フジ、富士、普字、二二、ふじで検索・抽出
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jula です。 トッチさんありがとうございます。 千成さんの平成説も出てきましたし、
「○と と思っていました。
んでもって、フジ、富士、普字、二二、ふじで抽出したら125帖 「どうしましょうかね〜・・・」 なんて感 じだったのですよ。 でもトッチさんが書かれたように、いい感じで意味通りそうなのですね。
Hitした帖多すぎましたが、
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![]() 因みに以下がフジ、富士、普字、二二、ふじHitした帖です。 ついでにワードパッドファイルも添付しておきます。
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昭和十九年六月十日、 旧閏四月二十日(1944年) 1 二二は晴れたり、 日本晴れ。 神の国のまことの神の力をあらはす代となれる、 仏もキリストも何も彼もはっきり助けて七六かしい御苦労のない代が来るから みたまを不断に磨いて一筋の誠を通して呉れよ。 いま一苦労あるが、 この苦労は身魂をみがいて居らぬと越せぬ、 この世初まって二度とない苦労である。 このむすびは神の力でないと何も出来ん、 人間の算盤では弾けんことぞ、 日本はお土があかる、 外国はお土がさかる。 都の大洗濯、 鄙の大洗濯、 人のお洗濯。 今度は何うもこらへて呉れというところまで、 後へひかぬから、 その積りでかかって来い、 神の国の神の力を、 はっきりと見せてやる時が来た。 嬉しくて苦しむ者と、 苦しくて喜ぶ者と出て来る 神の力でないと何んにも成就せん、 人の力で何が出来たか、 みな神がさしてゐるのざ、 いつでも神かかれる様に、 綺麗に洗濯して置いて呉れよ。 戦は今年中と言っゐるが、 そんなちょこい戦ではない、 世界中の洗濯ざから、 いらぬものが無くなるまでは、 終らぬ道理が分らぬか。 臣民同士のいくさでない、 カミと神、 アカとあか、 ヒトと人、 ニクと肉、 タマと魂のいくさぞ。 己の心を見よ、 戦が済んでいないであろ、 それで戦が済むと思うてゐるとは、 あきれたものぞ、 早く掃除せぬと間に合わん、 何より掃除が第一。 さびしさは人のみかは、 神は幾万倍ぞ、 さびしさ越へて時を待つ。 加実が世界の王になる、 てんし様が神と分らん臣民ばかり、 口と心と行と、 三つ揃うたまことを命(みこと)といふぞ。 神の臣民みな命(みこと)になる身魂、 掃除身魂結構。 六月の十日、 ひつくのかみ。
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昭和十九年六月十三日、 旧閏四月二十三日(1944年) 4 急ぐなれど、 臣民なかなかに言ふこときかぬから、 言ふこときかねば、 きく様にしてきかす。 神には何もかも出来てゐるが、 臣民まだ眼覚めぬか、 金(かね)のいらぬ楽の世になるぞ。 早く神祀りて呉れよ、 神祀らねば何も出来ぬぞ。 表の裏は裏、 裏の裏がある世ぞ。 神をだしにして、 今の上の人がゐるから、 神の力出ないのぞ。 お上に大神を祀りて政事(まつりごと)をせねば治まらん。 この神をまつるのは、 みはらし台ぞ、 富士みはらし台ぞ、 早く祀りてみつげを世に広めて呉れよ。 早く知らさねば日本がつぶれる様なことになるから、 早う祀りて神の申す様にして呉れ。 神急けるよ。 上ばかりよくてもならぬ、 下ばかりよくてもならぬ、 上下揃ふたよき世が神の世ぞ。 卍も一十もあてにならぬ、 世界中一つになりて それなのに今のやり方でよいと思うてゐるのか、 分らねば神にたづねて政事(まつりごと)せねばならぬと云ふことまだ分らぬか。 神と人とが交流(まつり)合はして この世のことが、 さしてあるのぞ。 人がきかねば神ばかりで始めるぞ。 神ばかりで洗濯するのは早いなれど、 それでは臣民が可哀そうなから、 臣民みなやり直さねばならぬから、 気をつけてゐるのに何してゐるのざ、 いつ何んなことあっても知らんぞ、 神祭第一、 神祭結構。 二三の木ノ花咲耶姫の神様を祀りて呉れよ。 コハナサクヤ姫様も祀りて呉れよ。 六月十三の日、 ひつくのか三。
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昭和十九年六月十四日、 旧閏四月二十四日(1944年) 5 富士とは神の山のことぞ。 神の山はみな富士(二二)といふのぞ。 見晴らし台とは身を張らすとこぞ、 身を張らすとは、 身のなかを神にて張ることぞ。 臣民の身の中に一杯に神の力を張らすことぞ。 大庭の富士を探して見よ、 神の米が出て来るから、 それを大切にせよ。 富士を開くとは心に神を満たすことぞ。 ひむかとは神を迎えることぞ、 ひむかはその使ひぞ。 ひむかは神の使ひざから、 九の道を早う開ひて呉れよ、 早う伝へて呉れよ、 ひむかのお役は人の病をなほして神の方へ向けさすお役ぞ、 この理をよく心得て間違ひないやうに伝へて呉れよ。 六月十四日、 ひつくのか三。
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昭和十九年六月二十二日、 旧五月二日(1944年) 14 この神示(ふで)よく読みて呉れよ、 読めば読むほど何もかも分りて来るぞ、 心とは神民の申す心でないぞ、 身魂とは神民の申す身魂でないぞ、 身たまとは身と魂と一つになってゐるもの云ふぞ、 神の神民 身と魂のわけ隔てないぞ、 身は魂、 魂は身ぞ、 外国は身ばかりの所あり魂ばかりの所あり、 神は身魂の別ないぞ、 この事分りたら神の仕組みがぼつぼつ分るぞ、 身魂の洗濯とは心の洗濯とは、 魂ばかりの洗濯でないぞ、 よく気をつけて呉れ、 神の申すことちがはんぞよ。 六月の二十二日、 ひつくのか三。
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昭和十九年六月二十八日、 旧五月八日(1944年) 21 世の元の大神(かみ)の仕組といふものは、 神々にも分らん仕組であるぞ、 この仕組 分りてはならず分らねばならず、 なかなかに六ヶ敷い仕組であるぞ、 知らしてやりたいなれど、 知らしてならん仕組ぞ。 外国がいくら攻めて来るとも、 世界の神々がいくら寄せて来るとも、 ぎりぎりになりたら神の元の神の神力出して岩戸開いて一つの王で治める神のまことの世に致すのであるから、 神は心配ないなれど、 ついて来れる臣民 少ないから、 早う掃除して呉れと申すのぞ、 掃除すれば何事も、 ハッキリと映りて楽なことになるから、 早う神の申すやうして呉れよ。 今度はとことはに変らぬ世に致すのざから、 世の元の大神でないと分らん仕組ざ。 洗濯できた臣民から手柄立てさしてうれしうれしの世に致すから、 神が臣民にお礼申すから、 一切ごもく捨てて、 早う神の申すこと聞いて呉れよ。 因縁の身魂は何うしても改心せねばならんのざから、 早う改心せよ、 おそい改心なかなか六ヶ敷ぞ。 神は帳面につける様に何事も見通しざから、 神の帳面 間違ひないから、 神の申す通りに、 分らんことも神の申す通りに従ひて呉れよ。 初めつらいなれど だんだん分りて来るから、 よく言うこと聞いて呉れよ、 外国から攻めて来て日本の国丸つぶれといふところで、 元の神の神力出して世を建てるから、 臣民の心も同じぞ、 江戸も昔のやうになるぞ、 神の身体から息出来ぬ様にしてゐるが、 今に元のままにせなならんことになるぞ。 富士から三十里四里離れた所へ祀りて呉れよ、 富士にも祀りて呉れよ、 富士はいよいよ動くから、 それが済むまでは三十里離れた所へ、 仮に祀りて置いて呉れよ。 富士は神の山ざ、 いつ火を噴くか分らんぞ、 神は噴かん積りでも、 いよいよとなれば噴かなならんことがあるから、 それまでは離れた所へ祀りて呉れよ、 神はかまはねど、 臣民の肉体 大切なから、 肉体もなくてはならんから、 さうして祀りて呉れ。 まつりまつり結構。 六月の二十八日、 ひつ九のか三。
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昭和十九年七月一日、 旧五月十一日(1944年) 27 何もかも世の元から仕組みてあるから神の申すところへ行けよ。 元の仕組は富士(二二)ぞ、 次の仕組はウシトラ三十里四里、 次の仕組の山に行きて開いて呉れよ、 今は分るまいが、 やがて結構なことになるのざから、 行きて神祀りて開いて呉れよ、 細かく知らしてやりたいなれど、 それでは臣民の手柄なくなるから、 臣民は子ざから、 子に手柄さして親から御礼申すぞ。 行けば何もかも善くなる様に、 昔からの仕組してあるから、 何事も物差しで測った様に行くぞ。 天地がうなるぞ、 上下引繰り返るぞ。 悪の仕組にみなの臣民だまされてゐるが、 もう直ぐ目さめるぞ、 目さめたらたづねてござれ、 この神のもとへ来てきけば、 何でも分かる様に神示で知らしておくぞ。 秋立ちたら淋しくなるぞ、 淋しくなりたらたづねてござれ、 我(が)を張ってゐると、 いつまでも分らずに苦しむばかりぞ。 この神示も身魂により何んなにでも、 とれるやうに書いておくから、 取り違ひせんやうにして呉れ、 三柱と七柱揃うたら山に行けよ。 七月一日、 ひつくのか三。
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昭和十九年七月一日、 旧五月十一日(1944年) 30 富士を開いたら まだ開くところあるのざ、 鳴戸へ行くことあるのざから このこと役員だけ心得て置いて呉れよ。 七月一の日、 ひつくのか三。
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昭和十九年七月二日、 旧五月十二日(1944年) 33 神の用意は済んでゐるのざから、 民の用意 早うして呉れよ、 用意して早う祀りて呉れよ。 富士は晴れたり日本晴れと申すこと、 だんだん分りて来るぞ。 神の名のついた石があるぞ、 その石、 役員に分けてそれぞれに守護の神つけるぞ、 神の石はお山にあるから、 お山開いて呉れよ。 ひつぐの民、 みつぐの民、 早う用意して呉れよ、 神急けるぞ。 七月二日、 ひつくのか三。
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昭和十九年七月十二日、 旧五月二十二日(1944年) 43 富士は晴れたり日本晴れ。 青垣山めぐれる下つ岩根に祀り呉れた、 御苦労ぞ、 いよいよ神も嬉しいぞ。 鳥居はいらぬぞ、 鳥居とは水のことぞ、 海の水ある それ鳥居ぞ。 皆の者 御苦労ぞ。 蛇(じゃ)が岳は昔から神が隠してをりた大切の山ざから、 人の登らぬ様にして、 竜神となりて護りて呉れた神々様にもお礼申すぞ。 富士は晴れたり日本晴れ。 いよいよ次の仕組にかかるから、 早う次の御用きいて呉れよ、 神急けるぞ、 山晴れ、 地(くに)晴れ、 海晴れて、 始めて天(てん)晴れるぞ。 天晴れて神の働き いよいよ烈しくなりたら、 臣民いよいよ分らなくなるから、 早う神心(かみこころ)になりて居りて下されよ。 つぎつぎに書かしておくから、 よく心に留めておいて下されよ。 この道(おしへ)は宗教(をしへ)ではないぞ、 教会ではないぞ、 道ざから、 今までの様な教会作らせんぞ。 道とは臣民に神が満ちることぞ、 神の国の中に神がみちみつることぞ。 金儲けさせんぞ、 欲すてて下されよ。 七月の十二日の神示(ふで)、 ひつくのか三。
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昭和十九年七月二十一日、 旧六月二日(1944年) 58 知恵でも学問でも、 今度は金積んでも何うにもならんことになるから、 さうなりたら神をたよるより他に手はなくなるから、 さうなりてから助けて呉れと申しても間に合わんぞ、 イシヤの仕組にかかりて、 まだ目さめん臣民ばかり。 日本精神と申して仏教の精神や基督教の精神ばかりぞ。 今度は神があるか、 ないかを、 ハッキリと神力みせてイシヤも改心さすのぞ。 神の国のお土に悪を渡らすことならんのであるが、 悪の神わたりて来てゐるから、 いつか悪の鬼ども上がるも知れんぞ。 神の国ぞと口先ばかりで申してゐるが、 心の内は幽界人(がいこくじん)沢山あるぞ。 富士から流れ出た川には、 それぞれ名前の附いてゐる石置いてあるから縁ある人は一つづつ十ひて来いよ、 お山まで行けぬ人は、 その川で十ふて来い、 みたま入れて守りの石と致してやるぞ。 これまでに申しても疑ふ臣民あるが、 うその事なら、 こんなに、 くどうは申さんぞ。 因縁の身魂には神から石与へて守護神の名つけてやるぞ。 江戸が元のすすき原になる日近づいたぞ。 てん四様を都に移さなならん時来たぞ。 江戸には人住めん様な時が一度は来るのぞ。 前のやうな世が来ると思うてゐたら大間違ひぞ。 江戸の仕組すみたらカイの御用あるぞ。 いまにさびしくなりて来るぞ。 この道栄えて世界の臣民みなたづねて来るやうになるぞ。 七月の二十一日の夜、 ひつ九のか三。
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昭和十九年七月二十八日、 旧六月九日(1944年) 64 岩戸開く仕組 知らしてやりたいなれど、 この仕組、 言ふてはならず、 言はねば臣民には分らんし、 神苦しいぞ、 早う神心になりて呉れと申すのぞ、 身魂の洗濯いそぐのぞ。 二三三二二(アイカギ)、 コノカギハイシヤトシカテニギルコトゾ。 一二 七月の二十八日。
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昭和十九年七月三十一日、 旧六月十二日(1944年) 68 神の国を真中にして世界分けると申してあるが、 神祀るのと同じやり方ぞ。 天(あめ)のひつくの家とは天のひつくの臣民の家ぞ。 天のひつくと申すのは天の益人のことぞ、 江戸の富士と申すのは、 ひつくの家の中に富士の形作りて、 その上に宮作りてもよいのぞ、 仮でよいのぞ。 こんなに別辞(ことわけ)てはこの後は申さんぞ。 小さい事はサニワで家来の神々様から知らすのであるから、 その事忘れるなよ。 仏(ぶつ)も耶蘇(やそ)も、 世界中まるめるのぞ。 喧嘩して大き声する所にはこの方鎮まらんぞ、 この事忘れるなよ。 七月の三十一日、 一二
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昭和十九年七月三十一日、 旧六月十二日(1944年) 69 この方は祓戸(はらへど)の神とも現はれるぞ。 この方祀るのは富士に三と所、
