julaさんのメール
そっちの話は白でOK、こっちの話は黒でNG、
あまりに極端でも良くないからグレーゾーンでとりあえず丸めたつもりとしておきましょう。
そんな今までのやり方常識はもう役に立たないのです。
悪も御用であり、善も御用。
どちらも大切な働きなのです。
それらを混ぜて和すれば新たなものが成るのです。
(一と二合わせて三と成せ)
最初にあわせた場合は鉛程度でしょう。
しかしその意味働きの理解が深まれば更に鉄となり銅となり銀となりやがて金となるのです。
これがミロクの世のあり方ですよ。
五と五では動きが取れません。
同じもの同士では有効な働きとならないのですよ。
別のもの同士補いあい和することで大きな作用、働きとなりより精錬されるのです。
そなたの足許に、来るべき世界は既に芽生へてゐるでないですか。
(鳥、十理、飛び立つぞなんてこことが書かれた帖がありましたが、そんなあたりと関連があるかもしれませんね)
神がこの世にあるならば、こんな乱れた世にはせぬ筈ぞ
と申す者 沢山あるが、神に
は人のいふ善も悪もないものぞ。
よく心に考へて見よ、
何もかも分りて来るぞ。
表の裏は裏、
裏の表は表ぞ
と申してあろうが、
一枚の紙にも裏表、
ちと誤まれば分らんことになるぞ、
神心になれば何もかもハッキリ映りて来るのざ、
そこの道理分らずに理屈ばかり申してゐるが、
理屈のない世に、神の世にして見せるぞ。言挙げせぬ国とは
その事ぞ、
理屈は外国のやり方、
神の臣民 言挙げずに、理屈なくして何もかも分かるぞ、
それが神の真の民ぞ。
足許から鳥が立つぞ、
十理(トリ)たちてあわてても何んにもならんぞ、
用意なされよ、
上下にグレンと引繰り返るぞ。
上の者 下に、
落ちぶれた民 上になるぞ、
岩戸開けるぞ、
夜明け近づいたから、早う身魂のせんだくして呉れよ、
加実の申すこと千に一つもちがはんぞ。
六月二十七日、
ひつくのか三。
上つ巻 第20帖 (020)
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イワトの巻かき知らすぞよ、
イワトひらくには神人共にゑらぎにぎはふのざぞ、
カミカカリして唱ひ舞ふのざぞ、
ウズメノミコトいるのざぞ。
ウズメとは女(おみな)のみでないぞ、
男(おのこ)もウズメざぞ、
女のタマは男、
男のタマは女と申してあろがな。
ヤミの中で踊るのざぞ、
唄ふのざぞ、
皆のものウズメとなりて下されよ、
暁(あけ)つげる十理(とり)となりて下されよ、
カミカカリて舞ひ唄ひ下されよ、
カミカカリでないと、これからは何も出来ぬと申してあろがな。
十二月三十日、 の一二 。
磐戸の巻 第01帖 (237)
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何もかも神示読めば判る様になってゐる事 忘れるでないぞ、
此の仕組 云ふてならず、
云はねば判らんであろうなれど、
神示読めば因縁だけに判るのざぞ。
石物云ふ時来たぞ。
山にも野にも川にも神まつれと申してあること、忘れるでないぞ、
型せと申してあらうが、
いづれも仮ざから三千世界の大洗濯ざから、
早よ型してくれよ。
型結構ぞ。
何もかも神人共にするのざぞ。
夜明けたら、何もかもはっきりするぞ、
夜明け来たぞ。
十理(トリ)立てよ。
七月二十八日、
あめのひつくのかみ神示書。
夜明けの巻 第05帖 (325)
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顔まで変ってゐるのに未だ気づかんのか。
病気に皆がなってゐるのに未だ気づかんのか。
何事も早い改心結構。
自分で自分の心の中は中々につかめんものであらうがな。
その中に又心あり、
又中に心があるのぢゃ。
心は神界ぞ。
霊界や神界のものを肉体の自分で掴まうとしても中々ぢゃ。
うなぎつかみと申してあらうが。
ヌラリクラリと掴んだ筈が掴んでないぞえ。
掴むには身と魂と一つに和せねばならん。
から愛と智とが生れると申してあらうが。
智と愛との和合によって が又生れるのぢゃ。
は喜びであるぞ。
の別の であるぞ。
その から又別の愛と智が生れ、
又別の が喜びとなり、
その喜びの愛と智の喜びと結んで、
又喜びの 生れるのぢゃ。
神は額から入って顔全体に至り、
全身に及ぶものであるぞ。
(一月二十二日)
黒鉄の巻 第22帖 (640)
使用さされた特殊文字
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喜びが 、真、善、美、愛と現はれ、
それが又、喜びとなり、
又、 、真、善、美、愛となり、
又現はれ、限りないのぢゃ。
喜びの本体はあの世、
現はれはこの世、
あの世とこの世合せて真実の世となるのぞ。
あの世ばかりでも片輪、
この世ばかりでも片輪、
まこと成就せんぞ。
あの世とこの世と合せ鏡。
神はこの世に足をつけ衣とし、
人はあの世を として、
心として生命しているのぢゃ。
神人と申してあろうがな。
この十理(ドーリ)よくわきまへよ。
この世にあるものの生命はあの世のもの、
あの世の生命の衣はこの世のもの。
くどいようなれど このこと肚の中に、得心なされよ。
これが得心出来ねば どんなによいことをしても、まこと申しても なにもならん、ウタカタぢゃぞ。
時節来たのぢゃから、今迄のように一方だけではならんぞよ。
春の巻 第06帖 (663)
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行く水にも雲にも咲く花にも神のみ心あるぞ。
それ見る目ないからわからんのぢゃ。
掃除すれば判る。
掃除結構。
拝むは拝まんよりはましであるぞ。
しかし拝んでばかりでは病気は治らん。
金はもうからん。
拝むばかりで金もうけ出来たり病気治ったりすると思ふたら間違ひぞ。 理(ミチ)にいそしめ。
理(ミチ)ゆくところ喜びあるぞ。
喜びあるから病気も治るのぢゃ。
金も出てくるのぢゃ。
おかげあるのぢゃ。
喜び神ぢゃ。
タテには神と神界と和し、
ヨコには人と環境と大和して行くところにこそ、
生きの生命のウレシウレシあるのであるぞ。
春の巻 第56帖 (713)
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何神様とハッキリ目標つけて拝めよ。
只ぼんやり神様と云っただけではならん。
大神は一柱であるが、あらわれの神は無限であるぞ。
根本の、太
(ヒツキ)大神さまと念じ、
その時その所に応じて、
特に何々の神様とお願ひ申せよ。
信じ合ふものあれば、
病気も又たのしく、
貧苦も亦たのしいのであるぞ。
例外と申すのは、ないのであるぞ。
他の世界、他の天体、他の小宇宙からの影響によって起る事象が例外と見えるのぢゃ。
心大きく、目ひらけよ。
夏の巻 第04帖 (721)
使用された特殊文字

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月光の巻第二十三帖(810)
他の宗教に走ってはならんと云う宗教もそれだけのもの。 判らんと申してもあまりであるぞ。
同じ所に天国もあり、地獄もあり、霊界もあり、現実界もあり、過去も未来も中今にあるのぞ。 同じ部屋に他の神や仏をまつってはならんと申す一方的なメクラ宗教にはメクラが集まるのぢゃ。
病気が治ったり運がひらけたり、奇跡が起ったりするのみをおかげと思ってはならん。 もちと大き心、深い愛と真の世界を拝めよ。 とけ入れよ。 浄化が第一。
金が好きなら金を拝んでもよいのぢゃ。 区別と順序さへ心得て居れば何様を拝んでもよいぞ。 金を拝めば金が流れてくるぞ。 金を拝み得ぬイコヂさが そなたを乏しくしたのぢゃ。 赤貧は自慢にならん。 無神論も自慢にならん。 清貧はまけおしみ、清富になれよと申してあろうが。 清富こそ弥栄の道、神の道、大  大神のマコトの大道ぞ。
使用された特殊文字
 
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十黙示録 第四巻 竜音の巻 第十七帖(76)
昭和三十六年八月三日、
旧六月二十二日(1961年)
(ひふみ神示 第三十四巻)(925)
霊の要求ぢゃと申して、そのまま受け入れてはならんぞ、
よく判断した上で処理せねばならん。
下級霊、動物霊の場合は酔ひどれのように箸にも棒にもかからんことを
申すものぞ。
殊にその霊が病気に関連をもってゐる場合は微妙であるから、
よく心得なされよ。
悪い企て、悪い行為ぢゃとて、直ちにキメつけてはならん、
やんわりともちかけて善きに導かねばならんぞ、
悪をきらふ心があってはならん、
悪抱き参らせと申してあろうがな。
邪道的要求を容れて一時的に病気を治すと、
それに倍してブリ返すぞ、
この呼吸大切。
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星座の巻 第10帖 044
世の元は であるぞ、
世の末も であるぞ、
から に弥栄するが、
その動きは左廻りと右廻りであるぞ、 と
と申してあろう、
