ御神業のようです。

不満は無しということのようです。

この道理が判らなければ、永久に繁栄していくことの無い迷信の迷路に入り込んでしまうようです。


■平易意訳■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

出し切ってしまうと、味が無くなります。

自分の力が隠くせないようでは大仕事は出来ません。

「取り越し苦労」や「過ぎ越し苦労」は止めて下さい。

地球と言う大船に乗っていますから、一連託生になります。

現在の仕事が御神業と心得なさい。

不満を持ってはなりません。

そなたが招いた仕事です。

この道理が判らねば、迷信の迷路に入ります。

ロックさんの解釈 :(二巡目)

出し切って了ふと味が無くなりますよ、

自分の力が隠せないようでは大仕事は出来ません。

取り越し苦労、過ぎ越し苦労はやめて下さい、 地球(地球籠)と言う大船に乗って一連託生です、 現在の仕事が御神業と心得よ、 不満を持ってはなりません、 そなたが招いた仕事でないか。

この道理判らねば迷信の迷路に入りますよ。


■解説と補足説明■

ロックさんの解釈 :(二巡目)

現在の仕事はそれぞれがついている職業とすれば、その仕事自体が訓練のために設置した物ということを指しているのかも知れません。


五葉の巻 第09帖 (123)

平等とか公平とか申すのは悪魔のワナであるぞ、

天地をよくみよ、

人民の申す如き平等も公平もないであろうがな、

一寸のびる草もあれば一尺のびる草もあるぞ、

一寸の草は一寸が、

一尺の草は一尺が頂天であるぞ。

これが公平であり平等と申すもの。

人民は選挙と申すマヤクに酔ってゐるぞ、

選挙すればする程、本質から遠ざかるぞ。

他に方法がないと定めてかかるから、

悪魔に魅入られてゐるから判らんことになるぞ。

世は立体であるのに平面選挙していては相成らんぞ。

平面の数で定めてはならん、

立体の数に入れよ。


■平易意訳■

平等とか公平とか云うのは悪魔のワナなのです。

天地をよく観なさい。

人民の申す如き平等も公平もないでしょう。

一寸のびる草もあれば一尺のびる草もあるのです。

一寸の草は一寸が、一尺の草は一尺が頂天なのです。

これが公平であり平等というものなのです。

人民は選挙という麻薬に酔っています。

選挙すればする程、本質から遠ざかります。

他に方法がないと定めてかかり、悪魔に魅入られているから判らんことになるのです。

世は立体であるのに平面選挙していては相成りません。

平面の数で定めてはなりません。

立体の数に入れなさい。

転生などの概念無しに平等や公平というものを当てはめてもどうしようもないようです。

それぞれの身の丈にあった見方をすることが平等であるようです。

選挙は麻薬であると云っています。

このご時世に出来ることは選挙によってではなく、自らが身の丈で考え動くことによって出来ること、理解出来ることなどがあるようです。

宇宙と言う物も、最初はとても小さい領域から始まったものなのでしょうか。

それが広大な時間をかけて少しずつ成長し膨張していった。

そんなことを選挙という物がない世の中のことを考えたときに思いました。

自分の理解出来る領域の世界を少しずつ検証し、真理を追究していく、この作業の繰り返しが、立体とも繋がりを持つようになり森羅万象を友にして弥栄えして行く、その先に生命体としての進化があり、膨大な時を経て、早い遅いはあるでしょうが、やがては宇宙を創造するような存在になっていくというのが、生命体の筋道で、そこには選挙というような物は 存在し得ないのかなと思いました。


せんきょ 1 【選挙】

(名)スル

(1)組織・団体において、役員や代表者を選出すること。

特に、選挙権を有する者が投票によって議員や一定の公職に就く者を選び出すこと。

「役員を―する」

(2)多くの人の中から選び出し、推薦すること。

○選挙というのは、組織とか団体においてのものであるとあります。

主義主張を叶えてくれると他人に棚上げした姿が選挙に繋がってくるのかも知れません(個人的な感想です)

2005年7月現在、自らが掲げた法案に反対するならば、議会を解散すると選挙を盾にとって脅している方もいますが、 このご時世ですから選挙と言う麻薬に酔っている事例はたくさんあるのかもですね。

立体を入れた考えにはほど遠いかもしれませんが、ひふみを通して、臣民に手助けをしてくれる存在がいるということを知ることから、それを検証し確認するための努力を行うと言う点は、手ほどきしていただける存在は、目には認識されませんので立体について考える窓口にはなるかと思います。

(先の帖で目先のことばかりなんて書いてあった内容がありましたので、宇宙を創造する存在になっていくなんて飛躍してみましたが、生命体としての身の丈もあるでしょうから、極論かも。。。)