江戸にも三と所ぞ、 奥山、 中山、 一の宮ぞ。 富士は、 榛名(はるな)に祀りて呉れて御苦労でありたが、 これは中山ぞ、 一の宮と奥の山にまた祀らねばならんぞ、 江戸にも三と所、 天明の住んでゐるところ奥山ぞ。 あめのひつくの家、 中山ぞ、 此処が一の宮ざから気つけて置くぞ。 この方祀るのは、 真中に神の石鎮め、 そのあとにひもろぎ、 前の右左にひもろぎ、 それが「あ」と「や」と「わ」ぞ、 そのあとに三つ七五三とひもろ木立てさすぞ。 少しはなれて四隅にイウエオの言霊石 置いて呉れよ。 鳥居も注連(しめ)もいらぬと申してあろがな、 このことぞ。 この方祀るのも、 役員の仕事も、 この世の組立も、 みな七七七七と申してきかしてあるのには気がまだつかんのか、 臣民の家に祀るのは神の石だけでよいぞ、 天のひつくの家には、 どこでも前に言ふ様にして祀りて呉れよ。 江戸の奥山には八日、 秋立つ日に祀りて呉れよ、 中山九日、 一の宮には十日に祀りて呉れよ。 気つけてあるのに神の神示(ふで)よまぬから分らんのぞ、 このこと、 よく読めば分るぞ。 今の様なことでは神の御用つとまらんぞ、 正直だけでは神の御用つとまらんぞ。 裏と表とあると申して気つけてあろがな、 シッカリ神示読んで、 スキリと腹に入れて呉れよ、 よむたび毎に神が気つける様に声出してよめば、 よむだけお蔭あるのぞ。 七月の三十一日、 一二
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昭和十九年八月三日、 旧六月十五日(1944年) 73 この神に供へられたものは、 何によらん私することならんぞ、 まゐりた臣民にそれぞれ分けて喜ばして呉れよ、 臣民喜べば神も喜ぶぞ、 神喜べば天地光りて来るぞ、 天地光れば富士(二二)晴れるぞ、 富士は晴れたり日本晴れとはこの事ぞ。 このやうな仕組でこの道ひろめて呉れよ、 それが政治ぞ、 経済ぞ、 真通理(マツリ)ぞ、 分りたか。 八月の三日、 ひつ九のか三。
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昭和十九年八月三日、 旧六月十五日(1944年) 75 親となり子となり夫婦となり、 兄弟(はらから)となりて、 生きかわり死にかわりして御用に使ってゐるのぞ、 臣民同士、 世界の民、 みな同胞(はらから)と申すのは喩へでないぞ、 血がつながりてゐるまことの同胞ぞ、 はらから喧嘩も時によりけりぞ、 あまり分らぬと神も堪忍袋の緒切れるぞ、 何んな事あるか知れんぞ、 この道の信者は神が引き寄せると申せば役員ふところ手で居るが、 そんなことでこの道開けると思ふか。 一人が七人の人に知らせ、 その七人が済んだら、 次の御用にかからすぞ、 一聞いたら十知る人でないと、 この御用つとまらんぞ、 うらおもて、 よく気つけよ、 因縁の身魂はどんなに苦しくとも勇んで出来る世の元からのお道ぞ。 七人に知らしたら役員ぞ、 神が命ずるのでない、 自分から役員になるのぞと申してあろがな、 役員は神のぢきぢきの使ひぞ、 神柱ぞ。 肉体男なら魂(たま)は女(おみな)ぞ、 この道 十(と)りに来る悪魔あるから気つけ置くぞ。 八月の三日、 ひつ九のか三。
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昭和十九年八月三日、 旧六月十五日(1944年) 76 臣民はすぐにも戦すみてよき世が来る様に思うてゐるが、 なかなかさうはならんぞ、 臣民に神うつりてせねばならんのざから、 まことの世の元からの臣民 幾人もないぞ、 みな曇りてゐるから、 これでは悪の神ばかりかかりて、 だんだん悪の世になるばかりぞ、 それで戦すむと思うてゐるのか、 自分の心よく見てござれ、 よく分るであろがな、 戦すんでもすぐによき世とはならんぞ、 それからが大切ぞ、 胸突き八丁はそれからぞ、 富士に登るのにも、 雲の上からが苦しいであろがな、 戦は雲のかかってゐるところぞ、 頂上(いただき)までの正味のところはそれからぞ。 一、 二、 三年が正念場ぞ。 三四五(みよいづ)の仕組と申してあろがな。 八月の三日、 ひつくのか三。
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昭和十九年八月三日、 旧六月十五日(1944年) 80 富士は晴れたり日本晴れ、 これで下つ巻の終りざから、 これまでに示したこと、 よく腹に入れて呉れよ。 神が真中で取次ぎ役員いくらでもいるぞ、 役員はみな神柱ぞ。 国々、 ところどころから訪ねて来るぞ、 その神柱には みつげの道知らしてやりて呉れよ、 日本の臣民みな取次ぎぞ、 役員ぞ。 この方は世界中丸めて大神様にお目にかけるお役、 神の臣民は世界一つに丸めて てんし様に献げる御役ぞ。 この方とこの方の神々と、 神の臣民一つとなりて世界丸める御役ぞ。 神祀りて呉れたらいよいよ仕組知らせる神示(ふで)書かすぞ、 これからが正念場ざから、 ふんどし締めてかかりて呉れよ。 秋立ちたら神烈しくなるぞ、 富士は晴れたり日本晴れ、 てんし様の三四五(みよいづ)となるぞ。 八月の三日、 ひつくのか三。
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昭和十九年八月十一日、 旧六月二十三日(1944年) 82 か一の八マに立ちて、 一(ひ)れ二(ふ)りて祓ひて呉れよ、 ひつくの神に仕へている臣民、 代る代るこの御役つとめて呉れよ。 今は分かるまいなれど結構な御役ぞ。 この神示(ふで)腹の中に入れて置いてくれと申すに、 言ふ事きく臣民少ないが、 今に後悔するのが、 よく分りてゐるから神はくどう気つけて置くのぞ、 読めば読むほど神徳あるぞ、 どんな事でも分かる様にしてあるぞ、 言ふこときかねば一度は種だけにして、 根も葉も枯らして仕まうて、 この世の大掃除せねばならんから、 種のある内に気つけて居れど、 気つかねば気の毒出来るぞ。 今度の祭典(まつり)御苦労でありたぞ、 神界では神々様 大変の御喜びぞ、 雨の神、 風の神殿ことに御喜びになりたぞ。 此の大掃除一応やんだと安緒する。 この時、 富士(二二)鳴門がひっくり返るぞ、 早やう改心して呉れよ。 八月の十一日、
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昭和十九年八月二十二日、 旧七月四日(1944年) 93 何もかもてんし様のものではないか、 それなのにこれは自分の家ぞ、 これは自分の土地ぞと申して自分勝手にしているのが神の気に入らんぞ、 一度は天地に引き上げと知らしてありたこと忘れてはならんぞ、 一本の草でも神のものぞ、 野(ぬ)から生れたもの、 山から取れたもの、 海の幸もみな神に供へてから臣民いただけと申してあるわけも、 それで分るであろうがな。 この神示よく読みてさへ居れば病気もなくなるぞ、 さう云へば今の臣民、 そんな馬鹿あるかと申すが よく察して見よ、 必ず病も直るぞ、 それは病人の心が綺麗になるからぞ、 洗濯せよ掃除せよと申せば、 臣民 何も分らんから、 あわててゐるが、 この神示よむことが洗濯や掃除の初めで終りであるぞ、 神は無理は言はんぞ、 神の道は無理してないぞ、 よくこの神示読んで呉れよ。 よめばよむほど身魂みがかれるぞ、 と申しても仕事をよそにしてはならんぞ。 臣民と申すものは馬鹿正直ざから、 神示よめと申せば、 神示ばかり読んだならよい様に思うてゐるが、 裏も表もあるのぞ。 役員よく知らしてやれよ。 八月二十二日、
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昭和十九年八月三十日、 旧七月十二日(1944年) 104 富士(二二)を目ざして攻め寄する、 大船小船あめの船、 赤鬼青鬼黒鬼や、 おろち悪狐を先陣に、 寄せ来る敵は空蔽(おお)ひ、 海を埋めて忽(たちま)ちに、 天日(てんぢつ)暗くなりにけり、 折しもあれや日の国に、 一つの光 現はれぬ、 これこそ救ひの大神と、 救ひ求むる人々の、 目にうつれるは何事ぞ、 攻め来る敵の大将の、 大き光と呼応して、 一度にドッと雨ふらす、 火の雨何んぞたまるべき、 まことの神はなきものか、 これはたまらぬ兎も角も、 生命あっての物種と、 兜を脱がんとするものの、 次から次にあらわれぬ、 折しもあれや時ならぬ、 大風起こり雨来たり、 大海原には竜巻や、 やがて火の雨 地(つち)震ひ、 山は火を吹きどよめきて、 さしもの敵も悉く、 この世の外にと失せにけり、 風やみ雨も収まりて、 山川静まり国土の、 ところところに白衣(しろきぬ)の、 神のいぶきに甦る、 御民の顔の白き色、 岩戸ひらけぬしみじみと、 大空仰ぎ神を拝み、 地に跪(ひざまづ)き御民らの、 目にすがすがし富士の山、 富士は晴れたり日本晴れ、 普字は晴れたり岩戸(一八十)あけたり。 八月の三十日、
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昭和十九年八月三十日、 旧七月十二日(1944年) 107 神の堪忍袋 切れるぞよ、 臣民の思ふやうにやれるなら、 やりて見よれ、 九分九厘でグレンと引繰り返ると申してあるが、 これからはその場で引繰り返る様になるぞ。 誰れもよう行かん、 臣民の知れんところで何してゐるのぞ、 神には何も彼も分りてゐるのざと申してあろがな、 早く兜脱いで神にまつはりて来いよ、 改心すれば助けてやるぞ、 鬼の目にも涙ぞ、 まして神の目にはどんな涙もあるのざぞ、 どんな悪人も助けてやるぞ、 どんな善人も助けてやるぞ。 江戸と申すのは東京ばかりではないぞ、 今の様な都会みなエドであるぞ、 江戸は何うしても火の海ぞ。 それより他 やり方ないと神々様申して居られるぞよ。 秋ふけて草木枯れても根は残るなれど、 臣民かれて根の残らぬやうなことになりても知らんぞよ、 神のこのふみ早う知らしてやって呉れよ。 八と十八と五月と九月と十月に気つけて呉れよ、 これでこの方の神示の終わりぞ。 この神示は富士(二二)の巻として一つに纒(まと)めておいて下されよ、 今に宝となるのざぞ。 八月の三十日、
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昭和十九年八月三十一日、 旧七月十三日(1944年) 108 二二は晴れたり日本晴れ、 二二に御社(みやしろ)してこの世治めるぞ。 五大州ひっくり返りてゐるのが神には何より気に入らんぞ。 一の大神様まつれ、 二の大神様まつれよ、 三の大神様まつれよ、 天の御三体の大神様、 地の御三体の大神様まつれよ、 天から神々様 御降りなされるぞ、 地から御神々様おのぼりなされるぞ、 天の御神、 地の御神、 手をとりてうれしうれしの御歌うたはれるぞ。 神の肉体ぞ、 汚(けが)してはならんとこぞ。 八月の三十一日、 一二のか三。
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昭和十九年九月一日、 旧七月十四日(1944年) 114 二二(ふじ)は晴れたり日本晴れ、 二本のお足であんよせよ、 二本のお手手で働けよ、 日本の神の御仕組、 いつも二本となりてるぞ、 一本足の案山子(かかし)さん、 今更 何うにもなるまいが、 一本の手の臣民よ、 それでは生きては行けまいが、 一本足では立てないと、 云ふこと最早分ったら、 神が与えた二本足、 日本のお土に立ちて見よ、 二本のお手手 打ち打ちて、 神おろがめよ あめつちに、 響くまことの拍手に、 日本の国は晴れるぞよ、 二二(ふじ)は晴れたり日本晴れ、 二二(ふじ) は晴れたり、 岩戸あけたり。 九月一日、 ひつ九のか三。
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昭和十九年九月二日、 旧七月十五日(1944年) 115 あらしの中の捨小船と申してあるが、 今その通りとなりて居ろうがな、 何うすることも出来まいがな、 船頭どの、 苦しい時の神頼みでもよいぞ、 神まつりて呉れよ、 神にまつはりて呉れよ、 神はそれを待ってゐるのざぞ、 それでもせぬよりはましぞ、 そこに光あらはれるぞ。 光現はれると道はハッキリと判りて来るのぞ、 この方にだまされたと思うて、 言ふ通りにして見なされ、 自分でもビックリする様に結構が出来てるのにビックリするぞ。 富士の御山に腰かけて、 この方 世界中まもるぞ。 かのととり、 結構な日と申してあるが、 結構な日は恐い日であるぞ。 天から人が降る、 人が天に昇ること、 昇り降りでいそがしくなるぞ。 てんし様 御遷(うつ)り願ふ時近づいて来たぞよ。 奥山に紅葉(もみじ)ある内にと思へども、 いつまで紅葉ないぞ。 九月の二日、 ひつく
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昭和十九年九月十四日、 旧七月二十七日(1944年) 137 富士とは火の仕組ぞ、 渦うみとは水の仕組ぞ、 今に分りて来るのぞ。 神の国には、 政治も経済も軍事もないのざぞ、 まつりがあるだけぞ。 まつらふことによって何もかもうれしうれしになるのざぞ。 これは政治ぞ、 これは経済ぞと申してゐるから「鰻つかみ」になるのぞ、 分ければ分けるほど分からなくなって手におへぬことになるぞ。 手足は沢山は要らぬのざぞ。 火垂(ひだり)の臣(おみ)と水極(みぎり)の臣(おみ)とあればよいのざぞ。 ヤとワと申してあろうがな、 その下に七七ゝゝゝゝと申してあろうがな。 今の臣民 自分で自分の首くくるやうにしてゐるのぞ、 手は頭の一部ぞ、 手の頭ぞ。 頭、 手の一部でないぞ、 この道理よく心得ておけよ。 神示は印刷することならんぞ、 この神示説いて臣民の文字で臣民に読める様にしたものは一二三(ひふみ)と申せよ。 一二三は印刷してよいのざぞ。 印刷結構ぞ。 この神示のまま臣民に見せてはならんぞ、 役員よくこの神示見て、 その時によりその国によりて それぞれに説いて聞かせよ。 日本ばかりでないぞ、 国々ところところに仕組して神柱つくりてあるから、 今にびっくりすること出来るのざぞ、 世界の臣民にみな喜ばれるとき来るのざぞ。 五六七(みろく)の世近づいて来たぞ。 富士は晴れたり日本晴れ、 富士は晴れたり日本晴れ。 善一すぢとは神一すぢのことぞ。 この巻を「天つ巻」と申す、 すっかり写して呉れよ、 すっかり伝へて呉れよ。 九月十四日、 ひつ九のか三。
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昭和十九年九月二十日、 旧八月四日(1944年) 147 何事も方便と申して自分勝手なことばかり申してゐるが、 方便と申すもの神の国には無いのざぞ。 まことがことぞ、 まの事ぞ、 ことだまぞ。 これまでは方便と申して逃げられたが、 も早 逃げること出来ないぞ、 方便の人々早う心洗ひて呉れよ、 方便の世は済みたのざぞ、 いまでも仏の世と思うてゐるとびっくりがでるぞ、 神の国、 元の神がスッカリ現はれて富士の高嶺から天地(あめつち)へのりとするぞ、 岩戸しめる御役になるなよ。 九月の二十日、 ひつ九のか三。