その中心に動かぬ動きあるぞ、
何も彼も、人民迄変るのが今度の大立替、食物も、衣類も、住居も皆変るぞと申してゐる時が来ているのぞ、
いつ迄チョンマゲを頭にのせてゐるのか、
ケンビキ今一度痛くなるぞ、
そのケンビキ今度は東の方ぢゃ。
使用された特殊文字
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■平易意訳■
世の元は なのです。 世の末も なのです。 から に永久に繁栄しますが、その動きは左廻りと右廻りなのです。 と と言っているでしょう。
その中心に動かぬ動きがあるのです。 何も彼も、人民迄変るのが今度の大立替。
食物も、衣類も、住居も皆変るぞと言っていた時が来ているのです。 いつ迄チョンマゲを頭にのせているのでしょう。 ケンビキ今一度痛くなりますよ。
そのケンビキ今度は東の方で起こります。
ケンビキ=剣引き=武力放棄的な動きでしょうか。 痛くなるとありますから、支配層に対して言っている内容ならば
彼等が日本に軍隊を率いてやってきた時にコテンパンにやられちゃうことを示唆しているのかも知れませんね。
食物も、衣類も、住居も皆変るぞと言っていた時が来ているのです。
とありますが、その過程の中で、原始的な生活を避難生活の中で味わうことも何かとても次に繋ぐために
必要な何かがあるような気がします。
都市攻撃はサタンの楽しみで行われますが、人類にとっては過酷な状況も、永久に繁栄するために必要な何かを知る必要があるような気がするんですよね。
これは、経験からの考えなのですが。
あと余談ですが、大天使もごっつい超ド級の戦艦を持っていますから、何かがあってそれらの戦艦を持っていたわけですからその辺りのことも気になるし、知りたいことです。
氷治氏の解釈 :(一巡目)
世の元は ○です。
世の末も○です。
○から○に永久に繁栄しますが、その動きは左廻りと右廻りです。
と と説明してあります。
その中心に動かない動きがあります。
何も彼も、人民迄が変るのが、今度の大立替です。
食物も、衣類も、住居も皆変りますと説明した時節が来ているのです。
いつ迄チョンマゲを頭にのせているのですか、頭が今一度痛くなります。
その頭、今度は東の方です。
トッチさんの解釈 :(二巡目)
世の元は○ですよ。
世の末も○であります。
○から○に弥栄しますが、その動きは左回りと右回りですよ。
(と) と
言っているでしょう。
その中心に動かぬ動きがあります。
何もかも人民まで変わるのが今度の大立替です。
食物も、衣類も、住居も皆変わりますよと言っている時が来ていますよ。
いつまでちょんまげを頭に乗せているのですか。
剣引き今一度痛くなりますよ。
その剣引き、今度は東の方です。
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■解説と補足説明■
ロックさんの解釈 :(一巡目)
ケンビキとは、携挙でしょうか。 ケンビキが今度は東とあります。 女王が来られる時かも。
トッチさんの解釈 :(二巡目)
世の元はミロクの仕組みですよ。
世の末もミロクの仕組みですよ。
ミロクの仕組みからミロクの仕組みに弥栄していますが、
その動きは左回りと右回り(様々自由自在)ですよ。
(と) と
言っているでしょう。
その中心に動かぬ動きがあります。
何もかも人民まで変わるのが今度の大立替です。
食物も、衣類も、住居も皆変わりますよと言っている時が来ていますよ。
いつまで今までの常識に囚われているのですか。
世の中を変える仕組みが今一度迫られる時が来ます。
その剣引き、今度は東(卯=4月)ですよ。
・ (と) が
判りません。
・ケンビキを剣引きとしましたが適当かどうかは分かりません。
・東を干支から4月としました。 正しければノアの大洪水にあたりそうです。
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julaさんのメール
jula です。
世の基点は○です。
世の終点も○です。
○から始まりまた○に回帰し弥栄するのですが、その動きは左廻りと右廻りがあるのです。
左廻り(ヒダル→火、太陽)の作用(弥栄そのものをそのままに認識できる?)
右廻り(ミギリ→水、月)の作用(弥栄を一旦智でもって認識する?)
と言っているでしょう?
julaさんの解説
その中心にテンとして軸をぶらす事のない働きがあるのですよ。
何もかも、人民迄変わる(携挙の後に身魂が取り出され、霊界と現界の両面を合わせ持つ世に住まう身体に入れ替えられ神懸かれる、神人となる)のが今度の大立替です。
食物も(現代で主流の肉食などではありません。 より異質なものとの気・キの交流を深め和をひろめ弥栄をすすめるものとなります)、
衣類も(おそらく、ただ着るものというより、御魂の磨かれ具合次第で自ずと形なし光る、また得意とする働きによって光り方や光の色合い加減が異なる、そんなものを衣類というのかもしれません
( では自ずと○の形が現れてくるとありましたし)、
住居 (志向を同じくするものが集まり別れ、働きに応じた住まいにどうにでも構成できる居住なんて感じではないでしょうか) も皆変わるぞと言っている時(御世)がすぐそこまで来ているのですよ。
いつまでチョンマゲを頭にのせてゐるのか
○にテンおさめよと言っている事に対して、恰好ばかり繕って、その上にテンを置いて○テンを成した、ナルトを生んだつもりで居るのですか?とんだお笑い種です。
ケンビキ今一度痛くなるぞ、そのケンビキ今度は東の方ぢゃ。
“ケンビキ”が他の帖に見つからないので咀嚼できません。 他の帖に“ケンビキ”と思われる語句を見つけた方はご一報願います。
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ひふみ神示 第七巻 日の出の巻 第二十二帖(235)
昭和十九年十二月二十八日、
旧十一月十四日(1944年)
左は火ぞ、
右は水ざぞ、
の神と の神ぞ、
日の神と月の神ざぞ、
日の神許り拝んで月の神忘れてはならんぞ、
人に直接(じきじき)恵み下さるのは の神、月神ぞ、
ぢゃと申して日の神 疎(おろそ)かにするでないぞ、
水は身を護る神さぞ、
火は魂護る神ざぞ、
火と水とで組み組みて人ぞ、
身は水で出来てゐるぞ、
火の魂入れてあるのざぞ、
国土も同様ぞ。
海の御用大切ざぞ。
十二月二十八日、
ひつ九のか三。
使用された特殊文字
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天国の政治は、歓喜の政治である。
故に、戒律はない。
戒律の存在する処は、地獄的段階の低い陰の世界であることを知らねばならない。
天国の政治は、愛の政治である。
政治する政治ではない。
より内奥の、より浄化されたる愛そのものからなされる。
故に、与える政治として現われる。
天国は、限りなき団体によって形成されている。
そして、その政治は、各々の団体に於ける最中心、
最内奥の歓喜によりなされるのである。
統治するものは一人であるが、
二人であり、
三人として現われる。
三人が元となり、
その中心の一人は、 によって現わされ、
他の二人は、 によって現わされる。
は、左右上下 二つの動きの を為すところの
立体 からなっている。
統治者の心奥の は、更に高度にして、
更に内奥に位する の中の
によって統一され、
統治され、立体 をなしている。
天国では、この を、スの神と敬称し、
歓喜の根元をなしている。
スの神は、アの神と現われ給い、
オとウとひらき給い、
続いて、エとイと動き現われ給うのである。
これが総体の統治神である。
三神であり、二神である。
ア、オ、ウは愛であり、
エ、イは真である。
これら天国の組織は、人体の組織と対応し、
天国の一切の事象と運行とは、
人体のそれに対応している。
オ、ウなる愛は曲線であり、心臓である。
エ、イなる真は、直線であり、肺臓に対応して三五七と脈うち、呼吸しているのである。
これらの統治者は権力を奪することなく、また指令することもない。
よりよく奉仕するのみである。
奉仕するとは、如何にしてよりよく融和し、
善と、真との浄化と共に、悪と偽の調和をなし、
これらの総てを神の力として生かし、
更に高度なる大歓喜に到らんかと努力することである。
また統治者自身は、自分達を他の者より大なる者とはせず、
他の善と真とを先とし、
その歓喜を先ずよろこび、
己はその中にとけ入る。
故にこそ、統治者は常にその団体の中心となり、
団体の歓喜となるのである。
指令することは、戒律をつくることであり、
戒律することが神の意志に反することを、これらの統治者は、よく知っている。
天国に於ける政治の基本は、以上の如くであるが、
更に各家庭に於ては、同一の形体をもつ政治が行なわれている。
一家には、一家の中心たる主人、即ち統治者がおり、
前記の如き原則を体している。
またその家族たちは、主人の働きを助け、
主人の意を意として働く。
その働くことは、彼等にとって最大の歓喜であり、弥栄である。
即ち、歓喜の政治であり、
経済であり、生活であり、信仰である。
