良い宇宙人と悪い宇宙人,宇宙の真相, The Earth is Controlled by Evil Alien


NO4211 


碧玉の巻第01帖(016)・ 第02帖(017)・第03帖(018)・第04帖(019) ・第06帖(021)・第07帖(022)・第08帖(023) ・第09帖(024) 


ロックさんのメール

ロックです。

“碧玉の巻”に進みます。


碧玉の巻第01帖(016)

反対の世界と合流する時、平面の上でやろうとすれば濁るばかりぢゃ、

合流するには、立体でやらねばならん、

立体となれば反対が反対でなくなるぞ、

立体から複立体に、

複々立体に、

立立体にと申してあろう、

漸次(ぜんじ)輪を大きく、

広く、深く進めて行かねばならんぞ、

それが岩戸ひらきぢゃ、

低い世界は戒律なくてはならんぞ、

人民の頭で、戒律と秩序、法則をゴッチャにして御座るぞ、

平面と立体とをゴッチャにするのと同じ迷ひの道であるぞ、

気つけ下されよ。

病むことは神から白紙の巻物をもらったことぢゃ、

この巻物をどんなに読みとるかによって新しき道がひらけるのぢゃ。

神からの巻物おろそかにするでないぞ。


■平易意訳■

反対の世界と合流する時に、平面(現実界の知識のみ)の上でやろうとすれば濁るばかりです。

合流するには、立体で行わなくてはなりません。

立体となれば反対が反対でなくなります。

立体から複立体に、複々立体に、立立体にと云っているでしょう。

漸次輪を大きく、広く、深く進めて行かなくてはいけませんよ。

それが岩戸開きなのです。

低い世界は戒律がなくてはなりません。

人民の頭で、戒律と秩序、法則をゴッチャにしています。

それは平面と立体とをゴッチャにするのと同じ迷いの道なのです。

気をつけてください。

病むことは神から白紙の巻物をもらったのです。

この巻物をどう読み取るかによって新しい道が開けるのです。

神からの巻物をおろそかにするでありませんよ。

反対の世界とは、この場合、善と悪でしょうか。

立体で抱き参らせるなどの行動が伴えば合流が出来ると取ってみました。

立体となれば、善に対する悪が悪でなくなります。

悪に対する善が善でなくなります?

善と悪を超越したした向こうに複立体〜と続く世界があるようですね。

その世界への探求を進めることも岩戸開きと取りました。

この現実界は極めて低い世界であるのかも知れませんね。

だから宇宙での標準になる法則もその深いところは何も知らないが故に戒律がいるのかもとも思いました。

この地球劇場における戒律の基本を作ったのはサタンだと思います。

サタンの創ったものとはいえ、その中に真理のようなものは多数あるのかも知れませんね。

人民の私には、戒律と秩序、法則はごっちゃになっていて迷いの道に入り込んでいるようです。

「唐突に病むことは、神からの白紙の巻物をもらったのです」

と出てきます。

この巻物の読み方には、立体から複立体〜へと続くキーのようなものがあるのかも知れませんね。

この神示の内容は、読み進めていくだけでも、疑問のようなもの、自らの反省を促されるものなどがわいて来ます。

解読を進めていく際には、解読と並行して、自らの現在や過去を振り返りながらの作業が出てきますので、いろいろと 考えさせられます。


■平易意訳■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

善・天使と悪・悪魔の世界などの反対の世界と合流する時、地上の平面の上でやろうとすれば、混乱して分けが分からなくなり濁るばかりです。

合流するには立体でやらねばなりません。

立体となれば、反対が反対でなくなるのです。

立体から複立体に、複々立体に、立立体にと説明してあります。

漸次(ぜんじ)、輪を大きく、広く、深く、進めて行かねばなりません。

それが岩戸開きと云うものです。

低い水準の世界は戒律がなくてはなりません。

人民の頭は戒律と秩序、法則をゴッチャにしています。

平面と立体とをゴッチャにするのと同じ「迷いの道」です。

気つけ下さい。

病むことは神から白紙の巻物をもらったことです。

この巻物をどんなに読みとるかによって新しき道が開けるのです。

神からの巻物を疎かにしてはいけません。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

反対の世界と合流する時は、平面の上でやろうとすれば濁るばかりです。

合流するには立体でなければなりません。

立体となれば反対が反対でなくなります。

立体から複立体に、複複立体に、立立体にと言ってるでしょう。

漸次(ぜんじ)輪を大きく、広く、深く進めて行かなければなりませんよ。

それが岩戸開きです。

低い世界は戒律が無くてはいけませんよ。

人民の頭で戒律と秩序、法則をゴッチャにしていますよ。

平面と立体をゴッチャにするのと同じ迷いの道ですよ。

気をつけて下さいよ。

病むのは神から白紙の巻物をもらった事です。

この巻物をどの様に読み取るかによって新しい道が開けるのです。

神からの巻物をおろそかにしてはいけませんよ。


■解説と補足説明■

ロックさんの解釈 :(一巡目)

『 反対の世界と合流する時、平面の上でやろうとすれば濁るばかりぢゃ、合流するには、立体でやらねばならん、立体となれば反対が反対でなくなるぞ、立体から複立体に、複々立体に、立立体にと申してあろう 』

これらの解釈が追いつきません。

ただ、この世界と違う世界と連携して物事を行わなければいけないと言うような主旨を述べているような気はしました。

太陽の補足をお願いしたい所です。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

悪は殺すのではなく抱かなければならないと他の神示にありますので、「反対の世界と合流する」とは、善と悪、表と裏、プラスとマイナス、陰と陽を一つに内包する事のようです。

そして、この世的感覚、理屈に頼っていたのでは神の真理は見えないと言う意味で、

「平面の上でやろうとすれば濁るばかりです。」

となるのでしょう。

合流するには人間の霊が元の元の神にまで通じていることを理屈ではなく、魂の奥深くハラで判っていなければいけません。

それが

「合流するには立体でなければなりません。」

と言う事に思えます。

「立体から複立体に、複複立体に、立立体にと言ってるでしょう。」

は、その深さと複雑さを表しているのでしょう。

戒律とは、自発的に守るべき戒です。

それを秩序や法則とゴッチャにしていると言ってます。

低い世界で必要なのは法律による外的戒めではなく、自身自らの戒めが必要と言う意味でしょうか。

それが改心に繋がるのでしょう。

白紙の巻物をどの様に読むかは本人次第ですね。


碧玉の巻第02帖(017)

