ロックさんのメール
ロックです。
この帖は、まるで諸世紀の解読を読んでいるような内容です。
改めて拝見してビックリ@@です。
扶桑の巻 第07帖 (007)
岩(一 )隠れし 比売(ヒメ)(秘命)のミホト(実秀答)は 焼かへ給ひて。
三分の一の人民になると、早うから知らせてありたことの実地がはじまっているのであるぞ。
何も彼も三分の一ぢゃ、
大掃除して残った三分の一で、新しき御代の礎と致す仕組ぢゃ、
三分六ヶ敷いことになっているのを、天の神にお願い申して、一人でも多く助けたさの日夜の苦心であるぞ、
カンニンのカンニン、
ガマンのガマンであるぞ、
九 (光ノ神)の花咲くぞ。
使用された特殊文字
|
■平易意訳■(太陽さんの一部解読から)
岩穴に隠れている「比売の尊」は 焼かれてしまいました。
(宇宙の超大型宇宙船の中に隠れている、秘密の尊は 攻撃され焼き殺されてしまいました)
三分の一の人民になると、早くから知らせてあったことの実地がはじまっているのです。何も彼も三分の一なのです。
大掃除して残った三分の一で、新しき時代の礎とする仕組なのです。
三分すら難しくなっているのを、天の神にお願いをして、一人でも多く助けたいための日夜の苦心なのです。
堪忍の堪忍、我慢の我慢をしているのです。
その先に光の神の花が咲きます。
土星とかの衛星には、波動砲の砲台のような衛星もあるようですので、岩穴が超大型宇宙船となるのは
なるほどと思いました。
秘密の尊は 攻撃され焼き殺されてしまいました)
この時期がすごく気になるところです。
秘密の尊とはひふみ神の側つまり天使側の方なのでしょうか。
そうならば相当なお願いをして我慢している方も我慢しているのではないかと思います。
少しでも多くの方が助かるようにとの思いからなのですね。
光の神の花、咲いて欲しいです。
|
■平易意訳■
氷治氏の解釈 :(一巡目)
岩穴に隠れている「比売の尊」は 焼かれてしまいました。
(宇宙の超大型宇宙船の中に隠れている、秘密の尊は 攻撃され焼き殺されてしまいました)
三分の一の人民になると、早くから知らせておいた出来事の実地が、始まっています。
何も彼も三分の一となるのです。
大掃除をして残った三分の一で、新しき御代の礎とする仕組です。
三分の一でも難しくなっているのを、天の神にお願いして、一人でも多く助けたくて、日夜努力し苦心しているのです。
ならぬ堪忍の堪忍、我慢の上の我慢をしているのです、
そうして、ついに、「光の神」の花が咲くのです。
ロックさんの解釈 :(一巡目)
三分の一の人民になると、早うから知らせてありたことの実地がはじまっているのです。
何も彼も三分の一です、
大掃除して残った三分の一で、新しき御代の礎と致す仕組ゃ、
三分六ヶ敷いことになっているのを、天の神にお願い申して、一人でも多く助けたさの日夜の苦心の結果です、
堪忍の堪忍、我慢の我慢であるぞ、
九 (光ノ神)の花咲きます。
|
■解説と補足説明■
ロックさんの解釈 :(一巡目)
これは天使のモニターから始まった各人の訓練のことを差しているかもしれませんね。
50億人の救済とは月人も含む数かもしれませんね。
サタンの陣地で人類の三分の一に相当する20億人を救うというだけでもそれはすごい事かと思います。
月には相当数の月人達がいるのかもしれませんね。
金星や火星にも居住区はありますからそこで働いている人も考えたら、もしかして太陽系全体で50億人てことでしょうか?
太陽に補足お願いしたいと思います。
|
扶桑の巻 第08帖 (008)
平坂の 岩戸(言答)ひらけむ 音のきこゆる。
神に怒りはないのであるぞ、
天変地異を神の怒りと取違ひ致してはならん。
太神は愛にましまし、
真にましまし、
善にましまし、
美にましまし、
数にましますぞ。
また総てが喜びにましますが故に怒りはないのであるぞ、
若(も)し怒りが出た時は、神の座から外れて了ふのであるぞ。
救ひの手は東(ヒムカシ)よりさしのべられると知らしてあろが、
その東とは、東西南北の東ではないぞ、
このことよく判りて下されよ。
今の方向では東北(ウシトラ)から救ひの手がさしのべられるのぢゃ、
ウシトラとは東北であるぞ、
ウシトラコンジンとは国常立尊で御座るぞ、
地(千、智)の元の、
天地の元の元の元の神ぞ、
始めの始め、終りの終りぞ、
弥栄の弥栄ぞ、イシヅヱぞ。
|
■平易意訳■
平坂の 岩戸(言答)の開く 音が聞こえてきます。
神に怒りはないのです、
天変地異を神の怒りと取違えてはいけません。
太神は愛にましまし、真にましまし、善にましまし、美にましまし、数にましますなのです。
また総てが喜びにましますが故に怒りはないのす、
若(も)し怒りが出た時は、神の座から外れてしまうのです。
救いの手は東(ヒムカシ)より差し伸べられると知らしているでしょう、
その東とは、東西南北の東ではないのです、
このことよく判りて下さい。
今の方向では東北(ウシトラ)から救いの手が差し伸べられるのです、
ウシトラとは東北です、
ウシトラコンジンとは国常立尊なのです、
地(千、智)の元の、天地の元の元の元の神なのです、
始めの始め、終りの終りなのです、
永久に繁栄していくその上の永久に繁栄をしていくことを現していく礎なのです。
ウシトラコンジンの内容ですが、まだまだ消化できてないです。
怒りを出すと神の座から外れるそうです。
取り違いかもしれませんが、困ったことに都市攻撃の際、狩りを行う月人も基本的に怒りは無く、楽しむために行うような印象です。
怒って来られても困りますけど、、、
神サタンも怒る事で神の座から外れるのでしょうか。
天地の元の元の元の神ですから、ウシトラコンジン=ひふみの神でよろしい?
ジタバタしながら、何とか理解出来るようになりたいものです。
|
■平易意訳■
氷治氏の解釈 :(一巡目)
平坂の岩戸(言答)が開けている音が聞こえます。
(ギギ−それともゴ−でしょうか?)
