碧玉の巻第01帖(016)・ 第02帖(017)・第03帖(018)・第04帖(019) ・第06帖(021)・第07帖(022)・第08帖(023) ・第09帖(024)
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ロックです。 “碧玉の巻”に進みます。
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反対の世界と合流する時、平面の上でやろうとすれば濁るばかりぢゃ、 合流するには、立体でやらねばならん、 立体となれば反対が反対でなくなるぞ、 立体から複立体に、 複々立体に、 立立体にと申してあろう、 漸次(ぜんじ)輪を大きく、 広く、深く進めて行かねばならんぞ、 それが岩戸ひらきぢゃ、 低い世界は戒律なくてはならんぞ、 人民の頭で、戒律と秩序、法則をゴッチャにして御座るぞ、 平面と立体とをゴッチャにするのと同じ迷ひの道であるぞ、 気つけ下されよ。 病むことは神から白紙の巻物をもらったことぢゃ、 この巻物をどんなに読みとるかによって新しき道がひらけるのぢゃ。 神からの巻物おろそかにするでないぞ。
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反対の世界と合流する時に、平面(現実界の知識のみ)の上でやろうとすれば濁るばかりです。 合流するには、立体で行わなくてはなりません。 立体となれば反対が反対でなくなります。 立体から複立体に、複々立体に、立立体にと云っているでしょう。 漸次輪を大きく、広く、深く進めて行かなくてはいけませんよ。 それが岩戸開きなのです。 低い世界は戒律がなくてはなりません。 人民の頭で、戒律と秩序、法則をゴッチャにしています。 それは平面と立体とをゴッチャにするのと同じ迷いの道なのです。 気をつけてください。 病むことは神から白紙の巻物をもらったのです。 この巻物をどう読み取るかによって新しい道が開けるのです。 神からの巻物をおろそかにするでありませんよ。
立体で抱き参らせるなどの行動が伴えば合流が出来ると取ってみました。 立体となれば、善に対する悪が悪でなくなります。 悪に対する善が善でなくなります? 善と悪を超越したした向こうに複立体〜と続く世界があるようですね。 その世界への探求を進めることも岩戸開きと取りました。 この現実界は極めて低い世界であるのかも知れませんね。 だから宇宙での標準になる法則もその深いところは何も知らないが故に戒律がいるのかもとも思いました。 この地球劇場における戒律の基本を作ったのはサタンだと思います。 サタンの創ったものとはいえ、その中に真理のようなものは多数あるのかも知れませんね。 人民の私には、戒律と秩序、法則はごっちゃになっていて迷いの道に入り込んでいるようです。 「唐突に病むことは、神からの白紙の巻物をもらったのです」 と出てきます。 この巻物の読み方には、立体から複立体〜へと続くキーのようなものがあるのかも知れませんね。 この神示の内容は、読み進めていくだけでも、疑問のようなもの、自らの反省を促されるものなどがわいて来ます。 解読を進めていく際には、解読と並行して、自らの現在や過去を振り返りながらの作業が出てきますので、いろいろと 考えさせられます。
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善・天使と悪・悪魔の世界などの反対の世界と合流する時、地上の平面の上でやろうとすれば、混乱して分けが分からなくなり濁るばかりです。 合流するには立体でやらねばなりません。 立体となれば、反対が反対でなくなるのです。 立体から複立体に、複々立体に、立立体にと説明してあります。 漸次(ぜんじ)、輪を大きく、広く、深く、進めて行かねばなりません。 それが岩戸開きと云うものです。 低い水準の世界は戒律がなくてはなりません。 人民の頭は戒律と秩序、法則をゴッチャにしています。 平面と立体とをゴッチャにするのと同じ「迷いの道」です。 気つけ下さい。 病むことは神から白紙の巻物をもらったことです。 この巻物をどんなに読みとるかによって新しき道が開けるのです。 神からの巻物を疎かにしてはいけません。
反対の世界と合流する時は、平面の上でやろうとすれば濁るばかりです。 合流するには立体でなければなりません。 立体となれば反対が反対でなくなります。 立体から複立体に、複複立体に、立立体にと言ってるでしょう。 漸次(ぜんじ)輪を大きく、広く、深く進めて行かなければなりませんよ。 それが岩戸開きです。 低い世界は戒律が無くてはいけませんよ。 人民の頭で戒律と秩序、法則をゴッチャにしていますよ。 平面と立体をゴッチャにするのと同じ迷いの道ですよ。 気をつけて下さいよ。 病むのは神から白紙の巻物をもらった事です。 この巻物をどの様に読み取るかによって新しい道が開けるのです。 神からの巻物をおろそかにしてはいけませんよ。