気の合う者のみで和して御座るなれど、

それでは和にならんと知らしてあろうがな、

今度は合わんものと合せるのぢゃ、

岩戸がひらけたから、さかさまのものが出て来てゐるのぢゃ、

この行(ぎょう)、中々であるなれど、これが出来ねば岩戸はひらけんのぢゃ、

マコトの神さえ魔神のワナにかかって御座るのぢゃ、

人民がだまされるのも無理ないようなれど、

だまされてゐては今度の御用は成就せんぞ。

自分自身にだまされてゐる人民も多いのであるが、ついて御座れよ、

少しは苦しき行もあるなれど見事なことを致して御目にかけるぞ、

自分でもビックリぢゃ、

はじめからの神示よく読んで下されよ、

霊かかりよろしくないぞ、

やめて下されと申してあろう。


■平易意訳■

気の合う者のみで和していますが、それでは和にならないと知らせてあるでしょう。

今度は本来相容れない者と合わせるのです。

岩戸が開けたから、逆様のものが出てくるのです。

この行は中々ですが、これが出来なければ岩戸は開けないのです。

真・誠の神さえ魔神の罠にかかっているのです。

人民が騙されるのも無理ないようですが騙されていては今度の御用は成就しません。

自分自身に騙されている人民も多いのでありますが、ついて来てみなさい。

少しは苦しい行もありますが見事なことを致してお目にかけますよ。

自分でもビックリです。

初めからの神示よく読みなさい。

霊かかりはよろしくないですよ。

やめてくださいと云っているでしょう。

サイトにメールを出される方がたもいろんなタイプの方が居ますので、どんな意見であれ包括して導き出そうとする姿勢なども必要な時期なのかも知れません。

ひふみ曰くの「この鍵はイシヤと手を握ること」にも通じる内容ですね。

岡本天明氏はフーチで神懸りの作業もされていたようですので、もしかしたら我々がこれまでの検証作業で得たような教訓も味わっていたのかな?とも多少思います。


■平易意訳■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

人民は気の合う者のみで和していますが、それでは和になりません。

今度は合わん善・天使と悪・悪魔と合せるのです。

岩戸が開けたから、逆さまのものが出て来てくるのです。

この修行(ぎょう)、中々に困難で難しいのですが、これが出来ないと岩戸は開けないのです。

「真・誠の神」さえ魔神の罠にかかっているのです。

人民が騙されるのも無理はないのですが、騙されていては今度の御用は成就しないのです。

自分自身に騙されている人民も多いのです。

神について来なさい。

少しは苦しき修行もありますが、たいそうに見事なことを致して御目にかけます。

自分でもビックリです。

始めからの神示をよく読んで下さい。

霊懸かりは良くないです。

霊懸かりは止めなさい。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

気の合う者のみで和していますが、それでは和にならないと知らせてあるでしょう。

今度は合わない者と合わせるのです。

岩戸が開けたから逆さまのものが出てくるのです。

この行(ぎょう)は中々ですが、これが出来なければ岩戸は開けないのです。

マコトの神さえ魔神の罠にかかっていますよ。

人民が騙されるのも無理はありませんが、騙されていては今度の御用は成就しません。

自分自身に騙されている人民も多いのですが、ついて来て下さい。

少しは苦しい行もありますが見事な事を致してお目にかけますよ。

自分でもビックリです。

始めからの神示をよく読んで下さいよ。

霊かかりはよくありません。

止めて下さいと言っているでしょう。


■解説と補足説明■

ロックさんの解釈 :(一巡目)

魔神が出てくる大事な内容かと思います。

『 気の合う者のみで和して御座るなれど、それでは和にならんと知らしてあろうがな、今度は合わんものと合せるのぢゃ、岩戸がひらけたから、さかさまのものが出て来てゐるのぢゃ、この行(ぎょう)、中々であるなれど、これが出来ねば岩戸はひらけんのぢゃ 』

これは、大きい範囲で見ると、太陽に協力している方々の活動と反対のことをしている方々、もしくは、ひふみ神示を取り上げている方々との合力する時が女王の出現によってなされるのかもしれませんね。

宗教を信仰している方とサイトの主旨に賛同できる方は全く逆のタイプです。

それが合うと考えるといいのかも知れませんね。

50億人を救済するという行動ならば、容易にあり得る事かと考えます。

『マコトの神さえ魔神のワナにかかって御座るのぢゃ、人民がだまされるのも無理ないようなれど、だまされてゐては今度の御用は成就せんぞ。』

誠の神(ひふみの神の子)さえ魔神(サタン)の巧妙な罠にかかっています。

人間がだまされるのも無理もないのですが、騙されていては今度の御用は成就しません。

すごい課題のようです。

この場合、人間の太陽が騙されていては今度の御用が成就しないのか、人間が騙されていては今度の御用が成就しないのか、どちらなんでしょう。

解釈が困る所です。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

人はそれぞれ同じ指向性を持つ者同士で和を形成していますが、それでは本当の和になりません。

今度は違う思想や立場の人とも合わせるのです。

岩戸が開けたのですから(改心が進んだのですから)、それらの人も広い心で包み込む事になるのです。

この行いは簡単な事ではありませんが、これが出来なければ岩戸は開けないのです。

ミロクでさえ検証作業、サイトの運営に障害になる人は遠ざけてきましたので、それを見ていた普通の人がそうなるのは無理もありませんが、意識を改めなければ今度の御用は成就しません。

自分にはミロクの仕組みはまだまだ判っていないと自信のない人もいますが、ついて来て下さい。

少しは苦しい行もありますが見事な事を致してお目にかけますよ。

自分でもビックリしますよ。

その為には始めからの神示をよく読んで下さいよ。

必要なのは心磨き、改心による神かかりであり、霊かかりではありません。

偶像崇拝や奇跡など、変な神秘主義に走るのは止めて下さいと言っているのです。


碧玉の巻第03帖(018)

生命の樹、生命の水を間違へて下さるなよ。

樹とはキであるぞ、水とは道であるぞ、樹と水にたとへてあるを、そのままにとるから、囚われた迷信となるのぢゃ。


■平易意訳■

生命の樹、生命の水を間違えないで下さい。

樹とはキであるぞ。

水とは道です。

樹と水に例えてあるのを、そのままに取るから、囚われた迷信になるのです。

囚われた迷信となるという部分は、ユダヤのカバラの生命の樹とするなと暗に02帖の内容の霊懸かりやめてくだされよの内容に含まれそうな、偶像崇拝とか其の他諸々の内容を示していそうで気になりました。

樹とはキであるぞ、水とは道であるぞ

木は中から育つという内容があったかと思いますがその関連?

