トッチさんのメール
トッチです。
月光は太陽に照らされて輝いているんですよね。
あんまり関係ないか。
次の第7帖に出て来る「おろしやの悪神」について調べているのですが、もう寝る時間となりましたので明日にします。
1944年の神示ですので、戦争が終盤に差し掛かりロシアが満州を攻めてくる事を事前に知らせて神示に関心を持たせようとした“つかみ”なのか、もっと深い意味が有るのか考えていました。
神示で言う「おろしやの悪神」とは何か。
日の出の巻 第二十帖に、
「オロシヤの悪神(あく)と申すは泥海の頃から生きてゐる悪の親神であるぞ。」
とあります。
関心のある方は解読にチャレンジしてみませんか^^
(意訳)
ロシアに乗り込んでいた極悪の悪神が、いよいよ神の国に攻め寄せて来ます。
北に気つけなさい。
北がいよいよのキリギリですと執念(くどう)深く注意していた事が近くなりました。
既存の宗教の神に縁の深い者には深いだけに見せしめあるのです。
国々もその通りです。
神には依怙(えこ)無いのです。
ロシアの悪神の御活動と云うものは神々様にもこれは到底かなはんと思うくらい激しい御力があるのです。
臣民と云うものは神の言葉(こと)が会得らないので悪神の事に御とつけるのは会得らないと云うでしようが、御とは力一杯の事、精一杯の事、を意味しているのです。
何処から攻めて来ても神の国には「悪神には分らない仕組」を致してありますから、心配ないのです。
いよいよと成った時には神が誠の神力を出して、天地を揺すぶりトコトン降参ですと云うまでギュウギュウと締めつけてあげます。
万劫末代云う事を聞きますと改心する処まで揺さぶるから、神の国、神の臣民は心配をすることはありません。
心を大きくして御用してください。
何処に居ても御用している臣民は助けてあげます。
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julaさんのメール
jula です。
相対するもの=善・悪、男・女、等々各々が片方の現れ。
決して別々のものではなく、本来一つのものの別の現れ方。
両方合わせて和せよ。
一と二(奇数と偶数もしくはマイナスとプラス)合わせて三とせよ。
とすると、ひふみの相対する巻き、ついでに帖が相対しているならその帖もうまく見
つかるとその通りなのかも知れませんね。
片方の巻きはある一方から見た、もしくはある一方の側について言及したもの。
対応する巻きがその反対側について言及したもの。
そして、両方合わせて解釈することで、その真意が汲み取れる、なんて作りになって
いるのでしょうか?。
日の出の巻きと月光の巻きあたりであれば、さしずめミロク側についてとサタン側に
ついて言及されている
可能性が高そうですね。
ある意味相対となっているのであれば確認しやすいかも知れません。
ついでに、ロックさん、トッチさん、私と3人でやっているのも意味がでてきちゃい
そうですね?!
ついでに、“そなた”、“この方”などは、相対する巻きのどこかに、その対象につ
いての呼び名なりが書かれているなんて事があるのでしょうか?
ふと、思いましたので。
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トッチさんのメール
トッチです。
相対、リンクしていそうな神示が今後もまた見つかると面白いですね。
ついでに、ロックさん、トッチさん、私と3人でやっているのも意味がでてきちゃいそうですね?!
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でてきちゃうかも。
そう言えば3人ですねぇ。
不思議なもんです。。。。
皆さん活動する時間帯が違うのも日の出と月光みたい。
さて寝よ!
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ロックさんのメール
ロックです。
“おろしあの悪神”は、手駒のように使ってきたヒトラーを潰した“あいつ”ですかね。
ユダヤ支配層のバックにいる“あいつ”?
最近はヒトラーも南米に逃れていたなんてのも出てきてますし
ヒトラーが、ロスチャイルドの血を引くとの話も出てきてますので、
戦争を起こすユダヤ層のバックにいる存在を“おろしあの悪神”としたかも。
「おろし」
とかけてるんですかね?
身内にも辛いことするから?
月人の王も取っ替え引っ替えだから、ひどいかな?
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julaさんのメール
jula です。
季節、神の現れ?などに関しては必ずしも相対とはならないので、
相対に限らず関連
性のありそうな巻きを並べてみました。
NO 巻き 関連性1 関連性2 関連性3 関連性4
1 上つ巻 下つ巻
2 下つ巻 上つ巻
3 富士の巻
4 天つ巻 地つ巻
5 地つ巻 天つ巻
6 日月の巻
7 日の出の巻 月光の巻
8 磐戸の巻
9 キの巻
10 水の巻
11 松の巻 梅の巻
12 夜明けの巻 光の巻
13 雨の巻 風の巻 岩の巻 荒の巻 地震の巻
14 風の巻 雨の巻 岩の巻 荒の巻 地震の巻
15 岩の巻 雨の巻 風の巻 荒の巻 地震の巻
16 荒の巻 雨の巻 風の巻 岩の巻 地震の巻
17 地震の巻 雨の巻 風の巻 岩の巻 荒の巻
18 光の巻 夜明けの巻
19 マツリの巻
20 梅の巻 松の巻
21 空の巻 海の巻
22 青葉の巻
23 海の巻 空の巻
24 黄金の巻 白銀の巻 黒鉄の巻 紫金の巻
25 白銀の巻 黄金の巻 黒鉄の巻 紫金の巻
26 黒鉄の巻 黄金の巻 白銀の巻 紫金の巻
27 春の巻 夏の巻 秋の巻 冬の巻
28 夏の巻 春の巻 秋の巻 冬の巻
29 秋の巻 春の巻 夏の巻 冬の巻
30 冬の巻 春の巻 夏の巻 秋の巻
31 月光の巻 日の出の巻
