良い宇宙人と悪い宇宙人,宇宙の真相, The Earth is Controlled by Evil Alien


NO4160 


神示に秘められた比率の考察 


julaさんのメール

jula です。

扶桑の巻 第01帖 (001) に関連して以前メールしたものを再送します。

2:3=5 

144:216=360 で 1000:1500

一昨日あたりから“古事記神話の真解釈”で気になった語彙で検索して適当に抽出、眺めてます。

まだ、まとまった解釈段階には辿りついていませんが、

「もしかして比率を言っているのかな?」

という部分などがありました。


千引岩をとざすに際して、

ナミの神は夫神の治(し)らす国の人民を日に千人喰ひ殺すと申され、

ナギの神は日に千五百の産屋(うぶや)を建てると申されたのであるぞ。

これが日本の国の、又地上の別名であるぞ、

数をよく極めて下されば判ることぞ、

天は二一六、

地は一四四と申してあろうが、

その後ナギの神は御一人で神々をはじめ、

いろいろなものを生み給ふたのであるぞ、

マリヤ様が一人で生みなされたのと同じ道理、

この道理をよくわきまへなされよ。

此処に大きな神秘がかくされている、

一神で生む限度は七乃至八である、

その上に生まれおかれる神々は皆七乃至八であるが、

本来は十万十全まで拡がるべきものである。

或る時期迄は八方と九、十の二方に分れてそれぞれに生長し弥栄し行くのであるぞ。

至恩の巻 第09帖(956)


東は扶桑(二三)なり、

日()出づる秋(とき)は来にけり。

この巻 扶桑(二三)の巻、

つづく六の巻を合せて七の巻一百四十四帖の黙示を五十黙示と申せよ。

イシもの言ふぞと申してありたが、

イセにはモノ言ふイシがあると昔から知らしてあろうがな、

五の一四(イシ)がもの言ふのであるぞ、

ひらけば五十となり、

五百となり、

五千となる。

握れば元の五となる、

五本の指のように一と四であるぞ、

このほうを五千の山にまつれと申してあろうが、

これがイチラ(五千連)ぞ、

五十連(イツラ)ぞ、判りたか、

五十連 世に出るぞ。

天に神の座あるように、

地には人民の座があるぞ、

天にも人民の座があるぞ、

地に神の座があるぞ。

七の印(しるし)と申してあるぞ、七とはモノのなることぞ、

天は三であり、

地は四であると今迄は説かせてあったなれど愈々時節到来して、

天の数二百十六、地の数一百四十四となりなり、

伊邪那岐三となり、

伊邪那美二となりなりて、

ミトノマグハイして五となるのであるぞ、

五は三百六十であるぞ、

天の中の元のあり方であるぞ、

七の燈台は十の燈台となり出づる時となったぞ、

天は数ぞと申してあろう、

地はいろは(意露波)であるぞ。

判らん者が上に立つこととなるぞ、

大グレン目の前、

日本のみのことでないぞ、

世界中のことであるぞ、

今度は三千世界が変るのであるから今迄のようなタテカヘではないのであるぞ。

何も彼も鏡にうつるのであるぞ。

鏡が御神体であるぞ。

何もうつらん御神体のカガミは何もならんぞ。

扶桑の巻 第01帖(850)

使用さされた特殊文字 


ナギの神 1500 : ナミの神 1000 ≒ 3 : 2 

天 216 : 地 144 ≒ 2 : 3

握れば 5 (比率として圧縮すると 2+3=5 として見える)

補足1)五は三百六十であるぞ →五 で 360度≒円、球であるぞ。

補足2)イチラ(五千連)ぞ、五十連(イツラ)ぞ 

ひふみでは神界、霊界、現界合わせて立て替え、建て直しすることを“三千世界”という言葉で言い換えている節があります。

イチラ(五千連)ぞ、五十連(イツラ) というのも、大筋は5種類とか5人とか5個だけど、段階を追って別次元?まで展開していくと5→50→500→5000と拡がりを見せます、関連がありますみたいに言っているようにも思えます。

あとイシは単純に“握りこぶし”と見てしまった方が誤解は少ないかもしれません。


七は成り、八は開くと申してあろうが、

八の隈(くま)からひらきかけるのであるぞ、

ひらけるとと九と十との三が出てくる、

これを宮と申すのぞ、

宮とはマコトのことであるぞ、

西と東に宮建てよと申すこと、

これでよく判るであろうが、

マコトの数を合せると五と五十であるぞ。

中心に五があり、その周辺が五十となるのであるぞ。

これが根本の型であり、

型の歌であり、

型の数であるぞ、

摩邇(マニ)の宝珠(タマ)であるぞ、

五十は伊勢であるぞ、

五百は日本であるぞ、

五千は世界であるぞ、

このほう五千の山、

五万の川、

五億のクニであるぞと申してあろうがな。

碧玉の巻 第05帖(869)

使用さされた特殊文字 


七は成り

物質世界は 7 ( 3 : 4) (3 + 4 =7) で構成されている?


