良い宇宙人と悪い宇宙人,宇宙の真相, The Earth is Controlled by Evil Alien


NO4234 


碧玉の巻 第十帖(025)(874) ・第十一帖(026)(875) ・第十二帖(027)(876)・ 第十三帖(028)(877)・ 第十四帖(029)(878)・ 第十五帖(030)(879) ・第十六帖(031)(880)・ 第十七帖(032)(881) ・第十八帖(033)(882)・ 第十九帖(034)(883)  


ロックさんのメール

ロックです。頭痛がひどくなってきて作業がままなりません(+_+)

今、碧玉の巻の五度の岩戸閉めに関する内容に取り掛かってますが、


天と地の間に大きいレンズがあると思えば段々と判りてくるぞ

の意味を考えてますが、その文の前に


一捻りしてあるのじゃ

とあるので、レンズで大きく拡大ということではなく、うまく説明できないですが、 何となくイメージでカメラで写したように光が中で屈折するような感じですかね?

判る方に聞きたいのですがレンズから入った光は屈折するんですか(・・?

何か実際そうなるかもよくわからないのですが、どなたか、屈折するイメージだけ先行してますのでお聞きして本当はどうなのかすっきりしたいです(≧ε≦)

モヤモヤーン


トッチさんのメール

トッチです。

凸・凹レンズは光線の束を発散させたり収束させて実像と虚像を結びます。

凹レンズは、物体から出た光を発散し、発散された光線を逆向きに延長し、 逆向きの像が出来ます。

凸レンズも確か、目から一定の距離まで離すと、 像が逆様に見えるポイントがあったと思います。

元の光は同じなのですが、レンズを通して見ると一ひねりされて 逆様に見えたり、拡大・縮小された像が見えます。

現界を「実像」、神界と霊界を妙な事に思える「虚像」的な世界として 捉えますと、何となく意味が分るような気がしないでしょうか。

また逆に、この世の身魂はわざわざ逆立ちをして歩いて 苦労しているそうですので、現界が虚像化していると考えた方が 良いのかも知れませんね。

天と地の間にあるレンズを外して見る事が出来れば、 天の事もストレートに見えるのでしょうか。

捉え違いかもしれませんので、参考程度に流してください。

「夫神、妻神、別れ別れになり、一方的となり、 岩戸が閉められることになった道理、判るでしょう。」

これは、先日julaさんが下さいましたメールの内容がそのまま良い 解説となると思います。


julaさんのメール


一ヶ処(ひとところ)の御用は 二人宛(づつ)で実行してください。

とありますが、何故でしょうね。

という事で?!、検索した帖は省いて私のコメントダイジェスト〜。

臣人を統括する者?は火(ヤ)と水(ワ)の二人でよいのですよ。

イザナギばかりでは八方までの拡がりまでしか出せません。

やがては八方塞がりと成ってしまいます。

愛{火(ヤ)}と智{水(ワ)}両者が必要なようです。

お互いに気づけ合ってくれ よということのようです。

イザナギ、イザナミあわせてこそ本当の拡がりある国々神々を産み出す事が出来るのです。


世界の民の会二人でやれよ、

一人でしてならんぞ、

くどう気つけあらうがな。

二人でせよと申してあるのは裏表合せて一つぞ。

二人で一人でせねばならん。

統一ないところ力生れんぞ。

神懸かれた人、神人の事を言っているのかも知れませんね。

どちらか片側ばかり頑張っても、片輪車トンテントンテンで同じ所をグルグル巡るば かり、という事なのでしょうね。

お土から産まれたもの達は、その土の上で種を撒いて、また更に新たなる弥栄を(百 姓のように)育みなさい。

おそらく、ひふみのあちこちで出てくる“百姓”とは、土から産まれ土と共に生き、 土を育む者達というような事を言っているのでしょうね。


おもひの世界が天ぞ。

にくの世界が地ぞ。

おもひは肉体と一つぞ。

二つぞ。

三つぞ。

おもひ起って肉体動くぞ。

肉体動いておもひ動くこともあるぞ。

生れ赤児の心になっ て聞いて下されよ。

何も彼も、ハッキリうつるぞ。

陰と陽、右と左、上と下、前と 後、男と女と考へてゐるなれど、

タカミムスヒとカミムスヒと考へてゐるなれど、

別のミナカヌシ、現はれるぞ。

逗、髄、瑞、崇、推、雛、枢、趨、卍、人、食、杉、 よく見て下されよ。

一であり、二であり、三であらうがな。

三が道と申してあろう。

陰陽二元でないぞ。

三元ぞ。

一と二が和合して三となり道となる。

故に一のみではなく二人で力合わせてやって下されという感じのようです。

一の現れのひとつがタカミムスヒであり、二の現れのひとつがカミムスヒでありま す。

一と二が和合して働きかけることで、別 のミナカヌシが現はれるのです。


トッチさんのメール

碧玉の巻第07帖(022)と碧玉の巻第06帖(021)のjulaさんの解釈はグッと来ました。

名前がjulaさんなのに大祓詞まで読みこなして、まるで

「ヘビメタルックのミュージシャンが実はクラシックの名手だった!」

なんて驚きがあったりします。


ロックさんのメール

ウロチョロしながらボチボチ作業してます。

この碧玉の巻第十帖は、文の感触から降ろした存在が、それまで降ろしていた存在と違う気がしました。

どちらかというと初期のひふみ神示を降ろした存在が出てきた感じですかね。

続けて〜から、〜からと続く文に解読に取り掛かった当初のジタバタ作業の懐かしさを感じました。

上つ巻第二帖にもこの繰り返しの〜から、〜からと続くフレーズが出てきます。

この帖は難解で解読は難しいですけど、自分にできる視点はこんなところかと思いました。


ロックさんのメール

補足でこちらの碧玉の巻第十帖の

「〜から、〜から」

というフレーズの一例です。


夫神、妻神、別れ別れになったから、 一方的となったから、岩戸がしめられたのである道理、判るであろうがな。

上つ巻第二帖からの同じフレーズです。


手柄は千倍万倍にして返すから、 人に知れたら帳 引きとなるから、人に知れんやうに、人のため国のため働けよ、それがまことの神の神民ぞ。

二年前の最初右も左もわからずジタバタしていた作業の時に、この文章が出てきて、意図が二つあるみたいで文章にしにくかった覚えがありました。

他にも、上つ巻の文章の感触と下つ巻の文章の感触が気になるところです。

伝えたい内容の重要度で降りる存在が変った?ような気もします。


碧玉の巻 第10帖(874)

岩戸は五回閉められてゐるのざぞ、

那岐(なぎ)、那美(なみ)の尊の時、

天照大神の時、神武天皇の時、

仏来た時と、

大切なのは須佐之男神様に罪着せし時、

その五度の岩戸閉めであるから此の度の岩戸開きはなかなかに大そうと申すのぞ。

 岩戸しめの始めはナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時であるぞ、

ナミの神が火の神を生んで黄泉国に入られたのが、そもそもであるぞ、

十の卵を八つ生んで二つ残して行かれたのであるぞ、

十二の卵を十生んだことにもなるのであるぞ、

五つの卵を四つ生んだとも言へるのであるぞ、

総て神界のこと、

霊界のことは、現界から見れば妙なことであるなれど、

それでちゃんと道にはまってゐるのであるぞ。

一ヒネリしてあるのぢゃ、

天と地との間に大きレンズがあると思へば段々に判りてくるぞ。

夫神、妻神、別れ別れになったから、一方的となったから、岩戸がしめられたのである道理、判るであろうがな。

その後、独り神となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになったのであるが、それが一方的であることは申す迄もないことであろう、

妻神も同様、黄泉大神となられて、黄泉国の総てを生み育て給ふたのであるぞ、

この夫婦神が、時めぐり来て、千引の岩戸をひらかれて相抱き給う時節来たのであるぞ、

うれしうれしの時代となって来たのであるぞ。

同じ名の神が到るところに現はれて来るのざぞ、

名は同じでも、はたらきは逆なのであるぞ、

この二つがそろうて、三つとなるのぞ、

三が道ぞと知らせてあろうがな。

時来たりなば この千引の岩戸を倶にひらかんと申してあろうがな。

次の岩戸しめは天照大神の時ぞ、

大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、

ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞと知らせてあろう。

いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神、揃ふてお出まし近うなって来たぞ。

次の岩戸しめは素盞鳴命に総ての罪をきせてネの国に追ひやった時であるぞ、

素盞鳴命は天下(あめがした)を治しめす御役(おんやく)の神であるぞ。

天ヶ下(あめがした)は重きもののつもりて固まりたものであるからツミと見へるのであって、よろづの天の神々が積もる(と言ふ)ツミ(積)をよく理解せずして罪神と誤って了ったので、これが正しく岩戸しめであったぞ、