天国に於ける天人、霊人たちは、
常にその中心歓喜たる統治者を神として礼拝する。
歓喜を礼拝することは、歓喜の流入を受け、
より高き歓喜に進んで行くことである。
けれども、天国における礼拝は、
地上人のそれの如き礼拝ではない。
礼拝生活である。
総てと拝み合い、且つ歓喜し合うことである。
与えられたる仕事を礼拝し、
仕事に仕えまつる奉仕こそ、天国の礼拝の基本である。
故に、各々の天人、天使の立場によって、礼拝の形式、表現は相違している。
しかし、歓喜の仕事に仕えまつることが礼拝であると云う点は一致している。
地上人的礼拝は、形式の世界たる地上に於ては、一つのいき方であるが、
天国に於ける礼拝は、千変万化で、
無限と永遠に対するものである。
無限と永遠は、常に弥栄えるが故に生ずるものであり、
その弥栄が神の用である。
森羅万象の多種多様、限りなき変化、弥栄を見て、
この無限と永遠を知り、
あらゆる形において変化繁殖するを見て、
無限と、永遠が神の用なることを知らねばならぬ。
天国の政治は、光の政治である。
天国にも地上の如く太陽があり、
その太陽より、光と、熱とを発しているが、
天国の太陽は、一つではなく二つとして現われている。
一は月球の如き現われ方である。
一は火の現われ、火の政治であり、
一は水の現われ、水の政治である。
愛を中心とする天人は、常に神を太陽として仰ぎ、
智を中心とする天使は、常に神を月として仰ぐ。
月と仰ぐも、太陽と仰ぐも、
各々その天人、天使の情動の如何によるのであって、
神は常に光と熱として接し給うのである。
またそれは、大いなる歓喜として現われ給う。
光と熱とは、太陽そのものではない。
太陽は、火と現われ、月は、水と現われるが、
その内奥はいずれも大歓喜である。
光と熱とは、そこより出ずる一つの現われに過ぎないことを知らねばならぬ。
このことをよく理解するが故に、
天国の政治は、常に光の中にあり、
また熱の中に育ち栄え、歓喜するのである。
天国の太陽よりは、真と愛とが常に流れ出ているが、
その真と、愛とは、太陽の中にあるのではなく、
現われ出たものが真と見え、
愛と感じられるのみである。
太陽の内奥は大歓喜が存在する。
故に高度の天人の場合は、愛も真もなく、
遥かにそれらを超越した歓喜の が感じられるのみである。
この歓喜の が、真、善、美、愛となって、
多くの天人、天使たちには感じられるのである。
歓喜は、そのうけ入れる天人、天使、霊人、地上人たちのもつ内質の如何によって、千変万化し、
また歓喜によって統一されるのであるということを知らねばならぬ。
地震の巻 第19帖 (396)
使用さされた特殊文字

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マツリの巻 第21帖 (425)
建替が十年延びたと知らしてあろが、
建替遅くなりて、それから建直しに掛かりたのでは人民丸潰れとなるから、
建直し早うかかるからと聞かしてあろが、
人民には中々判らんなれど、
世界の動きよく見て御用結構ぞ。
世の建替は水の守護、
火の守護と知らしてあること忘れずに神示読めよ、
所々の氏神様は日本の内で御用なさるのぢゃ。
どんな集団(まどゐ)も神示が元ぢゃ、
神示で開かなならんぞ、
智や学も要るなれど、
智や学では開けんぞ、
誠で開いて下されよ。
八月三十日、一二 。
使用された特殊文字
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星座の巻第11帖(045)
自由も共産も共倒れ、
岩戸がひらけたのであるから元の元の元のキの道でなくては、
タマ(玉)の道でなくては立ちては行かん、
動かん二二(普字、富士)の仕組、
ひらけて渦巻く鳴門(ナルト)(七 十、成答)ぢゃ。
新しき人民の住むところ、霊界と現界の両面をもつ所、
この岩戸ひらきて二度とない九十(光透)でひらく仕組。
使用された特殊文字
|
■平易意訳■
自由(資本主義、民主主義)も共産主義も共倒れ、
岩戸が開けたのですから元の元の元のキの道でなくては、
タマ(玉)の道でなくては立ちては行きません。
動かない二二(普字、富士)の仕組、開けて渦巻く
鳴門(ナルト)(七 十、成答)です。
新しき人民の住むところ、霊界と現界の両面を持つ所、
この岩戸開いて二度とない九十(光透)で開く仕組。
自由も共産も共倒れとは、
事象的にその対象となる国が大きくずっこけることも
見る事が出来るのではないかと思います。
流れで言えば、すでにアメリカなどにはその兆候が見えているような
気がします。
二度とない九十で開く仕組とは、
人間に階梯をすっ飛ばした高階梯の存在であるミロクが
降臨していろいろとする仕組のことなのかも知れませんね。
|
■平易意訳■
氷治氏の解釈 :(一巡目)
自由も共産も共倒れします。
岩戸が開けたのであるから「元の元の元のキの道」でなくては立ち行きません。
また、「タマ(玉)の道」でなくては、立ち行きません。
動かない「二二(普字、富士)の仕組」、「開けて渦巻く鳴門(ナルト)(七 十、成答)の仕組」です。
新しき人民の住む所は霊界と現界の両面をもつ所です。
この岩戸開きて
「二度とない九十(光透)コト・事で開く仕組」
です。
トッチさんの解釈 :(二巡目)
自由(資本主義、民主主義)も共産も共倒れです。
岩戸が開けたのですから元の元の元のキ(気、基、喜)の道でなくては、タマ(玉)の道でなくては立ち行きません。
動かない二二(普字、富士)の仕組、開けて渦巻く鳴門(ナルト)
(七 十、成答)です。
新しい人民の住む所、、霊界と現界の両面をもつ所。
この岩戸が開いて二度とない九十(光透)で開く仕組みです。
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■解説と補足説明■
ロックさんの解釈 :(一巡目)
女王と太陽で開く仕組のことを説明しているかと。
トッチさんの解釈 :(二巡目)
岩戸が開く仕組みの説明です。
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julaさんのメール
jula です。
自由主義も共産主義も現代社会での主義は共倒れにしか至りません。
所詮支配者層が蓄財を溜めこみ、民衆をコントロールする仕組みですから弥栄する事はないのです。
岩戸がひらけたのですから、世の元の、又更にその世の元の、又更にその世の元であるキの道でなくてはならないのです。
自由主義や共産主義はキの道からはまるで遠いところにあります。
玉、タマ→○に が納まった王の祭る道、政(マツリゴト)のやり方でなくては立ち行かなくなるのですよ。
動かん二二(普字、富士)の仕組
中心がぶれることの無い が納まった と
が和合する仕組み、
更にこれらが
となって
、ナルト、成答と成るのです。
洗濯掃除が済んでいる身魂は一度携挙で身を入れ替えられます。
そんな神懸かれる神人となれる新しい人民は霊界と現界の両面を合わせ持つ所に住まうのです。
今度の岩戸が開けることで、二度と無い二二(普字、富士)の仕組が成就して、九十(光透)でひらく仕組となっているのです。
九十(光透)でひらく仕組
九十(光透)でひらく仕組はまだうまく咀嚼できていません。
あえていうならば、八までの
には至れているけれども九つ目の が納まっていないからナルトとなりません。
しかし岩戸開ける今回は九つ目の を用意して納めて見せましょう、
としてナルト(成十)にしてみせましょう。
これが九十でひらく 九つ目のテンを入れ十をなしひらくを意味しているのです。
なんて感じでしょうか。
|
星座の巻第12帖(046)
地上界に山や川もあるから霊界に山や川があるのでない、
霊界の山川がマコトぞ、
地上はそのマコトの写しであり、
コトであるぞ、
マが霊界ぢゃ、
地上人は、半分は霊界で思想し、
霊人は地上界を足場としてゐる、
互に入りかわって交はってゐるのぞ、
このこと判れば来るべき世界が、
半霊半物、四次元の高度の、影ないうれしうれしの世であるから、
人民も浄化行せねばならん、
大元の道にかへり、
歩まねばならん、
今迄のような物質でない物質の世となるのであるぞ。
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■平易意訳■
地上界に山や川もあるから霊界に山や川があるのでないのです、霊界の山川が真・誠なのです。
地上はその真・誠の写しであり、コト=事象物?なのです。
マ=真が霊界なのです。
地上人は、半分は霊界で思想してますが、霊人は地上界を足場としています。
互に入りかわって交わっているのです。
このことを判れば来るべき世界が、半霊半物、四次元の高度の、影のないうれしうれしの世であることが判るでしょう。
だから、人民も浄化し行をしなければなりません。
大元の道に帰り、歩まねばなりません。
今迄のような物質でない物質の世となるのです。
霊界で作られたものの写しが地上世界となると、この地球劇場の元も霊界に存在しているのかも知れません。
霊界の後押しがなければ宇宙連合軍(天使軍)も形勢逆転があり得なかったのかも。
