“宝”を含む帖
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jula です。 ひふみで出てくる意味深な言葉、神名、宝名、地方名などですが、Net検索してもあまり意味が無いように感じています。 というのも、それらの言葉に対して与えられた意味、解説、背景、歴史全てがテンが入っていない形ばかりを現すような意味、用法としてしか書かれていないものばかりに思えます。 ○にテンが納まっていない、形ばかりの○を表すばかり。 どうにもひふみでの用法、意図、意義といったものと殆どが一致せず、そのまま当てはめる事が出来ないように思えます。 ?何故? 伊勢系による出雲系に対する支配ツール として本来とは異なる意味づけ、意義づけ、に置き換えられているからなのだと思います。 祝詞、神名、各地方名、宝名また各地方で起きたとされる出来事や歴史は伊勢系で曲解、置換されてしまっていると思った方が無難と思います。 仮に本来の意味、意図がNet上にあったとしても、それは大多数の中に埋もれたごくごくHIt率の低い、検索にかかるかかからないかのギリギリくらいでしかHitしないのではないかと思います。 そういった事を勘案してウラを読み取ろうとするならばNet検索も有効かもしれません。 それにしても大意、方向性が見えていないと混乱するばかりです。 「じゃどうするの?」 ですが・・・ 今のところ、ひふみでの各帖での用法から意味を探っていく事の方が有効に思えます。 仮にしっくりと説明できなくても、ひふみの用法から意味を探る方が大意、方向性を誤る事が少ないように思えています。 「みんなSuperMatrix使って検索してね〜」 という宣伝でした〜〜〜。 4255(星座の巻4帖)を読んで “宝”を含む帖抽出しました。 コメントも適当にいれています。
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ドイツもイタリもオロシヤも外国はみな一つになりて神 の国に攻め寄せて来るから、 その覚悟で用意しておけよ。 神界ではその戦の最中ぞ。 学と神力との戦と申しておろがな、 どこから何んなこと出来るか、臣民には分かるまいがな、 一寸先も見えぬほど曇りて居りて、 それで神の臣民と思うてゐるのか、 畜生 にも劣りてゐるぞ。 まだまだわるくなって来るから、 まだまだ落ち沈まねば本当の改心出来ん臣民 沢山あるぞ。 玉とは御魂(おんたま)ぞ、 鏡とは内に動く御力ぞ、 剣とは外に動く御力ぞ、 これを三種(みくさ)の神宝(かむたから)と申すぞ。 今は玉がなくなってゐるのぞ、 鏡と剣だけぞ、それで世が治まると思うてゐるが、 肝腎の真中ないぞ、 それでちりちりばらばらぞ。 アとヤとワの詞(四)の元要るぞと申してあろがな、 この道理分らんか、 剣と鏡だけでは戦勝てんぞ、 それで早う身魂みがいて呉れと申してあるのぞ。 上下ないぞ、 上下に引繰り返すぞ、 もう神待たれんところまで来てゐるぞ、 身魂みがけたら、何んな所で何んなことしてゐても心配ないぞ、 神界の都にはあくが攻めて来てゐるのざぞ。 八月の十二日、
富士の巻 第03帖 (083)
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これもア、ヤ、ワはノアの大洪水の仕組みを言っていると見て良さそうです。
臣民の思ふやうにやれるなら、 やりて見よれ、 九分九厘 でグレンと引繰り返ると申してあるが、 これからはその場で引繰り返る様になるぞ。 誰れもよう行かん、臣民の知れんところで何してゐるのぞ、 神には何も彼も分りてゐ るのざと申してあろがな、 早く兜脱いで神にまつはりて来いよ、 改心すれば助けてや るぞ、 鬼の目にも涙ぞ、 まして神の目にはどんな涙もあるのざぞ、 どんな悪人も助け てやるぞ、 どんな善人も助けてやるぞ。 江戸と申すのは東京ばかりではないぞ、 今の 様な都会みなエドであるぞ、 江戸は何うしても火の海ぞ。 それより他 やり方ないと 神々様申して居られるぞよ。 秋ふけて草木枯れても根は残るなれど、 臣民かれて根の 残らぬやうなことになりても知らんぞよ、 神のこのふみ早う知らしてやって呉れよ。 八と十八と五月と九月と十月に気つけて呉れよ、 これでこの方の神示の終わりぞ。 こ の神示は富士(二二)の巻として一つに纒(まと)めておいて下されよ、 今に宝とな るのざぞ。 八月の三十日、
富士の巻 第27帖 (107)
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富士(二二)の仕組みを現す、とても大切なエッセンスが詰まった巻き、心得みたい
なものでしょうか
これからいよいよとなり たら、神が許してまことの臣民に手柄いたさすぞ、 外国人がいくら逆立ちしても、神 が隠してゐるのざから手は着けられんぞ、 世の元からのことであれど、 いよいよが近くなりたら、この方の力で出して見せるぞ、 びっくり箱が開けて来るぞ。 八月の七日、 ひつくのか三。 天つ巻 第14帖 (121)
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岩戸開きによって現れ出てくるものを指しているのかもしれませんね。
