月光の巻第六十帖 (847)・第六十一帖 (848)・ 第六十二帖 (849)
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ロックです。
解読も月光の巻は後三つです。
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そなたは自分の力を人に見せようとしてゐるが、無邪気なものぢゃのう。 自分の力がかくせぬようでは、頭に立つこと出来んぞ。 何も彼も出して了ったのでは味がなくなるぞ。 そなたはよく祈る。 祈ることは結構であるなれど、祈るばかりでものごと成就せんぞ。 為すには先づ祈らねばならんが、そなたはそなたの神にのみ祈ってゐるぞ。 為すのは己であるから、己にゐのらねばならんぞ。 己に祈りた後、己が為さねばならんぞ。 乳房与えられても自分で吸はねば自分の身にはつかぬ道理ぢゃ。 だが、為したのみでは未だ足らんぞ。 時々は省みなければならんぞ。 そなたは形や口先ばかりでものを拝んでゐるが、心と行と口と三つそろはねばならん。 三つ揃ふて拝むならば、どんなものでも与へられるのぢゃ。 拝む所へ ものは集まってくる。 神も集まってくる。 足らぬものなくなるぞ。 余ることなくなって、満たされるのが まことの富ぢゃ。 清富ぢゃ。
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そなたは自分の力を人に見せようとしていますが、無邪気なものですね。 自分の力が隠せないようでは、頭に立つことは出来ませんよ。 何も彼も出して了ったのでは味がなくなります。 そなたはよく祈ります。 祈ることは結構ですが、祈るばかりでは物事は成就しませんよ。 為すには先づ祈らねばなりませんが、そなたはそなたの神にのみ祈っています。 為すのは己であるから、己に祈らなければなりません。 己に祈りた後、己が為さねばなりません。 乳房与えられても自分で吸わなければ自分の身にはつかない道理です。 だが、為したのみでは未だ足りませんよ。 時々は反省しなくてはなりません。 そなたは形や口先ばかりでものを拝んでいますが、心と行と口と三つ揃わなくてはなりません。 三つ揃えて拝むならば、どんなものでも与へられるのです。 拝む所へ物は集まってくる。 神も集まってくる。 足らぬものは無くなるのです。 余ることが無くなって、満たされるのが誠・真の富なのです。 清富なのです。
特に一行目、対応している積りが、力(理解した分の)の見せびらかしにならないようにしたいものです。 祈るだけでは駄目で、実行しなくては成就しないという内容が再び出てきました。 ここでも、心と行と口と三つを揃えなくてはいけないと繰り返し出てきます。 拝む処へ物は集まり、神も集まって足らないものは無くなるそうです。 拝む姿勢は大事なことでもあるようですね。 月光の巻ならでは内容でしょうか。 清富という言葉はこの巻で見かけるものです。 ここでのそなたは、将来リーダーになるような方でしょうか?
