良い宇宙人と悪い宇宙人,宇宙の真相, The Earth is Controlled by Evil Alien


NO4371 


黄金の巻 第001帖 (512)〜第027帖 (538)  


ロックさんのメール

ロックです。

PC不調のため、今日から携帯からの解読になります。

千成さんお手数ですが原文の掲載をお願いします。


黄金の巻 第001帖 (512)

元の元の元の神は何も彼も終ってゐるのであるぞ。

終なく始なく弥栄えてゐるのぞ。

友つくれよ、

友つくることは己つくることぞ。

広めることぞ。

己を友の心の中に入れることぞ。

皆われの目的たてに来てゐるぞ。

それでは思惑たたんぞ。

御光が愛ぞ。

真ぞ。

愛はマぞ。

真は言ぞ。

これを誠と云うぞ。

誠は生きてゐるぞ。

三千世界の生命ぞ。

和つくれ。

和はむすびぞ。

何も彼も生れるぞ。

いきするぞ。

自分で勝手にしておいて親神を怨んでゐるぞ。

この巻から人民の道しるべであるぞ。

近いことから知らすぞ。

この神示出たら、すぐ血としておいて下されよ。

そなたの為であるぞ。

そなたの為は人の為、世の為、三千世界の為であるぞ。

この巻 黄金の巻。

心の眼ひらけよ。

十一月十七日。

ひつ九のか三


(意訳)

元の元の元の神の方では既に何もかも終わっているのです。

終りもなく始めもなく永久に繁栄しているのです。

友を作りなさい。

友を作ることは己を作ることです。

己の見識?を広めることなのです。

それは己を友の心の中に入れることなのです。

皆我を出し我れの目的をたてに来ているのです。

それでは思惑は立ちません。

御光が愛なのです。

真です。

愛はマです。

真は言なのです。

これを誠と云うのです。

誠は生きています。

平面と立体神界霊界現実界を生きる三千世界の生命なのです。

和を作りなさい。

和は結びなのです。

何も彼も生まれるのです。

息をするのです。

人民は自分で勝手にしておいて親神を怨んでいるのです。

この巻からは人民の道しるべです。

近いことから知らせます。

この神示(解読?平文化したもの?)が出たらすぐ 血としておいて下さい。

それはそなたの為であるのです。

そなたの為は人の為、世の為、三千世界の為であるのです。

この巻は黄金の巻。

心の目を開きなさい。

十一月十七日。

ひつ九のか三。


(解説)

この巻では臣民に当てはまる方も人民と言い方に替わっているようです。

元の元の元の神に近い存在から見たら、臣民も人民も変わらないのかも知れません。

○御光が愛なのです。

真です。

愛はマです。

真は言なのです。

これを誠と云うのです。

誠は生きています。

平面と立体を生きる誠を理解して、我の行うことを周りと和して全体に反映する一部として出来るようになる=善も悪もひっくるめて進んでいく元神の仕組みを理解してその仕組みに乗っかることが誠?

人民は勝手にしておいて成果が出ない、幸せになれないなどと親神を逆怨みしている?

この時期の人民にしたら、まだこの建て替えが目に見える可能性のある時でよかった方なのだと思いますが、それさえ知らない心の目を開かない方はその時期故にグチりまくりになるのかも。


ひふみ神示 第二十四巻 黄金の巻 第二帖(513)

昭和二十四年十一月十七日、

旧九月二十七日(1949年)

日本が日本がと、まだ小さい島国日本に捉はれてゐるぞ。

世界の日本と口で申してゐるが、生きかへるもの八分ぞ。

八分の中の八分は又生きかへるぞ。

生きかへっても日本に捉はれるぞ。

おはりの仕組はみのおはり。

骨なし日本を、まだ日本と思うて目さめん。

九十九十(コトコト)と申してカラスになってゐるぞ。

古いことばかり守ってゐるぞ。

古いことが新しいことと思うてゐるなれど、

新しいことが古いのであるぞ。

取違ひいたすなよ。

【神は生命ぞ】。

秩序ぞ。

秩序は法則ぞ。

為せよ。

行ぜよ。

考えよ。

考へたらよいのぢゃ。

為すには先づ求めよ。

神を求めよ。

己に求めよ。

求めて、理解した後 為せ。

為して顧みよ。

神のいのち其処に弥栄えるぞ。

今迄の日本の宗教は日本だけの宗教、

このたびは世界のもとの、三千世界の大道ぞ。

教でないぞ。

八分の二分はマコトの日本人ぢゃ。

日本人とは世界の民のことぢゃ。

一度日本すてよ。

日本がつかめるぞ。

日本つかむことは三千世界をつかむことぞ。

悪の大将も、そのことよく知ってゐて、天地デングリ返るのぢゃ。

物の食べ方に気つけよ。

皆の者、物ばかり食べて御座るぞ。

二分の人民、結構に生きて下されよ。

喜び神ぞ。

十一月十七日。

ひつ九のか三


(意訳)

日本が日本がと、まだ小さい島国日本に囚われています。

世界の日本と口で伝えてありますが、生き返る者は八分です。

その八分の中の八分は又生き返ります。

日本に囚われている人民は生き返っても日本に囚われますよ。

終りの仕組みは身の終り。

現代の骨なし日本を、まだ日本だと思って目が覚めません。

九十九十言ってむさぼるようなカラス?になっています。

古いことばかり守っています。

古いことが新しいことと思っていますが、これから取り組むような新しいことが古いのです。

取り違いをしないように。

神は生命です。

秩序なのです。

秩序は法則です。

為しなさい。

行じなさい。

考えなさい。

考えたら良いのです。

為すにはまずは求めなさい。

己に求めなさい。

求めて、理解した後実行して為しなさい。

為して顧りみなさい。

神の命其処に永久に繁栄するのです。

今までの日本の宗教は日本だけの宗教、この度は世界の元の基の、三千世界の大道です。

教ではありません。

八分の二分は誠・真の日本人です。

日本人とはミロクの世を生きる世界の民のことなのです。

そうなるために一度日本を捨てなさい。

日本が掴めますよ。

日本をつかむことは三千世界をつかむことです。

悪の大将も、そのことをよく知っていて、天地がデングリ返るのです。

人民は物の食べ方に気をつけなさい。

皆の者、物ばかり食べています。

二分の人民、結構に生きて下さい。

喜びは神です。

十一月十七日。

ひつ九のか三。


(解説)

生き返り方もいろいろあるようです。

囚われている見方の日本とは、何でしょう。

一神と八百万の神の違いと悪の大将がミロクに対抗して進めているプロパガンダや国家神道などの価値観や見方のことでしょうか。

神は生命で、秩序は法則のようですので生き返るためのポイントは生前にそれらを理解し実践して顧みながら進めていくことなのかも知れません。


黄金の巻 第03帖 (514)

神は神の中に、宇宙を生み給うたのであるぞ。

善の祈りには善、悪の祈りには悪、

祈りの通りに何も彼も出て来ること、まだ判らんか。

時節には時節のことと申してあらう。

十一月十七日。

ひつ九のか三


(意訳)

神は神の中に、宇宙を生んだのです。

善の祈りには善、

悪の祈りには悪、

祈りの通りに何も彼も出てくることがまだ判らないのか。

時節には時節のことと云っているでしょう。

十一月十七日。

ひつ九のか三。


(解説)

善も悪も抱き参らせる祈りが出来ると抱き参らせたことが出てくるかな?