神が臣民の心の中に宝いけておいたのに、 悪にまけて汚して仕まうて、 それで不足申してゐることに気づかんか。 一にも金、二にも金と申して、 人が難儀しようがわれさへよけらよいと申してゐるでないか。 それはまだよいのぞ、 神の面(めん)かぶりて口先ばかりで神さま神さま てんしさま てんしさま と申したり、 頭下げたりしてゐるが、 こんな臣民一人もいらんぞ、 いざと云ふときは尻に帆かけて逃げ出す者ばかりぞ、 犬猫は正直でよいぞ、 こんな臣民は今度は気の毒ながらお出直しぞ、 神の申したこと一分一厘ちがはんのざぞ、 その通りになるのざぞ。 うへに唾(つば)きすればその顔に落ちるのざぞ、 時節ほど結構なこわいものないぞ、 時節来たぞ、 あはてずに急いで下されよ。 世界中うなるぞ。 陸が海となるところあるぞ。 今に病神(やまいがみ)の仕組にかかりてゐる臣民苦しむ時近づいたぞ、 病はやるぞ、 この病は見当とれん病ぞ、 病になりてゐても、 人も分らねばわれも分らん病ぞ、 今に重くなりて来ると分りて来るが、 その時では間に合はん、 手おくれぞ。 この方の神示(ふで)よく腹に入れて病追ひ出せよ、 早うせねばフニャフニャ腰になりて四ツん這ひで這ひ廻らなならんことになると申してあらうがな、 神の入れものわやにしてゐるぞ。 九月二十三日、 ひつ九のか三。
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御魂神が臣民の心の中に宝いけておいたマコト 和合による弥栄 中行く道
宝が納まるのはどんなところ?

が納まり
○となりうるところ、
によって自ずと形成される○
○となる鏡としての身体、そういう光る身魂の心を形成する種をいけて用意しておい たのに、それにも関わらず心は○で、身魂を曇らすばかりと言っているようです。
その前に仕組む所あるなれど、 今では成就せんから、 その時は言葉で知らすぞ。 宝持ちくさりにして呉れるなよ、 猫に小判になりて呉れるなよ。 天地一度に変ると申してあること近づいたぞ、 世は持ちき りにはさせんぞよ、 息吹(いぶ)き払ひて議論(ろん)なくするぞ、 ことなくするぞ、 物言はれん時来るぞ、 臣民見当とれんことと申してあらうが、 上の人つらくなるぞ、 頑張りて呉れよ。 十月八日、 ひつ九のか三。 地つ巻 第33帖 (170)
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ここでの宝は
「ひふみで知らせている事」
「ひふみ用語で知らせますよ」
なんて感じのように思えます。
ひふみで言っている事を良く理解し、
「目の前にあるひふみを宝の持ち腐れ、猫に小判 としないようにしてください」
と言っているようです。
どうも
「カタカナで表記された場合はサタン側なりの悪の御用について言及し」
「漢字やひらがなで表記されたものはひふみの神の側、もしくは天使の 軍勢の御役」
について言及しているように思えてきています。
富士(二二)という事で、
「必ず両面からの仕組みで結果として岩戸開き、立替、建て直し、三千世界の和合が成されるのでは?」
と思えてきています。
日本の国はこの方の肉体であるぞ。 国土おろがめと申してあらうがな、 日本は国が小さいから一握りに握りつぶして喰ふ積りで攻めて来てゐるなれど、 この小さい国が、のどにつかえて何うにも苦しくて勘忍して呉れといふやうに、 とことんの時にな りたら改心せねばならんことになるのぞ。 外国人もみな神の子ざから、一人残らずに 助けたいのがこの方の願ひと申してあらうがな、 今に日本の国の光出るぞ、 その時になりて改心出来て居らぬと臣民は苦しくて日本のお土の上に居れんやうになるのぞ、 南の島に埋めてある宝を御用に使ふ時近づいたぞ。 お土の上り下りある時近づいたぞ。 人の手柄で栄耀してゐる臣民、 もはや借銭済(な)しの時となりたのぞ、 改心第一ぞ。 世界に変りたことは皆この方の仕組のふしぶしざから、 身魂みがいたら分るから、 早う身魂みがいて下されよ。 身魂みがくにはまつりせねばならんぞ、 まつりはまつらふことぞと申して説いてきかすと、 神祭りはしないでゐる臣民居るが、 神祭り元ぞ、 神迎えねばならんぞ、 とりちがへと天狗が一番恐いのざぞ、 千匁(せんじん)の谷へポンと落ちるぞ。 神の規則は恐いぞ、 隠し立ては出来んぞ、 何もかも帳面にしるしてあるのざぞ、 神の国に借銭ある臣民はどんなえらい人でも、 それだけに苦しむぞ、 家は家の、 国は国の借銭済(な)しがはじまってゐるのぞ、 済(す)ましたら気楽な世になるのぞ、 世界の大晦日(おおみそか)ぞ、 みそかは闇ときまってゐるであらうがな。 借銭(かり)返すときつらいなれど、 返したあとの晴れた気持よいであらうが、 昔からの借銭ざから、 素直に苦しみこらへて神の申すこと、 さすことに従って、 日本は日本のやり方に返して呉れよ、 番頭どの、下にゐる臣民どの、 国々の守護神どの、 外国の神々さま、 人民どの、 仏教徒もキリスト教徒もすべての徒もみな聞いて呉れよ、 その国その民のやり方伝へてあらうがな、 九十に気つけて用意して呉れよ。 十月十日、 ひつ九のか三。