■平易意訳■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

平等とか公平とか云うは悪魔のワナです。

天地を良く見なさい。

人民の云う如き平等も公平もありません。

一寸伸びる草もあれば、一尺伸びる草もあります。

一寸の草は一寸が、一尺の草は一尺が、頂天です。

これが公平であり平等と云うものです。

人民は選挙と云う麻薬に酔っています。

選挙すればする程、本質から遠ざかります。

他に方法が無いと定めてかかるから、悪魔に魅入られてしまうのです。

ですから、判らにいことになるのです。

世は立体であるのに平面で選挙してはいけません。

平面の数で定めてはなりません。

立体の数にしなさい。

ロックさんの解釈 :(二巡目)

平等とか公平とか言うのは悪魔の罠であります、

天地をよく見てください、

人民の言うような平等も公平もないのは明白なことでしょう、

一寸伸ばす草もあれば一尺伸びる草もあるのです、

一寸の草は一寸が、

一尺の草は一尺が頂天であるぞ。

(それぞれの器に応じて成長の頂点があるのです。

人間は100年くらいが生命の持続の頂点ですし、月人は何十億年から何百億年?もその生命は持続します。)

これが公平であり平等と申すもの。

人民は選挙と言う麻薬に酔っているのです、

選挙すればする程、本質から遠ざかります。

他に方法がないと定めてかかるから、悪魔に魅入られているから判らんことになるのです。

世は立体であるのに平面選挙していては相成らんぞ。

平面の数で定めてはならん、立体の数に入れよ。


■解説と補足説明■

ロックさんの解釈 :(二巡目)

暗に政治にも何百億年も生きる生命体が干渉してサタンが統治し定めている彼等のルールで動く世界の元で平等と言う物は存在することはないと言っているように思いました。

『天地を見てください』

あめつちを見てくださいだとすると、太陽のことでしょうか?

確かに人間という器の中に入っている九柱の本質達(ミロク)には人間の太陽の魂は逆らえないこともたくさんあったはずですしょうし、その干渉の前には平等とかは無きに等しいかと思います。

『 立体の数に入れよ 』

人間の中に入っている魂を基準にしなさいと言っているのでしょうか?

地震の巻の解釈の理解が入るかと思いました。

この帖は伊勢黙示録の123番目の神示(ひふみ)でもあるのですね。

バランスとか調和に結びつくような感じのニュアンスかも知れませんね。


五葉の巻 第10帖 (124)

悪自由、悪平等の神が最後の追込みにかかってゐるなれど、

もう悪の世はすんで岩戸がひらけてゐるのざから、

何とやらのように前から外れてアフンぢゃ、

七重の花が八重に、

八重が九重、十重にひらくのであるぞ、

七重はキリストぢゃ、

八重は仏教ぢゃ、今の神道ぢゃ、

今までの教はつぶれると申してあろうがな。

兎や角申さず掴(つか)める所から神をつかんでついて御座れよ、

水は流れる所へ流れてゐるであろうがな、

あの姿。


■平易意訳■

悪自由、悪平等の神が最後の追込みにかかっていますが、もう悪の世はすんで岩戸がひらけているのですから、何とやらの様に前から外れてアフンとなります。

七重の花が八重に、

八重が九重、

十重に開くのです。

七重はキリストです。

八重は仏教であり今の神道です。

今までの教はつぶれると云っているでしょう。

兎や角云わずに掴(つか)める所から神をつかんでついてきなさい、

水は流れる所へ流れているでしょう。

あの姿を見て、観て、悟てみなさい。

岩戸が開いた時は目安として、その兆候は出ているようですが、七重のキリストがアフンとなる様子が事象として出るのかもしれません。

八重は仏教であり今の神道とすると、日本における状況としては創価学会や靖国神社などを政治の道具に用いて動く 輩のことを暗示しているのでしょうか。

それらの輩の思惑は、外れてアフンとなり、九重、十重に開くとなるのかも。

八重が仏教だとすると、反キリストのような最後のあいつの懸かった存在は日本の仏教、神道関係から出るのかも知れませんね。

それらがアフンとなって九重、十重に開き岩戸開きの完了と言う所でしょうか。

その経過の中で、つかめるところから神を掴んでついてきなさいと云ってます。

状況も神サタンの世の中から神ミロクの世の中に水のように流れてシフトしていっているのが現代なのだと思います。


■平易意訳■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

悪自由、悪平等の神が最後の追込みにかかっています。

なれど、もう悪の世は終わって岩戸が開けます。

何とやらの様に前から外れてアフンとなり動けなくなります。

七重の花が八重に、八重が九重、十重に開くのです。

七重はキリストです。

八重は仏教ですし、今の神道です。

今までの教は潰れます。

兎や角云わずに掴(つか)める所から神を掴みなさい。

あの姿を見てみなさい。

水は流れる所へ流れています。

ロックさんの解釈 :(二巡目)