樹とは根幹に通じるキ(起?)

生命の起、、、

水は道、水は万物に与える道?

生命の道、、、

ミロクに関する内容かな?

第04帖がスサノオのことなので。


■平易意訳■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

「生命の樹」と「生命の水」を間違えないようにしてください。

樹とは「キ」です。

水とは「道」です。

樹と水に例えてあるのを、素直にそのままに受け取るから、囚われた迷信となるのです。

ロックさんの解釈 :(一巡目)

生命の樹、生命の水を間違い様にしてください。

樹とはキです、

水とは道です、

樹と水に例えてあるのを、そのままにとるから、囚われた迷信となるのです。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

生命の樹、生命の水を間違えないで下さいよ。

樹とは「キ」ですよ。

水とは道ですよ。

樹と水に例えているのを、そのままに取るから囚われた迷信となるのです。


■解説と補足説明■

ロックさんの解釈 :(一巡目)

これは、大きいヒントのようですね。

日本の神話などの記述もそのままとるのではなく、何かに置き換える必要があるかもしれません。

『樹とはキであるぞ、水とは道であるぞ』

ノアの大洪水の進路でしょうか?

樹は水を根から吸い取りますね!!!

ストローだ!!

となると道は、、、

マントル層の間にある隙間のことでしょうか。

これはこれは、太陽さんの解説がいただきたいところです。

樹がストローとするなら、樹は光合成をしますので、その辺りのエネルギーが爆縮理論の何かに例えられませんでしょうか。

太陽光が樹にエネルギーをやり、力を入れた樹がそれによって水を吸い取る、

森林伐採なども世界各国で頻繁に行ってますが、山くずれなどは樹が水を吸い取ることで防いでいることもあるのですよね。

素人考えですが、地表がグレンとひっくり返るなら、シーソーのように、廻る方向に重りを重くすれば廻りませんでしょうか。

まあ、マントル層は200km間隔で三層ですから、地表の変化くらいは屁でもないかもしれませんが。

この場合は、北極南極の氷のバランスでしょうか?

北はロシアなので、結構開発は進んでいると思いますが、南極の方は、オーストラリアがどかんとあって、住んでる人も北にくらべると多分少ないですね。

アメリカの人たちが諸世紀ではアフリカに逃げると言う記述もあります。

これらも気になります。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

聖書でも神示でもそうなのですが、書いてある文章を額面どうりに読んで信じるから真実が見えないのです。

文字の奥に隠された真意を読まなければなりません。


碧玉の巻 第04帖(868)

真の懺悔(ざんげ)は正法をおさむることであるぞ、

掃除することであるぞ。

先づ御(おさ)め、

次に治(おさ)め、

次に知(おさ)めねばならんぞ、

素盞鳴(スサナル)の大神は先づ滄海原を御め給ひ、

更に蒼海之原を治め給ひ、

次に天下(あめのした)を知め給うたのであるぞ。

素盞鳴の大神が悪神とうつるのは悪がそなたの中にあるからであるぞ。


■平易意訳■

真の懺悔は正法を修めることです。

掃除することなのです。

先ず御め、次に治め、次に知めねばなりません。

素盞鳴の大神は先ず滄海原を御めます、更に蒼海之原を治め、次に天下(あめのした)を知めるのです。

素盞鳴の大神が悪神と映るのは悪がそなたの中にあるからなのです。

スサノオの大神が悪神と映るのは、神話で改ざんされた03帖曰くの作り上げられた迷信を信じてしまっている=サタンの洗脳から覚めていない?囚われている?ということ?


■平易意訳■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

真の懺悔(ざんげ)は正法を修めることです。

そなたの身魂を掃除することです。

先づ、御(おさ)め、次に治(おさ)め、次に知(おさ)め、をしなければなりません。

素盞鳴(スサナル)の大神は先づ滄海原を御めます、更に蒼海之原を治めます、次に天下(あめのした)を知めます。

素盞鳴の大神が悪神と映るは悪がそなたの中にあるからです。

ロックさんの解釈 :(一巡目)

真の懺悔は正法を治めることであるぞ、

掃除することであるぞ。

先ず御め、次に治め、次に知らねばならんぞ。

サタンは、海の基礎を構築し、更に海を改良し、次に天下(あめのした)地表の下を研究し、細工したのです。

サタンが悪神とうつるのは悪があなたの中にあるからです。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

真の懺悔は正法をおさめる事です。

掃除をする事です。

先づ御(おさ)め、次に治(おさ)め、次に知(おさ)めなければなりませんよ。

素盞鳴(スサナル)の大神は先づ滄海原を御め給い、更に蒼海之原を治め給い、次に天下(あめのした)を知め給うたのです。

素盞鳴の大神が悪神と映るのは悪があなたの中にあるからなのです。


■解説と補足説明■

ロックさんの解釈 :(一巡目)

これは、最後の行から、スサノオの話に絡めて、太陽のノアの大洪水の解明への流れを説明しているかもしれませんね。

太陽の解明への道のりにすると、先ず滄海原がひっくり返るイメージが来て、次に蒼海之原(もっと広範囲)に理解を深め、次に天下の状況(サタンによる地球劇場)を知ることになったという感じになるかも知れません。

"スサノオ" = サタンの一方的な使い方だけでなく、ひねらなければいけないような意味が感じられる内容です。


そうかい さう― 0 【▼滄海/蒼海】

あおい海。

あおうなばら。

――の一粟(いちぞく) 〔蘇軾「前赤壁賦」〕

(1)大海の中の一粒の粟(あわ)。

広大なものの中のきわめて小さいもののたとえ。

大海の一粟。

(2)宇宙における人間の存在のはかないことのたとえ。

――変じて桑田(そうでん)となる

〔儲光羲の詩「献二八舅東帰一」より〕青海原が桑畑に変わるように、世の中の移り変わりが激しいこと。

桑田変じて滄海となる。

滄海桑田。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

真の懺悔とは、ただ謝って反省する事ではありません。

正法をおさめることです。

まず慢心をなくし、次に心を真理を理解に努め、次にミロクの真理をキモに入れるのです。

素盞鳴(スサナル)の大神は先づ滄海原を御め給い、更に蒼海之原を治め給い、次に天下(あめのした)を知め給うたのです。

素盞鳴の大神が悪神と映るのは悪があなたの中にあるからなのです。


julaさんのメール

jula です。

こんな感じではいかがでしょうか?