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南極近辺で発生する大洪水の元と思えます。
神の国にはどんな宝でもあるのざぞ、
この宝は神が許さな誰にも自由にはさせんのざぞ。 悪が宝取らうと思ったとて、 どんなに国に渡り来ても どうにもならん様に神が守ってゐるのざぞ。 いよいよとなりたら神がまことの神力出して宝取り出して世界のどんな 悪神も神の国にはかなはんと申す所まで、 とことん心から降参する所まで、 今度は戦するのざから臣民余程見当取れんことに、 どんな苦労もこばらなならんのざぞ。 知らしてありた事、日々(にちにち)どしどしと出て来るぞ。 われよしすてて呉れよ。 十一月二十八日、 ひつ九のか三。 日月の巻 第33帖 (206)
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ここの宝は太陽に納まっている、封印されたミロクについて言及しているのかもしれ
ませんね。
一二三の食べ方は一二三唱(十七)へながら噛むのざぞ、 四十七回噛んでから呑むのざぞ、 これが一二三の食べ方頂き方ざぞ。 神に供へてから此の一二三の食べ方すれば何んな病でも治るのざぞ、 皆の者に広く知らしてやれよ。 心の病は一二三唱へる事に依りて治り、 肉体の病は四十七回噛む事に依りて治るのざぞ、 心も身も分け隔て無いのであるが会得る様に申して聞かしてゐるのざぞ、 取り違い致すでないぞ。 日本の国は此の方の肉体と申してあろがな、 何んな宝もかくしてあるのざぞ、 神の御用なら、何時でも、何んなものでも与へるのざぞ、 心大きく持ちてどしどしやりて呉れよ。 集団(まどい)作るなと申せば、 ばらばらでゐるが裏には裏あると申してあろが、 心配(こころくば)れよ。 十二月七日、 ひつくのかみふで。 日の出の巻 第08帖 (221)
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良く分かりませんが・・・
ひふみ神示 祝詞(伊勢系ツールとなっているようですが、出雲系として、 再解釈して、テン入れなお せば、もしかしたら本来の意味、意義、役割が明確になるのかも?)
記紀(これも伊勢系で書き換えられているのでしょうけれど、 そのあたりが正された らお宝ものかも)
此の世去って、 役に立つのは身魂の徳だけぞ、 身についた芸は其の儘役立つぞ。 人に知れぬ様に徳つめ と申してあろがな、 神の国に積む徳のみが光るのざぞ、 マアカタの御用結構であった ぞ、 富士晴れるぞ、 湖(うみ)晴れるぞ。 此の巻、日の出の巻として纒めて役員に読 ませて一二三として皆に知らせて呉れよ、 神急ぐぞ。 十二月二十九日、 ひつ九のか三。 日の出の巻 第23帖 (236)
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ここでの宝は“此の世の”で始まっているとおり、現世で宝と一般的に呼ばれる財宝
を指しているようです。
逆に、その後でかかれている“身魂の徳”、“身についた芸”こそが宝であると言い たいのかもしれませんね。
昭和二十年一月四日、 旧十一月二十一日(1945年) 北、南、たから出す時近づいたぞ、 世の元からの仕組であるからめったに間違ひないぞ、 これから愈々臣民にはわからなくなれど仕上げ見て下されよ、 何事も神の申すこと聞いて すなほになるのが一等ざぞ、 神示 (ふで)出ぬ時近ふなりたぞ、 神示出なくなりたら口で知らすぞ、 神示早う腹に入れぬと間に合はんことになりてくるぞ、 西も東もみな宝あるぞ、 北の宝はシホミツざぞ、 南の宝はシホヒルざぞ、 東西の宝も今にわかりてくるぞ、 此の宝あっぱれ、 この世の大洗濯の宝であるぞ。 一月四日、
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“世の元からの仕組”として用意された“北、南、たから”を“出す”との事ですか
ら財宝などではなく、仕組みを動かすスイッチ、キー、、もしくは隠し置かれた仕組
みを発動すると解釈した方が適当に思えます。
最後に“この世の大洗濯の宝”と言っていますのでノアの大洪水クラスの出来事と考 えるのが順当に思えます。
精神ちがふから、 ちがふことになるのざぞ、 コト正しくすれば、 正しきこととなるのざぞ。 日本の国は元の神の血筋のまじりけのないミタマで、末代 世治めるのざ。 何事も末代のことであるから、 末代動かん様に定めるのざから、 大望であるぞ。 上の臣民この儘で何とか彼んとかいける様に思ふてゐるが、 其の心われよしざぞ。 今度は手合して拝む許りでは駄目ざと申してあろが、 今度は規則きまりたら、 昔より六ヶ敷くなるのざぞ、 まけられんことになるのざぞ、 神魂(カミタマシ) の臣民でないと神の国には住めんことになるのざぞ。 この世治めるのは地の先祖の生神の光出さねば、 この世治まらんのざぞ、 今度はトコトン掃除せねば、少しでもまぢ り気(け)ありたら、 先になりて また大きな間違ひとなるから、 洗濯々々とくどう 申してゐるのざ。 神は一時は菩薩とも現はれてゐたのざが、もう菩薩では治まらんから、愈々生神の性来現はしてバタバタにらちつけるのざぞ、 今の学ある者 大き取り 違ひいたしてゐるぞ。