命(みこと)をアラブル神なりと申して伝へてゐるなれど、 アラブル神とは粗暴な神ではないぞ、

あばれ廻り、こわし廻る神ではないぞ、

アラフル(現生る)神であるぞ、

天ヶ下、大国土を守り育て給う神であるぞ、

取違ひしてゐて申しわけあるまいがな。

このことよく理解出来ねば、今度の大峠は越せんぞ。

絶対の御力を発揮し給ふ、ナギ、ナミ両神が、天ヶ下を治らす御役目を命じられてお生みなされた尊き御神であるぞ。

素盞鳴の命にも二通りあるぞ、

一神で生み給へる御神と、

夫婦呼吸を合せて生み給へる御神と二通りあるぞ、

間違へてはならんことぞ。

神武天皇の岩戸しめは、御自ら人皇を名乗り給ふより他に道なき迄の御働きをなされたからであるぞ。

神の世から人の世への移り変りの事柄を、一応、岩戸にかくして神ヤマトイハレ彦命として、人皇として立たれたのであるから、大きな岩戸しめの一つであるぞ。

仏教の渡来までは、わずかながらもマコトの神道の光がさしてゐたのであるなれど、仏教と共に仏魔わたり来て完全に岩戸がしめられて、クラヤミの世となったのであるぞ、

その後はもう乱れほうだい、やりほうだいの世となったのであるぞ、

これが五度目の大き岩戸しめであるぞ。


■平易意訳■

岩戸閉めの始めはナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時です、ナミの神が火の神を生んで黄泉国に入られたのが、そもそもであるのです。

十の卵を八つ生んで二つ残して行かれたのです。

それは十二の卵を十生んだことにもなるのです。

五つの卵を四つ生んだとも言えるのです。

総て神界のこと、霊界のことは、現界から見れば妙なことであるなれど、それでちゃんと道にはまっているのです。

一捻りしてあるのです。

天と地との間に大きレンズがあると思えば段々に判ってきます。

夫神、妻神、別れ別れになり、一方的となり、岩戸が閉められることになった道理、判るでしょう。

その後、独り神となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになったのですが、それが一方的であることは云う迄もないことでしょう。

妻神も同様、黄泉大神となられて、黄泉国の総てを生み育てたのです。

この夫婦神が、時めぐり来て、千引の岩戸を開かれて相抱き給う時節来たのです。

うれしうれしの時代となって来たのであるぞ。

同じ名の神が到るところに現はれて来るのざぞ、

名は同じでも、はたらきは逆なのであるぞ、

この二つがそろうて、三つとなるのぞ、

三が道ぞと知らせてあろうがな。

時来たりなば この千引の岩戸を倶にひらかんと申してあろうがな。

次の岩戸しめは天照大神の時ぞ、

大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、

ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞと知らせてあろう。

いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神、揃ふてお出まし近うなって来たぞ。

次の岩戸しめは素盞鳴命に総ての罪をきせてネの国に追ひやった時であるぞ、素盞鳴命は天下(あめがした)を治しめす御役(おんやく)の神であるぞ。

天ヶ下(あめがした)は重きもののつもりて固まりたものであるからツミと見へるのであって、よろづの天の神々が積もる(と言ふ)ツミ(積)をよく理解せずして罪神と誤って了ったので、これが正しく岩戸しめであったぞ、命(みこと)をアラブル神なりと申して伝へてゐるなれど、アラブル神とは粗暴な神ではないぞ、あばれ廻り、こわし廻る神ではないぞ、

アラフル(現生る)神であるぞ、

天ヶ下、大国土を守り育て給う神であるぞ、

取違ひしてゐて申しわけあるまいがな。

このことよく理解出来ねば、今度の大峠は越せんぞ。

絶対の御力を発揮し給ふ、ナギ、ナミ両神が、天ヶ下を治らす御役目を命じられてお生みなされた尊き御神であるぞ。

素盞鳴の命にも二通りあるぞ、

一神で生み給へる御神と、

夫婦呼吸を合せて生み給へる御神と二通りあるぞ、

間違へてはならんことぞ。

神武天皇の岩戸しめは、御自ら人皇を名乗り給ふより他に道なき迄の御働きをなされたからであるぞ。

神の世から人の世への移り変りの事柄を、一応、岩戸にかくして神ヤマトイハレ彦命として、人皇として立たれたのであるから、大きな岩戸しめの一つであるぞ。

仏教の渡来までは、わずかながらもマコトの神道の光がさしてゐたのであるなれど、仏教と共に仏魔わたり来て完全に岩戸がしめられて、クラヤミの世となったのであるぞ、

その後はもう乱れほうだい、やりほうだいの世となったのであるぞ、

これが五度目の大き岩戸しめであるぞ。


■平易意訳■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

{第一回の岩戸閉め}

岩戸閉めの始めは ナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時です。

ナミの神が火の神を生んで黄泉国に入られたのが、そもそもであるのです。

十の卵を八つ生んで、二つ残して行かれたのです。

十二の卵を十生んだことにもなるのです。

五つの卵を四つ生んだとも言えるのです。

総ては 神界の出来事、霊界の出来事は 現界から見れば妙なことに見えるのですが、それはそれで、ちゃんと道にはまっているのです。

一ヒネリしてあるのです。

天と地との間に大きレンズがあると思えば、段々に判るようになります。

夫神、妻神、別れ別れになったから、一方的となったから、岩戸が閉められたのです。

この道理は 判るでしょうね。

その後、独り神となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになったのであるが、それが一方的であることは云う迄もないことです。

妻神も同様、黄泉大神となられて、黄泉国の総てを生み育てたのです。

この夫婦神が、時めぐり来て、岩穴の千引の岩戸を開かれて相抱きかかえる時節が来たのです。

嬉し嬉しの時代となって来たのです。

「同じ名の神」が到るところに現はれて来るのです。

名は 同じでも、働きは 逆なのです。

この二つが揃って、三つとなるのです。

三が道ですと知らせています。

時が来ましたら、この千引の岩戸を倶に開くのです。

{第二回の岩戸閉め}

次の岩戸閉めは 天照大神の時でした。

大神は まだ岩戸の中にいるのです。

ダマシタ岩戸からは ダマシタ神がお出ましになつたのです。

いよいよとなって誠・真の天照大神、天照皇大神、日の大神、揃ってお出ましになるのです。

そのお出ましの時期が近うなって来ました。

{第三回の岩戸閉め}

次の岩戸閉めは 素盞鳴命に総ての罪をきせて「ネの国」に追いやった時でです。

素盞鳴命は 天下(あめがした)を治しめす御役(おんやく)の神です。

天ヶ下(あめがした)は 重きものの積もり固まりたものであるから「積み」罪と見えるのです。

よろづの天の神々が積もる(と言ふ)ツミ(積)をよく理解せずして罪神と誤ってしまったのです。

(言葉の「積み」と「罪」を間違ってしまつたことにあるのです)

これが正しく岩戸閉めあったのです。

命(みこと)をアラブル神と云い伝えていますが、アラブル神とは 粗暴な神ではありません。

暴れ廻り、壊し廻る神ではないのです。

アラフル(現生る)神あるのです。

(「アラフル(現生る)神」と「アラブル神」と取り違えたのです。 )

天ヶ下、大国土を守り育てくれる神であります。

取り違いしていて申しわけないでしょう。

このことよく理解出来なければ、今度の大峠は 越せません。

絶対の御力を発揮してくれる、ナギ、ナミ両神が、天ヶ下を治らす御役目を命じられてお生みなされた尊き御神なのです。

素盞鳴の命にも二通りあります。

一神で生んだ御神と、夫婦呼吸を合せて生んだ御神と二通りあります。

このことを間違えてはなりません。

{第四回の岩戸閉め}

神武天皇の岩戸閉めは 御自らが人皇を名乗るより他に道がない迄の働きをしたからです。

神の世から人の世への移り変りの事柄を、一応、神を岩戸に隠して「大和磐彦命」として、人皇として立たれたのであるから、大きな岩戸閉めの一つであるのです。

{第五回の岩戸閉め}

それでも、仏教の渡来までは、わずかながらも真・誠の神道の光がさしていたのです。

しかし、仏教と共に仏魔が渡って来て、完全に岩戸が閉められたのです。

暗闇の世となったのです。

その後は もう乱れほうだい、やりほうだい、の世となったのです。

これが五度目の大き岩戸閉めであるのです。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

岩戸閉めの始めはナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時ですよ。

ナミの神が火の神を生んで黄泉国に入られたのが、そもそもなのです。

十の卵を八つ生んで二つ残して行かれたのです。

十二の卵を十生んだ事にもなるのですよ。

五つの卵を四つ生んだとも言えるのです。

総て神界のこと、霊界のことは、現界から見れば妙なことではありますが、それでちゃんと道にはまっているのですよ。

一ヒネリしているのです。

天と地との間に大きなレンズがあると思えば段々判って来ますよ。

夫神、妻神が別れ別れになったから、一方的となったから、岩戸が閉められた道理、判るでしょうね。

その後、独り神となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになったのですが、それが一方的であることは言うまでもないでしょう。