悪自由、悪平等の神が最後の追込みにかかっているのですが、 もう悪の世は済んで岩戸が開けているのですから、 何とやらのように前から外れてアフンぢゃ、

七重の花が八重に、八重が九重、十重に開くのであるぞ

(キリストが仕込んだ花(仕掛け)が仏教や神道に混じって開くのです)、

七重はキリストです、八重は仏教です、

今の神道ぢゃ、

今までの教(宗教)は潰れると言っているでしょう。

兎や角申さず掴(つか)める所から神を掴んでついて下さいね、

水は流れる所へ流れているであろうがな、あの姿。


■解説と補足説明■

ロックさんの解釈 :(二巡目)

霊界もしくは神界では悪の世は済んでいる模様です。

岩戸が開くと言うのは次元間の連鎖反応も言っているのかも知れませんね。

七重の花がキリストの仕掛けとしましたが、聖書ではキリストの復活と言う解釈ではなく、本当は太陽の復活のことを言っているようですので、そうした部分が現実のことになっていくことかと思いました。


千成の返事

ロックさん

千成です

「何とやらのように前から外れてアフンぢゃ」

の「何とやら」は「ふんどし」のことではないでしょうか。

今の時代は、ふんどしが思い浮かびませんが、 天明の時代では、

「前からパラリとはずれる物」

といえば

「ふんどし」

とピンときたのではないでしょうか。

「ふんどし」

がぱらりとはずれると、恥ずかしいので

「アフン」

となります。


ロックさんのメール

ロックです。

千成さん、 前から外れてウフンいやアフンですね(^^)。

ふんどしが取れて大事な隠し物もどれほど大層な物かがわかるわけですね。

ちなみにこの間ラジオで言ってましたが今はふんどしブームだそうです。


千成の返事

ロックさん

千成です

今はフンドシブームなんですか!

そういえば、テレビでやっていたような。

わたしは、ロックさんの年代だと、ふんどしが わからないだろうと思って書いたのに、知っていたんですね。 (^_^;)


五葉の巻 第11帖 (125)

善では立ちて行かん、

悪でも行かん、善悪でも行かん、悪善でも行かん。

岩戸と申しても天の岩戸もあるぞ、

今迄は平面の土俵の上での出来事であったが、今度は立体土俵の上ぢゃ、

心をさっぱり洗濯して改心致せと申してあろう、

悪い人のみ改心するのでない、

善い人も改心せねば立体には入れん、

【此度の岩戸は立体に入る門ぞ】。


■平易意訳■

善では立ちて行きません、

悪でも行きません、

善悪でも行きません、

悪善でも行きません。

岩戸と云っても天の岩戸もあるのです。

今迄は現実界のみの平面の土俵の上での出来事でしたが、今度は神界・霊界を含んだ立体土俵の上です。

心をさっぱり洗濯して改心しなさいと云っているでしょう。

悪い人のみ改心するのではありません。

善い人も改心しなければ立体には入れません。

【此度の岩戸は立体に入る門なのです】。

心を「富士は晴れたり日本晴れ」とするための富士山登山は、二つとない山登りだけあるもので、善い人も悪い人も 改心しなければ山頂に行けないようです。

善も悪も共有する山頂というところですね。

その先にあるのは、順序だてて、善悪、悪善とかではなく、同時に善と悪を発音するが如く存在するような世界かも知れませんね。

何かと仕掛けてこられる方も仕組の内できちんと対応すると、彼等も手柄を得ることととなりますね(^^)

改心するかしないかは、善い人も悪い人もその人次第ですが、どちらの立場の方々も気づかなくては立体に入れないとすると結構大変な作業です。


■平易意訳■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

善では立ち行きません。

悪でも立ち行きません。

善悪でも立ち行きません

悪善でも立ち行きません。

岩戸と云っても天の岩戸もあります。

今迄は平面の土俵の上での出来事でした。

が、今度は立体土俵の上です。

心をさっぱり洗濯して改心しなさい。

悪い人のみが改心ではありません。

善い人も改心せねば立体には入れません。

【此度の岩戸は立体に入る門です】。

ロックさんの解釈 :(二巡目)

