良い宇宙人と悪い宇宙人,宇宙の真相, The Earth is Controlled by Evil Alien


NO4157 


扶桑の巻 第01帖 (001) ・第02帖 (002)・第03帖 (003)・ 第04帖 (004)・第05帖 (005)・第06帖 (006) 


ロックさんのメール

ロックです。

“月光の巻”から“扶桑の巻”に移りましたが、いきなり難しくなります。

難しいということは何か詰まってるかなという期待を込めて頑張りますーー。

扶桑という言葉を辞書で捜してみました。

こんな意味があるようです。

日本の異名なので、伊勢黙示録の富士の巻のような意味合いを持つのでしょうか。

中国から東方といえば日本海に当てはまりますね。

そこに宝でもあるのかも。

太陽という意味合いもあるというのは、気になる所です。


ふそう ―さう 0 【扶桑】

(1)昔、中国で、東方の海中にあるという神木。

日の昇る所という。

また、その木のある地。 扶木。

(2)日本の異名。

扶桑国。

「松島は―第一の好風にして/奥の細道」

(3)太陽。

「全く―の光なし/中右記」

山に関する意味合いを解読に加味してみました。

さんがく‐すうはい【山岳崇拝】

山岳を信仰の対象とする宗教形態。

山そのものに神秘性を認めたり、山を祖霊の住む他界と見なしてあがめたりする。

山岳信仰。 →修験道(しゆげんどう) →山岳仏教


扶桑の巻 第01帖 (001)

東は扶桑(二三)なり、

出づる秋(とき)は来にけり。

この巻 扶桑(二三)の巻、

つづく六の巻を合せて七の巻一百四十四帖の黙示を五十黙示と申せよ。

イシもの言ふぞと申してありたが、イセにはモノ言ふイシがあると昔から知らしてあろうがな、

五の一四(イシ)がもの言ふのであるぞ、

ひらけば五十となり、五百となり、五千となる。

握れば元の五となる、

五本の指のように一と四であるぞ、

このほうを五千の山にまつれと申してあろうが、

これがイチラ(五千連)ぞ、

五十連(イツラ)ぞ、判りたか、

五十連 世に出るぞ。

天に神の座あるように、地には人民の座があるぞ、

天にも人民の座があるぞ、

地に神の座があるぞ。

七の印(しるし)と申してあるぞ、

七とはモノのなることぞ、

天は三であり、

地は四であると今迄は説かせてあったなれど愈々時節到来して、

天の数二百十六、地の数一百四十四となりなり、

伊邪那岐三となり、

伊邪那美二となりなりて、

ミトノマグハイして五となるのであるぞ、

五は三百六十であるぞ、

天の中の元のあり方であるぞ、

七の燈台は十の燈台となり出づる時となったぞ、

天は数ぞと申してあろう、

地はいろは(意露波)であるぞ。

判らん者が上に立つこととなるぞ、

大グレン目の前、

日本のみのことでないぞ、

世界中のことであるぞ、

今度は三千世界が変るのであるから今迄のようなタテカヘではないのであるぞ。

何も彼も鏡にうつるのであるぞ。

鏡が御神体であるぞ。

何もうつらん御神体のカガミは何もならんぞ。

使用された特殊文字 


■平易意訳■

東は扶桑(二三)日本・太陽の国です。

日( )出づる秋(とき)は来ました。

この巻 扶桑(二三)の巻、続く六の巻を合せて七の巻一百四十四帖の黙示を五十黙示としなさい。

  石が物を言うぞと伝えておきましたが、伊勢(日本?)には物を言う石があると昔から知らしてあるでしょう。

五の一四(イシ)(碁の石?・三千世界解放計画の一つ臣民救出に関する布石?)が物を言うのですよ、

開けば五十となり、五百となり、五千となる。

(真相が明らかになれば見る見るうちにその知れ渡る範囲が広がっていくのです)

握れば元の五
(治まればただの碁石?その方々は存在するがその世界からは無いも同然の存在?)
となる、五本の指のように一と四なのです(超天使・大天使の四人?)。

この方ミロクを五千の山
(祖霊の住む世界?神界や霊界?)
に祀れと伝えてあるでしょう。

これがイチラ(五千連)で、五十連(イツラ)なのです、

判りましたか。

五十連が 世に出るのです。

(神懸りした五十連の方々が世に出るのです)
(端的に云うと、各々が神界や霊界をイメージし、その中でミロクを祀る(思いを巡らせる)ことによって、それが神懸かりのエネルギーになりうる?)

天に神の座があるように、地には人民の座があるのです。

天にも人民の座があるのです。

地に神の座があるのです。

七の印(しるし)と伝えてあったでしょう。

七とは物事の成ることなのです。

天は三であり、地は四であると今迄は説明していましたが、愈々時節が到来して、 天の数二百十六、地の数一百四十四となります、

伊邪那岐三となり、伊邪那美二となり、 ミトノマグハイして五となるのです。

五は三百六十(数霊?)なのです、

天の中の元のあり方なのです。

七の燈台は十の燈台となり出てくる時となりました、

天は数ぞと云っているでしょう。

地はいろは(意露波)の言霊なのです。

判らない者(記憶喪失の者?・もしくは言霊の専門者でない者=宗教などの組織には属さない者)が上に立つこととなるのです。

大グレン目の前、日本のみのことではありません。

世界中のことなのです。

今度は三千世界が変るのであるから今迄のような建替えではないのです。

何も彼も鏡に映るのです。

鏡が御神体なのです。

何も映らない御神体の鏡は何にもなりません(役立たず?)。

前半は、五の解釈を碁としてみました。

一と四ともありますが、そこ超天使一人と大天使四人で解釈してみました。

そうならミロクに当たる指は何指なのでしょう?治療目的で薬指?サタンが入るとうまく合わなくなりますが、、、

神界から霊界、現実界に起こす必要のある動きのプロセスを説明してある帖というかそういう風に取りました。

天は三であり、地は四であると今迄は説明していましたが、愈々時節が到来して、 天の数二百十六、地の数一百四十四となります、伊邪那岐三となり、伊邪那美二となり、 ミトノマグハイして五となるのです。

五は三百六十(数霊?)なのです、天の中の元のあり方なのです。

七の燈台は十の燈台となり出てくる時となりました、天は数ぞと云っているでしょう。

天の数二百十六と地の数一百四十四とは、天の言葉(数霊)とするなら、全部で八百四十九公式に発表され記載されているこの神示の中に天のことが216帖、地の事が144帖あるのならば、足した360帖が千引岩戸を開く、調和の和を生み出すために必要な帖なのかなと考えてみました。

スーパーマトリックスの手法が解読の手法として正解であれば、 それにちなんだ答えが出ると信憑性も出てくるかなとも思いました
(これは期待したいところです。検索で引っかかる「鍵」の語句を探すのも宝捜しになるかなとも考えました)

数霊が天の言葉なら、神示の通し番号は、数霊として天の言葉が集約されてる?