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昭和十九年九月二十一日、 旧八月五日(1944年) 148 世界丸めて一つの国にするぞと申してあるが、 国はそれぞれの色の違ふ臣民によりて一つ一つの国作らすぞ。 その心々によりて、 それぞれの教作らすのぞ。 旧きものまかりて、 また新しくなるのぞ、 その心々(こころこころ)の国と申すは、 心々の国であるぞ、 一つの王で治めるのざぞ。 天つ日嗣の実子様が世界中照らすのぞ。 国のひつきの御役も大切の御役ぞ。 道とは三つの道が一つになることぞ、 みちみつことぞ、 もとの昔に返すのざぞ、 つくりかための終りの仕組ぞ、 終は始ぞ、 始は霊(ひ)ぞ、 富士、 都となるのざぞ、 幽界(がいこく)行きは外国行きぞ。 神の国光りて目あけて見れんことになるのざぞ、 臣民の身体からも光が出るのざぞ、 その光によりて その御役、 位、 分るのざから、 みろくの世となりたら何もかもハッキリして うれしうれしの世となるのぞ、 今の文明なくなるのでないぞ、 たま入れていよいよ光りて来るのぞ、 手握りて草木も四つあしもみな唄ふこととなるのぞ、 み光にみな集まりて来るのざぞ、 てんし様の御光は神の光であるのざぞ。 九月二十と一日、 一二か三。
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昭和十九年九月二十四日、 旧八月八日(1944年) 156 世成り、 神国の太陽足り満ちて、 皆みち足り、 神国の月神、 世をひらき足り、 弥栄にひらき、 月光、 総てはみち、 結び出づ、 道は極みに極む、 一二三(ひふみ)、 三四五(みよいづ)、 五六七(みろく)、 弥栄々々ぞ、 神、 仏、 耶ことごと和し、 和して足り、 太道ひらく永遠(とわ)、 富士は晴れたり、 太神は光り出づ、 神国のはじめ。 九月二十四日、 一二
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昭和十九年十月四日、 旧八月十八日(1944年) 164 天地には天地の、 国には国の、 びっくり箱あくのざぞ、 びっくり箱あけたら臣民みな思ひが違ってゐること分るのぞ、 早う洗濯した人から分るのぞ、 びっくり箱あくと、 神の規則通りに何もかもせねばならんのぞ、 目あけて居れん人出来るぞ、 神の規則は日本も支那も印度もメリカもキリスもオロシヤもないのざぞ、 一つにして規則通りが出来るのざから、 今に敵か味方か分らんことになりて来るのざぞ。 学の世はもう済みたのぞ、 日に日に神力あらはれるぞ、 一息入れる間もないのぞ。 ドシドシ事を運ぶから遅れんやうに、 取違ひせんやうに、 慌てぬやうにして呉れよ。 神々様もえらい心配なされてござる方あるが、 仕組はりうりう仕上げ見て下されよ。 旧九月になればこの神示(ふで)に変りて天(アメ)の日つくの神の御神示出すぞ、 初めの役員それまでに引き寄せるぞ、 八分通り引き寄せたなれど、 あと二分通りの御役の者 引き寄せるぞ。 おそし早しはあるなれど、 神の申したこと一厘もちがはんぞ、 富士は晴れたり日本晴れ、 おけ。 十月の四日、 ひつ九のか三ふみ。
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昭和十九年十月十一日、 旧八月二十五日(1944年) 173 二二は晴れたり日本晴れ、 てんし様が富士(二二)から世界中にみいづされる時近づいたぞ。 富士は火の山、 火の元の山で、 汚してならん御山ざから臣民登れんやうになるぞ、 神の臣民と獣と立て別けると申してあろうが、 世の態(さま)見て早う改心して身魂洗濯致して神の御用つとめて呉れよ。 大き声せんでも静かに一言いえば分る臣民、 一いへば十知る臣民でないと、 まことの御用はつとまらんぞ、 今にだんだんにせまりて来ると、 この方の神示(ふで)あてにならん だまされてゐたと申す人も出て来るぞ、 よくこの神示読んで神の仕組、 心に入れて、 息吹として言葉として世界きよめて呉れよ。 分らんと申すのは神示読んでゐないしるしぞ、 身魂 芯(しん)から光り出したら人も神も同じことになるのぞ、 それがまことの臣民と申してあらうがな、 山から野(ぬ)から川から海から何が起っても神は知らんぞ、 みな臣民の心からぞ、 改心せよ、 掃除せよ、 洗濯せよ、 雲霧はらひて呉れよ、 み光出ぬ様にしてゐてそれでよいのか、 気つかんと痛い目にあふのざぞ、 誰れかれの別ないと申してあらうがな。 いづれは天(アメ)の日つくの神様 御かかりになるぞ、 おそし早しはあるぞ、 この神様の御神示は烈しきぞ、 早う身魂みがかねば御かかりおそいのざぞ、 よくとことん掃除せねば御かかり六ヶしいぞ、 役員も気つけて呉れよ、 御役ご苦労ぞ、 その代り御役すみたら二二晴れるぞ。 十月十一日、 一二か三。
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昭和十九年十月十七日、 旧九月一日(1944年) 174 富士は晴れたり日本晴れ。 此の世に自分の物と云ふ物は何一つないのであるぞ。 早う自分からお返しした者から楽になるのざぞ。 今度の大洗濯は三つの大洗濯が一度になって居るのざから、 見当取れんのざぞ。 神の国の洗濯と外国の洗濯と世界ひっくるめた洗濯と一度になってゐるのざから、 そのつもりで少しでも神の御用務めて呉れよ。 此れからがいよいよの正念場と申してあろがな。 今はまだまだ一の幕で、 せんぐり出て来るのざぞ。 我(が)出したら判らなくなるぞ、 てんし様おがめよ、 てんし様まつりて呉れよ、 臣民 無理と思ふ事も無理でない事 沢山にあるのざぞ、 神はいよいよの仕組にかかったと申してあろがな。 毀(こわ)すのでないぞ、 練り直すのざぞ。 世界を摺鉢(すりばち)に入れて捏(こ)ね廻し、 練り直すのざぞ。 日本の中に騒動起るぞ。 神の臣民 気つけて呉れよ。 日本も神と獣に分れているのざから、 いやでも応でも騒動となるのざぞ。 小さくしたいなれど。 旧九月一日、 ひつくのか三。
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昭和十九年十月二十二日、 旧九月六日(1944年) 179 アメツチノトキ、 アメミナカヌシノミコト、 アノアニナリマシキ、 タカアマハラニ ミコトトナリタマヒキ。 今の経済は悪の経済と申してあろがな、 もの殺すのぞ。 神の国の経済はもの生む経済ぞ。 今の政治はもの毀(こわ)す政治ぞ、 神の政治は与へる政治と申してあろが。 配給は配給、 統制は統制ぞ。 一度は何もかも天地に引上げと申してあるが、 次の四(よ)の種だけは地に埋めておかねばならんのざぞ。 それで神がくどう申してゐるのぞ。 種は落ちぶれてゐなさる方(かた)で守られてゐるぞ。 上下に引繰り返ると申してある事近づいて来たぞ。 種は百姓に与へてあるぞ。 種蒔くのは百姓ぞ。 十月の二十二日、 ひつ九かみ。
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昭和十九年十月二十八日、 旧九月十二日(1944年) 185 三ハシラ、 五ハシラ、 七ハシラ、 コトアマツカミ、 ツギ、 ウヒジニ、 ツギ、 イモスヒジニ、 ツギ、 ツヌグヒ、 ツギ、 イモイクグヒ、 ツギ、 オホトノジ、 ツギ、 イモオホトノべ、 ツギ、 オモタル、 ツギ、 イモアヤカシコネ、 ミコトト、 アレナリ、 イキイキテ、 イキタマヒキ、 ツギ、 イザナギノカミ、 イザナミノカミ、 アレイデマシマシキ。 足許に気付けよ。 悪は善の仮面かぶりて来るぞ。 入れん所へ悪が化けて入って神の国をワヤにしてゐるのであるぞ、 己の心も同様ぞ。 百人千人万人の人が善いと申しても悪い事あるぞ。 一人の人云っても神の心に添ふ事あるぞ。 てんし様拝めよ。 てんし様拝めば御光出るぞ、 何もかもそこから生れるのざぞ。 お土拝めよ。 お土から何もかも生れるのぞ。 人拝めよ、 上に立つ人拝めよ、 草木も神と申してあろがな。 江戸に攻め寄せると申してあろがな。 富士目指して攻め来ると知らしてあること近付いたぞ。 今迄の事は皆型でありたぞ、 江戸の仕組もお山も甲斐の仕組も皆型ぞ、 鳴門とうづうみの仕組も型して呉れよ。 尾張の仕組も型早よう出して呉れよ。 型済んだらいよいよ末代続くまことの世直しの御用にかからすぞ。 雨降るぞ。 十月二十八日、 ひつ九のかみ。
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昔の世の元ぞ。
世の元ぞ。 サタナハマからあるぞ。 一柱、二柱、三柱、五柱、七柱、八柱、九 柱、十柱、と申してあろがな。 五十九の神、七十五柱これで判りたか。
冬の先 春とばかりは限らんと申してあること忘れるなよ。 用意せよ、 冬に桜咲くぞ。 十一月二十二日、
ひつ九
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使用さされた特殊文字
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昭和十九年十一月二十三日、 旧十月八日(1944年) 200 神の国は生きてゐるのざぞ、 国土おろがめよ、 神の肉体ぞ。 神のたまぞ。 道は真直ぐとばかり思ふなよ、 曲って真直ぐであるぞ、 人の道は無理に真直ぐにつけたがるなれど曲ってゐるのが神の道ぞ。 曲って真直ぐいのざぞ。 人の道も同じであるぞ。 足許から鳥立つぞ。 愈々が近づいたぞ。 世の元と申すものは泥の海でありたぞ。 その泥から神が色々のもの一二三で、 いぶきで生みたのぞ。 人の智ではわからぬ事ざぞ。 眼は丸いから丸く見えるのざぞ。 この道理わかりたか。 一度はどろどろにこね廻さなならんのざぞ。 臣民はどない申しても近慾ざから先見えんから慾ばかり申してゐるが、 神は持ち切れない程の物与へてゐるでないか。 幾ら貧乏だとて犬猫とは桁違ふがな。 それで何不足申してゐるのか。 まだまだ天地へ取上げるぞ。 日々取上げてゐる事わからんか。 神が大難を小難にして神々様御活動になってゐること眼に見せてもわからんか。 天地でんぐり返るぞ。 やがては富士晴れるぞ。 富士は晴れたり日本晴れ。 元の神の世にかへるぞ。 日の巻終りて月の巻に移るぞ。 愈々一二三が多くなるから、 今までに出してゐた神示よく腹に入れておいてくれよ、 知らせねばならず、 知らしては仕組成就せず、 臣民 早よ洗濯して鏡に映る様にしてくれよ。 今の世 地獄とわかってゐるであろがな。 今のやり方 悪いとわかってゐるであろがな。 神まつれと申すのぞ。 外国には外国の神あると申してあろが。 み戦さすすめて外国に行った時は、 先づその国の神まつらねばならんぞ、 まつるとはまつろふ事と申してあろが。 鉄砲や智では悪くするばかりぞ。 神先づまつれとくどう気つけてあるのは日本ばかりではないぞ。 此の方の申すこと小さく取りては見当取れんと申してあろがな。 三千世界の事ぞ。 日本ばかりが可愛いのではないぞ、 世界の臣民 皆わが子ぞ。 わけへだてないのざぞ。 この神示よみて聞かしてくれよ。 読めば読むほどあかるくなるぞ。 富士晴れるのざぞ。 神の心晴れるのざぞ。 あらたぬし世ぞ。 十一月二十三日、 一二
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昭和十九年十一月二十五日、 旧十月十日(1944年) 岩戸あけたり日本晴れ、富士ひかるぞ。 この巻 役員読むものぞ。 世の元と申すものは火であるぞ、水であるぞ。 くもでて くにとなったぞ。 出雲(いずも)とはこの地(くに)の事ぞ。 スサナルの神はこの世の大神様ぞ。
アは
クニの神様はスサナルの神様ぞ。 この事はじめに心に入れれば掃除タワイないぞ、 グレンとは上下かへる事と申してあろうがな、 云ふてはならぬ事ぞ。 いはねばならぬ事ぞ。
アメの
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使用された特殊文字 |
昭和十九年十一月二十六日、 旧十月十一日(1944年) 204 一二三四五六七八九十百千卍(ひとふたみよいつむななやここのたりもちよろず)。 今度は千人万人力でないと手柄出来んと申してあろがな。 世界中総掛かりで攻めて来るのざから、 一度はあるにあられん事になるのぞ。 大将ざからとて油断出来ん。 富士の山動く迄にはどんな事も耐(こら)えねばならんぞ。 上辛いぞ。 どんなことあっても死に急ぐでないぞ。 今の大和魂と神の魂と違ふ所あるのざぞ。 その時その所によりて、 どんなにも変化(へんげ)るのが神の魂ぞ。 馬鹿正直ならんと申してあろ。 今日(けう)あれし生命勇む時来たぞ。 十一月二十六日、 一二
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昭和十九年十二月二日、 旧十月十七日(1944年) 217 旧十月八日、 十八日、 五月五日、 三月三日は幾らでもあるぞと申してあろが、 此の日は臣民には恐い日であれど神には結構な日ざぞと申してあろが、 神心になれば神とまつはれば神とあななへば臣民にも結構な日となるのぞ。 其の時は五六七(みろく)の世となるのざぞ。 桜花(さくらばな)一度にどっと開く世となるのざぞ、 神激しく臣民静かな御代となるのざぞ、 日日(ひにち)毎日富士晴れるのざぞ、 臣民の心の富士も晴れ晴れと、 富士は晴れたり日本晴れ、 心晴れたり日本晴れぞ。 十二月二日、 ひつくのかみ。
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昭和十九年十二月二十一日、 旧十一月七日(1944年) 231 富士の御用は奥山に祀り呉れよ、 カイの御用も続け呉れよ、 江戸一の宮作りて呉れよ、 道場も同じぞ、 衰Cの御用とは衰Cの鳴門(ナルト)と衰Cの諏訪と衰Cのマアカタと三所へ祀りて呉れよ。 その前の御用、 言葉で知らした事済みたぞ、 衰Cマアカタとは印幡ぞ。 十柱とは火の神、 木の神、 金の神、 日の出の神、 竜宮の乙姫、 雨の神、 風の神、 地震の神、 荒の神、 岩の神であるぞ。 辛酉の日に祀りて呉れよ。 暫く御神示出ないぞ。 皆の者 早く今迄の神示肚に入れて呉れよ、 神せけるぞ。 神示読めば神示出て来るぞ。 神祀り早く済せて呉れよ。 十二月二十一日朝、 一二のか三。
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昭和十九年十二月二十二日、 旧十一月八日(1944年) 232 海には神の石鎮め祀り呉れよ、 山には神の石立てて樹植えて呉れよ、 石は神の印つけて祀る処に置いてあるぞ、 祀り結構ぞ、 富士奥山には十柱の石あるぞ、 十柱祀りて呉れよ、 祀る処に行けば分る様にしてあるぞ。 十二月二十二日、 ひつ九のか三。
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昭和十九年十二月二十九日、 旧十一月十五日(1944年) 236 此の世の位もいざとなれば宝も富も勲章も役には立たんのざぞ、 此の世去って、 役に立つのは身魂の徳だけぞ、 身についた芸は其の儘役立つぞ。 人に知れぬ様に徳つめと申してあろがな、 神の国に積む徳のみが光るのざぞ、 マアカタの御用結構であったぞ、 富士晴れるぞ、 湖(うみ)晴れるぞ。 此の巻、 日の出の巻として纒めて役員に読ませて一二三として皆に知らせて呉れよ、 神急ぐぞ。 十二月二十九日、 ひつ九のか三。