まだわからんか。

時節には時節のこととは、これまでの修行の中で善に祈ることも悪に祈ることも現実化して出てくることを理解するならば、時節が至った時は善悪どちらも抱き参らせることに気づかねばならないのかも。


黄金の巻 第04帖 (515)

これだけに、世界にアラ事をさして見せて、神示通りに出て来ても、まだ目醒めんのか。

まだまだ改心中々ぢゃなあ。

悔い改めよ。

顧みよ。

恥ぢ畏れよ。

慎めよ。

その日その時からよくなるぞ。

人間には神は知れんものぞ。

神のはたらきのみ、やっと知れるぞ。

神の能(ハタラ)きは千変万化、

能(ハタラ)き見て神そのものと思ふは人間心。

この神示、

針の穴程も違はん。

書かしたことそのまま出て来るぞ。

神は人となりたいのぢゃ。

人は神となりたいのぢゃ。

霊は形を形は霊を求めて御座るのぢゃ。

人は神のいれもの、

【神は人のいのち】。

十一月十七日。

ひつ九のか三


(意訳)

これだけ、世界に現れた事象をさせて見せて、神示通りに出てきてもまだ目が醒めませんか。

まだまだ改心はなかなかのことですね。

悔い改めなさい。

顧りみなさい。

恥じ畏れなさい。

慎みなさい。

その日その時から良くなります。

人間には神は知ることは出来ない、認識出来ない存在です。

神の働きのみがやっと知ること認識が出来るのです。

神の能きを見て神そのものと思うのは奇跡に騙されるような人間心です。

この神示は針の穴程も誤差がありません。

書かしたことがそのまま出てくるのです。

神は神かかりして?人となりたいのです。

霊は形を形は霊を求めているのです。

人は神の入れ物、神は人のいのちなのです。

十一月十七日。

ひつ九のか三。


(解説)

神かかりをする過程においてその入れ物になる人間は改心が必要なようですが、目を醒めませんかとは、覚醒の意味合いがありそうですね。

三千年前にミロクを追って一緒に降臨した臣民に言っているのかな?


ひふみ神示 第二十四巻 黄金の巻 第五帖(516) 

昭和二十四年十一月十七日、

旧九月二十七日(1949年) 

ものうむ始め女。

目的たてるとスコタン。

種から生えたものは渋柿ぢゃ。

接木(つぎき)せねば甘柿とはならんぞ。

己のためすることは人のためにすることぞ。

思いは力、実在ぞ。

十一月十七日。

ひつ九のか三


(意訳)

物・者を生む始めの女。

目的を立てるとスコタンです。

種から生えたものは渋柿です。

接木をしなければ甘柿とはなりません。

己のためにすることは人のためにすることなのです。

思いは力、実在なのです。

十一月十七日。

ひつ九のか三。


(解説)

もの生む始め女。

目的を立てるとスコタンとは、ものを女が生むとき、考えて欲出すとスコタンになる?

この辺りは理解が進むと何かの話になるのかも。

甘柿を育てるためには接木をしなくてはいけない=神サタンから生まれたものはその枝に神ミロクの接木をするとその枝には甘柿が出来る。

そのまま種から生やしっぱなしでは、よろしくない渋柿になってしまう。

相手に何かする前に己のことをきちんとすることが人のためにすることなるということとも読めた帖です。

接木出来るような人民になりなさい。

そう言っているようです。


ひふみ神示 第二十四巻 黄金の巻 第六帖(517) 

昭和二十四年十一月十七日、

旧九月二十七日(1949年) 

天地まぜまぜになったら、まだまだなるのである。

彼れ是れ、何が何だか判らんことになると申してあらうが。

早う神示肚に入れておけよ。

己に逆ふは神に逆ふものぞ。

己拝むは神拝むもの。

キリキリ舞、目の前。

十一月十七日。

ひつ九のか三


(意訳)

天地がまぜまぜになったら、まだまだなるのです。

彼れ是れ、何が何だか判らないことになると云っているでしょう。

早く神示を肚に入れておきなさい。

己に逆らうのは神に逆らうものなのです。

己を拝むのは神を拝むもの。

キリキリ舞、目の前。

十一月十七日。

ひつ九のか三。


(解説)

天地がまぜまぜの時とはどんな時でしょう。

天にいた存在が人民に神がかりすることが多数出る時は、そんな時かも。

それを迎えるとさらに成す、為すことも出るようです。

この辺りはミロクの計画でも核心に入っていくようなことなのかも知れませんね。

岩戸開きに向かっていく状況には、何が何だか判らないことが多多起きるようです。

その状況に対応するためにも神示を早く肚に入れておかなくてはいけないようです。

己に逆らうのは神に逆らうものなのです。

己を拝むのは神を拝むもの

このことは何が何だか判らないことになる過程の中でも、関連するような前振りに感じられるような内容です。

己に逆らう=本心に逆らう?

その奥の魂の命じることに逆らうことなのかも。

何が何だか判らないことになる時、それはキリキリ舞い目前の時のようです。


ひふみ神示 第二十四巻 黄金の巻 第七帖(518)

昭和二十四年十一月十七日、旧九月二十七日(1949年)

今はまだなるやうにして居りて下されよ。

悪いこと通して善くなる仕組、よく心得よ。

神体や神殿が神ではないぞ。

神でもあるぞ。

取違ひ禁物。

鼻高には困る困る。

他の教会は病治して一人でも信者多くつくって立派に教会をつくれば それでよいやうにしてゐるが、この道はそんな所でまごまごさしてはおかれんぞ。

高く光るぞ。

遠くから拝むやうになるぞ。

一切の未来も一切の過去も、【総てが現在ぞ】。

中今ぞ。

このこと判るが善ぢゃ。

神は総てを知っているのぞ。

現在は永遠ぞ。

何処からともなく感じて来るもの尊べよ。

取り次ぎ、信者より曇りひどい。

十一月十七日。


(意訳)

今はまだなるようにして居なさい。

悪い事を通して善くなる仕組みなのです。

よく心得なさい。

神体や神殿が神ではないのです。

しかし神でもあるのです。

取り違いは禁物なのです。

鼻高にはほんとに困りますね。

他の教会は病を治して一人でも信者を多くつくって立派に教会をつくればそれでよいようにしていますが、この道はそんな所でまごまごしてはおかれないのです。

高く光ります。

遠くから拝むようになるのです。

一切の未来も一切の過去も、総てが現在なのです。

中今なのです。

このことが判るのが善なのです。

神は総てを知っているのです。

現在は永遠なのです。

何処からともなく感じて来るものを尊びなさい。

取り次ぎは、信者より曇りが酷いのです。

十一月十七日。


(解説)

今はまだ現状を維持して居なさい。

悪いことを通して善くなる仕組みを心得なさいとあります。

宗教の信者に多少戒めているようです。

いずれ(空が?)高く光り、遠くから拝むようになるようです。

一切の未来も一切の過去も、総てが現在で中今。

これを理解して判るのが善。

過去も未来も今があることで存在する。

存在する理由があるから善なのでしょうか。

神は総てを知っているようです。

どこからともなく感じて来るものを尊ぶようにとありますが、取り次ぎ(解読提供者?)は信者より曇りが酷いようです。

ギャフン。


ひふみ神示 第二十四巻 黄金の巻 第八帖(519) 

昭和二十四年十一月十七日、

旧九月二十七日(1949年)

外にあるもの内にあるぞ。

十一月十七日。


(意訳)

外にあるものは内にあるのです。

十一月十七日。


(解説)

外に欲する状況が出来ているならば、自分の内面にその欲する状況はあるということと取りましたが。


トッチさんのメール

ロックさん、PC故障で、携帯しか使えない不便な状況でお疲れ様です。

こんな見方も有りかと思います。

皆さんは幸福、神を外(書物、宗教、物質など)に求めていますが、幸福は自らの内に求めるものです。

曇っているから気が付かないだけで、神は身魂の内に宿っています。

神懸りになればわかるでしょう。

黄金の巻六帖の、


己に逆らうのは神に逆らうものなのです。

己を拝むのは神を拝むもの。

から解釈してみましたが、どうでしょう。

トルストイは、このように幸福とは何かを捉えていたのですが、結局は真の幸福を得る事無く人生を終えてしまいました。

一般の論説では、トルストイはついに満足を得られる宗教と出会えなかったのだろうと言うようですが、私としては、宗教に解を求めたのが不幸であったと今は考えています。


ロックさんのメール

トッチさん、なるほどですね。

送ってから、前後の帖が宗教や物質のことを暗示してる気はしましたが、解の御用は起の御用みたいな感じですね(^^)