自分の力が隠せないようでは、頭に立つことは出来ませんよ。 何も彼も出して了ったのでは味がなくなります。 自己顕示欲というかそれは、親譲り(サタンの特質?)でしょうか。 頭を低く、謙虚になることはどこの世界でも大事なことな事なのかも。
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そなたは自分の力を人に見せようとしていますが、無邪気なものですね。 自分の力が隠せないようでは頭に立つことは出来ません。 何も彼も出してしまつたのでは味が無くなります。 そなたはよく祈りますね。 祈ることは良いことですが、祈るばかりではものごとは成就しません。 為すには先づ祈らねばなりませんが、そなたはそなたの神にのみ祈っています。 為すのは己であるから、己に祈らねばなりません。 己に祈りをした後、己が為さねばならないのです。 乳房を与えられても自分で吸わねば、自分の身にはつかないのは道理です。 だが、為したのみでは未だ足りません。 時々は省みなければなりません。 そなたは形や口先ばかりでものを拝んでいますが、「心と行と口」の三つが揃わねばなりません。 三つ揃うて拝むならば、どんなものでも与えられるのです。 拝む所へものは集まってくるのです。 神も集まってくるのです。 足らぬものなくなります。 余ること無くなって、満たされるのが、真・誠の富です。 清富でなければなりません。
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この神示は個人的には痛いです。 ズキズキ来ます。 能ある鷹は爪隠すのような話と願望を達成するメカニズムについて述べてるようですが、単にこのページだけ見るだけでは、片手落ちで、これまでの神示を読んで理解した上で行わなければ、使い方次第では怪物を生んでしまうのではないかと。 分類としては、岡本天明生活手段編かと思います。 しかし時代を考えると今の能力開発に先駆けて、的確に言い当てている感じで、当座の生活には困らなかったでしょうね。 神も集まってくるとはどうでしょう? 『 拝む所へものは集まってくる。 神も集まってくる。 足らぬものなくなるぞ。 』 神も集まってくるとは?生活手段としてなら、方便かもしれませんが、 ひふみの神の子を理解して、ひふみの神の子を拝むなどの行為をする場合、 若干ニュアンスが変わってくるかと思います。 個人的な感想ですが、実際、ナポレオンヒルで奔走していた時より、 サイトに出会って活動してからの方が落着いて生活出来てます。 金銭面では(TT)ですが、表現に語弊がありますが、 恐らく「拝む」対象が違うからだと思います。 拝む=観察? 祀るの近い使い方で、つきまとう。 とかそんな感じでしょうか。 ただ問題は訓練と呼ぶべき物でしょうが 次から次へときりなくあります、、、、 サタンの訓練と天使の訓練は表裏一体かと、 八四八にも書かれてますが、一枚の紙にも裏表あるぞということでしょうね。 本人の取り方次第で、歩むレールのゴールは変わると思います。 それを選ぶのは、本人の魂の本質たる部分でしょうか。 岡本天明氏は、日本とユダヤ同祖論を追っかけていたようですので、金儲けと願望達成のノウハウはそこから得たものを入れた可能性はあるかと思います。 巻の名前は月光の巻ですから、ユダヤの神=月人?ヤハウェ=サタンでしょうか。 その光を受けるというかそんなイメージはあります。 岡本天明氏が、日ユ同祖論を考えていたおかげで、コードネーム太陽とノストラダムスを結ぶ鍵が形成しやすかったかも知れません。 少しスキッとしてきた感はあります。 もう少し考えを進めると、あめのひつくのかみが、ノストラダムスも岡本天明氏も誘導し必要なことを教育した上で、お筆先に現れたとするのは、行き過ぎでしょうか。 プロジェクトリーダーのあめのひつくのかみの極秘のプランはあったと思いますので、その計画の中に二人の教育プログラムがあったかも。
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ロックです。 後二つです。
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そなたの苦労は取越し苦労。 心くばりは忘れてならんなれど、取越し苦労、過ぎ越し苦労はいらん。 そうした苦労は、そうした霊界をつくり出して、自分自身がいらぬ苦労をするぞ。 何ごとも神にまかせよ。 そなたはまだ神業の取違ひして御座るぞ。 そなたの現在与えられてゐる仕事が神業であるぞ。 その仕事をよりよく、より浄化するよう行じねばならんぞ。 つとめた上にもつとめねばならん。 それが御神業であるぞ。 そなたはそなたの心と口と行が違ふから、違ふことが次から次へと折り重なるのぢゃ。 コト正して行かねばならんぞ。 苦を楽として行かねばならん。 苦と心するから苦しくなるのぢゃ。 楽と心すれば楽と出てくるのぢゃ。 ちょっとの心の向け方、霊線のつなぎ方ぞ。 そなたは悪人は悪人ぢゃ、神として拝めとは無理ぢゃと申してゐるが、一枚の紙にも裏表あるぞ。 そなたはいつも裏ばかり見てゐるから、そんなことになるのぢゃ。 相手を神として拝めば神となるのぢゃ。 この世は皆神の一面の現われであるぞ。