これは、天使の上の階梯の霊的な存在が介入していることでうまく行ったことでもあるようですので、なるほどとも思うところです。
地上人は半分は霊界で思想するようですが、霊人は地上界を足場としているとのこと。
地震の巻に記載されている、日の霊人、月の霊人は地上界の人間を足場にしているのかも知れませんね。
となると、地上人の霊界に向けて思想する?内容如何によって、繋がる霊人も変るのかも。
これは、怒りにより霊線が切り替わることも関係あるのかも知れませんね。
普段は相容れない日の霊人と月の霊人の間を融和し円通する霊人との繋がりを持つ事が必要だから、人民も浄化し、修行をしなくてはいけないのだと思います。
それを理解するのもまだまだ道のりはありそうです(^^;;;;
地震の巻第一帖によると日の霊人にも特徴があるように、月の霊人は否定的な特徴だそうですから、それを参考にするなら、いちいち何かを言われて「なぬう(ーー+)」となっていては平行線ですので彼等の存在を認め、彼等の立場も理解することも必要なのでしょうね。
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■平易意訳■
氷治氏の解釈 :(一巡目)
「地上界に山や川もあるから霊界に山や川がある」のではないのです。
霊界の山川が真・誠です。
地上はその誠・真の写しであり、コト・光透です。
「マ」が霊界です。
地上人は半分は霊界で思想しますが、霊人は地上界を足場としています。
互に入りかわって交はっているのです。
このことが判れば、
「来るべき世界が、半霊半物、四次元の高度の影のない嬉し嬉しの世である」
ことが判るでしょう。
ですから、人民も浄化し修行しなければなりません。
大元の道に返り、歩まねばなりません。
今迄の様な物質でない物質の世となるのです。
トッチさんの解釈 :(二巡目)
地上界に山や川もあるから霊界に山や川があるのではないのです。
霊界の山川がマコトです。
地上はそのマコトの写しであり、コト(言)なのです。
マ(真)が霊界です。
地上人は半分は霊界で思想し、霊人は地上界を足場としています。
お互いに入れ替わって交わっているのです。
この事が判れば来るべき世界が、半霊半物、四次元の高度の、影の無い嬉し嬉しの世ですから、人民も浄化行をしなければいけません。
大元の道に帰り歩まなければなりません。
今までのような物質でない物質の世となるのですよ。
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■解説と補足説明■
ロックさんの解釈 :(一巡目)
新世界の説明かと思います。
トッチさんの解釈 :(二巡目)
「コト」を言、「マ」を真としてみました。
地上界と霊界との繋がりが判れば、人民は改心しなければなりません。
そして、新しい世の性質の説明になっています。
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星座の巻第13帖(047)
父のみ拝(おろが)みたたへただけでは足りない、
母に抱かれねば、母の乳をいただかねば正しく生長出来ないのであるぞ。
一神として拝んでも足りぬ、
二(柱)でも一方的、
十万柱としても一方的ぞ、
マイナスの神を拝(おろが)まねばならん、
マイナスの神とは母のことぢゃ、
天にまします父のみでは足りないぞ、
天にあれば必ず地にもあるぞ、
一即多即汎、
地即天、
天即地から表即裏である、
マコトを行じて下されよ。
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■平易意訳■
父のみ拝(おろが)み称えただけでは足りません。
母に抱かれねば、母の乳をいただかなければ正しく生長出来ないのです。
一神として拝んでも足りません。
二(柱)でも一方的、十万柱としても一方的です。
マイナスの神を拝(おろが)まねばなりません。
マイナスの神とは母のことです。
天にまします父のみでは足りません。
天にあれば必ず地にもあるのです。
一即多即汎、地即天、天即地から表即裏なのです。
マコト真・誠を行じて下さい。
これは、いろいろとひふみを理解していく過程の中で、その真の意味を理解できていくのだろうと思います。
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■平易意訳■
氷治氏の解釈 :(一巡目)
父のみを拝(おろが)み称えただけでは足りません。
母に抱かれねば、母の乳をいただかねば、正しく生長が出来ません。
一神として拝んでも足りません。
二(柱)でも一方的になります。
十万柱としても一方的です。
マイナスの神を拝(おろが)まねばなりません。
マイナスの神とは母のことです。
天にまします父のみでは足りないです。
天にあれば、必ず地にもあります。
一即多即汎、
地即天、
天即地、
表即裏、
です。
真・誠を修行じて下さい。
トッチさんの解釈 :(二巡目)
父のみ拝み称えただけでは足りません。
母に抱かれなければ、母の乳を頂かなければ正しく生長出来ないのですよ。
一神として拝んでも足りません。
二(柱)でも一方的、十万柱としても一方的ですよ。
マイナスの神も拝まなければなりません。
マイナスの神とは母の事です。
天にまします父のみでは足りませんよ。
天にあれば、必ず地にもありますよ。
一即多即汎、地即天、天即地から表即裏なのです。
マコトを行って下さいよ。
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■解説と補足説明■
氷治氏の解釈 :(一巡目)
色即是空、空即是色
一即是汎、汎即是一
地即是天、天即是地
表即是裏、裏即是表
父即是母、母即是父
男即是女、女即是男
夫即是妻、妻即是夫
です。
ロックさんの解釈 :(一巡目)
"父"=ひふみの神の子
"母"=女王
トッチさんの解釈 :(二巡目)
キリスト教は「天にまします我らの父よ」と拝んでいるようですが。
母も拝んであげてください・・・と言う事ではなく、暗に今の宗教の在り方を皮肉っているような内容です、と受け取りました。
そして、「一即多即汎、地即天、天即地から表即裏なのです。」
と真理を説明しています。
マコトを行うにも理解するのはなかなか難しいですね。 |
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トッチさんのメール
トッチです。
要点だけ。
この神示は、一+二=三についての説明ですね。
そして、一方向のみに囚われては進化も弥栄も有りませんと言っています。
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julaさんのメール
jula です。
星座の巻は主に
「一と二を和して三となせ、三を生め」
という本来の宇宙の摂理みたい
なものを言いたいのかもしれません。 そういう本来の摂理を色々な方向から説いてい
るのかもしれませんね。
この星座の巻第13帖(047)はこんな感じなのではないでしょうか。
現界の最初はイザナギ、イザナミによって国産み、神産みがなされていた。
火の神が生まれた際にイザナギ、イザナミが別れ別れとなってしまった。
このため、現、地上界はイザナギが神を産み整えた。
同様に黄泉の世界ではイザナギが神を産み整えた。
しかし、片親から作られた神達は結局は遺伝子クローンにすぎない。
遺伝子クローンの末裔であるからといって、
天に居る現界の親神であるイザナギだけ拝(おろが)みたたへただけでは一方的でし
かないのです。
といって、イザナギだけをだけ拝(おろが)みたたへただけでは一方的でしかないの
です。
かといって多神(八百万(やおよろず))の神を拝(おろが)みたたへるのでも一方
的でしかないのです。
このため一+一=一、二+二=二でしかない。
正しく一+二で三を生みなさい。
マイナスとプラスが和する必要があります。
同様に善だけでもだめ、悪だけでもだめ、和する必要があります。
同様に霊だけでもだめ、身体だけでもだめ、和する必要があります。
和したイザナギ、イザナミに抱かれ、母の乳をいただいてこそ正しい生長となれるの
です。
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天にあれば必ず地にもあるぞ、
一即多即汎、地即天、天即地から表即裏である、マコ
トを行じて下されよ。
別れ別れとなった天と地です。
天にあるものは、必ずその写しとして地にもあるのです。
一としての存在あるならば、必ず写しとしての別の二が存在するのです。
一と二が和すれば三となり多用性をもたらします。
これが、広く何事にも及び行き渡っているのが本来であるのです。
地あれば天あります。 天あれば地あります。 表と現れれば必ず裏と現れるものがある
のです。
それがマコトです。 マコトを行じてください。
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強引に分けるとこんな風になるのでしょうか?