岩戸しめの始めはナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時であるぞ、

ナミの神が火の神を生んで黄泉国に入られたのが、そもそもであるぞ、

十の卵を八つ生んで二つ残して行かれたのであるぞ、十二の卵を十生んだことにもなるのであるぞ、


二人で産んだので十までは卵の状態で産んだ。

で八と残りの二つ(九、十)を各々が分けた?


五つの卵を四つ生んだとも言へるのであるぞ、

総て神界のこと、霊界のことは、現界から見れば妙なことであるなれど、それでちゃんと道にはまってゐるのであるぞ。

一ヒネリしてあるのぢゃ、天と地との間に大きレンズがあると思へば段々に判りてくるぞ。

夫神、妻神、別れ別れになったから、一方的となったから、岩戸がしめられたのである道理、判るであろうがな。

その後、独り神となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになったのであるが、それが一方的であることは申す迄もないことであろう、

妻神も同様、黄泉大神となられて、黄泉国の総てを生み育て給ふたのであるぞ、

この夫婦神が、時めぐり来て、千引の岩戸をひらかれて相抱き給う時節来たのであるぞ、

うれしうれしの時代となって来たのであるぞ。

同じ名の神が到るところに現はれて来るのざぞ、

名は同じでも、はたらきは逆なのであるぞ、

この二つがそろうて、三つとなるのぞ、

三が道ぞと知らせてあろうがな。

時来たりなば この千引の岩戸を倶にひらかんと申してあろうがな。

次の岩戸しめは天照大神の時ぞ、

大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、

ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞと知らせてあろう。

いよいよとなってマコトの天照大神、

天照皇大神、

日の大神、

揃ふてお出まし近うなって来たぞ。

次の岩戸しめは素盞鳴命に総ての罪をきせてネの国に追ひやった時であるぞ、

素盞鳴命は天下(あめがした)を治しめす御役(おんやく)の神であるぞ。

天ヶ下(あめがした)は重きもののつもりて固まりたものであるからツミと見へるのであって、よろづの天の神々が積もる(と言ふ)ツミ(積)をよく理解せずして罪神と誤って了ったので、これが正しく岩戸しめであったぞ、

命(みこと)をアラブル神なりと申して伝へてゐるなれど、 アラブル神とは粗暴な神ではないぞ、

あばれ廻り、こわし廻る神ではないぞ、

アラフル(現生る)神であるぞ、

天ヶ下、大国土を守り育て給う神であるぞ、

取違ひしてゐて申しわけあるまいがな。

このことよく理解出来ねば、今度の大峠は越せんぞ。

絶対の御力を発揮し給ふ、ナギ、ナミ両神が、天ヶ下を治らす御役目を命じられてお生みなされた尊き御神であるぞ。

素盞鳴の命にも二通りあるぞ、

一神で生み給へる御神と、

夫婦呼吸を合せて生み給へる御神と二通りあるぞ、

間違へてはならんことぞ。

神武天皇の岩戸しめは、御自ら人皇を名乗り給ふより他に道なき迄の御働きをなされたからであるぞ。

神の世から人の世への移り変りの事柄を、一応、岩戸にかくして神ヤマトイハレ彦命として、人皇として立たれたのであるから、大きな岩戸しめの一つであるぞ。

仏教の渡来までは、わずかながらもマコトの神道の光がさしてゐたのであるなれど、仏教と共に仏魔わたり来て完全に岩戸がしめられて、クラヤミの世となったのであるぞ、

その後はもう乱れほうだい、やりほうだいの世となったのであるぞ、これが五度目の大き岩戸しめであるぞ。

碧玉の巻 第10帖(874)