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昭和二十年一月一日、 旧十一月十八日(1945年) 239 二二は晴れたり、 日本晴れ、 びっくりばこ いよいよとなりたぞ。 春マケ、 夏マケ、 秋マケ、 冬マケてハルマゲドンとなるのざぞ、 早う改心せんとハルマゲドンの大峠こせんことになるぞ。 大峠となりたら どんな臣民もアフンとして もの云へんことになるのざぞ、 なんとした取違ひでありたかと じだんだふんでも、 其の時では間に合はんのざぞ、 十人なみのことしてゐては今度の御用は出来んのざぞ。 逆様にかへると申してあろが、 大洗濯ざぞ、 大掃除ざぞ、 ぐれんざぞ、 二二 に花咲くぞ。 一月一日、
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昭和二十年一月十一日、 旧十一月二十八日(1945年) 245 富士と鳴門の仕組わかりかけたら、 いかな外国人でも改心するぞ、 それ迄に神の国の臣民 改心して居らぬと気の毒出来るぞ。 天狗や狐は誰にでもかかりてモノいふなれど、 神は中々にチョコラサとはかからんぞ、 よき代になりたら神はモノ云はんぞ。 人が神となるのざぞ、 この神は巫女(みこ)や弥宜(ねぎ)にはかからんぞ、 神が誰にでもかかりて、 すぐ何でも出来ると思ふてゐると思ひが違ふから気つけておくぞ。 かみがかりに凝るとロクなことないからホドホドにして呉れよ。 この道は中行く道と申してあろがな。 戦すみたでもなく、 すまぬでもなく、 上げもおろしもならず、 人民の智や学や算盤では、 どうともできんことになるのが目の前に見へてゐるのざから、 早う神の申す通り素直に云ふこときけと申してゐるのざぞ。 長引く程、 国はヂリヂリになくなるぞ。 米あると申して油断するでないぞ、 タマあると申して油断するでないぞ。 命(いのち)あると申して油断するでないぞ。 この神示よく読めば楽になって人々から光り出るざぞ、 辰の年はよき年となりてゐるのざぞ、 早う洗濯してくれよ。 一月十一日、
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昭和二十年一月十四日、 旧十二月一日(1945年) 254 今度の御用は世におちて苦労に苦労した臣民でないと中々につとまらんぞ、 神も長らく世におちて苦労に苦労かさねてゐたのざが、 時節到来して、 天晴(あっぱれ)世に出て来たのざぞ、 因縁のミタマ世におちてゐるぞと申してあろがな、 外国好きの臣民、 今に大き息も出来んことになるのざぞ、 覚悟はよいか、 改心次第で其の時からよき方に廻してやるぞ。 改心と申して、 人間の前で懺悔するのは神国のやり方ではないぞ、 人の前で懺悔するのは神きづつけることになると心得よ、 神の御前にこそ懺悔せよ、 懺悔の悪きコトに倍した、 よきコトタマのれよ、 コト高くあげよ、 富士晴れる迄コト高くあげてくれよ、 そのコトに神うつりて、 何んな手柄でも立てさせて、 万劫末代名の残る様にしてやるぞ。 この仕組判りたら上の臣民、 逆立ちしておわびに来るなれど、 其の時ではもう間に合はんから くどう気付けてゐるのざぞ。 臣民、 かわいから嫌がられても、 此の方申すのざ。 悪と思ふことに善あり、 善と思ふ事も悪多いと知らしてあろがな、 このことよく心得ておけよ、 悪の世になってゐるのざから、 マコトの神さへ悪に巻込まれて御座る程、 知らず知らずに悪になりてゐるのざから、 今度の世の乱れと申すものは、 五度の岩戸しめざから見当とれん、 臣民に判らんのは無理ないなれど、 それ判りて貰はんと結構な御用つとまらんのざぞ、 時が来たら、 われがわれの口でわれが白状する様になりて来るぞ、 神の臣民はづかしない様にして呉れよ、 臣民はづかしことは、 神はづかしのざぞ。 愈々善と悪のかわりめであるから、 悪神暴れるから巻込まれぬ様に褌しめて、 この神示よんで、 神の心くみとって御用大切になされよ。 一月十四日、
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昭和二十年三月十七日、 旧二月四日(1945年) 271 三月三日から更に厳しくなるから用意しておけよ、 五月五日から更に更に厳しくなるから更に用意して何んな事起ってもビクともせん様に心しておいてくれよ、 心違ふてゐるから臣民の思ふことの逆さ許りが出てくるのざぞ、 九月八日の仕組 近ふなったぞ、 この道はむすび、 ひふみとひらき、 みなむすび、 神々地に成り悉く弥栄へ 戦争(いくさ)つきはつ大道ぞ。 一時はこの中も火の消えた様に淋しくなってくるぞ、 その時になっておかげ落さん様にして呉れよ、 神の仕組 愈々世に出るぞ、 三千年の仕組晴れ晴れと、 富士は晴れたり日本晴れ、 桜花一二三(ひふみ)と咲くぞ。 三月十七日、 ひつぐの神。
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昭和二十年三月二十日、 旧二月七日(1945年) 273 元津神代の道は満つ、 一時は闇の道、 ひらき極み、 富士の代々、 鳴り成るには弥栄に変わり和すの道、 道は弥栄。 ひふみ道出で睦び、 月の神 足り足りて成り、 新しき大道みつ。 神々みち、 ゑらぎ百千万のよきこと極む。 いよいよとなり、 何も彼も百千とひらき、 道栄え道極み進み、 道極み真理の真理極む。 元の光の神々ゑらぎ、 更に進む世、 和合まずなりて百(もも)の世極みなる。 世に光る神々の大道、 神々ことごとにゑらぎて大道いよいよ展き進みて、 大真理世界の三つは一と和し、 鳴り成りて始めて、 まことの愛の代 極み来る、 弥栄の代の神、 人、 神人わけへだてなく光り輝き、 道は更に極みの極みに進み動き、 ありとあることごとくの成り結び、 更に新しく更に極むるの大道、 神代歓喜の代々。 三月二十日、 ひつ九の神。
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すり鉢に入れてコネ廻してゐるのざから一人逃れ様とてのがれる事出来んのざぞ、 逃れようとするのは我れよしざぞ、 今の仕事 五人分も十人分も精出せと申してあろがな、 急ぐでないぞ、 其の御用すみたら次の御用にかからすのざから、 この世の悪も善も皆御用と申してあろが。 身魂相当の御用致してゐるのざぞ、 仕事し乍ら神示肚に入れて行けば仕事段々変るのざぞ、 神示声立てて読むのざと、申してあること忘れるなよ、 その上で人に此の道伝へてやれよ、 無理するでないぞ。 我捨てて大き息吹きにとけるのざぞ、 神の息吹きにとけ入るのざぞ、 「御みいづ」にとけ入るのざぞ、 愈々神示一二三(ひふみ)となるぞ、 一二三とは息吹ぞ、 みみに知らすぞ、 云はねばならぬから一二三として、 息吹きとして知らすぞ。 神示よく読めば分ることぞ、 神示読めよ、 よむと神示出るぞ、 此の巻は「キの巻」と申せよ。
富士は晴れたり
岩戸あけたり 三月二十日、 ひつ九の神。
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昭和二十年四月二十一日、 旧三月十日(1945年) 275
三 見渡す限り雲もなく富士は晴れたり、 日本晴れ、 海は晴れたり、 日本晴れ、 港々に日の丸の旗 翻(ひるがえ)る神の国。 それ迄に云ふに云はれんことあるなれど、 頑張りて下されよ。 道も無くなるぞ。 てん詞様おろがみてくれよ。 てん詞様は神と申して知らしてあろがな、 まだ分らんか、 地(くに)の神 大切せよと聞かしてあろが、 神様にお燈明(あかし)ばかり備へてはまだ足らぬのぞ。 お燈明と共に水捧げなならんのざぞ。 火と水ぞと申してあろ、 神示よく裏の裏まで読みて下されよ、 守護神殿 祭りて呉れよ。 まつはらねば力現はれぬぞ、 守護神殿は拍手四つ打ちておろがめよ、 元の生神様には水がどうしてもいるのざぞ、 火ばかりでは力出ぬのざぞ、 わかりたか、 曇りなく空は晴れたり。 旧三月十日、 三のひつ九
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昭和二十年五月四日、 旧三月二十三日(1945年) 281 皆病気になりてゐること分らぬか。 一二三のりとで直してやれよ。 神示読みて直してやれよ。 自分でも分らぬ病になってゐるぞ、 早ふ直さぬとどうにもならんことになって来るぞ。 この宮、 仮であるぞ。 真中に富士の山つくり、 そのまわりに七つの山つくりて呉れよ。 拝殿つくり呉れよ。 神示書かす所作りてくれよ。 天明弥澄む所作りて呉れよ。 いづれも仮でよいぞ。 早ようなされよ。 松の心にさへなりておれば、 何事もすくすく行くぞ。 五月四日、 みづのひつ九のか三。
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昭和二十年六月二日、 旧四月二十二日(1945年) 283 富士は晴れたり日本晴れ、 いよいよ岩戸開けるぞ。 お山開きまこと結構。 松の国 松の御代となるぞ。 旧九月八日から大祓ひのりとに天津祝詞の太のりと「一二三(ひふみ)のりとコト」入れてのれよ。 忘れずにのれよ。 その日からいよいよ神は神、 けものはけものとなるぞ。 江戸道場やめるでないぞ、 お山へ移してよいぞ、 役員一度やめてよいぞ。 またつとめてよいぞ。 めぐりあるから心配あるのぞ。 めぐり無くなれば心配なくなるぞ。 心配ないのが富士は晴れたりぞ、 富士晴れ結構ぞ。 日津久の御民 何時も富士晴れ心でおりて下されよ。 肉体ちっとの間であるが、 魂は限りなく栄へるのざぞ。 金に難渋して負けぬ様にして下されよ。 金 馬鹿にしてはならんぞ。 あせるでないぞ。 あせると心配事出来るぞ。 神が仕組みてあること、 臣民がしようとて出来はせんぞ。 細工はりうりう滅多に間違ひないのざぞ。 見物して御座れ、 見事して見せるぞ。 不和の家、 不調和(ふわ)の国のささげもの神は要らんぞ。 喜びの捧げもの米一粒でもよいぞ。 神はうれしいぞ。 旧九月八日とどめぞ。 六月二日、 みづのひつ九のか三。
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昭和二十年六月十一日、 旧五月二日(1945年) 285 神第一とすれば神となり、 悪魔第一とすれば悪魔となるぞ。 何事も神第一結構。 カイの言霊(かへし)キざぞ。 キが元ぞと知らしてあろが、 カイの御用にかかりてくれよ。 何と云ふ結構なことであったかと、 始めは苦しいなれど、 皆が喜ぶ様になって来るのざぞ。 先楽しみに苦しめよ。 ぎゅうぎゅうと、 しめつけて目の玉がとび出る事あるのざぞ、 そこまでに曇りて居るのざぞ、 はげしく洗濯するぞ。 可愛い子、 谷底に突き落さなならんかも知れんぞ、 いよいよ神が表に現はれて神の国に手柄立てさすぞ、 神国光り輝くぞ。 日本にはまだまだ何事あるか判らんぞ。 早く一人でも多く知らしてやれよ。 タマ磨けば磨いただけ先が見えすくぞ。 先見える神徳与へるぞ。 いくらえらい役人頑張りても今迄の事は何も役に立たんぞ。 新しき光の世となるのぞ。 古きもの脱ぎすてよ、 と申してあろがな。 まこと心になりたならば自分でも判らん程の結構出て来るぞ。 手柄立てさすぞ。 いくら我張りても我では通らんぞ。 我折りて素直になりて下されよ、 これでよいと云ふことないぞ。 いくらつとめても、 これでよいと云ふことはないのざぞ。 神の一厘のしぐみわかりたら世界一列一平になるぞ。 ますかけひいて、 世界の臣民、 人民 勇みに勇むぞ。 勇む事 此の方 嬉しきぞ。 富士は何時爆発するのざ、 何処へ逃げたら助かるのぞと云ふ心 我れよしぞ。 何処に居ても救ふ者は救ふと申してあろが。 悪き待つキは悪魔のキざぞ。 結構が結構生むのざぞ。 六月十一日、 みづのひつ 九か三。
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昭和二十年六月十三日、 旧五月四日(1945年) 287 火と水と申してあろがな。 火つづくぞ。 雨つづくぞ。 火の災(わざわい)あるぞ。 水の災あるぞ。 火のおかげあるぞ、 水の災 気つけよ。 火と水 入り乱れての災あるぞ、 近ふなりたぞ。 火と水の御恵みあるぞ。 一度は神の事も大き声して云へん事あるぞ、 それでも心配するでないぞ。 富士晴れるぞ。 家族幾人居ても金いらぬであろが。 主人(あるぢ)どっしりと座りておれば治まっておろが。 神国の型 残してあるのざぞ。 国治めるに政治はいらぬぞ、 経済いらぬぞ。 神おろがめよ、 神祭れよ、 てんし様おろがめよ。 何もかも皆神に捧げよ、 神からいただけよ。 神国治まるぞ。 戦もおさまるぞ。 今の臣民 口先ばかりでまこと申してゐるが、 口ばかりでは、 なほ悪いぞ。 言やめて仕へまつれ。 でんぐり返るぞ。 六月十三日、 みづのひつくのかみ。
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昭和二十年六月十七日、 旧五月八日(1945年) 289 富士、 火吐かぬ様おろがみて呉れよ、 大難小難にまつりかへる様おろがみて呉れよ。 食物(たべもの)頂く時はよくよく噛めと申してあろが、 上の歯は火ざぞ、 下の歯は水ざぞ。 火と水と合すのざぞ。 かむろぎ かむろみぞ。 噛むと力生れるぞ。 血となるぞ、 肉となるぞ。 六月十七日、 ひつ九のかみ。
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昭和二十年六月十七日、 旧五月八日(1945年) 292 富士は晴れたり世界晴れ。 三千世界一度に晴れるのざぞ。 世の元の一粒種の世となったぞ。 松の御代となったぞ。 世界ぢうに揺すりて眼覚ますぞ。 三千年の昔に返すぞ。 煎り豆 花咲くぞ。 上下ひっくり返るぞ。 水も洩らさん仕組ぞ。 六月十七日、 あめのひつ九のか三。
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昭和二十年六月二十二日、 旧五月十三日(1945年) 297 今の世に出てゐる守護神、 悪神を天の神と思ってゐるから なかなか改心むつかしいぞ。 今迄の心すくりとすてて生れ赤子となりて下されと申してあろが。 早よ改心せねば間に合はん、 残念が出来るぞ。 この神示わからんうちから、 わかりておらんと、 分りてから、 分りたのでは、 人並ざぞ。 地の規則 天の規則となる事もあるのざぞよ。 六月二十二日、 アメのひつ九のかみふで。
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昭和二十年六月二十九日、 旧五月二十日(1945年) 305 裏切る者 沢山出てくるぞ、 富士と鳴門の仕組、 諏訪(スワ)マアカタの仕組。 ハルナ、 カイの御用なされよ。 悪の総大将よ、 早よ改心なされ、 悪の神々よ、 早よ改心結構であるぞ。 いくら焦りてあがいても神国の仕組は判りはせんぞ。 悪とは申せ大将になる身魂、 改心すれば、 今度は何時迄も結構になるのぞ。 日本の臣民人民 皆思ひ違ふと、 くどう知らしてあろが。 まだ我捨てぬが、 水でも掃除するぞ。 六月二十九日、 あめのひつぐのかみ神示。
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昭和二十年七月二日、 旧五月二十三日(1945年) 308 釈迦祀れ。 キリスト祀れ。 マホメット祀れ。 カイの奥山は五千の山に祀り呉れよ。 七月の十と二日に天晴れ祀りて呉れよ。 愈々富士晴れるぞ。 今の人民よいと思ってゐる事、 間違ひだらけざぞ。 此処までよくも曇りなされたな。 二の山 三の山 四の山に祀り呉れよ。 まだまだ祀る神様あるぞ。 七月二日、 あめのひつぐのかみ。