インターネットに関する帖の「171」などは、天が知らしたという証明でしょうか。

何も映らない御神体の鏡は何にもなりません(役立たず?)。

この一文は、暗に偽物の神のことを示しているのでしょうか。

御神体の鏡なので、もしも神サタンの配下と通信(チャネリング)しているならば、都市攻撃の時など肝心な時はミスリードするし、反応しない、つまり役に立たないということを示しているのかも。

ちょっとチャレンジがすぎましたでしょうか(::補足説明待ってマーース)


■平易意訳■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

東は 扶桑(二三)(富士山=神の国日本の象徴)です。

日・太陽( )出づる秋(とき)は 来ました。

この巻は 「扶桑(二三)の巻」とします。

続く六の巻を合せて七の巻、一百四十四帖の黙示を五十黙示と呼びなさい。

石がイシものを言いますと説明してありましたが、伊勢イセには モノ言う石イシがあると昔から知らしてあります。

五の一四(イシ)石がもの言うのです。

岩戸が開ければ五十となり、五百となり、五千となるのです。

握れば元の五となります。

五本の指のように一と四です。

この方を五千の山に祀れと言いつけてあるでしょう。

これがイチラ(五千連)です。

五十連(イツラ)です。

判りました、。

五十連(イツラ)が世に出てきます。

天に神の座あるように、 地には 人民の座があります。

天にも人民の座があります。

地に神の座があります。

七の印(しるし)と説明してありました。

七とは モノのなることです。

天は 三であり、地は 四です。

以上の様に今迄は 説明してありましたが、愈々時節が到来しました。

天の数は 二百十六(216)、

地の数は 一百四十四(144)

となります。

伊邪那岐は 三となり、伊邪那美は 二となります。

ミトノマグハイをして五となるのです。

五は 三百六十であるのです。

天の中の元のあり方です。

七(ナルナ・ミロクの世)の燈台は 十(ナルト・神の時代)の燈台となり、現れ出づる時となりました。

天の言葉は 数の数霊です。

地の言葉は 「いろは」(意露波)の言霊です。

判らない者が上に立つこととなります。

大グレン目の前です。

日本のみのことではありません。

世界中のことです。

今度は 神界から地上界まで三千世界が変るのです。

ですから、今迄のような建て替えヘではないのです。

何も彼も鏡に映ります。

鏡が御神体です。

何も映らない御神体の鏡は 何の役にもたちません。

ロックさんの解釈 :(一巡目)

東は扶桑(二三)なり、日( )出づる秋(とき)は来にけり。

この巻 扶桑(二三)の巻、つづく六の巻を合せて七の巻一百四十四帖の黙示を五十黙示と伝えてください。

イシもの言うぞと伝えてありましたが、伊勢には物言う石があると昔から知らしてありますね、

五の一四(イシ)がもの言ふのであるぞ、

開けば五十となり、五百となり、五千となる。

握れば元の五となる、

五本の指のように一と四であるぞ、

この方を五千の山にまつれと伝えてありました、

これがイチラ(五千連)です、

五十連(イツラ)です、

判りましたか、五十連 世に出ます。

天に神の座あるように、地には人民の座があります。

天にも人民の座があります。

地に神の座があります。

七の印(しるし)と伝えてあります、

七とは物のなることです、

天は三であり、地は四であると今迄は説かせてありましたが愈々時節到来して、天の数二百十六、地の数一百四十四となりなり、伊邪那岐三となり、伊邪那美二となりなりて、ミトノマグハイして五となるのであります、

五は三百六十であるぞ、

天の中の元のあり方であるぞ、

七の燈台は十の燈台となり出る時となりました、

天は数ぞと申してあります、

地はいろは(意露波)であるぞ。

判らん者が上に立つこととなるぞ、

大グレン目の前、日本のみのことでないぞ、

世界中のことであるぞ、

今度は三千世界が変るのであるから今迄のような建替えではないのでありません。

何も彼も鏡にうつるのであります。

鏡が御神体であります。

何も写らない御神体のカガミは何もなりません。


■解説と補足説明■

ロックさんの解釈 :(一巡目)

『この方を五千の山にまつれと伝えてありました、これがイチラ(五千連)です、五十連(イツラ)です、判りましたか、五十連 世に出ます。』

覚醒した太陽が世界各国で説明に行く事のことかと思います。

『天は三であり、地は四であると今迄は説かせてありましたが 愈々時節到来して、天の数二百十六、地の数一百四十四となりなり、 伊邪那岐三となり、伊邪那美二となりなりて、 ミトノマグハイして五となるのであります、