真の懺悔(ざんげ)は正法をおさむることであるぞ、

掃除することであるぞ。

先づ御(おさ)め、

次に治(おさ)め、

次に知(おさ)めねばならんぞ、 素盞鳴(スサナル)の大神は先づ滄海原を御め給ひ、 更に蒼海之原を治め給ひ、 次に天下(あめのした)を知め給うたのであるぞ。

素盞鳴の大神が悪神とうつるのは悪がそなたの中にあるからであるぞ。

真の懺悔は嘆き悔い改める事ではありません。

正しい法(方法、法則)をおさめる(習得・修得?する)事です。

御魂磨き、めぐりとりをして、現界の常識を綺麗さっぱり洗い流す事から始まるのです。

素盞鳴(スサナル)の大神は先づ滄海原をならして形、形態にして、

更に蒼海之原を原理、一定の働きを与え

次に天下(あめのした)を、それがなんであるのかわかるよう、理解できるように(分類?)したのです。

素盞鳴の大神が悪神とうつるのは悪がそなたの中にあるからであるぞ。

善の神、悪の神と分類して悪神であるとうつるのは悪という概念があるからこそそう思えるのです。

(でも実際には必要であるからこそあるのですよ)


ロックさんのメール

ロックです。

julaさんこんばんは。

すっきりしてわかりやすくなった感じです。

めぐり取りをした上で現界の常識を洗い流す際の気持の上での摩擦などが対応の難しいところですね。

常識外れなことをして社会から弾き出されることではないでしょうから(^^)

多分そこで善と悪を引き合いに出して、もめてしまうこともめぐり取りのようで、一回で気づく方もいれば百回聞いて気づく方もいるでしょうし、千回聞いても分からない方も。

出てくる結果は人それぞれで無駄はないのかなと思うようになってきました。

そのジタバタの蓄積で得た物が正法なのかなと思いました。

正しい方法も法則も、検証するからこそわかることですね。

これ、でもjulaさんのこの解読は、シンプルですごいですよ。

真の懺悔は言い換えるなら正法を見つけるために検証し、ひとつづつ身に付けていくこととするならば、地球劇場で育てられた人類に期待をかける意思も感じられます。


ロックさんのメール

ロックです。

隙間時間に一つでも、、、


碧玉の巻第06帖(021)

わざわひと言ふものは無いのであるぞ、

光をわすれ、光にそむくから、イヤな事がおこるのぢゃ、

影がさすのぢゃ、

禍とか悲しみとか言ふ くらい(暗い)ものがないのがマコトであるぞ、

中心は無と申してあろう。

中心は見えんから、判らんから、外のカスばかり見てゐるからつまらんことで、つまらんことが起ってくるのぞ、

その見えぬ力が永遠の生命と現われるのであるぞ、

見えるものは有限ぢゃ。

この世の大泥棒をタカヤマぢゃと申して、この世を自由にさせておいてよいのか、

元の元の元をよく見極め、

中の中の中の見えぬものを掴(つか)まねばならんぞ、

そこから正さねば外側からばかり清めても何もならん。


■平易意訳■

災いと言うものは無いのです、

光を忘れ、光に背くから、イヤな事が起こるのです、

影がさすのです、

禍とか悲しみとか言うくらい(暗い)ものがないのが真・誠なのです、

中心は無と云っているでしょう。

中心は見えないから、判らないから、外のカスばかり見ているからつまならないことでつまらないことが起ってくるのです、

その見えない力が永遠の生命と現われるのです、

見えるものは有限なのです。

この世の大泥棒を高山だと云い、この世を自由にさせておいて良いのですか、

元の元の元をよく見極め、中の中の中の見えないものを掴(つか)まねばなりません、

そこから正さねば外側からばかり清めても何もなりません。

表向きには、嫌な内容に聞こえることも実は、本人のためになるような話だったりすることがあります。

この世の大泥棒=支配層や宗教教祖などに該当するかと。

元の元の元の存在の意図を掴む事が中の中の中の見えないものを掴む事に繋がる?

見えるものだけでは何も掴めないようです。


■平易意訳■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

災いと言うものは無いのです。

光を忘れ、光に背くから、イヤな事が起きるし、影がさすのです。

禍とか悲しみとか言う暗い(暗い)ものが無いのが誠・真です。

中心は無です。

中心は見えませんし、判りません。

ですから、外のカス滓ばかり見てしまい、つまらんことで、つまらんことが起って来るのです。

その見えない力が永遠の生命と現われるのです。

見えるものは有限です。

この世の大泥棒を高山と云って、この世を自由にさせておいてよいのですか。

元の元の元をよく見極め、中の中の中の見えないものを掴(つか)まねばなりません。

そこから正さねば、外側からばかり清めても何もなりません。

ロックさんの解釈 :(一巡目)

災いというものは無いのです、

光を忘れ、光に背くから、嫌な事が起こるのです。

影が差すのです、

渦?とか悲しみとか言う暗いものが無いのが誠(真)なのです。

中心は無と伝えてあるでしょう。

中心は見えないから、判らないから、外のカスばかり見ているからつまらんことで、つまらんことが起きてくるのです、

その見えない力が永遠の生命と現われるのです、

見えるものは有限です。

この世の大泥棒を高山だと申して、この世を自由にさせてよいのか、

元の元の元を見極め、中の中の中の見えぬものを掴まねばなりません。

そこから正さないと外側ばかり清めても何もなりません。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

災いというものは無いのですよ。

光を忘れ、光にそむくから嫌な事が起こるのです。

影がさすのです。

過ちとか悲しみとか言うくらい暗いものが無いのがマコトなのです。

中心は無と言っているでしょう。

中心は見えないから、判らないから、外のカスばかり見ているからつまらない事で、つまらない事が起こってくるのです。

その見えない力が永遠の生命として現れるのです。

見えるのは有限です。

この世の大泥棒をタカヤマだと言って、この世を自由にさせておいて良いのか、元の元の元をよく見極めて、中の中の中の見えないものを掴まなければなりませんよ。

そこから正さなければ、外側からばかり清めても何にもなりません。


■解説と補足説明■

ロックさんの解釈 :(一巡目)

確かにこの世界の善悪の基準に囚われると争いの種になりますね。

『 中心は無と伝えてあるでしょう。』

台風の目などは中心は穏やかな物です。

もしかして、暗にユダヤのことや崇教真光のこと言っているのでしょうか?