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昭和二十年七月十日、 旧六月二日(1945年) 315 早く早くと申せども、 立体の真道に入るは、 小我(われ)死なねば、 大我(われ)もなき道ぞ、 元栄えひらき鳴る神、 元にひらき成る神、 元津神日の神、 極みきわまりて足り いよいよ月の神はらみ交わりさかゆ、 成りむつび、 神々極まるところ、 ひふみ、 よろづ、 ち、 ももと、 ひらく、 歓喜の大道、 神々更に動きひらき栄ゆ。 元津神のナルトの秘密、 永遠に進み、 いき、 ひらき極む。 元津大神かくりみ、 次になる神かくりみのナルトぞ、 富士栄え、 火の運動き、 うづまき鳴り、 極みに極みて、 地また大地動き、 うづまくぞ、 真理なりて極まり、 鏡の如くなり、 極まりて、 動きひらき、 極まりて大道、 遂に成るぞ。 七月十日、 あめのひつくのかみ。
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昭和二十年七月十四日、 旧六月六日(1945年) 318 天も地も一つにまぜし大嵐、 攻め来る敵は駿河灘(するがなだ)、 富士を境に真二つ。 先づ切り取りて残るもの、 七つに裂かん仕組なり。 されど日本は神の国。 最後の仕組神力に、 寄せ来る敵は魂まで、 一人残らずのうにする。 夜明けの御用つとめかし。 晴れたる富士のすがすがし。 七月十四日、 あめのひつくのかみ。
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昭和二十年七月十九日、 旧六月十一日(1945年) 320 豊受の大神様お山の富士に祀り、 箸供へてお下げした箸、 皆に分けやれよ。 饌(け)に難儀せん様 守り下さるぞ。 仕組 少し早よなったから、 かねてみしてあった事 八月八日から始め呉れよ。 火(ひ)と水(み)に気付けよ。 おろがめよ。 キの御用大切ぞ。 ケの御用大切ぞ。 クの御用大切ぞ。 神は気引いた上にも気引くから、 とことんためすから、 そのつもりで、 お蔭落さん様にせよ。 二十五柱 役員ぞ。 慢心すればかへ身魂使ふぞ。 この巻 松の巻。 七月十九日、 あめのひつぐのかみ。
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昭和二十年八月五日、 旧六月二十八日(1945年) 329 天詞様まつれと申してあろが。 天津日嗣皇尊大神様(あまつひつぎすめらみことおほかみさま)とまつり奉れ。 奥山には御社(みやしろ)造りて、 いつき奉(まつ)れ。 皆のうちにも祀れ。 天津日嗣皇尊 弥栄ましませ、 弥栄ましませとおろがめよ。 おろがみ奉れ、 天照皇大神様、 天照大神様、 月の大神様、 すさなるの大神様、 大国主の大神様もあつくまつりたたえよ。 奥山の前の富士に産土の大神様 祀れよ、 宮いるぞ。 清めて祭れよ、 タマの宮はその前横に移せよ。 奥の富士に国常立大神、 豊雲野大神 祀る日 近うなりたぞ。 宮の扉あけておけよ。 臣民の住居(すまい)も同様ぞ。 大難小難にまつりかへて下されとお願ひするのざぞ。 取違ひ、 お詫び申せよ、 楽にしてやるぞ。 天の異変 気付けよ。 八月の五日、 アメのひつ九の神。
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昭和二十年十二月七日、 旧十一月三日(1945年) 345 日の出の神様お出ましぞ、 日の出はイであるぞ、 イの出であるぞ、 キの出であるぞ、 判りたか。 めんめめんめに心改めよと申してあろがな、 人民と云ふ者は人に云はれては腹の立つ事あるものぢゃ、 腹立つと邪気起るから めんめめんめに改めよと、 くどう申すのぢゃぞ、 智や学ではどうにもならんと云ふ事よく判りておりながら、 未だ智や学でやる積り、 神の国の事する積りでゐるのか。 判らんと申して余りでないか、 何事も判った臣民 口に出さずに肚に鎮めておけよ、 言ふてよい時は肚の中から人民びっくりする声で申すのざ、 神が申さすから心配ないぞ、 それまでは気(ケ)も出すなよ。 二十二日の夜に実地が見せてあろうがな、 一所だけ清いけがれん所残しておかな足場なく、 こうなってはならんぞ、 カタ出さねばならんぞ、 神国、 神の子は元の神の生神が守ってゐるから、 愈々となりたら一寸の火水で うでくり返してやる仕組ざぞ、 末代の止(とど)めの建替であるから、 よう腰抜かさん様 見て御座れ、 長くかかりては一もとらず二もとらさず、 国は潰れ、 道は滅びてしもうから早う早うと気もない時から気つけてゐるのぢゃが、 神の申すこと聞く臣民人民まだまだぞ。 此の道 難しい 道でないから その儘に説いて聞かしてやれよ、 難し説くと判らん様になるのぞ。 平とう説いてやれよ、 難しいのは理屈入るのざぞ、 難しい事も臣民にはあるなれど 理屈となるなよ、 理屈悪ざぞ。 霊術も言霊(ことだま)もよいなれど程々に、 三分位でよいぞ、 中行かな行かれんのざぞ、 銭儲けて口さへすごして行けばよい様に今の臣民まだ思ってゐるが、 それは四つ足の四つの悪の守護である位 判りておろがな。 悪とは他を退ける事であるぞ、 まつりまつりとくどう申してあること未だ判らんのか、 今 外国よいと申してゐる臣民は外国へ行っても嫌はれるぞ、 外国にも住むところ無くなるぞ、 外国も日本もないのざぞ、 外国とは我よしの国の事ぞ、 神国は大丈夫ざが、 外国や日本の国 大丈夫とは申されんぞ、 と事分けて申してあろがな、 日月の集団作り、 境界作ってもならんが
馬鹿正直ならんと申してあること忘れたのか、 集団のつくり方知らしてあろが、 盲(めくら)には困る困る。 人の苦労あてにして我が進んで苦労せん様な人民では神の気感(きかん)に適はんから、 今度は苦労のかたまりの花咲くのざ、 苦の花咲くのざぞ、 二二に 九(コ)の花咲耶姫の神 祀りて呉れと申してあろがな、 永遠にしぼまん誠の花咲く世来たぞ。 十二月七日、ひつくのか三。
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用意なされよ。 いよいよざぞ、
愈々九 神のみこと知らすぞ。 知らすぞ、 眼覚めたら起き上がるのざぞ。 起きたらその日の命頂いたのざぞ。 感謝せよ、 大親に感謝、 親に感謝せよ、 感謝すればその日の仕事与へられるぞ。 仕事とは嘉事(よこと)であるぞ、 持ち切れぬ程の仕事与へられるぞ。 仕事は命ざぞ。 仕事喜んで仕へ奉れ。 我出すと曇り出るぞ。 曇ると仕事わからなくなるぞ。 腹へったらおせよ。 二分は大親に臣民腹八分でよいぞ。 人民食べるだけは与へてあるぞ。 貪(むさぶ)るから足らなくなるのざぞ。 減らんのに食べるでないぞ。 食(おせ)よ。 おせよ。 一日一度からやり直せよ。 ほんのしばらくでよいぞ。 神の道 無理ないと申してあろが。 水流れる様に楽し楽しで暮せるのざぞ、 どんな時どんな所でも楽に暮せるのざぞ。 穴埋めるでないぞ、 穴要るのざぞ。 苦しいという声 此の方嫌ひざ。 苦と楽 共にみてよ、 苦の動くのが楽ざぞ。 生れ赤児みよ。 子見よ、神は親であるから人民守ってゐるのざぞ。 大きなれば旅にも出すぞ、 旅の苦 楽しめよ、 楽しいものざぞ。 眠くなったら眠れよ、 それが神の道ぞ。 神のこときく道ざぞ。 無理することは曲ることざぞ。 無理と申して我儘無理ではないぞ、 逆行くこと無理と申すのざ。 無理することは曲ることざ、 曲っては神のミコト聞こへんぞ。 素直になれ。 火降るぞ。 相手七と出たら三と受けよ、 四と出たら六とつぐなへよ、 九と出たら一とうけよ、 二と出たら八と足して、 それぞれに十となる様に和せよ。 まつりの一つの道ざぞ。
今は
タマなくなってゐると申してあろがな、 タマの中に仮の奥山移せよ、 急がいでもよいぞ、 臣民の肉体 神の宮となる時ざぞ、 当分 宮なくてもよいぞ。 やがては二二(ふじ)に九(コ)の花咲くのざぞ、 見事二二(ふじ)に九(こ)の火(ほ)が鎮まって、 世界治めるのざぞ、 それまでは仮でよいぞ、 臣民の肉体に一時は静まって、 此の世の仕事仕組みて、 天地でんぐり返して光の世といたすのぢゃ。 花咲く御代近づいたぞ。 用意なされよ、 用意の時しばし与えるから、 神の申すうち用意しておかんと、 とんでもないことになるのざぞ。
役員それぞれのまとひつくれよ、 何れも長(おさ)になる身魂でないか。 我軽しめる事は神軽くすることざ、 わかりたか。 おのもおのも頭領であるぞ、 釈迦ざぞ。 キリストざぞ。 その上に神ますのざぞ、 その上 神又ひとたばにするのざぞ、
その上に又
その上にも 上も下も限りないのざぞ。 奥山 何処に変っても宜いぞ、 当分 肉体へおさまるから何処へ行ってもこの方の国ぞ、 肉体ぞ、 心配せずに、グングンとやれよ、 動くところ、神力 加はるのざぞ、 人民のまどひは神無きまどひぞ、 神無きまどひつくるでないぞ、 神上に真中(まなか)に集まれよ。 騒動待つ心 悪と申してあること忘れるなよ、 神の申した事ちっとも間違ひないこと、 少しは判りたであろがな。 同じ名の神 二柱あるのざぞ、 善と悪ざぞ、この見分けなかなかざぞ、 神示よめば見分けられるように、 よく細かに解(と)いてあるのざぞ、 善と悪と間違ひしてゐると、 くどう気付けてあろがな、 岩戸開く一つの鍵ざぞ、 名同じでも裏表ざぞ、 裏表と思ふなよ、 頭と尻 違ふのざぞ。 千引(ちびき)の岩戸開けるぞ。 十二月二十五日、 ひつぐのかミ。
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昭和二十一年二月十六日、 旧一月十五日(1946年) 367 三千年の昔に返すと申してあらうがな。 よい御用いたす身霊(みたま)ほど苦労さしてあるのぢゃ。 他から見ては、 わからんなれど、 苦労に苦労さして、 生き変り、 死に変り、 鍛へに鍛へてあるのぢゃぞ。 肉体の苦労も霊の苦労も、 どちらの苦労にも、 まけん人民臣民でないと、 眼先のことで、 グレングレンと引繰りかへりて、 あわてふためく様なことでは、 どんな事あっても、 びくともせん、 ミタマでないと、 御用六ヶ敷いぞ。 こんどの苦の花は真理(ふじ)に咲くのみざぞ。 不二に九(こ)の花咲くや媛(ひめ)まつれと申してあるが、 九(こ)の花、 おのもおのもの心の富士にも咲くのざぞ。 九(こ)の花咲けば、 此の世に出来んことないぞ。 まことの この先もう建替出来んギリギリの今度の大建替ぢゃ。 愈々の建替ざから、 もとの神代よりも、 も一つキの光輝く世とするのぢゃから、 中々に大層ざぞ。 人民 苦しからうが、 先楽しみに御用見事つとめ上げて下されよ。 二つづつある神様を一つにするのであるから、 嘘偽(うそいつわり)ちっともならんのぢゃ。 少しでも嘘偽あったら、 曇りあったら、 神の国に住めんことになるのざぞ。 途中から出来た道では今度と云ふ今度は間に合はんのざぞ。 根本からの道でないと、 今度は根本からの建直しで末代続くのぢゃから間に合はん道理わかるであらうがな。 われの国同士の戦 始まるのぢゃ。 この戦、 神は眼あけて見ておれんなれど、 これも道筋ぢゃから、 人民にも見て居られんのぢゃが、 友喰ひと申して知らしてあらうが。 この方等が天地自由にするのぢゃ。 元のキの道にして、 あたらしき、 キの光の道つくるのぢゃ。 あらたぬし、 世にするのぢゃと申してあること愈々ざ、 人民、 臣民 勇んでやりて下され。 神々様 守護神どの、 勇め勇め。 二月十六日、 ひつ九
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元は十と四十七と四十八とあはせて百と五ぞ、 九十五柱ざぞ。 旧一月十五日、 かのととり、 一(ひ)つ九のか三。
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向ふの云ふこと、まともに聞いてゐたら、 尻の毛まで抜かれてしまふのが、 神にはよく判りて気つけてゐたのに、 今の有様その通りでないか。 まだまだ抜かれるものあるぞ。 のばせばのばせば、 人民まだまだ苦しいことになるぞ。 延ばさねば助かる人民ないし、 少しは神の心も察して下されよ、 云ふ事きいて素直にいたされよ、 神たのむぞ。 愈々時節来たのであるから、 何と申しても時節にはかなわんから、 神示通りになって来るから、 心さっぱり洗ひ晴らしてしまふて、 持ち物さっぱり洗ひかへしてしまふて、 神のみことに生きて呉れよ、 みことになるぞ、 タマぞ、 ミコト結構ぞ。
一八五二六八八二三三一二三 卍千百三七六五卍十 十十八七六五曰一二三五六 八二三二一二三 六五八八 八八 十十二一三八七七八九二六
三二八五 一二 ひつ九のか三 わからん裡にわかりてくれよ。 旧一月十五日、 ひつ九のかミ。
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昭和二十一年一月十九日、 旧十二月十七日(1946年) 377 #富士(普字)に花咲く時ざぞ(フジにハナサくトキざぞ)。
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昭和二十一年一月十九日、 旧十二月十七日(1946年) 377 # 面白に秘解く成答(オモシロにヒトくナルト)、
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昭和二十一年一月十九日、 旧十二月十七日(1946年) 377 #普字鳴戸(成答)の経綸動ぞ(フジナルトのシグミイゴクぞ)。
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昭和二十一年一月十九日、 旧十二月十七日(1946年) 377 #普字軸の理ぞ(フジジクのリぞ)。
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昭和二十一年一月十九日、 旧十二月十七日(1946年) 377 #普字軸の世(フジジクのヨ)。
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昭和二十一年一月十九日、 旧十二月十七日(1946年) 377 #理実りの常盤の普字の実り良くも(ミチミノりのトキワのフジのミノりヨくも)、
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昭和二十一年一月十九日、 旧十二月十七日(1946年) 377 # 弥栄鳴戸(成答)は(ヤサカナルトは)、
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昭和二十一年一月十九日、 旧十二月十七日(1946年) 377 # 普字の山(不二の大空間)(フジのヤマ)
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昭和二十一年一月十九日、 旧十二月十七日(1946年) 377 #鳴戸(成答)理開きに開き(ナルトミチヒラきにヒラき)、