妻神も同様、黄泉大神となられて、黄泉国の総てを生み育て給うたのですよ。

この夫婦神が時巡り来て、千引の岩戸を開かれて相抱き給う時節が来たのですよ。

うれしうれしの時代となって来たのですよ。

同じ名の神が到るところに現れて来るのですよ。

名は同じでも働きは逆なのです。

この二つが揃って三つとなるのです。

三が道と知らせてあるでしょう。

時が来ればこの千引の岩戸を倶に開かんと言ってあるでしょう。

次の岩戸閉めは天照大神の時です。

大神はまだ岩戸の中に居ります。

騙した岩戸からは騙した神がお出ましだと知らせてあるでしょう。

いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神が揃っての御出ましが近くなって来ましたよ。

次の岩戸閉めは素盞鳴命に総ての罪をきせてネの国に追いやった時ですよ。

素盞鳴命は天下(あめがした)を治しめす御役(おんやく)の神ですよ。

天ヶ下(あめがした)は重いもののつもりで言い伝えていますが、アラブル神とは粗暴な神ではありません。

暴れ廻り、壊し廻る神ではありませんよ。

アラフル(現生る)神です。

大国土を守り育て給う神ですよ。

取り違いしていては申し訳ないでしょう。

この事を良く理解できなければ、今度の大峠は越せないのです。

絶対の御力を発揮し給う、ナギ、ナミ両神が、天ヶ下を治らす御役目を命じられてお生みなされた尊き御神なのですよ。

素盞鳴の命にも二通りあります。

一神で生み給へる御神と、夫婦呼吸を合せて生み給へる御神との二通りあります。

間違えてはいけませんよ。

神武天皇の岩戸閉めは、御自ら人皇を名乗り給うより他に道が無い迄の御働きをなされたからですよ。

神の世から人の世への移り変りの事柄を、一応、岩戸に隠して神ヤマトイハレ彦命として、人皇として立たれたのですから、大きな岩戸しめの一つなのです。

仏教の渡来までは、わずかながらもマコトの神道の光が射していたのですけども、仏教と共に仏魔も渡ってきて、完全に岩戸が閉められ、その後はもう乱れ放題、やり放題の世となったのです。

これが五度目の大きな岩戸閉めなのです。


■解説と補足説明■

ロックさんの解釈 :(一巡目)

これは、とても大事なことを伝えている内容とはわかりますが、内容が一ひねりどころかいくつにもひねってあるようで、難しいです。

太陽にお願いしたいと思います。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

神の代から神武天皇までの岩戸閉めについての説明です。

「三が道」

「天と地との間に大きなレンズがあると思えば段々判って来る」

アラブル神とは粗暴な神ではない。

暴れ廻り、壊し廻る神ではない。

アラフル(現生る)神です。」

この3つを難解なポイントとしてあげておきます。


ロックさんのメール

ロックです。

トッチさんこんにちは。

レンズの解説ありがとうございます。

サタンもたくさんの虚像を作り出してますので、見通すX線のようなレンズがない と、どれが実像なんだかわからない状態ですね。

この地球劇場に向かった身魂は、それがわかっていてあえてここに生まれてきたので しょうか。

地球に生まれてくる身魂は、この宇宙でサタンによって前に持っていた肉体を滅ぼさ れ、 そこから出た魂を捕獲されて、地球上の生命として、製造、飼育管理されているので しょうか。

なんか、そんなことを考えてしまいました。

で、現在は宇宙での形成が逆転していて、滅ぼしてきた天使やこの宇宙での生命体の 魂を使えず、人間の製造に使う魂が激減しているために、 その過剰生産を補うために、ゴキブリで育てられた魂を使ったり、獣の魂を使ったり しているかもとも考えてしまいました。

人間界の畜産の現場などで起きていることは、サタンの構築してきた社会の中でも起 きているのかなと、、、


千成の返事

千成です。

トッチさん、レンズの詳しい説明ありがとうございます。

ヨッシーさんが集めてくださった最近の画像の中に 以下のようなものがありました。

太陽の遮蔽板をレンズとすると、一ひねりしてある部分 も右上にあったりして・・・



トッチさんのメール

トッチです。

千成さん、こんにちは。

これは一ひねり軌道を変えたと見るべき物のようですね。

目(カメラレンズ)から見て遮蔽版と同じ大きさに写ってますので、 結構な至近距離を何かが通過したのでしょう。

C2よりもC3は広角ですので、 被写界深度が深い為に距離が近くてもピントが合って、 この様に写りこむのだと思います。

SOHOのシャッター速度は分りませんが、 とんでもない速度で通過し、更には速度を変えずに 急な針路変更が可能なのですから、そのテクノロジー恐るべしですね。

地球の迎撃ミサイルが何万発放たれようが、1発も当たる事は無いでしょう。

都市攻撃のUFOは鼻歌交じりで堂々と正面からやって来るのでしょうね。

狩りと破壊を楽しみにワクワクしながら・・・


碧玉の巻第11帖(026)

宇宙の総てが高天原(タカアマハラ)であるぞ。

天照大神は高天原を治し、

また高天原を御(しら)し、

また高天原を知らす御役、

月読大神は天照大神と並びて天のことを知らし、

また【あほうなはら】の汐の八百路を治し、

また夜の食す国を知らす御役、

素盞鳴の大神は【あほうなはら】を治らし、

又 滄海之原を御(しろ)し、

又、天下を知(し)(治)らす御役であるぞ。


■平易意訳■

宇宙の総てが高天原(タカアマハラ)です。

天照大神は高天原を治し、また高天原を御(しら)し、

また高天原を知らす御役、

月読大神は天照大神と並びて天のことを知らし、

また【あほうなはら】の汐の八百路を治し、

また夜の食す国を知らす御役、

素盞鳴の大神は【あほうなはら】を治らし、

又 滄海之原を御(しろ)し、又、天下を知(し)(治)らす御役なのです。

役割りの説明のようですね。


■平易意訳■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

宇宙の総てが高天原(タカアマハラ)であるのです。

天照大神は高天原を治し、

また、高天原を御(しら)し、

また、高天原を知らす、

御役です。

月読大神は天照大神と並びて天のことを知らし、

また、【あほうなはら】の汐の八百路を治し、

また、夜の食す国を知らす、 御役です。

素盞鳴の大神は【あほうなはら】を治らし、

又、滄海之原を御(しろ)し、

又、天下を知(し)(治)らす、 御役です。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

宇宙の全てが高天原(タカアマハラ)ですよ。

天照大神は高天原を治し、また高天原を御(しら)し、また高天原を知らせる御役です。

月読大神は天照大神と並んで天の事を知らせ、又、【あほうなはら】の汐の八百路を治し、又、夜の食す国を知らせる御役です。

素盞鳴の大神は【あほうなはら】を治らし、又 滄海之原を御(しろ)し、又、天下を知(し)(治)らす御役なのであります。


■解説と補足説明■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

従って、高天原に帰るということは地上から宇宙へ帰ると云う意味となります。

ロックさんの解釈 :(一巡目)

内容が月光の巻 第06帖とかぶりますね。

何でしょう?

いくつかこういう神示があります。

スサノオのことが覚醒した太陽の仕事というか何かを暗示している感じです。

太陽に解読をお願いしたい内容です。


碧玉の巻第12帖(027)

ささげるもの、与へるものは、いくらでも無限にあるでないか、

ささげよささげよ、

与へよ与へよ、

言(ことば)こそは誰もがもてる 其(理)のささげものであるぞ、

与へても与へても無くならんマコトの宝であるぞ。


■平易意訳■

捧げる物、与える物は、いくらでも無限にあるでないですか、

捧げなさい捧げなさい、

与えなさい与えなさい、

言(ことば)こそは誰もが持てる其(理)の捧げ物なのです、

与えても与えても無くならない誠・真の宝なのです。

私見ですが思いやりを尽くした言葉は、一つの真理のような物になるのでしょうか。

神示を理解し、その中味について体現できたことを、知らしめ、言葉として知らせる事が出来ることは、素晴らしい捧げ物与える物になるのかと思います。

それは弥栄な内容ゆえに与えても与えても無くなる事はない真・誠の宝なのかもしれません。


■平易意訳■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

神に捧げるもの、与えるものはいくらでも無限にあるでしょう。 捧げなさい。

与えなさい、与えなさい。

言(ことば)こそは誰もが持っている其(理)の捧げものです。 与えても与えても、無くならない誠・真の宝です。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

ささげるもの、与えるものは、幾らでも無限に有るではないですか。

捧げよ捧げよ、与えよ与えよ。

言(ことば)こそは誰もがもてる 其(理)の捧げ物ですよ。

与えても与えても無くならない真の宝ですよ。


■解説と補足説明■

ロックさんの解釈 :(一巡目)

『 捧げるもの、与える物は、いくらでも無限にあるではないか、捧げよ捧げよ、与えよ与えよ、言葉こそは誰もが持てる理の捧げ物であるぞ、与えても与えても無くならん真の宝であるぞ。 』

智慧を少しでも持っているなら、頭を使って言葉を使いなさいというコミュニケーションの奥義の伝授みたいに聞こえます。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

神示にある真理を語り伝えなさいとの内容と受け取りました。


julaさんのメール

jula です。

碧玉の巻第12帖(027)


ささげるもの、与へるものは、いくらでも無限にあるでないか、

ささげよささげよ、

与へよ与へよ、

言(ことば)こそは誰もがもてる 其(理)のささげものであるぞ、

与へても与へても無くならんマコトの宝であるぞ。

ささげるもの、与えるものは有限だと思っているのですか?