32 扶桑の巻
33 碧玉の巻
34 星座の巻
35 竜音の巻
36 極めの巻
37 至恩の巻
38 五葉の巻
39 紫金の巻 黄金の巻 白銀の巻 黒鉄の巻
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ひふみ神示 第七巻 日の出の巻 第七帖(220)
昭和十九年十二月六日、
旧十月二十一日(1944年)
おろしやにあがりておりた極悪の悪神、愈々神の国に攻め寄せて来るぞ。 北に気つけと、北が愈々のキリギリざと申して執念(くどう)気つけてありた事近ふなりたぞ。 神に縁深い者には、深いだけに見せしめあるのざぞ。 国々もその通りざぞ、
神には依怙(えこ)無いのざぞ。 ろしあの悪神の御活動と申すものは神々様にもこれは到底かなはんと思ふ様に激しき御力ぞ。 臣民と云ふものは神の言葉(こと)は会得らんから悪神の事に御とつけるのは会得らんと申すであろが、
御とは力一杯の事、
精一杯の事を申すのであるぞ。 何処から攻めて来ても神の国には悪神には分らん仕組致してあるから、心配ないのざぞ、
愈々と成りた時には神が誠の神力出して、
天地ゆすぶってトコトン降参ざと申す処までギュウギュウと締めつけて、
万劫末代いふ事聞きますと改心する処までゆすぶるから、
神の国、神の臣民 心配致すでないぞ、
心大きく御用して呉れよ、
何処に居
ても御用してゐる臣民助けてやるぞ。 十二月六日、
ひつ九か三。
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(意訳)
ロシアに乗り込んでいた極悪の悪神が、いよいよ神の国に攻め寄せて来ます。
北に気つけなさい。
北がいよいよのキリギリですと執念(くどう)深く注意していた事が近くなりました。
既存の宗教の神に縁の深い者には、深いだけに見せしめあるのです。
国々もその通りです。
神には依怙(えこ)無いのです。
ロシアの悪神の御活動と云うものは、神々様にもこれは到底かなはんと思うくらい激しい御力があるのです。
臣民と云うものは、神の言葉(こと)が会得らないので悪神の事に御とつけるのは会得らないと云うでしようが、
御とは力一杯の事、精一杯の事、を意味しているのです。
何処から攻めて来ても、神の国には「悪神には分らない仕組」を致してありますから、心配ないのです。
いよいよと成った時には、神が誠の神力を出して、天地を揺すぶりトコトン降参ですと云うまでギュウギュウと締めつけてあげます。
万劫末代云う事を聞きますと改心する処まで揺さぶるから、神の国、神の臣民は心配をすることはありません。
心を大きくして御用してください。
何処に居ても、御用している臣民は助けてあげます。
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(解説)
オロシアの悪神についてロックさんのご意見
おろしあの悪神は、
「手駒のように使ってきたヒトラーを潰した“あいつ”」
ですかね。
「ユダヤ支配層のバックにいる“あいつ”?」
最近はヒトラーも南米に逃れていたなんてのも出てきてますし、ヒトラーがロスチャイルドの血を引くとの話も出てきてますので戦争を起こすユダヤ層のバックにいる存在をおろしあの悪神としたかも。
おろしとかけてるんですかね?
身内にも辛いことするから?
月人の王も取っ替え引っ替えだからひどいかな?
トッチ
ロックさん、ご意見ありがとうございます。
18世紀、ロシアがポーランド分割に関わり、リトアニアの旧知地を併合した時にロシア帝国内のユダヤ人口が増えました。
ですので、ユダヤ支配者層と繋がりを考える事も出来ますし、マルクスを支援したと言われるユダヤの存在も浮かんできます。
そうしますと神サタンへと繋がる要素があるのかもしれませんね。
または、鬼門(北東)に封印されたと言うウシトラノコンジンに関係するのかもしれないと考えました。
しかし、北に気をつけよとあります。
また、日の出の巻 第二十帖には、
「オロシヤの悪神(あく)と申すは泥海の頃から生きてゐる悪の親神であるぞ。」
とあります。
ですので、これらを複合的に考えスサノオの大神に相対する存在をオロシアの悪神と考えてみました。
道を司る神(陽)に対する悪の親神(陰)。
この悪の親神は、すなわち神サタンと見ても良いのかもしれません。
または、泥の海を前回のノアの大洪水と捉えますと、オロシアの悪神を月人と見る事も出来そうです。
それらから、都市攻撃は北方から開始され南下する事もふまえ、
「サタンの支配下にある存在が北から攻めてきますので注意しなさい」
と読めそうです。
そうしますと、都市攻撃についての内容となりますね。
都市攻撃からノアの大洪水へとシナリオは進みますが、その際に既存の宗教の神に縁の深い者には深いだけに見せしめあるのです。
人類をサタンの思惑通りに導いてしまったのですから、仕方ありません。
国家レベルでも同じです。
神サタンの御活動たるや、天使でも敵わない程の力があるのです。
サタンは悪の御用を全力で仕上げてきます。
しかし、身魂の掃除を済ませ、型の出来た臣民には
「悪神には分らない仕組」
を用意してますので安心してください。
いよいよと成った時には大天使達が誠の神力を出して、天地を揺すぶりトコトン(神サタンが)降参ですと云うまでギュウギュウと締めつけてあげます。
万劫末代云う事を聞きますと改心する処まで揺さぶるから、神の国、神の臣民(ミロクの臣民)は心配をすることはありません。
心を大きくして御用してください。
何処に居ても“御用している”臣民は助けてあげます。
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ひふみ神示 第七巻 日の出の巻 第八帖(221)
昭和十九年十二月七日、
旧十月二十二日(1944年)
一二三(ひふみ)の食物(たべもの)に病無いと申してあろがな、