幸せとは何かを知ることはスタートとしても大事なところかもですね。

幸せの認識が中今と離れた所でされていたなら、それは永遠に繁栄することのない、その時が来れば消え去る幸せの元に身を置くことになるんだと思います。

こんな感じで考えてみましたが、少しは自分も判ってるのかなあ(・・?


julaさんのメール

jula です。

こんな感じでどうでしょうか。

己を知り、他を知る、

己自身の理解が進めば、他への理解も進む。

己の欲するところが見えてくれば、己の外にあると思える幸せのようなもの(隣の芝 生は青く見える)を一生懸命追いかける、求める必要が無くなる。

神懸かりは、何事も人任せとしてしまう、基準を外に置く者にはありえません。

先ずは己自身への理解、その己の欲するものの理解を深めなさい。

己を知ろうと身魂を磨く者こそ神懸かれるのです。


トッチさんのメール

トッチです。

体験からの教えって感じで説得力ありますね。


ひふみ神示 第二十四巻 黄金の巻 第九帖(520)

昭和二十四年十一月十七日、

旧九月二十七日(1949年)

この神示に縁あるものには、天使の働き位のこと、すぐに判るミタマ授けあるのに、今の姿は何事ぞ。

ボタン押せよ。

燈台もとへ来て、明るうなると思ひ違ひ、

もとへ来てあかりとなれよ。

光となれよ。

十一月十七日。


(意訳)

この神示に縁がある者には、天使の働き位がどんなものかすぐに判る身魂を授けてあるのに、今の姿は何事ですか。

ボタンを押しなさい。

燈台もとへ来れば明るくなると思い違い、もとへ来て明かりとなりなさい。

光となりなさい。

十一月十七日。


(解説)

燈台を元神に例えた内容でしょうか。

その燈台たる元神の出す働きが気づかないの?

何たる曇りようですか(≧ε≦)と嘆いてる半面、ちゃんと現状を理解して元神のいわんとしていることを照らし出す明かりに光になって下さいと云っていると取りました。


黄金の巻 第10帖 (521)

もう化けては居られん。

化けの世はすんだのであるから、

人民ウソしてはならんぞ。

嘘見分ける鏡与へてあるぞ。

早う改心なされ。

仏の取り次ぎ、キリストの取り次ぎ、天理、金光、大本の取り次ぎさん、

早う改心結構ぞ。

アラーの取り次ぎさん、

道教も同様ぞ。

人間はいつも創られつつあるものぞ。

これでよいと云ふことはないぞ。

ゴッドも仏も神も皆その通りざぞ。

世の中も、大千世界も亦同様ぞ、

つくられつつあるのぞ。

愛と云ひ真と云ふも皆方便ぞ。

何れも誠の現われであるぞ。

はうべんの世はすみてハウベンの世となるぞ。

そのハウベンの世すみて誠の世となるのぢゃ。

善悪なき世となるのぢゃ。

判りたか。

かのととりの日。

一二十(ヒツキノカミ)


(意訳)

もう(憑き物達も)化けては居られません。

化けの世は済んだのですから、人民はウソをしてはなりません。

嘘見分ける鏡を与えてありますよ。

早く改心しなさい。

仏教の取り次ぎ、キリスト教の取り次ぎ、天理、金光、大本の取り次ぎさん、早く改心することは結構なことです。

アラーの取り次ぎさん、

道教も同様です。

人間はいつも創られつつあるものなのです。

これでよいと云うことはないのです。

ゴッドも仏も神も皆その通りです。

世の中も、三千世界もみな同様なのです。

創られつつあるのです。

愛と云い真と云うも皆方便なのです。

何れも誠の現れなのです。

はうべんの世は済んでハウベンの世となるのです。

そのハウベンの世が済んで誠の世になるのです。

善悪が無い世の中になるのです。

判りましたか。

かのととりの日。

一二十。


(解説)

はうべん、ハウベンの使い方は方便とまた違う暗号の雰囲気があります。

神示には、


人民四つん這(ば)ひやら、逆立ちやら、ノタウチに、一時はなるのであるぞ

などの都市攻撃の事態の際にそのような風に臣民がなると記載されています。

はうべん、ハウベンの場合はどうなのでしょう。

はうべんで経済大国として成り上がった日本の世が バブルの崩壊によって済み、アメリカによる搾取がハウベンによって 行われその世が済むと、誠の世になる。

宗教の取り次ぎの 話がたくさん記載されていますので、この世に宗教の取り次ぎが 信者獲得のためのシステムをはうべんで確立したこともあるでしょう。

日本では仏魔がその役目を担い、そして地固めが済んだところで、 キリスト教がハウベンを駆使していろいろしますが、 それらによって善も悪も学べるなら、 獣の方は判らないにしても、ミロクの世の臣民となる方々は、 どのようにしたら良いのか学び取って誠の世を築いて行くのかもしれません。


ルフランさんのメール

ハウベンって聞きますと


ドイツ語の

アウフハウベンaufheben

<高める><保存する>および<否定する>

って言葉が気に成ります。

ここ2週間 頻繁に通っている場所の住所が 狛江市 岩戸北   いわど きた

わたしも ひふみの世界に近づいているのかも知れません


千成の返事

ルフランさんの言われている

アウフハウベンaufheben

が<高める>

の意味だと、


方便で何もわからず低調な知識しか 無かった人々の意識が高まり、誠の世となる

と流れにはまりますね。

また<否定する>だと


方便で間違ったことを教えられていたのを否定して 誠の世となる

となります。

これも、ぴったり、はまっています。

わたしはハウベンで検索したところ マイケル ハウベンという人がネティズンという言葉を創りだしたと載っていました。

ネティズンとはシティズン(市民)から連想して創った言葉で、 簡単に言うと「インターネットを利用する人々」とのことです。


方便で間違ったことを教えられた時代からインターネットで正しい知識を得られる状態になり、そして 正しい知識を得て誠の世となる

これも、結構いけそうです。

でも、いけそうなんだけど、あと一歩何かピントきません。


ロックさんのメール

ロックです。

今日は両親指がマメだらけになったので解読はお休みします。

酉の年も気がつけば八月はすぐそこです。

一年が最近本当に早いです。


はうべんの世からハウベンの世になって誠の世になる。

そんな時代だなって認識するとしたらどれくらいの期間が必要でしょう?

一年、一年、一年の三年間?

カリスマと云われたナポレオン、ヒトラーなどに憑いていたあいつは、民衆を扇動するための「はうべん」は強そうです。

東洋人にかかる“あいつ”が先に出るとすると、次のハウベンを用いるのは?

難しく答えは出ませんね。


千成の返事

ロックさん、PCが故障なので、携帯から解読を一生懸命送られた結果、 親指にマメができましたか!

マメができるほど頑張ってくださっているのですね。

ほんとうにごくろうさまです。


トッチさんのメール

トッチです。

書き忘れていましたので追加します。

何故カタカナにしたうえに「ハウベン」としたのかですが、昔の書き方にする事によって、今の方便の世の元を創った神サタンの存在をほのめかしているのかも。。。


千成の返事

トッチさんの考察は、なんだか、ドンピシャで、いい感じです。


ひふみ神示 第二十四巻 黄金の巻 第十一帖 522

昭和二十四年十一月二十七日、

旧十月八日(1949年) 522

今度の【イワト】びらき、神と人との九十運動ぞ。

建替の守護が大切ぞ。

先づ一筋の天地の道から変へるのぢゃ。

次に人の道つくるのぢゃ。

経と緯であるぞ。

人の道と天地の道と間違へてゐるぞ。

人の道は花色々と咲き乱れ、織り交ぜて、楽し楽しのそれぞれであるぞ。

自分で自分のことしてゐるのであるが、又させられてゐるのであるぞ。

大き自分に融け入ったとて小さい自分無くなって了ふのでないぞ。

神人ぞ。天地ぞと申してあらうが。

善もかりぞ。

悪もかりぞ。

よく心得なされよ。

かのととりの日。

一二十(ヒツキノカミ)

黄金の巻 第011帖 (522)


(意訳)

今度の岩戸開きは神と人との九十運動です。

建て替えの守護が大切です。

先ず一筋の天地の道から変えるのです。

次に人の道を作るのです。

経と緯なのです。

人民は人の道と天地の道と間違えているのです。 (勘違い?)