大国常立尊大神と現はれて、一時は天もかまひ、地の世界は申すに及ばず、天へも昇り降りして、 早う洗濯せんと間に合はんぞ。 この道の役員、吾は苦労して人助けるのざぞ、 その心でないと我出して吾のこと思ふてゐるとグレンざぞ。 仏もキリストも何も彼もスカリと救はねばならんのざ、 殺して救ふのと、 生かして御用に使ふのとあるぞ、 今度はハッキリ区別するのざぞ、 昔からの因縁ざぞ。 この方のもとに参りて、昔からの因縁、この先のこと克く聞いて得心出来たら、 肚の底から改心してマコトの御用結構につとめあげてくれよ。 逃げ道つくってはならんぞ、 二つ三つ道つくってはならんぞ。 ますぐに神の道に進めよ。 神の道は一筋ざと 申してあろが。 何なりとそれぞれの行せねばマコトのことは出来んのざぞ、 世界の片 八四浜辺からいよいよが始まると知らしてあること近うなりたぞ、 くどい様なれど さっぱりと洗濯してくれよ、 神の国は神のやり方でないと治まらんから今までの法度 (はっと)からコトから、 やりかたかえて、今迄はやりかた違ってゐたから、 神のお 道通りに致しますと心からお詫びせねば、 する迄 苦しむのざぞ、 この苦しみは筆に も口にもない様なことに、 臣民の心次第でなるのざから、 くどう申してゐるのざぞ、 何も彼も神にささげよ、 てんし様にささげよと申してあろがな、 それが神国の民の心 得ぞ、 否(いや)でも応(おう)でもそうなって来るのざぞ。 神国の政治経済は一つ ざと申してあろうがな、 今の臣民に判る様に申すならば、 臣民働いてとれたものは、 何でも神様にささげるのざ、 神の御社は幸でうづもれるのざぞ、 御光輝くのざぞ、 光のまちとなるのざぞ。 神からわけて下さるのざぞ、 其の人の働きによってそれぞれに 恵みのしるし下さるのざぞ、 それがお宝ぞ、 お宝 徳相当に集まるのざぞ、 キンはいらんと申してあろがな、 元の世になる迄に、 さうした事になって それからマコトの 神の世になるのざ。 神の世はマツリあるだけぞ、 それ迄にお宝下さるのざぞ、 お宝と は今のお札(さつ)の様なものざぞ。 判る様に申すなら、神の御社と臣民のお役所と 市場と合した様なものが、 一時は出来るのざぞ、 嬉し嬉しとなるのざぞ、 マコトのマ ツリの一(ハジメ)ざぞ。 このことよく肚に入れて一二三(ひふみ)として説いて、 早う上の守護人殿にも、 下の守護人殿にも知らして、 安心して、勇んで暮す様にして やりて下されよ。 それも臣民の心次第、 素直な人、早う嬉しくなりて、心勇むぞ、 さ びしくなりたら たづねて御座れと申してあろがな。 一月十三日、
磐戸の巻 第13帖 (249)
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それがお宝ぞ、 お宝 徳相当に集まるのざぞ、 キンはいらんと申してあろがな
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近代現代は労働の対価として給料としてお金や禄が支給されていました。
しかしこのお金や禄は必ずしも対価として得られるものではありません。
他から奪取してくる事が最も効率が良く出来ているのです。
そんな極一部に都合の良いでたらめな貨幣ベースの対価は許されません。
マコトのマツリの一(ハジメ)では、各人の働きがしっかりと見届けられ、その分だ けの恵みのしるしがもたらされます。
幽界(がいこく)身魂は幽界(がいこく)行き。 一寸の住むお土も神国にはないのざぞ。 渡れん者が渡りて穢して仕舞ふてゐるぞ。 日本の人民、大和魂 何処にあるのざ、 大和魂とは神と人と解け合った姿ぞ。 戦いよいよ烈しくなると、 日本の兵隊さんも、これは叶はんと云ふ事になり、 神は此の世にいまさんと云ふ事になって来るぞ。 それでどうにもこうにもならん事になるから、 早よう神にすがれと申してゐるのぞ。 誠ですがれば、その日からよくなるぞ、 神力現れるぞ。 今度の建替は、此の世 初まってない事であるから、 戦ばかりで建替出来んぞ。 世界隅々まで掃除するのであるから、 どの家もどの家も、 身魂も身魂も隅々まで生き神が改めるのざから、 辛い人民 沢山出来るぞ。 ミタマの神がいくら我張っても、人民に移っても、 今度は何も出来はせんぞ。 世の元からの生神でない事には出来ないのであるぞ。 それで素直に言ふ事聞けとくどう申すのぞ、 今度は神の道もさっぱりとつくりかへるのざぞ。 臣民の道は固(もと)より、獣の道もつくりかへぞ。 戦の手伝い位 誰でも出来るが、 今度の御用はなかなかにむつかしいぞ。 赤いものが赤い中にゐると色無いと思ふのぞ、 気付けて呉れよ。 悪神の守護となれば自分で正しいと思ふ事、 悪となるのざぞ。 悪も改心すれば助けてやるぞ。 海の御守護は竜宮のおとひめ様ぞ。 海の兵隊さん竜宮のおとひめ殿まつり呉れよ。 まつわり呉れよ。 竜宮のおとひめ殿の御守護ないと、海の戦は、けりつかんぞ。 朝日照る夕日たださす所に宝いけておいてあるぞ。 宝 愈々世に出るぞ。 人民の改心第一ぞ。 顔は今日でも変るぞ。 民の改心なかなかぞ。 六月二十三日、 アメのひつ九のかみ。 松の巻 第08帖(299)