いくらでも無限にあるではないですか。

もっともっとささげなさい、

もっともっと与えなさい。

言(ことば)こそは誰もが(人のみならず土、木、石、動物であろうとなんであろうと)持つことが出来る、そして持っているささげものなのですよ。

(言葉はマコトの枝葉です。マコトを基にしたバリエーションなのです)

(人、土、木、石、動物各々毎の)言葉を持ってしてマコトをどんどんどんどん供給して与え合ってください。

ことばはマコトをささげ、与える事が出来るマコトの宝物なのですよ。

マコトを理解し体得し語り合いなさい、

与え合いなさい、ささげあいなさい。

交流しなさいという感じに解釈てみました。


碧玉の巻第13帖(028)

まだのみ追ふてゐる人民 沢山あるなれど、では世は治まらん、

自分自身は満たされんぞ、

でなくてはならん、

と申してだけでもならんぞ、

が元ぢゃ、

内ぢゃ、

は末ぢゃ、外ぢゃ、

から固めて下されよ、

はおのづから出来てくる、

ふさはしいが出来てくるのぢゃ。

今の世はひらけたひらけたと申しているが、

それは半面だけのこと、

半面がひらけると半面がとざされる世の中、

開け放しの明るい世が目の前に来てゐるぞ。

用意はよいか、

真中うごいてはならんと申してあろう、

動くのは外ぢゃ、

忙しい急しいと申すのは外側にゐる証拠であるぞ、

気つけて早う中心に飛び込めよ、

真中結構、

日本は真中の国であるぞ、

日本精神は真中精神、

末代動かぬ精神であるぞ、

三千世界の大掃除であるから、

掃除するには、掃除する道具もゐるぞ、

人民もゐるぞ、

今の有様では、いつ迄たっても掃除は出来ん、

益々けがれるばかりぢゃ、

一刻も早く日本から、日本を足場として最後の大掃除を始めて下されよ。

神が致すのでは人民がかあいそうなから、【くどう】申してゐるのぞ。

使用された特殊文字  


■平易意訳■

まだのみ追っている人民が 沢山いますが、では世は治まりません。

自分自身は満たされませんよ、

でなくてはなりません、

と云ってだけでもなりませんよ、が元、内です、

は末で、外です、

から固めて下さい、

はおのづから出来てくる、

ふさわしいが出来てくるのです。

今の世は開けた開けたと云っていますが、

それは半面だけのこと、

半面が開けると半面が閉ざされる世の中、

開け放しの明るい世が目の前に来ているのです。

用意はよいですか、

真中動いてはなりませんと云っているでしょう、

動くのは外です、

忙しい急しいと云うのは外側にいる証拠なのです、

気をつけて早く中心に飛び込みなさい、

真中結構、

日本は真中の国なのです、

日本精神は真中精神、

末代動かぬ精神です、

三千世界の大掃除ですから、

掃除するには、掃除する道具もいります、

人民もいるのです、

今の有様では、いつ迄たっても掃除は出来ません、

益々穢れるばかりです、

一刻も早く日本から、日本を足場として最後の大掃除を始めて下さい。

神が致すのでは人民が可哀想ですから、【くどく】云っているのです。

内から変えていくことが必要なようです。

他人に変節を求める前に自らが変わる必要があるということにも聞こえますが、、、

その姿が影響して、周りも納得する○が出来てくるのかも。

忙しい、急しいと言うのは外側にいる証拠のようです。

仕事などもひふみによれば学びの一つですから、忙しいなどの外見上の状況に囚われて不平を述べているのは、本質的なその状況での学びを放棄してしまっているということでしょうか。

常に本質に繋がる学び、ひふみ道?を心がけていれば、生活そのものが学びであるから心の軸の真ん中は動かない精神でいられるかもしれませんね。

真中結構、

日本は真中の国なのです、

日本精神は真中精神、

末代動かぬ精神です、

三千世界の大掃除ですから、掃除するには、掃除する道具もいります、人民もいるのです、

今の有様では、いつ迄たっても掃除は出来ません、

益々穢れるばかりです、

一刻も早く日本から、日本を足場として最後の大掃除を始めて下さい。

この巻の名前である、碧玉とは、太陽のことかも知れませんね。

確か、太陽の光は緑という記述があったと思います。

また他には、掃除をするために配置されている道具もあれば、人民がたくさんいるようですね。

善も悪もないという所以でしょうか。

全ては、三千世界の建て直しのための布陣であり、存在が許されているからこそ存在するし、その役割りのために機能していると言うこと?

また人民達が自ら動く事がないまま、神が仕組を発動させたら、人民には為すすべなく可哀想なことになるから、ちゃんとやりなさいとくどく言いつけているようです。


■平易意訳■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

まだ、○のみを追っている人民が沢山いますが、○では世は治まりません。

自分自身は満たされません。

誠でなくてはなりません。

と云っても神だけでもなりません。

神が元です。

内です。

○は末です。

外です。

ですから内から固めて下さい。

○はおのづから出来てきます。

相応しい○が出来てくるのです。

今の世は開けた開けたと云っていますが、それは半面だけのことです。

半面が開けると半面が閉ざされる世の中です。

開け放しの明るい世が目の前に来ています。

人民は用意はよいですか。

真中が動いてはなりません。

動くのは外です。

忙しい急しいと云うのは外側にいる証拠です。

気をつけて早く中心に飛び込みなさい。

真中結構 日本は真中の国です。

日本精神は真中の精神です。

末代まで動かぬ精神であるのです。

霊界から地上界までの三千世界の大掃除ですから、掃除するには掃除する道具もいるのです。

人民もいるのです。

今の有様ではいつ迄たっても掃除は出来ません。

益々穢れるばかりです。

一刻も早く、日本から、日本を足場として、最後の大掃除を始めて下さい。

神が大掃除をするのでは人民が可哀想ですから、【くどく】言いつけているのです。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

まだ○のみ追っている人民が沢山おりますが、○では世は治まりません。

自分自身は満たされませんよ。

吹()でなくてはいけません。

と言って吹()だけでもいけませんよ。

吹()が元です。

内です。

○は末です。

外です。

吹() から固めて下さいよ。

○は自ずから出てきます。

相応しい○が出てくるのです。

今の世は開けた開けたと言っていますが、それは反面だけの事。

反面が開けると反面が閉ざされる世の中。

開けっ放しの明るい世が目の前に来ていますよ。

用意はいいですか。

真ん中が動いてはいけないと言っているでしょう。

動くのは外です。

忙しい急しいと言うのは外側にある証拠ですよ。

気を付けて早く中心に飛び込んで下さいよ。

真ん中結構。

日本は真ん中の国なのですよ。

日本精神は真ん中精神。

末代までも動かない精神なのです。

三千世界の大掃除ですから、掃除するには掃除をする道具が必要ですよ。

人民も必要です。

今の有様では、いつまでたっても掃除は出来ません。

益々穢れるばかりです。

一刻も早く日本から、日本を足場として最後の大掃除を始めて下さいよ。

神が(大掃除を)するのでは人民が可哀想になりますから、くどく言っているのです。


■解説と補足説明■

ロックさんの解釈 :(一巡目)

『 一刻も早く日本から、日本を足場として最後の大掃除を始めて下されよ。

神が致すのでは人民がかあいそうなから、【くどう】申してゐるのぞ。』

人民が可哀想だからノアの大洪水が駆動すると伝えているのですよ。

この内容は建て直しが日本から始まることを暗示していますね。

解読は太陽にお願いしたい内容です。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

「まだ○のみ追っている人民が沢山おりますが、○では世は治まりません。

自分自身は満たされませんよ。

吹()でなくてはいけません。

と言って吹だけでもいけませんよ。

吹が元です。

内です。

○は末です。

外です。

吹から固めて下さいよ。

○は自ずから出てきます。

相応しい○が出てくるのです。」

○=仕組み(ルール)