人の道は花色々と咲き乱れ、織り交ぜて、たのしいたのしいが、それぞれにあります。

自分で自分のことをしているのですが、又させられているのです。

大きい自分に融け入ったとしても小さい自分が無くなってしまうのではありません。

神人なのです。

天地だと云っているでしょう。

善も仮。

悪も仮なのです。

よく心得えなさい。

かのととりの日。

一二十。


(解説)

これまでにつながっていた天地の道というのがありそうで、素直に読むと、その道を変えると読めそうです。

建て替えの守護が天地の道を変えると、もれなくついてくるのか、強化されるのか判りませんが、まずは天地の道を変え
(三千世界としての地球の認識?)
そこから人の道を構築していく。

それが経と緯ということ?

内容的には我々が結界と呼んでいる物のことにも触れている帖とも思いました。

神人とは、善も悪も仮とあるようにこれらが出来た背景を理解した上で永遠に繁栄出来るように導くことが出来るように訓練された人なのかと思いました。


ひふみ神示 第二十四巻 黄金の巻

第十二帖 523  昭和二十四年十一月二十七日、

旧十月八日(1949年) 523

守護神守護神と申してゐるが、

魂の守護神は肉ぞ。

肉の守護神は魂ぞ。

くるくる廻って又始めからぢゃ。

前の始と始が違ふぞ。

皆相談し合ってよきに弥栄えるぞ。

為さねば後悔ぞ。

始めからの神示読めば判るやうに示してあるでないか。

神示読まんから迷ふのぞ。

神は人民の気引くぞ。

神示読めよ。

神示出るぞ。

かのととり。

一二十

黄金の巻 第012帖 (523)


(意訳)

守護神守護神と云っていますが、魂の守護神は肉体です。

肉体の守護神は魂なのです。

くるくる廻って又始めからです。

前の始めと始めが違います。

皆相談しあってよきに永遠に繁栄していくのです。

為さなければ後悔です。

始めからの神示を読めば判るように示しているではないですか。

神示を読まないから迷うのです。

神は人民の気を引きます。

神示を読みなさい。

神示が出ます。

かのととり。

一二十。


(解説)

第十一帖の内容を補足した内容かと思います。

いくつかの始まりになるポイントがあるようですが、その始まりは前の始まりとは違うようです。

くるくる廻っての部分は輪廻転生についても触れているようにも思えます。

解読も入るかも知れません。

一巡二巡三巡と進み、その都度どのような変化があるのかは、楽しみの所です。

神は人民の気を引いているようです。

テレパシーを送っているということかも知れませんね。

神示を読んで気づいた事や考えさせられた内容を考えに考え抜いた答えはある意味、本人にとっては神示だと思います。

 


神示はちっとも違はん。

違ふと思ふことあったら己の心顧みよ。

その心 曇ってゐるのであるぞ。

めぐりあるだけ神がうらめしくなるぞ。

めぐりなくなれば神が有難いのぢゃ。

人間無くて神ばかりでは、

この世のことは出来はせんぞ。

神が人間になって働くのぞ。

判りたか。

新しき神国が生れるまで めぐりばかりがうようよと、

昔のしたことばかり恋しがってゐるが、

そんなこと何時までもつづかんぞ。

三年の苦しみ、

五年もがき、

七年でやっと気のつく人民多いぞ。

皆仲よう相談し合って力合せて進め進め。

弥栄えるぞ。

二つに分れるぞ。

三つに分れるぞ。

分れて元に納まる仕組。

結構結構。

理解大切。

理解結構。

思考しなければ これからは何も出来んぞ。

拝み合ふことは理解し合ふことぞ。

手合せて拝むばかりでは何も判りはせんぞ。

何故に、心の手 合せんのぢゃ。

心の手とは左行く心の手と右行く心の手と和すことぢゃ。

サトルことぢゃ。

苦しんで苦しんで苦しみぬいて得たことは楽に得たことぢゃ。

その楽に得たことのみ自分の身につくのぢゃ。

血ぢゃ。肉ぢゃ。

かのととり。

一二十

黄金の巻 第013帖 (524)


(意訳)

神示はちっとも違いません。

違うと思うことがあったら己の心を顧り見なさい。

その心は曇っているのです。

めぐりあるだけ神がうらめしくなります。

めぐりが無くなれば神が有り難いのです。

人間が無くて神ばかりでは、この世のことは出来はしません。

神が人間に憑衣して働くのです。

判りましたか。

新しい神国が生まれるまでめぐりばかりがうようよと、昔のしたことばかり恋しがっていますが、そんなこと何時までも続きません。

三年の苦しみ、五年もがいて、七年でやっと気のつく人民が多いです。

皆仲良く相談し合って力合わせて進め、進め。

永遠に繁栄しますよ。

二つに分かれます。

三つに分かれます。

分かれて元に納まる仕組み。

大変に結構なことなのです。

理解は大切です。

理解は結構です。

思考しなければこれからは何も出来ません。

拝み合うことは理解し合うことです。

手を合わせて拝むばかりでは何も判りはしません。

何故に心の手を合わせないのですか。

心の手とは左行く心の手と右行く心の手と和すことなのです。

悟ることなのです。

苦しんで苦しみ抜いて得たことは楽に得たことです。

その楽に得たことのみ自分の身につくのです。

それは血です。

肉なのです。

かのととり。

一二十


(解説)

三年の苦しみ、五年もがき、七年でやっと気のつく人民多いぞ、とあります。

他の巻で三年目、五年目、七年目ぞ、とありますのでそれと関連してるのかも知れません。

起点がどの年で云っているのか、1995年からの太陽の活動に関連してるのか、辰の年の2000年からの七年間と関連してるのか、この辺りは経過を見たいと思います。

我田引水的に見ると、2000年の辰の年を起点にここに参集の皆さんの状況が大きく変わっているならば、只今五年目のもがきを体感中でしょうか。

聖書の暗号の2006年も近いですし、もしもなんちゃってハルマゲドンが実現するとなるとそれを越えた時、七年目で気のつくことになるのでしょうか。

二つに分かれます。

三つに分かれます。

分かれて元に納まる仕組み。

これ誰か思い当たることないでしょうか。


ひふみ神示 第二十四巻 黄金の巻 第十四帖 525

昭和二十四年十一月二十七日、

旧十月八日(1949年) 525

しるしはと申してあらう、

なかなかぢゃなあ。

為せ、為せ、為せば成る時ぞ。

為さねば後悔ぞ。

元たてよ。

かのととり。

一つ九十 黄金の巻 第014帖 (525)


(意訳)

しるしはと云っているでしょう。

はなかなかですねえ。

為せ、為せ、為せば為る時です。

為さなければ後悔します。

元を立てなさい。

かのととり。

一つ九十。


(解説)

事象を現すしるしとしてが出てきた時は、これまで為すことが出来なかったことが成る時なのかも知れません。

一つ九十とこの帖はこの巻で多い一二十の表示ではなく、ひつくの神の表示が違います。

読み方がひつくかみでなくひとつこととも読めます。

この巻では九十九十と「こと」を強調してる帖もあります。

関連するならばその内わかることもあるかもしれませんね。


ひふみ神示 第二十四巻 黄金の巻 第十五帖 526

昭和二十四年十一月二十七日、

旧十月八日(1949年) 526

人から見てあれならばと云ふやうになれば、

この方の光出るぢゃ。

行出来ねばお出直し、

お出直し多いなあ。

独断 役には立たんぞ。

イワトびらきの九分九厘でひっくり返り、

又九分九厘でひっくり返る。

天明九十六才七ヵ月、ひらく。

かのととり。

一二十

黄金の巻 第015帖 (526)