タカヤマ高山なんて、ユダヤのマークがバーンと飾ってありますが彼等の紋章には、、、

『 中の中の中 』

サタンの配下の月人をトッチめないことにはよくなりませんということを話しているのかも。

諸世紀曰くの太陽がニューヨークに行き、そこで配下の月人をトッチめていかなければ、物事は解決どころか、益々泥沼をていすると示している内容とも思いました。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

目に見えるものばかりに囚われているから真実が判らないのだと言っています。


julaさんのメール

jula です。

碧玉の巻第06帖(021)の解釈


わざわひと言ふものは無いのであるぞ、

光をわすれ、光にそむくから、 イヤな事がおこるのぢゃ、

影がさすのぢゃ、

禍とか悲しみとか言ふ くらい(暗い)ものがないのがマコトであるぞ、

中心は無と申してあろう。

中心は見えんから、判らんから、外のカスばかり見てゐるからつまらんことで、つまらんことが起ってくるのぞ、

その見えぬ力が永遠の生命と現われるのであるぞ、

見えるものは有限ぢゃ。

この世の大泥棒をタカヤマぢゃと申して、この世を自由にさせておいてよいのか、

元の元の元をよく見極め、 中の中の中の見えぬものを掴(つか)まねばならんぞ、

そこから正さねば外側からばかり清めても何もならん。

災いというものは本来的には無いものなのですよ。

本来の、大元である根源を見極めずに、己の都合、己のメガネで表象ばかり捉えようとするから 投影としての影ばかり、マイナスばかりを見てしまうのです。

禍、悲しみという影と映るような事が無いのがマコトです。

何が起きようとも弥栄であり、ヒカリとなって無、永遠と溶け合っていくものなのです。

そのような無、永遠、ヒカリはなかなかに捉えどころが無くまた、コトバや映像で現せるようなものではありません。

このため、影(自己投影)として見える後ろめたいこと、マイナス要因ばかりが目立って見えてしまいます。

無、弥栄、永遠に至るヒカリを理解、掴もうとせず、自己に映った表象ばかりを認識し、それについて考え追及しているからつまらない事に捕らわれたままとなってしまうのです。

(それらが病傷苦となって映ってしまうのです)

-蛇足---------

(不安性、心配性の人が「どうしょうどうしょう」とパニック状態にはまり込み、人に「どうしよう、どうしょう」と問を繰り返すばかりとなってしまいます。

問いているようで、実は不安、心配をぶつけるばかり。

ぶつける事で不安、心配からなんとか逃れたいようですが、軽くあしらわれたと思い込んでますます自分でパニックにはまり込んでいきます。

冷静になって、ああしてみよう、こうしてみようと考えあっれれば、いくらでも打開策、問題解決に近づく事が出来るはずなのですが、 ますます脅迫的なところに陥ってしまいます。

呪文でも唱えているかのように・・・。

こういった事カスばかりみているのは良い例ではないでしょうか。

ある時にそういった不安、心配を突かれ、そこに嵌るような回答を示され、結果自ら宗教に嵌ってしまったりするようです。

また宗教に嵌っていなくても、テレビや権威が言うことを鵜呑みにしてしまう、なんていうことはまさにそのものではないでしょうか)

目では見えない、理解や体得無しにはわからない無、弥栄、ヒカリという力こそが永遠の生命としてヒカリとして現れる(感受できる)のです。

目で見える物事は、自己投影に過ぎない有限なものなのです。

-補足---------

延喜式(えんぎしき)に採録されている大祓詞は、その構成が二段に分かれていて、上段は「………許許太久(ここだく)の罪出む。

如此出(かくい)でば、天津宮事以て、天津金木を本打切り末打ち断ちて、千座(ちくら)の置座(おきくら)に置足らはして、天津菅曽(あまつすがそ)を本刈断(もとかりだ)ち末刈切(すえかりき)りて、八針(やはり)に取砕(とりさ)きて、天津祝詞(あまつのりと)の太祝詞事(ふとのりとごと)を宣(の)れ」で終わり、

下段は「如此(かく)宣らば、天津神は天(あめ)の磐門(いわと)を推披(おしひら)きて、天の八重多那雲(やえたなぐも)を押(お)し分けて、稜威(いず)の道別(ちわ)きに道別きて聞こし食さむ。

国津神は高山の末、短山の末に上坐(のぼりま)して、高山の伊穂理短山(いおりひきやま)の伊穂理を掻分(かきわ)けて聞こし食さむ………」と続く。

もしくは神令での天津高光命(アマツタカミツノミコト)であったり

祝詞や神令での高山におはすとされる大泥棒どもに、この世を自由にさせておいて良いのですか?