吹()=神の真理

現時点での解釈ですが、こうすると意味が通じるのではないかと思います。

「一刻も早く日本から、日本を足場として最後の大掃除を始めて下さいよ。」

日本にミロクが存在する事を示唆しているようです。


julaさんのメール

碧玉の巻第13帖(028) をそれぞれ、


=完成形、

=完成形を形成する部品

として捉えると、そのまま読めちゃいそうですね。


まだ完成形、理想像ばかり追いかけている人民沢山いますが、完成形、理想像をイメージしたり擬似的に用意するだけでは世は治まりません。

まして自分自身が満たされる事もありません。

ひと先ずは部品として働かなければなりません。

と言っても部品ばかりあるだけではいけないのですよ。

それでもともかく、先ずは納まるべき部品が必要です。

それらの構成要素の部品が集まってこその完成形であり現れとなるのですから、先ず部品をしっかり固めてください。そうしていけばそれに相応しい完成形が出来てくるのです。

今の世は文明や技術が開花進展したと言っていますが、 それは反面だけの事なのです。

正しい部品が納まっていない見かけばかりの張りぼてで、取り繕ってばかりです。

そんな事をしなくても正しい部品が納まった結果としての様相であれば、何事も隠し立てする必要の無い明るい、明瞭な世が目の前にまで来ているのですよ。

用意はいいですか?

構成部品があっちにこっちに動き回ってしまってはいけませんよ。

構成部品がしっかりし、軸が定まる事で外側がぶれなく正しく働けるのです。

ぶれが出てしまって補正に忙しい急がしいと言っているのは、本来あるべき構成部品を用意せずに外側からばかり介入し補正しようとしているからですよ。

あなたの本来の役割に気づいて、外側から無理やり補正しようとするのではなく、構成部品として正し位置に収まり結果完成形となってください。

真中で中心軸となる部品となって働いてください。

真中が大事なのですよ。

日本は丁度中心軸の国なのですよ。

日本精神は周りの意見を取り込みつつも、溶け込み合い大事な構成部品となり働ける事を指していますよ。

それは末代までも変わることなく保持されるべき精神、心の現れ、性質なのですよ。

三千世界の大掃除となりますから、掃除するための道具(完成形?)も必要です、

その道具を使う人民も必要です。

しかし今の有様ではみな我よしで構成部品として働く者が居ません。

このためいつ迄たっても掃除は出来ませんし、結果益々現界が穢れていくばかりです。

一刻も早く日本を部品を集め有効に働かせる場として、足場として最後の大掃除を始めて下い。

どうせ分かりはしないと神が全てやってしまうのでは、人民が可愛そうです。

ですからくどく言っているのですよ 。


碧玉の巻 第14帖(878)

頭と尻尾だけでは何も出来ん、

化物ぢゃ。

八尾八頭(かしら)の時代はすんだのであるぞ、

【かんじん】の胴体がないぞ、

日本が胴体であるぞ、

日本を何処に忘れて来たのか、

自分でも判るまいがな、

尻の毛まで抜かれた化物の姿、

鏡にうつして見るがよい、

鏡は神示ぢゃと早うから知らしてあろうがな。


■平易意訳■

頭と尻尾だけでは何も出来ません、化け物です。

八尾八頭の時代は済んだのです。

「肝心」の胴体がないのです。

日本が胴体なのです。

日本を何処に忘れてきたのか、自分でも判らないでしょう。

尻の毛まで抜かれた化け物の姿、鏡に映して見なさい。

鏡は神示だと早くから知らせてあるでしょう。

八尾八頭=サタンの時代?

神話に出てくるような雨を降らすために必要な生贄がいるような時代は済んでいます。

としてみました。

支配層も人間の血をすすり生きていますので、そういう時代は終りを告げているようです。

いつが済んだとはわかりませんが、この方ミロクは閻魔にも見えるそうですから、リアルタイムに人間の血をすすり生きるような ライフスタイルは早くやめないとまずいようです。

でも、右に行こうが左に行こうが咎めるなとも岩戸の巻ありますので、 本人が決めることのようです。

神示を理解すると、自分の中にいる尻の毛まで抜かれた化け物の姿を見る事が出来るのかも。。。

肝心の胴体の解説できる方よろしくお願いしますmOm


■平易意訳■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

頭と尻尾だけでは何も出来ません。

其れでは化物です。

八頭の大蛇の八尾八頭(かしら)の時代は終つたのです。

【かんじん】の胴体がありません。

日本が胴体です。

日本を何処に忘れて来たのか、自分でも判らないでしょう。

尻の毛まで抜かれた化物の姿を鏡に映して見なさい。

鏡は神示ですと早くから知らしてあるでしょう。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

頭と尻尾だけでは何も出来ません。

化け物です。

八尾八頭(かしら)の時代は済んだのです。

【かんじん】の胴体がありませんよ。

日本が胴体ですよ。

日本を何処に忘れて来たのか、自分でも判らないでしょう。

尻の毛まで抜かれた化物の姿を鏡にうつして見てみなさい。

鏡は神示だと早くから知らせてあるでしょう。


■解説と補足説明■

ロックさんの解釈 :(一巡目)

これ、ひふみの神の子の底力を比喩していませんか?

覚醒するキーが神示にあるということかも。

日本を何処に忘れて来たのか 自分と女王のことをどこに忘れてきたのか?

太陽に解読してもらいたい内容です。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

自分の心の状態や世の中の有り様を神示を通して見てみなさいと言っています。

日本にミロクが存在する事も判って来ますよといった内容のようです。


碧玉の巻第15帖(030)

五六七のミロクの代から六六六のミロクの世となるぞ。

六六六がマコトのミロクの世であるなれど、

六六六では動きないぞ、

六六六は天地人の大和の姿であるなれど、

動きがないからそのままでは弥栄せんのぢゃ、

666となり又六六六とならねばならんぞ、

新しき世の姿、よく心得よ。


■平易意訳■

五六七のミロクの代から六六六のミロクの世となります。

六六六が誠・真のミロクの世なのですが、六六六では動きはないのです。

六六六は天地人の大和の姿ですが、動きがないからそのままでは永久に繁栄しないのです。

666となり又六六六とならねばなりません。

新しき世の姿、よく心得なさい。

太陽さんの解読によると、日本のミロクから世界のミロクにならなければいけないようです。

世界に対してアピールをしないと、世界のミロクにはなかなかなりませんね。

支配層の方がたにも情報は提供しているわけですから、真ん中は動かなくとも、その時になれば世界のミロクに成るのかもしれませんね。

別の見方ですが、666になるということは、最初は支配層の方も自らの地位のために利用しようと近づく者も絶えないのかも知れませんね。

全部モニターされているので無理でしょうが。

何気にそこが、貨幣経済のピークとなり終焉するポイントになるような気がします。


■平易意訳■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

五六七のミロクの代から、六六六のミロクの世となります。

六六六が誠・真のミロクの世ですが、六六六では動きがないのです。

六六六は天地人の大和の姿ですが、動きがないからそのままでは永久に繁栄しないのです。

世界の666となり、又、日本の六六六とならねばならないのです。

新しき世の姿を、よく心得てください。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

五六七のミロクの代から六六六のミロクの世となりますよ。

六六六がマコトのミロクの世でありますが、六六六では動きはありません。

六六六は天地人の大和の姿ですが、動きがないからそのままでは弥栄しないのです。

666となり又六六六とならなければいけませんよ。

新しい世の姿をよく心得て下さい。


■解説と補足説明■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

言葉遊びの一種です。

六六六は和数ですから、国内の日本となります。

666は洋数ですから、外来語の数の表記で外国=日本国外の世界の意味になります。

従って、神の国の日本のミロクでなくて、世界のミロクでないといけないと説明しています。

もちろん、ひふみのミロクは五六七ですが、日本のミロクになるにはひふみだけで判る隠語に近い五六七ではダメで、一般にも判る六六六=三六でなければならないと説明しています。

ロックさんの解釈 :(一巡目)

六六六のオンパレードです。

黙示録の666らしき記述が一箇所ありますが、サタン側の牽制も表しているのでしょうか?