人間の作った善では成り立ちません、

悪でも行きません、

善悪でも行きません、

悪善でも行きません。

岩戸と言っても天の岩戸(神界の岩戸)もあるのです、

今迄は平面(現実界のみ)の土俵の上での出来事であったが、今度は立体(霊界と神界も含む)土俵の上です、

心をさっぱり洗濯して改心致せと言っているでしょう、

悪い人のみ改心するのでないのです、

善い人も改心しなければ立体(本来あるべきの霊界や神界)には入れません、

【此度の岩戸は立体(精巧な生命体の接触できる霊界や神界)に入る門なのです】。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

善では立ち行かないし、悪でも行かない、善悪でも行かないし、悪善でも行きません。

岩戸と言っても天の岩ともありますよ。

今までは平面の土俵の上での出来事でしたが、今度は立体の土俵の上です。

心をさっぱり洗濯して、改心をしなさいと言っているのです。

悪い人のみが改心をするのでは有りません。

善人も改心しなければ立体には入れませんよ。

【此度の岩戸は立体に入る門です】


■解説と補足説明■

ロックさんの解釈 :(二巡目)

善も悪も人間が作り上げた見解でしょうから、その世界で生きている人間は、善の立場であろうが悪の立場であろうが彼等の基準での改心を求められているのかも知れません。

この辺りを検討するものとして地震の巻を参考にさせていただきました。

それによると霊人などは、その構造が地上人より精巧に出来ているようなので、神サタンに魂がゆがむように作られた家畜である人類は、年を重ねれば機能は低下していくばかりですので、その辺りの実情も加味してみました。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

善と悪の2文字に捕らわれているうちは先へ進めません。

ミロクの仕組みにより営まれる世は善、悪の概念を越えた次元の意識の世界でしょうか。

天の岩戸についてロックさんが月、サタンを封印する空間と解釈しています。

『 立体の土俵 』

平面の世が、この世だけの事を示しているとしたら、立体はミロクから人民、草木まで至るミロクの仕組みの世界。

川のように上から下まで絶えずスムースに流れる光の世となりそうです。

又、鳴門の仕組みから来るイメージで立体としているのかもしれません。

新しい世には、なんぴとも改心が無ければ入れないようです。


五葉の巻 第12帖 (126)

八のつく日に気つけてあろうが、

八とはひらくことぞ。

今が八から九に入る時ぞ、

天も地も大岩戸ひらき、

人民の岩戸ひらきに最も都合のよい時ぞ、

天地の波にのればよいのぢゃ、

楽し楽しで大峠越せるぞ、

神は無理申さん、

やればやれる時ぞ、

ヘタをすると世界は泥の海、

神々様も人民様も心の目ひらいて下されよ、

新しき太陽は昇ってゐるでないか。


■平易意訳■

八のつく日に注意しなさいと云っているでしょう、

八とは岩戸が開くことなのです。

今が八から九に入る時なのです。

天も地も大岩戸ひらき、人民の岩戸ひらきに最も都合のよい時なのです。

天地の波にのればよいのです。

楽し楽しで大峠越せるのです、

神は無理を云いません、やればやれる時なのです。

ヘタをすると世界はノアの大洪水で泥の海、神々様も人民様も心の目ひらいて下さいね、新しき生命を育む存在の太陽は昇っているではないですか。

我田引水的に、最後に新しい太陽と太陽に触れてますので、最初の「八のつく日に」とは、八=忠犬ハチ公にかけた 洒落?でしょうか。

八のつく日に注意しなさいと言っているとするなら、八の犬のくっついている太陽に注意しなさいとも 読めるかも知れませんね。

(前の帖で頭の体操、ヘソの体操大切って前振りがありましたので、そうやって考えてみました。

へそはNO555の太陽への内容もあります。

頭の体操だと物の言い方や読み方がポイントだと思いました)

次に続く八とは岩戸が開くことなのですとは、八重にかかってくる仏教や神道関連の八だとすると、最後の“あいつ”のかかった人物が出てくる時期も示しているのかも知れません。

(前の帖で善も悪も同時に扱うというような解釈をしてますので、このあたりは同じ場を共有するという意味では、太陽もあいつも同じ時に存在するのかもしれません。

) そうやってみると、八のくっつく犬が一緒にいる太陽という存在に注意していれば、岩戸の開いた時に出てくる“あいつ”のかかった存在も容易にわかるのかも。

それまでに悪を抱き参らせる姿勢などをきちんと学んでおけば、“あいつ”が出てきても騒ぎ立てることなく冷静かつ平穏に暮らせて、楽し楽しで大峠を暮らせるのかもとも思いました。

ちと強引かな?