一二三の食べ方は一二三唱(十七)へながら噛むのざぞ、
四十七回噛んでから呑むのざぞ、
これが一二三の食べ方頂き方ざぞ。
神に供へてから此の一二三の食べ方すれば何んな病でも治るのざぞ、 皆の者に広く知らしてやれよ。
心の病は一二三唱へる事に依りて治り、
肉体の病は四十七回噛む事に依りて治るのざぞ、
心も身も分け隔て無いのであるが会得る様に申して聞かしてゐるのざぞ、
取り違い致すでないぞ。
日本の国は此の方の肉体と申してあろがな、
何んな宝もかくしてあるのざぞ、
神の御用なら、何時でも、何んなものでも与へるのざぞ、
心大きく持ちてどしどしやりて呉れよ。
集団(まどい)作るなと申せば、ばらばらでゐるが裏には裏あると申してあろが、
心配(こころくば)れよ。
十二月七日、
ひつくのかみふで。
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(意訳)
一二三(ひふみ)の食物(たべもの)に病は無いのです。
一二三の食べ方は一二三を唱(十七)へながら噛むのです。
四十七回噛んでから呑みこむのです。
これが一二三の食べ方頂き方です。
神に供へてから此の一二三の食べ方すれば、何んな病でも治ります。
皆の者に広く知らしてください。
心の病は一二三唱へる事に依りて治り、肉体の病は四十七回噛む事に依りて治るのです。
心も身も分け隔て無く、会得(えとく)する様に説明しているのです。
ですから、意味を取り違いして理解してはいけません。
日本の国は此の方ミロクの肉体と云っています。
何んな宝も隠してあるのです。
(日本中に必要な情報は神話・伝説・教典などなどに隠して配置してあります)
神の御用なら、何時でも、何んなものでも、与へるのです。
心を大きく持ち、どしどしやりなさい。
集団(まどい)は作るなと云えば、ばらばらでいるが裏には裏あると説明しているでしょう。
心を配(こころくば)りなさい。
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(解説)
・「取り違いするなよ」
と有りますので、一二三料理レストランで食事をする時のマナーを言っているのでは無いと言う事でしょう。
ですので、この様に解釈しました。
一二三に書かれている内容は進化・弥栄への道そのものなのです。
一二三の生かし方は、まず一二三を良く読む事です。
そして、書かれている事を、良く良く噛み砕き理解し、腹に入るまで何時でも行うのです。
これが一二三の食べ方、頂き方です。
心に神有りきで、この一二三の食べ方をすれば、どんな病でも治ります。
皆さんに広く知らせてあげてください。
病と言っても、医学的な病気の事ではありません。
身魂における、大宇宙の「真理、法則」が求める「進化に次ぐ進化、弥栄」へ通ずる“道”との不一致を病と表現したのです。
一二三の食べ物を47回噛んで食べると癌や神経症が治るだなんて取り違いをしないで下さい。
宝
『日本の国はこの方の肉体と言っているのです。 色んな宝も隠していますよ。』
(B語彙アラカルト NO 12 より)
「宝」の全てが特定の目的を達成する為の情報であるからです。
分かりやすい例えで云いますと、「都市攻撃」の時の「避難の情報・知識」を「ひふみ神示」では「宝」と云っているのです。
・宝につきましては情報以外に、身魂の洗濯の甲斐が有り、神懸りしたミロクの臣民の事も言っているのではないかと考えています。
神の御用であれば「宝」を何時でもどんなモノでも与えるのですから、心を大きくもって(安心して)どしどし神(ミロク)の御用をして下さい。
集団・組織は作るなと言えば、ばらばらでやっているようですが、ちゃんと事情を理解した上で御用を務める良い手立てを打ってください。
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julaさんのメール
jula です。
トッチさんお見事!!
食べ方とばかり言っているのではなく、頂き方、解釈の仕方も言っていそうだなぁと
は思えましたが、こんないい感じにはまとめられませんでした。
原文を読む際に、“食べ方”と出てきたら全て“頂き方”と読み替えてしまうと若干
読みやすかったり、解釈しやすくなるかもしれないですね。
あと、他の帖でも“食べ方”であったりなんらかの仕草について、正しいやり方の例
えとして表現されているかもしれませんね。
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ひふみ神示 第七巻 日の出の巻 第九帖(222)
昭和十九年十二月八日、
旧十月二十三日(1944年)
人、神とまつはれば喜悦(うれ)しうれしぞ、
まつはれば人でなく神となるのぞ、
それが真実(まこと)の神の世ぞ、
神は人にまつはるのざぞ、
と と申してあろが、
戦も と 壊し合ふのでは無いぞ、
と とまつらふことぞ、
岩戸開く一つの鍵ざぞ、
和すことぞ、
神国真中に和すことぞ。
それには 掃除せなならんぞ、
それが今度の戦ぞ、
戦の大将が神祀らねばならんぞ。
二四(にし)は剣(つるぎ)ざぞ。
神まつりは神主ばかりするのではないぞ、
剣と鏡とまつらなならんぞ、
まつはれば霊(たま)となるのざぞ。
霊なくなってゐると申して知らせてあろがな、
政治も教育も経済の大将も神祀らねばならんのぞ。
天の天照皇大神様は更なり、
天の大神様、
地(くに)の天照大神様、
天照皇太神様、
月の神様、
特に篤く祀り呉れよ、
月の大神様
御出でまして闇の夜は月の夜となるのざぞ。
素盞鳴の大神様も篤く祀りて呉れよ、
此の神様には毎夜毎日御詑びせなならんのざぞ、
此の世の罪穢(つみけがれ)負はれて陰から守護されて御座る尊い御神様ぞ、
地の御神様、土の神様ぞ、
祓ひ清めの御神様ぞ、
国々の産土の神様 祀り呉れよ、