(延喜式祝詞は罪、穢れを払い、神に近づきましょう、御贔屓にしてもらいましょうという事で祭祀を取り仕切るツールと思われます。)

祝詞以前の古事記や日本書紀の中、もしくはそれらが書物として記される以前においては、真意が伝えられていた、伝承されていたと思われます。

そういった元の元の元をよく見極めて、中心のまた中心の中心の見えないもの、“チョン()”を掴まなければならないのです。

そのようにせずに、お祓いや、宗教の祝福、お経を唱えて形ばかり清めてみても何にもなりません。


トッチさんのメール

トッチです。

ロックさん、お疲れ様です。

「災いと言うものは無いのです」

に関してですが、4152の 日の出の巻第15帖の、不肖わたくしの解説がリンクしていると思います。

ワラをも掴む思いで辛い事に耐えている人を、現世利益をちらつかせて勢力の拡大に努める宗教関連に一石を投じたい所ですが、放っておいても、やがて天の摂理がそれなりに働くのでしょう。

「災難にあうことは 無いのですから、毎朝、神を拝みてから克く合はしてみなさい。

合っていたら其日には災難は 無いのです。」

ハタから見て災難と思われることも、めぐり取りなのであり、自身が招いた物、自分の為である事に気がつきます。


碧玉の巻第07帖(022)

始めの日は始めの日に過ぎん、

始めの前にあるものが判らなければ、それは只の理屈に過ぎんぞ、

マコトでないぞ、

根から出たものではない、

枝葉に過ぎん、

男から女は生れんぞ、

奇数から偶数は生れんと申してあろうが、

一つのものの表が男であるぞ、

裏が女であるぞ、

男から女をつくったと申すのは或る時期に於ける教ぢゃ、

岩戸がひらけたのであるから教へではならん、

道でなくてはならんと申してあるぞ、

道は永遠ぢゃ、 から出てに至るのぢゃ。

使用された特殊文字 


■平易意訳■

始めの日は始めの日に過ぎません、

始めの前にあるものが判らなければ、それは只の理屈に過ぎないのです、

誠・真でないのです、

根から出たものではなく、枝葉に過ぎません、

男から女は生れません、

奇数から偶数は生れないと云っているでしょう、

一つのものの表が男なのです、

裏が女なのです、

男から女を創ったと云うのは或る時期に於ける教なのです、

岩戸が開けたのすから教えではなりません、

道でなくてはならないと云っています、

道は永遠です、 から出てに至るのです。

この宇宙を創造した存在のことを理解し、そこから掘り下げていったものでなければ、それは誠・真ではない。

男から女は生れません、

奇数から偶数は生れないと云っているでしょう、

一つのものの表が男なのです、

裏が女なのです、

男から女を創ったと云うのは或る時期に於ける教なのです、

うまく言葉に出来ませんが(::男から女を創ったということは、或る時期以前は、そうではなかったと取れますが、(夫神、妻神の別れる以前は、そうではなかった?)

岩戸が開けたのすから教えではなりません、道でなくてはならないと云っています、道は永遠です、

道とは、学や理屈でなく実践で切り開いた筋道?

○から出て○に至るのです。

○を知るために、○以上のものを学び、そして○の本質を知るということと取りました。


■平易意訳■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

始めの日は 始めの日に過ぎません。

始めの前にあるものが判らなければ、それは只の理屈に過ぎません。 真・誠でないのです。

根から出たものではないのです。

それは枝葉に過ぎません。

男から女は生れません。

奇数から偶数は生れません。

一つのものの表が男です。

裏が女です。

男から女を作ったと云うのは或る時期に於ける教です。

岩戸が開けたのであるから教えではなりません。

岩戸が開けたら道でなくては ならないのです。

道は永遠です。

○から出て、○に至るのです。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

始めの日は始めの日に過ぎません。

始めの前にあるものが判らなければ、それは只の理屈にすぎません。 マコトではありません。

根から出たのではない枝葉に過ぎません。

男から女は生まれませんよ。

奇数から偶数は生まれないと言っているでしょう。

一つのものの表が男であり、裏が女ですよ。

男から女を作ったと言うのは或る時期に於ける教えにすぎません。

岩戸が開けたのですから教えではありません。

道でなくてはいけないと言ってありますよ。

から出て に至るのです。


■解説と補足説明■

ロックさんの解釈 :(一巡目)

『始めの日は始めの日に過ぎん、始めの前にあるものが判らなければ、それは只の理屈に過ぎんぞ、マコトでないぞ、根から出たものではない、枝葉に過ぎん』

始めの日は始めの日に過ぎません、

始めの日にあるものが判らなければ、それは只の理屈に過ぎません。

ここは、何かが起こるといっても、都市攻撃が起きるとか具体性のある内容でないと単なる恐がらせに終わりますね。

それは解読された本当のことではありません、

それは枝葉のような噂話に過ぎません。

『男から女をつくったと申すのはある時期における教えです』

男から女は生まれません。

奇数から偶数は生まれないと伝えてありますね、

一つのものの表が男であり、裏が女なのです。

大神がこの宇宙を作った際の生命の創造作業のことでしょうか?

『岩戸が開けたのであるから教えてはいけません、道でなくてはならんと伝えています、道は永遠です、 からに至るのです』

岩戸が開けたのであるから教えてはいけませんとは?これまで秘密にされてきたことの例えでしょうか。

道も出てきました。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

人間を創造した存在から判らなければ、更には宇宙の創造主から判らなければ、真実を語るにしても、それは只の理屈に過ぎません。

マコトではありません。

大本の神、そして神サタンを認識したうえでのミロクの仕組みの理解でなくてはいけないと言う事のようです。


julaさんのメール

jula です。

碧玉の巻第07帖(022) どうもこんな感じに読めてしまうのですが・・・。


始めの日は始めの日に過ぎん、

創世記は創作された始まりに過ぎません。


始めの前にあるものが判らなければ、それは只の理屈に過ぎんぞ、マコトでないぞ、

創世記以前のもっと本来的な物事?が現されていないのであれば、それは無理やりこじつけられた始まりであり、マコトではありません。


根から出たものではない、枝葉に過ぎん、

いかにも始まりを装っていますが、根源を無視したごくごくローカルな話に過ぎません。


男から女は生れんぞ、

男(アダム)から女(イブ)は作れません


奇数から偶数は生れんと申してあろうが、

男性の染色体はY型で3、奇数です。

女性の染色体はX型で4、偶数です。

Y染色体からX染色体を産み出す事はできません。


一つのものの表が男であるぞ、裏が女であるぞ、

一つのものの現れが、表向きの男性、裏向きの女性として現れるものなのです。


男から女をつくったと申すのは或る時期に於ける教ぢゃ、

アダムからイブを作ったというのは、ある一時的な教え、限定的な宗教に過ぎません。


岩戸がひらけたのであるから教へではならん、

岩戸が開けたのですから、そんな宗教はもういりません。


道でなくてはならんと申してあるぞ、

教えを説き聞かせ信じ込ませるような宗教ではいけません。

誰かの信徒や弟子となってその人の考えを信奉するのではいけません。

各々が自分で考え、実践し自分の足で歩んで進んでいく道でなければなりません。


道は永遠ぢゃ、 から出て に至るのぢゃ。

自分で歩んでいくからこそ、道は永遠に続いていくのです。

大いなる和、輪()から一歩踏み出し、再び大和()に至れるのです。


碧玉の巻第八帖(023)

