五十黙示録 第四巻 竜音の巻 第十九帖(78)・ ・第十八帖(77)・第十七帖(76)・第十六帖(75)・ 第十五帖(74)・第十四帖(73)・第十三帖(72)・第十二帖(71)・ 第十一帖(70)・第十帖(69)・第九(68)・第八(67)・ 第七(66)・第六帖(65)・第五帖(64)・ 第四帖(63)・第三帖(62)・第二帖(61)・第一帖(60)
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ロックです。 竜音の巻は確かに後ろから行くと読みやすそうなので、後の帖から巻き戻しで進めたいと思います。
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昭和三十六年八月三日、 旧六月二十二日(1961年) (ひふみ神示 第三十四巻)(927) 霊の発動をとめて、静かにする法は 「国常立大神 守り給へ幸(さき)はへ給へ」 と三回くり返すこと。 又 「素盞鳴大神 守り給へ幸はへ給へ」 と三回くり返すこと、 又は 「太日月地大神 守り給へ幸はへ給へ」 と三回くり返すこと。 世界そのものの霊かかり、 日本の霊かかり、 早うしづめんと手におえん事となるが、見て御座れよ、 見事な事を致してお目にかけるぞ。 (竜音の巻了)
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霊の発動を止めて、静かにするやり方は 「国常立大神 守り給へ幸(さき)はへ給へ」 と三回くり返すことです。 又 「素盞鳴大神 守り給へ幸はへ給へ」 と三回くり返すこと、 又は 「太日月地大神 守り給へ幸はへ給へ」 と三回くり返すことです。 世界そのものの霊かかり、日本の霊かかり、早く鎮めないと手に負えない事となりますが、見ていなさい、見事な事を致してお目にかけます。
そして真の太陽神である素盞鳴大神のことをよく理解し、地に現われる太日月地大神のことを理解することで世界そのものの霊かかり、日本の霊かかりから解放されるということと取ってみました。
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霊の発動を止めて、静かにする法は「国常立の大神守り給え幸(さき)はえ給え」と三回繰り返すことです。 又、「素盞鳴大神 守り給へ幸はへ給へ」と三回繰り返すことです。 又は「太日月地大神 守り給へ幸はへ給へ」と三回繰り返すことです。 世界そのものの霊懸かり、日本の霊懸かり、早く鎮めないと手におえない事とになります。 見ていなさい。 神は見事な事を致してお目にかけます。
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『“太日月地大神 守り給へ幸はへ給へ”と三回くり返すこと 』 これなどは期待する気持ちもありますが、さていかがなものでしょうか。 通信の基本かもしれませんね。 『 特別の使命をもつ天使は、最下級の霊界まで降って来て、人民に特別な通信をなし、指示することもあるぞ。 また天使の霊が母体に宿り人民として生れてくる事もあるぞ、末世にはこの種の降誕人が沢山あるぞ。』 この辺りは、太陽のことを示唆している部分もあるかと思います。 『 末世にはこの種の降誕人が沢山あるぞ 』 沢山いるようです。
神サタンの思惑から脱するにはとにかくミロクの仕組みに即した行い、言葉、思いを肚に入るまで繰り返す事です。 習慣化し日常化することです。 世界中、日本中がそうしないと手遅れになります。 ノアの大洪水で滅亡する事になるのです。 しかし、そうはさせません。 ミロクは見事な事を致してお目にかけます。 安心してミロクの言う事を聞いて下さい。
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昭和三十六年八月三日、 旧六月二十二日(1961年) (ひふみ神示 第三十四巻)(926)
霊に その偉大さがハッキリ判るぞ。 どんな下級霊であっても、 その霊を馬鹿にしてはいけない、 馬鹿にすると反射的にサニワを馬鹿にして始末におへんことになるぞ。 霊覚者や行者の中には奇跡的なことや非常識な行動をする者がよくあるぞ、 一般の人民はそれにだまかされることがよくあるぞ、 何れも下級霊のしわざであるぞ、 正神には奇跡はない、 奇跡ないことが大きな奇跡であるぞ、 奇跡するものは亡びる。 高級霊は態度が立派であるぞ、 わかりたか。
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使用さされた特殊文字