■平易意訳■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

八のつく日に注意するように云っていますが、八とは岩戸が開くことです。

今が八から九に入る時です。

天も地も大岩戸開き、人民の岩戸開き、の最も都合の良い時です。

天地の波に乗せれば良いのです。

楽し楽しで大峠を越せます。

神は無理を云いません。

やればやれる時です。

ヘタをすると世界はノアの大洪水で泥の海となります。

神々様も人民様も心の目を開いて下さい。

新しき太陽は昇っています。

ロックさんの解釈 :(二巡目)

八のつく日に気をつけているでしょう、八とは開くことです。

今が八から九に入る時なのです、

天も地も大岩戸開き(大解放)、

人民の岩戸開きに最も都合の良い時ぞ、

天地の波に乗ればよいのです、

楽し楽しで大峠越せるのです、

神は無理を言いません、

やればやれる時なのです、

ヘタをすると(衆生を救おうとしている神に目を向けなければ)世界は泥の海、神々様も人民様も心の目開いて下さい、

新しき太陽(人間の太陽)は昇っている(ミロクであると認識し出している)ではないですか。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

八のつく日に気をつけているのです。

八とは開く事です。

今が八から九に入るときですよ。

天も地も大岩戸開き。

人民の岩戸開きに最も都合の良い時です。

天地の波に乗れば良いのです。

楽しい楽しいで大峠を越せますよ。

神は無理を言いません。

やればやれる時です。

下手をすると世界は泥の海。

神々様も人民様も心の目を開いて下さいよ。

新しい太陽は昇っているではありませんか。


■解説と補足説明■

ロックさんの解釈 :(二巡目)

八のつく日は開くそうですが、この辺りは、地元で言うと2004年7月18日に大洪水が発生していますので、我伝引水的でありながらもこの辺りは臣民に対する準備を促す警告でないかと気になるところです。

新しい太陽=人間の太陽のことかと思います。

あらゆる分野で、岩戸を開く時が来ていると取りました。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

額面通りに受け取れば「八」を分類として岩戸開きの時期であり、「九」は次の世の仕組みとなるようです。

岩戸開きに何があるのかで、八に日付の意味が含まれているのか、単なる分類か分かれると思います。

『 天も地も大岩戸開き 』

月人も人類も大岩戸開きとしますと、都市攻撃、ノアの大洪水、サタン封印で月人解放となりそうです。

この時は、幾らなんでも無頓着な人民も改心を迫られるでしょう。

そんな人達も救いたいが為に「最も都合が良い時だから、天地の波に乗れ」とアドヴァイスしているようです。

『神は無理を言いません。

やればやれる時です。』

改心、御用を務めるかどうかは本人次第です。

『下手をすると世界は泥の海。』

大洪水の事でしょう。

そして、太陽にも人民にも早く気がついてくれと言っているようです。

『新しい太陽は昇っているではありませんか。』

人間の太陽がミロクであると認識し始めています。

太陽も目を覚まし始めていると言う事で、岩戸開きから次の仕組みに入る際の人民に対するアドバイスのようです。


五葉の巻 第13帖 (127)

悪を食ふて暮さなならん時近づいたぞ、

悪に食われんように、悪を噛んで、よく消化し、

浄化して下されよ、

悪は善の仮面をかぶってゐること多いぞ、

だが悪も大神の中に生れたものであることを知らねばならん。

ダマシたいものには一先づダマサレてやれよ、

ダマサレまいとするからダマサレるのであるぞ。

生命の樹の実は美しくおいしいぞ、

食べてはならんが食べねばならんぞ、

肉体慾が先に出るから生命を失ふ、

心でとりて実を喜ばせて食べるとよいのであるぞ、

食べないで食べる秘密。


■平易意訳■

悪を食って暮さなければならない時が近づいたのです。

悪に食われないように、悪を噛んで、よく消化し、浄化して下さい。

悪は善の仮面をかぶっていることが多いです。

だが悪も大神の中に生れたものであることを知らねばなりません。

ダマシたいものには一先づダマサレてやりなさい。

ダマサレまいとするからダマサレるのです。

生命の樹の実は美しくおいしいです。

これは食べてはなりませんが食べなければならないのです。

肉体慾が先に出るから生命を失うのです。

まず心でとりて(頂いて?)実を喜ばせて食べるとよいのです。

食べないで食べる秘密です。

生命の樹の実は美しくおいしいです。

これは食べてはなりませんが食べなければならないのです。

肉体慾が先に出るから生命を失うのです。

まず心でとりて(頂いて?)実を喜ばせて食べるとよいのです。

食べないで食べる秘密です。

ここの部分の生命の樹の実とは一巡目ではユダヤの教義を参考にしましたが、本当はなんでしょうね。


■平易意訳■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

悪を食べて暮さざるを得ない時が近づきました。

悪に食われ無いように、悪を噛んで、良く消化し、浄化して下さい。

悪は善の仮面を被っていることが多いです。

だが、悪も大神の中に生れたものであることを知らねばなりません。

騙したいものには一先づ騙されてやりなさい。

騙されまいとするから騙されるのです。

生命の樹の実は美しく美味しいです。

食べてはならんが、食べねばなりません。

肉体慾が先に出るから、生命を失います。

心で取りて実を喜ばせて、食べたが良いのです。

食べないで食べる秘密です。

ロックさんの解釈 :(二巡目)