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そなたの苦労は取越し苦労です。 心配りは忘れてなりませんが、取越し苦労、過ぎ越し苦労はいりません。 そうした苦労は、そうした霊界をつくり出して、自分自身がいらぬ苦労をするのです。 何ごとも神にまかせなさい。 そなたはまだ神業の取違いしていますよ。 そなたの現在与えられている仕事が神業なのですよ。 その仕事をよりよく、より浄化するよう行じねばなりませんよ。 務めた上にも務めなければなりません。 それが御神業なのです。 そなたはそなたの心と口と行が違うから、違うことが次から次へと折り重なるのです。 コト正して行かねばなりませんよ。 苦を楽として行かねばなりません。 苦と心するから苦しくなるのです。 楽と心すれば楽と出てくるのです。 ちょっとの心の向け方、霊線のつなぎ方なのです。 そなたは悪人は悪人だ、神として拝めとは無理だと云っていますが、一枚の紙にも裏表あるのです。 そなたはいつも裏ばかり見ているから、そんなことになるのです。 相手を神として拝めば神となるのです。 この世は皆神の一面の現われなのですよ。
神業とは、現在与えられている仕事が神業のようです。 様々な皆様の仕事を浄化した時に、一厘の発動の手助けになるのかもしれません。 生き方のポイントは楽と心することのようです。 こういう内容は、元気が出るかもしれませんね。 どんな相手でも相手を神として拝めば神になるそうです。 確かに、拝まれて対応が悪い方もそういないと思いますので、 ある部分では和の使い方の一例でしょうか。 サタンも神と拝めば神になる? 一応創造主ですから神なんですが。 「大神のプランの中であえて悪になっている可能性も 0ではないのかな?」 とも多少考えますが、、、、
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そなたの苦労は取越し苦労です。 心くばりは忘れてなりませんが、取越し苦労、過ぎ越し苦労は不要なのです。 そうした苦労はそうした霊界を作り出して、自分自身が不要の苦労をするのです。 何ごとも神にまかせなさい。 そなたはまだ神業の取違いしています。 現在、そなたの与えられている仕事が神業であるのです。 その仕事をより良く、より浄化する様に行じねばなりません。 勤めた上にも勤めなければなりません。 それが御神業であるのです。 そなたはそなたの「心と口と行」が違うから、違うことが次から次と折り重なるのです。 コトを正して行かねばなりません。 苦を楽として行かねばなりません。 苦と心するから苦しくなるのです。 楽と心すれば、楽と出てくるのです。 ちょっとの心の向け方、霊線の繋ぎ方なのです。 そなたは「悪人は悪人です」から、「神として拝めとは無理です」と云っていますが、一枚の紙にも裏表があるのです。 そなたはいつも裏ばかり見ているから、そんなことになるのです。 相手を神として拝めば神となるのです。 この世は皆、神の一面の現われであるのです。
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誰が降ろしたんでしょう? 言葉尻に違和感を感じます。 ならんぞ=ひつくのかみなら、ならぬぞではないかと。 時代と共に変わるのでしょうか?! 何だか車のモデルチェンジみたいです。 創作でしょうか。 これも、一応は八四九に繋がる内容で心構えを述べているようですので、岡本天明生活手段編に入るかと思います。 でも取り方を少し変えて誰か特定の方に言っているとするならば、太陽もしくはサポートしている極貧生活を強いられている者達に対して励ましている神示で太陽に関連する皆さんの活動に入るかと思います。 一般的に自己啓発として読むならば、逆境を楽とせよ。 という感じです。 神業=本人をある一定の土俵に上げるための訓練ではないかと。 『 相手を神として拝めば神となるのじゃ。この世は皆神の一面の現れであるぞ。』 喧嘩をしないための極意でしょうか。
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ロックです。 これで月光の巻終了です。 期日が気になります三月三日なんですね。 日の出の巻には五月五日はあるのかな? |