ナギ、ナミ夫婦神は八分通り国土を生み育てられたが、

火の神を生み給ひてナミの神は去りましたのであるぞ。

物質偏重の世はやがて去るべき宿命にあるぞ、

心得なされよ。

ナミの神はやがて九と十の世界に住みつかれたのであるぞ。

妻神に去られたナギの神は一人でモノを生むことの無理であることを知り給ひ、

妻神を訪れ給ひ、相談されたのであるなれど、

話が途中からコヂレて遂に別々に住み給ふ事となり、

コトドを見立てられて千引の岩戸をしめ、

両神の交流、歓喜、弥栄は中絶したのであるぞ。

至恩の巻 第08帖(955)


国常立神も素盞鳴命も大国主命も、総て地(智)にゆかりのある神々は皆、九(光)と十(透)の世界に居られて時の来るのをおまちになってゐたのであるぞ、

地は智の神が治(し)らすのぞと知らしてあろうが、

天運 正にめぐり来て、

千(智)引の岩戸(言答)はひらかれて、

これら地(智)にゆかりのある大神達が現れなされたのであるぞ、

これが岩戸ひらきの真相であり、

誠を知る鍵であるぞ。

至恩の巻 第10帖(957)


死ぬか生きるかは人民ばかりでないぞ、

神々様も森羅万象の悉くが同様であるぞ、

しばらくの生みの苦しみ。

八の世界から十の世界になるのであるから、

今迄の八方的な考へ方、

八方的な想念や肉体では生きては行かれんのであるぞ、

十方的想念と肉体でなくてはならんぞ。

至恩の巻 第13帖(960)


八方的地上から十方的地上となるのであるから、

総ての位置が転ずるのであるから、

物質も念も総てが変るのであるぞ。

これが元の元の元の大神の御神策ぞ、

今迄は時が来なかったから知らすことが出来んことでありたなれど、

いよいよが来たので皆に知らすのであるぞ。

百年も前からそら洗濯ぢゃ、

掃除ぢゃと申してありたが、

今日の為であるぞ、岩戸ひらきの為であるぞ。

今迄の岩戸ひらきと同様でない、

末代に一度の大岩戸(言答)ひらきぢゃ。

至恩の巻 第14帖(961)


神の申すことは一分一厘違はんのであるぞ、

今度言ふことを聞かねば大変な気の毒となるぞ、

地(智)の下になって了ふのであるぞ、

12345678の世界が12345678910の世となりて、

012345678910の世となるのぢゃ、

012345678910が【マコト】と申してあろうがな。

裏表で二十二ぢゃ、

二二の五ぢゃ、

二二(ふじ)は晴れたり日本晴れぞ、

判りたか。


★12345678の世界≒八方的地上  

12345678910の世≒十方的地上

012345678910の世となる

★総ての位置が転ずるのであるから、物質も念も総てが変るのであるぞ

「0」が先頭に来ることで、1〜8、9〜10まで皆右にスライドして位置が変わっちゃいますね。


悪の仕組は、日本魂をネコソギ抜いて了ふて、

日本を外国同様にしておいて、

一呑みにする計画であるぞ。

日本の臣民、悪の計画通りになりて、尻の毛まで抜かれてゐても、まだキづかんか、

上からやり方かへて貰はねば、下ばかりでは何うにもならんぞ。

上に立ちてゐる人、日に日に悪くなりてきてゐるぞ。

メグリある金でも物でも持ちてゐたらよい様に思ふてゐるが、

えらい取違ひであるぞ。

早う神の申すことききて下されよ。

世界の何処さがしても、今では九九(ここ)より他に、神のマコトの道知らす所ないのざぞ。

此の道の役員、

上から見られん所によきことないと今度の御用、

なかなかにつとまらんぞ、

洗濯急げよ、

掃除急げよ、

家の中が治まらんのは女にメグリあるからぞ、

このことよく気付けておくぞ、

村も国々も同様ぞ。

女のメグリはコワイのざぞ。

節分からは八回拍手うちて下されよ。

神はげしくなるぞ。

一月十二日、のひつ九の

磐戸の巻 第10帖 (246)

使用された特殊文字 


★サタンが仕組んだイザナミ主導の世?

む、すると、火結びの神を産む・・・サタンもしくはサタンの元を産んで実秀答を焼かれた?

その結果メグリとなって喧嘩別れ?