陰
マイナス
水
右
天
イザナミ(女)
二?(偶数?)
陽
プラス
火
左
地
イザナギ(男)
一?(奇数)
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トッチさんのメール
トッチです。
保存していて送信を忘れていたメールを見つけました。
今更ですが、折角ですので少しアレンジして送信です。
julaさん、お疲れ様です。
クローンとは、うまい発想ですね。
なにげに現在問題になっているクローン技術は、弥栄無しの一方通行手形である事に気付かされました。
そう言えば封切られたばかりの“スターウォーズ・エピソード3”はクローン戦争が舞台ではなかったでしょうか。 (違ったかな?)
確か、ジェダイと対峙する暗黒面のフォースに囚われた連中が大量のクローン戦士を量産して、宇宙の征服を目論むのでしたよね。
何やら暗示的。
見に行こうかDVDを待つか思案中です。 (本音は早く見たい)
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星座の巻第14帖(048)
目から泥を洗ひ去ると見へてくるぞ、
右の目ばかりではならん、左の目の泥も落せよ。 泥のついてゐない人民一人もないぞ、
泥落すには水がよいぞ、
世の元からの真清(詞)水で洗ひ落し下されよ、
世の元の元の元の真清(詞)水結構。
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■平易意訳■
目から泥を洗い去ると見えて来ます。
右の目ばかりではなりません。
左の目の泥も落しなさい。
泥のついていない人民一人もいないですよ。
泥落すには水がよいのです。
世の元からの真清(詞)水で洗い落し下さい。
世の元の元の元の真清(詞)水結構。
ひふみ神のメッセージはとても綺麗にしてくれるようです。
洗い落として下さいですから水は用意するけど、洗ってくれませんので、本人の出来る範囲の努力がいるようです。
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■平易意訳■
氷治氏の解釈 :(一巡目)
目から泥を洗い去ると見えて来ます。
右の目ばかりではなりません。
左の目の泥も落しなさい。
泥のついていない人民は一人もいないのです。
泥を落すには水がよいです。
世の元からの真清(詞)水で洗ひ落して下さい。
世の元の元の元の真清(詞)水は大変に良いものです。
トッチさんの解釈 :(二巡目)
目から泥を洗い流すと見えてきますよ。
右の目ばかりではいけません。
左の目の泥も落としなさいよ。
泥のついていない人民は一人もいませんよ。
泥を落とすには水が良いです。
世の元からの真清(詞)水で洗い落として下さいよ。
世の元の元の元の真清(詞)水は大変に良いものです。
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■解説と補足説明■
ロックさんの解釈 :(一巡目)
"目に付いた泥" = 真実に覆い被さるフィルターを取り去ると見えてきます。
"世の元からの真清(詞)水" = 宇宙の真相を語ったこの情報(水)を見ることにより、見えてきます。
洗脳解除のことを示唆しているかもしれませんね。
トッチさんの解釈 :(二巡目)
泥はサタンに仕組まれた環境により洗脳され、こびりついた心の垢だと思います。
垢とはミロクの仕組みに通じていない誤った価値観、われ良し、慢心など。
右目と左目は、思いと行動。
真清(詞)水は大元に繋がる真理。
などと解釈してみました。 |
トッチさんのメール
トッチです。
身魂を磨けば判ってくるのですが、日の神ばかりに気を取られていてはいけません。
同時に月の神も理解して下さい。
一方向のみではいけません。
一即多即汎、地即天、天即地から表即裏なのです。
こんな感じでしょうか。
その様に解釈した場合、「真清水」は
“形のない物”=無→中を行く道、
でしょうか。
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星座の巻第15帖(049)
十二人が一人欠けて十一人となるぞ、
その守護神を加へて二十二柱、
二十二が富士ぢゃ、
真理ぢゃ、
又三であるぞ、
今迄は四本指八本指で物事をはかって誤りなかったのであるが、
岩戸が明けたから親指が現れて五本十本となったのぢゃ、このことよくわきまへよ。
|
■平易意訳■
十二人が一人欠けて十一人となるのです。
その守護神を加えて二十二柱、二十二が富士です。 真理です。 又は三なのです。
今迄は四本指八本指で物事を計って誤りなかったのですが、岩戸が明けたから親指(真理)が現れて五本十本となったのです。 このことよくわきまえなさい。
真理を理解し、立体と繋がりどちらの世界に対しても永久に繁栄するように心がけることによって新しい世の中に向かっていけるのかも知れませんね。
十二人の内、一人欠けた者に相当するのは、垢や灰汁のような物かも。
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■平易意訳■
氷治氏の解釈 :(一巡目)
十二人が一人欠けて十一人となります。
その守護神を加えて二十二柱となります。
二十二が富士です。
二十二が真理です。
又、三です。
今迄は四本指八本指で物事を計って誤りなかったのですが、岩戸が明けたから親指が現れて五本十本となったのです。
このことを良くわきまえなさい。
トッチさんの解釈 :(二巡目)
十二人が一人欠けて十一人となります。
その守護神を加へて二十二柱、二十二が富士です。
又三なのです。
今までは四本指八本指で物事を計って誤りはなかったのですが、岩戸が開けましたので親指が現れて五本十本となったのです。
この事をよくわきまえて下さい。
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■解説と補足説明■
ロックさんの解釈 :(一巡目)
『 岩戸が明けたから親指が現れて五本十本となったのぢゃ、このことよくわきまへよ。』
あ、解釈近かったかも。 ひふみの神の子が覚醒して太陽とリンクした状態になった時のことを言っていると思います。
『 十二人が一人欠けて十一人となるぞ、その守護神を加へて二十二柱、二十二が富士ぢゃ、真理ぢゃ、又三であるぞ 』
一人欠けるとは、どうなのでしょう。 守護神を加えて二十二柱、その時にならないとわからないですね。
トッチさんの解釈 :(二巡目)
十二から連想するのはユダヤの十二氏族、キリストの十二使徒。
キリストの十二使徒ですと、裏切り者のユダがおります。
そこから考えますと、
「十二人が一人欠けて十一人となります」
は、すべての臣民はミロクに通じると解釈できそうです。
そして、
「その守護神を加へて二十二柱」
は、霊の世界と繋がる立体を理解した状態となりそうです。
それが富士(不二、不死)の世界。
「岩戸が開けましたので親指が現れて五本十本となったのです」
そうなれば、不足する事の無い完璧な仕組みの中で生きる事になるのです。
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トッチさんのメール
トッチです。
この神示は○に点が収まり、そして一と二が和して三を生む。
岩戸明けとはそういう事ですよって感じですね。
「十二人が一人欠けて十一人」
は、点を収められる○の状態になりましたと言う意味で、 「垢や灰汁のような物かも」
は妥当かも。
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星座の巻第16帖(050)
偽(にせ)の愛、偽(にせ)の智と申すのは、神を信じない人民の愛と智であることを知れよ、
この人民たちは神の声を聞いても聞こへず、
神の現れを見ても見へないのであるぞ、
目をとぢ耳にふたしてゐるからぞ、
今の人民よ学者よ金持よ、
早う考へ方を変へねば間に合わん、
心の窓 早うひらけよ。
|
■平易意訳■
偽(にせ)の愛、偽(にせ)の智と云うのは、神を信じない人民の愛と智であることを知りなさい。
この人民たちは神の声を聞いても聞こえないし、神の現れを見ても見えないのです。
目を閉じ耳に蓋をしているからなのです。
今の人民よ学者よ金持よ、早う考え方を変えなければ間に合いません。
心の窓を早く開きなさい。
隠ぺい工作に一役買っている方々に改心の勧めのようです。
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■平易意訳■
氷治氏の解釈 :(一巡目)
「偽(にせ)の愛」、「偽(にせ)の智」と云うものは神を信じない人民の愛と智であることと知りなさい。
この人民達は神の声を聞いても聞こえません。
神の現れを見ても見えません。
目を閉じ耳に蓋をしているのです。
今の人民よ!
今の学者よ!
今の金持よ!