遅くなればなる程 苦しくなるのざぞ、
人ばかりでないぞ。
十二月八日、
ひつ九のか三。
使用された特殊文字
|
(意訳)
人が神とまつはれば、喜悦(うれ)し嬉です。
まつはれば、人でなく神となるのです。
それが真実(まこと)の神の世です。
神は人にまつはるのです。
(神の国・日本)と (外国)と説明しています。
戦も (神の国・日本)と (外国)と壊し合うのではありません。
(神の国・日本)と (外国)とをまつらふことです。
岩戸を開く一つの鍵なのです。
和すことです、
神の国の真中に和すことなのです。
それには (外国)を掃除せねばなりません。
それが今度の戦いです。
戦の大将が神を祀らねばならないのです。
二四(にし・西欧)は剣(つるぎ・戦争)です。
神を祀るのは神主ばかりがするのではないのです。
剣と鏡とまつらなければなりません。
まつはれば、霊(たま)となるのです。
霊なくなっていると云って知らせています。
政治も教育も経済の大将も神を祀らねばなりません。
天の天照皇大神様は当然です。
天の大神様、
地(くに)の天照大神様、
天照皇太神様、
月の神様、
などは特に篤く祀りしてください。
月の大神様が御出でまして闇の夜は月の夜となるのです。
素盞鳴の大神様も篤く祀りしてください。
此の神様には毎夜毎日御詑びしなければなりません。
此の世の罪穢(つみけがれ)負はれて陰から守護されている尊い御神様です。
地の御神様、
土の神様です。
祓ひ清めの御神様なのです。
国々の産土の神様も祀りしてください。
遅くなればなる程、苦しくなるのです。
人ばかりでないのです。
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(解説)
岩戸を開く一つの鍵として、 (神の国・日本)と (外国)を神の国の真ん中に和す事だそうです。
和す為には (外国)を掃除しなければならないようです。
外国にミロクの仕組みを知らせ理解を促すのが、今度の戦。
その後、岩戸開きの時節到来となるのでしょか。
臣民は、神々の働きを理解し祀らねばなりません。
遅くなればなる程、苦しくなります。
人と神は身魂の奥深くで相通じておりますので、人ばかりでなく神々も苦しくなります。
人と神はまつはらなければいけません。
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トッチさんのメール
トッチです。
今夜はゆっくりしようと思いますので、早めに神示を
出しておきます。
2つだけ。
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ひふみ神示 第七巻 日の出の巻 第十帖(223)
昭和十九年十二月十日、 旧十月二十五日(1944年)
桜咲き神の御国は明けそめにけり。
十月になったらぼつぼつ会得るぞと申してあろがな。
叩(はたき)かけてばたばたと叩く処もあるぞ、
箒(ほうき)で掃く処もあるぞ、
雑巾かけしたり水流す処もあるのざぞ、
掃除始まったらばたばたに埒(らち)つくと申してあろがな、
めぐりだけの事は、
今度は何うしても借銭無しにするのざぞ、
花咲く人もあるぞ、
花散る人もあるぞ。
あめのひつ九のかミの御神名書かすぞ、
それを皆の者に分けてやれよ。
聴き度い事はサニワで聞けよ、 何んなことでも聞かしてやると申してあろがな、
神せけるぞ。
火吹くぞ。
火降るぞ。
十二月十日、
ひつくのか三。
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(意訳)
桜咲き神の御国は明けそめにけり。
(長い歳月のあとの春の季節、岩戸開きの桜の花は開き、神の国日本は明け渡ります)
臣民、十月になったらぼつぼつ会得るぞと云っています。
叩(はたき)かけてばたばたと叩く処もあります。
箒(ほうき)で掃く処もあります。
雑巾かけしたり水流す処もあります。
掃除が始まったらばたばたに埒(らち)つくと説明してあります。
めぐりだけの事は、今度は何うしても銭借無しにするのです。
(岩戸開きの出来事で、地上の世界の大掃除の様子の説明をしています)
花咲く人もあるし、花散る人もあるのです。
(神の携挙の認定試験に合格する人、落第する人もあるのです。)
あめのひつ九の神の御神名書かせますので、それを皆の者に分けてあげなさい。
聴き度い事はサニワで聞きなさい。
何んなことでも聞かしてやると云っていたでしょう。
神は急ぐのです。
(都市攻撃で頭上に)
火が吹きます。
火が降ります。
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(解説)
・「10月になったら岩戸開き(都市攻撃)の話は本当だったんだ・・・」
と、分ってくるようです。
地上の大掃除の様子を、こうすると分りやすくて面白いかもしれません。
「はたきかけて叩く処」
最後まで改心する事の無かった、高い地位にいる支配者層の掃除。
「箒で掃く処」
神懸り出来なかった、しようとしなかった一般人民の掃除。
「雑巾かけしたり水流す処」
最終的な大洪水。
全体としましては、分りやすい神示だと思います。
julaさん
ここの明けは夜明けを指すのでしょうか?
朝焼けに染まる?
トッチ
掃除が行われた後、神の御国に日が昇って朝焼けに染まるのでしょうかね。
太陽神の世に移り代わるってことでしょうか。
julaさん
叩(はたき)かけてばたばたと叩く処もあるぞ、
箒(ほうき)で掃く処もあるぞ、
雑巾かけしたり水流す処もあるのざぞ、
掃除始まったらばたばたに埒(らち)つくと申してあろがな、
|
現界の掃除
掃除をするにはまず高いところにある塵埃を叩き落とします。
→鼻高の方々を叩き落とす事になります。
政治的に地位の高い方々でしょうか?
裏で世界を操っている方々でしょうか?
宗教を利用している方々でしょうか?