五+六+七=十八

六+六+六=十八 

で答えはいっしょです。

大神が施した仕組のありようの例えでしょうか。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

六六六はミロク。

666はミロクの厳しい側面でしょうか。


碧玉の巻第十六帖(031)

メクラの人民がいくら集まって相談すればとて、

すればする程ヤミとなるのぢゃ、

行き詰って【あげもおろしも】出来んことになるのぢゃぞ、

総てを数だけで決めようとするから悪平等となるのぢゃ、

メクラをいくら並べてみても何もならん、

早う改心せよ、

新しきタマの選挙があるでないか。


■平易意訳■

メクラの人民がいくら集まって相談しても、すればする程訳がわからず闇となるのです。

行き詰まって、あげもおろし( 携挙?) 出来ないことになります。

全てを数だけで決めようとするから悪平等になるのです。

メクラをいくら並べてみても何もなりません、早く改心しなさい。

ミロクの世に生きる新しい身魂の選挙があるじゃないですか。

精神世界のこともサタンによって封印されている現実界でもあります。

そこでの常識は、平面と立体、複立体などのつながりも本当はどうなのかわからずにメクラな状態です。

偽科学者に作られた常識(実は三千世界の非常識)により、やればやるほど、闇になるのは必然かも知れません。

我田引水的ですが、サイトで掲示してあるような常識を覆す可能性のある情報を自らの目で考察し、検証することも、 大神の目から見たら改心していることに映るのかも。


■平易意訳■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

メクラの人民をいくら集めて相談しても、すればする程闇の世界となるのです。

行き詰って、【あげもおろしも】出来ないようなことになるのです。

総てを数だけで決めようとするから悪平等となるのです。

メクラをいくら並べてみても何もなりません。

早く改心しなさい。

新しき身魂の選挙があるでないか。

(選挙にかけて、岩戸開きで神が助ける身魂の選挙の投票をするを説明しています。)

ロックさんの解釈 :(一巡目)

メクラの人民がいくら集まって相談しても、すればするほど闇となります。

行き詰まったら上げも下ろしも出来ないことになります、

総てを数だけで決めようとするから悪平等となるのでないですか、

メクラをいくら並べてみても何もならん、

早く改心しなさい。

新しき魂の選挙があるではないか。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

目クラの人民がいくら集まってしたとしても、すればする程闇となるのです。

行き詰って【あげもおろしも】出来ない事になるのですよ。

総てを数だけで決めようとするから悪平等となるのです。

目クラをいくら並べてみても何もなりません。

早く改心して下さいよ。

新しいタマの選挙が有るではありませんか。


トッチさんのメール

トッチです。

メクラとは、単刀直入に言いますと「神懸りしてない人真の理が肚に入ってない人」の事だと思います。


ロックさんのメール

ああメクラでござりました(≧ε≦)

現在ひふみの膨大な量の内容がどれくらい理解できているのでしょう。

解読も難しく進まないので、とりあえず読みつつも枕にする日々が続きそうです(≧ε≦)


julaさんのメール

jula です。

で、トッチさんの説明が、実は 碧玉の巻第14帖(029)につながってしまうのだと思います。

かんじんの胴体が無い。

→真の理がおさまるべき肚が無い。

肚(胴体)無しに頭や手足、尻尾ばかり働かせても、真の理が無いからてんでばらばらって感じではないでしょうか。


碧玉の巻第14帖(029)

頭と尻尾だけでは何も出来ん、化物ぢゃ。

八尾八頭(かしら)の時代はすんだのであるぞ、

【かんじん】の胴体がないぞ、

日本が胴体であるぞ、

日本を何処に忘れて来たのか、

自分でも判るまいがな、

尻の毛まで抜かれた化物の姿、

鏡にうつして見るがよい、

鏡は神示ぢゃと早うから知らしてあろうがな。


トッチさんのメール

トッチです。

なるヘソ!!

「山田く〜ん、座布団2枚!」

って感じ。


julaさんのメール

更に言ってしまうと

碧玉の巻第13帖(028) につながって来ると思います。


胴体と言う入れ物があっても真理が納まっていなければ何にもなりません。

今の世は真理を忘れて、入れ物ばかりを取り繕うばかりです。

かと言って真理を追いかけるばかりでもなりません。

両方共に磨き上げてください。

中心を無、無限というマコトでしっかり築き上げてください。

そうすればその時、その場に相応しい、 がおのづから出来てくるのです。

中心が固まっていない(定まっていない)状態で動き回れば、中心自体がブレテしまいますから、ますます分けのわから無い 制御不能の動きとなってしまうのです。

それはまさしく中心を見定めないで外側で無駄に動き回っている証拠なのです。


碧玉の巻第13帖(028)

まだのみ追ふてゐる人民 沢山あるなれど、では世は治まらん、

自分自身は満たされんぞ、

でなくてはならん、

と申してだけでもならんぞ、

が元ぢゃ、

内ぢゃ、

は末ぢゃ、外ぢゃ、

から固めて下されよ、

はおのづから出来てくる、

ふさはしいが出来てくるのぢゃ。

今の世はひらけたひらけたと申しているが、

それは半面だけのこと、

半面がひらけると半面がとざされる世の中、

開け放しの明るい世が目の前に来てゐるぞ。

用意はよいか、

真中うごいてはならんと申してあろう、

動くのは外ぢゃ、

忙しい急しいと申すのは外側にゐる証拠であるぞ、

気つけて早う中心に飛び込めよ、

真中結構、

日本は真中の国であるぞ、

日本精神は真中精神、

末代動かぬ精神であるぞ、

三千世界の大掃除であるから、

掃除するには、掃除する道具もゐるぞ、

人民もゐるぞ、

今の有様では、いつ迄たっても掃除は出来ん、

益々けがれるばかりぢゃ、

一刻も早く日本から、日本を足場として最後の大掃除を始めて下されよ。

神が致すのでは人民がかあいそうなから、【くどう】申してゐるのぞ。

使用された特殊文字  


julaさんのメール

jula です。

最後にもう一発。


頭と尻尾だけでは何も出来ん、化物ぢゃ。

八尾八頭(かしら)の時代はすんだのであるぞ、

【かんじん】の胴体がないぞ、

日本が胴体であるぞ、

日本を何処に忘れて来たのか、

自分でも判るまいがな、

尻の毛まで抜かれた化物の姿、

鏡にうつして見るがよい、

鏡は神示ぢゃと早うから知らしてあろうがな。


サタンよ。

お前は、私の意図した事を理解せず、

肚を見定めず、

頭と尻尾手足ばかりでどうにかできると思い込み現界を制御しようとしています。

無、無限、真理、マコト()をおさめるべき肚を中心に据えず、頭や尻尾ばかり働かせているではないですか。

お前のやり方、そしてその様相を良く鏡に映して御覧なさい。

八方塞がりの世を産み出すばかりの八尾八頭の化物になり果てている事がわからないのですか?

そんな事だから外側ばかり取り繕うおうとして上手くいかず、

挙句に地球劇場のリセットを何度も何度も繰り返し、

忙しい急しいとぶつぶつ言いながら勘違いをしているのでは無いですか。

早くそのあたり前の事に気づいて改心してくれよ。


トッチさんのメール

トッチです。

julaさんも碧玉の巻第13帖と繋げてましたねぇ。

捉え方はjulaさんの方がグーだと思います。

座布団もう1枚!


碧玉の巻第17帖(032)

はじめに碧玉を並べて下されよ、

次に赤玉、

次に赤黄玉、

次に黄赤玉、

次に黄玉、

次に黄青玉、

次に青黄玉、

次に青玉、

次に青赤玉、

次に赤青玉、

次に紫水晶、

合せて十一玉、

この巻、碧玉の巻であるぞ。


■平易意訳■

はじめに碧玉を並べて下さい。

次に赤玉、

次に赤黄玉、

次に黄赤玉、

次に黄玉、

次に黄青玉、

次に青黄玉、

次に青玉、

次に青赤玉、

次に赤青玉、

次に紫水晶、

合せて十一玉、

この巻は碧玉の巻です。

玉の順序に意味がありそうですが、、、

赤、黄、青って信号みたいですね。


■平易意訳■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

はじめに碧玉を並べて下さい。

次に赤玉、

次に赤黄玉、

次に黄赤玉、

次に黄玉、

次に黄青玉、

次に青黄玉、

次に青玉、

次に青赤玉、

次に赤青玉、

次に紫水晶、

合せて十一玉、

この巻は「碧玉の巻」です。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

はじめに碧玉を並べて下されよ、

次に赤玉、

次に赤黄玉、

次に黄赤玉、

次に黄玉、

次に黄青玉、

次に青黄玉、

次に青玉、

次に青赤玉、

次に赤青玉、

次に紫水晶、

合せて十一玉、

この巻は碧玉の巻ですよ。


■解説と補足説明■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

神前に並べる順番のようですが、現在は意味がわかりません。

ロックさんの解釈 :(一巡目)

これは太陽にお願いしたいと思います。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

碧玉は石英ですので、結晶体でガラス光沢がある鉱物(水晶も)。

次の世のシステムのあり方を碧玉に例えてイメージしているのかもしれません。

例えば、次の世で御用を務める役員の性質別による割り振りなど。


碧玉の巻第十八帖(033)