五十黙示録 第一巻 扶桑の巻 第二帖(2)

昭和三十六年五月五日、

旧三月二十一日(1961年)(ひふみ神示 第三十一巻)(851)

なかとみの ふとのりとこと ふとにのりあぐ。

一はいくら集めても一であるぞ、

判らんものいくら集めても判らん道理、

二は二、

三は三であるぞ、

一を二つ集めても二にはならんぞ、

人民 大変な取違いを致して居るぞと申してあろうがな、

(レイ)がもとぢゃ、

一(レイ)がもとぢゃ、

結びぢゃ弥栄ぢゃ、

よく心得なされよ。

世の元、の始めから一と現われるまではを十回も百回も千回も万回も、くりかへしたのであるぞ、

その時は、それはそれはでありたぞ、

火と水(一と三)のドロドロ(十)であったぞ、

その中に五色五頭の竜神(色二ん)が御ハタラキなされて、つくり固めなされたのぢゃ、

今の人民は竜神(二ん)と申せば、すぐ横を向いて耳をふさぐなれど、

マコトのことを知らせねばならん時ざから、

ことわけて申してゐるのぞ。

竜神(色二ん)とは神(理)であるぞ、

五色の竜神とは国常立尊の御現われの一(ヒトツ)であるぞ。

戒律をつくってはならん、

戒律がなくてはグニャグニャになると思ふであろうなれども、

戒律は下の下の世界、

今の人民には必要なれど、いつまでも、そんな首輪はいらんぞ、

戒律する宗教は亡びると申してあろうがな。

使用された特殊文字   


称言(たたえごと) 太祝詞(ふとのりと)こと 今ぞ高らに。

木でも草でも皆、中から大きくなるのざと申してあろう、

つけ焼刃や膏薬はりで大きくなるのでないぞ、

三千年に一度と言ふ、又とない結構な時がめぐりて来てゐるのであるぞ、

為せば成るぞ、

六ヶ敷いこと申してゐるのではない、

自分の中の自分を掃除して自分の外の自分を洗濯して磨けと申しているのぞ、

みがけば神と同列のミタマぞ、

釈迦ぞ、キリストぞと申してあろう。

内にあるものを磨けば外からひびくものも磨かれた、けがれのないものとなるのぢゃ、

中の自分を掃除しないで居るといつ迄たっても、岩戸がひらけてゐても岩戸はひらけん。

扶桑の巻 第13帖(862)


太祝詞(ふとのりと) のりのり祈らば 岩戸ひらけん。

神は一時は仏とも現れたと申してありたが、仏ではもう治まらん、

岩戸が開けたのであるから、蓮華ではならん。

人民も改心しなければ、地の下に沈むことになるぞ、

神が沈めるのではない、

人民が自分で沈むのであるぞ、

人民の心によって明るい天国への道が暗く見へ、

暗い地の中への道が明るく見えるのであるぞ、

珍しきこと珍しき人が現れてくるぞ、

ビックリ、ひっくり返らんように気つけてくれよ、

目の玉 飛び出すぞ、

たとへでないぞ。

紫金の巻 第07帖 (137)


いやな事は我が血統に致さすなり、

他人傷つけてはならんなり、

ひふみにも二十(ふとまに)、五十(いづら)、

いろはにも二十(ふとまに)、五十(いづら)、

よく心得なされよ。

何彼の事ひふみ、

いろはでやり変へるのぢゃ、

時節めぐりて上も下も花咲くのぢゃぞ。

誰によらず改心せなならんぞ、

この方さへ改心致したおかげで今度の御働き出来るのぢゃ、

同じこと二度くり返す仕組ざぞ、

この事よく腹に入れておいて下されよ。

同じこと二度、

この神示 神と仏のふで。

八月二日、一二

青葉の巻 第07帖 (476)

使用された特殊文字  


愈々の大建替は

国常立の大神様、

豊雲野の大神様、

金の神様、

竜宮の乙姫様、

先づ御活動ぞ。

キリギリとなりて

岩の神、

雨の神、

風の神、

荒の神様

なり、

次に地震の神様となるのざぞ。

今度の仕組は元のキの生き神でないとわからんぞ、

中津代からの神々様では出来ない、わからん深い仕組ざぞ、

猿田彦殿、

天鈿女命(あめのうずめのみこと)殿、

もとのやり方では世は持ちて行けんぞ。

今一度 悪栄えることあるぞ、

心して取違ひない様にいたされよ。

口と心と行ひとで神示とけよ、

堂々説けよ。

一月四日、一二のかみ。

風の巻 第03帖 (354)