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昭和二十一年一月十九日、 旧十二月十七日(1946年) 377 #艮めに普字の神産み給いき(トドめにフジのカミウみタマいき)、
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昭和二十一年一月十九日、 旧十二月十七日(1946年) 377 #普字数叉名立の神現れ(フジスサナルのカミアれ)
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昭和二十一年一月十九日、 旧十二月十七日(1946年) 377 #普字に印しあり(フジにシルしあり)。
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昭和二十一年一月十九日、 旧十二月十七日(1946年) 377 #理(真理)の普字(ミチのフジ)、
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昭和二十一年一月十九日、 旧十二月十七日(1946年) 377 # 普字に花咲く御代(フジにハナサくミヨ)
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昭和二十一年一月十九日、 旧十二月十七日(1946年) 377 #普字は晴れたり(フジはハれたり)
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昭和二十一年十一月十六日、 旧十月二十三日(1946年) 432 ニニギの命(みこと)お出ましぞ、 ニニギとは 二二(ふじ)のキの御役であるぞ。 神がかりて世界中のこと何でも判る様に思ふてゐると、 とんでもないことになるぞ、 このままにしてほっておくと戦済んだでもなく、 とどめもさせん、 世界中の大難となるから早う改心結構ぞ。 悪の上の守護神、 中の守護神、 下の守護神の改心出来ん者はいくら可愛い子ぢゃとて、 ようしゃは出来んぞ、 愈々天の大神様の御命令通りに神々様 総掛かりぞ。 十一月十六日、 ひつ九の神。
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昭和二十一年十二月十四日、 旧十一月二十一日(1946年) 455 十二の流れ、 六の流れとなり、 三つの流れとなり、 二となり一と成り鳴りて、 一つになり、 一つの王で治めるのぢゃぞ、 弥栄の仕組、 普字と成答の仕組、 いよいよとなったぞ。 あな嬉し、 あなすがすがし普字は晴れたり日本晴れ。 此の巻 ん 後の世の宝と栄へるぞ。 十二月十四日、 一二
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昭和二十二年一月六日、 旧十二月十五日(1947年) 459 建直しの道つづき、 結び、 展く、 日月出で、 よろづのもの、 一二三(ひふみ)とみち、 つづき鳴り成り、 ひらく大道、 真理の出でそむ中心に、 マコト動きて、 元津神 栄ゆ、 元津神は真理、 真愛、 大歓喜の大道ぞ、 うづぞ、 神々のうづぞ、 ナルトぞ、 人のよろこびぞ、 代々の大道ぞ、 真理、 真愛、 大歓喜は、 中心にひかり、 ひらき極まる道ぞ、 展き極まる世ぞ、 鳴り極み、 ひらき、 うごく大道、 うごき、 和し、 なり、 大歓喜、 足りに足り足る世、 生れ出づる世、 うごき更にひらき、 次々に栄え極みて、 新しきはたらきの湧く次の大御代の六合つづく道、 つづき睦びて、 富士晴れ極み、 鳴門は殊にひかり出でて、 大道は日神の中心にかへり、 亦出でて、 ひらき、 大道いよいよ満つ、 焼く神々、 早くせよ。 一月六日、 一二
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昭和二十二年四月五日、 旧三月十四日(1947年) 469 御光(みひかり)の輝く御代となりにけり、 嬉し嬉しの言答(一八十)明けたり。 あなさやけ、 三千年の夜は明けて、 人、 神、 となる秋(とき)は来にけり。 日月(一二)大神、 キリスト大神、 シャカ大神、 マホメット大神、 黒住大神、 天理大神、 金光大神、 大本大神、 老子大神、 孔子大神、 総て十柱の大神は、 光の大神として斎き祀り結構致しくれよ、 二二晴れるぞ、 一八十開けるぞ。 御神名書かすぞ、 ひかり教会のりとは、 ひかりの大神、 弥栄ましませ弥栄ましませ、 ひかりの大神守り給へ、 幸へ給へと、 申せよ。 弥栄弥栄(やさかいやさか)。 四月五日、 ひつくのかみ。
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昭和二十二年八月三日、 旧六月十七日(1947年) 479 よき神にはよき御用、 悪き神には悪き御用、 自分で自分がつとめあげるのぢゃ、 人になんと云はれても腹の立つ様では御用六ヶ敷いぞ、 腹立つのは慢心ぢゃと申してあろがな。 仕組途中でグレンと変り、 カラリと変る仕組してあるのぢゃ、 其処に一厘の仕組、 火水の仕組、 富士と鳴門の仕組、 結構々々大切致してあるのぢゃ。 仕組変り変りて人民には判らんなり、 よき世と致すのぢゃ、 いくら智あっても人間心では出来ん仕組ぞ、 智捨てて神にすがりて来ねば分らん仕組ぢゃ、 と云ふて人間世界は人間の智いるのぢゃ、 智でない智を神が与へるぞ、 神人共にと申してあろがな、 つとめ上げたら他にない結構な御用。 八月三日、 ひつ九
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昭和二十二年八月三日、 旧六月十七日(1947年) 480 世界一目に見へるとは世界一度に見へる心に鏡磨いて掃除せよと云ふ事ぢゃ、 掃除結構ぞ。 善と悪と取違ひ申してあらうがな、 悪も善もないと申してあらうがな、 和すが善ざぞ、 乱すが悪ざぞ、 働くには乱すこともあるぞ、 働かねば育てては行けんなり、 気ゆるんだらすぐ後戻りとなるぞ、 坂に車のたとへぞと申してあろがな、 苦しむ時は苦しめよ、 苦の花咲くぞ。 世は七度の大変り、 変る代かけて変らぬは、 誠一つの九(こ)の花ぞ、 九(こ)の花咲くは二三(ふみ)の山、 二二(ふじ)は神山神住む所、 やがて世界の真中ぞ。 八月三日、 ひつ九の
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昭和二十四年十一月二十七日、 旧十月八日(1949年) 540 二二の盗み合ひ、 世の乱れ。 心して怪しと思ふことは、 たとへ神の言葉と申しても一応は考へよ。 神の言葉でも裏表の見境なく唯に信じてはならん。 サニワせよ。 薬、 毒となることあると申してあらうが。 馬鹿正直、 まことの道 見失ふことあると申してあらうが。 道は易し、 楽し。 楽しないのは道ではないぞ、 奉仕ではないぞ。 世界に呼びかける前に日本に呼びかけよ。 目醒まさねばならんのぢゃ。 それが順序と申すもの。 神示で知らしてあらうが。 ここは種つくるところ、 種は人民でつくれんぞ。 神の申すやう、 神の息 戴いて下されよ。 天の道、 地の道、 天地の道あるぞ。 人の道あるぞ。 何も彼も道あるぞ。 道に外れたもの外道ぢゃぞ。 前は一筋ぞ。 二筋ぞ。 三筋ぞ。 曲ってゐるぞ。 真直ぐであるぞ。 心得なされ。 節分から 讃えまつれ。 三年の大ぐれ。 かのととり。 一二十 |
昭和二十四年十一月二十七日、 旧十月八日(1949年) 554 野見よ。 森見よと申してあらう。 水の流れにも宗教あるぞ。 これを人民勝手に宗教に一度下げるから、 神冒すことになるのざ。 引下げねば判らんし、 心で悟れよ。 覚(サ)めの生活 弥栄えるぞ。 天国の礎、 出足の地場は(二二)からぢゃ。 二二(フジ)の道は秘文(ヒフミ)の道ぢゃ。 和ぢゃ。 かのととり。 一二十 |
昭和二十五年一月三日、 旧十一月十五日(1950年) 587 真理を知って、 よくならなかったら、 よく省みよ。 よくなるのがマコトであるぞ。 悪くなったら心せねばならん。 善人が苦しむことあるぞ。 よく考へて見い。 長い目で見てよくしようとするのが神の心ぞ。 目の前のおかげでなく、 永遠の立場から、 よくなるおかげがマコトのおかげ。 神徳は重いから腰ふらつかんやうにして下されよ。 その代り貫きて下されたら、 永遠(トワ)にしぼまん九の花となるぞ。 二二(フジ)に、 九(ク)の花どっと咲くぞ。 拍手は清めであるが、 神様との約束固めでもあるぞ。 約束たがへるでないぞ。 (一月三日)一二十 |
昭和二十五年一月三日、 旧十一月十五日(1950年) 588 不二の仕組とは動かん真理、 神の理(ミチ)に入り、 理(ミチ)をふんで居れば、 やり方一つで何でもよく、 嬉し嬉しとなるぞ。 世の元から出来てゐるミタマの建直しであるから、 一人の改心でも中々であると申してゐるのに、 ぐづぐづしてゐると間に合はん。 気の毒出来るぞ。 めぐりと申すのは自分のしたことが自分にめぐって来ることであるぞ。 めぐりは自分でつくるのであるぞ。 他を恨んではならん。 美の門から神を知るのが、 誰にでも判る一番の道であるぞ。 芸術から神の道に入るのは誰にでも出来る。 この道理判るであらうが。 審判の廷(サバキのニワ)に出たならば、 世界は一人の王となるぞ。 御出まし近うなったぞ。 自分よくして呉れと申してゐるが、 それは神を小使に思うてゐるからぞ。 大きくなれよ。 (一月三日)一二十 |
昭和二十五年一月三日、 旧十一月十五日(1950年) 604 そなたが神つかめば、 神はそなたを抱くぞ。 神に抱かれたそなたは、 平面から立体のそなたになるぞ。 そなたが有限から無限になるぞ。 神人となるのぢゃ。 永遠の自分になるのであるぞ。 他のために行ぜよ。 神は無理申さん。 始めは子の為でもよい。 親の為でもよい。 自分以外の者の為に、 先ず行ぜよ。 奉仕せよ。 嬉し嬉しの光さしそめるぞ。 はじめの世界ひらけるぞ。 一本足では立てん。 二本足がよいぞ。 やがては明くる二三(フミ)の朝、 二二(フジ)は晴れたり、 日本晴れ。 (一月三日)
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昭和二十五年一月十八日、 旧十二月一日(1950年) 611 真理を理解して居れば心配いらん。 失敗も財産ぞ。 真剣で求めると真剣さずかるぞ。 求めるとは祈ること。 よく祈るものは よく与へられる。 日々の祈りは行であるぞ。 百年祈りつづけても祈りだけでは何もならん。 それは祈り地獄ぢゃ。 祈り地獄 多いのう。 肉体人は肉体の行せねばならん。 日々の祈り結構いたしくれよ。 次の祈りは省みることぞ。 いくら祈り行じても自分省みねば、 千年行じても何もならん道理ぢゃ。 同じ山に登ったり降ったり、 御苦労のこと、 馬鹿の散歩と申すもの。 悔いあらためよと申してあらう。 省みて行ずるその祈り弥栄えるぞ。 平面の上でいくら働いても、 もがいても平面行為で有限ぞ。 立体に入らねばならん。 無限に生命せねばならんぞ。 立体から複立体、 複々立体、 立々体と進まねばならん。 一から二に、 二から三にと、 次々に進めねばならん。 進めば進む程、 始めに帰るぞ。 立体に入るとは誠の理解生活に入ることぞ。 無限に解け入ることぞ。 イワトあけなば 二二輝くぞ。 弥栄々々。 (一月十八日) |
昭和二十五年一月二十二日、 旧十二月五日(1950年) 620 一切に向って涙せよ。 ざんげせよ。 一切を受け入れ、 一切を感謝せよ。 一切が自分であるぞ。 一切が喜びであるぞ。 (一月二十二日) |
昭和二十五年一月二十二日、 旧十二月五日(1950年) 621 理屈は一方的のものぞ。 どんな理屈も成り立つが、 理屈程 頼りないもの、 力にならんものないぞ。 理(リ)が よく見極めねば間違うぞ。 囚はれるなよ。 他の為に苦労することは喜びであるぞ。 全体のために働くことは喜びぞ。 【光の生命】ぞ。 誰でも重荷負はせてあるのぢゃ。 重荷あるからこそ、 風にも倒れんのざ。 この道理、 涙で笑って汗で喜べよ。 それとも重荷外してほしいのか。 重い重荷もあるぞ。 軽い重荷もあるぞ。 今まいた種、 今日や明日には実らんのざ。 早く花が見たく、 実がほしいからあせるのぢゃ、 人間の近慾と申すもの。 神の大道に生きて実りの秋(トキ)まてよ。 まいた種ぢゃ。 必ず実る。 誰も横取りはせんぞ。 万倍になってそなたにかへると申してあらう。 未来にもえつつ現在にもえよ。 神相手に悠々と天地に歩め。 (一月二十二日) |
昭和二十五年一月二十二日、 旧十二月五日(1950年) 622 道は自分で歩まねばならん。 自分の口で食物噛まねばならん。 かみしめよ。 ウジ虫に青畳、 苦のたねぢゃ。 畳には畳にすはるだけの行してから坐(すわ)らなならん。 【生命はコトぞ。 コトはミコトぢゃ】。 ミコトは神の心であるぞ。 喜びであるぞ。 ミコトに生きよと申してあらう。 コトあればオトあるぞ。 オトあればイロあるぞ。 イロあればカズあるぞ。 善にも神の心あり。 悪にも神の心がある。 (一月二十二日)
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昭和二十五年一月二十二日、 旧十二月五日(1950年) 623 プラスとマイナスと和合せねばならん。 只の和合ではムになって力出んぞ。 今迄の和合のやり方ではならん。 喜びの和合。 融け合ふ和合。 少しでも曇りありたら和合でないぞ。 こらへこらへてゐるのでは和合でないぞ。 今迄の和合の仕方ではカスあるであらうがな。 悪の和合であるぞ。 神示肚に入れないで御用六ヶ敷いぞ。 はじめは目標(メアテ)つくって進まんと、 行ったり来たり同じ道をドウドウめぐりぢゃ。 掴める所から掴んで行けよ。 拝んで行けよ。 統一した幸福こそ、 二二(フジ)晴れの幸福ぞ。 (一月二十二日)
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昭和二十五年一月二十二日、 旧十二月五日(1950年) 624 気づいたことから早う改めて下されよ。 トコトン迄行って神がさすのでは人間の面目ないから、 人間同士でよく致し下されよ。 只有難いだけではならん。 仕事せねばならん。 努力せねばならん。 ぢっとしてゐては進めん道理ぢゃ。 あかりつけなければ闇のよは歩けんぞ。 それぞれのあかりとなれよ。 油は神示ぢゃ。 油つきん、 いくらでもあかりつけて下されよ。 マツリから出直せよと申してあらう。 結構に大きまつり、 小さいまつり、 まつろひて下されよ。 神心になれば、 神ありやかに見えるぞ。 (一月二十二日)
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昭和二十五年一月二十二日、 旧十二月五日(1950年) 625 芽を出したから間引かなならん。 神示読んで、 神示読まん人間と神示肚に入り込んでもう大丈夫と、 神が見届けた人間と間引くのであるぞ。 肚に入った芽は間引いて他に植ゑかへるのぢゃ。 読んで読まんもの、 間引いて肥料とするぞ。 わざわざ遠い所へお詣りせんでも、 自分の家にまつってあるのぢゃから、 それを拝めば同じことぢゃ、 それでよいのぢゃと理屈申してゐるが、 格の上の所へ求めて行くのが仁義、 礼儀と申すもの。 キあれば必ず出来るのぢゃ。 立替致さずにゆけば、 この世はゆく程 悪くつまるのであるぞ。 早うメザメよ。 マツリせねば真理は通らん。 子供にまつろはねば子供導けん道理。 【自分判れば一切ありやか】。 (一月二十二日)