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霊に その偉大さがハッキリ判ります。 どんな下級霊であっても、その霊を馬鹿にしてはいけません。 馬鹿にすると反射的にサニワを馬鹿にして始末に負えない事になるのです。 霊覚者や行者の中には奇跡的なことや非常識な行動をする者がよくいます。 一般の人民はそれに騙されることがよくあります。 何れも下級霊のしわざなのです。 正神には奇跡はありません。 奇跡が無い事が大きな奇跡なのです。 奇跡するものは、そこに騙しやまやかしにより、その中に永遠に繁栄するものがない故に亡びます。 高級霊は態度が立派なのです。 わかりましたか。
その内容を咀嚼して理解することは、霊にもその人間にもお互いに良いことかも知れませんね。 他の内容はわかりやすいほうだと思います。
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霊に その偉大さがハッキリ判ります。 どんな下級霊であっても、その霊を馬鹿にしてはいけません。 馬鹿にすると反射的にサニワを馬鹿にして始末におへんことになります。 霊覚者や行者の中には奇跡的なことや非常識な行動をする者がよくあります。 一般の人民はそれに騙されることがよくあります。 何れも下級霊の仕業です。 正神には奇跡はありません。 奇跡の無いことが、大きな奇跡です。 奇跡をするものは亡びます。 高級霊は態度が立派です。 判りましたね。
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この辺りの話は難しいですね。 霊界で戦いが終わっていれば、確かに霊界では解放されて、それを聞く霊は、あめのひつくかみなどに思いを馳せ喜ぶかもしれませんが、人間の身の上としては確認できない部分です。
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昭和三十六年八月三日、 旧六月二十二日(1961年) (ひふみ神示 第三十四巻)(925) 霊の要求ぢゃと申して、そのまま受け入れてはならんぞ、 よく判断した上で処理せねばならん。 下級霊、動物霊の場合は酔ひどれのように箸にも棒にもかからんことを 申すものぞ。 殊にその霊が病気に関連をもってゐる場合は微妙であるから、 よく心得なされよ。 悪い企て、悪い行為ぢゃとて、直ちにキメつけてはならん、 やんわりともちかけて善きに導かねばならんぞ、 悪をきらふ心があってはならん、 悪抱き参らせと申してあろうがな。 邪道的要求を容れて一時的に病気を治すと、 それに倍してブリ返すぞ、 この呼吸大切。
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霊の要求だからと云って、そのまま受け入れてはなりません。 よく判断した上で処理せねばなりません。 下級霊、動物霊の場合は酔いどれのように箸にも棒にもかからないことを云う物です。 殊にその霊が病気に関連を持っている場合は微妙ですから、よく心得えなさい。 悪い企て、悪い行為であっても、直ちにキメつけてはなりません。 やんわりともちかけて善きに導かねばなりません。 悪を嫌う心があってはなりません。 悪抱き参らせと云ってあるでしょう。 邪道的要求を容れて一時的に病気を治すと、それに倍してブリ返すします。 この呼吸は大切なのです。
本人は意識しているも何も、憑依されていたら自覚はないでしょうから、本人のみで見分けることは難しそうですが、周りから客観的に見ているとわかることもあるかと思います。 過去にも、チャネリングによって啓示を受けたからと箸にも棒にもかからない話をしてくる方もいましたね。 恨みやつらみ、嫉妬などの感情を消化できないままに、何かを企てたりすることは時に、そういった存在とのコンタクト、もしくは憑依をしやすくするものでもあるかと思います。 嫉妬などの感情は経験から思いますが、冷静に周りの状況環境を見ることで解けるものですが、本人の焦りや不安感などが憑依体を呼び寄せて、さらに盲目にさせるなんてこともあり得るのかもしれません。 私的な経験からですが、憑依されていると自分の欲求の如く、物事を突き詰めてみたり、妄想を暴走させたり、 嫉妬に燃えてしまったりすることもあるようです。 そのときには、我の塊と化してますから、相手や周りの方々への迷惑なども考えないし、自分の行う行為自体が、 次の災厄ともいうべき病気を呼び起こしていることすらも気づけないようです。 ひどくなるとその末に自滅するようです。 この辺りは、上記にも邪道的要求を受け入れると、倍にぶり返すとありますので、この辺りは自分の経験したこととも、 一致を見るようです。 