5は360であるぞ、天の中の元のあり方であるぞ、

七の燈台は十の燈台となり出る時となりました、

天は数ぞと申してあります』

大変難解ですが、伊邪那岐三となり、 伊邪那美二となりなりての表現は太陽と女王のことかと推測します。

彼等が交わることで、世界がまとまっていくということかと思います。

『七の燈台は十の燈台となり出る時となりました、天は数ぞと申してあります』

燈台はキリスト教か何かで出ていた表現かと思いますが、わかりません。

太陽に解読していただきたいと思います。


トッチさんのメール

トッチです。

捉え方の一つとしてでしたら、なんとか意見は出せそうです。

確かに難しくて困ってしまう神示ですね。

「東は扶桑(二三)なり、日( )出づる秋(とき)は来にけり。」

・こうありますので、“扶桑”の意味は日いずる国の日本で良さそうですね。

そうしますと、タイトル的に日の出の巻と関係が有りそうな気もします。

「イシもの言ふぞと申してありたが」

・私も、julaさんと同じように、 “イシ”は“握りこぶし”程度に思っておけば良いのではと思います。

しかし、このイシが重要な基本であるようです。

「ひらけば五十となり、五百となり、五千となる。 」

・三千世界の有り様である立体・立立体との関連でしょうね。

ようは、五を元とした広がりを例えたような感じでしょうか。

1:今までは
「七の印(しるし)と申してあるぞ、七とはモノのなることぞ、天は三であり、地は四であると今迄は説かせてあったなれど」

2:愈々時節到来して
a「天の数二百十六、地の数一百四十四となりなり、伊邪那岐三となり、伊邪那美二となりなりて」

b「ミトノマグハイして五となるのであるぞ」

c「五本の指のように一と四であるぞ」

d「五は三百六十であるぞ」

・神示が読み進み、扶桑の巻に至って天と地の有り様が“七”を使った大雑把な物から“5”を用いて、より詳しく細やかな説明へとステップアップしているかのようです。

「天は数ぞと申してあろう」

とあります。

数学者は数字を考えるのがとても楽しいそうです。

数学・数字は、物理学でも科学や化学においても、音楽においてさえも必ず必要な学問であり、何処にでも用いられますので、その事から

「神の世界は数字により構成されているのではないか?」

と昔から考える人も居るようです。

そうしますと、この神示は神の世界とこの世界との繋がりや神の世界の雰囲気に馴染んでいく為の訓練的な要素が有るのかもしれませんね。

「五は三百六十であるぞ、天の中の元のあり方であるぞ」

・具体的考察はjulaさん以上の事は出来ませんので、印象だけを話します。

物を握る時、親指(1)と他の指(4)を円になる様に握ると、あらゆる角度に対して強い握力を得る事が出来ます。

円周率を考えますと、円は無限性を持ちますし、そして力強い。

それが“天の中の元”のイメージなのかな?

それを神の世界のように数字で表せば五と三百六十になるのでしょうか。


トッチさんのメール

トッチです。

“扶桑の巻”をざっと眺めましたが、やたら数字が多いですね。

訳が分らなくて嫌になっちゃう神示ばかりです。

ロックさんは大変な物を引いてしまいましたね〜。

2帖の冒頭ですが、いきなり一とか二とか出てきます。


「一はいくら集めても一であるぞ、判らんものいくら集めても判らん道理、

二は二、三は三であるぞ、

一を二つ集めても二にはならんぞ、

人民 大変な取違いを致して居るぞと申してあろうがな、」

「宇宙の真理は、あくまでも一+二が三を産む」

です。

1は1そのもの。

2は2そのもの。

そして三が四を産み、五を産む。

つまり三は永遠の進化・弥栄を意味するようです。

など、こんな所に解読のヒントがあるように思います。

って、自分が混乱してきたかも〜

ホントにおやすみなさい!


ナギ、ナミ夫婦神は八分通り国土を生み育てられたが、

火の神を生み給ひてナミの神は去りましたのであるぞ。

物質偏重の世はやがて去るべき宿命にあるぞ、

心得なされよ。

ナミの神はやがて九と十の世界に住みつかれたのであるぞ。

妻神に去られたナギの神は一人でモノを生むことの無理であることを知り給ひ、

妻神を訪れ給ひ、相談されたのであるなれど、

話が途中からコヂレて遂に別々に住み給ふ事となり、

コトドを見立てられて千引の岩戸をしめ、

両神の交流、歓喜、弥栄は中絶したのであるぞ。

至恩の巻 第08帖(955)


国常立神も素盞鳴命も大国主命も、総て地(智)にゆかりのある神々は皆、九(光)と十(透)の世界に居られて時の来るのをおまちになってゐたのであるぞ、

地は智の神が治(し)らすのぞと知らしてあろうが、

天運 正にめぐり来て、

千(智)引の岩戸(言答)はひらかれて、

これら地(智)にゆかりのある大神達が現れなされたのであるぞ、

これが岩戸ひらきの真相であり、

誠を知る鍵であるぞ。

至恩の巻 第10帖(957)


死ぬか生きるかは人民ばかりでないぞ、

神々様も森羅万象の悉くが同様であるぞ、

しばらくの生みの苦しみ。

八の世界から十の世界になるのであるから、

今迄の八方的な考へ方、

八方的な想念や肉体では生きては行かれんのであるぞ、

十方的想念と肉体でなくてはならんぞ。

至恩の巻 第13帖(960)


八方的地上から十方的地上となるのであるから、

総ての位置が転ずるのであるから、

物質も念も総てが変るのであるぞ。

これが元の元の元の大神の御神策ぞ、

今迄は時が来なかったから知らすことが出来んことでありたなれど、

いよいよが来たので皆に知らすのであるぞ。

百年も前からそら洗濯ぢゃ、

掃除ぢゃと申してありたが、

今日の為であるぞ、岩戸ひらきの為であるぞ。

今迄の岩戸ひらきと同様でない、

末代に一度の大岩戸(言答)ひらきぢゃ。

至恩の巻 第14帖(961)


神の申すことは一分一厘違はんのであるぞ、

今度言ふことを聞かねば大変な気の毒となるぞ、

地(智)の下になって了ふのであるぞ、

12345678の世界が12345678910の世となりて、

012345678910の世となるのぢゃ、

012345678910が【マコト】と申してあろうがな。

裏表で二十二ぢゃ、

二二の五ぢゃ、

二二(ふじ)は晴れたり日本晴れぞ、

判りたか。


★12345678の世界≒八方的地上  

12345678910の世≒十方的地上

012345678910の世となる

★総ての位置が転ずるのであるから、物質も念も総てが変るのであるぞ

「0」が先頭に来ることで、1〜8、9〜10まで皆右にスライドして位置が変わっちゃいますね。


悪の仕組は、日本魂をネコソギ抜いて了ふて、

日本を外国同様にしておいて、

一呑みにする計画であるぞ。

日本の臣民、悪の計画通りになりて、尻の毛まで抜かれてゐても、まだキづかんか、

上からやり方かへて貰はねば、下ばかりでは何うにもならんぞ。

上に立ちてゐる人、日に日に悪くなりてきてゐるぞ。

メグリある金でも物でも持ちてゐたらよい様に思ふてゐるが、

えらい取違ひであるぞ。

早う神の申すことききて下されよ。

世界の何処さがしても、今では九九(ここ)より他に、神のマコトの道知らす所ないのざぞ。

此の道の役員、

上から見られん所によきことないと今度の御用、

なかなかにつとまらんぞ、

洗濯急げよ、

掃除急げよ、

家の中が治まらんのは女にメグリあるからぞ、

このことよく気付けておくぞ、

村も国々も同様ぞ。

女のメグリはコワイのざぞ。

節分からは八回拍手うちて下されよ。

神はげしくなるぞ。

一月十二日、のひつ九の

磐戸の巻 第10帖 (246)

使用された特殊文字 


★サタンが仕組んだイザナミ主導の世?