そなたは現実世界のことばかりより判らんから、 現実のことばかり申して、 一に一たす二だとのみ信じてゐるが、 現実界ではその通りであるが、 それが平面の見方、考へ方と申すもの、 いくら極めても進歩も弥栄もないのぢゃ。 一に一たす一の世界、 一に一たす無限の世界、 超現実、霊の世界、立体の世界、立立体の世界のあることを 体得せねばならんぞ。 そなたは心をもって居ろうがな。 心があれば心の属する世界のある道理は判るであろうが。 心で描いて、心で先づつくり出してから行為することも、その順序も判るであろうがな。 心のうごきが先で、肉体がその後でうごくことも判って居ろうがな。 心の世界にないものは物質の世界にない道理も判って居ろうがな。 何故に迷ふのぢゃ。 霊界が主で現界が従であること、判って下されよ。 逆立してそなた自身で苦しんでゐること、早う得心して、うれしうれしで暮して下されよ。 三月三日。
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そなたは現実世界のことばかりしか判らないから、現実のことばかり云って、一に一たす二だとのみ信じています、現実界ではその通りですが、それが平面の見方、考へ方と云うもの、いくら極めても進歩も永久に繁栄することもないのです。 一に一たす一の世界、一に一たす無限の世界、超現実、霊の世界、立体の世界、立立体の世界のあることを体得しなければなりません。 そなたは心を持っているでしょう。 心があれば心の属する世界のある道理は判るでしょう。 心で描いて、心で先ず創り出してから行為することも、その順序も判るでしょう。 心の動きが先で、肉体がその後で動くことも判っているでしょう。 心の世界にないものは物質の世界にない道理も判っているでしょう。 何故に迷うのですか。 霊界が主で現界が従であること、判って下さい。 逆立してそなた自身で苦しんでいること、早う得心して、うれしうれしで暮して下さい。 三月三日。
昨年6月15日に解読を始めましたが、一年ぶりに解読を試みてみますと、 何とも現在、皆さんの努力により掴みかけの内容について触れているのかもしれません。 神界、霊界、現実界を理解し、あることを認識することで、一に一たす一の世界、一に一たす無限の世界、超現実、霊の世界、立体の世界、立立体の世界 を知るに至り、あることも体得しなくてはいけないとあります。 これまで人間の知識として存在しなかった、封印されていた、情報を隠蔽されてきたこれらの世界をまず心で意識し作り出すことで、神界、霊界に霊線がつながるのかも知れません。 世界は自分が作っているというのは、自分自身にとっては、当たりなのかも知れませんね。 神示の内容をよく理解し、三月三日のひな祭りの雛飾りのように、階段状に連なった世界を正しく認識し、心をめぐらせ、その思いを行動として表すことはとても大切なことかもと感じます。 前回よりは、見えるものが増えたかもしれません。 十年あれば、8通りの内の七通りまでは何とかいけるかも、、、しれません。 今年の目標(遅すぎる)は、解読内容の咀嚼して理解していく時期もあるかと思いますが、一年で2巡目、3巡目(まとめか?)を行けるようにしたいものです。
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そなたは現実世界のことしか判らないので、現実のことばかり云っています。 一に一たす二だとのみ信じています。 現実界ではその通りですが、それが平面の見方、考え方と云うものをいくら極めても進歩も永久の繁栄もないのです。 一に一たす一の世界、一に一たす無限の世界、超現実、霊の世界、立体の世界、立立体の世界のあることを体得せねばなりません。 そなたは心を持っているでしょう。 心があれば心の属する世界のある道理は判るでしょう。 心で描いて、心で先づ作り出してから行為することも、その順序も判るでしょう。 心の動きが先で、肉体がその後で動くことも判っているでしょう。 心の世界にないものは物質の世界にない道理も判っているでしょう。 何故に迷うのですか。 霊界が主で現界が従であることを判って下さい。 逆立して、そなた自身で苦しんでいることを早く得心してください。 そして、嬉し嬉しで暮して下さい。
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前半はこの世に隣接する世界のことに触れているようですので、太陽の本質達が活動している世界に関わるヒントになるかもしれません。 後半は、巷で流行っているイメージトレーニングや能力開発のノウハウの具体的に叶えたい状況や環境を発願して、実行するということを世に先駆けて出しているかと取りました。
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jula です。 こんな感じで。
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