無理をせずに自分の心と対話をしながら良い方に導くことも、結果として憑依したものが離れていくためには必要なことではないかと思います。 これらを解決しておかないと何が問題かって、この状態で避難すると、すでに取り憑かかれているから絶対避け様のない破滅への方向に向かうようになっているんですよね。 避難場所を決めてもダムの側だったりして、、、==;;; これは2003年の時に経験済みで、その時模擬的にも経験しているから、ある面ではそれを学習できている面があります。 これらの情報は助かるべき方がたがその情報を知っておくことで、各自の出来る範囲での準備にもつながることだと思います。 この辺りは、支配層の方々がダブルスタンダード的な二枚舌でうまくやろうとしても最終的には失敗する部分でもあるかと思います。 後半になればなるほど、そういった学習や練習がないままミスをするとそのまま、周りの方々も巻き込んでジ・エンドになる可能性も高いので、今の時点で思い付く点がある方は、その面での研鑚する必要があるかと思います。 子供がいる方などは、せめてその子達を救うためにも親は頑張る使命はあるのではないでしょうか。 長くなってしまいましたが、この問題は、妄想によって本来ありえない幽界を作り出すことにも繋がるような部分もあるかと思いましたので、私的な経験もですが混ぜて記載させてもらいました。 自分もある意味実験用のモルモットみたいなものです。 参考になれば幸いです。
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霊の要求だからと云って、そのまま受け入れてはいけません。 よく判断した上で処理しなさい。 下級霊、動物霊の場合は酔ひどれのように箸にも棒にもかからんことを云います。 殊にその霊が病気に関連を持っている場合は微妙であるから、よく心得なさい。 悪い企て、悪い行為であるからとて、直ちにキメつけてはなりません。 やんわりと持ちかけて善い方向に導くのです。 悪を嫌う心があってはなりません。 悪を抱き抱えなさいと言いつけているでしょう。 邪道的要求を容れて、一時的に病気を治すと、それに倍してブリ返します。 この呼吸は大切です。
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ミロクの仕組みに反する思想、立場の人間は、 やんわりと持ちかけて善い方向に導くのです。 悪を嫌う心があってはなりません。 悪を抱き抱えるのです。 敵意を持って正面からぶつかると余計に反発します。 ノアの大洪水、ミロクの仕組みを伝えるにも工夫が必要です。
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はじめに出て来る霊は殆ど下級霊であるぞ、 玄関に先づ出て来るのは玄関番であるぞ。 祖霊の出る場合は、何か頼みたい場合が多いぞ、 浄化した高級霊ともなれば、人民に判るような感応は殆どないぞ。
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はじめに出て来る霊は殆ど下級霊です。 玄関に先づ出て来るのは玄関番です。 祖霊の出る場合は、何か頼みたい場合が多いです。 浄化した高級霊ともなれば、人民に判るような感応は殆どありません。
それに見立てた騙しが多いからなのかも知れませんね。 本人が現在行っている作業は、祖霊からの視点で見たら、そのしてもらいたい方向で動いている可能性もあるかもしれません。 病気や障害などもそうした祖霊からの白紙の手紙なのかも。 そなた自身が先祖とも記載されてますので、 人間の魂の中に肉体のある人間をある面では拘束するような事象も存在するような気はします。
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先祖の霊。 日本では、33年忌ないしは50年忌の弔(とむら)い上げのすんだ死者の霊は、個性を失って祖霊一般の仲間入りをすると考えられている。
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始めに出て来る霊は殆ど下級霊です。 玄関に先づ出て来るのは玄関番です。 祖霊の出る場合は何か頼みたい場合が多いです。 浄化した高級霊ともなれば人民に判るような感応は殆どありません。
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サニワは、場合によって霊媒を誘導してもよいぞ、 又霊に向って常に愛を持って接しなければならんぞ。 誰でも絶へず霊界とのつながりがあり、霊界からの呼びかけがあるから、 サニワはそれを助け、導くように努力しなければならんぞ。
