月光の巻第四十四帖(831)・ 第四十五帖 (832)
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ロックです。 解読再開です。
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この道に入ると損をしたり、病気になったり、怪我をすることがよくあるなれど、 それは大難を小難にし、 又めぐりが一時に出て来て、 その借銭済しをさせられてゐるのぢゃ。 借りたものは返さねばならん道理ぢゃ。 損もよい、病気もよいぞと申してあろうが。 此処の道理もわきまへず理屈申してゐるが、 そんな人民の機嫌とりする暇はなくなったから、 早う神心になって下されよ。 そなたは祈りが足らんぞ。 祈りと申すのは心でゐのり願ふことでないそ。 実行せねばならん。 地上人は物としての行動をしなければならんぞ。 口と心と行と三つ揃はねばと申してあること、忘れたか。
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この道に入ると損をしたり、病気になったり、怪我をすることがよくありますが、それは大難を小難 にして、又そのために「めぐり」が出て来て、その「めぐり」による借銭済ましをさせられているのです。借りたものは返さなくてはならない道理です。 損も良い、病気も良いと言っているでしょう。 此処の道理もわきまえず理屈を云っていますが、そんな人民の機嫌取りする暇は無くなりましたので早く神心になって下さい。 そなたは祈りが足りません。 祈りというのは心で祈り願うことでないのです。 実行しなくてはなりません。 地上人は物質世界の一員として行動をしなくてはなりません。 口と心と行と三つ揃わねばと言ってあること忘れましたか。
ここの道理=ひふみの道の道理=身魂磨きの道のルール? 物質世界では、祈るだけではだめで、一歩一歩ずつ自分自身の足で出来る範囲のことから動かなくては「神」も手助けしようがないようです。 自らが考え、動く事、その際に心の方向性もうまく導きながら行うことは必要なのかと思います。 ただ、人民の機嫌取りする暇は無くなりましたとありますので急ぐ必要はあるようです。
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この道に入ると損をしたり、病気になったり、怪我をすることがよくあります。 ですが、それは大難を小難にし、又、因果の巡りが一時に出て来て、その借銭済しをさせられているのです。 借りたものは返さねばならないのが道理です。 損もよい、病気もよい、のです。 此処の道理もわきまえずに理屈を云っていますが、そんな人民の機嫌取りをする暇は無くなりました。 時間の余裕がなくなりましたから、そなたは早く神心になって下さい。 そなたは祈りが足りません。 祈りと云うのは心で祈り願うことではないのです。 心で祈り実行しなければならないのです。 地上人は物としての行動を実施しなければならないのです。 口と心と行の三つが揃わないとダメなのです。 このこと、くどく説明したのに忘れたのですか。
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そなたは祈りが足らんぞ。 祈りと申すのは心でいのり願うことでないぞ。 実行せねばならん。 地上人は物としての行動をしなければならんぞ。 口と心と行と三つ揃わねばと申してあること、忘れたか。 地上人は物としての行動をしなければいけない=地球にいる人類は神サタンの所有物ということを意識して行動しなければならないということでしょうか。
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jula です。 こんな感じでいかがでしょうか?
この道≒ひふみに示された事をわきまえた生き方?に切り替えていくと、なんだか損をしたり、病気、怪我などが目に付くようになります。 このため、ついつい愚痴ったり、投げやりになったり、何かのせいにしてみたりと不平不満ばかり言ったりします。
でもそれは、ひふみに示された事をわきまえた生き方に切り替えていくことで、大難となってしまうところが病気や怪我といった小難として現れるようになります。
また、めぐりが一時に出て来て
あれこれ表出するもめごと、厄介ごとなどのめぐりを、めぐりとりの一環として認識し受け入れつつも乗り越えていく事で借銭済まし その際の表れが、損、病気、怪我などの、比較的軽いものとしてあらわれやすくなっているのです。 (損、病気、怪我といったものであれば、気は滅入りますがどうにも立ち行かなくなるという事はないですね。 ただ、何かの祟りだ〜とか受け止めてしまうと精神的に参ってしまって結構ヤバイ事態に陥るかもしれませんが)
サタンの地の理では、誤った?勘違い?した道理が横行しています。 一人一人がそこを見極め、本来の道理に戻す、修正していく事が借銭済ましになっていくのです。
ですから、損や病気はある意味ありがたい現れなのです。
これらの事をわきまえていたら、不平不満など出ようはずもありません。
しかしもう事態は切迫していますので、誰にでも分かってもらうための腐心をする暇も無くなって来てしまいました。 分かる人、分かった人から早くめぐりとり、借銭済ましを果たして、神が何を望んでいるのかを察してください。
あなたがたは祈りが足りません。 祈りというのは心の中で神を頼って祈願することではありません。 神が何を望んでいるのかを察する事ができるよう、ひふみに示された道理にそって実行していくことです。
地上人は言うなれば車や馬、もしくはその車の整備士や調教師みたいなものです。 (そして神や霊が本当ののり手。コンディションの良い車・良くトレーニングされた馬と良い乗り手によってすばらしいパフォーマンスが発揮できるのです) 先ずは物として、きちんと機能するようにトレーニングしてメンテナンスをし良く磨き上げて下さい。 決して自らが神や神から選ばれた能力者などと驕り高ぶるような勘違いに囚われる事のないように努めてください。 そうやって、口と心と行と三つ揃はねば、を果たす事が出来るのです。 この事忘れる事のないようにしてください。 ?“口と心と行”がちょっとわかりません。
