The Earth is Controlled by Evil Alien


NO4101 


天明の大飢饉 


ロックさんのメール

ロックです。

天明の大飢饉探してみました。

コノハナサクヤ姫が祭神の浅間山が噴火したのが原因なのですね。


http://www.tabiken.com/history/doc/M/M246L100.HTM

天明の大飢饉 てんめいのだいききん

江戸時代の四大飢饉(寛永・享保・天明・天保)の一つ。ふつう1782年(天明2)から同8年までの諸国大飢饉をさす。この飢饉の直接的な原因は,連年の冷害・多雨による凶作であるが,藩の財政事情による過重な年貢負担や,商品経済の浸透に伴う商人資本の収奪等の社会的要因も無視できない。天明2年には,瀬戸内・九州・近畿などの地方が凶作となり,尾張以西の地に凶作や米価高騰を原因とする一揆・打毀しが発生した。同3年には一揆・打毀しは,東北地方から中国地方までの各地に発生した。同年7月信濃国の浅間山が大爆発し,上野・信濃両国には多数の被災者を生じさせ,降灰も広範囲にわたって農作物に被害を与えた。浅間山の爆発による微細な灰が大気圏に拡散し,日照量を減少させ,以後1〜2年の冷害の要因となったことも無視できない。翌4年の気候は平年に近づいたが,前年の凶作による飢餓と疫病のため,東北地方などで多数の死者を出している。同5・6年の東北・関東その他の冷害・多雨・洪水が,同7年の飢饉を発生させている。以上のように,凶作の年の翌年前半のいわゆる端境期に,食糧の欠乏や物価の高騰が深刻化し,飢餓状態が激化し,一揆・打毀しが頻発する。津軽藩の場合は,財政の窮乏を解消するため,天明初年から殖産興業政策に着手するが成功せず,金5千両・米3万俵の大損失を出した。この穴埋のため藩は,領内に新検地を行って年貢の増収をはかり,備荒蓄米の供出や藩士の俸禄の3分の1の借上を強行した。同藩は天明2,3年の凶作に際し,領内の危機状態を軽視し,米価高騰は藩財政を好転させる好機として,江戸・大坂への廻米を推進した。一方,米不足に直面した民衆は,廻米の中止と米の安売を要求して,同3年7月各所で打毀しをおこしている。藩は民衆の反抗を押え込んで江戸廻米を強行したため,領内の米は払底し,飢饉の被害を増大させた。天明3年9月〜翌年6月までの津軽藩内の餓死者は8万1702人と記録されている。東北地方の天明の飢饉に関しては,悲惨なエピソードが多い。食物を確保できなくなった農民家族は栄養失調に陥り,疫病にかかったり,家を棄てて流浪しても食物にありつけず死に追いやられた。上層の農民の場合も,金銭が豊富でも米を売ってくれる相手をみつけがたく,また一家のために確保した食料を狙う飢人の攻撃も避けがたく,疫病の流行から身を守ることも困難だった。飢人たちが草木の根や壁土を食べ,犬猫や病死した馬の肉を食べ,さらに死亡した家族や他人の肉を口にしたという話も多数伝えられている。人肉を口にしたという話の真偽については検討の余地があるが,天明の飢餓の惨状から多分にあり得たことである。なお天明の飢饉は程度の差こそあれ,関東・中部・中国・九州などの山間部村落にも発生していた。1786年(天明6)関東地方は,7月には大雨のため利根川が氾濫し,上野・武蔵両国で水害があった。翌天明7年に入ると米価の高騰が著しく,生活に窮迫した江戸の下層住民は,5月19日夜から江戸市中の米屋・商家など多数を打毀した。この騒動が鎮静したのは同月23日である。またこれより先,5月10日〜12日のあいだに大坂市中でも米問屋などの打毀しが発生している。これ以後各地の城下町・宿場町・門前町などで米騒動と打毀しが多発している。天明の飢饉と江戸打毀しが幕府権力に与えた衝撃は大きく,すでに天明6年8月老中職を罷免された田沼意次を支持してきた幕府首脳の勢力は衰え,東北地方の南端の白河藩主で,天明の凶作に際して領民の救済に尽力し,領内から餓死者を出さなかったといわれる松平定信の老中就任(同7年6月)が早められたのである。


http://www.try-net.or.jp/
~h-arita/sharaku/shiryo/tenmei.html

(1782〜1787)