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サニワは、場合によって霊媒を誘導してもよいのです。 又霊に向って常に愛を持って接しなければなりません。 誰でも絶えず霊界とのつながりがあり、霊界からの呼びかけがあるから、サニワはそれを助け、導くように努力しなければなりません。
霊媒ですから憑依された媒体のことだと思いますが、 真愛は彼等に接する時も必要なものであるようです。
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サニワは 場合によって、霊媒を誘導してもよいのです。 又、霊に向って、常に愛を持って接しなければなりません。 誰でも絶えず霊界との繋がりがあり、霊界からの呼びかけがあるから、サニワはそれを助け、導くように努力しなければなりません。
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昭和三十六年八月三日、 旧六月二十二日(1961年) (ひふみ神示 第三十四巻)(922) 幽界霊も時により正しく善なることを申すなれど、 それは只申すだけであるぞ。 悪人が口先だけで善を語るようなものであるぞ、 よいことを語ったとて直ちに善神と思ってはならん。 よい言葉ならば、 たとへ悪神が語ってもよいではないかと申すものもあるなれど、 それは理屈ぢゃ、 甘ければ砂糖でなくサッカリンでもよいではないかと申すことぞ。 真の善言真語は、 心、言、行、一致であるから直ちに力する、 言葉の上のみ同一であっても、 心、言、行、が一致しておらぬと力せぬ。 偽りの言葉は、落ちついてきけばすぐ判るぞ、 同じ「ハイ」と言ふ返事でも、 不満をもつ時と喜びの時では違ふであろうがな。 われは天照太神なり、 などと名乗る霊にロクなものないぞ、 大言壮語する人民はマユツバもの。
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幽界霊も時により正しく善なることを云いますが、それは只云うだけなのです。 悪人が口先だけで善を語るようなものなのです。 良いことを語ったとしても直ちに善神と思ってはなりません。 良い言葉ならば、たとへ悪神が語ってもよいではないかと云う者もいますが、それは理屈です。 甘ければ砂糖でなくサッカリンでもよいではないかと云うことなのです。 真の善言真語は、心、言、行、一致であるから直ちに力します。 言葉の上のみ同一であっても、心、言、行、が一致していないと力を発揮しません。 偽りの言葉は、落ちついてきけばすぐ判ります。 同じ「ハイ」と言う返事でも、不満をもつ時と喜びの時では違ふでしょう。 われは天照太神なり、などと名乗る霊にロクなものはいません。 大言壮語する人民はマユツバものなのです。
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幽界霊も時には正しく善なることを云います。 ですが、それは只云うだけです。 悪人が口先だけで善を語るようなものです。 よいことを語ったとて、直ちに善神と思ってはなりません。 良い言葉が並べば、例え悪神が語っても良いではないかと云う方たちもいます。 ですが、それは理屈です。 甘ければ、砂糖でなくサッカリンでも良いではないかと云うことと同じです。 真の善言真語は「心、言、行」の一致ですから、直ちに力となります。 言葉の上のみ同一であっても、「心、言、行」が一致していないと力となりません。 偽りの言葉は落ちついてきけば直ぐに判ります。 同じ「ハイ」と言う返事でも、不満をもつ時と喜びの時では違うでしょう。 我は天照太神なり、などと名乗る霊にロクなものはいません。 大言壮語する人民はマユツバものです。
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先日のアマテラスなどと名乗る輩も本人はそうは思って無くてもしっかり操られている結果かもしれませんね。
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昭和三十六年八月三日、 旧六月二十二日(1961年) (ひふみ神示 第三十四巻)(921) 時に、例外として人間の魂と動物の魂と入れ替ってゐることもあるぞ、 この場合は肉体に入り込んだと考へてよいぞ。 こう言ふ場合、例へばそれが狐ならば狐の様相を露呈するから、 誰にでもすぐ判るなれど、 悪行を積んだ霊ともなれば巧みに、 その時代々々の流れに合せて化けているから、 中々見破ること六ヶ敷いぞ、 心得なされよ。 或る種の霊は、 自分自身は高度な神界に住んでゐると誤信してゐるものもあるが、 こうした霊が感応した場合は自信を以って断言する場合が多い、 人間が知らぬ世界のことを、 自信を以って強く告げられると、 多くのサニワは参って了ふぞ。
