良い宇宙人と悪い宇宙人,宇宙の真相, The Earth is Controlled by Evil Alien


NO4196 


古事記、日本書紀読み下し・神道研究サイト 


julaさんのメール

jula です。

古事記、日本書紀読み下しを試みているページがありましたのでご紹介。

ただし、順次読み下しを試みているようなので全文が載っているわけではありません。

“戻る”でもどると、古事記、日本書紀以外についてもあれこれ書かれているようです。

http://www.linkclub.or.jp/%7Epip/ututu/kami/

かなり難しいですが、古事記、日本書紀、祝詞等々おおもとは今のような漢字ではないということですね。

更に言うと漢字を当てる以前に読みとしての音がある訳ですが、母音にしても今のような5つという訳ではなかったようです。

でもまあ、その辺に立ち入ると際限なくなっちゃうでしょうから程ほどというとこで。

ただ、今目の前にあるものが全てという訳ではなく、

「大元、元々はもっと別物だったのかも?」

なんて思いつつ 解読、解釈して行った方が良さそうですね。

祝詞(ノリト)の「ト」とはなにか

... したがって言や事ではない点である。

これはノリト(能理戸)の漢語訳が「祝詞 ... 1944, 368頁〉とある。

いったいノリトが「祝詞」という漢語に当てられたのは 何時の時点であろうか。

いわゆる醍醐帝時の延喜式(905〜927 ...