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海の兵隊さん竜宮のおとひめ殿まつり呉れよ。 ま つわり呉れよ。 竜宮のおとひめ殿の御守護ないと、海の戦は、けりつかんぞ。 朝日照 る夕日たださす所に宝いけておいてあるぞ。 宝 愈々世に出るぞ。
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言葉だけ抜き出し、その言葉からくる印象から都合よく文章にしてみました。
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海の兵隊さん(海を構成する海水(七つの海の海水))は竜宮のおとひめ殿まつり呉 れよ。 まつわり呉れよ(竜宮のおとひめ殿の言う事を聞き、ともに一体となってお供 して働いてください(海の中で竜神が大暴れしますから、それにつき従い一体となっ て働いてください)) 竜宮のおとひめ殿の御守護のもとに海の戦は行われ決着するのです。 その戦を始めるきっかけとなるトリガー、仕掛けは朝日照る夕日たださす所に宝(ト リガー、仕掛けが)いけておいてあるのですよ。 宝(トリガー、仕掛けが) 愈々世に出るのですよ。
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神の御用が人の御用ぞ、 人の御用が神の御用であるなれど、 今の臣民 神の御用するのと人の御用するのと二つに分けてゐるが、 見苦しき者にはこれからは御用致させん事にきまりたから気付けておくぞ、 何事も順正しくやりて下されよ、 神は順であるぞ、 順乱れた所には神の能(はたらき)現はれんぞ。 何もせんでゐて、よき事許り持ちてゐると物事後戻りになるぞ、 神の道には後戻りないと申してあろがな、 心得なされよ、 一(ハジメ)の火 消へてゐるでないか、 まだ判らんか、 都会へ都会へと人間の作った火に集まる蛾(が)の様な心では 今度の御用出来はせんぞ、 表面(うわつら)飾りてまことのない教への所へは人集まるなれど、 誠の道伝へる所へは臣民なかなか集まらんぞ、 見て御座れよ、 幾ら人少なくても見事なこと致して御目にかけるぞ、 縁ある者は一時に神が引寄せると申してあろがな、 人間心で心配致して呉れるなよ。 目眩(めまひ)する人も出来るぞ、 ふんのびる人も沢山に出来て来るぞ。 行けども行けども白骨許りと申してあろがな、 今のどさくさにまぎれて悪魔はまだえらい仕組致して上にあがるなれど、 上にあがりきらん内にぐれんぞ、 せめて三日天下が取れたら見物であるなれど、 こうなることは世の元から判ってゐるから もう無茶な事は許さんぞ。 軽い者程 上に上に上がって来るぞ、 仕組通りなってゐるのざから臣民心配するでないぞ。 今度 神の帳面から除かれたら永遠に世に出る事出来んのであるから、 近慾に目くれて折角のお恵みはづすでないぞ、 神 キつけておくぞ。 人の苦しみ見てそれ見た事かと申す様な守護神に使はれてゐると気の毒出来るぞ、 世建替へて先の判る世と致すのぢゃぞ、 三エスの神宝(かんだから)と、 3S(スリーエス)の神宝とあるぞ、 毒と薬でうらはらであるぞ。 五と五では力出んぞ、 四と六、六と四、 三と七、 七と三でないと力生れんぞ、 力生れるから、カス出来るのざから掃除するのが神の大切な仕事ぞ、 人民もカスの掃除する事 大切な御役であるぞ、 毒と薬と薬と毒で御座るぞ、 搗(つ)きまぜて こねまぜて天晴(あっぱれ)此の世の宝と致す仕組ざぞ、 判りたか。 一方の3Sより判らんから、 人民 何時も悪に落ち込むのぢゃ、 此の道は中行く道と申して知らしてあろがな、 力余ってならず、 力足らんでならず、 しかと手握りてじっと待ってゐて下されよ、 誠の教ばかりでは何もならんぞ、 皆に誠の行(オコナイ)出来んと此の道開けんぞ、 理屈申すでないぞ、 幾ら理屈立派であっても行(オコナイ)出来ねば悪であるぞ、 此の世の事は人民の心次第ぞ。 十一月二十七日、 ひつくのか三。 雨の巻第09帖 (343)
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早う改心第一ぞ。 一(ひとつ)の王で治めるぞ。 てん詞様とは天千様のことぞと申してあろがな、 この方シチニの神と現はれる ぞと申してあろがな、 天二(てんぷ)様のことざぞ。 行なしではまことのことわからんぞ、 出来はせんぞ、 神の道 無理ないなれど、 行は誰によらずせなならんぞ。 この方さへ三千年の行したぞ、 人民にはひと日も、 ようせん行の三千年、 相当のものざぞ。 海にはどんな宝でも竜宮の音秘(オトヒメ)殿 持ちなされてゐるのざぞ、 この世の宝 皆この方つくりたのざぞ、 神の道 無理ないと申して楽な道でないぞ、 もうこれでよいと云ふことない道ざぞ。 日本の人民もわたりて来た人民も、 世持ちあらした 神々様も人民も、 世界の人民 皆思ひ違ふぞ、 九分九分九厘と一厘とで、 物事成就す るのざぞよ。 世をもたれん天地の大泥棒をこの世の大将と思ってゐて、 それでまだ眼 覚めんのか、 よく曇りなされたなあ、 建替は今日の日の間にも出来るなれど、 あとの 建直しの世直し、 中々ざから、 人民に少しは用意出来んと、 おそくなるばかりぢゃ、 それでカタ出せ出せと申してゐるのぢゃぞ。 あれこれとあまり穢れてゐる腸(はらわ た)ばかりぢゃから、 一度に引出して、 日に干してからでないと、 洗濯出来ん様にな りて御座るぞ。 ひぼしこばれん人民あるから、 今のうちから気付けてゐるのぢゃぞ。 けんびき痛いぞ、 あまりにも狂ふて御座るぞ。 元の根元の世より、も一つキの世にせ なならんのざから、 神々様にも見当取れんのぢゃ、 元の生神でないと、 今度の御用出来んぞ。 二月十六日、