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時に、例外として人間の魂と動物の魂と入れ替っていることもあります。 この場合は肉体に入り込んだと考へてよいのです。 こう言う場合、例へばそれが狐ならば狐の様相を露呈するから、誰にでもすぐ判るのですが、悪行を積んだ霊ともなれば巧みに、その時代々々の流れに合せて化けているから、中々見破ることは難しいのです。 心得なさい。 或る種の霊は、自分自身は高度な神界に住んでいると誤信しているものもいますが、こうした霊が感応した場合は自信を以って断言する場合が多い、人間が知らない世界のことを、自信を以って強く告げられると、多くのサニワは参ってしまうのです。
霊でも自分の住んでる世界のことを誤信していることもあるようです。 人類が地球劇場に住んでることを理解できていないような状態なのかも。
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時に、例外として、人間の魂と動物の魂とが入れ替っていることもあります。 この場合は肉体に入り込んだと考えてよいのです。 こう言う場合、例へば、それが狐ならば狐の様相を露呈するから、誰にでもすぐ判ります。 ですが、悪行を積んだ霊ともなれば巧みに、その時代々々の流れに合せて化けているから、中々に見破ることは難しいです。 人民は心得ていなさい。 或る種の霊は自分自身は高度な神界に住んでいると誤信しているものもあります。 こうした霊が感応した場合は自信を以って断言する場合が多いです。 人間が知らぬ世界のことを、自信を以って強く告げられると、多くのサニワは参ってしまいます。
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昭和三十六年八月三日、 旧六月二十二日(1961年) (ひふみ神示 第三十四巻)(920) 動物霊が人間の言葉を使ふことは、 フに落ちないと申すものが沢山あるなれど、 よく考へて見よ、例へば他人の家に入って、 其処にある道具類をそのまま使用するのと同じ道理ぢゃ、 判りたか、動物霊でも他の霊でも人間に感応したならば、 その人間のもつ言葉を或る程度使いこなせるのであるぞ、 故に日本人に感応すれば日本語、 米人なれば英語を語るのであるぞ。 今の偉い人民がこの神示をよむと、 理屈に合わん無茶苦茶な文章であるから、 下級霊の所産だと断ずるなれど、 それは余りにも霊界の事を知らぬ霊的白痴であることを、 自分で白状してゐるのぞ、 気の毒ぢゃなあ、 ましてこの神示は八通りに読めるのであるから、 いよいよ判らん事になるぞ。
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動物霊が人間の言葉を使うことは、フに落ちないと云う者が沢山いますが、よく考えて見なさい。 例えば他人の家に入って、其処にある道具類をそのまま使用するのと同じ道理なのです。 判りましたか。 動物霊でも他の霊でも人間に感応したならば、その人間のもつ言葉を或る程度使いこなせるのです。 故に日本人に感応すれば日本語、米人なれば英語を語るのです。 今の偉い人民がこの神示をよむと、理屈に合わん無茶苦茶な文章であるから、下級霊の所産だと決め付けますが、それは余りにも霊界の事を知らぬ霊的白痴であることを、自分で白状しているのです。気の毒ですね。 ましてこの神示は八通りに読めるのであるから、いよいよ判らないことになるのです。
核心部分は変らないまでも、人それぞれ不平等に出来てますのでそれぞれが気づくポイントはそれぞれの経験や体験によるためにそうなるのだと思いました。
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動物霊が人間の言葉を使うことは腑に落ちないと云う方たちが沢山います。 ですが、よく考えて見なさい。 例えば、他人の家に入って、其処にある道具類をそのまま使用するのと同じ道理です。 判りましたか。 動物霊でも他の霊でも人間に感応したならば、その人間のもつ言葉を或る程度は使いこなせます。 故に、日本人に感応すれば日本語、米人に感応すれば英語を語るのです。 今の偉い人民がこの神示を読むと、理屈に合わん無茶苦茶な文章であるから、下級霊の所産だと断じます。 なれど、それは余りにも霊界の事を知らない霊的に白痴であることを、自分で白状していることと同じす。 大変に気の毒な方たちです。 まして、この神示は八通りに読めるのであるから、いよいよ判らない事になります。