トッチ
全ての方々が当てはまるのだと思います。
ただ、鼻高は地位や立場に関わらず、誰にでも持ちえる要素ですね。
そして低いところに落ちた塵埃ゴミを箒で掃出します。
julaさん
そうして塵埃ゴミが無くなったら雑巾がけして綺麗に磨きます。
場所によっては水をかけて塵埃ゴミを洗い流すところもあります。
掃除始まったらばたばたに埒(らち)つくと申してあろがな
|
そうやって現界の掃除が始まったならば、ばたばたに埒(らち)ついていきます。
家の掃除をする如く、やはり順番があるみたいですね。
この帖の記述の通りだと、
高いところから掃除して、床掃除、最後に一番低いところなどは水で流すようです。
(場合によっては風呂場のような水場をさしているのかもしれませんが)
これがある事で、掃除のみでなく火が吹く、火が降る事がある事を示しているようで
す。
噴火や都市攻撃などを指しているのかもしれませんね。
トッチ
高い所から低い所へ。。。
「水のように」
を思い出しますね。
結局は悪の仕組みも大宇宙の法則には逆らっていないようです。
と言いますか、大宇宙の法則の枠内で悪の御用も務められているのでしょうね。
お陰様で、
「岩戸開き=掃除=都市攻撃」
のあり方が、もっとイメージしやすくなりました。
ありがとうございました。
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ひふみ神示 第七巻 日の出の巻 第十一帖(224)
昭和十九年十二月十一日、
旧十月二十六日(1944年)
江戸に道場作れよ、
先づ一二三(ひふみ)唱へさせよ、
神示読みて聞かせよ、
鎮魂(みたましずめ)せよ、
鎮神(かみしずめ)せよ、
十回で一通り会得る様にせよ、
神祀りて其の前でせよ、
神がさすのであるからどしどしと運ぶぞ。
誠の益人作るのぞ、
此んな事申さんでもやらねばならぬ事ざぞ、
神は一人でも多く救ひ度さに夜も昼も総活動してゐる事 会得るであろがな、
神かかれる
人 早う作るのぞ、
身魂せんだくするぞ、
神かかりと申しても狐憑きや天狗憑きや行者の様な神憑りでないぞ、
誠の神憑りであるぞ、
役員 早う取りかかり呉れよ。 十二月十一日、
一二 。
使用された特殊文字 
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(意訳)
江戸(諸都市)に道場を作りなさい。
先づ、一二三(ひふみ)唱へさせなさい。
神示を読みて聞かせなさい。
鎮魂(みたましずめ)をしなさい。
鎮神(かみしずめ)をしなさい。
十回で一通り会得する様にさせなさい。
神を祀りて其の前で致しなさい。
神が実行させるのですから、どしどしと運びます。
誠の益人を作るのです。
此んな事を云わなくても実行することなのです。
神は一人でも多く救いたいので夜も昼も総活動している事を会得できます。
神懸かりされる人を早く急いで作るのです。
神懸かりできるように身魂を洗濯します。
神懸かりと云っても、狐憑きや天狗憑きや行者の様な神憑りではないです。
誠の神憑りです。
役員は早く取りかかりなさい。
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(解説)
太陽さん
携挙の対象の方は神懸かりできる人達のようです。
トッチ
“誠の神懸かり”とは、改心により身魂の曇りが取れたことで自らの内にある神との繋がりに気付いた状態を言いますので、狐憑きを神懸りと勘違いしないよう注意しなければなりませんね。
狐憑き、天狗憑き、霊懸かりにつきましては、こちらを御覧下さい。
千成さんが、4116(霊感による受信の一例)でとても良い説明をなさっておりますので参考にして頂ければと思います。
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ひふみ神示 第七巻 日の出の巻 第十二帖(225)
昭和十九年十二月十二日、
旧十月二十七日(1944年)
日に日に厳しくなりて来ると申してありた事 始まってゐるのであるぞ、
まだまだ激しくなって何うしたらよいか分らなくなり、あちらへうろうろ、こちらへうろうろ、頼る処も着るものも住む家も食ふ物も無くなる世に迫って来るのざぞ。
それぞれにめぐりだけの事はせなならんのであるぞ、
早い改心はその日から持ちきれない程の神徳与へて喜悦(うれ)し喜悦(うれ)しにしてやるぞ、
寂しくなりたら訪ねて御座れと申してあろがな、
洗濯次第で何んな神徳でもやるぞ、
神は御蔭やりたくてうづうづしてゐるのざぞ、
今の世の様見ても未だ会得らんか。
神と獣とに分けると申してあろが、
早う此の神示(ふで)読み聞かせて一人でも多く救けて呉れよ。
十二月十二日、
ひつ九のか三。
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(意訳)
岩戸開きが始まり、日に日に厳しくなるようになると説明していた事が始まっているのです。
まだまだ激しくなって何うしたらよいか分らなくなります。
あちらへうろうろ、こちらへうろうろ、頼る処も着るものも住む家も食ふ物も無くなる世が迫って来るのです。
それぞれにめぐりだけの事はしなければならないのです。
早い改心はその日から持ちきれない程の神徳を与へて、喜悦(うれ)し喜悦(うれ)しにしてあげます。
寂しくなりましたら、訪ねてきなさいと云っているでしょう。
身魂の洗濯の出来具合で何んな神徳でも与えます。
神は御蔭(御利益)を与えたくてウズウズしているのです。
今の世の様を見ても未だ会得出来ませんか。
ミロクは神と獣とに分けると説明してあります。
早く此の神示(ふで)を読み聞かせて、一人でも多く救けてください。
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(解説)
岩戸開きが始まり、いよいよ激しくなってきますと何をどうする事も出来なくなります。
物質的にも精神的にも窮地に追い込まれ、平常心でなどいられるものではありません。
都市攻撃は熾烈を極め、ノアの大洪水で人類が生き延びる術は有りません。
人それぞれ相応のメグリが来ます。
そんな世が迫っています。
出来るうちに、改心をしておかなければなりません。
「今の世の様を見ても未だ会得出来ませんか」
太陽さんが逐一、イラク関連などの情報を寄せてくださっています。