悪を食べて暮さなければいけない時が近づきましたよ、

悪に食われないように、悪を噛んで、よく消化し、浄化して下さい、

悪は善の仮面をかぶっていることが多いのです、

だが悪も大神の中に生れたものであることを知らねばなりません。

騙したい者には一先づ騙されてやりなさい、

騙されまいとするから騙されるのです。

生命の樹の実は美しくおいしいぞ、

食べてはならんが食べねばなりません、

肉体慾が先に出るから生命を失う、

心で取って実を喜ばせて食べるとよいのであるぞ、

食べないで食べる秘密。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

悪を食べて暮らさなければならない時が近づきましたよ。

悪に食われないように、悪を噛んで、良く消化して、浄化して下さいよ。

悪は善の仮面を被っている事が多いですよ。

でも、悪も大神の中から生れたものであることを知らなければなりません。

騙したい物には、一先ず騙されてやりなさい。

騙されまいとするから騙されるのです。

生命の樹の実は美しく美味しいですよ。

食べてはいけませんが、食べなければなりませんよ。

肉体慾が先に出るから生命を失う。

心で取って実を食べると良いのです。

食べないで食べる秘密です。


■解説と補足説明■

ロックさんの解釈 :(二巡目)

生き残るために、悪を食べて暮らさなければいけない時が近づきましたよ、

であるなら、宇宙の真相を知ったときにそれらの矛盾を知りながらも悪と認識されるようなことをしながら暮らさなくてはいけない時が近づいています。

悪に食われないように、悪を噛んで(よく内容を吟味して)よく消化し(不必要な記述や内容を削除して)浄化して下さい(理解してください)

悪は表向きは善の仮面をかぶっている事が多いのです。

ですが悪も大神の中に存在が許された物であることも知らなければいけません。

生命の樹の実=ユダヤの教義にそういうものがあるそうです。

もしかしたらユダヤの教義=貨幣経済でのお金儲けは美しくおいしいぞですと、食べてはなりませんが生活をしていくためには食べなければいけない側面もあります。

肉体慾が先に出るから、最後には自滅しサタンによって生命を失う、

心で取って(上記のことを理解しながら)それによって必要最低限に得た物に感謝したりしながら食べると良いのです。

食べないで食べる秘密とはそういうこと?

トッチさんの解釈 :(二巡目)

改心、心磨きを進めなければいけない時期に来ました。

自分に負けないように頑張ってください。

悪は善の仮面を被っている事が多いですよ。

その悪が蔓延る理由は、この世が神サタンにより創造された物であるからと言う事を知らなければなりません。

地位や名声、財などに捕らわれないで下さい。

生命の樹の実(ミロクの仕組み)は美しく美味しいですよ。

仕組みを乱すような事をしてはいけませんが、仕組みに馴染めなければいけません。

肉体慾が先に出るから生命を失う。

心磨き、改心を成して、仕組みに入るのです。

食べないで食べる秘密です。

解説が的を得ていれば、人々が新しい世に向かう為の秘訣のようです。


五葉の巻 第14帖 (128)

一升マスには一升入ると思ってゐるなれど、

一升入れるとこぼれるのであるぞ、

腹一杯食べてはならん、

死に行く道ぞ、

二分を先づ神にささげよ。

流行病(はやりやまい)は邪霊集団のしわざ、

今にわからん病、

世界中の病はげしくなるぞ。


■平易意訳■

一升マスには一升入ると思っていますが、一升入れるとこぼれるのです。

腹一杯食べてはなりません。

死に行く道です。

二分を先づ神にささげなさい。

流行病(はやりやまい)は邪霊集団のしわざ、今にわからない病が出てきます。

世界中の病が激しくなります。

たくさん食べると憑き物がつくとひふみでは云っています。

そこから考えると、流行病とは、ブームのようなものも指すのではとも思います。

これも選挙みたいなものです。

霊かかりもあるかと思います。

世界中の病が激しくなるそうですから、“あいつ”のかかった存在が世界中を沸かすのかも知れませんね。


■平易意訳■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

一升マスには 一升入ると思っています。

ですが、一升入れるとこぼれます。

腹一杯、食べてはなりません。

死に行く道です。

二分を先づ神に捧げなさい。

流行病(はやりやまい)は邪霊集団の仕業です。

今にわからん病が出てきます。

世界中の病は激しくなります。

ロックさんの解釈 :(二巡目)