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『 ましてこの神示は八通りに読めるのであるから、いよいよ判らん事になるぞ。 』 これは、解読の出来なかった人の言い訳にしたいと思います。 |
昭和三十六年八月三日、 旧六月二十二日(1961年) 霊には物質は感覚の対象とはならない、 霊には、人間の肉体は無いのと同じである。 祖先霊に化けて何かを企てる動物霊が多いから注意せよ。 動物霊が何故祖先のことを知るかと申せば、 その憑依の対象となる人間の肉体霊の知ってゐることを、 直ちに知り得るからである。
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霊には物質は感覚の対象とはなりません。 霊には、人間の肉体は無いのと同じなのです。 祖先霊に化けて何かを企てる動物霊が多いから注意しなさい。 動物霊が何故祖先のことを知るかと云えば、その憑依の対象となる人間の肉体霊の知っていることを、直ちに知り得るからなのです。
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霊には物質は感覚の対象とはなりません。 霊には人間の肉体は無いのと同じです。 祖先霊に化けて、何かを企てる動物霊が多いから注意しなさい。 動物霊が何故祖先のことを知るかと云えば、その憑依の対象となる人間の肉体霊の知っていることを、直ちに知り得るからです。
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『 その憑依の対象となる人間の肉体霊の知ってゐることを、直ちに知り得るからである。』 その記憶などをいじりながらいたずらしたりするんですね。 分析する気持ちが必要です。
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昭和三十六年八月三日、 旧六月二十二日(1961年) (ひふみ神示 第三十四巻)(918) 人間の肉体に他の霊が入って自由にしてゐるのだと、 多くの霊覚者やサニワが信じてゐるなれど、 事実そう見へるなれど、 それは誤りであるぞ。 人間の肉体は原則として真理の宿り給ふ神の生宮であるから、 下級霊は中々に入ることは出来ん。 例外はあるなれど、肉体霊、外部霊、副守護霊等の想念は、 時によって動物的、幽界的となるものであるから、 それと同一波調の動物的霊が感応する、 感応はするが肉体の内部迄は入り込めない、 しかし感応の度が強ければ入ったと同様に見へる状態となるのである。 先祖霊も大体同様であるぞ。
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人間の肉体に他の霊が入って自由にしているのだと、多くの霊覚者やサニワが信じていますが、事実そう見えますが、それは誤りなのです。 人間の肉体は原則として真理の宿り給う神の生宮ですから、下級霊は中々に入ることは出来ん。 例外はありますが、肉体霊、外部霊、副守護霊等の想念は、時によって動物的、幽界的となるものですから、それと同一波調の動物的霊が感応する、感応はするが肉体の内部迄は入り込めない、しかし感応の度が強ければ入ったと同様に見える状態となるのです。 先祖霊も大体同様であるぞ。
しかし、肉体の内部までは基本的に入り込まないようです。
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人間の肉体に他の霊が入って自由にしているのだと、多くの霊覚者やサニワが信じています。 事実その様にも見えますが、それは誤りです。 人間の肉体は原則として真理の宿り給う神の生宮ですから、下級霊は中々に入ることが出来ません。 例外はあります。 肉体霊、外部霊、副守護霊等の想念は時によって動物的、幽界的となります。 ですから、それと同一波調の動物的霊が感応する、感応はするが肉体の内部迄は入り込めないのです。 しかし、感応の度が強ければ入ったと同様に見える状態となるのです。 先祖霊も大体が同様です。
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なるほど、自分の考え方に周りにいる霊が波長を合せるわけですね。 ひふみの神の子を理解する時はこういう知識は必要ですね。
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