読んで深く考えれば、何かが判って来るものと思います。
いつの日か、ミロクに獣と判断されないよう、早くの改心をお勧めします。
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トッチさんのメール
トッチです。
天と地を分けて捕らえてはいけません。
一方だけを見ては片輪です。
天は地であり、地は天である。
別ではありません。
表裏一体でしょうか。
長いので読みやすいように、おおよそ分割しただけにしました。
最後に「臣民、吾れ善しはでは破棄となります。」
とあります。
強調しますが破棄ですよ、“破棄”。
ミロクに獣と選別されないように改心第一ですね。
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日の出の巻 第十三帖 (226)
此れまでの仕組や信仰は方便のものでありたぞ。
今度は正味(せうまつ)の信仰であるぞ、
神に真直(ますぐ)に向ふのざぞ。
日向(ひむか)と申してあろがな。
真上(まうへ)に真すぐに神を戴いて呉れよ、
斜めに神戴いても光は戴けるのであるが、
横からでもお光は戴けるのであるが、
道は真すぐに、
神は真上に戴くのが神国のまことの御道であるぞ。
方便の世は済みたと申してあろがな、
理屈は悪ざと申して聞かしてあろが、
今度は何うしても失敗(しくじる)こと出来んのざぞ。
神の経綸(しぐみ)には狂ひ無いなれど、
臣民 愈々苦しまなならんのざぞ、
泥海に臣民のたうち廻らなならんのざぞ、
神も泥海にのたうつのざぞ、
甲斐ある御苦労なら幾らでも苦労甲斐あるなれど、
泥海のたうちは臣民には堪(こば)られんから早う掃除して神の申す事
真すぐに肚に入れて呉れよ。
斜めや横から戴くと光だけ影がさすのざぞ、
影させば闇となるのざぞ、
大きいものには大きい影がさすと臣民申して、
止むを得ぬ事の様に思ふてゐるが、
それはまことの神の道知らぬからぞ、
影さしてはならんのざぞ、
影はあるが、それは影でない様な影であるぞ、
悪でない悪なると知らせてあろが。
真上に真すぐに神に向へば影はあれど、
影無いのざぞ、
闇ではないのざぞ。
此の道理 会得るであろがな、
神の真道(まみち)は影無いのざぞ、
幾ら大きな樹でも真上に真すぐに光戴けば影無いのざぞ、
失敗(しくじり)無いのざぞ、
それで洗濯せよ掃除せよと申してゐるのぞ、
神の真道(まみち)会得(わか)りたか。
天にあるもの地にも必ずあるのざぞ、
天地合せ鏡と聞かしてあろがな、
天に太陽様ある様に地にも太陽様(おひさま)あるのざぞ、
天にお月様ある様に地にもお月様あるのざぞ。
天にお星様ある様に地にもお星様あるのざぞ。
天からい吹(ぶ)けば地からもい吹くのざぞ、
天に悪神あれば地にも悪神あるのざぞ。
足元気つけと申してあろがな。
今の臣民 上許り見て頭ばかりに登ってゐるから分らなくなるのざぞ、
地に足つけよと申してあろが、
地 拝(おろが)めと、地にまつろへと申してあろが、
地の神様 忘れてゐるぞ。
下と申しても位の低い神様のことでないぞ、
地の神様ぞ、
地にも天照皇太神様、
天照大神様、
月読大神様、
須佐鳴之大神様あるのざぞ、
知らしてあること、神示克く読んで下されよ、
国土の事、国土のまことの神を無いものにしてゐるから世が治まらんのざぞ。
神々祀れと申してあろがな、
改心第一と申してあろがな、
七人に伝へと申してあろがな、
吾れ善しはちょんぞ。
十二月十四日、
ひつくのかみ。
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(意訳)
此れまでの仕組や信仰は方便のものであったのです。
今度は正味(せうまつ)の信仰であるのです。
神に真直(ますぐ)に向うのです。
日向(ひむか)と説明してあるでしょう。
真上(まうへ)に真すぐに神を戴いてください。
斜めに神を戴いても光は戴けるのです。
横からでもお光は戴けるのです。
ですが、道は真すぐに、神は真上に戴くのが神国の真の御道であるのです。
方便の世は済みました。
理屈は悪です。
今度は何うしても失敗(しくじる)こと出来ないのです。
神の経綸(しぐみ)には狂いは無いなのです。
臣民はますます苦しまなければならなくなるのです。
泥海に臣民のたうち廻らなければならないのです。
神も泥海にのたうちまわるのです。
甲斐ある御苦労なら幾らでも苦労するだけの甲斐があるのですが、泥海のたうちは臣民には堪(こば)むことができませんので、早く掃除して神の云う事を真すぐに肚に入れてください。
斜めや横から戴くと光だけ影がさすのです。
影させば闇となるのです。
大きいものには大きい影がさすからしかたがないと臣民は云って、止むを得ない事の様に思つています。
しかし、それは真の神の道を知らないからです。
影をさしてはなりません。
影はあるが、それは影でない様な影であるのです。
悪でない悪になると知らせてあるでしょう。
真上に真すぐに神に向へば、影はありますが、影は無いのです。
闇ではないのです。
此の道理を会得出来るでしょう。
神の真道(まみち)は影が無いのです。
幾ら大きな樹でも真上に真すぐに光を戴けば、影は無いのです。
失敗(しくじり)は無いのです。
それで身魂の洗濯をしなさい、洗濯をしなさいと云っているのです。
神の真道(まみち)の会得(わか)の意味を理解しましたか。
天にあるもの地にも必ずあるのです。
天地合せ鏡と聞かしてあるでしょう。
天に太陽様ある様に地にも太陽様(おひさま)あるのです。
天にお月様ある様に地にもお月様あるのです。
天にお星様ある様に地にもお星様あるのです。
天からい吹(ぶ)けば、地からもい吹くのです。
天に悪神あれば、地にも悪神あるのです。
足元に注意しなさいと云っているでしよう。
今の臣民は上ばかり見て、頭ばかりに登っているから分らなくなるのです。
地に足つけよと注意しているでしょう。
地を拝(おろが)め、地にまつろへ、と云っています。
地の神様を忘れているのです。
下と申しても位の低い神様のことでないのです。
地の神様のことです。
地にも天照皇太神様、天照大神様、月読大神様、須佐鳴之大神様あるのです。
知らしてあること、神示を良く読んで下さい。
国土の事、国土の真の神を無いものにしているから世が治まらないのです。
神々を祀れと云っているでしょう。