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マコトに祈れと申してあろう。 マコトとは (マ)123456789(コ)10(ト)のことと申してあろう。 只心でゐのるばかりでは、自分で自分をだますこととなるのぢゃ。 自分をいつわることは神をいつわることとなるのぢゃ。 マコトでゐのれば何事もスラリスラリとかなふ結構な世ぞ。
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真・誠に祈りなさいと云っているでしょう。 誠・真とは、 (マ)123456789(コ)10(ト)のことと云ってあるでしょう。 (○(神)が作った地球劇場を123456789まで一歩一歩歩んだことによって得られる10(答え?や思い)) ただ(妄想した、単に想像した)心で祈るばかりでは、自分で自分を騙すことになるのです。 自分を偽ることは神を偽ることになるのです。 真・誠で祈れば何事もスラリスラリと叶う結構な世なのです。
善も悪も超越した存在の思いを察した祈りを追求したいものです。
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誠・真に祈りなさいと言いつけているでしょう。 真・誠とは{○(マ)123456789(コ)10(ト)} のことです。 只、心で祈るばかりでは自分で自分を騙していることになるのです。 自分を騙すことは神を騙すこととなるのです。 誠・真で祈れば、何事もスラリスラリとかなう良い世の中です。 。
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○(マ)=最初に神があります。 9(コ)10(ト)=コト・言〜最後には神の世となる。
マコト=真(真実の結末の成就)に対して祈れ? 偽者の神に祈るではないと言っているように聞こえます。 マコトとは○1234567910、暗号のようですが、今はわかりません。
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ロックです。 julaさんわかりやすい説明ありがとうございます。 口と心と行についてですが、口(話すこと)と行(行動)の間にある心(本音)が ひふみの道理に繋がっているものでなければ、うまくいくものではないということでしょうか。 何気に、その時、神の乗り物になる人間の肉体も、どういうスタンスで磨き上げるかという心構えが結果に反映するような気もします。 ▽自らが神や神から選ばれた能力者などと驕り高ぶるような勘違いに囚われる事 こういう心構えを内包して育てていけば、最後のところまで行かなくとも、これまでの経験からサタンの関係者の方々の乗り物にされちゃいますね。 この場合は、されるというより、自分から波長を合わせるわけだから、 自ら進んでされに行くというところでしょうか。 自意識が高い場合、 基本は「三日月藻作戦」から始まり、万物の霊長だという認識をまず捨てることでしょうか。 対等に天使のような存在と会話が出来るような立場でないと考えることも、思い上がりを捨てる上では必要かなと思いました。 そこをスタートラインとして、彼等のようになれるように目指す姿勢を構築し、一歩一歩歩むというところでしょうか。 「盲目的に信じて行動する」から「自分で考え行動する」に切り替えていくことも、云うは易く、行うが難しだと思います。 個人的な話で恐縮ですが、最初の頃はその心情故、 「何故このサイトの考えがわからないのだ」 と自らの作り上げた正義を振り回して各種掲示板で論争した覚えもあります。 ただ四月二十日騒動は、本気で当初来ると感じてましたので、その中では一人でも多くの方々を助けたいという思いはありましたが、思いが荒削りゆえ(ひふみ道の初心者?) その振りかざした正義はサタン側にとってはとっても好都合であったかと思います。 勝手に争いを増やしてくれてるのでしょうから。 でも、その時のがむしゃらな行動がルフランさんとの出会いに結び付けてくれたのであれば、とても報われる思いはあります。 あれから二年経ちましたが、いやあ、ひふみ道はまだまだ難しいです(^^;;;;
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トッチです。
数玉の世界では、 「思いと、言う事と、行動が一致しているもの」 と思います。 「本音と建て前、捻くれ、嘘偽りは通用しません」 ので、今のままの臣民がミロクの世で生きるにはとても辛い環境となるのでしょうね。 そして、それらが一致していれば、自然と神に祀らう生活をしている事と思います。 |
jula です。
“地上人は物”であるのなら、神なり霊の収まるべき容れ物をさしているのだと思います。 馬は自身の思考や感覚はあるのですが、騎手に乗りこなされることで不安や心配をせずに思い切り走れるのだと思います。 すると、“口と心と行と三つ揃はねば”は必ずしも地上人のみを対象にしている訳では無いかな? と思いました。 ちょっと前に
なんて記述のある帖を検索の引き合いに出させてもらったと思います。 三位一体って本来はこの神界、霊界、現界をあわせた事をさしているのかもしれませんね。 そんな感じで口心行はそれぞれ神霊現に対応しているのかな?と思いました。 そう考えた場合、口心行と神霊現はどれがどれと対応しているのかが分かりませんでした。 案外順番そのままで、口=神、心=霊、行=現 なのかもしれません。 口=方向性の示唆←神、 心=心構えであったり意義の確認←霊、 行=実践していくべき対象。←現界
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