神に怒りは 無いのです。
天変地異を神の怒りと取り違いしてはなりません。
太神は 愛にましまし、真にましまし、善にましまし、美にましまし、数にましまし、ているのです。
また、総てが喜びにましますが故に怒りは 無いのです。
若(も)し怒りが出た時は 神の座から外れてしまうのです。
救ひの手は 東(ヒムカシ)よりさしのべられると知らせています。
その東とは 東西南北の東では ありません。
このことを良く判ってください。
今の方向では 東北(ウシトラ)から救ひい手がさしのべられるのです。
ウシトラとは東北です。
ウシトラコンジンとは 国常立尊のことです。
地(千、智)の元の、天地の元の元の元の神です。
始めの始め、終りの終り、弥栄の弥栄、の礎となる方・おわす方角のことです。
ロックさんの解釈 :(一巡目)
神に怒りはないのです、
天変地異を神の怒りと取違ひ致してはなりません。
太神は愛にましまし、真にましまし、善にましまし、美にましまし、数にましますぞ。
また総てが喜びにましますが故に怒りはないのです、
若(も)し怒りが出た時は、神の座から外れて了うのです。
救いの手は東(ヒムカシ)よりさしのべられると知らしてあります、
その東とは、東西南北の東ではありません、
このことよく理解してください。今の方向では東北(ウシトラ)から救いの手がさしのべられるのです、
ウシトラとは東北です、
ウシトラコンジンとは国常立尊で御座います、
地(千、智)の元の、天地の元の元の元の神です、
始めの始め、終りの終りです、
弥栄の弥栄です、
礎です。
|
■解説と補足説明■
ロックさんの解釈 :(一巡目)
『 神に怒りはないのです、天変地異を神の怒りと取違ひ致してはなりません。 』
よく宗教関係者がいうことを否定してますね。
大神はそんな器の小さい存在ではないと取りました。
『救いの手は東(ヒムカシ)よりさしのべられると知らしてあります、その東とは、東西南北の東ではありません、このことよく理解してください。今の方向では東北(ウシトラ)から救いの手がさしのべられるのです、ウシトラとは東北です、ウシトラコンジンとは国常立尊で御座います 』
問題はこれです。
額面どおりのウシトラの方向ではないようです。
東西南北の東は否定しています。
"東北" = これが何を意味するかですね。
太陽が生まれた九州から見てウシトラでしょうか?
ならばトウケイジョウかとも思うのですが、ウシトラコンジンとは国常立尊で御座います、
ウシトラコンジン = 太陽でしょうか。
解釈間違えると、キリストの軍隊と鉢合わせになるかもしれませんので、慎重にしたいところです。
|
扶桑の巻 第09帖(858)
ささげてむ 和稲荒稲(わしねあらしね) 横山のごと。
五人あるぞ、中二人、
外三人、この仕組 天の仕組。 一切と手をつながねばならん。 人民のみで世界連邦をつくろうとしても、それは出来ない相談、
片輪車と申してあろうが、
目に見へぬ世界、目に見へぬ人民との、タテのつながりつけねばならん道理、
人民同士の横糸だけでは織物にはならんぞ。
天は火ぞ、
地は水ぞ、
火水組み組みて織りなされたものが、ニシキの御旗ぢゃ、
ヒミツの経綸であるぞ。
|
■平易意訳■
和の稲と荒の稲を横山のごと?に捧げます。
和=平和、荒=戦い
五人いるのです。
中に二人、外に三人、
この仕組は天の仕組なのです。
一切と手を結ばなくては成りません。
人民のみで世界連邦をつくろうとしても、それは出来ない相談で片輪車と云っているでしょう。
目に見えぬ世界の目に見えない人民(霊的存在)との
縦の繋がり(行いがリンクした形)をつけなくてはならない道理です。
人民同士の横糸だけでは織物になりません。
天からは、都市攻撃です。
地ではノアの大洪水です。
火水組み組みて織り成された物が、錦の御旗なのです。
秘密の経綸なのです。
起こることとして避けられない二つの事象は、人民にとって鍛え上げられる事象なのかもしれません。
五人について、太陽さんの解読を参照しますと、国内・地上に二人、外国・宇宙に三人ということなので、
天の仕組を構成している人物が国内と地上に二人ということは、例えるなら国内と地上に和の稲の「太陽」と荒の稲の「?」日本に登場する「あいつ」がリンクした存在?
外国・宇宙に三人とすると、和の稲の「天使の女王」荒の稲の「月人の王」とイシヤ代表「ロックフェラー?」
獣の方々は構成している人物に該当するのでしょうか。
|
■平易意訳■
氷治氏の解釈 :(一巡目)
和の稲、荒の稲(わしねあらしね)を山のごとくに捧げます。
(平和の稲穂と戦いの稲穂を山の様に捧げましょう)
この仕組は天の仕組で、構成している人物が国内・地上に二人、外国・宇宙に三人、合計五人います。
これらの一切と手を繋ぐ必要があります。
(地上の二人と宇宙の三人がリンクして、手をたずさえて行動しないと巧くいかないのです。)
人民のみで世界連邦をつくろうとしても、それは出来ない相談です。
片輪車となって巧く動かないと説明してあります。
目に見えない世界(霊界・神界の神の霊達)、目に見えない人民(憑依している神の霊達)との、タテの繋がりをつけねばならないのです。
この道理は人民同士の横糸だけでは織物にはならないからです。
天は火です。
地は水です。
火水組み組みて織りあげられたものが、錦の御旗となるのです。
このことは秘密の経綸です。
ロックさんの解釈 :(一巡目)
ささげてむ 和稲荒稲(わしねあらしね) 横山のごと。
五人います、中二人、外三人、この仕組 天の仕組。
一切と手をつながねばならん。
人民のみで世界連邦をつくろうとしても、それは出来ない相談、片輪車と申してあろうが、
目に見えない世界、目に見えない人民との、縦のつながりつけねばならない道理、人民同士の横糸だけでは織物にはならんぞ。
天は火ぞ、
地は水ぞ、
火水組み組みて織りなされたものが、ニシキの御旗ぢゃ、
ヒミツの経綸であるぞ。
|
■解説と補足説明■
ロックさんの解釈 :(一巡目)
『 五人います、中二人、外三人 』
具体的な人数を提示していますね。
中二人とは太陽と女王かと思います、
外は、バカボンのパパさん曰くのダライラマや、ドイツ、日本(この場合情報を理解した日本人)でしょうか。
(バカボンのパパさんのHPからホピの予言についての考察より「日本(太陽)・ドイツ(メハ)、赤い帽子と赤い衣をつけたチベットのダライ・ラマ」が働くと捉えています。)