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昭和二十五年一月二十二日、 旧十二月五日(1950年) 626 神の申すやうにすれば神が護るから、 何事も思ふ様にスラリスラリと心配なく出て来るぞ。 区別と順をわきまへて居れば、 何様を拝んでもよい。 時、 所、 位に応じて誤らねば弥栄えるぞ。 同じ愛、 同じ想念のものは自ら集まって結ばれる。 天国のカタチ、 ウツシが奥山ぞ。 ミソもクソも一緒にして御座るぞ。 (一月二十二日)
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昭和二十五年一月二十二日、 旧十二月五日(1950年) 627 神心には始めも終りも無いのぢゃ。 総てがあるのであるぞ。 世界見よ。 三千世界よく見よ。 総てが秘文ぢゃ。 他力の中に自力あるのぞ。 自分ばかりでは成就せんぞ。 足ふみばかり。 愛は愛のみでは愛でないぞ。 真は真のみでは真でないぞと申してあらうが。 まつり合せて 愛のみ出ると悪となり、 真のみ出ると偽(ギ)となることあるぞ。 偽(イツワ)りと悪とまつりて善の働きすることあるぞ。 心せよ。 (一月二十二日)
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昭和二十五年一月二十二日、 旧十二月五日(1950年) 628 むつかしいこと申さずに、 ひらたう解けと申してあらうが。 ミタマは上中下三段、 三段にわけて説いて聞かせねば仕組おくれるぞ。 はじめは神様がして下さるが、 向上すると自分でせねばならん。 いつ迄も神を使ってゐてはならんぞ。 理解は真から、 意志は善からであるが、 今迄はそれでよいと説いて来たが、 愈々イワトびらきとなったのであるから、 二(ツキ)の鍵わたすから、 よく心得よ。 今迄の教ではマボロシぞ。 力ないぞ。 まつり合せて意志と働き、 まつりまつりと申してあらう。 上のまつりぞ。 マボロシとは人間智慧のこと。 理屈のことぢゃ。 理屈とは悪の学のことぢゃ。 理でなければならぬ。 (一月二十二日)
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昭和二十五年一月二十二日、 旧十二月五日(1950年) 629 学出すから、 我出すから行き詰るのぞ。 生れ赤児と申すのは学も我も出さん水晶のことぞ。 ねり直して澄んだ水晶結構。 親の心判ったら手伝ひせねばならん。 云はれんさきにするものぢゃと申してあらうが。 いつ迄も小便かけてゐてはならんぞ。 人間は罪の子でないぞ。 喜びの子ぞ。 神の子ぞ。 神の子なればこそ悔い改めねばならんぞ。 真なき愛の道、 悲しみの喜びからも生れることあるぞ。 それは罪の子と申すのであるぞ。 (一月二十二日)
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昭和二十五年一月二十二日、 旧十二月五日(1950年) 630 二の御用はフデうつすことぢゃ。 フデうつすとはフデを人間に、 世界にうつすことぞ。 フデを中心とした世界のはたらきせよ。 フデ フデに囚はれるから判らん。 フデすてて、 仕事に神示(フデ)生かして生活せよ。 生活がフデぢゃ。 判りたか。 早う次の御用急いで下されよ。 宗教に生きて、 宗教に囚はれるでないぞ。 仕事が宗教ぢゃ。 小さいことから始めよ。 小乗の行と馬鹿にするでないぞ。 小乗の行から大乗の真理を掴むのであるぞ。 (一月二十二日)
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昭和二十五年一月二十二日、 旧十二月五日(1950年) 631 理屈で進んで行くと、 しまひには共喰から、 われとわれを喰ふことになるぞ。 神様を真剣に求めれば、 神様は人間様を真剣に導いて下さるぞ。 結構に導いて下さるぞ。 悪を意志して善を理解すること許さんぞ。 悪を意志して善を理解せんとするのが悪ぞ。 善を意志して悪を理解せんとするのも悪ぞ。 悪を意志して悪を理解する処に、 善としての悪の用(はたらき)うまれるのざ。 幽界も亦(また)神のしろしめす一面のこと。 (一月二十二日)
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昭和二十五年一月二十二日、 旧十二月五日(1950年) 632 悪の総大将は奥にかくれて御座るのぞ。 一の大将と二の大将とが大喧嘩すると見せかけて、 世界をワヤにする仕組、 もう九分通り出来てゐるのぢゃ。 【真の理解に入ると宗教に囚はれなくなるぞ。 形式に囚はれなくなるぞ】。 真の理解に入らねば、 真の善も、 真の信も、 真の悪も、 真の偽りも判らんのぢゃ。 今にイワトひらいてあきらかになったら、 宗教いらんぞ。 政治いらんぞ。 喜びの歌高らかにナルトの仕組、 二二(フジ)にうつるぞ。 (一月二十二日)
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昭和二十五年一月二十二日、 旧十二月五日(1950年) 633 人間を幸福にするのは心の向け方一つであるぞ。 人間はいつも善と悪との中にゐるのであるから、 善のみと云ふこともなく悪のみと云ふこともない。 内が神に居りて外が人に和し、 内が霊に居り外が体に和せば、 それでよいのぢゃ。 其処に喜び生れるのぢゃ。 神から出た教なら、 他の教とも協力して共に進まねばならん。 教派や教義に囚はれるは邪の教。 豚に真珠となるなよ。 天国の意志は人間の喜びの中に入り、 幽界の意志は悲しみの中に入る。 (一月二十二日)
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昭和二十五年一月二十二日、 旧十二月五日(1950年) 634 いよいよ表の守護と相成ったぞ。 表の守護とは、 よいものもなく悪いものもなく、 只喜びのみの守護となることぢゃ。 悪いもの悪くなるのは表の守護でないぞ。 心得なされよ。 一つの魂を得ることは一つの世界を得ることぢゃ。 人間は一人でないぞ。 神は善人の中にも悪人の中にも呼吸してゐるぞ。 悪なくては生きて行けん。 悪は悪でないぞ。 外道の悪が悪であるぞ。 (一月二十二日)
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昭和二十五年一月二十二日、 旧十二月五日(1950年) 635 霊ばかりよくてもならん。 体ばかりよくてもならん。 もちつもたれつの世であるぞ。 判らんのは、 われが偉いと思ってゐるからぞ。 め覚めれば その日その時からよくなる仕組、 結構楽し楽しで どんな世でも過ごせるのが神の道。 【智の中に悪をとり入れるゆとりの出来んやうではマコト成就せんぞ。 智の中には総てを取入れて理解出来るやうに】なってゐるのであるぞ。 愛の中に悪入れてはならんぞ。 (一月二十二日)
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昭和二十五年一月二十二日、 旧十二月五日(1950年) 636 目さめたら起き上がるのぞ。 起き上がらずには居れまいが。 神の命ずることは丁度そのやうに人間にうつるのぞ。 霊眼で見たり霊耳で聞いたりすることは間違ひ多いぞ。 心せよ。 ものに対しては人間そのものが霊であるぞ。 人間はこの世の神と申してあらうが。 ものは人間の自由自在。 偶像は排すべし。 十像は拝すべし。 悪に行く理(ミチ)はないぞ。 理は善のみに通じてゐるぞ。 理なきところ進むでないぞ。 (一月二十二日)
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昭和二十五年一月二十二日、 旧十二月五日(1950年) 637 愛からはなれた理解はないぞ。 善からはなれた真理はないぞ。 タネなくて芽は出ん道理。 人間の智で判らんことは迷信ぢゃと申してゐるが、 神界のことは神界で呼吸(イキ)せねば判らんのぢゃ。 判らん人間ざから何と申しても神を求めるより、 愈々になりたら道ないことぞ。 学に囚はれて まだめさめん気の毒がウヨウヨ。 気の毒ぢゃなあ。 人間は霊人のカタシロになるからこそ養はれてゐるのぢゃ。 成長して行くのぢゃ。 血は愛によって生き、 愛はヨロコビによって生きるのぢゃ。 ヨロコビなき所に愛はないのざぞ。 (一月二十二日)
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昭和二十五年一月二十二日、 旧十二月五日(1950年) 638 まかせ切らねばマコトの安心立命ないぞ。 まかせ切るには、 まかせ切って安心出来る神をつかまねばならん。 おかげ信心や病気治しの神ではまかせ切れまいがな。 早う合点結構ぞ。 大きな生命に通ずるものには死はないぞ。 通じなければ死あるぞ。 (一月二十二日)
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昭和二十五年一月二十二日、 旧十二月五日(1950年) 639 身も心も嬉し嬉しなるのがまことの神ぢゃ。 ものの嬉しさだけではゼロぢゃ。 たまの嬉しさだけでもゼロぢゃ。 よく心得なされよ。 死後のみ説く宗教はゼロの宗教ぢゃ。 迷ふでないぞ。 この世で天国に住めんもの、 天国に行ける道理ないのぢゃと申してあらう。 神は人間の命、 人間は神の容れものであると申してあらう。 人間の極まるところは神であるぞ。 霊人は中間の存在ぞ。 人間は神への土台ぞ。 この道理判るであらうが。 三の
三五七の (一月二十二日)
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顔まで変ってゐるのに未だ気づかんのか。 病気に皆がなってゐるのに未だ気づかんのか。 何事も早い改心結構。 自分で自分の心の中は中々につかめんものであらうがな。 その中に又心あり、 又中に心があるのぢゃ。 心は神界ぞ。 霊界や神界のものを肉体の自分で掴まうとしても中々ぢゃ。 うなぎつかみと申してあらうが。 ヌラリクラリと掴んだ筈が掴んでないぞえ。 掴むには身と魂と一つに和せねばならん。
智と愛との和合によって
その
又別の その喜びの愛と智の喜びと結んで、
又喜びの 神は額から入って顔全体に至り、 全身に及ぶものであるぞ。 (一月二十二日)
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使用さされた特殊文字
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昭和二十五年一月二十二日、 旧十二月五日(1950年) 641 何事も体験結構。 今の人民の迷信と思ふものの中に正信あるぞ。 正信と思ふものの中に迷信多いぞ。 理解は正信。 神の気通うたら、 その気を人間にうつす御役、 救ひの御役を結構につとめあげて呉れよ。 自分の自由にならんことは大き自分が自由にしてゐるのであるぞ。 神となれば、 神人となれば何事も心のまま。 神とは神、 大神とは (一月二十二日)
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昭和二十五年一月二十二日、 旧十二月五日(1950年) 642 悪とはカゲのことであるぞ。 斜めに光を頂くから影出来るのぢゃ。 影は主人でないぞ。 絶対は何と申しても絶対ぞ。 相対から神を求めると、 相対の神が顕はれるぞ。 相対で神の道に導くこと中々ぢゃ。 必ず後戻り、 判りはせんぞ。 この神示、 肚に入ったらグレンと変りて来るぞ。 早う肚に入れて下されよ。 間に合はん。 天の声は内から聞こえて来る。 人間の言葉は外から聞こえて来る。 霊耳と申すのは内からぞ。 耳ふさいでも聞こえて来るのぢゃ。 悪霊自身は自身を悪と思うてないぞ。 (一月二十二日)
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昭和二十五年一月二十二日、 旧十二月五日(1950年) 643 心は草にも木にも石にもあるぞ。 天にまたたく星にもあるぞ。 ただ薄いか厚いかの相違であるぞ。
外の 外の智の中に悪が入るのぢゃ。 人間の智の中には悪も善も入るぞ。 入るからこそ、 これは善ぢゃ、 これは悪ぢゃと判るのぢゃ。 人間の自由は其処にあるのぢゃ。 自由なければ発展ないぞ。 弥栄ないぞ。 霊を信ずる者は霊と語り、 肉を信ずる者は肉と語り得るのぢゃ。 人間そのものから湧き出づる喜びは無いぞ。 よく心得なされよ。 (一月二十二日)
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昭和二十五年一月二十二日、 旧十二月五日(1950年) 644 神は理屈ではない。 理であるぞ。 生きた自由自在の、 見当とれん、 絶対であるぞ。 只求めるより他に道ないぞ。 親呼ぶ赤児の声で神を求めよ。 神に呼びかけよ。 総てを投げ出せよ。 まかせ切れよ。 神は喜びの光となって、 そなたに現はれて来るぞ。 理屈の信仰に囚はれると邪道。 赤児心の理解は第一ぞ。 (一月二十二日)
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昭和二十五年一月二十二日、 旧十二月五日(1950年) 645 神は人間の想念の中に入ってゐるのぢゃ。 想念が一致するから神の想念が人間に伝はるのぞ。 人間の言葉となって人間に現はれる。 言は神であるが人間でもあるぞ。 自分が自分に語るのであるぞ。 この道理、 よく心得なされよ。 時まちて起き出て下されよ。 恨みの霊は中々にとけんぞ。 思ひは能(ハタラ)き、 実在と申してあらうが、 間違ひでも恨まれると、 恨みがまとひつくぞ。 心して神を求め、 心して幽界からのキ断ちて下されよ。 判ったと思うたら天狗ぞ。 かへりみるとよくなる仕組。 (一月二十二日)
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昭和二十五年一月二十二日、 旧十二月五日(1950年) 646 喜びにとけ入るから嬉しいのぞ。 喜びから遠ざかるから悲しいのぞ。 そんなこと分ってゐると申してゐるが、 ほんとに身体に分ってゐまいぞ。 喜びに入る門は愛からぢゃ。 真からじゃ。 二道あるなれど愛から入るのが入り易いが、 愛からでは誤り易い。 生れてすぐ歩けるものでないぞ。 始めから何も彼も出来るものでない。 気長に進んで行けよ。 内の念と外の念とあるぞ。 二つであるぞ。 一つであるぞ。 三つであるぞ。 心大きく、 広く天地に放さねば、 天地のキを吸ふこと出来んぞ。 (一月二十二日)