(意訳)

人から見てあれならばと云うようになれば、この方ミロクの光が出るのです。

訓練、課題が出来なければ出直しです。

出直しが多いですね。

独断は役には立ちません。

イワト開きの九分九厘で引っくり返り、又九分九厘でひっくり返る。

天明九十六才七ヶ月、開く。

かのととり。

一二十。


(解説)

行=訓練と解釈しましたが、こなせなければ出直しを余儀なくさせられるようです。

内容的にはミロクの手伝いをするミロクの臣民に関する内容でしょうか。

行に関しては皆さんとしっかり相談しなければいけなく、独断は役には立たないと云ってるとも取れました。

年代の指定のようなものが出てきます。

1897年が天明の誕生年ですので1993年もしくは1992年がこの帖曰くの開く年になっているようです。

そこからの九分九厘で引っくり返り、また九分九厘で引っくり返る。

歴史上にこの辺りの年で引っくり返ったと細川政権の誕生、冷夏米騒動、バブルの崩壊からの本格的な就職難、あと二年というひふみでは何らかのキーになっている感のある期間ですが、ミロクの覚醒を二年後に迎えている時期ですね。

現在我田引水ながらも解読を始めて二年目の時期でもあります。

この辺りは皆さんの分析などがありますと、何かはわかるかもしれませんね。

現在ミロクの覚醒した十年目ですが干支が後二年で一周します。

二年は内容から推測した感じで独断で役には立たないかも知れませんが、ひふみが初めて降りたのも太陽が生まれる二年前なので「何だろうな」という感じです。

偶然か気のせいか、人生に対する指針のようなものを見い出したのも太陽さん十四才ということで干支一周に対して二年後になります。


トッチさんのメール

トッチです。

ウィキペディアで1992年の出来事を見てみました。


・4月1日 太陽神戸三井銀行が、さくら銀行に改名。

・4月20日 セビリア万博開幕。

・9月30日 森田洋平博士が日本最初のホームページ公開。

・10月23日 天皇、初の中国訪問。

・11月23日 ビル・クリントン米大統領選に当選。

1991年にはバブルが崩壊し、米騒動は1993年でした。

この頃は異常気象が表面化し、政治経済も転換期でしたね。


ロックさんのメール

ロックです。

トッチさんありがとうございます。

いま黄金の巻に取り掛かってますが、かのととりと締めくくる帖が多いですが、酉の年と関係あるんでしょうかね。

天明96年7ヶ月とは1992年でなくて、1993年の前回の酉年でしょうか。

しまったなあ(^.^)

先にこれに気付いてたら最初から1993年を開くとしたように書いたのに。


トッチさんのメール

トッチです。

ついでですが、1991年は雲仙・普賢岳の火砕流、湾岸戦争、ソ連崩壊。


1993年は奥尻島東方沖地震(M7,8)での奥尻島大津波は衝撃的でした。

2月26日にはニューヨーク貿易センタービル1の地下で爆弾テロがあった

ことも記憶に新しいですね。

今思えば、アメリカ国内でのテロ実験がこの時に行われたのでしょうね。

後にこのビルが消滅する事になろうとは当時、誰が考えたでしょう。

回を重ねるごとにエスカレートするでしょうから、3度目の花火はどれ程のものが用意されている事やら。

ほんとうに、この頃は岩戸開くってドンピシャな時期なのが凄いかも。

おやすみなさい。


ロックさんのメール

ロックです。

昨日(7月31日)になりますが千葉の海岸で雷に人が打たれる事故が発生しましたね。

何気に黄泉の国のイザナミは雷を全身から出してイザナギを追っかけたことを思い出しました。


ロックさんのメール

ロックです。

色んなサインがこの時期に出ているようですね。

ひふみ曰くの子の年を真ん中に前後十年を参考に1996年の子の年が真ん中だとしますと1986年のスペースシャトルチャレンジャー号の爆発事故なんかも何かの実験、民間人を交えて死亡させることによって世間の反応を見たのでしょうか。

こういうことも関連するのかなとか思ったりして。

今回のスペースシャトルディスカバリー号の飛行のこの時期は偶然かひふみ曰くの「十九年ひとめぐり」という内容とかぶりそうです。

ちょっぴり膨らませてみましたが、二年前のコロンビア号が対都市攻撃用の新型レーザーの実験ミッションであったならば、今回は大気圏外の作業をしているディスカバリー号を囮にした周りに飛び交うUFOを打ち落とす実践演習なのかなとも思いました。

86年のチャレンジャー号の爆発による民間への影響のリサーチ、スターウオーズ計画の中でのレーザー兵器開発のための準備期間、コロンビア号を標的に使った人類の出せる最速スピードを用いた機体をロックオンし破壊するレーザー兵器の演習。

兵器の調整をし、推測でありますが、今回のディスカバリー号を使った演習では、動く標的でより速いUFOを打ち落とす訓練のような気がします。

今や瓦にも使われているセラミックの耐熱タイルの実験はいかにもこれ見よがしで胡散臭く感じるのは自分だけでしょうか。

相手は太陽の熱すらびくともしない機体の周りの空間を歪めて機体が損傷しない技術を持っています。

インディペンデンスデイ、宇宙戦争などでの相手方がバリアで無力化し機体を守る設定は判っていた上での設定なのでしょうか。

来年は犬年、2006年です。

アメリカは大統領補佐官でもあったナポレオンヒルの二十年の法則を適用するのでしょうか。

UFOを打ち落とすことが出来れば彼等にとってすれば前進していることになるのかも。

それが出来ることでなんちゃってハルマゲドンの実戦で使いまくって本番に備えるのかも。

地震兵器の話もあるようですが月に対しての作戦の予行練習であるならば彼等の実験によって富士山がその余波で噴火することもあるのかもしれませんね。

阪神大震災は彼等の仕業だったのでしょうか。

推測だらけですが考えてしまいました。


黄金の巻 第十六帖(527)

羹(アツモノ)に懲(コ)りて鱠(ナマス)吹いて御座る人民よ。

慾すてると判って来るぞ。

まことの慾深になれよ。

イロハの勉強とは、日々の生活を神示に合すことぞ。

この中から神示通りのカタ出せよ。

出さねばならんぞ。

判った人程、口静かになるぞ。

天狗が出て来て三日天下、それも御役、

御役御苦労ぢゃなあ。

良けりゃ立ち寄り、悪くなれば立ち去るやうな人民、早う退いて見物して御座れよ。

いつも日和見してゐると気の毒出来るぞ。

神に使はれるのは一通りや二通りの苦労では出来ん。

宗教によるもののみ天国に行くと考へるもの、自分の教会のみ天国に通ずると思ふもの、皆悪の眷族ばかり。

迷ふなよ。

迷ふは慾からぢゃ。

体験と理解のみ財産ぞ。

神示肚に入ったら、それでもうよいぞ。

去りて花咲かせ。

肚に入るまでは去ってはならん。

確か心得よ。

かのととり。

一二十


(意訳)

羹(あつもの)に懲りて鱠(なます)吹いている人民よ。

欲を捨てると判って来るのです。

誠の欲深になりなさい。

イロハの勉強とは、日日の生活を神示に合わせることなのです。

この中から神示通りの型を出しなさい。

出さなければなりません。

何をいわんとしているか判った人程、口静かになります。

天狗が出てきて三日天下、それも御役、御役ご苦労ですね。

良ければ立ち寄り、悪くなれば立ち去る様な人民、早く退いて見物していなさい。

いつも日和見していると気の毒が出来ます。

神に使われるのは一通りや二通りの苦労では出来ません。

宗教によるもののみ天国に行くと考える者、自分の教会のみ天国に通じると思う者、皆悪の眷族ばかり。

迷うなよ。

迷うのは慾からなのです。

体験と理解のみ財産です。

神示が肚に入ったら、それでもういいのです。

去って花を咲かせなさい。

肚に入るまでは去ってはなりません。

確かに心得なさい。

かのととり。

一二十。


(解説)