縦と横とは時間のことかと思います。
この事態は時間を行き来できる存在と手を組まなければ解決できないと示唆しているのでしょうか。
『 天は火ぞ、地は水ぞ、火水組み組みて織りなされたものが、ニシキの御旗ぢゃ、ヒミツの経綸であるぞ。 』
宇宙からは都市攻撃、地表ではノアの大洪水、二つが組みあって、情報を刷り込まれたのが、二色?の御旗(ひふみ神示)です。
太古からの秘密の作戦です。
|
扶桑の巻 第10帖 (010)
赤丹(あかに)の頬に きこしめしませ 御酒(ミキ)たてまつる。
何事が起って来ても先づ喜んで迎へねばならんぞ、
近づいてくるのは呼びよせたからぢゃ、
こんないやな、きたないものは、ごめんぢゃと申す人民もあるなれど、
それは皆 己の心のうつしでないか。
内に無いものが外から近よる道理ないのぢゃ、
どんなものでも、喜んでむかへるとよろこびとなる結構な仕組、よく会得せよ。
何事も一段づつ、一歩づつぢゃ、
一足飛びは大怪我のもと。
|
■平易意訳■
太陽さんの解読から(赤ん坊のように赤い頬(ほお)に、御酒(ミキ)を奉りますので飲んで下さい。
何事が起って来ても先づ喜んで迎えなくてはなりません、
近づいてくるのは呼びよせたからなのです、
こんな嫌な、汚い物は、ごめんだと云う人民もいますが、
それは皆 己の心の写しでないですか。
内に無いものが外から近よる道理はないのです、
どんなものでも、喜んで迎えるとよろこびとなる結構な仕組をよく会得してください。
何事も一段づつ、一歩づつなのです、 一足飛びは大怪我のもとです。
焦らず、近づいてくる事象に対して肯定的に迎える姿勢が、当人の状況環境を変えていくようです。
この辺りは、喜びとする姿勢によって、周りの霊界も喜びを元とした姿になることによって、イメージした人間を媒体にして現実界で当人に及ぼす影響が出るのかなと思いました。
来る新世界もこのようなスタンスで行かなくては、状況環境が悪いのをサタンのせいにしていたつもりが、実は単に自分のスタンスのせいだったなんてことになるかも。
地球劇場という環境のせいにする前に、生まれ赤子のような笑顔のスタンスでこの世の中を過ごす事が出来れば、その後
彼の存在に助けられることがあるなら、その後の長い生命を弥栄えに迎えるかも知れませんね。
|
■平易意訳■
氷治氏の解釈 :(一巡目)
赤ん坊のように赤い頬(ほお)に、御酒(ミキ)を奉りますので飲んで下さい。
何事が起って来ても、先づ喜んで迎へねばなりません。
近づいてくるのは呼びよせたからです。
汚い者はごめんぢゃと云う人民もいますが、それは皆 己の心の映しです。
内に無いものが外から近よる道理ないのです。
どんなものでも、喜んで迎えると喜びとなる結構な仕組になっているのです。
よく会得しなさい。
何事も一段づつ、一歩づつです。
一足飛びは大怪我のもとです。
ロックさんの解釈 :(一巡目)
何事が起って来ても先づ喜んで迎えて下さい。
近づいて来るのは呼びよせたからです、
こんな嫌な、汚い物は、勘弁してくださいと言う人民もあるなれど、それは皆 己の心の写しでないか。
内に無いものが外から近よる道理はありません、
どんなものでも、喜んで迎えると喜びとなる結構な仕組、よく会得せよ。
何事も一段づつ、一歩づつです、
一足飛びは大怪我のもと。
|
■解説と補足説明■
ロックさんの解釈 :(一巡目)
起きてる事象の全ては本人の修行であるというような内容のようです。
喜んで迎えると喜びとなるこのノウハウを会得してください。
何事も一段づつ、一歩づつ、一足飛びは大怪我の元。
|
扶桑の巻 第11帖 (011)
沖つ藻葉辺津藻葉ぞ。
母しらす御国の五のハタラキは何れも十のつばさを持ってゐるぞ、
足は十本であるぞ、 更に五十のつばさとなりなる仕組、
五十の足がイツラぞ、
イツラではうごきとれん。
四十九として働いてくれよ、
真中の一はうごいてはならん。 真中うごくでないぞと申してあろうがな、
時過ぎてタネまく人民多いのう、
人民と申すものは天狗ざから、自分はよいのだが、世の中悪いのざと申してゐるなれど、
世の中と申すものは大神のハタラキの現れであるから、
【大神の中でのうごきであるから】、
世の中が悪いと思ふのは、大神が悪いと思ふことになるのぢゃぞ、 其処に底知れぬ程の魔の仕組があるぞ、気つけおくぞ。
|
■平易意訳■
沖つ藻葉辺津藻葉ぞ。
母を知らす御国の五の働きは何れも十の翼を持っているのです、
足は十本です、
更に五十の翼と成り成る仕組、五十の足がイツラです、
イツラでは動きは取れません。
四十九として働いて下さい、
真中の一は動いてはなりません。
真中は動いてはならないと云っていたでしょう、
時を過ぎてタネまく人民が多いのです、
人民と云う物は天狗なので、自分はよいのだが、
世の中悪いのだと云っていますが、
世の中と云う物は大神の働きの現れであるから、
【大神の中での動きであるから】、世の中が悪いと思うのは、
大神が悪いと思うことになるのです、
其処に底知れぬ程の魔の仕組があるのです、気をつけておきますよ。
母を知らす御国の五の働きは何れも十の翼を持っているのです、
足は十本です、
更に五十の翼と成り成る仕組、五十の足がイツラです、
イツラでは動きは取れません。
四十九として働いて下さい、
真中の一は動いてはなりません。 真中は動いてはならないと云っていたでしょう、
この部分は、漠然ながら、臣民にミロクの目鼻口耳手足の役目をする四十九としての働きをしなさいということを示していて、その真ん中にいる一である、ミロク本体は動いてはならないとしていると取りました。
時を過ぎてタネまく人民が多いのです、
人民と云う物は天狗なので、自分はよいのだが、世の中悪いのだと云っていますが、世の中と云う物は大神の働きの現れであるから、【大神の中での動きであるから】、世の中が悪いと思うのは、大神が悪いと思うことになるのです、
其処に底知れぬ程の魔の仕組があるのです、
気をつけておきますよ。
この部分は、第十帖の内容を補足しているような感じです。
「悪いことを待つこと」も魔の仕組のようですし、「世の中が悪いと思う」ことも、大神が悪いと思うことになって其処に底知れぬ魔の仕組があるようですね。
沖つ藻葉辺津藻葉ぞ。
沖つ藻葉? 辺津藻葉?