日本の人民 餌食(えじき)にしてやり通すと、

悪の神申してゐる声

人民には聞こへんのか。

よほどしっかりと腹帯締めおいて下されよ。

神には何もかも仕組てあるから、

心配ないぞ。

改心出来ねば気の毒にするより方法ないなれど、

待てるだけ待ってゐるぞ、

月の大神様が水の御守護、

日の大神様が火の御守護、

お土つくり固めたのは、大国常立の大神様。

この御三体の大神様、

三日この世構ひなさらねば、

此の世、くにゃくにゃぞ。

実地を世界一度に見せて、

世界の人民一度に改心さすぞ。

五十になっても六十になっても、

いろは、一二三(ひふみ)から手習ひさすぞ。

出来ねばお出直しぞ。

慢心、早合点 大怪我のもと、

今の人民、血が走り過ぎてゐるぞ、

気付けおくぞ。

二月十六日、

ひつ九のか三。

風の巻 第12帖 (363)


今の人民 少しは神示判って居らんと恥づかしい事出来て来るぞ、

なさけない事出来てくるぞ、

くやしさ目の前ぞ。

次の世がミロクの世、

天の御先祖様なり、

地の世界は大国常立の大神様

御先祖様なり、

天の御先祖様

此の世の始まりなり、

お手伝いが弥栄のマコトの元の生神様なり、

仕上げ見事成就致さすぞ、

御安心致されよ。

天も晴れるぞ、

地も輝くぞ、

天地一つとなってマコトの天となりなりマコトの地となりなり、

三千世界一度に開く光の御代ぞ楽しけれ、

あな爽(さや)け、

あなすがすがし、

あな面白や、

いよいよ何も彼も引寄せるから その覚悟よいか、

覚悟せよ、

あな爽け、

あなすがすがし、

四十七と四十八と四十九ぢゃ。

十二月四日、

七つ九のかミしらす。

梅の巻 第17帖 (444)


平坂の 岩戸(言答)ひらけむ音のきこゆる。

神に怒りはないのであるぞ、

天変地異を神の怒りと取違ひ致してはならん。

太神は愛にましまし、真にましまし、善にましまし、美にましまし、数にましますぞ。

また総てが喜びにましますが故に怒りはないのであるぞ、

若(も)し怒りが出た時は、

神の座から外れて了ふのであるぞ。

救ひの手は東(ヒムカシ)よりさしのべられると知らしてあろが、

その東とは、東西南北の東ではないぞ、

このことよく判りて下されよ。

今の方向では東北(ウシトラ)から救ひの手がさしのべられるのぢゃ、

ウシトラとは東北であるぞ、

ウシトラコンジンとは国常立尊で御座るぞ、

地(千、智)の元の、天地の元の元の元の神ぞ、

始めの始め、終りの終りぞ、

弥栄の弥栄ぞ、

イシヅヱぞ。

扶桑の巻 第08帖(857)


八方

いざナギが作った世界?

八方のその先の九方、十方にいざナミはいってしまった?

一方で国常立神も素盞鳴命も大国主命も、総て地(智)にゆかりのある神々は皆、九(光)と十(透)の世界に居られて時の来るのをおまちになってゐたのであるぞ

なお、千引岩戸とは ・・・ 智引く岩戸

智が引く岩戸 

智はいざなぎ 愛はいざなみ と読むことができるのか?

すると、(1〜8の無い)9 10 は行き過ぎの(黄泉の)世界?

やはり、過去の世界でノアの大洪水で浄化された様子が何度かあった ということ?

いざナミの作り出す世界はその愛ゆえ、愛憎に重きが置かれてしまった。?

いざなぎが智で岩戸を引かざるを得なかった。

≒千引岩戸≒智引く岩戸

八方ふさがりとなることは判りつつも、そのままにしておくことはならない故、 仮に独力で世界を作った。

例えば・・・この5度目までの岩戸閉めは試作、試験段階

マニから外れたところで、実験的、試作的に行われている。

とりあえず物質世界を、天3 地4で 7のバランスとしている

このため八方塞がりな世界となっている。

しかし本来は扶桑 2,3 で 5 ナミ2 ナギ3 で あはせて 5が理想の配合比率。

フトマニに組み入れるときには地144 、天216で合わせて360

360 は球の度数。

144 と 216 は 2 : 3


千引岩をとざすに際して、ナミの神は夫神の治(し)らす国の人民を日に千人喰ひ殺すと申され、ナギの神は日に千五百の産屋(うぶや)を建てると申されたのであるぞ。

これが日本の国の、又地上の別名であるぞ、

数をよく極めて下されば判ることぞ、

天は二一六、地は一四四と申してあろうが

ちなみに1000:1500も2:3の比率。

2対3のバランスとせよというところか? 1000:1500=2:3

216:144=3:2

2+3=5

同じ事は2度起こる。

大難を小難にかえる。



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