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昭和二十五年一月二十二日、 旧十二月五日(1950年) 647 運命は自由自在のものではあるが、 又強ひるものでもあるぞ。 大きくも、 小さくも、 薄くも、 厚くも、 その人の心次第に変るぞ。 もとは霊界にあるからぞ。 嬉し嬉しで運命を迎へる気、 結構ぞ。 この世のことだけで この世のこと動かんぞ。 霊界との関係によって、 この世が動いてゐる道理判らねばならん。 早う神の心に、 神意さとれよ。 遠慮いらん。 何事も天から出て来るのぢゃ。 天からとは心からのことぢゃ。 (一月二十二日)
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昭和二十五年一月二十二日、 旧十二月五日(1950年) 648 表ばかり見てゐるから判らんのぢゃ。 水晶の心なれば三千里先のこともありやか。 人民と云ふものは奇跡見ても、 病気になっても、 中々改心出来んものぢゃ。 死後の生活がハッキリ判っても、 未だ改心出来んのぢゃ。 それは外からのものであるからぢゃ。 まことの改心は、 中の中の ほっこんの改心出来ねばならん。 死後の生活知らすことはよいなれど、 それのみによって改心せよと迫るのは悪のやり方。 奇跡を見せ、 病気を直してやるのもよいのぢゃが、 それのみによって改心を迫ってはならん。 それのみで道を説いてはならんぞ。 そんなこと位でマコトのホッコンの改心が出来るならば、 人間は遠の昔に改心して御座るぞ。 今迄のやうな宗教は亡びると申してあらうが。 亡びる宗教に致して下さるなよ。 (一月二十二日)
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昭和二十五年一月二十二日、 旧十二月五日(1950年) 649 中の自分と外の自分と和せよ。 それが改心の第一歩。 聞かせてきくならば、 実地はカタのカタ位ですむなれど。 慾入ると邪気湧く、 邪気湧くと邪霊集まるぞ。 肉体人に神は直接分らんものぞ。 神は能(ハタラ)き、 神の働きの影しか判らんものぞ。 神の姿、 見たと申すのは、 神の姿の影を自分の心に描き出したまでであるぞ。 心に判っても肉体に判るものでないぞ。 肉を魂とせよ。 魂を魂の魂と向上させよ。 ひらけ来るぞ。 何事もとがむでないぞ。 とがむ心、 天狗ぞ。 神の前にへり下り、 へり下っても尚過ぎると云ふことないのぢゃ。 人間は、 色とりどりそれぞれの考へ方を自由に与へてあるのざから、 無理に引張ったり、 教へたりするでないぞ。 今あるもの、 今生きてゐるものは、 たとへ極悪ざと見えても、 それは許されてゐるのであるから、 あるのであるぞ。 他を排すでないぞ。 (一月二十二日)
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昭和二十七年二月三日、 旧一月八日(1952年) 678
太一二 働きはいくらでもあるぞ。 その働きの名がもろもろの神様の名ぢゃ。 無限であるぞ。 このほう一柱であるが無限柱ぞ。 総てが神であるぞ。 一神ぢゃ。 多神ぢゃ。 汎神(ハンシン)ぢゃ。 総てが神ぢゃ。 喜びぢゃ。 始めから全体を掴もうとしても、 それは無理と申すもの。 手でも足でもよい、 何処でもよいから掴める所からつかんで御座れよ。 だんだん判ってくるぞ。 全体をつかむには全体と同じにならねばならん。 その人民々々のつかめるところから掴んで参れよ。 このほう抱き参らせてやるぞ。 マツリから出直せよ。 天地見よ。 大きマツリ致して居らうがな。 霊と肉のまつり第一。 頭とハラのまつり結構。 二二のマツリ、 出船の港ぢゃ。 奥から来るものは喜びぢゃ。 念ぢゃ。 力のもとぢゃ。 生きの生命ぢゃ。 神様にはハラを向けなさい。
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昭和二十七年二月一日、 旧一月六日(1952年) 682 局部的に見るから判らんのぢゃ。 文字書くのは心であるが、 心は見えん、 手が見へるのぢゃ。 手見るはまだよい方ぢゃ。 筆の先だけしか見えん。 筆が文字書いていると申すのが、 今の人民の考へ方ぢゃ。 筆が一番偉いと思ふて御座るのぢゃ。 信仰に入った始はよいが、 途中から判らなくなるのぢゃ。 そこが大切ぞ。 判らなくなったら神示(フデ)よめよ。 キ頂いてよみかへるぞ。 出足の港は二二の理(ミチ)からぢゃと申してあろう。 【真理】と申してあろう。 これが乱れると世が乱れるぞ。 神界の乱れイロからぢゃと申してあろう。 男女の道 正されん限り、 世界はちっともよくはならんぞ。 今の世のさま見て、 早う改心、 結構いたしくれよ。 和は力ぞ。
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昭和二十七年二月十二日、 旧一月十七日(1952年) 702 一時は人民なくなるところまで行くと申してあらうが。 人民なくしても人民なくならん。 洗濯して掃除して、 新しき道 早う進めよ。 おそくなる程 六ヶ敷く苦しくなるぞ。 近目で見るから判らん。 日本の、 世界あけたり。 あな爽々(スガスガ)し、 日本晴れぞ。 二二(フジ)は晴れたりとは、 真理の世に出づことぞ。 天のこと地にうつすときは、 地の力出るように、 地の息吹き通ふように、 弥栄するように、 念を地の力と現はれるように、 正しくうつして下されよ。 邪気入ってはならん。
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昭和二十七年三月八日、 旧二月十三日(1952年) 741 二十二のように知らすぞ。 神の仕組、 間違ひなし。 どしどしと運べよ。 三月八日、 ひつく神。
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昭和二十七年四月十一日、 旧三月十七日(1952年) 744 霊界での現れは同じであっても、 現実界に現れる時は違ふことあるぞ。 それはモノが異なるからぞ。 二二はもとのキぞ。 ナルトとはその現れのはたらき。
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昭和三十四年三月三日、 旧一月二十四日(1959年) 843 そなたは何時もあれもよいらしい、 これもよいようだと迷って、 迷ひの世界をうみ出し、 自分で自分を苦しめて、 気の毒よなあ。 これと一応信じたらまかせきれよ。 梶をはなして鳴門の渦の中にまかせきれよ。 まかせきるとひらけてくるのぢゃ。 悟れたようでゐて、 そなたが悟り切れんのはまかせきらんからぞ。 そなたはいつも孤独、 そなたの不運は孤独からぢゃ。 友をつくりなさい、 友つくることは己をつくることと申してあろうが。 友つくることは新しき世界をつくることぞ。 一人の世界は知れたものぞ。 一人ではマコトの道を生きては行かれんぞ。 友と申しても人間ばかりではないぞ。 山も友、 川も友、 動物も植物も皆友ぞ。 大地も大空も皆友となるぞ。 何も彼も皆友ぢゃ、 皆己ぢゃ。 皆々己となれば己はなくなるぞ。 己なくなれば永遠に生命する無限の己となるのぢゃ。 御神前で拝むばかりでは狭いぞ。 野菜拝めば野菜が、 魚拝めば魚が己となるのぢゃ。 拝むことは和すこと。 和すことが友つくる秘訣ぞ。 友を己とすることは、 己を友とすることぢゃ。 友にささげることぢゃ。 親は子にささげるからこそ、 子が親となるのぢゃ。 判りたか。 赤ん坊のお尻をふいてやることもあるであろうがな。 そなたが赤ん坊と同じであったら出来ない芸当ぞ。 お尻を出すものがあっても、 決して怒ってはならん。 子のお尻と思って きれいにふいてやれよと申してあろうが。 お尻を持ち込まれるのは、 持ち込まれるだけのわけがあるからぞ。 利子は後から支払えばよいと、 そなたは思ってゐるが、 先に支払ふこともあるのであるぞ。 先にお尻をふかねばならんことも、 世が迫ってくると出てくるのぢゃ。 その代り、 後では神がそなたのお尻をきれいにふいて下さるぞ。 ぶつぶつ申さずに勇んでやって下されよ。 そなたは他にものを与えることに心せねばならんぞ。 与えることは頂くことになるのであるから、 与えさしてもらう感謝の心がなければならんぞ。 強く押すと強く、 弱く押すと弱くはねかえってくること、 よく知って居ろうがな。 自分のものと云ふものは何一つないこと、 よく判って居る筈ぢゃ。
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昭和三十六年五月十日、 旧三月二十日(1961年) (ひふみ神示 第三十三巻 885)
ナルの仕組は【成十】(七 八が十になる仕組、 岩戸(言答)ひらく仕組、 今迄は中々に判らなんだのであるが、 時節が来て、 岩戸がひらけて来たから、 見当つくであろう、 富士(二二、 普字)と鳴門(ナルト)(七 成答)の仕組、 結構致しくれよ。
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昭和三十六年五月十日、 旧三月二十六日(1961年) (ひふみ神示 第三十三巻 894) 自由も共産も共倒れ、 岩戸がひらけたのであるから元の元の元のキの道でなくては、 タマ(玉)の道でなくては立ちては行かん、 動かん二二(普字、 富士)の仕組、 ひらけて渦巻く鳴門(ナルト)(七十、 成答)ぢゃ。 新しき人民の住むところ、 霊界と現界の両面をもつ所、 この岩戸ひらきて二度とない九十(光透)でひらく仕組。
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昭和三十六年五月十日、 旧三月二十六日(1961年) (ひふみ神示 第三十三巻 898) 十二人が一人欠けて十一人となるぞ、 その守護神を加へて二十二柱、 二十二が富士ぢゃ、 真理ぢゃ、 又三であるぞ、 今迄は四本指八本指で物事をはかって誤りなかったのであるが、 岩戸が明けたから親指が現れて五本十本となったのぢゃ、 このことよくわきまへよ。
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昭和三十六年五月十日、 旧三月二十六日(1961年) (ひふみ神示 第三十三巻 906) 二二の二の五つの今あけて、 よろづゐんねん出づる時来ぬ。 天の理が地に現はれる時が岩戸あけぞ、 日本の国が甘露台ぢゃ。
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昭和三十六年九月一日、 旧七月二十二日(1961年) (ひふみ神示 第三十六巻) 949 フトマニとは大宇宙の法則であり秩序であるぞ、 神示では012345678910と示し、 その裏に109876543210があるぞ、 合せて二十二、 富士(普字、 不二)(フジ)であるぞ。 神示の始めに示してあろう。 二二(富士)は晴れたり日本晴れぞ。
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昭和三十六年九月一日、 旧七月二十二日(1961年) (ひふみ神示 第三十六巻) 962 神の申すことは一分一厘違はんのであるぞ、 今度言ふことを聞かねば大変な気の毒となるぞ、 地(智)の下になって了ふのであるぞ、 12345678の世界が12345678910の世となりて、 012345678910の世となるのぢゃ、 012345678910が【マコト】と申してあろうがな。 裏表で二十二ぢゃ、 二二の五ぢゃ、 二二(ふじ)は晴れたり日本晴れぞ、 判りたか。
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昭和三十六年九月一日、 旧七月二十二日(1961年) (ひふみ神示 第三十 963) 太陽は十の星を従へるぞ、 原子も同様であるぞ。 物質が変るのであるぞ、 人民の学問や智では判らん事であるから早う改心第一ぞ、 二二と申すのは天照大神殿の十種(とくさ)の神宝に これが一厘の仕組。 二二となるであろう、 これが富士の仕組、 七から八から鳴り鳴りて十となる仕組、 なりなりあまるナルトの仕組。 富士(不二)と鳴門(ナルト)(成答)の仕組いよいよぞ、 これが判りたならば、 どんな人民も腰をぬかすぞ。 一方的に一神でものを生むこと出来るのであるが、 それでは終りは完う出来ん、 九分九厘で【リンドマリ】ぞ、 神道も仏教もキリスト教もそうであろうがな、 卍(ぶつ)も十(キリスト)もすっかり助けると申してあろうがな、 助かるには助かるだけの用意が必要ぞ。 用意はよいか。 このこと大切ごと、 気つけおくぞ。 なりなりなりて十とひらき、 二十二となるぞ、 富士(普字)晴れるぞ、 大真理世に出るぞ、 新しき太陽が生れるのであるぞ。
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昭和三十六年九月一日、 旧七月二十二日(1961年) (ひふみ神示 第三十七巻) 965 霊界に方位はない、 人民は東西南北と申してゐるなれど、 今に東の東が現れてくるぞ。 霊界では光のさす方が北ぢゃ、 その他の東西南北は皆南ぢゃ、 北が元ぢゃ、 北(基田)よくなるぞと申してあろうがな。 鳴門(ナルト)の渦巻を渡る時はカヂをはなして、 手放しで流れに任せると渡れるのであるぞ、 カヂをとると同じ処をグルグルぢゃ。 カヂをはなせる人民少ないのう。 何んでも彼んでもカヂをとって自分の思ふ通りに舟を進めようとするから大変が起るのぢゃ、 渦にまかせる時はまかさなければならんぞ、 ナルトの仕組の一面であるぞ、 大切ごとぞ。
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昭和三十六年(1961年) 982 伊豆幣帛(いづぬさ)を 都幣帛(とぬさ)に結び 岩戸ひらきてし。 ウヨウヨしてゐる霊かかりにまだ、 だまされて御座る人民多いのう、 何と申したら判るのであるか、 奇跡を求めたり、 われよしのおかげを求めたり、 下級な動物のイレモノとなってゐるから、 囚われてゐるから、 だまされるのぢゃ、 霊媒の行ひをよく見ればすぐ判るでないか。 早うめさめよ、 因縁とは申しながら、 かあいそうなからくどう申して聞かせてゐるのであるぞ、 マコトの道にかへれよ、 マコトとは そのうらは十九八七六五四三二一 合せて二十二であるぞ、 二二が真理と知らしてあろう、 二二が富士(不二、 普字)と申してあろうが、 まだ判らんか。
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昭和三十六年(1961年) 987 千引岩 今ぞあけたり 爽し富士はも。 神は宇宙をつくり給はずと申して聞かせてあろうが、 このことよく考へて、 よく理解して下されよ、 大切なわかれ道で御座るぞ。 福はらひも併せて行はねばならん道理。 光は中からぢゃ、 岩戸は中からひらかれるのぢゃ、 ウシトラがひらかれてウシトラコンジンがお出ましぞ、 もう【よこしま】のものの住む一寸の土地もなくなったのぞ。
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