早く考え方を変えないと間に合いません。
早く心の窓を素早く開きなさい。
トッチさんの解釈 :(二巡目)
偽(にせ)の愛、偽(にせ)の智と言うのは、神を信じない人民の愛と智であることを知ってください。
この人民たちは神の声を聞いても聞こえず、神の現れを見ても見えないのです。
目を閉じ、耳に蓋をしているからです。
今の人民よ、学者よ、金持ちよ、早く考え方を変えなければ間に合いません。
心の窓を早く開いてください。
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■解説と補足説明■
トッチさんの解釈 :(二巡目)
神示も読まず、ミロクの仕組みを理解していない境地での愛や智は偽物です。
この人民たちは、ミロクがノアの大洪水を説いても聞く耳を持たず、ミロクの存在も理解できないのです。
心を真理に向けようとせず、サタンに洗脳されるがままに我欲に囚われているからです。
今の人民よ、学者よ、金持ちよ、早く考え方を変えなければ間に合いません。
心の窓を早く開いてください。
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星座の巻 第17帖 (051)
土のまんぢうと申してあろう、
土が食べられると申してあろう、
土から人民を生んだと申してあろう、
ウシトラコンジンの肉体は日本の土ざと知らしてあろう、
土に生きよと申してあろう、
地は血(智)であるぞ、
素盞鳴命様であるぞ、
その土が生長して果ての果てに皮をぬぐ、
それが地変であるぞ。
|
■平易意訳■
土の饅頭と云っているでしょう。
土が食べられると云っているでしょう。
土から人民を生んだと云っているでしょう。
ウシトラコンジンの肉体は日本の土だと知らしてあるでしょう。
土に生きよと云っているでしょう。
地は血(智)なのです。
素盞鳴命様なのです。
その土が生長して果ての果てに皮を脱ぐ、それが地変なのです。
ひふみでは、
国常立大神は日本の国、
ウシトラコンジンは日本の土、
地は素盞鳴命様とあります。
地は血であり智ということですから、生きていくための智恵または永久に繁栄していくための智恵を磨く存在みたいな物が素盞鳴命様なのでしょうか。
聖書でも人間は土から作ったとかの記述がなかったでしょうか?
その土(生命の元?)が生長して果ての果てに人間となり、人間としての修行を終えた後に
その皮袋を脱いで、更なる永久に繁栄することを目指していく。
こんな感じでしょうか。
うーーーむハラに入るまではまだまだですね。
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■平易意訳■
氷治氏の解釈 :(一巡目)
土の饅頭と説明しています。
土が食べられると説明しています。
土から人民を生んだと説明してあります。
ウシトラコンジンの肉体は日本の土ですと知らしてあります。
土に生きなさいと説明してあります。
地は血(智)です。
素盞鳴命様です。
その土が生長して果ての果てに人間となり、その皮袋を脱ぐのです。
それが地変と云うものです。
トッチさんの解釈 :(二巡目)
土の饅頭と説明しています。
土が食べられると説明しています。
土から人民を生んだと説明してあります。
ウシトラコンジンの肉体は 日本の土ですと知らしてあります。
土に生きなさいと説明してあります。
地は 血(智)です。
素盞鳴命様です。
その土が生長して果ての果てに人間となり、その皮袋を脱ぐのです。
それが地変と云うものです。
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■解説と補足説明■
ロックさんの解釈 :(一巡目)
これは、ノアの大洪水に関して示唆しているような気がします。
トッチさんの解釈 :(二巡目)
本来スサノオは英雄的、太陽神的な神でした。
しかし、その時代の権力を無力化すると伝えられていましたので、時の権力にとってはあまり都合が良くなかったようです。
それでアマテラスを作りだし高天原での暴れぶりが前面にだされたのかもしれませんね。
ノアの大洪水後、人類がミロクの仕組みを理解し、ミロクの世が訪れて権力の無い仕組みとなる事を地変と言っているのかもしれません。
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星座の巻 第18帖 (052)
天人が人民に語る時は、人民の中に来て、その人民のもつ言葉で語り文字を使うのであるぞ、
自分と自分と語る如くなるのであるぞ、
天人同士の文字は数字が多いぞ。
夜明け前になると霊がかりがウヨウヨ、
勝手放題にまぜくり返すなれど、
それもしばらくの狂言。
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■平易意訳■
天人が人民に語る時は、人民の心の中に来て、その人民のもつ言葉で語り文字を使うのです。
それは自分と自分と語る如くなるのです。
天人同士の文字は数字が多いのです。
夜明け前になると霊がかりがウヨウヨ、勝手放題にまぜくり返しますが、それもしばらくの狂言です。
人民も知らず知らずのうちに人生の決断の中では、いろいろと天人と相談をしていることもあるのかも知れませんね。
夜明け前には、霊がかりがウヨウヨして勝手放題にまぜくり返すようですので注意はいるかと思いますが。
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■平易意訳■
氷治氏の解釈 :(一巡目)
天人が人民に語る時は人民の心の中に来て、その人民の持つ言葉で語り、持っている文字を使います。
従って、自分と自分とが語る様な姿になります。
(天人の心と人民の心が自問自答するような雰囲気で会話するのです。
従って、端から見ていると、何やらブツブツと独り言を言っているような雰囲気になるのです。)
天人同士の文字は数字が多いです。
岩戸開きの夜明け前になると霊懸かりがウヨウヨと現れて、勝手放題にまぜくり返します。
ですが、それもしばらくの狂言です。
トッチさんの解釈 :(二巡目)
天人が人民に語る時は、人民の心の中に来て、その人民の持つ言葉で語り、持っている文字を使います。
従って、自分と自分とが語る様な姿になります。
(天人の心と人民の心が自問自答するような雰囲気で会話するのです。
従って、端から見ていると、何やらブツブツと独り言を言っているような雰囲気になるのです。)
天人同士の文字は 数字が多いです。
岩戸開きの夜明け前になると霊懸かりがウヨウヨと現れて、勝手放題にまぜくり返します。
ですが、それもしばらくの狂言です。
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■解説と補足説明■
ロックさんの解釈 :(一巡目)
天人同士で気がつきましたが、諸世紀の番号の記述と、太陽のひふみの整頓番号の記述が123などの数字ですが、諸世紀は意図してか知らずか、一ニ三などの漢数字なんですよね。
何か照合する予言はあるかもしれませんね。
トッチさんの解釈 :(二巡目)
出口なおは平仮名しか分からなかったので、ウシトラノコンジンからのお筆書きは全て平仮名でした。
人間は基本OSで、奥にある神性はOSを使って動くソフトでしょうか。
都市攻撃前は世の中が政治的にも自然環境的にも乱れているでしょうから、そんな時代には色々と
「我こそは救世主である!」
と、キツネのお筆書きを披露するやからが増えるのかもしれません。
しかし、それも一時の事で、すぐに都市攻撃で焼かれ、偶然逃れてもノアの大洪水でお亡くなりになる事は目に見えています。
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星座の巻 第19帖 (053)
人民もの言わなくなると申してあろうが、
ものが今迄のようにものを言わなくなり、
マコトの世となるぞ、
天人の言葉はマコトであるから、
只一言で万語を伝へ得るぞ。
言葉の生命(いのち)は愛であり、
真であるから、
真愛から発しない言葉はマコトの言葉でないぞ。
子音と母音と組み組みて父音の気を入れて始めて言葉となるのぢゃ、
今の人民のは言葉でないぞ、
日本の古(光)語がマコトの言葉ぞ、言霊ぞ、
数霊と倶に弥栄ゆく仕組。
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■平易意訳■
人民もの言わなくなると云っているでしょう。
ものが今迄のようにものを言わなくなり、マコトの世となるのです。
天人の言葉はマコトですから、只一言で万語を伝え得るのです。
言葉の生命(いのち)は愛であり、真であるので、真愛から発しない言葉はマコトの言葉でないのです。
子音と母音と組み組みて父音の気を入れて始めて言葉となるのです。
今の人民のは言葉ではありません。
日本の古(光)語がマコトの言葉なのです。
言霊なのです。
数霊と倶に永久に繁栄する仕組。
地球劇場でダブルスタンダート(二枚舌)のようなものでこれまで物質的に繁栄してきた方々は、次の世で生きるのは
難しそうですね。
人それぞれだと思うのですが、本音と建前を駆使してきた方に、明日から本音だけで生きて下さいとなった時に、
何が出てくるのでしょう。
都市攻撃などは、その本音が多分に暴露される機会ではないでしょうか。
真愛、、、これも身魂磨きの過程の中でハラに入れていく必要があるのではないでしょうか。
