■平易意訳■
氷治氏の解釈 :(一巡目)
{第一回の岩戸閉め}
岩戸閉めの始めは ナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時です。
ナミの神が火の神を生んで黄泉国に入られたのが、そもそもであるのです。
十の卵を八つ生んで、二つ残して行かれたのです。
十二の卵を十生んだことにもなるのです。
五つの卵を四つ生んだとも言えるのです。
総ては 神界の出来事、霊界の出来事は 現界から見れば妙なことに見えるのですが、それはそれで、ちゃんと道にはまっているのです。
一ヒネリしてあるのです。
天と地との間に大きレンズがあると思えば、段々に判るようになります。
夫神、妻神、別れ別れになったから、一方的となったから、岩戸が閉められたのです。
この道理は 判るでしょうね。
その後、独り神となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになったのであるが、それが一方的であることは云う迄もないことです。
妻神も同様、黄泉大神となられて、黄泉国の総てを生み育てたのです。
この夫婦神が、時めぐり来て、岩穴の千引の岩戸を開かれて相抱きかかえる時節が来たのです。
嬉し嬉しの時代となって来たのです。
「同じ名の神」が到るところに現はれて来るのです。
名は 同じでも、働きは 逆なのです。
この二つが揃って、三つとなるのです。
三が道ですと知らせています。
時が来ましたら、この千引の岩戸を倶に開くのです。
{第二回の岩戸閉め}
次の岩戸閉めは 天照大神の時でした。
大神は まだ岩戸の中にいるのです。
ダマシタ岩戸からは ダマシタ神がお出ましになつたのです。
いよいよとなって誠・真の天照大神、天照皇大神、日の大神、揃ってお出ましになるのです。
そのお出ましの時期が近うなって来ました。
{第三回の岩戸閉め}
次の岩戸閉めは 素盞鳴命に総ての罪をきせて「ネの国」に追いやった時でです。
素盞鳴命は 天下(あめがした)を治しめす御役(おんやく)の神です。
天ヶ下(あめがした)は 重きものの積もり固まりたものであるから「積み」罪と見えるのです。
よろづの天の神々が積もる(と言ふ)ツミ(積)をよく理解せずして罪神と誤ってしまったのです。
(言葉の「積み」と「罪」を間違ってしまつたことにあるのです)
これが正しく岩戸閉めあったのです。
命(みこと)をアラブル神と云い伝えていますが、アラブル神とは 粗暴な神ではありません。
暴れ廻り、壊し廻る神ではないのです。
アラフル(現生る)神あるのです。
(「アラフル(現生る)神」と「アラブル神」と取り違えたのです。 )
天ヶ下、大国土を守り育てくれる神であります。
取り違いしていて申しわけないでしょう。
このことよく理解出来なければ、今度の大峠は 越せません。
絶対の御力を発揮してくれる、ナギ、ナミ両神が、天ヶ下を治らす御役目を命じられてお生みなされた尊き御神なのです。
素盞鳴の命にも二通りあります。
一神で生んだ御神と、夫婦呼吸を合せて生んだ御神と二通りあります。
このことを間違えてはなりません。
{第四回の岩戸閉め}
神武天皇の岩戸閉めは 御自らが人皇を名乗るより他に道がない迄の働きをしたからです。
神の世から人の世への移り変りの事柄を、一応、神を岩戸に隠して「大和磐彦命」として、人皇として立たれたのであるから、大きな岩戸閉めの一つであるのです。
{第五回の岩戸閉め}
それでも、仏教の渡来までは、わずかながらも真・誠の神道の光がさしていたのです。
しかし、仏教と共に仏魔が渡って来て、完全に岩戸が閉められたのです。
暗闇の世となったのです。
その後は もう乱れほうだい、やりほうだい、の世となったのです。
これが五度目の大き岩戸閉めであるのです。
トッチさんの解釈 :(二巡目)
岩戸閉めの始めはナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時ですよ。
ナミの神が火の神を生んで黄泉国に入られたのが、そもそもなのです。
十の卵を八つ生んで二つ残して行かれたのです。
十二の卵を十生んだ事にもなるのですよ。
五つの卵を四つ生んだとも言えるのです。
総て神界のこと、霊界のことは、現界から見れば妙なことではありますが、それでちゃんと道にはまっているのですよ。
一ヒネリしているのです。
天と地との間に大きなレンズがあると思えば段々判って来ますよ。
夫神、妻神が別れ別れになったから、一方的となったから、岩戸が閉められた道理、判るでしょうね。
その後、独り神となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになったのですが、それが一方的であることは言うまでもないでしょう。
妻神も同様、黄泉大神となられて、黄泉国の総てを生み育て給うたのですよ。
この夫婦神が時巡り来て、千引の岩戸を開かれて相抱き給う時節が来たのですよ。
うれしうれしの時代となって来たのですよ。
同じ名の神が到るところに現れて来るのですよ。
名は同じでも働きは逆なのです。 この二つが揃って三つとなるのです。
三が道と知らせてあるでしょう。
時が来ればこの千引の岩戸を倶に開かんと言ってあるでしょう。
次の岩戸閉めは天照大神の時です。
大神はまだ岩戸の中に居ります。
騙した岩戸からは騙した神がお出ましだと知らせてあるでしょう。
いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神が揃っての御出ましが近くなって来ましたよ。
次の岩戸閉めは素盞鳴命に総ての罪をきせてネの国に追いやった時ですよ。
素盞鳴命は天下(あめがした)を治しめす御役(おんやく)の神ですよ。
天ヶ下(あめがした)は重いもののつもりで言い伝えていますが、アラブル神とは粗暴な神ではありません。
暴れ廻り、壊し廻る神ではありませんよ。
アラフル(現生る)神です。
大国土を守り育て給う神ですよ。
取り違いしていては申し訳ないでしょう。
この事を良く理解できなければ、今度の大峠は越せないのです。
絶対の御力を発揮し給う、ナギ、ナミ両神が、天ヶ下を治らす御役目を命じられてお生みなされた尊き御神なのですよ。
素盞鳴の命にも二通りあります。
一神で生み給へる御神と、夫婦呼吸を合せて生み給へる御神との二通りあります。
間違えてはいけませんよ。
神武天皇の岩戸閉めは、御自ら人皇を名乗り給うより他に道が無い迄の御働きをなされたからですよ。
神の世から人の世への移り変りの事柄を、一応、岩戸に隠して神ヤマトイハレ彦命として、人皇として立たれたのですから、大きな岩戸しめの一つなのです。
仏教の渡来までは、わずかながらもマコトの神道の光が射していたのですけども、仏教と共に仏魔も渡ってきて、完全に岩戸が閉められ、その後はもう乱れ放題、やり放題の世となったのです。
これが五度目の大きな岩戸閉めなのです。
|