肚に神示が肚に入ればここを去って良いとあるようですが、ひふみ神示に合わせた生活をして悟ることが出来るまでにどれほどの時間がかかるでしょう。

他の帖で云われている三年目、五年目、七年目ぞ、はこの辺りのことを指しているのかも知れませんね。

ひふみのイロハの生活は様々なタイプの苦労を通じて理解できるようですので、めぐりの中にヒントもあるかも知れませんね。

それぞれの岩戸を開くヒントはめぐりの中にあるのかも。

いつも日和見しているとめぐりの原因から逃げるばかりで何の解決にもならないということもあるでしょうし、最後にそれでゲームオーバーになってしまうのかも知れません。

都市攻撃では逃げても、めぐりはそれまでに逃げずに対処するということは大事なようです。


ひふみ神示 第二十四巻 黄金の巻 第十七帖 528

昭和二十四年十一月二十七日、

旧十月八日(1949年) 528

【神、拝しても筋違ふと水の泡ぞ】。

まだ迷うてゐるが、それでは仕組成就せんぞ。

褌しめて一本道の真心結構。

金がよければ金拝め。

人がよければ人拝めよ。

神がよければ神拝め。

かのととり。

一二十

黄金の巻 第017帖 (528)


(意訳)

神を拝んでも筋が違うと水の泡です。

まだ迷っていますがそれでは仕組みは成就しません。

褌しめて一本道の真心は結構なのです。

金が良ければ金を拝みなさい。

人が良ければ人を拝みなさい。

神が良ければ神を拝みなさい。

かのととり。

一二十。


(解説)

神を拝んでも、そのプロセスを間違うと水の泡となるようです。

第二十三帖には残る一厘は悪の中に隠してあるとありますので、日々臣民が営むどんな仕事でも、ミロクが解く一厘の謎に関わってくるのかも知れませんね。

ある程度そのことが理解できたようなら、褌しめるように気合いを入れてビシッと真心決めて行くのが良いようです。

この辺りの続く三帖は、「依存する」ということを多少戒めているような気がします。

戒の御用は起の御用かも。


黄金の巻 第十八帖 (529)

祈れば祈る程悪うなることあるぞ。

結構な道と判らんか。

心して迷ふでないぞ。

天国の門、貧者富者の別ないぞ。

別ある境界つくるでないぞ。

世界中一度にゆすぶると申してあらう。

釦(ボタン)一つででんぐり返ると申してあること、未だ判らんのか。

神罰はなし。

道は一つ二つと思ふなよ、

無数であるぞ。

(但し内容は一つぞ。)

新しき道拓いてあるに、何故 進まんのぢゃ。

下腹からの怒は怒れ。

胸からの怒は怒るなよ。

昔から無いことするのであるから、取違ひもっともであるなれど、分けるミタマ授けあるぞ。

高い天狗の鼻まげて自分の香 嗅いで見るがよいぞ。

鼻もちならんぞ。

今迄のことちっとも交らん新しき世になるのであるから、守護神殿にも、判らんことするのであるから、世界の民みな一度に改心するやうに、どん詰りには致すのであるなれど、それ迄に一人でも多く、一時も早く、改心さしたいのぢゃ。

気ゆるめたら肉体ゆるむぞ。

後戻りばかりぢゃ。

霊人と語るのは危ないぞ。

気つけくれよ。

人は人と語れよ。

かのととりの日。

一二十


(意訳)

祈れば祈るほど悪くなることがあります。

それは結構な道だと判りませんか。

心してその状況に迷うのではありませんよ。

天国の門は、貧者富者の別はないです。

別のある境界を作るのではありません。

世界中一度にゆすぶると云っているでしょう。

釦一つででんぐり返ると云っていること未だ判りませんか。

神罰はなし。

道は一つ二つと思わないように。

無数にあるのです。

但し内容は一つですが。

新しき道を拓いてあるのに、何故進まないのですか。

下腹からの怒りは怒りなさい。

胸からの怒りは怒らないように。

昔から前例の無いことをするのですから、取り違いはもっともなのですが、分ける身魂授けがありますよ。

高い天狗の鼻を曲げて自分の香りをかいで見なさい。

鼻持ちなりませんよ。

今までのことはちっとも交じらない新しき世になるのです。

守護神にも、判らないことをするのですから世界の民はみな一度に改心するように、どん詰りには致すのですがそれまでに一人でも多く、一時も早く改心させたいのです。

気をゆるめたら肉体がゆるみます。

後戻りばかりです。

霊人と語るのは危ないです。

気をつけなさい。

人は人と語りなさい。

かのととりの日。

一二十。


(解説)

常識では考えられない方法があるようです。

天狗たる自分のことを振り返ることは大事のようです。

次の帖とも絡み合う内容なのでこの辺りで。


ひふみ神示 第二十四巻 黄金の巻 第十九帖 530

昭和二十四年十一月二十七日、

旧十月八日(1949年) 530

己の行 出来て居らんと、人の悪口 云はなならんことになるぞ。

己の心 日々夜々改めねばならん。

心とは身と心のことぞ。

元の活神が直接の、直々の守護を致す時来たぞ。

気つけおくぞ。

国々、所々、村々、家々、皆 何なりとしてめぐりだけの借銭済し致しくれよ。

大峠ぞ。

早合点するなよ。

小さい容れもの間に合はん。

かのととり。

一二十 黄金の巻 第019帖 (530)


(意訳)

己のやるべきことが出来ていないと、人の悪口でその対象に依存しなければいけないようなことになりますよ。

己の心を日々夜々改めなくてはなりません。

心とは身と心のことで心の有り様が身と心に出ること?なのです。

元の活神が直接、直々の守護を致す時が来たのです。

注意しておきますよ。

国々、所々、村々家々、皆さんは何なりとしてめぐりだけの借銭済ましをしてください。

大峠なのです。

ただ早合点はしないように。

小さい理解の足りない容れものは間に合いません。

かのととり。

一二十。


(解説)

自分の行はおざなりにしてはならないようです


黄金の巻 第021帖 (532)

言はれる間はよいぞ。

読まれる間はよいぞ。

綱切れたら沖の舟、

神信じつつ迷信に落ちて御座るぞ。

日本の国のミタマ曇ってゐることひどいぞ。

外国、同様ながら筋通ってゐるぞ。

型にはめると動きないことになるぞ。

型外せと申してあらうが。

自分で自分を監視せよ。

顕斎のみでも迷信、幽斎のみでも迷信、

二つ行っても迷信ぞ。

二つ融け合って生れた一つの正斎を中として顕幽、

両斎を外としてまつるのが大祭りであるぞ。

荒、和、幸、奇、ミタマ統べるのが直日のみたま。

みすまるのたまぞ。

今度は直日のみでなくてはならん。

直日弥栄えて直日月の能(ハタラキ)となるのぞ。

食物 気つけよ。

信仰は感情ぞ。

飢えた人には食物。

神よ勝て。

人間 勝ってはならんぞ。

かのととり。

一二十

使用さされた特殊文字 


(意訳)

言われる間は良いのです。

読まれる間も良いのです。

綱が切れたら波に流されふらふら漂う沖の舟です。

神を信じつつ迷信に落ちているのです。

日本の国のミタマは曇っていることはひどいのです。

外国も同様ですが行うことは御用として筋が通っているのです。

型にはめると=固定概念にはまると動きがないことになるのです。

型を外しなさいと云っているでしょう。

自分で自分を監視しなさい。

顕斎のみでも迷信です。

幽斎のみでも迷信です。

この二つを行っても迷信です。

二つが融け合って生まれた一つの正斎を中として顕幽、両斎を外としてまつるのが大祭りなのです。

荒、和、幸、寄、ミタマを統べるのが直日のみたま。

みすまるのたまなのです。

今度は直日のみでなくてはなりません。

直日は永久に繁栄をして直日月○十の能となるのです。

食物(肚にいただくもの)を気をつけなさい。

信仰は感情です。

飢えた人には食物がいります。

神よ勝ちなさい。

人間が勝ってはいけません。

かのととり。

一二十。


(解説)