氷と水と水蒸気ぢゃと申してあろうがな、

同じであって違ふのぞと知らしてあろう、

地には地の、天には天の、神には神の、人民には人民の、動物には動物の、植物には植物の、

それぞれの法則があり、

秩序があるのであるぞ、

霊界に起ったことが現界にうつると申しても其のままでうつるのではないぞ、

また物質界が霊界に反影すると申しても其のままに反影するのではないぞ、

総てが太神の中での動きであるから、

喜びが法則となり秩序となって統一されて行くのであるぞ、

それをフトマニと申すのぞ、

太神の歓喜から生れたものであるが、

太神もその法則、秩序、統一性を破る事は出来ない大宇宙の鉄則であるぞ、

鉄則ではあるが、無限角度をもつ球であるから、如何ようにも変化して誤らない、マニ(摩邇)の球とも申すのであるぞ。

その鉄則は第一段階から第二段階に、

第二段階から第三段階にと、

絶えず完成から超完成に向って弥栄するのであるぞ。

弥栄すればこそ、呼吸し、脈拍し、進展して止まないのであるぞ。

このこと判れば、次の世のあり方の根本がアリヤカとなるのであるぞ。


■平易意訳■

氷と水と水蒸気だと云っているでしょう。

同じであって状態が違うのだと知らしてあるでしょう。

地には地の、天には天の、神には神の、人民には人民の、動物には動物の、植物には植物の、それぞれの法則があり、秩序があるのです。

霊界に起ったことが現界に映ると云っても其のままで映るのではないのです。

また物質界が霊界に反影すると云っても其のままに反影するのではないのです。

総てが太神の中での動きであるから、喜びが法則となり秩序となって統一されて行くのです。

それをフトマニと云うのです。

太神の歓喜から生れたものですが、太神もその法則、秩序、統一性を破る事は出来ない大宇宙の鉄則なのです、鉄則ではあるが、無限角度を持つ球であるから、如何ようにも変化して誤らない、マニ(摩邇)の球とも云うのです。

その鉄則は第一段階から第二段階に、第二段階から第三段階にと、絶えず完成から超完成に向って永久に繁栄するのです。

永久に繁栄すればこそ、呼吸し、脈拍し、進展して止まないのです。

このことが判れば、次の世のあり方の根本がアリヤカとなるのです。

ひふみ曰くの何が起きてもまず喜びなさいという内容と、下記のフトマニとは関係がありそうですが、、、

地には地の、天には天の、神には神の、人民には人民の、動物には動物の、植物には植物の、それぞれの法則があり、秩序があるのです。

霊界に起ったことが現界に映ると云っても其のままで映るのではないのです。

また物質界が霊界に反影すると云っても其のままに反影するのではないのです。

総てが太神の中での動きであるから、喜びが法則となり秩序となって統一されて行くのです。

それをフトマニと云うのです。

霊界で起きた事が現界に映る場合は、映り方が違うようです。

現実界における生や死なども、霊界では現実界から霊界へ影響を及ぼすようになされた使命のようなものも帯びていたりとか?

ちょっと飛躍しましたが、、、

霊界から使命を帯びた何かがある場合などは、使命が終われば、現実界にいる必要もありませんので、霊界に帰るためにその現実界で映る死の迎え方などはどうであれ、必然的に肉体の死を迎えるのではないかと思います。

死などは現実界的には悲しいことであっても、本来の法則や秩序からすると喜ぶべき物なのかも知れませんね。

理解するのは現実的には難しそうですが、、、

それぞれに法則があり、秩序があるそうです。

なかなか言葉で明快に説明というのは難しいです(==;;;;


■平易意訳■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

氷と水と水蒸気です。

同じであっても状態が違うのです。

地には地の、天には天の、神には神の、人民には人民の、動物には動物の、植物には植物の、それぞれの法則があり、秩序があるのです。

霊界に起ったことが現界に移ると云っても、其のままで移るのではないのです。

また、物質界が霊界に反影すると云っても其のままに反影するのではないのです。

総てが太神の中での動きであるから、喜びが法則となり秩序となって統一されて行くのです。

それをフトマニと云うのです。

太神の歓喜から生れたものであるが、太神もその法則、秩序、統一性を破る事は出来ないのです。

大神すら守らなければならない大宇宙の鉄則です。

大宇宙の鉄則ではあるが、無限の角度をもつ球であるから、如何ようにも変化して誤らない、マニ(摩邇)の球とも云うのです。

その鉄則は第一段階から第二段階に、第二段階から第三段階に、と絶えず完成から超完成に向って永久に繁栄するのです。

永久に繁栄すればこそ、呼吸し、脈拍し、進展して止まないのです。

この道理が判れば、次の世のあり方の根本が有り体となるのです。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

氷と水と水蒸気だと言っているでしょう。

同じであっても違いますよと知らせているでしょう。

地には地の、天には天の、神には神の、人民には人民の、動物には動物の、植物には植物の、それぞれの法則があり、秩序があるのです。

霊界に起こった事が現界にうつると言っても其のままで写るのではありませんよ。

また物質界が霊界に反影すると言っても其のままに反影するのではないのですよ。

全てが太神の中での動きですから、喜びが法則となり秩序となって統一されていくのです。

それをフトマニと言います。

太神の歓喜から生まれたものですが、太神もその法則、秩序、統一性を破る事は出来ない大宇宙の鉄則なのです。

鉄則ではありますが、無限角度を持つ球ですから、如何様にも変化して誤らない、マニ(摩邇)の球と言うのです。

この鉄則は第一段階から第二段階に、第二段階から第三段階にと、絶えず完成から超完成に向かって弥栄するのですよ。

弥栄すればこそ、呼吸し、脈拍し、進展して止まる事がないのです。

この事が判れば、次の世のあり方の根本がアリヤカとなるのですよ。


■解説と補足説明■

トッチさんの解釈 :(二巡目)

何が判れば、次の世のあり方の根本が判るのかの説明となっています。

同じ分子で出来た水でも(同じ道でも)、環境と状況(天、人民)により様々な性質を見せます(それぞれに違う道があります)。

全てのものに法則があり、秩序がある。

大宇宙の全ては太神の中での動きであり、喜びが法則となり秩序となって統一されていく。

太神でさえ曲げる事の出来ない大宇宙の鉄則(法、秩序、統一性)があり、 この鉄則は、止まることなく絶えず進化し、弥栄する。

次の十九帖でフトマニは二十の珠とあります。


ロックさんのメール

ロックです。

今日で碧玉の巻も終わります。

先は長いですね(^^;;;

あと34巻、、、

一巡でもやれたことに相変わらず驚きを覚えるのですが、、、

見直すと、皆さんの文章は見事なこと(@@)

人それぞれ掘り方もあると思いますので、 とりあえず掘り進みマース。


julaさんのメール

jula です。


氷と水と水蒸気だと云っているでしょう。

同じであって状態が違うのだと知らしてあるでしょう。

この一文はおそらくこの“白銀の巻 第一帖”の事を示しているものと思います。

「気、液、個の3つ」

で検索するとこの帖がHitします。

氷と水と水蒸気だと云っているでしょう。

同じであって状態が違うのだと知らしてあるでしょう。

→白銀の巻 第一帖で示しているように、


地には地の、天には天の、神には神の、人民には人民の、動物には動物の、植物には植物の、それぞれの法則があり、秩序があるのであるぞ〜

とつなっがっているのでしょうね。


白銀の巻 第01帖 (612)