ひつ九の 風の巻 第08帖 (359)
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ここでの宝は意味不明、
想像不可です。
神々様にも見当取れんの ぢゃ、 元の生神でないと、 今度の御用出来んぞ。
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元の根元の世よりも、もう一段階前のキの世にする必要があります。
ですから元の世よりも後発の神ではどうにもできません。
元の世から生き通しの元の生神でないと御用はかなわないのです。
ということで、元の世よりも前の段階をキの世と言い、そこからずー〜っと生き通し の神様が居るということのようです。
天まで分け盗って自分のものと、威張ってゐるが、 人民の物一つもないのぢゃ。 大引上げにならんうちに捧げた臣民 結構ぞ。 宮の跡はSとな るぞ。 ナルトとなるぞ。 天の言答(一八十)は開いてあるぞ。 地の言答(一八十)、 人民 開かなならんぞ、 人民の心次第で何時でも開けるのざぞ。 泥の海になると、人 民思ふところまで一時は落ち込むのぢゃぞ、 覚悟はよいか。 神国には神国の宝、 神国 の臣民の手で、元の所へ納めなならんのざ。 タマなくなってゐると申してあらうがな。 何事も時節到来致してゐるのざぞ、 真理(ふじ)晴れるばかりの御代となってゐ るのぢゃぞ。 人民 神に仕へて下さらんと神のまことの力出ないぞ、 持ちつ持たれつ と申してあらうがな、 神まつらずに何事も出来んぞ、 まつらいでするのが我よしぞ、 天狗の鼻ざぞ。 まつらいでは真暗ぞ、 真暗の道で、 道開けんぞ。 神は光ぞと申してあ らうが、 てん詞(し)様よくなれば、皆よくなるのざぞ。 てん詞(し)様よくならん うちは、誰によらん、 よくなりはせんぞ、 この位のことなぜにわからんのぢゃ、 よく なったと見えたら、 それは悪の守護となったのぢゃ。 神がかりよくないぞ、 やめて下 されよ、 迷ふ臣民出来るぞ。 程々にせよと申してあらうが。 皆々心の鏡掃除すれば、 それぞれに神かかるのぢゃ。 肉体心で知る事は皆粕(カス)ばかり、 迷ひの種ばかり ぢゃぞ、 この道理判りたであらうがな、 くどう申さすでないぞ。
二月の十六日、
ひつ九の 風の巻 第09帖 (360)
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タマなくなって ゐると申してあらうがな
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タマがなくなってしまっている神国の宝を神国の臣民の手で元の所へ納めなければな
らないのですよ。
わからんミタマも今迄は機嫌取って引張りて来たなれど、 もう機嫌取りは御免ぢゃ。 こんなことに長う掛かりてゐたなら実地が遅れるから、 ひときりにいたすぞ。 神代となれば天は近くなるぞ、 神人共にと申してあらうがな。 一人となりても、神の申す事ならば、 ついて来る者が誠の者ざぞ、 誠の者少しでも今度の仕組は成就するのざぞ、 人は沢山には要らんのざぞ。 信者引張ってくれるなよ。 道は伝へて下されと申してあらうがな。 竜宮の乙姫殿のお宝、誰にも判るまいがな。 びっくり箱の一つであるぞ。 キT(た)がよくなる、 キたが光るぞ、 きT(た)が一番によくなると申してあること段々に判りて来るのざぞ。 これ程に申してもまだ疑ふ人民 沢山あるなれど、 神も人民さんには一目置くのぞ、 閉口ぞ、よくもまあ曇ったものぢゃなあ、 疑ふなら今一度我でやって見よれ、 それもよいぞ、 あちらこちらにグレングレンとどうにもならんのざぞ、 人民には見当取れん大きな大きな大望ざから、 その型だけでよいからと申してゐるのぢゃ、 型して下されよ。 改心の見込ついたら、 世の元からの生神が、 おのおのにタマ入れてやるから、 力添へ致してやるから、 せめてそこまで磨いて下されよ。 悪はのびるのも早いが、 枯れるのも早いぞ。 いざとなればポキンぞ。 花のまま枯れるのもあるぞ。 二月十六日、
一二の ![]()
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びっくり箱の一つであるぞ。
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竜神は左右の手に玉を持つ。
それがシホミツタマ、シホヒルタマ?
