神・サタンの設定した “寿命カウンタ−設定プログラム”
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アンチキリスト氏が 「阿修羅のカルト1」 に最近、書き込みを増やしています。 その中には 「聖書を信じた者達の理解のしかた」 と 「信徒でない、中立的立場で素直に読むもの達」 の理解のしかたを論じたりして、 なかなかに面白い展開をしています。 キリスト教徒でなくて、 素直に聖書を読めば、キリスト教徒の 神が悪魔・サタンであるということは、 その記述から容易に理解できますが、 キリスト教徒にとつては、 精神的なロボットになっていますので、 理解できないようです。 下記書き込みは 神が自身を 不完全な存在であると云うことを 説明しているくだりです。 この書き込みについては、 それぞれがそれぞれの立場で 読まれれば良いことですので 参考にしてください。 私がこの書き込みを興味をもったのは 下記の行です。
この説明を遺伝子工学的に理解すると、 神は、普通の人間は120歳まで、 ノアは 950歳まで、 生きれるように設定・セットしたと 記述しています。
現在の遺伝工学的な知見によれば、
遺伝子のヘッダ−・先頭に
二個の細胞に分裂する回数をカウント
蛇足ですが、 男性の睾丸にある遺伝子細胞のこの 寿命カウンタ−ヘッダ−は、 初期値にセット・設定されています。 また、女性の卵子にある遺伝細胞の この寿命カウンタ−ヘッダ−も 初期値にセット・設定されています。 そして、Hすることにより、 精子の遺伝子と卵子の遺伝子が 結合することにより、卵子が分裂を 開始するとともに、寿命 カウンタ−ヘッダの値が−1され 切り離されて破棄されていきます。 (通常では この寿命カウンタ−ヘッダの設定値を人間は変更できませんので、カウンタが 決められた数値に減少しますと、 老衰ということで死亡することになります) さて、そうであれば、この寿命カウンタ−ヘッダの設定値を現在の人間の寿命の値に設定・セットして組み込めば、120歳を上限とした人間の寿命がセットされたことになりますし、ノアの様に950歳の寿命に寿命カウンタの設定をすれば、それだけの 寿命で生きていくことになります。 但し、それでも放射線などに始まるこれらの遺伝子情報・寿命カウンタ−の計数錯乱ノイズなどで、 遺伝子は傷ついていきますので、 途中でこの遺伝子の肉体・身体は 破棄せざるをえなくなり・ 死を迎えざるをえないことになります。 人類の歴史・伝説などなどを調べていくと、1000歳を越える者は 記録されていないようですので、現在の地上で現在の人類の肉体の遺伝子では この1000歳くらいが上限のようです。 これからも、「ひふみ神示」 で人類の寿命を不老不死とする為には 現在の肉体の遺伝子システムから 離れた半霊半肉体的な 大改造をしないといけないことが 理解できます。 それはともかく、以上のように理解していけば、下記の説明は良く分かります。 【「我が御霊は、永久に人の中に留まるべきにあらず。 人は肉にすぎぬのだから。」 されば、人の一生は百二十年になるべし】創世記6章3項 加えて、人は、肉体と霊の二つが存在していることも容易に理解できると思います。
![]() 蛇足ですが、 生物の寿命は、プログラム的に考えれば 判りやすいといえるでしよう。
細かく云えば、いろいろと プログラムの条件や項目などか 出てくるのですが、 大体以上のように 考えればよさそうですし、神は、 神の僕的な存在を普通の人間と 区別する為に、人間は、最大で 120歳まで、ノアで 上限の950歳まで、 日本の天皇は、 600歳まで位に初期設定した。 地上でかいま見る人類の肉体・ 身体の寿命ということになります。
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私は不完全な存在だ。 http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/346.htm l 投稿者 アンチキリスト666 日時 2005 年 4 月 24 日 14:18:20: 4oFKQxk1SMMX6 (回答先: Re: 文字と布教活動 投稿者 jack2 日時 2005 年 4 月 24 日 11:58:59) 真に「聖書」を理解するにはそこにある「光」も「影」も真正面から受け入れるべきでしょう。 聖書の一面だけを見つめ続けることは「聖書」を理解した事にならない。 「聖書」は2000年もの間、人類の歴史に重大な影響を与え続けてきた。 「聖書」に出会った事で、人生が好転したり、心が救われた人は数え切れないはずだ。 歴史上、キリスト教を撲滅、弾圧しようとした者も数多くいたが、成功例はなく、今後も撲滅にいたる事はないだろう。 人によってはそれほどまでに聖書の教え(イエスの教え)が魅力的だからだといえる。 だが、「聖書」の教えが強大な悪を行ったことを否定できない。 アメリカが原爆を民間人に向けて2発落とした。 彼らは平然と言う。 「あれは神罰であり、罪の無い者はひとりも死んでいない」 何をもって罪とすればその論拠に至るのか。 キリスト教文化圏の人々は、「聖書」に馴染みのうすい日本人にとって、理解に苦しむ言動をする事がある。 「聖書」の「影」の部分の理解なくして、彼らの文化、価値観、行動規範・・・などを理解する事は出来ない。 信仰心のない者にとって支離滅裂な「聖書」も信仰する者にとっては、【聖書の中の全ての矛盾まで真実】なのだ。 私に信仰心はないが、 【聖書に書かれている神の律法、 イエスの教えは全て正しい】との視点で聖書を読み、 「影」の部分を布教している。 当然、私の投稿は私の個人的見解だ。 反論も当然あるはずだ。 しかし、「聖書解釈」の「全世界統一見解」もない以上、反論そのものは「見解の相違」ということになるだろう。 【「我が御霊は、永久に人の中に留まるべきにあらず。 人は肉にすぎぬのだから。」 されば、人の一生は百二十年になるべし】 創世記6章3項 神が人の寿命にふれ、120歳としている。 この神の宣言の後、ノアが950歳まで生きた。 【ノアは正しい人であり、全き人であった。 】 創世記6章9項 神からみて罪の無い人は、120歳の枠にはとらわれない。 とすると、それまで生きれなかった人は、罰として寿命が削られていると考えると辻褄が合う。 聖書の神は故ヨハネ・パウロ2世も、宗教的に聖人ではない(不完全)という事だ。 「不完全な者、が不完全な物を不完全に教え、不完全な理解で不完全な行動をし、不完全な善悪判断をする」事に対してのアンチテーゼである。 【我が、汝らに命ずるこの言葉を全て忠実に 守りて行うべし。 汝、これに、何ひとつ加えるべからず。 減らすべからず。 】 申命記13章1項 「モーセが岩を2回打ち、神に罰を与えると宣言される」 民数記27章13項〜14項 神は2回打てとは言っていないが、1回打てとも2回打つなとも言っていない。 つまり、聖書の正しい読み方は、「書かれている事を疑わず、その内にある意図を類推してはいけなく、神を畏れるなら、現代の価値観とかけ離れていても、神の教えを素直に言葉のままに守るべきだ」との視点で読む事である。
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