む、すると、火結びの神を産む・・・サタンもしくはサタンの元を産んで実秀答を焼かれた?

その結果メグリとなって喧嘩別れ?


ロックさんのメール

ロックです。

やっとこさ仕事が終わりますた(^^)

一に一を足しても二にはならんをずっと考えてました。

烏合の衆では、間に合わないということ、または現実界にのみ意識を向けて頑張っていても「二」にはならないということ?

または、貨幣経済なども、現実界にのみ通用することで、その世界観を押し付けても、「二」にはならない?

数で押すという考えとか、そんなのでは駄目なのだということかな(・・?

に当たる部分を理解する事が肝心?

神界、霊界、現実界しいては立体、複立体につながる霊線を繋ぎ、自身が苦労(ひふみ曰くの楽な苦労?)と努力を重ねることで、その世界の存在を理解し、その理解したことを実践して、世界に反映させる?。

と考えましたが、まだまだこの辺くらいまでしか言葉に出来ません(==;;;;

霊線を繋ぐ行為を通じて、想念で持って、その世界の実体化を目指す?

その世界(霊界や神界)は実際にあるけども、 現実界の存在が、想念でその世界を作り出さない限り、現実界にとっては無いに等しくなる?

あああわかりません。

おやすみなさい、、、


julaさんのメール

jula です。

部分的ですが

「こんな感じなのでは?」

と思いました。


五十黙示録 第一巻 扶桑の巻 第二帖(2)

昭和三十六年五月五日、

旧三月二十一日(1961年)(ひふみ神示 第三十一巻)(851)

なかとみの ふとのりとこと ふとにのりあぐ。

一はいくら集めても一であるぞ、

判らんものいくら集めても判らん道理、

二は二、

三は三であるぞ、

一を二つ集めても二にはならんぞ、

人民 大変な取違いを致して居るぞと申してあろうがな、

(レイ)がもとぢゃ、

一(レイ)がもとぢゃ、

結びぢゃ弥栄ぢゃ、

よく心得なされよ。

世の元、の始めから一と現われるまではを十回も百回も千回も万回も、くりかへしたのであるぞ、

その時は、それはそれはでありたぞ、

火と水(一と三)のドロドロ(十)であったぞ、

その中に五色五頭の竜神(色二ん)が御ハタラキなされて、つくり固めなされたのぢゃ、

今の人民は竜神(二ん)と申せば、すぐ横を向いて耳をふさぐなれど、

マコトのことを知らせねばならん時ざから、

ことわけて申してゐるのぞ。

竜神(色二ん)とは神(理)であるぞ、

五色の竜神とは国常立尊の御現われの一(ヒトツ)であるぞ。

戒律をつくってはならん、

戒律がなくてはグニャグニャになると思ふであろうなれども、

戒律は下の下の世界、

今の人民には必要なれど、いつまでも、そんな首輪はいらんぞ、

戒律する宗教は亡びると申してあろうがな。

使用された特殊文字   


一はいくら集めても一であるぞ

一個と一個を足すと二個にはなります。

しかし、一という要素と一という要素を持ってきても、その現れ、意味するもの、構成因子が同じであるため、 足し合わせてみても二という新しい構成因子は生まれません。

生まれ育ちが同じ日本人同士で会話してみても、日本的な考え方慣習でしか話はできません。

そこから中国人や西欧人のような考え方、慣習は導き出すことはできません。

砂糖と砂糖を足しても砂糖にしかなりません。

水と水を足しても水にしかなりません。

同じものをもってきたところで、(別のものに)成る、生まれることはありません。


判らんものいくら集めても判らん道理

同じ構成要素である肉体、物理優先の現界のみで立替、建て直しをしてみようとしたところで出来るわけがありません。


戒律をつくってはならん、

戒律がなくてはグニャグニャになると思ふであろうなれども、

戒律は下の下の世界、

今の人民には必要なれど、いつまでも、そんな首輪はいらんぞ、

戒律する宗教は亡びると申してあろうがな。

戒律とは戒め(いましめ)、律する(りっする)ということです。

あれはしてはいけない、これはしてはいけないと制限し、戒めを与え律することで新たなものを生む余地を奪い去っていきます。

良い事、悪い事と分類すること、道徳などを作ること、そういったもので区分して律し、戒める、そんな法律がなければ 世の中は治まらないと思うでしょうけれど、そんなもので治めている世の中は下の下の世界なのです。

現界に作られた現代の人民にはどうしても必要となってしまっています。

(サタンに作られ、淘汰され、作り変えられているから?)

しかし、いつまでも法律、戒律という名の支配の首輪は不要となります。

(サタンが、自らの支配、コントロールのために作り変え利用しているような)戒め律する宗教は滅びると言っているでしょ?


トッチさんのメール

トッチです。

ロックさん、お疲れ様です。

こんな感じの考え方はどうでしょう?