改心が第一と云っているでしょう。
七人に伝へと云っているでしょう。
臣民、吾れ善しはでは破棄となります。
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(解説)
これまでの仕組みや信仰は、言ってみれば「なんちゃって」です。
今度の(ひふみを腹に入れる)が、正味の信仰です。
太陽に真っ直ぐ向かうのです。
神(のお陰)を戴くのは斜めでも真横からでも戴けるのですが、道は真っ直ぐに、神は真上に戴くのが神国の真の御道であるのです。
真っ直ぐについては、神示を読み進めていけば自然と判って来ます。
方便の世は済みました。
理屈は悪です。
理屈では取り違いを誘いますし、何も判りません。
一二三を腹に入れることが大事なのです。
今度は何うしても失敗(しくじる)こと出来ないのです。
改心にしくじる事は、この世からの消滅を意味します。
神の経綸(しぐみ)には狂いは無いなのです。
臣民はますます苦しまなければならなくなるのです。
泥海に臣民のたうち廻らなければならないのです。
(ノアの大洪水ですと、のた打ち廻る暇も無いかもしれませんね)
神も泥海にのたうちまわるのです。
甲斐ある御苦労なら幾らでも苦労するだけの甲斐があるのですが、泥海のたうちは臣民には堪(こば)むことができませんので、早く掃除して神の云う事を真すぐに肚に入れてください。
斜めや横から戴くと光だけ影がさすのです。
影させば闇となるのです。
狐憑き、霊懸かりの隙を与える事になります。
大きいものには大きい影がさすからしかたがないと臣民は云って、止むを得ない事の様に思つています。
しかし、それは真の神の道を知らないからです。
影をさしてはなりません。
影はあるが、それは影でない様な影であるのです。
悪でない悪になると知らせてあるでしょう。
(矛盾に満ちた、この世の仕組みを良く見てください。 そして、それを当たり前の事と捉えないで下さい。 この世の常識に囚われないで下さい)
真上に真すぐに神に向へば、影はありますが、影は無いのです。
闇ではないのです。
此の道理を会得出来るでしょう。
神の真道(まみち)は影が無いのです。
幾ら大きな樹でも真上に真すぐに光を戴けば、影は無いのです。
失敗(しくじり)は無いのです。
それで身魂の洗濯をしなさい、洗濯をしなさいと云っているのです。
神の真道(まみち)の会得(わか)の意味を理解しましたか。
天にあるもの地にも必ずあるのです。
天地合せ鏡と聞かしてあるでしょう。
天に太陽様ある様に地にも太陽様(おひさま)あるのです。
天にお月様ある様に地にもお月様あるのです。
天にお星様ある様に地にもお星様あるのです。
天からい吹(ぶ)けば、地からもい吹くのです。
天に悪神あれば、地にも悪神あるのです。
足元に注意しなさいと云っているでしよう。
今の臣民は上ばかり見て、頭ばかりに登っているから分らなくなるのです。
地に足つけよと注意しているでしょう。
地を拝(おろが)め、地にまつろへ、と云っています。
地の神様を忘れているのです。
下と申しても位の低い神様のことでないのです。
地の神様のことです。
地にも天照皇太神様、天照大神様、月読大神様、須佐鳴之大神様あるのです。
知らしてあること、神示を良く読んで下さい。
国土の事、国土の真の神を無いものにしているから世が治まらないのです。
神々を祀れと云っているでしょう。
改心が第一と云っているでしょう。
七人に伝へと云っているでしょう。
臣民、吾れ善しはでは破棄となります。
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ひふみ神示 第七巻 日の出の巻 第十四帖(227)
昭和十九年十二月十五日、
旧十一月一日(1944年)
お太陽(ひ)様円いのでないぞ、
お月様も円いのではないぞ、
地球も円いのではないぞ、
人も円いのが良いのではないぞ、
息してゐるから円く見えるのざぞ、
活(はたら)いてゐるから円く見えるのざぞ、
皆形無いものいふぞ、
息してゐるもの皆円いのざぞ。
神の経済この事から生み出せよ、
大きくなったり小さくなったり、
神の御心通りに活(はたら)くものは円いのざぞ、
円い中にも心(しん)あるぞ、
神の政治、この事から割り出せよ、
神は政事(まつりごと)の姿であるぞ、
神の政治生きてゐるぞ、
人の政治死んでゐるぞ。
十二月十五日、
一二 。
使用された特殊文字 
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(意訳)
お太陽(ひ)様が円いのでないのです。
お月様も円いのではないのです。
地球も円いのではなのです。
人も円いのが良いのではないのです。
息しているから円く見えるのです。
活(はたら)いているから円く見えるのです。
皆、形というものは 無いのです。
息しているもの皆円いのです。
神の経済、この事から生み出しなさい。
大きくなったり小さくなったり、神の御心通りに活(はたら)くものは 円いのです。
円い中にも心(しん)あります。
神の政治、この事から割り出しなさい。
神は 政事(まつりごと)の姿であるのです。
神の政治は 生きていのです。
人の政治は 死んでいるです。
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(解説)
円いから自然体なのではなく、自然体だから円いのです。
大宇宙の法則に適応しているから円く見えるのです。
神の経済、この事から生み出しなさい。
神のはたらきに逆らわないから、円いのです。
円い中にも心(しん)あります。
神の政治、この事から割り出しなさい。
神は、まつりごとそのものです。
神の政治は 生きていのです。
人の政治は 死んでいるです。
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トッチさんのメール
トッチです。
主観的観念論に走りすぎかも。
良い方に解釈しすぎたかも。
ひふみ神示 第七巻 日の出の巻 第十五帖 228
昭和十九年十二月十八日、
旧十一月四日(1944年) 228
十柱の神様 奥山に祀りて呉れよ、
九柱でよいぞ、
何れの神々様も世の元からの肉体持たれた生き通しの神様であるぞ、
この方合はして十柱となるのざぞ。
御神体の石 集めさしてあろがな、
