ウォイティラ教皇の友は、スパイに情報を流していた/ヨハネ・パウロ2世に親しい修道士がポーランド秘密情報員の協力者だった疑い
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ロシアがファチマの第三予言の中身を知りたいと、いろいろと画策しているとの情報も昔流れていました。 これは なにもロシアだけに限らず、アメリカ、イスラエル、イギリスなどなど、政府と云うところの政府は、何らかの秘密機関を使ってバチカンの中枢と接触して、それらの情報を獲得しようとしています。 そのことを理解していれば、これらの情報・バチカンの中枢・教皇などへの干渉の内容を理解できるのでは、と思っています。
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http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/378.html 投稿者 kamenoko 日時 2005 年 4 月 29 日 00:54:39: pabqsWuV.mDlg ウォイティラ教皇の友は、スパイに情報を流していた http://www.corriere.it/Primo_Piano/Cronache/2005/04_Aprile/28/pretespia.shtml コリエレ紙ローマ発の記事は、(ナチスとコミュニストの罪を追う)ワルシャワの 公的調査機関IPNがポーランド人コンラート・ヘイモ(Konrad Stanislaw Hejmo ) 司祭を、スパイと告発したことを伝えています。 ドメニコ修道会のヘイモ司祭は、在ポーランド同修道会のバチカン巡礼や教皇謁見を 取り次ぐ立場におり、ニュースが伝わる27日朝まで教皇庁にいたようです。 機関が保存、調査している800頁に及ぶ文書には、“ヘイナゥ(Hejnal)”の コード・ネームで連帯を支援する前教皇の傍らでスパイを行うヘイモ司祭の活動が、 証拠文書や録音会話を含めて、記録されているという。 ヘイモ司祭は、世界を駆け巡るこのニュースに対し、ポーランドのテレビに出演して ‘半分’釈明した。 「不条理です。私をバチカンに訪ねてくるのは、教皇に関心がある人ばかりです。 情報を求めてローマをうろつく者もいることは知っています。ポーランドの司祭 すべてがそうであったように情報局から監視され、強い要請も受けました」 ジョバンニ・パオロ2世自らが秘密計画を語り、81年の暗殺未遂事件に再び火が ついた時期に、バチカンのスパイを明かす情報がリークされた。ミトローキン (Mitrohkin)調査によると、KGBがポーランド情報局に課した任務は教皇庁のスパイ として浸透することで、オペレーションを監視していたKGBのエージェントが ワルシャワに送った報告 「成功」「我々の友は、教皇とローマ評議会に直接接触 できる位置で活動中」が残っている。
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投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 4 月 29 日 06:02:35: SO0fHq1bYvRzo (回答先: ウォイティラ教皇の友は、スパイに情報を流していた 投稿者 kamenoko 日時 2005 年 4 月 29 日 00:54:39) ポーランド政治警察は1946年からボイティーワを見張っていた(エル・ムンド紙) 同様の記事はスペインでも紹介されています。
![]() http://www.elmundo.es/elmundo/2005/04/28/internacional/1114689017.html ヨハネ・パウロ2世に親しい修道士がポーランド秘密情報員の協力者だった疑い
![]() 内容はkamenokoさんのご紹介のイタリア語記事とほぼ同様ですが、エル・ムンドに載ってあることを少し付け加えておきます。 コンラート・ヘイモ(Konrad Hejmo)修道士に疑いをかけているのは、スペイン語の新聞ではIMN(el Instituto de la Memoria Nacional)となっており、これはポーランドでのナチスと共産主義の犯罪を追及する機関、と説明しています。 告発によると、ヘイモ修道士は、ヨハネ・パウロ(スペイン語ではフアン・パブロ)2世がクラクフの大司教であった1963年から1978年の間にスパイへの協力を始めたとみられる、と書かれています。 また、共産主義時代のポーランドの政治警察はカロル・ヴォイティーワを、1946年から彼が教皇に選ばれるまで見張り続けていた、ということで、元諜報員によると、当時の政府はカトリック教会の中に数多くの密告屋や協力者を見つけていたそうです。 しかしそれにしても、どうして今頃になって教皇暗殺計画やスパイの話が暴露されはじめたのでしょうか。単純に、本人が生きている間はやはり遠慮していた、というだけのことなのかもしれませんが。
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