一番身近な神示の解読作業で例えてみます。

一とか二は、正数と捉えてしまうとこの世の平面的な見方となってしまいます。

正数ではなく一は「陰とか裏」、二は「陽とか表」、三は「進化・弥栄」といった風に見るのではないかと思います。

そこで、一をトッチ。

二をロックさんとして考えてみます。

神示の解読に当たって、一であるトッチが、トッチばかり何人いてもトッチ的考察であり、トッチの経験や感性の枠組みの域から出る事はありません。

二であるロックさんもしかり。

しかし、トッチとロックさんの性質がブレンドされると(一+二)としての新しい見解が生まれます。

生まれた内容を更に掘り下げるjulaさんのご意見が出て、一歩進んだ解釈となります。

これを三とします。

その三を千成さんがサイトで紹介し、多くの方が見て下さり、何かを感じたとします。

これが四,五であり弥栄となっていきます。

つまり、私ばかり集まっても進化は無く、ロックさんばかりでも進化は無い。

julaさんばかりでも同じです。

お互い祀り合わせる事が進化弥栄の第一条件という事になります。

これも平面的な捉え方の域を出ていないのでしょうけど、このように考えると神示の解読も皆さんあっての事だな〜と、実感できますね。


ロックさんのメール

ロックです。

02帖の解釈は、太陽さん、トッチさんやjulaさんの解釈に譲りたいと思います(^^;;;

絞って一つだけでも。。。


戒律をつくってはならん、戒律がなくてはグニャグニャになると思ふであろうなれども、

戒律は下の下の世界、

今の人民には必要なれど、

いつまでも、そんな首輪はいらんぞ、

戒律する宗教は亡びると申してあろうがな。

この辺りは、神サタンの作ったこの世界を一つの宗教と見ているような感じがしました。

この戒律がある現代社会の中で、神サタンの元で養殖された人類は先へ進むために学び取らなくてはいけないことが人類にはあるようです。

階段を一段一段上るように、宗教観に満ちた社会という畑の中で、三千世界の標準とも言うべき、「真理・真実」を掘り起こし、調理(分別して?)し、よく咀嚼して、身につけるという必要があるのかとも取りました。

畑から取れる作物を例えにして考えてみました。

宗教観に満ちた土壌の中でも、ミロクという環境というか肥料というか、栄養分が、寒冷地で育つトマトのように、臣民を逞しくするのかも。


一はいくら集めても一であるぞ、

判らんものいくら集めても判らん道理、

二は二、

三は三であるぞ、

一を二つ集めても二にはならんぞ、

人民 大変な取違いを致して居るぞと申してあろうがな、

(レイ)がもとぢゃ、

一(レイ)がもとぢゃ、

結びぢゃ弥栄ぢゃ、

よく心得なされよ。


前半の云う、人民の取り違いとは、何でしょう。

トッチさんの解釈を参考にしてみると、 宗教観に満ちた世界
レイの存在を隠した、 もしくは改ざんした世界? 神界、霊界に関する内容を封印した世界)
の中で、たくさんの方々が、その世界について疑問を抱き、探求しますが、宇宙の真相とも言うべき内容を伝える霊的な存在がいなければ、現状あるように神サタンの張り巡らしたトラップにみんな引っかかっているのが現状です。

そうした中で、臍とも云うべき、真相や真理について、それぞれ違う個人が考察し合わせる事で新しい内容を生み出し、その繰り返しが永遠に繁栄する基礎を生み出していくということ?と考えてみました。

「ミロクが提示する、真相」

のような

「考察するきっかけ」

のようなものが無ければ、サタンの作り上げた弱肉強食のリングの中で、グルグル周る状況の人類は、その洗脳から抜け出す手段がないようにも思います。

諸世紀曰くの、

「太陽が救世主の法を持っている」

という予言にも関係する話でないかとも思いました。

あああ、難しい、、、

平面から立体への道は険しそうです(==;;;;


五十黙示録 第一巻 扶桑の巻 第二帖(2)

昭和三十六年五月五日、

旧三月二十一日(1961年)(ひふみ神示 第三十一巻)(851)

なかとみの ふとのりとこと ふとにのりあぐ。

一はいくら集めても一であるぞ、

判らんものいくら集めても判らん道理、

二は二、

三は三であるぞ、

一を二つ集めても二にはならんぞ、

人民 大変な取違いを致して居るぞと申してあろうがな、

(レイ)がもとぢゃ、

一(レイ)がもとぢゃ、

結びぢゃ弥栄ぢゃ、

よく心得なされよ。

世の元、の始めから一と現われるまではを十回も百回も千回も万回も、くりかへしたのであるぞ、

その時は、それはそれはでありたぞ、

火と水(一と三)のドロドロ(十)であったぞ、

その中に五色五頭の竜神(色二ん)が御ハタラキなされて、つくり固めなされたのぢゃ、

今の人民は竜神(二ん)と申せば、すぐ横を向いて耳をふさぐなれど、

マコトのことを知らせねばならん時ざから、

ことわけて申してゐるのぞ。

竜神(色二ん)とは神(理)であるぞ、

五色の竜神とは国常立尊の御現われの一(ヒトツ)であるぞ。

戒律をつくってはならん、

戒律がなくてはグニャグニャになると思ふであろうなれども、

戒律は下の下の世界、

今の人民には必要なれど、いつまでも、そんな首輪はいらんぞ、

戒律する宗教は亡びると申してあろうがな。

使用された特殊文字   


■平易意訳■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

中富の太祝詞を声上げて祝詞を申し上げます。

一は いくら集めても一です。

例えば、判らない者をいくら集めても判らないのです。

このことは 道理です。

二は 二、三は 三です。

一を二つ集めても二にはなりません。

人民は 大変な取違いをしています。

(レイ)がもとです。

一(レイ)がもとです。

結びですし、永久の繁栄となるのですから、よく心得なさい。

世の元、世の始めから一と現われるまでは (レイ)を十回も百回も千回も万回も、繰り返したのです。

その時は、それはそれは大変なことでした。

火と水(一と三)のドロドロ(十 )で状態でした。

その中に五色五頭の竜神(二ん)が御ハタラキなされて、つくり固めました。

今の人民は、竜神(二ん)と云うと、すぐ横を向いて耳を塞ぎますが、誠・真のことを知らせねばならない時節ですから、ことわけて説明しているのです。

竜神(二ん)とは、理神(理)のことです。

五色の竜神とは 国常立尊の現われの一(ヒトツ)です。

戒律を作ってはなりません。

戒律がなくては グニャグニャになると思っているかもしれませんが、戒律は、下の下の世界を作るのです。

今の人民には 必要ですが、いつまでも、そんな首輪は 不必要です。

戒律する宗教は 亡びるのですから。

ロックさんの解釈 :(一巡目)