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『 反対の世界と合流する時、平面の上でやろうとすれば濁るばかりぢゃ、合流するには、立体でやらねばならん、立体となれば反対が反対でなくなるぞ、立体から複立体に、複々立体に、立立体にと申してあろう 』 これらの解釈が追いつきません。 ただ、この世界と違う世界と連携して物事を行わなければいけないと言うような主旨を述べているような気はしました。 太陽の補足をお願いしたい所です。
悪は殺すのではなく抱かなければならないと他の神示にありますので、「反対の世界と合流する」とは、善と悪、表と裏、プラスとマイナス、陰と陽を一つに内包する事のようです。 そして、この世的感覚、理屈に頼っていたのでは神の真理は見えないと言う意味で、 「平面の上でやろうとすれば濁るばかりです。」 となるのでしょう。 合流するには人間の霊が元の元の神にまで通じていることを理屈ではなく、魂の奥深くハラで判っていなければいけません。 それが 「合流するには立体でなければなりません。」 と言う事に思えます。 「立体から複立体に、複複立体に、立立体にと言ってるでしょう。」 は、その深さと複雑さを表しているのでしょう。 戒律とは、自発的に守るべき戒です。 それを秩序や法則とゴッチャにしていると言ってます。 低い世界で必要なのは法律による外的戒めではなく、自身自らの戒めが必要と言う意味でしょうか。 それが改心に繋がるのでしょう。 白紙の巻物をどの様に読むかは本人次第ですね。
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気の合う者のみで和して御座るなれど、 それでは和にならんと知らしてあろうがな、 今度は合わんものと合せるのぢゃ、 岩戸がひらけたから、さかさまのものが出て来てゐるのぢゃ、 この行(ぎょう)、中々であるなれど、これが出来ねば岩戸はひらけんのぢゃ、 マコトの神さえ魔神のワナにかかって御座るのぢゃ、 人民がだまされるのも無理ないようなれど、 だまされてゐては今度の御用は成就せんぞ。 自分自身にだまされてゐる人民も多いのであるが、ついて御座れよ、 少しは苦しき行もあるなれど見事なことを致して御目にかけるぞ、 自分でもビックリぢゃ、 はじめからの神示よく読んで下されよ、 霊かかりよろしくないぞ、 やめて下されと申してあろう。
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気の合う者のみで和していますが、それでは和にならないと知らせてあるでしょう。 今度は本来相容れない者と合わせるのです。 岩戸が開けたから、逆様のものが出てくるのです。 この行は中々ですが、これが出来なければ岩戸は開けないのです。 真・誠の神さえ魔神の罠にかかっているのです。 人民が騙されるのも無理ないようですが騙されていては今度の御用は成就しません。 自分自身に騙されている人民も多いのでありますが、ついて来てみなさい。 少しは苦しい行もありますが見事なことを致してお目にかけますよ。 自分でもビックリです。 初めからの神示よく読みなさい。 霊かかりはよろしくないですよ。 やめてくださいと云っているでしょう。
ひふみ曰くの「この鍵はイシヤと手を握ること」にも通じる内容ですね。 岡本天明氏はフーチで神懸りの作業もされていたようですので、もしかしたら我々がこれまでの検証作業で得たような教訓も味わっていたのかな?とも多少思います。
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人民は気の合う者のみで和していますが、それでは和になりません。 今度は合わん善・天使と悪・悪魔と合せるのです。 岩戸が開けたから、逆さまのものが出て来てくるのです。 この修行(ぎょう)、中々に困難で難しいのですが、これが出来ないと岩戸は開けないのです。 「真・誠の神」さえ魔神の罠にかかっているのです。 人民が騙されるのも無理はないのですが、騙されていては今度の御用は成就しないのです。 自分自身に騙されている人民も多いのです。 神について来なさい。 少しは苦しき修行もありますが、たいそうに見事なことを致して御目にかけます。 自分でもビックリです。 始めからの神示をよく読んで下さい。 霊懸かりは良くないです。 霊懸かりは止めなさい。
気の合う者のみで和していますが、それでは和にならないと知らせてあるでしょう。 今度は合わない者と合わせるのです。 岩戸が開けたから逆さまのものが出てくるのです。 この行(ぎょう)は中々ですが、これが出来なければ岩戸は開けないのです。 マコトの神さえ魔神の罠にかかっていますよ。 人民が騙されるのも無理はありませんが、騙されていては今度の御用は成就しません。 自分自身に騙されている人民も多いのですが、ついて来て下さい。 少しは苦しい行もありますが見事な事を致してお目にかけますよ。 自分でもビックリです。 始めからの神示をよく読んで下さいよ。 霊かかりはよくありません。 止めて下さいと言っているでしょう。