篤く祀りて、辛酉(かのととり)の日にお祭りして呉れよ。
病あるかないか、
災難来るか来ないかは、
手届くか届かないかで分ると申してあろがな。
届くとは注(そそ)ぐ事ぞ、
手首と息と腹の息と首の息と頭の息と足の息と胸の息と
臍の息と脊首(せくび)の息と手の息と八所十所の息合ってゐれば病無いのざぞ、
災難見ないのざから、毎朝 神拝みてから克く合はしてみよ、
合ってゐたら其日には災難無いのざぞ、
殊に臍の息一番大切ざぞ、
若しも息合ってゐない時には一二三(ひふみ)唱へよ、
唱へ唱へて息合ふ迄 祷(ゐの)れよ、
何んな難儀も災難も無くしてやるぞ、
此の方
意富加牟豆美神(オホカムツミノカミ)であるぞ。
神の息と合はされると災難、病無くなるのざぞ、
大難小難にしてやるぞ、
生命助けてやるぞ、
此の事は此の方信ずる人でないと誤るから知らすではないぞ、
手二本 足二本いれて十柱ぞ、
手足一本として八柱ぞ、
此の事 早う皆に知らしてどしどしと安心して働く様にしてやれよ。
飛行機の災難も地震罪穢の禍も、
大きい災難ある時には息乱れるのざぞ、
一二三祝詞と祓え祝詞と神の息吹と息と一つになりておれば災難逃れるのぞ、
信ずる者ばかりに知らしてやりて呉れよ。
十二月十八日、
ひつ九か三。
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(意訳)
十柱の神様 奥山に祀てください。
九柱でよいです。
何れの神々様も世の元からの肉体を持たれた生き通しの神様です
(この方)ミロクを合計すると十柱となります。
御神体の石を集めさしてあるでしょう。
篤く祀てください。
辛酉(かのととり)の日にお祭りしてください。
病あるかないか、災難来るか来ないかは、手届くか届かないかで分るのです。
届くとは 注意して観るということです。
「手首の息」と「腹の息」と「首の息」と「頭の息」と「足の息」と「胸の息」と「臍の息」と「脊首(せくび)の息」と「手の息」と「その他の八所十所の息」が合っていれば病は 無いのです。
災難にあうことは 無いのですから、毎朝、神を拝みてから克く合はしてみなさい。
合っていたら其日には災難は無いのです。
殊に臍の息一番大切です。
若しも息合っていない時には 一二三(ひふみ)唱へなさい。
唱へ唱へて息合う迄、祷(ゐの)ることです。
何んな難儀も災難も無くしてあげます。
(此の方)ミロクは 意富加牟豆美神(オホカムツミノカミ)であるのです。
「神の息」と合はされると災難、病無くなるのです。
大難を小難にしてやれるのです。
生命助けてやれるのです。
此の事は (此の方)ミロクを信ずる人でないと誤るから一般には 知らしてはいけません。
手二本、足二本いれて十柱です。
手足一本として八柱です。
此の事は 早う皆に知らしてどしどしと安心して働く様にしてください。
飛行機の災難も地震罪穢の禍も、大きい災難ある時には息乱れるのですから、一二三祝詞と祓え祝詞と神の息吹と息と一つになっていれば災難から逃れられるのです。
信ずる者ばかりに知らしてあげてください。
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(解説)
太陽さん
この帖は 「なにやら信じれば救われる」というような宗教ぽい内容です。
情報としては {十柱の神様 奥山に祀てください。 九柱でよいです。 何れの神々様も世の元からの肉体を持たれた生き通しの神様です「(この方)ミロクを合計すると十柱となります。}から、身体(肉体)を持った・人間のような姿をした形で存在しているようです。
十柱・十人集というところでしょうか。
それが、皆さんであるかどうかは 今後の研究課題というところです。
この帖でも{(此の方)ミロク=意富加牟豆美神(オホカムツミノカミ)}であると記載されていて、災難や死を追い払うと説明しています。
{「神の息」と合はされると災難、病無くなるのです。 大難を小難にしてやれるのです。 生命助けてやれるのです。}
の項目は 天使達の結界の説明のようにも思えますが、「信じれば救われる」 という行は いただけないように思います。
そのせいでしょうか!
{此の事は (此の方)ミロクを信ずる人でないと誤るから一般には 知らしてはいけません。 }
とあります。
はなから、信じる信じないと騒ぐひとには よしんばこれが事実であたとしても有効でないことは事実ですが・・・・・・
トッチ
「辛酉(かのととり)の日にお祭りしてください。
病あるかないか、災難来るか来ないかは、手届くか届かないかで分るのです。
届くとは 注意して観るということです。
「手首の息」と「腹の息」と「首の息」と「頭の息」と「足の息」と「胸の息」と「臍の息」と「脊首(せくび)の息」と「手の息」と「その他の八所十所の息」が合っていれば病は 無いのです。」
常にアンテナを張り、満遍なく気を配っていれば、神との違和感が小さくなっていきます。
どんな災難に遭うのか、または災難を避けることが出来るかは、何処まで神の真実を理解出来るかに懸って来ます。
「災難にあうことは 無いのですから、毎朝、神を拝みてから克く合はしてみなさい。
合っていたら其日には災難は 無いのです。」
ハタから見て災難と思われることも、めぐり取りなのであり、自身が招いた物、自分の為である事に気がつきます。
「殊に臍の息一番大切です。
若しも息合っていない時には 一二三(ひふみ)唱へなさい。
唱へ唱へて息合う迄、祷(ゐの)ることです。」
中心(基盤)が肝心です。
一二三を読んで、良く理解し、行ってください。
「何んな難儀も災難も無くしてあげます。」
苦難も災難も、災難ではない事を理解させてあげます。
大難を小難にしてやれるのです。
生命(魂・身魂)助けてやれるのです。
此の事は (此の方)ミロクを信ずる人でないと誤るから一般には 知らしてはいけません。
(一二三を知らない人に言っても捉え違いを招くだけです)
飛行機の災難も地震罪穢の禍も、大きい災難ある時には息乱れるのですから、一二三祝詞と祓え祝詞と神の息吹と息と一つになっていれば災難から逃れられるのです。
信ずる者ばかりに知らしてあげてください。
(ミロクと一二三にご縁のある方を沢山作りなさい。 そして、その方々に知らせてあげて下さい)
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