ミギリ(水)とヒダリ(火)?
そのタマを持ち各々働かせながら戦する?
しかしビックリ箱の一つと言っているので、ノアの大洪水以外にもびっくり箱が用意 されている事になる。
都市攻撃を指すのかもっと別のもの事をさすのか?
三つの流れとなり、 二となり一と成り鳴りて、 一つ になり、 一つの王で治めるのぢゃぞ、 弥栄の仕組、普字と成答の仕組、 いよいよとなったぞ。 あな嬉し、 あなすがすがし普字は晴れたり日本晴れ。
此の巻 ん 後の世の宝と栄へるぞ。 十二月十四日、一二 梅の巻 第28帖 (455)
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十二くさのかむたから、 おきつかがみ、 へつかがみ、 八つかのつるぎ、 九 つかのつるぎ、 十つかのつるぎ、 いくたま、 まがるかへしのたま、 たるたま、 ちかへ しのたま、 おろちのひれ、 はちのひれ、 くさくさのひれ、であるぞ。 む、 ひと、 ふた、 み、よ、いつ、 む、なな、 や、 ここ、たり、う、 であるぞ。 う、 たり、ここ、や、 なな、 む、 いつ、 よ、 み、 ふた、 ひと、 む、 であるぞ。 となへよ。 のりあげよ。 月光の巻 第05帖 (792)
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神の御座(みくら)のまわりには十 の宝座があるぞ、 十の宝座は五十と五十、 百の光となって現れるのであるぞ、 大摩邇 は百宝を以って成就すると知らせてあろうがな、 五十種の光、 五十種の色と申してあ ろうがな、 光の中に百億の化仏(けぶつ)ぢゃと申してあろう、 百が千となり万とな り億となるのであるぞ、 今迄は四の活物(かつぶつ)と知らせてありたが、 岩戸がひ らけて、 五の活物となったのであるぞ、 五が天の光であるぞ、 白、青、黄、赤、黒、 の色であるぞ。 扶桑の巻 第14帖(863)
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八の隈(くま)からひらきかけるのであるぞ、
ひらけると これを宮と申すのぞ、 宮とはマコトのことであるぞ、 西と東に宮建てよと申すこと、 これでよく判るであろうが、 マコトの数を合せると五と五十であるぞ。 中心に五があり、その周辺が五十となるのであるぞ。 これが根本の型であり、 型の歌であり、 型の数であるぞ、 摩邇(マニ)の宝珠(タマ)であるぞ、 五十は伊勢であるぞ、 五百は日本であるぞ、 五千は世界であるぞ、 このほう五千の山、 五万の川、 五億のクニであるぞと申してあろうがな。 碧玉の巻 第05帖(869)
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ささげよささげよ、 与へよ与へよ、 言(ことば)こそは誰もがもてる 其(理)のささげものであるぞ、 与へても与へても無くならんマコトの宝であるぞ。 碧玉の巻 第12帖(876)
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みかのはら みて並べてぞ 天地(アメツチ)の座に。 御服(みそ)輝(かが)し 明妙照妙和 妙(あかてるにぎ) 風のまにまに。 巫(かむなぎ)の 大御心のまま 弥栄へ む。 千木千木し 瑞の御舎(みあらか) 仕へまつらむ。 御宝前(おんまえ)に 宇豆の幣帛(みてくら) たたへまつ栄。 大神の 咲(えみ)に弥栄ゆ生国足国(いくくにたるくに)。 狭(さ)き国は 広く峻(さか)しき 国は平に。 日のみかげ 百島千島 おつるくまなく。 青雲の たなびく極み 座(し)きます宝座(みくら)。 甘菜辛菜(あまなからな) 地の極みまで 生ひて尚生ゆ。 見はるかす 四方の国みな えらぎ賑はふ。 竜音の巻 第02帖(910)
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祝詞からの引用のようですが、祓いなどというよりは、和して、働いて、弥栄に至れ
よ、なんて感じに言っているような気がします。
原子も同様であるぞ。 物質が変るのであるぞ、 人民の学問や智では判らん事であるから早う改心第一ぞ、