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魔神が出てくる大事な内容かと思います。 『 気の合う者のみで和して御座るなれど、それでは和にならんと知らしてあろうがな、今度は合わんものと合せるのぢゃ、岩戸がひらけたから、さかさまのものが出て来てゐるのぢゃ、この行(ぎょう)、中々であるなれど、これが出来ねば岩戸はひらけんのぢゃ 』 これは、大きい範囲で見ると、太陽に協力している方々の活動と反対のことをしている方々、もしくは、ひふみ神示を取り上げている方々との合力する時が女王の出現によってなされるのかもしれませんね。 宗教を信仰している方とサイトの主旨に賛同できる方は全く逆のタイプです。 それが合うと考えるといいのかも知れませんね。 50億人を救済するという行動ならば、容易にあり得る事かと考えます。 『マコトの神さえ魔神のワナにかかって御座るのぢゃ、人民がだまされるのも無理ないようなれど、だまされてゐては今度の御用は成就せんぞ。』 誠の神(ひふみの神の子)さえ魔神(サタン)の巧妙な罠にかかっています。 人間がだまされるのも無理もないのですが、騙されていては今度の御用は成就しません。 すごい課題のようです。 この場合、人間の太陽が騙されていては今度の御用が成就しないのか、人間が騙されていては今度の御用が成就しないのか、どちらなんでしょう。 解釈が困る所です。
人はそれぞれ同じ指向性を持つ者同士で和を形成していますが、それでは本当の和になりません。 今度は違う思想や立場の人とも合わせるのです。 岩戸が開けたのですから(改心が進んだのですから)、それらの人も広い心で包み込む事になるのです。 この行いは簡単な事ではありませんが、これが出来なければ岩戸は開けないのです。 ミロクでさえ検証作業、サイトの運営に障害になる人は遠ざけてきましたので、それを見ていた普通の人がそうなるのは無理もありませんが、意識を改めなければ今度の御用は成就しません。 自分にはミロクの仕組みはまだまだ判っていないと自信のない人もいますが、ついて来て下さい。 少しは苦しい行もありますが見事な事を致してお目にかけますよ。 自分でもビックリしますよ。 その為には始めからの神示をよく読んで下さいよ。 必要なのは心磨き、改心による神かかりであり、霊かかりではありません。 偶像崇拝や奇跡など、変な神秘主義に走るのは止めて下さいと言っているのです。
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生命の樹、生命の水を間違へて下さるなよ。 樹とはキであるぞ、水とは道であるぞ、樹と水にたとへてあるを、そのままにとるから、囚われた迷信となるのぢゃ。
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生命の樹、生命の水を間違えないで下さい。 樹とはキであるぞ。 水とは道です。 樹と水に例えてあるのを、そのままに取るから、囚われた迷信になるのです。
木は中から育つという内容があったかと思いますがその関連? 樹とは根幹に通じるキ(起?) 生命の起、、、 水は道、水は万物に与える道? 生命の道、、、 ミロクに関する内容かな? 第04帖がスサノオのことなので。
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「生命の樹」と「生命の水」を間違えないようにしてください。 樹とは「キ」です。 水とは「道」です。 樹と水に例えてあるのを、素直にそのままに受け取るから、囚われた迷信となるのです。
生命の樹、生命の水を間違い様にしてください。 樹とはキです、 水とは道です、 樹と水に例えてあるのを、そのままにとるから、囚われた迷信となるのです。
生命の樹、生命の水を間違えないで下さいよ。 樹とは「キ」ですよ。 水とは道ですよ。 樹と水に例えているのを、そのままに取るから囚われた迷信となるのです。
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これは、大きいヒントのようですね。 日本の神話などの記述もそのままとるのではなく、何かに置き換える必要があるかもしれません。 『樹とはキであるぞ、水とは道であるぞ』 ノアの大洪水の進路でしょうか? 樹は水を根から吸い取りますね!!! ストローだ!! となると道は、、、 マントル層の間にある隙間のことでしょうか。 これはこれは、太陽さんの解説がいただきたいところです。 樹がストローとするなら、樹は光合成をしますので、その辺りのエネルギーが爆縮理論の何かに例えられませんでしょうか。 太陽光が樹にエネルギーをやり、力を入れた樹がそれによって水を吸い取る、 森林伐採なども世界各国で頻繁に行ってますが、山くずれなどは樹が水を吸い取ることで防いでいることもあるのですよね。 素人考えですが、地表がグレンとひっくり返るなら、シーソーのように、廻る方向に重りを重くすれば廻りませんでしょうか。 まあ、マントル層は200km間隔で三層ですから、地表の変化くらいは屁でもないかもしれませんが。 この場合は、北極南極の氷のバランスでしょうか? 北はロシアなので、結構開発は進んでいると思いますが、南極の方は、オーストラリアがどかんとあって、住んでる人も北にくらべると多分少ないですね。 アメリカの人たちが諸世紀ではアフリカに逃げると言う記述もあります。 これらも気になります。
聖書でも神示でもそうなのですが、書いてある文章を額面どうりに読んで信じるから真実が見えないのです。 文字の奥に隠された真意を読まなければなりません。