沖にある藻の葉も、辺りの津の藻の葉も同じ藻の葉ですと言う意味?だと、
藻に良いも悪いもないということになりそうですが。
藻の花というのはあるようですが、藻葉というのは一般に辞書ではないようです。
成長した枝から生えるのが葉ですから、元は大神から生み出された生命体にあたる人類もそのような
良いも悪いもない藻のような存在なのに、何を思い違いしているのかという内容を示唆しているのがこの帖かも知れませんね。
|
つ 1 【津】
(1)海岸・河岸の船舶が来着する所。 船つき場。 渡し場。 港。
(2)特に、船つき場や渡し場に対して、物資が集散し、集落が形成された所。 港町。
|
■平易意訳■
氷治氏の解釈 :(一巡目)
沖つ藻葉辺津藻葉ぞ。
母を知らせて起きます。
御国の五の働きは何れも十の翼を持っています。
足は十本であるのです。
更に、五十の翼となりなる仕組になっているのです。
五十の足がイツラです。
イツラでは動けません。
四十九として働いてください。
真中の一は動いてはなりません。
真中は動くなと言いつけているでしょう。
時が過ぎて種を撒く人民が多いです。
(時期はずれです)
人民と云うものは天狗ですから、自分は良いのだが、世の中が悪いのだと云っています。
ですが、「世の中と云うものは大神の働きの現れですから」、【大神の中でのうごきであるから】、「世の中が悪いと思うのは大神が悪いと思うことになる」のです。
其処に底知れぬ程の魔の仕組があるのです。
注意しておきます。
ロックさんの解釈 :(一巡目)
母知らす御国の五の働きは何れも十の翼を持っています、
足は十本です、
更に五十の翼と成り鳴る仕組、五十の足がイツラぞ、
イツラでは動きとれん。
四十九として働いてくれよ、
真中の一は動いてはなりません。
真中動くでないぞと申してあろうがな、
時過ぎて種まく人民多いですね、
人民と申すものは天狗なので、自分は良いのだが、世の中悪いのですと申していますが、世の中というものは大神の働きの現れであるから、【大神の中での動きであるから】、世の中が悪いと思ふのは、大神が悪いと思うことになるのです、
其処に底知れぬ程の魔の仕組があります、気をつけてください。
|
■解説と補足説明■
ロックさんの解釈 :(一巡目)
太陽を中心に出来ることを行ってください。 という感じの内容かと思います。 この場合イツラ=5 @で五色竜神=覚醒した太陽としました。
また正規のイツラ=五十連も太陽のこととして扱っています。
『 世の中というものは大神の働きの現れであるから、【大神の中での動きであるから】、世の中が悪いと思ふのは、大神が悪いと思うことになるのです、
其処に底知れぬ程の魔の仕組があります、気をつけてください。』
全ての事象は建て直しに向けての本人の訓練の一貫なので、世の中が悪い(憎い)と思うのは大神が悪いと思うことになるのです。 そこに底知れぬほどの魔の仕組があります。 気をつけてください。
悪い、悲観する、憎む、これが増幅されることでいいことは無さそうですね。 サタン側に引き込まれてしまうということなのかもしれません。
|
トッチさんのメール
トッチです。
ロックさん、お疲れ様です。
原書を見ますと、母を知らせる五つの働きの説明なのか、母が五つの働きなのか、どちらなんだろうと思いました。
そもそも“母”とは何でしょう・・・?
イツラ(いずれ)分るのかなぁ。
|
ロックさんのメール
ロックです。 トッチさんお疲れさまです。
「母」は女神のことなのか、イザナミ=サタンのことなのか。
人類の母と言うなら、サタンのことが当たりそうですが、サタンのことを伝える働きだとするとはまりそうですが、竜宮の乙姫様のこともあるかなとも思いました。 雨風岩地震大地震でしたっけ、五つの神の働きのことも言っているようにも思いました。
解読は一人では難しいですね。
|
トッチさんのメール
トッチです。
よく大地を母と言いますが、全てを生んで育む存在としますと、サタンすら生んだもっと奥の存在かなぁ・・・
五は扶桑の巻九帖の5人と同じものでしょうかね?
|
ロックさんのメール
ロックです。 幣帛(ミテクラ)についての説明がありますが、メールではコピペすると白いままでペーストされるみたいなのでアドレスも貼っておきます。
幣は神、天子、賓客に贈る立派な礼物。
帛は贈答に用いる
薄絹の意味だそうです。
“きこしめしたべ”
は聞こし召すの意味合いかと思います。
そのまま読むに、この帖は、ひふみの神の子であるミロク(太陽さん)に宛てた内容だと思います。
宇都は、辞書で検索しても宇都宮としかなりません。
|
きこし‐め・す【聞こし召す】
大辞林でも 「きこしめす」 を検索する
[動サ五(四)]《動詞「聞く」の尊敬語「きこす」に動詞「見る」の尊敬語から転じた「めす」の複合したもの》
1 本来の「飲む」「食う」の尊敬語から転じて、酒を飲むことを戯れていう。 「だいぶ―・して真っ赤な顔をしている」
2 「聞く」の尊敬語。 お聞きになる。
「若(も)し大后はこの事―・さねかも」〈記・下〉
3 「聞き入れる」の尊敬語。 お聞き入れになる。 お許しになる。
「上達部御前に召さむ、と啓し給ふ。 ―・すとあれば」〈栄花・初花〉
4 「治める」の尊敬語。 お治めになる。
「難波の海おし照る宮に―・すなへ」〈万・四三六一〉
5 「飲む」「食う」の尊敬語。 お飲みになる。 召しあがる。
「物などたえて―・さず、日を経て青み痩(や)せ給ひ」〈源・浮舟〉
|
扶桑の巻 第12帖 (012)
進(タテマツ)る 宇都の幣帛(ミテクラ) きこしめしたべ。
神の御手に巻物があるぞ、
その巻物の数は五十巻ぢゃ、
この巻物を見たものは今迄に一人もなかったのであるぞ、
見ても判らんのぢゃ。
巻物を解いて読もうとすれば、それは白紙となって了うのであるぞ、
人民には判らんなり。 説くことは出来んなり、
この巻物は天の文字で書いてあるぞ、
数字で書いてあるぞ、
無が書いてあるぞ、
無の中に有がしるしてあるぞ、
心を無にすれば白紙の中に文字が現はれるのであるぞ、
時節参りて誰の目にも黙示とうつるようになった、
有難いことであるぞ、
岩戸がひらけて愈々の時となったのぞ、
始めからの巻物よく読んで下されよ、
よくより分けて下されよ、
何も彼も一切ありやかに刻まれてゐるぞ、
残る十二巻と一巻は人民では判らんぞ、
|
■平易意訳■
進(タテマツ)る 宇都の幣帛(ミテクラ) きこしめしたべ。
進んで?(たてまつる。 奉る?)宇都からの幣帛(ミロクへの貴重な情報・暗号?)を(ひふみの神の子ミロクは)お聞き入れなさっている?