なかとみの ふとのりとこと ふとにのりあぐ。

一はいくら集めても一です、

判らない者いくら集めても判らない道理、

二は二、三は三です、

一を二つ集めても二にはなりません、

人民 大変な取違いを致して居るぞと伝えてあります、

(レイ)がもとです、

一(レイ)がもとです、

結びです弥栄です、

よく心得てください。

世の元、世の始めから一と現われるまでは (レイ)を十回も百回も千回も万回も、繰り返したのです。

その時は、それはそれはでした、

火と水(一と三)のドロドロ(十 )でした

その中に五色五頭の竜神(二ん)が御ハタラキなされて、つくり固めました。

今の人民は、竜神(二ん)と云うと、すぐ横を向いて耳を塞ぎますが、誠・真のことを知らせねばならない時節ですから、ことわけて説明しているのです。

竜神(二ん)とは 理神(理)のことです。

五色の竜神とは国常立尊の御現われの一(ヒトツ)であるぞ。

戒律をつくってはならん、

戒律がなくてはグニャグニャになると思ふであろうなれども、戒律は下の下の世界、

今の人民には必要なれど、いつまでも、そんな首輪はいりません、

戒律する宗教は亡びると伝えてあります。


■解説と補足説明■

ロックさんの解釈 :(一巡目)

五色の竜神とはいかなる存在でしょうか。

覚醒した太陽のことでしょうか。

『 戒律する宗教は亡びると申してあろうがな 』

よく考えましたら、この社会全体が宗教のように何か注目するようなことをしなければいけなくなっていますね。

自分には、こうした物のはびこるアメリカ文明そのものが滅びると伝えていると解釈しました。

ここも太陽に解読をお願いしたいものです。


扶桑の巻 第03帖 (003)

高天原に 千木高しりて 仕へまつらむ。

岩戸(言答)のひらけた、その当座は、 不合理に思へることばかりでてくるぞ、

逆様の世界が、この世界に入り交じるからであるぞ、

親よりも子の方が早く目さめるぞ、

子が親となるぞ、

さかさまの世界と申しても悪の世界ではないぞ、

霊の世界には想念のままにどんなことでも出来るのであるぞ、

うれしい、こわい世界が近づいて来ているのであるぞ。


■平易意訳■

高天原に 千木高しりて 仕へまつらむ。

岩戸(言答)の開いた、その当座は、不合理に思えることばかりが出てくるのです(目覚めた際の初期症状?)。

逆様の世界(世界観?)が、この世界に入り交じるからなのです。

親よりも子の方が早く目が覚めます。

子が親となるのです。

逆様の世界といっても悪の世界ではありませんよ。

霊の世界には想念のままにどんなことも出来るのです。

嬉しい、恐い世界が近づいてくるのです。

子供の方が早く現状を理解して親に、その時は教えるかも知れませんね。

自分の中で岩戸が開いた当座に不合理に思える事ばかりが出てくるのは、しょうがないのかも。

その時点から、自分の中の悪を抱き参らせる作業は始まるのでしょうし、いろいろと葛藤することも出てきます。

千木を辞書で探してみました。 何気に太陽さんのお名前の氷治と連動してそうですが。

太陽さんは神社の神主の家系ですから、暗示的かも。

破風板のような役目はミロク、千木とは装飾材とのことですから、ミロクの治まった太陽さんのことかも知れませんね。

装飾材は飾りとして、見せる意味合いもありますので、天使に磨き鍛え上げられた太陽さんと表現するとしたら絶妙かなとも思いました。

同時に目指すべき臣民の姿を現しているのだろうとも思います。

霊の世界には想念のままにどんなことも出来るのです。

嬉しい、恐い世界が近づいてくるのです。

この辺りは、終りの時が来ると思えば、恐いことになるのでしょうし、恐い事が降りかかるのかもしれませんし、反対に嬉しい時が来ると考えれば、嬉しい事が降りかかるのかもしれませんが、都市攻撃もノアの大洪水もスケールが違いますので、 嬉しいような恐いようなという表現になるのがスムーズかも。


ちぎ 1 【千木/知木/▽鎮木】

神社本殿の屋根で、両妻の破風板が屋根の上に突き出て交差した装飾材。

本来は垂木(たるき)の端が棟より長く突き出たもの。

のちには破風から離されて棟の上に置かれるようになった。

氷木(ひぎ)。

つか・える つかへる 3 0 【仕える】

(動ア下一)[文]ハ下二 つか・ふ

(1)目上の人などのそばにいて奉仕する。

「神に―・える」「国王に―・える」「父母に―・える」

(2)公的な機関に勤めて、その仕事に従事する。

仕官する。

「公に―・ふる人ともなくて籠り侍れば/源氏(行幸)」


高天原に 千木高しりて 仕へまつらむ。


高天原に、衆生を救済しようとするミロクの降臨している太陽を掲げて、私どもは(彼等に)仕えます。

国語力がないのでなんですが、こんな感じでしょうか。

これだと、その下に記載されている神示の内容がミロクの手伝いをしている臣民に対して話している内容にも読めます。


■平易意訳■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

高天原に千木を高くして仕へまつります。

岩戸(言答)の開けた、その当座は 不合理に思えることばかりが出てきます。

逆様の世界が、この世界に入り交じるからです。

親よりも子の方が早く目醒めます。

子が親となるのです。

(素直な目でみている子供の方が、起きた現実を素早く理解して、親に新しい時代を教えるようになるのです。)

逆さまの世界と云っても悪の世界では ありません。

霊の世界には 想念のままにどんなことでも出来るのです。

嬉しい様な、怖い様な世界が近づいて来ているのです。

ロックさんの解釈 :(一巡目)

高天原に千木高しりて仕へまつらむ。

岩戸(言答)の開けた、 その当座は、不合理に思えることばかりでて来ます、

逆様の世界が、この世界に入り交じるからです、

親よりも子の方が早く目がさめます、

子が親となるぞ、

さかさまの世界と申しても悪の世界ではないぞ、

霊の世界には想念のままにどんなことでも出来るのです、

うれしい、こわい世界が近づいて来ているのです。


■解説と補足説明■

ロックさんの解釈 :(一巡目)

この世の常識にがんじがらめになっている大人よりも、子供の方が天使のテレパシーを受けて目が覚めるということでしょうか。

ニュアンス的には霊的な世界の解放が顕著に現れて来るのかもしれませんね。


扶桑の巻 第04帖 (004)