www4.osk.3web.ne.jp/~nishida5/ nisida/dousyu/ronbun/d3_15.htm

- 17k - 補足結果 - キャッシュ - 関連ページ


本稿は、『日本語の起源・系統からみた祝詞大祓詞の考察阻という作業の中の一節である。
祝詞(ノリト)そのものの意味が何であるかは、宣長ら以来種々論議されたのは周知のとおりであるが、問題の核心はノリ・トのトが甲類のト(戸・斗〉であり、したがって言や事ではない点である。
これはノリト(能理戸)の漢語訳が「祝詞」となっていて、「詞」の字に惹かれて「言」と見がちなことにある。今日までのところ、「要するに、〈ノリトゴト>のくノリ>については、従来の諸説によって、ほとんど遺憾なきまでに研究されているが、<ト〉については、なお今後の研究をまたねばならぬ。」 (次田潤『祝詞新講』1927,打頁)と述べられ、また武田祐吉氏も「トについては、諸説があって明解を得ていないが、云々」(『日本古典文学大系』古事記 ・ 祝詞 1944, 368頁〉とある。
いったいノリトが「祝詞」という漢語に当てられたのは何時の時点であろうか。
いわゆる醍醐帝時の延喜式(905〜927)の神祇令においては、平安朝になって100年以上も経ているのであるから当然であるが、それどころか平城遷都直前の大宝令(文武5年、701年〉には明確に見え、これらについては多くのすぐれた研究があるが、中でも梅田義彦氏の力作『神祇制度史の基礎的研究』に助けられる。
「大宝神祇令には、年中諸祭の中に、仲春祈年祭以下を規定し、その後に、其ノ祈年月次祭ニハ、百官神祇官二集ヒ、中臣祝詞ヲ宣リ、忌部幣富ヲ班ツ.」(93頁)とあり、さらに早く、「近江令が制せられて3年目、即位3年3月壬午の条に、山ノ御井ノ傍二、諸
神ノ座ヲ敷キテ、幣畠ヲ班チ、中臣ノ金ノ連祝詞ヲ宣ル」(88頁)、これは書紀27天智帝の条であり、このように意外と早い時期にまで遡るのである。
さて、たとえば宣長は『大祓詞後釈君中「天津祝詞乃太祝詞事」の条で「ノリトゴト(能理斗碁登)は宣説言(ノリトキゴトなり」と言って、「ト」を「説き」と解したわけであるが、「説き』の「ト」は記・紀ともに「登」「騰」(乙類)であって、彼自身が2種類区別に着眼Ψた最初の当の人であるから、その矛盾に気づいてもよかったのではないかと思われる。
トコフ;トホフ(呪・誼〉そこで、これまでの説の中では、小山龍之輔氏がこの「ト」についてトコヒ(呪誼〉のトに言及されたが(『日本文学聯講』)、氏は、例の「天つ祝詞の太祝詞事を宣れ」の「ノリトゴト」を「ノリ」と「トゴト」とに分かち、トゴトは「ト言ツ」であり、そのトはトコヒ(「ト乞フ」の意とされ)のトと同じもので、対象に積極的に働きかける意味があるとされた。しかし先ず、「天津祝詞乃太祝詞事」という文脈で、事(言)をトゴトとするのは無理であろう。ノリトは重ねられたもので、事(言)は前・後双方にかかるとみるべきである。
なお菟田俊彦氏は、このノリトの読み方の紹介のところで「その他、ノリト(宣呪)の義とみるのがおこなわれているが」(『大日本百科事典避小学館1970、P.353〉とあるが、私はむしろこの理解に注意したいと思う。
 .さて、わたくしは上の「トコフ」そのものをノり・トのトとみてはどうであろうかと考える。
つまりノリとトコフが並置されていると考える。そしてトコフはトホフとも言う (「神功紀」)ことにも注意して、日本語の周辺を探ると、モンゴル語、しかもその固有語に*tox・oxがある。/x/は喉音であるから、/k/に近く発音されたり、/h/に近くなったりするので、トコフともトホフとも発音されたことが理解される。
この語の語意は単語家族の関連からも、「鞍を掛ける;鞍に鞍褥を掛ける;棚などにものを掛ける;人に罪をかぶせる」というようである。
韓国・、「覆う;罪や責任などを他人に被せる」の意味である。
トコフ(呪・甜)は「神に霊威を請うて、自らや他人をのろう」(『時代別』上代編)とあるが、ノリも「告り;宣り1呪い」などであるから、この両者は互いに重なるところがあり、「ノリ・ト」として並置されたとみることは自然であると思われる。
なお、トコフの音韻上のことであるが、このトは上記の辞書は甲乙いづれとも明記してはいないが、記・紀では「止古比」としてもいるが、止ならば乙類ではある。
しかし上述のようにアルタイ諸語として新しく入ってきたものであれば、固有の南島語にとって、いわば外来語的な音韻は明確に判別しにくいところもあったと考えられる。
しかもtox・oxとあるように、/o/であって、/O/でないのも、このことに合致していると言えよう。
トフ(問)上のトコフ;トホフは時代が降るとあまり多〈は用いられなかった語のように思うが、実は日本語のなかで非常に重要な「トフ」(問〉という語に先行する同族語であるとわたくしは考えたい。
トフ(斗敷)<問・訪>は「問い尋ねる。占い問う場合にもいう。」(『時代別』上代編)。
これは音韻からも、そのトは甲類であり、しかも前記のノリ・トのトと同様に、記・紀では甲類であり、万葉集では乙類であるというように全く一致しているのである。
上述のモンゴル語の*tox・ox>toxから日本上代語tofuへの移行が理解されるであろう。
この「問う」は、大祓へにおいて、「荒ぶる神等をば神問はしに問はしたまひ、神掃ひに掃ひたまひ」とかr語問ひし磐根樹立ち、草の片葉をも語止めて』とあるが、神々の前の「問はし」、人々の、草木にいたるまでの「語問い」、さらには「天つ罪国つ罪、許多の罪」に対する自己みづからへの「問い』、まさに「問うこと」は大祓へめ精神ということができる。
更に言えば、ノリ・トのトは「問い」であり、「能理斗碁登は宣り説き言なり」といった宣長の言葉に擬えれば、「告り問い言なり」ということになる。祝詞(ノリ・ト)は一方、神々の御稜威を讃仰し、神意の「宣告」を奉じ、時に際し事に当たって「奉告』し、「祈念」すること(ノリ)とともに、他方、神々の「問はし」、人々の、万象の「問い」、自己自らの罪を「問う」(ト)ということができる。
ここに「祓へ」の真の精神が在るのではないであろうか。
付説(1)日本語トフ(問)の同義語タヅヌ(尋)についてタヅヌ多豆奴(尋)の起源・系統はどうであろうか。
まづ、その意味であるが、万葉集や仏足跡歌など例があるが、「道を尋ね求める」とか、道理を「推し求める」などの意味であり、人を訪問するというような用法の「確実な例は上代には見られない」(『時代別』)といわれる。さて、タヅヌ(尋)の系譜は南島諸語に求められるように思われる。
インドネシア語には、tanja〈問い1対話、問答>がある(O.Karow &.I.Hilgers-Hesse〉。
これ自体はO. デンプヴォルフの祖語にはみられないが、彼が<正し〈あること>をあげ、インドネシア系のタガログ語、トババタク語ジャワ語などをあげ、また<中、半分>で、ンガジュダヤク語。トババタク語ジャワ、マレイシアポリネシア系でも<中>がある。これらから見ると、日本の上代語Tadunuの意味の上からも合致し、音韻上もtanja〉tadunuにおける d の挿入も自然なものと思われる。
付説(2)乙類のト、とくにヤマト邪馬登(大和)・ヤマタイ邪馬台についていわゆる『魏志』倭人伝すなわち『三国志』魏書、倭人の条には邪馬台国の名が記されているが、記・紀・万葉などには夜摩苔、耶麻騰、野麻登、耶魔等、などとなっていて、すべて乙類のトtoである。
例の「邪馬台国の所在は九州か近畿か」の問題で、古代日本語の仮名遣いから、大森志郎氏は近畿のヤマト(大和)のトがすべて乙類であるのに、九州のヤマト(山門)のトは甲類ということで後者への一つの批判をされた(『魏志倭人伝の研究』1955)。また原田大六氏は、「上代語のヤマトはヤマタイから変化したのではなかろうか」と優れた着眼を示された(『邪馬台国論争』1969,378頁)。
そこで問題は何故ヤマタイyamataiであるのか。まづ、yamac [jamat∫] はトルコ語でく山などの斜面:スロープのこと>で、一taiはモンゴル語のコミタテイフ<共同格>(〜と共に)、つまり<山とともにある国;いわゆる山国である>。弥生の初め、大陸から朝鮮半島や日本海を経て日本列島に上陸したモンゴル系の人びとは、いきなり鼻を突〈ような山国に驚いてこのように名づけたのではなかろうか。
なお、tai>toは当然である。いったい名前は常に他者によってつけられる。その昔、インダス河畔に到着したアーリアンが、shindu! shindu! 〈海! 海1) と狂気したように。
つまり「海のような河」インダスこそインドの地名になったといわれる
(インド哲学者、本田義央博士)。