太陽さんの解読を参照することにします。
内容的には、白紙の巻物がミロクの覚醒に迫る内容であったりするのではないかと思いました。
|
■平易意訳■
氷治氏の解釈 :(一巡目)
宇都の幣帛(ミテクラ)をきこしめし進(タテマツ)る。
神の御手に巻物があります。
その巻物の数は五十巻です。
この巻物を見たものは今迄に一人もなかったのです。
その巻物は見ても判らないのです。
人民が巻物を解いて読もうとすれば、それは白紙となってしまうのです。
ですから、人民にはどうやっても判らないのです。
人民には説くことも出来ないのです。
この巻物は天の文字で書いてあり、数字で書いてあり、無が書いてあり、無の中に有が記してあるのです。
心を無にすれば、白紙の中に文字が現はれるのです。
時節が来て誰の目にも黙示と映る様になったのですから、有難いことです。
岩戸が開けていよいよの時となったことを意味しているのです。
始めからの巻物をよく読んで下さい。
よく内容を吟味して内容を選り分けて下さい。
何も彼も一切のことが、記録されています。
残る十二巻と一巻は人民では判りません。
無の巻物だからです。
空に書いてあるからです。
ロックさんの解釈 :(一巡目)
神の御手に巻物があります、
その巻物の数は五十巻です、
この巻物を見たものは今迄に一人もなかったのであります、
見ても判りません。
巻物を解いて読もうとすれば、それは白紙となって了うのです、
人民には判りません。
説くことは出来ません、
この巻物は天の文字で書いてあります、
数字で書いてあります、
無が書いてあります、
無の中に有が記してあります、
心を無にすれば白紙の中に文字が現われるのです、
時節参りて誰の目にも黙示とうつるようになった、有難いことです、
岩戸が開けて愈々の時となったのです、
始めからの巻物よく読んで下されよ、
よくより分けて下されよ、
何も彼も一切ありやかに刻まれてゐるぞ、
残る十二巻と一巻は人民では判らんぞ、
無の巻物ぞ、
空に書いてあるぞ。
|
■解説と補足説明■
ロックさんの解釈 :(一巡目)
一見、ひふみ神示全五十巻のことかもしれませんが、天使の通信も含めた内容の可能性があるかもしれません。
白紙を読むということや人民には判らない内容ということは、それを解読して意味が通るように出来るのは太陽だけと示していると思います。
|
扶桑の巻 第13帖 (013)
称言(たたえごと) 太祝詞(ふとのりと)こと 今ぞ高らに。
木でも草でも皆、中から大きくなるのざと申してあろう、
つけ焼刃や膏薬はりで大きくなるのでないぞ、
三千年に一度と言ふ、又とない結構な時がめぐりて来てゐるのであるぞ、
為せば成るぞ、
六ヶ敷いこと申してゐるのではない、
自分の中の自分を掃除して自分の外の自分を洗濯して磨けと申しているのぞ、
みがけば神と同列のミタマぞ、
釈迦ぞ、キリストぞと申してあろう。
内にあるものを磨けば外からひびくものも磨かれた、けがれのないものとなるのぢゃ、
中の自分を掃除しないで居るといつ迄たっても、岩戸がひらけてゐても岩戸はひらけん。
|
■平易意訳■
称言(たたえごと) 太祝詞(ふとのりと)こと 今ぞ高らに。
(予言により)称えられていた内容が、太祝詞こと(神に願いをしたためた思いとともに)
今、高らかに実現を見る?
木でも草でも皆、中から大きくなると云ってあるでしょう、
つけ焼刃や膏薬はりで大きくなるのではありません、
三千年に一度と言う、又とない結構な時がめぐりて来ているのです、
為せば成ります、
六ヶ敷いことを言っているのではありません、
自分の中の自分を掃除して自分の外の自分を洗濯して磨けと云っているのです、
磨けば神と同列の身魂なのです、
釈迦や、キリストのようになるのだと云っているでしょう。
内にあるものを磨けば外から響くものも磨かれた、穢れのないものになるのです、
中の自分を掃除しないで居るといつ迄たっても、岩戸が開けていても岩戸は開けません。
臣民の身魂磨きを進めていかないと、岩戸が開いていても、開かないようです。
太祝詞については、簡単に解釈してみました。
|
■平易意訳■
ロックさんの解釈 :(一巡目)
称言(たたえごと) 太祝詞(ふとのりと)こと 今ぞ高らに。
木でも草でも皆、中から大きくなるのですと伝えてありますね、
つけ焼刃や膏薬はりで大きくなるのでないのです、
三千年に一度と言う、又とない結構な時がめぐりて来ているのです、
為せば成るぞ、
六ヶ敷いこと言っているのではありません、
自分の中の自分を掃除して自分の外の自分を洗濯して磨けと申しているのぞ、
磨けば神と同列のミタマぞ、 釈迦ぞ、キリストぞと申してあろう。
内にあるものを磨けば外からひびくものも磨かれた、けがれのないものとなるのぢゃ、
中の自分を掃除しないで居るといつ迄たっても、岩戸が開けていても岩戸はひらけません。
|
■解説と補足説明■
ロックさんの解釈 :(一巡目)
自分の中の自分を掃除する、ちっちゃいちっちゃい神の子なので、磨けばそこまで行ける身魂、サタンに服従を強制されていない本来の釈迦やキリストと同列になれるのです。
『 中の自分を掃除しないで居るといつ迄たっても、岩戸が開けていても岩戸はひらけません。 』
宇宙の真相を理解出来る下地を作ることも、避難するためには必要ですし、真実に気付くということは、ある意味、本人にとっての岩戸開きかも知れませんね。
そしてその一貫の流れの中に食の事、心構えなどが含まれているということなのかもしれません。
|
ロックさんのメール
ロックです。
扶桑の巻も後二つです。
|
扶桑の巻 第14帖 (014)
青海原 青垣山の内(宇宙)に 御子生る。
神の御座(みくら)のまわりには十の宝座があるぞ、十の宝座は五十と五十、百の光となって現れるのであるぞ、大摩邇は百宝を以って成就すると知らせてあろうがな、