四ツ足を食ってはならん、

共喰となるぞ、

草木から動物生れると申してあろう、

神民の食物は五穀野菜の類(たぐい)であるぞ。

今の人民の申す善も悪も一度にひらいて、パッと咲き出るのが、次の世の新しき世の有様であるぞ、

取違いせぬように、

悪と申しても魔ではないぞ、

アクであるぞ。

大峠の最中になったら、キリキリまひして、助けてくれと押しよせるなれど、

その時では間に合わん、

逆立してお詫びに来ても、

どうすることも出来ん、

皆 己の心であるからぞ、

今の内に改心結構、

神の申す言葉が判らぬならば、天地のあり方、

天地の在り方による動きをよく見極めて下されよ、

納得の行くように致して見せてあるでないか。


■平易意訳■

四ツ足を食ってはなりません、

共喰となります、

草木から動物が生れると云っているでしょう、

神民の食物は五穀野菜の類(たぐい)です。

今の人民の云う善も悪も一度に開いて、パッと咲き出るのが、次の世の新しき世の有様なのです、

取違いをしないように、

悪と申しても魔でなく、

アクなのです。

大峠の最中になったら、キリキリ舞いして、助けてくれと押しよせるなれど、

その時では間に合いません、

逆立してお詫びに来ても、どうすることも出来ません、

皆 己の心であるからなのです、

今の内に改心結構、

神の云う言葉が判らぬのなら、

天地のあり方、天地の在り方による動きをよく見極めて下されよ、

納得の行くように致して見せてあるでしょう。

共食いについての注意が出てきます。

今の人民の云うところの善も悪も、一気に噴出し、パッと咲き出るのが次の世の新しき世界の有り様という事のようです。

悪と魔とは区別がなされているようです。

善も悪も許されているから存在しているようですが、魔は許されないのかな?。

悪とは魔ではなくアクのようですが、善を知ったときに出てくる悪との葛藤による賜物でしょうか。

煮物を煮たときに出てくる灰汁のようなもの?

野菜には、煮ると灰汁の元になる成分なりが含まれています。

例えば大根を人間とすると、煮るためのお湯に該当する物は何でしょう。

それは悪に見せかけた人間の本質を知るものであったり、善に見せかけた偽善なのかも知れません。

善や悪に茹でられた時に出てくる灰汁をオタマですくう(善や悪を浄化する?)ことで美味しい人間(煮物)が出来る?

取り違いするなとは、勧善懲悪のような水戸黄門のようなお話ではないということかも。

ひふみの言う様に人間は上位の存在にその時その時に裁かれているとするならば、本質を磨くために必要なことが必要な時に起こる。

彼の存在達はたくさんの臣民を救いたいがために、岩戸を開き、善と悪を一気に咲かせるのかもとも思いました。(これは観測的希望?)

リトマス試験紙のような物を、その都度提示されるようです。

避ける気持ちでいても、それは出来ず、その都度試されるのかもしれません。

魔はその人間の中に地球劇場での常識という名の宇宙の非常識を染み込ませているわけで、その魔に魂まで犯されてしまった者は、皆己の心であると言うように、助かるべき方々を助けるために最終的には、盾になって魔に吸収されていただけるようです。

でも、悪の御用として配置されている改心の見込みの或る方々もいるようなので期待したいところです。

善と悪もパッと咲き出し始めているご時世ではないかと思うこの頃ではあります。

まだまだすごくなるのかも知れませんね。

ものすごい後世に出来ないような人助けのような善もあれば、感情のままに人を殺すと云うような悪もあるのかも。それは魔の産物の悪かも知れませんが。

自分が力を得て強い時には盲目になっていることもあるかと思いますが、改心するならお早めに。


■平易意訳■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

四ツ足を食ってはなりません。

四ツ足を食ったら、共喰となります。

草木から動物が生れる説明しています。

神民の食物は五穀・野菜の類(たぐい)です。

今の人民の云う善も悪も一度に開いて、パッと咲き出るのが、次の世の新しき世の有様であるのです。

人民は取り違いしないようにしなさいる 悪と云っても魔では無いのです、

それはアク灰汁であるのです。

大峠の最中になったら、キリキリ舞いして、助けてくれと押しよせてきます。

ですが、その時では間に合わないのです。

逆立して、お詫びに来ても、どうすることも出来ません。

皆、そのようになったのは己の心に原因があるからです。

今の内に改心しておくことは良いことです。

神の云う言葉が判ららないのでしたら、天地のあり方、天地の在り方による動き、をよく見極めて下さい。

神は納得の行くように致して見せてありますので、確認してください。

ロックさんの解釈 :(一巡目)

四ツ足を食べてはなりません、

共喰となります、

草木から動物生れると伝えてあります、

神民の食物は五穀野菜の類(たぐい)です。

今の人民の言う所の善も悪も一度にひらいて、パッと咲き出るのが、次の世の新しき世の有様なのです。

取違いせぬように、悪と申しても魔ではないぞ、

アクであるぞ。

大峠の最中になったら、キリキリまひして、助けてくれと押しよせて来ますが、その時では間に合いません、

逆立してお詫びに来ても、どうすることも出来ません。

皆 己の心であるからです、

今の内に改心結構、神の申す言葉が判らぬならば、天地のあり方、天地の在り方による動きをよく見極めて下さい、

納得の行くように致して見せてあるでないか。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

四足を食べてはいけません。

共食いとなりますよ。

草木から動物が生まれると言ってるでしょう。

神民の食物は五穀野菜の類いですよ。

今の人民の言う善も悪も一度に開いて、パッと咲き出るのが次の世の新しい世の有様ですよ。

取り違いしないように。

悪と言っても魔ではありませんよ。

アクですよ。

大峠の最中になったらキリキリ舞して助けてくれと押し寄せますが、その時では間に合いません。

逆立ちしてお詫びに来てもどうする事も出来ません。

みんな己の心だからです。

今のうちに改心結構です。

神の言う言葉が判らなければ、天地のあり方、天地のあり方による動きを良く見極めて下さいよ。

納得のいくようにして見せているではありませんか。


■解説と補足説明■

ロックさんの解釈 :(一巡目)

『 悪と申しても魔ではないぞ、アクであるぞ。』

これは、食生活の改善も訴えてますが、体質が改善する時に出てくる悪い物を出す流れでしょうか?