 付説(3).  
     上代日本語仮名遣いにおける甲類・乙類の区別はなぜ消失したか
 上代日本語においては8母音が存在した。
すなわちイ列音、工列音、オ
列音に甲・乙2種、キヒミケヘメコソトノモヨロギビゲベゴゾドの20音節である。原始日本語ではこれ以上であったかもしれないが、少なくともこれらが認められている。
その起源や系統については、南島諸語にもアルタイ諸語にもある。例えば、前者では*kui>kT(木)、*apui>pTi(火)、*mui>mi(実)、pi+*tau>pit6(人)などのごとく、後者では
今日の朝鮮語に母音が8個であるようにである。
さて、この甲・乙2種の区別は何故消失したのであろうか。
筆者は、1973年に「ドラヴィダ語と日本語」なる論文を公けにして、両言語の親縁関係
を学会に提起した(京都女子大学・人文論叢、後にマドラス大学・プラマイ学会ならびに第10回ドラヴイダ言語学会年次会議報告、ハイデラバード、1980)。
ドラヴィダ語族はアルタイ系言語に属するが、すでにb.c.3000年頃西北インドに南下し、かの壮大なインダス文明を樹立したが、その最盛期をやや過ぎた頃、かのアーリアンが侵入し、闘争を繰り返しながら次第に南部へ、また東方マレイシアやインドネシアヘも移動したが、両民族は血縁的にも文化的にも多くは融合し、今日のインドを形成している。
その人口も今日1億5000万人以上である。その言語もつとに世界で最も美しいものと称せられているが、サンスクリットもそうである例の五十音図はかれらの創始であった。
この五十音図の五母音組織の影響こそが、日本上代語の甲・乙類を解消したものと考える。なお、ドラヴィダ語の日本語への影響の証左の例としては、拙稿「日本語ヒナ(鄙)とヒナ(雛〉との起源について」(『日本語語源研究会』1986参照)。 以上

参考文献・資料(摘要)
祝詞定本・資料
祝詞 武田祐吉校注日本古典文学全集(1) 1958 岩波書店
祝詞・寿詞干田憲編 1940 岩波書店
祝詞新講次田潤著、 1927 明治書院

大祓詞 注釈大成宮地直一 一山稀也噂河野省三編 1936 内外書籍
大祓詞後釈 大野晋 編 本居宣長全集(7) 紺71 筑摩書房
神祇制度史の基礎的研究 梅田義彦著伯64吉川 弘文館
時代別国語大辞典上代編 沢潟久孝編集 代表四67 三省堂
南島諸語関係
O.Dempwolf=Vergleichende Lautlehre des Austronesischen
Wortschatzes, Andrews & Steiner, Berlin 1938
M.K Pukui &S.H.Elbert:Hawaiian Dictionary Univ.Honolulu l957
0.Karow&.1.Hilgers-Hesse: Indonesisch-Deutsches Worterbuch,O.Harrasowitz l962
J. V. Panganiban:Enghsh-Tagalog Dictionary, C.E.Tuttleco。1969