ツミケガレ 今はあらじと はらえ給ひそ。

空白とは九八九であるぞ、

八と九、九と八の境をひらくことが岩戸を開くことぢゃ、

空白とは最も根本を為す最も力あることであるぞ。


■平易意訳■

罪穢れ、今はあるかも知れませんので祓いました。

空白とは九八九なのです。

八と九、九と八の境を開く事が岩戸を開くことなのです。

空白とは最も根本を為す最も力のあることなのです。

太陽さんの解読を参考にしますと、(ナルト十の神の世界になる為の八と九の時代で、ミロクの世でもなく、神の時代でもない、何も無い時代の事です)

つまり、空白とはこの神サタンの支配によるこの時代のことでしょうか(・・?。

囚人に一番きつい作業は、穴を掘らせて、穴が出来たら、また埋める、

この作業を延々繰り返すことだと聞いた事があります。

地球劇場を繰り返すことを余儀なくされている月人はそういう状態なのかも。

太陽さんの解読から

空白とは最も根本を為す最も力あることです。

(何も無いことが、存在するということ、その空白・何も無いという認識・存在がないと、存在そのものが存在できないのです。

ですから、空白であるという理解・認識・存在が、この宇宙の存在する根本的な理由となります。)

何もないということが存在しているということ、本人に気付かれないようにソフトに誘導することも、 空白が故に?

本人の意思を尊重せずに、憑依して強引に持っていくのは、空白でない?

本来は力を持たないこと?

神サタンは、太古に空白に挑戦した?

どこかで曲がってそうなったのか、あえて空白に挑戦したのか気になるところです。


■平易意訳■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

罪穢れ、今はあるかも知れませんので祓いました。

空白とは 九八九です。

(ナルト十の神の世界になる為の八と九の時代で、ミロクの世でもなく、神の時代でもない、何も無い時代の事です)

八と九、九と八の境を開くが、岩戸を開くことです。

空白とは 最も根本を為す最も力あることです。

(何も無いことが、存在するということ、その空白・何も無いという認識・存在がないと、存在そのものが存在できないのです。

ですから、空白であるという理解・認識・存在が、この宇宙の存在する根本的な理由となります。)

ロックさんの解釈 :(一巡目)

ツミケガレ今はあらじとはらえ給ひそ。

空白とは九八九です、

八と九、九と八の境をひらくことが岩戸を開くことになるのです、

空白とは最も根本を為す最も力あることです。


■解説と補足説明■

ロックさんの解釈 :(一巡目)

太陽にお願いしたい内容です。


扶桑の巻 第05帖 (005)

八塩路の 塩の八百会母 いますくに。

天の声あるぞ、地の声あるぞ、

和して十の日月地と現はれるぞ。

五十人の仁人が出て来るぞ、

仁人とは神人(カミヒト)のこと、

この仁人が救世主であるぞ、

救世主は一人でないぞ。

各々の民族に現はれて五十人であるなれど、

五十と言ふ数に囚われるなよ、

五十人で一人であるぞ、

数に囚われると、判らんことになり、

岩戸しめとなるから気つけおくぞ。


■平易意訳■

八塩路の 塩の八百会母が 居る国。(この内容はよく判りません。)

天の声があります。

地の声があります。(異常気象などの現象で岩戸開きを知らせる声があります)

それらを天罰とせずに受け入れた時?十の日月の神が地に現われます。

五十人の仁人が出てくるのです。

仁人とは神人のことで、この仁人が救世主なのです。

救世主は一人でないのです。

各々の民族に現われて五十人ですが、五十人という数に囚われないで下さい。

五十人で一人なのです。

数に囚われると判らないことになり、岩戸閉めとなるので気をつけておきなさい。

五十人の仁人は、ミロクの分霊のようですね。

たくさんの民族に現われる表現かと思います。

目覚めてミロクの意図を知らせることも救世主のような動きになるかもしれませんし、 目覚めた子が親にその時、知らせてあげることも救世主としての働きかもしれません。

ひふみの説明する神懸りとは、農民が鍬を使っているが使っていないと錯覚する位の状態のようですので、 都市攻撃のよって人類がその行く末を理解したときには、 生き残った縁ある方々と接触し、えらぶるわけでなく、 淡々と心の状態を死なずにいうなれば希望を持たせて、改心を促し、 携挙まで導くのかな?とも思いました。


■平易意訳■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

八塩路の塩の八百会母が居る国。

岩戸開きが始まると、 異常気象・宇宙での異常(太陽系)などの印的な天の声があります。

地震・噴火・氷河の溶解などの地の声があります。

これらの現象が相乗して和して、ナルト十神の世の日月となって地に現われます。

五十人の仁人が出て来ます。

仁人とは 神人(カミヒト)のことです。

この五十人の仁人が救世主です。

救世主は 一人ではないのです。

各々の民族に現われて、合計すると五十人となるのです。

ですが、五十人と言う人数に囚われてはいけません。

五十人で一人であるのです。

(一つの霊から分霊して50の神人となつているだけですから、本来は 一つなのです。

忍術の分身の術とでもいいましょうか・・・・

50の分身に誑かされないようにしないでください。

一つ一つに捕らわれると、本体が判らなくなります。)

数に囚われると、判らないことになります。

岩戸閉めとなるから注意しておきます。

ロックさんの解釈 :(一巡目)

天の声があります、

地の声があります、

和して十の日月地と現はれます。

五十人の仁人が出て来ます、

仁人とは神人(カミヒト)のこと、この仁人が救世主です、

救世主は一人でないぞ。

各々の民族に現はれて五十人であるなれど、五十と言ふ数に囚われるなよ、

五十人で一人であるぞ、

数に囚われると、判らんことになり、岩戸しめとなるから気つけおくぞ。


■解説と補足説明■

ロックさんの解釈 :(一巡目)

救世主は一人でない、、、

ななかまどの概要はわかりませんが、この作動によって各国の誰かが動き出すということでしょうか。

太陽の事が出てきます。

仁人ひふみの神の子が中に入っている人のことですね。

文字から見るに仁義に厚そうですね。

補足を太陽にお願いしたいです。


扶桑の巻 第06帖 (006)

はらひため 千城百国 精治万歳。

三年と半年、

半年と三年であるぞ、

その間はクラヤミ時代、

火をともしてもくらいのであるぞ、

あかるい人民にはヤミでも明るい、

日は三日と半日、

半日と三日、

次に五年と五年ぢゃ、

五日と五日ぢゃ、

このこと間違へるでないぞ。

手足の爪まで抜きとられ、

あるにあられん、むごいことにされて追ひやられたのであるが、

マコトはマコトぢゃ、

時めぐりきて、我(が)がとれたので、光がさしそめたのぢゃ、

岩戸がひらけたのぢゃ。

神が苦しむ時は人民が苦しみ、

人民苦しむ時は神も苦しむのぞ。

世界中の苦しみ、地上の苦しみ、天上の苦しみぞ、

この大峠を越してから大いなるタメシがあるぞ、

人の心のむつかしさ計り知れん程であるなれど、見て御座れ、

見事なこと致して見せるぞ。


■平易意訳■

祓いため 千城百国 精治万歳。(事象の終了した後の情景を見ながらの神示?)