一升マスには一升入ると思っているようですが、一升入れるとこぼれるのですよ、

腹一杯食べてはなりません、

死に行く道ぞ、

二分を先づ神に捧げなさい。

流行病(はやりやまい)は邪霊集団の仕業、

今にわからん病、世界中の病激しくなりますよ。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

一升マスには一升入ると思っているようですが、一升入れるとこぼれるのですよ。

腹いっぱい食べてはいけません。

死に行く道ですよ。

二分を先ず神に捧げなさい。

流行り病は邪霊集団の仕業。

今に分らない病、世界中の病は烈しくなりますよ。


■解説と補足説明■

ロックさんの解釈 :(二巡目)

『 流行病が邪霊集団の仕業 』

サタンに心を売った者の仕業とするなら、SARSなどは、彼等の仕業と言うことかも知れません。

腹いっぱいは食べ物だけでなくいろんなことにも言えるかもしれません。

ただ邪霊集団という記述には、不安を煽り立てるようなニュアンスも感じられるので、岡本天明氏の生活手段を構築するための部分もあるかと思います。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

何事も腹八分でしょうか。

食べすぎも働きすぎも遊びすぎも、何でも過ぎればよい事にはならないでしょうね。

二分をまず神に捧げなさいは、自分の為だけに生きるのではなく、ミロクの仕組み貢献しなさいとも言っているものと思います。

流行り病をウィルスではなくわざわざ邪霊集団の仕業にしている所を見ますと、風俗、文化の乱れについて言っているものと思われます。

エイズ、狂牛病、西ナイルウイルス、鳥インフルエンザなども、元を辿れば人類の乱れた風俗、文化(経済システムなども)が招いたものと言えるのかもしれませんね。

細菌兵器によるものも同じ事かと思います。

人々に正しい生き方を促しているものとして、分類を(09)にします。


五葉の巻 第15帖 (129)

今に大き呼吸(いき)も出来んことになると知らせてあろうが、

その時来たぞ、

岩戸がひらけると言ふことは

【半分のところは天界となることぢゃ、天界の半分は地となることぢゃ】、

今の肉体、今の想念、今の宗教、今の科学のままでは岩戸はひらけんぞ、

今の肉体のままでは、人民生きては行けんぞ、

一度は仮死の状態にして魂も肉体も、半分のところは入れかえて、

ミロクの世の人民としてよみがへらす仕組、心得なされよ、

神様でさへ、この事判らん御方あるぞ、

大地も転位、天も転位するぞ。


■平易意訳■

今に大きい呼吸(いき)も出来ないことになると知らせてあるでしょう。

その時が来たのです。

岩戸がひらけると言うことは【半分のところは天界となることなのです、

天界の半分は地となることなのです】

今の肉体、今の想念、今の宗教、今の科学のままでは岩戸はひらけません。

今の肉体のままでは、人民生きては行けないのです。

一度は仮死の状態にして魂も肉体も、半分のところは入れかえて、ミロクの世の人民としてよみがえらす仕組を心得なさい、

神様でさへ、この事が判らない御方がいます、

大地も転位、天も転位するぞ。

ここの内容は巷のフォトンベルトなどの説に取り込まれている部分でもあります。

明確に分けて解説できるといいのですが。

一巡目が自分のボキャブラリーの限界かも(^^;;;;

転位の意味合いですかね。

少し意味合い的にはっきり説明できないのは。

ポールシフトの意味なのか、いや寝た子が起きるといけないので、地軸がグレンとひっくり返ることなのか。

大地が転位、人間を育み育ててきた土壌である大地が、グレンのノアの大洪水のために育てない土壌になる?