原語による台湾高砂族伝説集 台北帝国大学言語学研究室 1935
アイヌ語辞典 磯部精一著 東京実業社 1981
アイヌ語辞典 萱野茂著 三省堂 1996
アイヌ語の起源 村山七郎著 三一書房 1992
L.Sternberg=TheAinuProblemAnthropos 241929
インドネシ語辞典 末永晃著 大學書林 0992
日本一インドネシア語辞典 末永晃著 大學書林 1991
日本語一インドネシア語辞典 松浦健二著 京都産業大学 1994
崎山 理氏 著作集 国立民族学博物館他

アルタイ諸語関係
U. Halva: Die Vorstellungen der Altaischen Volker, Helsinki 1937
M .Rasanen: Versuch eines Etymologischen Woterbuchs der Torksprache,Heisinki l969
T. Burrow & M. B. Emeneu : A Dravidian EtymologiGal Dlctionary, oxford 1960
L Spaulding & C. A、 PIHal、Wlnslow English &TamilDictlonary,AsianEducatlonal  Servlce NewDelhi  1888
Cpawnitehnij CIobapi Tyngco-Manichjypckix Яzikow, Hayka 1975

現代モンゴル語辞典 小沢重男著 大學書林   1983
日本語と中世モンゴル語 同 同 1968
トルコ語辞典 竹内和夫著 同 1987
満州口語基礎語彙集 山本謙吾著 東京外大 A.A.言語研 1969
ウイルタ語辞典 池上二良著 北海道大学図書刊行会 1997
 
 総合
日本語の語源          村山七郎著 弘文堂    1974
日本語の研究方法          同     同      1974
国語学の限界                  同      1975
日本語系統の探求          同    大修館書店 1978
日本語の起源をめぐる論争     同    三一書房   1981
原始日本語と民族文化(共著)    同    
日本語の起源          大野晋著   岩波書店  1994
日本語とタミル語            同    新潮社   1981
日本語語源学の方法      吉田金彦著 大修館書店 1976
日本語の系統 基本論文集1 芝 蒸 編著 和泉書院   1985
古代日本人の意識           同    創元社   1985
                                         以上

筆者紹介
芝煮(しば・すすむ)1918年愛媛県生まれ。広島高師文科を経て、京大哲学科(倫理学専攻〉卒。旧制大学院(ヘーゲル法哲学)、京大人文科学研究所(『フランス革命の研究』共同研究(桑原・上山・梅樟他と)。独ハイデルベルク大留学(哲学・人類学〉。
主な研究主題…日本人の固有信仰の起源、日本語の起源・系統、
日本国家構造の再構築。国立民族学博物館研究協力者。
京都女子大学文学部長、学長代行を経て、名誉教授.花園大学教授。
マドラス大学タミル学会終身会員。日本語の系統研究会代表幹事。
日本道州制研究会代表.

主な著書・論文等
『カントその人と生涯…三人の弟子の記録』(訳著1967創元社)。
r愛宕信仰の起源」(1971民族学研究)。
「商天ケ原信仰の系譜」(1972民族学研究)。
「ドラヴィダ語と日本語」(1973京都女子大学・マドラス大学)。
「日本連邦制(道州制)国家の構想」(1977関西倫理学会)。
M.ウオーノック「20世紀の倫理学」(共訳1980法律文化社)。
「古代日本人の意識における二っの方向」…生命性と人格性…
(1984比較思想学会・アジア国際比較哲学会議くハワイ>〉。
「古代日本人の意識」1985創元社)。
「日本語の系統基本論文集」(編著、1985和泉書院)。
「日本道州制国家論」(1990世界思想社〉
「大国主信仰と吉村亀治大人、人と教え」  (1995 出雲大社大阪分詞)。
「中国の心理説と現代心理学」付, 「現代物理学と中国古代思想」(1999あかっき出版)
                                               以上
   住所〒606-8291京都市左京区北白川岩坂町1-28


神道について研究的立場から記されたものが検索でHitしましたので何かの参考にどうぞ。

http://atlantic.gssc.nihon-u.ac.jp/~ISHCC/bulletin/04/4023.pdf

[PDF] アストンの「神道」著作に関する予備的研究 (その1)神道論試訳 ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat 我々の古神道に関する知識の拠り所は、古事記、日本書紀、及び延喜式の三冊である。 最初の二冊は八世紀初頭に編纂された。 ... 着物を着たりすると考えられている訳では ない。古い礼拝式の一書にあるように、供物は. 「崇敬の徴」として奉納される。 ...



給料前でお金がない・・ 給料前でお金がない・・ 専門学校情報が満載♪