五十種の光、五十種の色と申してあろうがな、
光の中に百億の化仏(けぶつ)ぢゃと申してあろう、
百が千となり万となり億となるのであるぞ、
今迄は四の活物(かつぶつ)と知らせてありたが、
岩戸がひらけて、五の活物となったのであるぞ、
五が天の光であるぞ、
白、青、黄、赤、黒、の色であるぞ。
|
■平易意訳■
青海原 青垣山の内(宇宙)に 御子生る。
(スサノオは大海原を治めよと云われてますので気になるところですが、青海原とは、まだ未熟な海のことをさしているのでしょうか。)
神の御座(みくら)のまわりには十の宝座があるのです、
十の宝座は五十と五十、
百の光となって現れるのです、
大摩邇は百宝を以って成就すると知らせてあるでしょう、
五十種の光、五十種の色と云っているでしょう、
光の中に百億の化仏(けぶつ)だと云っているでしょう、
百が千となり万となり億となるのです、
今迄は四の活物(かつぶつ)と知らせてありましたが、岩戸が開けて、五の活物となったのです、
五が天の光であるのです、
白、青、黄、赤、黒、の色であるのです。
神の御座のまわりには十の宝座があるとのこと。
神に関する情報の周りには、十の宝座がある?
十の宝座は五十と五十、
百の光となって現われる、
五十とはたくさんの例えのようなもの?
色んな宗教や色んな歴史、色んな事象から読み取れるミロクやサタンに関する諸々のこと? と言う感じでしょうか。
それが、ミロク、サタンの双方の必要な情報を掛け合わせた時(百宝が集まった時)大摩邇?が成就するということと考えてみました。
四の活物と五の活物の違いとは、握りこぶしのたとえの延長でしょうか。
白、青、黄、赤、黒の色、五種類の龍の姿にも例えられそうですが、ともあれ、こういう内容は難しいものです(::
|
■平易意訳■
ロックさんの解釈 :(一巡目)
神の御座(みくら)のまわりには十の宝座があります、
十の宝座は五十と五十、百の光となって現れるのです、
大摩邇は百宝を以って成就すると知らせてあります、
五十種の光、五十種の色と伝えてあります、
光の中に百億の化仏(けぶつ)と伝えてあります、
百が千となり万となり億となるのです、
今迄は四の活物(かつぶつ)と知らせてありましたが岩戸が開けて五の活物となったのです、
五が天の光です、
白、青、黄、赤、黒、の色です。
|
■解説と補足説明■
ロックさんの解釈 :(一巡目)
知らせてあろうがな等の表現は誰に知らせていたのかということですが、太陽に
「これまでの訓練の中で理解出来るようにしておきましたよ」
ということかと思いました。
内容的には難しいので太陽にお願いしたいと思います。
|
ロックさんのメール
ロックです。
扶桑の巻ラストになります。
扶桑の巻 第15帖 (015)
百不足(モモタラズ) 八十隈手(ヤソクマデ) いまひらかんときぞ。
天のことは今迄は人民には判らなかったのであるぞ、
時めぐり来て、岩戸がひらけて、判るようになったのぞ、
今迄の人民であってはならん、
地そのものが変ってゐるのであるぞ、
人民は我(ガ)が強いから一番おくれてゐるのであるぞ、
人民の中では宗教人が一等おくれてゐるぞ、
神人(カミヒト)とならねば生きては行かれんのぢゃ、
天地がアメツチとなってきてゐるからぞ、
天も近うなるぞ、
地も近うなるぞと気つけてありたのに目さめた人民少ないぞ、
今に昇り降りで急しくなり、
衝突するものも出てくるぞ、
他人におんぶされたり、車に乗せられてゐた人民たちよ、
もうその時は過ぎてゐるのであるから、自分の足で歩まねばならんぞ、
大地をふみしめよ、
大地の気が身内に甦るぞ。
|
■平易意訳■
百不足(モモタラズ) 八十隈手(ヤソクマデ) いまひらかんときぞ。
天のことは今迄は人民には判らなかったのです、時がめぐり来て、岩戸が開けて、判るようになったのです、
今迄の人民であってはなりません、
地の状況そのものが変っているのです、
人民は我(ガ)が強いから一番遅れているのです、
人民の中では宗教人が一等遅れているのです、
神人(カミヒト)とならねば生きては行かれません、
天地がアメツチとなって来ているからです、
天も近くなります、
地も近くなりますと気つけてありたのに目が覚めた人民は少ないです、
今に昇り降りで急しくなり、衝突するものも出て来ます、
他人におんぶされたり、車に乗せられていた人民たちよ、
もうその時は過ぎているのですから、自分の足で歩まなくてはなりませんよ、
大地を踏みしめなさい、
大地の気が身内に甦ります。
天のことは今迄は人民には判らなかったのです、
時がめぐり来て、岩戸が開けて、判るようになったのです、
ミロクが目覚めて、宇宙の真相を話し始めたことも「岩戸開き」の
一つとしているのかも知れませんね。
天地がアメツチとなっているという意味合いは、
宇宙での展開の流れ(戦局の変化により)により地上の内容も変化を
始めているのかもと取っています。
現在は我田引水的かも知れませんが、SOHOの画像の分析も2003年の
内容よりも現在のほうがより具体的であったりします。
都市攻撃に関する予言に出てくる巨大宇宙船のことも、
どんな性能であるのか予想がつくようになってきました。
その辺りの、状況の変化も云っているのかも知れませんね。
まだまだ平面的ですが、天使と言う存在の導き方であるとかそういった
ものの現場を通しての理解などが進むと、立体的となりうるのでしょうか。
最初に記載されている、百足らずの八十隈手(ヤソクマデ)今
ひらかんときぞとあります。
足りなかった八十隅手(幸福を呼ぶパーツ)が、揃って今開く時が来たということとも考えてみました。
この帖では、自分で苦労して、動かなくてはいけない時期に来ているとも
あります。
大地を踏みしめなさい、大地の気が身内に甦ります。
この例えは何でしょう。
自らが踏みしめて固めた大地(行ったこと?)