うーーむ。

補足求めます。


■平易意訳■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

今に大き呼吸(いき)も出来なくなります。

その時が来ました。

岩戸が開けると言うことは【半分のところは天界となることです、天界の半分は地となることです】、

今の肉体、今の想念、今の宗教、今の科学、のままでは岩戸は開けません。

今の肉体のままでは人民は生きて行けません。

一度は仮死の状態にして魂も肉体も、半分のところは入れ替えます。

そして、ミロクの世の人民として甦えらす仕組になっています。

人民は心得なさい。

神様でさえ、この事は判らない御方がいます。

大地も転位しますし、天も転位します。

ロックさんの解釈 :(二巡目)

今に大きい呼吸(いき)も出来ないような事態になると知らせてあるでしょう、

その時が来たのですよ、

岩戸が開けると言うことは【半分の所は天界と(繋がっているような状態に)なることなのです。

天界の半分は地(現界と繋がること)となることなのです】、

今の肉体、今の想念、今の宗教、今の科学のままでは岩戸は開けません、

今の肉体のままでは、人民は永遠ともいえるような長い年月を生きては行けませんよ、

一度は仮死の状態にして魂も肉体も、半分のところは入れかえて、ミロクの世の人民としてよみがへらす仕組、心得なされよ、

神様でさえ、この事判らん御方あるぞ、

大地も転位、天も転位するぞ。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

今に大きい呼吸も出来ないほどになると知らせているでしょう。

その時が来ましたよ。

岩戸が開けると言う事は、(半分の所は天界となる事です。

天界の半分は地となることです)

今の肉体、今の想念、今の宗教、今の科学のままでは岩戸は開けませんよ。

今の肉体のままでは人民生きてはいけませんよ。

一度は仮死の状態にして魂も肉体も、半分の所は入れ替えて、ミロクの人民として蘇らせる仕組みを心得てください。

神様でさえこの事が分らない御方がありますよ。

大地も転位、天も転位しますよ。


■解説と補足説明■

ロックさんの解釈 :(二巡目)

『 今に大きい呼吸(いき)も出来ないような事態になると知らせてあるでしょう、その時が来たのですよ 』

息も潜めて隠れるような都市攻撃の時の状態を示していると思います。

『 今の肉体のままでは、永遠ともいえるような長い年月を生きてはいけませんよ、一度は仮死の状態にして魂も肉体も、半分のところは入れかえて、ミロクの世の人民として甦らす仕組、心得なされよ 』

基本的に、とても構造的に優れている宇宙で一番素晴らしい存在であった月人が同じ世界に存在していますので、平文に加えたように、人類にとって永遠ともいえる長い年月をそのままの肉体では過ごすことは出来ませんので、掲挙後に魂を入れ替える作業をすることになるでしょうから、どの道、今の肉体の死と言うのは迎えるようです。

それが都市攻撃で苦しんでお亡くなりになりサタンに献上されるか、何らかの形で肉体と死してもリンクしていて、解放された月人により救出されるか、きちんと準備を整えて携挙されて痛みを伴わない形で肉体をチェンジするかどうかになるのではないかと推測します。

『神様さへ、この事わからん御方あるぞ』

先日、太陽とお会いしましたが、太陽もここのお話をしきりにして下さいました。

恐らく、大事な事柄になるのではないかと思います。

この辺りは、身内をその時に忠告を無視して、無理して助けに行かなくても、助かる方々は神が魂に印をつけて助かるように誘導されるし、助からない方は、二つに分けられて、定められた方向に向かうということとも連動しているのではないかと思います。

『大地も転位、天も転位するぞ』

大地も転位=太陽が報われた時に起きる地位の逆転

『天も転位』

サタンに代わってミロクがこの宇宙を治めると取りました。

この帖などは、巷で言う次元上昇やフォトンベルトの説に取り込まれやすい内容のようでもあるようです。

しかし、月人という存在がそれを覆すことになり、サイトの内容を理解すればおおよそ、上記の解読の結論になるのではと思います。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

『今に大きい呼吸も出来ないほどになると知らせているでしょう。』

今に息を潜めなければならない状況が来ると解釈しますと、都市攻撃時の避難生活があたると思います。

『 岩戸が開けると言う事は、(半分の所は天界となる事です。 天界の半分は地となることです)』

今は天界と地上が遮断されたような感じですが、岩戸が開くと天界、地上界の垣根がある部分取り払われるのかもしれません。

『 今の肉体、今の想念、今の宗教、今の科学のままでは岩戸は開けませんよ。』

その世界に生きるには、今常識とされている知識、仕組みではない、理解を超えたところの認識が必要と言っているようです。

『今の肉体のままでは人民生きてはいけませんよ。

一度は仮死の状態にして魂も肉体も、半分の所は入れ替えて、ミロクの人民として蘇らせる仕組みを心得てください。』

世紀末研究報告にある所の、携挙された人類は長寿に肉体改造されると同じ事を言っているのでしょう。

『 神様でさえこの事が分らない御方がありますよ。』

柱、役員としての資質のある人でも、携挙から肉体改造についてはまだ分っていない人が多いようです。

『 大地も転位、天も転位しますよ。 』

地上では、今権力を行使している立場の人とひれ伏している人の立場が逆転し、天では神サタンの支配が終わります。



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