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■平易意訳■
氷治氏の解釈 :(一巡目)
人民がもの事を言わなくなると説明してあります。
もの事が今迄の様にもの事を言わなくなります。
誠・真の世となります。
天人の言葉は真・誠ですから、只の一言で万語を伝え得るのです。
言葉の生命(いのち)は愛であり、真です。
ですから、真愛から発しない言葉は誠・真の言葉でありません。
子音と母音と組み組みて、父音の気を入れて始めて言葉となります。
今の人民の音は真の言葉でありません。
日本の古(光)語が真・誠の言葉ですし、言霊です。
「数霊とともに永久に繁栄する仕組」です。
トッチさんの解釈 :(二巡目)
人民がもの事を言わなくなると説明してあります。
もの事が今迄の様にもの事を言わなくなります。
誠・真の世となります。
天人の言葉は 真・誠ですから、只の一言で万語を伝え得るのです。
言葉の生命(いのち)は 愛であり、真です。
ですから、真愛から発しない言葉は 誠・真の言葉でありません。
子音と母音と組み組みて、父音の気を入れて始めて言葉となります。
今の人民の音は 真の言葉でありません。
日本の古(光)語が真・誠の言葉ですし、言霊です。
「数霊とともに永久に繁栄する仕組」です。
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■解説と補足説明■
ロックさんの解釈 :(一巡目)
言葉が無くなり、テレパシーで会話出来る様になるんですね。
いいことです。
トッチさんの解釈 :(二巡目)
「もの事」とは、たてまえであったり本音であったり、思いと裏腹な事を言っているのではないかと思います。
天人の世界は、思い=現象化であれば、今の人民のほとんどはミロクの世では生きていけないのではないでしょうか。
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星座の巻 第20帖 (054)
人民が正しく言葉すれば霊も同時に言霊するぞ、
神も応へ給ふのであるぞ。
始め言葉の元があるぞ、
ムムムムムウウウウウゝゝゝゝゝアと現はれるぞ、
神の現はれであるぞ、
言葉は神をたたへるものぞ、
マコトを伝へるものぞ、倶(トモ)に鳴り、倶に栄えるものぞ。
|
■平易意訳■
人民が正しく言葉すれば霊も同時に言霊するのです。
神も応えてくれるのです。
始め言葉の元があります。
ムムムムムウウウウウゝゝゝゝゝアと現はれるのです。
それらは神の現われです。 言葉は神を称えるものです。
マコトを伝えるものなのです。
倶(トモ)に鳴り、倶に栄えるものなのです。
正しく言葉するということは、真愛に生きるということにもかかってくるのかも知れませんね。
永久に繁栄する仕組を理解していく中で、それらは各々の中で悟ることが出来るのかも知れません。
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■平易意訳■
氷治氏の解釈 :(一巡目)
人民が正しく言葉すれば、霊も同時に言霊します。
人民が正しく言葉すれば、神も応えます。
始めの言葉の元があります。
ムムムムムウウウウウゝゝゝゝゝアと現われます。
神の現はれです。
言葉は神を称えるものでする
誠・真を伝えるものです。
神と倶(トモ)に鳴り響き、神と倶に栄えるものです。
トッチさんの解釈 :(二巡目)
人民が正しく言葉すれば、霊も同時に言霊します。
人民が正しく言葉すれば、神も応えます。
始めの言葉の元があります。
ムムムムムウウウウウゝゝゝゝゝアと現われます。
神の現はれです。
言葉は 神を称えるものでする
誠・真を伝えるものです。
神と倶(トモ)に鳴り響き、神と倶に栄えるものです。
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■解説と補足説明■
ロックさんの解釈 :(一巡目)
言葉使いの中にも、聖書や仏典などのように天使の情報がこっそり入っているかもしれませんね。
誰々さんと呼ぶときの、"さん" = "三サン" = "太陽"でもあるので、あなた達は太陽と同じ神の子であることをこっそり示唆してるかもしれません。
これは日本語だけにしか通じないと思いますが、外国語には、名前の後にさんなどの言葉をつける使いかたにはちょっとお目にかかったことがありません。
別に優性論を展開するわけでないですが、ふと気になりました。
トッチさんの解釈 :(二巡目)
ムムムムムの「ム」は「無」で、ウウウウウの「ウ」は「有」でしょうか。
ゝゝゝゝゝアは?です。
新しい世で生きるうえで肚に入れなければならない正しい言葉についての働きの説明と言う事とします。
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星座の巻 第21帖 (055)
言葉は生れ出るものぢゃ。 先づ言葉され、歌となり、文章となり、又絵画となり、彫刻となり、建築となり、又音楽となり、舞踊となり、あらゆる芸術の元となるのであるぞ。 神に通ずればこそ、愛であり、真であり、善であり、美であり、喜びであるぞ、喜びなきものは芸術でないぞ。 今の芸術は死の芸術、魔の芸術。
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■平易意訳■
言葉は生れ出るものです。 先づ言葉され、歌となり、文章となり、又絵画となり、彫刻となり、建築となり、又音楽となり、舞踊となり、あらゆる芸術の元となるのです。
神に通ずればこその愛であり、真であり、善であり、美であり、喜びであるのです。
喜びなきものは芸術ではありません。
今の芸術は死の芸術、魔の芸術。
あらゆる芸術の元になるのが言葉のようです。
真愛を表したのが言葉であるならば、そうでないものは言葉でないようです。
喜びのないものは芸術ではないとのこと。
今の芸術ともてはやされるのは、貨幣経済の中でお客を呼び寄せることが出来る物を指しているものが多いですから、本来の芸術とはほど遠いのでしょうね。
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■平易意訳■
氷治氏の解釈 :(一巡目)
言葉は生れ出るものです。
先づ言葉が発せられ、歌となり、文章となり、又、絵画となり、彫刻となり、建築となり、又、音楽となり、舞踊となり、あらゆる芸術の元となるのです。
神に通ずればこそ、愛であり、真であり、善であり、美であり、喜びであるのです。
喜びなきものは芸術でありません。
今の芸術は死の芸術、魔の芸術です。
トッチさんの解釈 :(二巡目)
言葉は 生れ出るものです。
先づ言葉が発せられ、歌となり、文章となり、又、絵画となり、彫刻となり、建築となり、又、音楽となり、舞踊となり、あらゆる芸術の元となるのです。
神に通ずればこそ、愛であり、真であり、善であり、美であり、喜びであるのです。
喜びなきものは 芸術でありません。
今の芸術は 死の芸術、魔の芸術です。
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■解説と補足説明■
ロックさんの解釈 :(一巡目)
何となく納得です。
トッチさんの解釈 :(二巡目)
心根に(肚に)大元の大神の愛、真が入っていれば真の言葉が発せられ、その言葉が元になりさまざまな芸術が生まれます。
神に通じればこそ、愛であり、真であり、善であり、喜びであるのです。
喜び(キ=基、喜)の無い物は、芸術ではありません。
我よしの目クラが作った(売り上げ優先の市場に即した)
今の芸術は、死の芸術、魔の芸術です。
神に通じる正しい言葉の重要性を引き合いに出し、売り上げ優先主義の仕組み(サタンが作った仕組み)を批判する内容と捉えました。
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星座の巻 第22帖 (056)
アとオとウとは天人の言(コトバ)、
アとエとイは天使の言(コトバ)、
人民に与へられた元の言(コトバ)であるぞ、
五柱の元つ太神が十柱の夫婦神と現われ十柱の子(みこ)と交わって五十神と現はれるのぢゃ。
故に五十神の中の三十二神は新しく生れるのぢゃ、
更に二十七神とはたらき又二十五有法とはたらくぞ。
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■平易意訳■
アとオとウとは天人の言(コトバ)、アとエとイは天使の言(コトバ)、人民に与へられた元の言(コトバ)であるのです。
五柱の元つ太神が十柱の夫婦神と現われ十柱の子(みこ)と交わって五十神と現われるのです。
故に五十神の中の三十二神は新しく生れるのです。
更に二十七神と働き又二十五有法と働くのです。
内容がよく把握しきれていないです(^^;;;難しい。
五柱の元つ太神が十柱の夫婦神と現われ十柱の子(みこ)と交わって五十神と現われるのです。
これについては、五柱の元つ太神が十柱の夫婦神と現われるとのことですが、十柱の子と交わって五十神と現われる?
生き神が現われるという記述がありますが、その辺りの何かのシナリオ的な流れを云っているのかも知れませんね。
五十神の中の三十二神は新しく生まれるとあります。 書かれた時期が昭和36年なので、その時期以降に生まれるとか?