天明二年(1782)、「田沼時代」若い多くの農民達は、労多く益の少ない農業に見切りをつけて、景気の良い江戸や大阪などの都市を目指し、一攫千金を求めて流入をしていました。  

 このため唯でさえ農村が荒廃していた処に東北地方で冷害が起こり、食料の需給が追いつかず大凶作となり、さらに翌年には浅間山が大爆発し、関東甲信越から東北地方の広範囲に火山灰が降り、飢饉は更に深刻なものとなり、噴火で舞い上がった灰は150kmほど離れた江戸にも及んだといわれています。

 浅間山の大噴火があった天明三年から天明五年にかけての東北地方の飢饉はひどく、津軽藩だけでも餓死・疫病死者は十三万人を数えたといいます。

 蘭学者の杉田玄白によると、もともと貧しい人たちは生産の手だてがなく、親子兄弟を見捨ててわれ先にと他領に行き、なげきながら食べ物をねだるが、行く先々の土地の者も飢饉で同じように飢えで苦しんでいるので、他の村の者には目もかけず、飯を与えることはしない。日々に千人、二千人の流民たちが餓死している。

 また出ることができずに残った人たちは、食べ物はすべて食べ尽くし死んだ人の体を切り取って食べていたということであり、 天明三年から四年の間に全国で何万人という数知れない人が餓死した。本当におそろしい年であったと「著作・後見草」でその惨状を伝えています。


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J_Coffee/keizaishi0.html

(2000/11/4) 田沼時代と寛政の改革

田沼意次は、暗君といわれた、将軍・家重、家治を支え、側用人、老中として20年間幕政を取り仕切りました。彼は、商業活動を重視した優れた政治家でした。

開発した蝦夷地や三陸の海産物を中国に輸出したり、平賀源内に命じて、漢方薬の国産化に成功したりして、貿易収支を改善します。新しい産業が発展し、貨幣経済が広がります。新田開発が盛んになり、農業生産も高まりました。

長期政権は、必ず腐敗します。彼の唯一の欠点は、ご承知のとおり、賄賂が大好きだったことです。田沼の屋敷に京人形の大きな箱が、送られます。開けてみると、なんとビックリ生身の京美人が入っていたそうです。 しかし、賄賂は表面上の理由で、彼を窮地に追いやったのは、次の大事件なのです。

1783年(天明3年)浅間山が突然大噴火します。

降り積もる火山灰と日照不足から、冷害が発生し、奥羽地方の農作物は全滅、 多くの人が飢え死にします。(天明の大飢饉1782〜86)

各地で一揆、打ちこわしが発生、政情不安が高まります。 幕府は、庶民の恨みをそらすため、最高責任者を生贄(いけにえ)にしようと企てます。

1786年、賄賂政治を糾弾する怪文書が流布され、田沼意次は失脚します。奥州白河の藩主・松平定信が老中になり倹約令、異学の禁などを発令、寛政の改革(1787〜93年)が実施されます。

田や沼や濁れる御世をあらためて、清く澄ませ白河の水

こんな落首がはやり、熱狂的人気の中、清廉潔白な松平定信は、改革を推進します。ところが、松平は賄賂は取らないが、経済音痴で倹約ばかりします。江戸の町は、ますます不景気になります。西洋の学問も禁止され、日本は世界から取り残されます。

白河のあまり清きに耐えかねて、濁れる元の田沼恋しき

不景気に苦しんだ江戸庶民は、田沼の政策手腕を懐かしみ、こんな落首を詠みました。

◆◆さて、最近の日本列島の火山・地震活動が活発ですね。◆◆

◆◆不景気で株もさっぱり。 ◆◆

◆◆新時代を切り開く田沼意次のような大政治家で、賄賂をとらない人。◆◆

◆◆ 早く出てきて、総理大臣になって下さい。◆◆



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