踏みしめることで、行ったことの活力や勢いが身内?に甦ります。
身内に甦る(・・?自分ではなく、周りに影響を波及させるということ?
大変難しいです。
|
■平易意訳■
ロックさんの解釈 :(一巡目)
百不足(モモタラズ) 八十隈手(ヤソクマデ) いまひらかんときぞ。
天のことは今迄は人民には判らなかったのです、
時めぐり来て、岩戸が開けて、判るようになったのです、
今迄の人民であってはなりません、
地そのものが変っているのです、
人民は我(ガ)が強いから一番遅れているのです、
人民の中では宗教人が一等遅れているのです、
神人(カミヒト)とならねば生きては行けません、
天地がアメツチとなってきているからぞ、
天も近くなります、
地も近くなりますと気つけてあったのに目覚めた人民少ないぞ、
今に昇り降りで急しくなり、衝突するものも出てくるぞ、
他人におんぶされたり、車に乗せられていた人民たちよ、
もうその時は過ぎてゐるのであるから、自分の足で歩まねばなりません、
大地をふみしめよ、大地の気が身内に甦るぞ。
|
■解説と補足説明■
ロックさんの解釈 :(一巡目)
『 天のことは今迄は人民には判らなかったのです、時めぐり来て、岩戸が開けて、判るようになったのです、今迄の人民であってはなりません 』
宇宙の真相は今までは今までのサタンに滅亡させられた人類も現在のアメリカ文明に胃くる人類もわからなかったのです。(ミロクがいることによって)地上そのものが変っているのです。
人民は洗脳がきついので我がきついから一番遅れているのです、
人民の中では宗教の信者の方々が一番遅れています。
神人(現段階では神の意図を理解する人)とならなければ生きては行けません。
(思想のみで生きるのではなく避難に際しての準備とか極めて現実的なことをしなくてはなりません)
『 天地がアメツチとなってきているからぞ、天も近くなります、地も近くなりますと気つけてあったのに目覚めた人民少ないぞ、今に昇り降りで急しくなり、衝突するものも出てくるぞ 』
他人におんぶされたり、車に乗せられていた人民たちよ、もうその時は過ぎているのですから、自分の足で歩まねばなりません、
大地をふみしめよ、自らが考え動き行動することで、天使の誘導が働きます。
|
トッチさんのメール
トッチです。
ロックさん、お疲れ様です。
ところで、平易意訳の欄にもロックさんのご意見が加わっているのでしょうか?
それは良いとしまして、感想を少々。
「百の光となって現れるのであるぞ」
「百宝を以って」
この「百」ですが、“ひゃく”と見るのではなく“もも”と見た方が良いのかなと思います。
「百(もも)」=非常に数の多い事を表す。
「五十種の光、五十種の色と申してあろうがな」
そうしますと、百を使う上で便宜的に五十で表したのかもしれません。
五十と五十、つまり、一方と相対する他方が和する。
又は、他の神示で“2人で御用しろ”とありますので、一方と一方が協力して2倍以上の力を発揮する。
それを元に、百が千となり万となり億となる。 つまり弥栄・進化でしょうか。
と、こんな捉え方で良いのかもしれません。
今迄は四の活物(かつぶつ)と知らせてありたが、岩戸がひらけて、五の活物となったのであるぞ
|
次の15帖に、
天のことは今迄は人民には判らなかったのであるぞ、時めぐり来て、岩戸がひらけて、判るようになったのぞ
|
と有ります。
今までの臣民は良い所まで判っていたとしても、もう一歩の所で身魂が曇っているが為に目クラツンボの中で迷っていましたが(四)、岩戸が開けて目出度くミロクの世をむかえ、プラスαを理解した(五:神懸り)状態。
つまり、改心が出来て、もう一歩の殻を破った状態とでも言いましょうか。
こんな感じで、四とか五などの数字に拘らないで見た方が判りやすいのかもと思いました。
数字に具体的な意味や物が有るのかもしれませんが、現時点ではこの位でしか判断出来ませんね。。。
|
ロックさんのメール
ロックです。
トッチさんこんにちは(^^)
数の足し算になるものについては、プラスアルファの何かを生み出す表現をしたほうが現時点での解読としては妥当かなと思いました。
トッチさんさすがですね(^^ゞ
別件で、怒りについて正反対の表現があるのも気になってました。
字を忘れてしまいましたが、
「保持の神様お怒りぞ」
という記述がありました。 確かひふみの方に。 食物のことについて戒めていた内容だと思いますが、扶桑の巻には、怒ると神でなくなるとあります。
ひふみを受けた当初は宗教色もかなり高い中での状況で、まだまだ戒律が必要なところであったからでしょうか。 「食べ物を粗末にしてはいけない」
という部分は判るんですけど、そこの表現がちょっとだけ気になりました。
月読の尊は、神話では夜の食国おすくに?を治めるだったかな?
そういうのと関係があるのかなと思ってますが、頭の中はこんがらがってます(+_+)
|
トッチさんのメール
トッチです。
怒りについてですが、確か何処かの神示に、
「怒りにも色々有るぞ」
とあ
りましたね。。。
神の怒りと言われる物は愛の表れ、相手(例えば人間)の為になる怒りであるのに対し、人の心に起きる怒りは憎悪に起因場合が殆どだと思います。
又は自分に不都合なことに対する怒りもありますね。
そんな感情に囚われているようでは、折角神懸りになる可能性があるのに、ミスミス放棄する様な物かなと思います。
怒りは身を滅ぼすとも言いますので、いつも穏やかでありたいものでござんすね〜。
|
トッチさんのメール
トッチです。
自分の担当は行き詰ってますが、気分転換にこちらを調べてみました。
「岩戸がひらけて、五の活物となったのであるぞ、五が天の光であるぞ、白、青、黄、赤、黒、の色であるぞ。」
随分前になると思いますが、“五色”について取り上げたと思います。
中国思想の五行(木、火、土、金、水)に含まれる五色(青、赤、黄、白、黒)があります。
・青
「木」を表し、東方の色とされる.