復活する太陽のシナリオかもしれませんし、三十二神のそれは、太陽と運命を共にしその後生まれ変わるという内容であるかも知れませんね。
新世界に向けた記述が結構前の帖から続いてましたのでこんな風に考えてみました。
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■平易意訳■
氷治氏の解釈 :(一巡目)
「ア」と「オ」と「ウ」は天人の言(コトバ)です。
「ア」と「エ」と「イ」は天使の言(コトバ)です。
人民に与えられた元の言(コトバ)です。
五柱の元つ太神が十柱の夫婦神と現われて、十柱の子(みこ)と交わって、五十神と現はれるのです。
故に、五十神の中の三十二神は新しく生れるのです。
更に二十七神と働き、又、二十五有法と働くのです。
トッチさんの解釈 :(二巡目)
「ア」と「オ」と「ウ」は 天人の言(コトバ)です。
「ア」と「エ」と「イ」は 天使の言(コトバ)です。
人民に与えられた元の言(コトバ)です。
五柱の元つ太神が十柱の夫婦神と現われて、十柱の子(みこ)と交わって、五十神と現はれるのです。
故に、五十神の中の三十二神は新しく生れるのです。
更に二十七神と働き、又、二十五有法と働くのです。
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■解説と補足説明■
ロックさんの解釈 :(一巡目)
『 五柱の元つ太神が十柱の夫婦神と現われ十柱の子(みこ)と交わって五十神と現はれるのぢゃ。』
太陽が復活する時の話かもしれませんね。
トッチさんの解釈 :(二巡目)
難解ですので次回にと言う事で・・・。
星座の巻 第23帖 (057)
二二の二の五つの今あけて、 よろづゐんねん出づる時来ぬ。 天の理が地に現はれる時が岩戸あけぞ、
日本の国が甘露台ぢゃ。
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■平易意訳■
二二富士の二次の五つの今開けて、万の因縁が出てくる時が来ました。
天の理が地に現われる時が岩戸開けなのです。
日本の国が甘露台ぢゃ。
1万2500年毎の魂の養殖の結果が万の因縁として出てくるのかもしれません。
天の理が地に出てくる時=天の理に反して人間の生き血をすすり生きてきた存在が存在を許されなくなる時でもあるのかも。
甘露台の意味は出てきませんでしたが、甘露は出てきました。
日本はミロクの出る地でもあるので、(2)のような例えはあてはまるかもしれません。
かんろ 1 【甘露】
(1)中国で、仁政が敷かれ、天下が太平になると、天が瑞祥(ずいしよう)として降らせるという甘い露。
(2)古代インドの甘い飲み物。 苦悩を除き、長寿を保ち、死者をも復活させるという。 のち仏教でも天人の飲み物とされ、仏の教えのたとえともなる。
(3)(多く、飲み物についていう)非常に美味なこと。
「ああ、―、―」
(4)夏、カエデ・エノキ・カシなどの樹葉から滴る蜜液。 アリマキの分泌したもの。
(5)上等な煎茶の称。
(6)「甘露酒」「甘露水」の略。
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■平易意訳■
氷治氏の解釈 :(一巡目)
二二富士の二次ぎの五つが今開けて、万の因縁が出てくる時節が来ました。
天の理が地に現われる時節が岩戸開けであるのです。
日本の国が甘露台です。
トッチさんの解釈 :(二巡目)
二二富士の二次ぎの五つが今開けて、万の因縁が出てくる時節が来ました。
天の理が地に現われる時節が岩戸開けであるのです。
日本の国が甘露台です。
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■解説と補足説明■
ロックさんの解釈 :(一巡目)
岩戸開きを示唆しているのはわかりますが、天の理とはなんでしょう。 女王の助け舟のことでしょうか。
トッチさんの解釈 :(二巡目)
「二二富士の二次ぎの五つが」
について今後調べて行きます。
現時点では分かりません。
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ロックさんのメール
ロックです。
星座の巻第24帖(058)は、未発表のため欠帖のようです。
未発表というのは、都合が悪いため未発表なのかなという気がします。
気になるところです。
さて星座の巻もこちら第25帖でラストでございます。
中盤以降の詞はさっぱりです(==;;;
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星座の巻 第25帖 (059)
歓喜に裁きのない如く、神には裁きなし。
さばき説く宗教はいよいよ骨なしフニャフニャ腰となるぞ、
戒律や裁きは低い段階、
過去の部分的一面に過ぎん、
裁きを説くのは自分で自分をさばいてゐること、人民に罪なし。
手長手伸(たながたのし) 堅磐常磐(かきはときは)に 祝ふ御代なる。
生井栄井津(いくゐさかゐつ) 長井阿須波比支(ながゐあすはいき) たたへましを。
底つ岩根 千木岩(ちぎいわ)高く 瑞(みづ)の御舎(みあらか)。
四方(よも)の御門(みかど) 五方(いつも)とひらき 宇都幣帛(うづみてくら)を。
御巫(かむなぎ)の 辞竟(ことお)へまつる 生足御国(いくたるみくに)。
塩沫(しほなは)の 留まる限り 皇国弥栄(みくにやさか)ゆ。
海原の 辺にも沖にも 神つまります。
天の壁 地(くに)の退立(そぎた)つ 極み手伸(たの)しき。
八十綱(やそつな)を 百綱(ももつな)とかけて ささし給はむ。
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■平易意訳■
歓喜に裁きのない如く、神には裁きというものはありません。 裁きを説く宗教はいよいよ骨なしフニャフニャ腰となるのです。
戒律や裁きは低い段階、過去の部分的一面に過ぎません。
裁きを説くのは自分で自分を裁いていることなのです。 人民に罪はありません。
人民に罪はないということは、神が人民の罪を受けてくださるということなのかも知れませんね。
大概、疑問をもつような内容がある場合、その前後に答えのヒントに近いものが記載されていたりすることもありますが、
この帖の場合は、その前振りの部分が欠帖に込められているような気がします。
推測ですが、天明氏が立ち上げた団体すらもふっ飛ばしてしまう可能性のある記述があるのかも知れませんね。
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■平易意訳■
氷治氏の解釈 :(一巡目)
歓喜に裁きのない様に、神には裁きがありません。
(司法制度のような、裁判のようなものはありません)
裁きを説く宗教はいよいよ骨なしフニャフニャ腰となります。
戒律や裁きは低い段階、過去の部分的一面に過ぎません。
裁きを説くのは自分で自分を裁いていることになります。
人民に罪はありません。
手長手伸(たながたのし)堅磐常磐(かきはときは)に祝う御代になりました。
生井栄井津(いくゐさかゐつ)長井阿須波比支(ながゐあすはいき)を称えましょう。
瑞(みづ)の御舎(みあらか)の底つ岩根の千木岩(ちぎいわ)高くします。
宇都幣帛(うづみてくら)を四方の御門(みかど)は五方(いつも)と開きます。
生足御国(いくたるみくに)の御巫(かむなぎ)の辞竟(ことお)へ祀ります。
塩沫(しほなは)の留まる限り皇国は弥栄(みくにやさか)します。
海原の辺にも沖にも神を祀ります。
天の壁、地(くに)の退立(そぎた)つ極み手伸(たの)しき。
八十綱(やそつな)を百綱(ももつな)と懸けて刺さし給う。
トッチさんの解釈 :(二巡目)
歓喜に裁きのない様に、神には 裁きがありません。
(司法制度のような、裁判のようなものはありません)
裁きを説く宗教は いよいよ骨なしフニャフニャ腰となります。
戒律や裁きは 低い段階、過去の部分的一面に過ぎません。
裁きを説くのは 自分で自分を裁いていることになります。
人民に罪は ありません。
手長手伸(たながたのし)堅磐常磐(かきはときは)に祝う御代になりました。
生井栄井津(いくゐさかゐつ)長井阿須波比支(ながゐあすはいき)を称えましょう。
瑞(みづ)の御舎(みあらか)の底つ岩根の千木岩(ちぎいわ)高くします。
宇都幣帛(うづみてくら)を四方の御門(みかど)は 五方(いつも)と開きます。
生足御国(いくたるみくに)の御巫(かむなぎ)の辞竟(ことお)へ祀ります。
塩沫(しほなは)の留まる限り皇国は 弥栄(みくにやさか)します。
海原の辺にも沖にも神を祀ります。
天の壁、地(くに)の退立(そぎた)つ極み手伸(たの)しき。
八十綱(やそつな)を百綱(ももつな)と懸けて刺さし給う。
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■解説と補足説明■
ロックさんの解釈 :(一巡目)
裁きの内容について述べていると思いますが、難しいです。
トッチさんの解釈 :(二巡目)
「手長手伸(たながたのし)」からの文は重要な事を含んでいそうですが、現時点では読めません。
無理せず今後の課題にします。
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