「天地のことわり書き知らすぞ。」

この巻しろかねの巻。

天国ぢゃ、

霊国ぢゃ、地獄ぢゃ、浄土ぢゃ、穢土ぢゃと申してゐるが、

そんな分けへだてはないのであるぞ。

時、所、位に応じて色々に説き聞かせてあるのぢゃが、

時節到来したので、

まことの天地のことわりを書き知らすぞ。

三千の世界の中の一つがそなた達の世界であるぞ。

この世も亦三千に分れ、

更に五千に分れてゐるぞ。

このほう五千の山にまつれと申してあろう。

今の人民の知り得る世界はその中の八つであるぞ。

人民のタネによっては七つしか分らんのであるぞ。

日の光を七つと思うてゐるが、

八であり、九であり、十であるぞ。

人民では六つか七つにしか分けられまいが。

「イワトがひらけると更に九、十となるぞ。

【かくしてある一厘の仕組、九十の経綸、成就した暁には何も彼も判る】」

と申してあらうが。

八つの世界とは、、ア、オ、ウ、エ、イであるぞ。

八は固、七は液、六は気、五はキ、四は霊の固、三は霊の液、二は霊の気、一は霊のキ、

と考へてよいのぢゃ。

キとは気の気であるぞ。

その他に逆の力があるぞ。

九と十であるぞ。

その上に又霊の霊の固から始まってゐるのであるが、

それはムの世界、

無限の世界と心得よ。

霊界に入って行けば、その一部は知れるなれど、

皆直ちには判らないのであるぞ。

判らんことは判らんと、

わからねばならんと申してあらうがな。

天、息吹けば、地、息吹くと申してあろう。

このことよくわきまえよ。

地の規則、天の規則となることあると申して知らしてあらう。

この大切こと忘れるでないぞ。

おもひの世界が天ぞ。

にくの世界が地ぞ。

おもひは肉体と一つぞ。

二つぞ。三つぞ。

おもひ起って肉体動くぞ。

肉体動いておもひ動くこともあるぞ。

生れ赤児の心になって聞いて下されよ。

何も彼も、ハッキリうつるぞ。

陰と陽、右と左、上と下、前と後、男と女と考へてゐるなれど、

タカミムスヒとカミムスヒと考へてゐるなれど、

別のミナカヌシ、

現はれるぞ。、卍、 、よく見て下されよ。

一であり、二であり、三であらうがな。

三が道と申してあろう。

陰陽二元でないぞ。

三元ぞ。三つであるぞ。

なくてはならん。

にもかくれたと 現われたとがあるぞ。

このこと先づ心得て下されよ。

そなた達は父と母と二人から生れ出たのか。

さうではあるまいがな。

三人から生れ出てゐること判るであらうがな。

どの世界にも人が住んでゐるのであるぞ。

の中にがあり、

その中に又があり、

限りないのざと知らせてあらうが。

そなた達の中に又人がゐて限りないのぢゃ。

このほう人民の中にゐると知らしてあらうがな。

そなた達も八人、

十人の人によって生きてゐるのぞ。

又十二人でもあるぞ。

守護神と申すのは心のそなた達のことであるが、

段々変るのであるぞ。

自分と自分と和合せよと申すのは、

八人十人のそなた達が和合することぞ。

それを改心と申すのざぞ。

和合した姿を善と申すのぢゃ。

今迄の宗教は肉体を悪と申し、

心を善と申して、

肉体をおろそかにしてゐたが、

それが間違ひであること合点か。

一切がよいのぢゃと云ふこと合点か。

地獄ないこと合点か。

悪抱き参らせよと申してあること、

これで合点か。

合点ぢゃナア。

各々の世界の人がその世界の神であるぞ。

この世ではそなた達が神であるぞ。

あの世では、そなた達の心を肉体としての人がゐるのであるぞ。

それがカミと申してゐるものぞ。

あの世の人をこの世から見ると神であるが、

その上から見ると人であるぞ。

あの世の上の世では神の心を肉体として神がゐますのであって限りないのであるぞ。

裏から申せば、神様の神様は人間様ぢゃ。

心の守護神は肉体ぢゃと申してあらうがな。

肉体が心を守ってゐるのであるが、

ぢゃと申して肉体が主人顔してはならんぞ。

何処迄も下に従ふのぢゃ。

順乱すと悪となるぞ。

生れ赤児ふみこえ、

生れ赤児になって聞いて下されよ。

そなた達の本尊は八枚十枚の衣着ているのぢゃ。

死と云ふことは、

その衣、上からぬぐことぢゃ。

ぬぐと中から出て来て又八枚十枚の衣つけるやうになってゐるのぢゃ。

判るやうに申してゐるのぢゃぞ。

取違ひせんやうにせよ。

天から気が地に降って、

ものが生命し、

その地の生命の気が又天に反影するのであるが、

まだまだ地には凸凹あるから、

気が天にかへらずに横にそれることあるぞ。

その横の気の世界を幽界と申すのぢゃ。

幽界は地で曲げられた気のつくり出したところぢゃ。地獄でないぞ。

(十二月十四日)

使用さされた特殊文字              


碧玉の巻第十九帖(034)

百は九十九によって用(ハタラ)き、

五十は四十九によって、

二十は十九によって用(ハタラ)くのであるぞ、

この場合、百も五十も二十も、

天であり、始めであるぞ、

用(ハタラ)きは地の現れ方であるぞ、

フトマニとは二十の珠であり、

十九は常立であるぞ、

根本の宮は二十年毎に新しく致さねばならん、

十九年過ぎて二十年目であるぞ。

地上的考へ方で二十年を一まわりと考へてゐるが、十九年で一廻りするのであるぞ、

いろは(母)の姿見よ。


■平易意訳■

百は 九十九によって用(ハタラ)き、五十は 四十九によって、二十は十九によって用(ハタラ)くのです。

この場合、百も五十も二十も、天であり、始めであるのです。

用(ハタラ)きは地の現れ方であるのです。

フトマニとは二十の珠であり、十九は常立であるのです。

根本の宮は二十年毎に新しく建て直さなければなりません。

十九年が過ぎて、二十年目であるのです。

地上的な考え方で、二十年を一廻りと考えてますが、十九年で一廻りするのです。

いろは(母)の姿を見てみなさい。

体を動かす前にも、頭で考えたり、その動きをする前の予備動作のような物があります。

そういうことに関連するいきさつか何かが天であったり、始めと言うことでしょうか。

何かをする際には二十年が一つの目安なのかも。

碧玉の巻はこれで終りですが、難しいものは難しいですね。


■平易意訳■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

百は 九十九によって用(ハタラ)き、

五十は 四十九によって、

二十は十九によって用(ハタラ)くのです。

この場合、百も五十も二十も、天であり、始めであるのです。

用(ハタラ)きは地の現れ方であるのです。

フトマニとは二十の珠であり、十九は常立であるのです。

根本の宮は二十年毎に新しく建て直さなければなりません。

十九年が過ぎて、二十年目であるのです。

地上的な考え方で、二十年を一廻りと考えてますが、十九年で一廻りするのです。

いろは(母)の姿を見てみなさい。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

百は九十九によって用(ハタラ)き、五十は四十九によって、二十は十九によって用(ハタラ)くのですよ。

この場合、、百も五十も二十も、天であり、始めです。

用(ハタラ)きは地の現れ方なのです。

フトマニとは二十の珠であり、十九は常立ですよ。

根本の宮は二十年毎に新しく致さなければなりません。

十九年過ぎて二十年目ですよ。

地上的考へ方で二十年を一回りと考えていますが、十九年で一回りするのですよ。

いろは(母)の姿を見なさい。


■解説と補足説明■

ロックさんの解釈 :(一巡目)

二十年一区切りは伊勢神宮の建物で二十年ごとに立て直す建物あります。

建て直しは、一年前に起きるということでしょうか。

いろはの母の姿見よですから、その時に女王を見なさいということかと思います。

専門用語の用途がわかりませんので、とりあえず分類は(06)にしたいと思います。

補足を太陽にお願いしたいです。

トッチさんの解釈 :(二巡目)

プラス1がキーワードのようです。

人々の意識の中に、元の神の真理が加わりミロクの仕組みが機能し用が地上に具現化される道理を説明しているように思えます。

「根本の宮は二十年毎に新しく致さなければなりません。

十九年過ぎて二十年目ですよ。

地上的考へ方で二十年を一回りと考えていますが、十九年で一回りするのですよ。

」 まとめ役の選出方法など、ミロクが地上から故郷に帰った後のシステムについて書かれているような感じです。


トッチさんのメール

トッチです。

そうしますと、


「百は九十九によって用(ハタラ)き、五十は四十九によって、二十は十九によって用(ハタラ)くのであるぞ、この場合、百も五十も二十も、天であり、始めであるぞ」

これは、○に点の作用の説明かもしれません。

全てのものは真ん中に点(プラス1)が入る事により、外に良い○がおのずと出来る。

その良い○の用により(百 五十 二十)つまり、ミロクの仕組みで有りうる。

碧玉の巻第13帖(028)の追加説明的な神示でしょうか。


julaさんのメール

jula です。


百という(入れ物)は99のの働きによっておのずと形成されるのです。

99までの働きをしっかりと定めて固めてください。

そうすれば相応しい百、(入れ物)が 形成され、一つの完成形となるのです。

今度はその百をとして更に踏み固めていきなさい。

それが無限、永遠へと続いていくのです。

それなしにいきなり百(入れ物)を用意してみても上手く行くはずはありません。

なんて感じに解釈。


トッチさんのメール

トッチです。

この解釈ですと「始めであるぞ」が生きてきますね。

う〜ん。

おやすみなさい。


julaさんのメール

jula です。

って事は、・・・


だからお前のやる事は八方までで止まってしまい、最後の一厘が足りなくなってしまうのです。

挙句完成に至らずやり直しばかりなのです。

しかし、もうそんな繰り返しをいつまでも待っている訳にもいきません。

現界以外の他の世界はみなが納まって準備完了しているのです

このため、最後の一厘の仕組みを用意しているのです。

またいつもの積もりで繰り返してみなさい。

そこに隠しに隠し、練りに練った一厘の仕組みを付け加えてあげますよ。

これにより現界でもにが納まり立替が実現できるのです。

これで三千世界の建て直しに至れるのですよ。

新しいステップを迎えやり直してくだされよ。

なんて、言っているのかも・・・?!。



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