何となーくわかりそうな感じの内容です。

しかしまだ痒いところに手が届きそうで届かないもどかしさを覚えます。


ひふみ神示 第二十四巻 黄金の巻 第二十二帖 533

昭和二十四年十一月二十七日、

旧十月八日(1949年) 533

神まつれ、

祖先まつれ、

子孫まつれ、

心まつれ、

言葉まつれ、

行まつれ、

食物まつれ、

着るものまつれ、

住居まつれ、

土地まつれ、

感謝感謝で喜び来るぞ。

奇跡では改心出来んのであるぞ。

かのととりの日。

ひつ九十

黄金の巻 第022帖 (533)


(意訳)

神をまつれ、祖先をまつれ、子孫をまつれ、心をまつれ、言葉をまつれ、行をまつれ、食物をまつれ、着るものをまつれ、住居をまつれ、土地をまつれ、

感謝感謝で喜びが来ます。

奇跡では改心出来ません。

かのととりの日。

ひつ九十


(解説)

まつりとは真通理とする帖が別の巻にあります。

ここに上げたまつる対象への探求をすることで今、ここに生きている自分を知り感謝することが出来るのかもしれません。

そこには奇跡の作業ではなく地道な本人の探求のための作業があります。

そういう姿は神も祖先も子孫も嬉しくなることなのかもしれませんね。

かのととりの日の時節は何かと大変なこともあるようですがその中において、まつる対象を探求し思いをはせる行為は悪くないし理解することも出てくるのではと思いました。


トッチさんのメール

故郷からトッチです。

そうする事で、灰色に曇った身魂が黄金色に輝くのでしょうね。


黄金の巻 第023帖 (534)

この神示読むとミタマ磨けるぞ、

ミガケルぞ。

神示読むと改心出来るぞ。

暮し向きも無理なく結構にヤサカ、

弥栄えるぞ。

まだ判らんのか。

苦しいのは神示読まんからぢゃ。

金の世すみて、キンの世来るぞ。

三年目、五年目、七年目ぢゃ、

心得なされよ。

欲しいもの欲しい時食べよ。

低うなるから流れて来るのぢゃ。

高うなって天狗ではならん道理。

頭下げると流れ来るぞ。

喜び、愛から来るぞ。

神様も神様を拝み、

神の道を聞くのであるぞ。

それはとによって自分のものとなるのぢゃ。

融けるのぢゃ。

一つ境があるぞ。

世界の人民一人一柱 守りの神つけてあるぞ。

人に説くには人がいるぞ。

役員 取違ひしてゐるぞ。

われよし信仰だからぞ。

あまり大き過ぎるから判らんのも道理ながら、

判らんでは済まん時来てゐるぞ。

いざと云ふ時は日頃の真心もの云ふぞ。

付け焼刃は付け焼刃。

神拝むとは、頭ばかり下げることでないぞ。

内の生活することぞ。

内外共でなくてはならん。

残る一厘は悪の中に隠してあるぞ。

かのととり。

一二十

使用さされた特殊文字  


(意訳)

この神示を読むと身魂が磨けます。ミガケルのです(身欠けるとかけていて憑き物が落ちるの意?)。

神示を読むと改心出来ますよ。

暮らし向きも無理なく結構に裏表の意味も含めてヤサカ、永遠に繁栄するのです。

まだ判りませんか。

苦しいのは神示を読まないからです。

金の世が済んで、キンの世が来ます。

三年目、五年目、七年目なのです。

心得なさい。

欲しいものは欲しい時に食べなさい。

低くなるから流れてくるのです。

高くなって天狗ではならない道理。

頭を下げると流れが来るのです。

喜びは愛から来るのです。

神様も神様を拝み(目標とし)神の道を開くのです。

それは によって自分のものになるのです。

融けるのです。

一つ境があるのです。

世界の人民には一人一柱の守りの神をつけてあります(監視、警護のため?)

人に説明をするためには人がいります。

役員は取り違いをしていますよ。

それは我よしな信仰だからですよ。

あまりに話が大き過ぎるら判らないのは道理ですが、判らないでは済まない時が来ています。

いざと云う時は日頃の真心がモノを云います(その蓄積がただ欲するだけの本能だけの獣の状態に対抗すること が出来る?)。

付け焼き刃は付け焼き刃です。

神を拝むとは、頭ばかり下げることではありませんよ。

内の生活をすることなのです。

内外共でなくてはなりません。

残る一厘は悪の中に隠してあるのです。

かのととり。

一二十。


(解説)

一厘に関するヒントが最後に出てきます。

金の世済みてとはバブルに浮いた時代で、キンの世とは外資が貪りつくす今の時代のことでしょうか。

もしくは貨幣に価値を見い出さず、身魂の改心向上に価値を見い出す世のことでしょうか。

それは三年目、五年目、七年目というのがヒントのようにも読めます。

他の巻の帖では三年目、五年目、七年目ぞ、めでたいという内容もありますし、三年目、五年目、七年目で気づく者もあるぞと云う内容もあります。

三年目、五年目、七年目では抽出出来ないでしょうか。

何か身魂を磨くために試される、悟るための学習の意味を込めて悪の御用をしてる方もいるのかと思いました。

内外共の生活とは日常の生活で様々な状況環境から真理を知っていく作業なのかも知れません。

一厘はそうした中で観察していくと悪の中にあることがわかるから気づきなさいということでしょうか。

この鍵はイシヤとしかと手握ることぞと下つ巻でもあります。

この辺りは一厘の追求に大切なようです。

イシヤが接触している企業などのセミナーとか見ると現在マスコミなどが行っている情報操作などによるマインドコントロールを先駆けて行っている印象はあります。

彼らの動向から何かを知ることは出来るかも知れません。

彼らがしていることをミロク側のスタンスでやると強力な洗脳解除にはなるんですよね(これはヤバい発言?)。

それから三年目、五年目、七年目に関する考察をすると、三年目の活動で気づく、五年目で気づく、七年目でやっと気づくとしたら、やっと気づく七年目は都市攻撃の際にそれまでに拾っていたキーワードで目が覚めるということも有り得るかも。

これはサイトに接触したことのある否定論者には当てはまると思います。

今年がその何年目に当たるかはわかりませんが先の記事にあるようにWindows98がワンワールド構想の仕上げのスタートに使われた時期であることが正解なら1998年から、七年目は今年でもありますので、当たっているとすると、悪の御用している方々もかなりせっぱつまっている時勢かも知れませんね。

そうなら本番近しとなりますので遊んでる場合ではないのかも知れません。

この辺りの気づくのシナリオには、今回の総 選挙もあるのかも、選挙の魔物に酔っている人民もたくさんいますし、小泉政権の欺瞞に国民が気づき再編が為されるなら今度は、アジアの国々との連携がなされた時がヤバい時だという神示とも繋がって来る感じがします。

だんだんとたくさんのひふみの中にあるキーワードが形を見せてきているような気もします。


黄金の巻 第24帖 (535)

口で知らすこと判る人には、判るぞ。

大切なことはミミに聞かしてあるぞ。

天狗ざから、軽く見るから分らんのざぞ。

神示はいらんのぢゃ、

ふではカスぢゃぞ。

(テン)を見失ってゐるぞ。

(テン)あるのが判るまい。

云ふてならん。

仕組は出来上がらんと、人民には判らん。

仕上げ見て下され。

立派ぢゃなあ。

【心】で悟りて下されよ。

云ふだけで聞けば実地に出さんでもよいのぢゃ。

実地には出したくないのぢゃ。

この道理、

よく悟りて呉れよ。

実地に出しては人民 可哀さうなから、

こらへこらへてくどう申してゐる内に、

早うさとりて下されよ。

かのととりの日。

一二十

使用された特殊文字 


(意訳)