二二と申すのは天照大神殿の十種(とくさ)の神宝に これが一厘の仕組。 二二となるであろう、 これが富士の仕組、 七から八から鳴り鳴りて十となる仕組、 なりなりあまるナルトの仕組。 富士(不二)と鳴門(ナルト)(成答)の仕組いよいよぞ、 これが判りたならば、 どんな人民も腰をぬかすぞ。 一方的に一神でものを生むこと出来るのであるが、 それでは終りは完う出来ん、 九分九厘で【リンドマリ】ぞ、 神道も仏教もキリスト教もそうであろうがな、 卍(ぶつ)も十(キリスト)もすっかり助けると申してあろうがな、 助かるには助かるだけの用意が必要ぞ。 用意はよいか。 このこと大切ごと、 気つけおくぞ。 なりなりなりて十とひらき、 二十二となるぞ、 富士(普字)晴れるぞ、 大真理世に出るぞ、 新しき太陽が生れるのであるぞ。 至恩の巻 第16帖(963)
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別れ別れになったイザナギ、イザナミが再び出会い、ミトノマグワイによってなりな
りあまるナルトの仕組を成す。
ミトノマグワイは天照大神殿の十種(とくさ)の神宝に吹(テン)を入れること。
富士(普字)晴れるぞ、 大真理世に出るぞ、 新しき太陽が生れるのであるぞ
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なんて感じにも読めそうです。
すめむつカムロギ、カムロミのミコトもちて、 千万(ちよろづ)の神祇(かみ)たちを神集(つど)へに集へ給ひ、 神はかりにはかり給ひて、 下津岩根に真理(みや)柱二十(ふと)敷建て高天原に千木高知りて、 伊都の神宝の大御心のまにまに千座(ちくら)の置座(おきくら)におき足らはして、 天地祝詞(アメツチのりと)の二十(ふと)祝詞言をのれ、 かくのらば神祇はおのもおのもの岩戸を押しひらきて伊頭(いづ)の千別きに千別き給ひて聞し召さむ、 かく聞し召してば、 天(アメ)の国うつし国共につみと云ふつみはあらじと科戸(しなど)の風の吹き放つことの如く、 朝風夕風の吹きはらふ如く、 大つ辺に居る大船を舳(へ)ときはなち艫(とも)とき放ちて大海原に押しはなつ事の如く、 のこる罪も穢もあらじと祓へ給へ清め給ふことを、 よしはらへ、 あしはらへ給ひて弥栄の御代とこそ幸はへ給へ幸はへ給へ。
紫金の巻 第01帖 (131)
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祝詞ベースのようですが、こんな感じに読めそうな・・・
うつし国共に
つみと云ふつみはあらじと
科戸(しなど)の風の吹き放つことの如く、
朝風夕風の吹きはらふ如く、
終わりの象徴と して吹き、吹き払う風の如く
大つ辺に居る大船を舳(へ)ときはなち艫(とも)とき放ちて
大海原に押しはなつ事の如く、
のこる罪も穢もあらじと祓へ給へ清め給ふことを、
よしはらへ、あしはらへ給ひて
弥栄の御代とこそ
幸はへ給へ幸はへ給へ
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なんて感じに読むと、ひふみで言っている事と大意が合いそうです。
おそらく祝詞はこの骨子となる部分に対して、伊勢系ツールとしての尾ひれが付け加 えられて利用されているのでは?とも思えます。
月は赤くなるぞ、 日は黒くなるぞ、 空はちの色となるぞ、 流れもちぢゃ。 人民四つん這(ば)ひやら、逆立ちやら、ノタウチに、一時はなるのであるぞ、 大地震、ヒの雨降らしての大 洗濯であるから、 一人のがれようとて、 神でものがれることは出来んぞ、 天地まぜまぜとなるのぞ、 ひっくり返るのぞ。 紫金の巻 第05帖 (135)
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地震、雷、旱魃、洪水、噴火と言った天変地異、合わせて都市攻撃とノアの大洪水ま
でも言及しているかのようです。
おそらく元の世の前の、キの世に一旦戻す仕組み、働きそのものを神宝と言っている のではないでしょうか。

トッチです。 働きの件ではありませんが、臣民の心の中に宝を活けて(埋けて)あるそうです。
で、その宝とこの宝は同じものでしょうかね?
目に付いたもので。。。
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地つ巻 第16帖 (153) 神がテンとして納まる身魂となるように心に種をまいて、○となれるように宝として おいたのに、 その宝を忘れ、形ばかりの○磨きにかまけて肝心の宝をすっかり台無しにしてしまっ た。 宝=神懸かれる磨けばいっそう光る身魂の元。 神人の土台 もう一方の風の巻 第08帖 (359)は、
といった大意があるようにとれます。
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