強力な改心への流れかもしれませんね。

『 大峠の最中になったら、キリキリまひして、助けてくれと押しよせて来ますが、その時では間に合いません、逆立してお詫びに来ても、どうすることも出来ません。』

これまで振り向きもしなかった方々は、都市攻撃によって強制的に改心させるし、その流れの中でおとなしくなって(仮死状態になって)救助されるまで放置しておくということも暗に示しているかとも思うのですが、諸世紀曰くの都市攻撃のあった後の予言とダブります。

『皆 己の心であるからです、今の内に改心結構、神の申す言葉が判らぬならば、天地のあり方、天地の在り方による動きをよく見極めて下さい、納得の行くように致して見せてあるでないか。 』

サイトでも、各国に向けて発信してますし、NASAの画像とかでも分析して見せていますし、納得の行くようには見せてあるではないですか。

これは、アメリカを始めとする国々の首脳に伝えているかもしれませんね。隠すなと!!将来は悲惨ですよと。

神の臣民は食生活もはじめ、改善し、これらの天地の動きをよく見極めてください。

納得の行くように見せてあるでしょうがとサイトの質にも言及してあると思うのですが。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

意識が神(ミロク)の仕組みに向いていない者を疎外してはいけません。

自身を疎外すると同じ事ですよ。

全ての人には神の息がかかっているのです。

今の人民の言う善も悪も一度に開いて、パッと咲き出るのが次の世の新しい世の有様ですよ。

取り違いしないように。

悪と言っても人に害を与える物ではありませんよ。

人の性質に関する事です。

都市攻撃が始ったらキリキリ舞して助けてくれと押し寄せますが、その時では間に合いません。 逆立ちしてお詫びに来てもどうする事も出来ません。

みんな己の心だからです。

今のうちに改心結構です。

ミロクの言う言葉が判らなければ、(神示を通して)天地のあり方、天地のあり方による動きを良く見極めて下さいよ。

納得のいくようにして見せているではありませんか。


ロックさんのメール

ロックです。

今日は解読はここまでにしておきます。


碧玉の巻第09帖(024)

九分行ったら一休みせよ、

始めから終りまで休まずに行くと、今の人民では息切れ致すぞ、

一休みして自分の来た道をふり返れよ。

この世の世話をさすために、人民には肉体を与えてあるのぞ、

活神(いきがみ)がしたのでは堪(こば)れんものが沢山に出て来るからぢゃ、

立替、立直し一時に来ているから、われよしの人民には判らんことになるぞ、

この世の動きが判らんのはわれよしざからぞ、

今度の岩戸びらきは五度の岩戸しめを一度にひらくのであるから、人民には中々に理解出来んことに、折り重なってくるから、何事も神の申す通りハイハイと素直にきくのが一等であるぞ。


■平易意訳■

九分行ったら一休みしなさい、

始めから終りまで休まずに行くと、今の人民では息切れします、

一休みして自分の来た道をふり返りなさい。

この世の世話をさせるために、人民には肉体を与えてあるのです、

活神(いきがみ)がしたのでは堪(こば)むことが出来ない者が沢山に出て来るからなのです、

立替、立直し一時に来ているから、我良しの人民には判らないことになります、

この世の動きが判らないのは我良しだからですよ、

今度の岩戸開きは五度の岩戸閉めを一度に開くのですから、人民には中々に理解出来ないことに、折り重なってくるから、何事も神の言う通りハイハイと素直に聞くのが一等です。

今度の岩戸開きは五度の岩戸閉めを一度に開くのですから、人民には中々に理解出来ないことに、折り重なってくるから、何事も神の言う通りハイハイと素直に聞くのが一等です。

五度の岩戸閉めを一度に開く=封印された隠された歴史の真実?を一度にお目にかける?

普通に生活してる方々は、何らかのきっかけで実体を知る機会が事前にないと対応し様がないですね。

期待したいところです。


■平易意訳■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

道も九分行ったら一休みしなさい。

道の始めから終りまで休まずに行くと、今の人民では息切れします。

一休みして、自分の来た道をふり返りなさい。

この世の世話をさせる為に、人民には肉体を与えてあるのです。 活神(いきがみ)がしたのでは堪(こば)れないものが沢山に出て来るのです。

立替、立直しが一時に来ているから、我良しの人民には判らないことになります。

この世の動きが判らないのは我良しであるからです。

今度の岩戸開きは五度の岩戸閉めを一度に開くのであるから、人民には中々に理解が出来ない出来事があります。

いろんな出来事が折り重なってくるから、何事も神の云う通りにハイハイと素直に聞くのが一番良い方法です。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

九分行ったら一休みして下さいよ。

始めから終わりまで休まずに行くと、今の人民では息切れをしますよ。

一休みして自分の来た道を振り返ってください。

この世の世話をさせる為に、人民に肉体を与えているのです。

立替、立直しが一時に来ていますから、われ良しの人民には判らないことになりますよ。

この世の動きが判らないのはわれ良しだからです。

今度の岩戸開きは、五度の岩戸閉めを一度に開くのですから、人民には中々理解できない事が折り重なってきますので、何事も神の言う通りにハイハイと素直に聞くのが一等なのです。


■解説と補足説明■

ロックさんの解釈 :(一巡目)

『九分行ったら一休みせよ、始めから終りまで休まずに行くと、今の人民では息切れ致すぞ、一休みして自分の来た道をふり返れよ』

これは、本当に今リアルタイムで必要なことですが、これは太陽にお願いしたい内容です。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

「仕組みの御用が九分通り行ったら一休みしてください。 始めから終わりまで休まずに行くと、今の人民では息切れをしますよ。 一休みして自分の来た道を振り返ってください。 この世の世話をさせる為に、人民に肉体を与えているのです。」

*ここまではミロクに言っているようです。

立替、立直しが迫っていますので、改心の出来ていない人は訳が分らないことになって来ます。 ミロクの言う事が素直に聞けるような人間になりましょう。

今度の岩戸開きは人類の理解を超えた規模のものです。



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