口で知らすことの意味が判る人には判ります。

大切な事は、耳、身々に体験させて聞かせてあるのです。

天狗になって軽く見るから分からないのです。

神示はいらないのです。

筆はカスなのです。

を見失っています。があるのが判らないでしょう。

云ってはなりません。

仕組みは出来上がらないと人民には判りません。

仕上げを見て下さい。

立派ですよ。

心で悟って下さい。

云うだけで聞くなら実地に出さなくても良いのです。

実地には出したくないのです。

この道理をよく悟って下さい。

実地に出しては人民は可哀想だから、堪え堪えてくどく言っている中に、早く悟って下さい。

かのととりの日。

一二十。


(解説)

気づいていないこともまだまだ(臣民を含む)人民にはありそうです。

前後の帖は役員にも注意を促している内容になりますので、ここで云わんとしていることを心で悟れるように過去を振り返り反省したりこれからをどう進めて行くかを考えることは大事なのだと思います。

神示はいらないのです。

筆はカスなのです。

とあります。この辺りは岡本天明氏も周りから神示をせっつかれての事情もあるのでしょうか。

そうした見える物をせっつく前に日頃の生活から何を云われようとしているのか考え考察し生活に反映させていくことが必要とはこの内容を見て取りましたが果たして。


ひふみ神示 第二十四巻 黄金の巻 第二十五帖 536

昭和二十四年十一月二十七日、

旧十月八日(1949年) 536

こんなになったのも この方等が我が強過ぎたからであるぞ。

我出すなと申してあろう。

この度のイワト開きに使ふ身魂は、

我の強い者ばかりが、

めぐりだけのこと償って、

償ふことぞ。

天地かもう神でも我出せんことであるぞ。

神々様も懺悔して御座るぞ。

まして人民。

てんかいしん まだまだのまだであるぞ。

かのととりの日。

一二十

黄金の巻 第025帖 (536)


(意訳)

こんな事になったのもこの方ミロク等の我が強すぎたからなのです。

我を出すなと云っているでしょう。

この度の岩戸開きに使う身魂は、我の強い者ばかりが、めぐりだけのことを償って償うことなのです。

天地を構う神でも我を出せないことなのです。

神々様も懺悔しています。

まして人民。

てん改心まだまだのまだです。

かのととりの日。

一二十


(解説)

ミロク等の我が強すぎたのが今回の事態を招いたようですが、その辺りのシナリオをミロクが思い出すことや理解することは一厘と関係ないのでしょうか。

めぐりは今の本人の趣向や趣味性格などと関係あるかも。

例えば現在めぐりを償っているのならば、過去世では得意であったことなどはできないように施されていることで償っているのかも知れませんね。

神々様も懺悔されている様です。

人民も陰の御用をしていた岡本天明も改心まだまだのようです。


黄金の巻 第026帖 (537)

与へてあるのに何故手出さぬ。

よりよき教に変るのは宗祖のよろこぶこと位 判るであらう。

うまいこと申して人集めると、

うまいこと申して人が去るのであるぞ。

二四(ニシ)と一ケ四(ヒガシ)に宮建てよ。

建てる時近づいたぞ。

間に合ふ守護神 九分通り悪になってゐるぞ。

経には差別あるぞ。

緯は無差別ぞ。

この道理判らねば一列一平とならん。

金欲しい者には金もうけさしてやれよ。

欲しいもの与へてやれよ。

人間心、神心、逆様ぢゃ。

与へることは戴くこと。

まだ判らんか。

皆何も天国に行くやうになってゐるではないか。

この世でも天国、

あの世でも天国、

目出度いなあ。

地獄説く宗教は亡びるぞ。

地獄と思ふもの、

地獄つくって地獄に住むぞ。

地獄はげしくなるぞ。

人間の力だけでは、

これからは何も出来ん。

アカの世からキの世になるぞ。

世は、七度の大変りと知らしてあらう。

二(ツギ)の世はキの世。

口静かせよ。

かのととり。

一二十


(意訳)

与えてあるのに何故手を出さないのですか。

よりよい教えに変わるのは宗祖の喜ぶこと位判るでしょう。

うまいことを言って人を集めるとうまいことを言って人が去るのです。

西と東に宮を建てなさい。

建てる時が近付きましたよ。

間に合う守護神は九分通り悪になっているのです。

経(人類の認識?)には差別があります。

緯(神の認識?)は無差別です。

この道理が判らなければ一列一平となりません。

金が欲しい者には金儲けをさせてやれよ。

欲しいものを与えてやりなさい。

人間心、神心、これらは人類の認識と比べると逆さまです。

与えることは戴くことです。

まだ判りませんか。

皆さん何も天国に行くようになっているではないですか。

この世でも天国、あの世でも天国、目出度いですね。

地獄を説く宗教は亡びます。

地獄と思うもの、地獄を作って地獄に住みます。

作り出している地獄は激しくなります。

人間の力だけでは、これからは何も出来ません。

アカ(垢)の世からキ(喜)の世になるのです。

世は七度の大変わりと知らせてあるでしょう。

次の世は気の世。

口静かにしなさい。

かのととり。

一二十


(解説)

西と東に宮建てよとは神かかりした存在をアメリカと日本に置くとか(・・?

現状の獣が上に立つ世の中では改心が間に合う守護神すら九分通り悪になっている模様です。

この時節にお金儲けをしたい方も御用なのかも知れません。

望む所へ着地するわけですから地獄はないようですが本来無い地獄を作り出す宗教は大変なようです。

七度の大変わりとありますが唐突に出てきます。

わかりません^^;


トッチさんのメール

トッチです。

ロックさん、お疲れ様です。

「西と東に宮を建てなさい」

ですけど、地図上では東西は横の繋がりですので、そこから考えますと、


西と東は人と人の繋がり、または“人から人へ”といった意味でしょうか。

または、この世界の両極、一方だけでは片輪なので、もう一方にも宮を建てる事は必要ですよみたいな。


北と南ですと、神から人間までといった縦の関係にあたるのかも。

神示に北と南があったかどうかは忘れましたけど。。 。

なんかしっくりと纏まりませんが、思い付きです。


ロックさんのメール

ロックです。

トッチさん神示に北と南は宝で出てきますね。


北と南の宝に対して西と東のなんとやらですが人と人、人から人へ伝達する

という感じでしょうか。


ひふみ神示 第二十四巻 黄金の巻 第二十七帖 538

昭和二十四年十一月二十七日、

旧十月八日(1949年) 538

何故、喜び受けぬのぢゃ。

宗教は無くなって了ふぞ。

誠光るのぢゃ。

光のマコトの宗教生れるのぢゃ。

その時は宗教でないぞ。

心得なされよ。

かしはでとカシハデと二つあるぞ。

拍手はちかひとチカヒのしるし。

手摺(す)るのは願ひのしるし。

かのととり。

一二十

黄金の巻 第027帖 (538)


(意訳)

何故喜びを受けないのですか。

宗教は無くなってしまうのです。

誠が光るのです。

光の誠、真の宗教が生まれるのです。

生まれるその時は戦争マシーンのような現在の宗教ではありません。

心得てください。

柏手とカシハデと二つあります。

拍手は誓いとチカイの印。

手握る?のは願いの印。

かのととり。

一二十


(解説)

拍手にも違いがあるようです。

拍手の数も現在の神道の物とひふみの物では違います。

宗教は無くなると述べていますし、一方で光の誠・真の宗教が生まれるとありますので、神サタンまたは神ミロクへの誓いをそれぞれとする流れが二つあるということかも。

願いの印とはどう解釈すべきでしょう。



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