・赤だ
「火」を表し、南方の色とされる。
・黄
「土」を表し、中央の色とされる。
・白
白は金性であり、同じく金性の西方を守護する神獣は白虎である。
・黒
黒は水をあらわし、北や冬を連想させる。
四の活物から五の活物になるとしますと、どの色が加わるのでしょうか。
岩戸開きの前は“中道”に生きる事が出来ていませんので、中央の黄色が欠けているのかもしれませんね。
中国思想における「道」とは、宇宙の一切を生み出し、あるべき姿に置き、秩序を保っているものを「道」と考えるそうです。 (徳間書店 中国の思想 第6巻より)
ですので、今まで有り得なかったミロクの仕組みが、岩戸が開いた後に機能するという事なのかもしれません。
|
千成の返事
千成です。
最近読んだ本からの本からの引用です。
万物すなわち宇宙と自然の働きは、すべて太極(たいきょく)の働きであると捉え、太極が動く時には、陰と陽の働きに分かれ、陰陽が動く時に五行を形成すると考える。
概略を言えばそういうことになりますが、実はこれが易の根本精神となるものです。
また老子に謂う
「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三はすべてを生ず」
とある真義であり、この場合の「三」が五行のことなのです。
つきつめて行けば、東洋哲学の神髄にまで行き着く陰陽五行説です。
『ネコにも分かる気学入門』より
|
トッチさんのメール
トッチです。
千成さんもお忙しい中、色んな本を読まれていますね。
三=陰陽五行説も、一つの説としてあるのですね。
五行には、五色、五声、五感など、あらゆるものが含まれてますので、いわゆる万物の働きと言えるのかもしれません。
でも、ネコにも分かるのに、なんで私は分からんのでしょう?
|
千成の返事
トッチさん
千成です
わたしもニャンにもわかりません。
過去に易の名人で“高島〜”の物語を読んだことが
あるのですが、その人は、何でも当てたとのことです。
でも、どの筮竹(ぜいちく)を
引き出すかは偶然であるのに、それで未来がどうして
わかるものか、とその時は、バカにしていました。
ところが名人でなくても、誰がやっても、心で何かを問うと、 (つまり、未来のあることに対して心の中で問いを発すれば)、 何度やっても同じ卦が出るという話を最近聞いて仰天しました。
たとえば、心の中で、
「わたしは入試に受かるか?」
などと問うと、その答えが出てくるのだそうです。
筮竹がなくても、コイン3枚を三回ころがしても同じだそうです。
表が陽、裏が陰と決めておけば、何度やっても同じになるのだそうです。
もちろん何べんもコインをころがせば、表裏の出方は変わるのですが、変わるには、一定の法則があるのだそうです。
その法則を考慮して表裏をチェックすると、同じものが出ていることが
わかるそうです。
「ま、まさか!」
の話なのですが、この現象は、心の内側と心の外 (肉体をとりかこんでいる外の環境)
とは、同一であるとすると、成り立つ理論かもしれません。
「外界の環境には意志があり、もし問いを投げかければ、その問いに
対して答えを
出してくれる!」
ということ?
もう少し例をあげると、
「入試に受かる?」
と心で問うて、近くの誰かの笑い声が
聞こえると
「受かる」
というサインなんだとのこと。
ムムム!
の話ですが、これだけの説明では、多分??となられると
思います。
「心で何かを問えば、その答えがすぐさま自分の外界(環境)に出現する!?」
な〜んて、まるでおとぎ話の世界みたいですし、常識的にみて
ありえないことです。
ただ、これが易の原理のようです。
そして、それがもしも、もしも本当なら
易は実用に使えることになります。
そういえば、易とは、日と月を組み合わせた言葉なんだそうです。
“高島〜”が、筮竹を使って運命をすべて読み取ったと言われていることも、なるほど、そういうこともある可能性があると思えます。
それなら、心の中で何か問いを発すれば、その答えが
外界にあるのだから、慣れれば、筮竹やコインなどという道具なしに未来を
読み取れるかもしれません。
心を澄ませば、すべてが写る!
こうなると、カミ懸かりの状態かもしれません。
でも、ひょっとしたら、
「これは誰にでも出来ることかも」
な〜んて感じました。
ただ、めぐりがあると、めぐりが心の平衡を失わせるので、澄んだ鏡のような状態に
なれない。
そこで、外界に現れているサインを見落とす!
つまり、心の内にある神の意図を読み間違う!
ひふみ神示が、何度も“めぐりをとれ”と言うのは、こういうことかも?
ここらの説明は、本を斜め読みにしたので、うまく説明できませんが、占いをバカにしていたのに
ちょっとまじめに本でも読んでみたほうがいいかも、なんて思い出しています。
ただ、占いをやっても、めぐりがあると、占いに囚われてしまい、身動きができなくなるかも。
やはり最初にすべきことは、
“めぐりとり”ということになるのかも。
ただ、ちょっと“運命”ということに興味を持ったので、
関係の本を読んでみたくなりました。
そこで、
「ネコでもわかる本」
から始めたのですが・・・“五行”がいっぱいでてきます。
また別の同じ系統の本には“母”がでてきます。
ひふみ神示でこの“母”が問題になっていましたね。
わたしが読んだ本の中の“母”とひふみ神示の意味する“母”と
同じものかどうかはわかりません。
ただ、参考のために引用しておきます。
気学を学ぶためには、その基本となるべき色々な事柄があって、それをまず飲み込まないと、運勢や方位、家相などを正しく見ることがわからなくなってしまいます。
そこでまず第一に東洋思想の根幹である
「陰陽観」
「五行観」
「三才観」(天・地・人)
を
知っておく必要があります。 この三才観でいうところの
「天」とは父であり、
母が
「地」であって、
その天と
地の間に子供である「人」がある
わけですが、人体にとりますと、
上半身と腹部と下半身とで三才がなりたつわけで、
このことは宇宙間に存在する有機・無機物、あらゆるものがこの形式によって成り立っているという考え方をするもので、生け花、茶の湯、書道にもこの三才というものがあります。
この三才は気学に限らず、すべての運命学においてもっとも重要視されているもので、
気学における三才は、天は
「十干(じゅっかん)」というものであり、
地は、「十二支」というもの、
人は九星であります。
その十干・九星・十二支の中に五行というものがあって、陰陽があり、
「干・支・九星・五行・陰陽」
の組み合わせによる気学という運命方術が成り立っているのです。
『気学のすすめ』より
|
|
|
|
|