建て壊しに三年と半年、

建て直し半年と三年かかるのです、

その間は暗闇の時代、

火をともしても暗いのです。、

明るい人民には闇でも明るい、

日は三日と半日、

半日と三日、

次に五年と五年です、

五日と五日です、

このこと間違えないように。

手足の爪まで抜きとられ、あられもなく、むごいことにされて追いやられたのですが、

真は真なのです、

時がめぐりきて、我(が)が取れたので、光が射し染めたのです、

岩戸が開けたのです。

神が苦しむ時は人民が苦しみ、

人民苦しむ時は神も苦しむのです。

世界中の苦しみ、地上の苦しみ、天上の苦しみなのです、

この大峠を越してから大いなる試しがあるのです、

人の心の難しさは計り知れない程ですが、見ていなさい、

見事なことをして見せるぞ。

前半を建て壊しと建て直しと解釈して、それぞれ三年と半年、半年と三年とありますが、合計すると七年になります。

日は、三日と半日、半日と三日、ですから、二日で七日という風にも読めますし、逆に七日で一日と計算することも出来そうです。

次に、五年と五年、五日と五日ときます。

単純に年だけ取ると、どこかの基点になる年から7年かけて建て壊しと建て直しがあり、そこから五年と五年を数えると10年かかります。

17年の年月と聞くと、ひふみ神示が降りた期間(昭和19年から昭和36年)でもあります。

ちなみに、97年の世紀末研究報告のインターネットへの掲載をスタートにしますと、17年後は、2014年になります。

偶然ながら、ひふみの解読のページに掲載されているカレンダーの期日は1998年から2014年までなのは何故でしょうね。

単純に年数を数えただけなので、論拠としては弱いかもしれませんが、その付近には色んなビジョンが重なります。

しかし、断りが入っています。

このこと間違えないようにと。レイ(○)が元の霊界から見た時間の計算に関係する?。

手足の爪まで抜きとられ、あられもなく、むごいことにされて追いやられたのですが、真は真なのです、

時がめぐりきて、我(が)が取れたので、光が射し染めたのです、

岩戸が開けたのです。

神が苦しむ時は人民が苦しみ、人民苦しむ時は神も苦しむのです。

何の例えでしょう(・・?ミロクの記憶が封印された状態を三千世界標準から見た様子では、手足の爪まで抜き取られという表現になるのでしょうか。

太陽さんに変化があったことを示す内容でしょうか。

人民の我が取れることと解釈すると、手足の爪まで抜き取られとみんな抜かれてしまうようになってしまいます(::

この大峠を越してから大いなる試しがあるのです、人の心の難しさは計り知れない程ですが、見ていなさい、見事なことをして見せるぞ。

この大峠を越してから大いなる試しがあるのです、人の心の難しさは計り知れない程ですが、見ていなさい、見事なことをして見せるぞ。

この大峠とは都市攻撃とノアの大洪水だと思いますが、大いなる試しが気になります。

亡くなる時の心の状態如何で、蘇生コースが待っているとか?諸世紀では一応、アンドロイドが救出しに来るとあります。

わかったようなわからないような感じです(**難しいです。


■平易意訳■

氷治氏の解釈 :(一巡目)

はらひため 千城百国 精治万歳。 (ガタガタに痛んだ世界中の国々の治療が終わりました。それを祝い万歳しましょう。)

建て壊しに3.5年、建て直しに3.5年かかります。

その間は 暗闇の時代、火を灯しても灯しても暗いのです。

明るい人民には 闇でも明るいのです。

日は 三日と半日、半日と三日です。

次に、五年と五年、五日と五日です。 このことを間違えては なりません。

手足の爪まで抜きとられ、歩くことも出来ない様な酷いことにされて追いやられたのです。

ですが、真・誠は 誠・真です。

時が巡り来て、我(が)がとれたので、光が射し染めたのです。

岩戸が開けたのです。

神が苦しむ時は 人民が苦しみ、人民が苦しむ時は 神も苦しむのです。

世界中の苦しみ、地上の苦しみ、それらは 天上の苦しみです。

この大峠を越してから大いなるタメシがあります。

人の心の難しさは 計り知れない程です。

ですが、見ていなさい、見事な結果にしてみせます。

ロックさんの解釈 :(一巡目)

三年と半年、半年と三年です、

その間は暗闇時代、火を灯しても暗いのです、

明るい人民には闇でも明るい、

日は三日と半日、半日と三日、

次に五年と五年です、

五日と五日です、

このこと間違えないで下さい。

手足の爪まで抜きとられ、あるにあられん、むごいことにされて追いやられたのですが、マコトはマコトぢゃ、 時めぐりきて、我(が)がとれたので、光がさしそめたのです、

岩戸がひらけたのです。

神が苦しむ時は人民が苦しみ、人民苦しむ時は神も苦しむのです。

世界中の苦しみ、地上の苦しみ、天上の苦しみぞ、

この大峠を越してから大いなるタメシがあります、

人の心の難しさ計り知れん程であるなれど、見て御座れ、見事なこと致して見せるぞ。


■解説と補足説明■

ロックさんの解釈 :(一巡目)

ノアの大洪水は三年間は波が引かないと言っていましたね。

大峠とは、都市攻撃のことでしょうか。

その後の避難生活で試されるということでしょうか。

一番恐いのは本能ですね。

きちんと何やらミロクには策があるようです。

太陽に補足をお願いしたいと思います。



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