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真の懺悔(ざんげ)は正法をおさむることであるぞ、 掃除することであるぞ。 先づ御(おさ)め、 次に治(おさ)め、 次に知(おさ)めねばならんぞ、 素盞鳴(スサナル)の大神は先づ滄海原を御め給ひ、 更に蒼海之原を治め給ひ、 次に天下(あめのした)を知め給うたのであるぞ。 素盞鳴の大神が悪神とうつるのは悪がそなたの中にあるからであるぞ。
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真の懺悔は正法を修めることです。 掃除することなのです。 先ず御め、次に治め、次に知めねばなりません。 素盞鳴の大神は先ず滄海原を御めます、更に蒼海之原を治め、次に天下(あめのした)を知めるのです。 素盞鳴の大神が悪神と映るのは悪がそなたの中にあるからなのです。
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真の懺悔(ざんげ)は正法を修めることです。 そなたの身魂を掃除することです。 先づ、御(おさ)め、次に治(おさ)め、次に知(おさ)め、をしなければなりません。 素盞鳴(スサナル)の大神は先づ滄海原を御めます、更に蒼海之原を治めます、次に天下(あめのした)を知めます。 素盞鳴の大神が悪神と映るは悪がそなたの中にあるからです。
真の懺悔は正法を治めることであるぞ、 掃除することであるぞ。 先ず御め、次に治め、次に知らねばならんぞ。 サタンは、海の基礎を構築し、更に海を改良し、次に天下(あめのした)地表の下を研究し、細工したのです。 サタンが悪神とうつるのは悪があなたの中にあるからです。
真の懺悔は正法をおさめる事です。 掃除をする事です。 先づ御(おさ)め、次に治(おさ)め、次に知(おさ)めなければなりませんよ。 素盞鳴(スサナル)の大神は先づ滄海原を御め給い、更に蒼海之原を治め給い、次に天下(あめのした)を知め給うたのです。 素盞鳴の大神が悪神と映るのは悪があなたの中にあるからなのです。
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これは、最後の行から、スサノオの話に絡めて、太陽のノアの大洪水の解明への流れを説明しているかもしれませんね。 太陽の解明への道のりにすると、先ず滄海原がひっくり返るイメージが来て、次に蒼海之原(もっと広範囲)に理解を深め、次に天下の状況(サタンによる地球劇場)を知ることになったという感じになるかも知れません。 "スサノオ" = サタンの一方的な使い方だけでなく、ひねらなければいけないような意味が感じられる内容です。
真の懺悔とは、ただ謝って反省する事ではありません。 正法をおさめることです。 まず慢心をなくし、次に心を真理を理解に努め、次にミロクの真理をキモに入れるのです。 素盞鳴(スサナル)の大神は先づ滄海原を御め給い、更に蒼海之原を治め給い、次に天下(あめのした)を知め給うたのです。 素盞鳴の大神が悪神と映るのは悪があなたの中にあるからなのです。
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jula です。 こんな感じではいかがでしょうか?
御魂磨き、めぐりとりをして、現界の常識を綺麗さっぱり洗い流す事から始まるのです。 素盞鳴(スサナル)の大神は先づ滄海原をならして形、形態にして、 更に蒼海之原を原理、一定の働きを与え 次に天下(あめのした)を、それがなんであるのかわかるよう、理解できるように(分類?)したのです。 素盞鳴の大神が悪神とうつるのは悪がそなたの中にあるからであるぞ。 善の神、悪の神と分類して悪神であるとうつるのは悪という概念があるからこそそう思えるのです。 (でも実際には必要であるからこそあるのですよ)
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ロックです。 julaさんこんばんは。 すっきりしてわかりやすくなった感じです。 めぐり取りをした上で現界の常識を洗い流す際の気持の上での摩擦などが対応の難しいところですね。 常識外れなことをして社会から弾き出されることではないでしょうから(^^) 多分そこで善と悪を引き合いに出して、もめてしまうこともめぐり取りのようで、一回で気づく方もいれば百回聞いて気づく方もいるでしょうし、千回聞いても分からない方も。 出てくる結果は人それぞれで無駄はないのかなと思うようになってきました。 そのジタバタの蓄積で得た物が正法なのかなと思いました。 正しい方法も法則も、検証するからこそわかることですね。 これ、でもjulaさんのこの解読は、シンプルですごいですよ。 真の懺悔は言い換えるなら正法を見つけるために検証し、ひとつづつ身に付けていくこととするならば、地球劇場で育てられた人類に期待をかける意思も感じられます。
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ロックです。 隙間時間に一つでも、、、
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