ロックです。
何とかこの一ヶ月で、『伊勢黙示録』が終了するまでは解読したいものです。
最近一年て本当に早いなと思います。
月光の巻第十三帖(800)
木にも竹にも石にも道具にもそれぞれの霊が宿ってゐるのである。
人間や動物ばかりでなく、総てのものに宿ってゐるのである。
宿ってゐると云うよりは、霊と体とで一つのものが出来上がってゐるのである。 一枚の紙の裏表のようなもの、表ばかりのものもない。 裏ばかりのものもない道理。 数字にも文字にも それぞれの霊が宿って居り、それぞれの能(ハタラキ)をしてゐるのであるぞ。
順序が判れば初段、和に徹すれば名人。
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■平易意訳■
木にも竹にも石にも道具にもそれぞれの霊が宿っているのです。 人間や動物ばかりでなく、総てのものに宿っているのです。
宿っていると云うよりは、霊と体とで一つの物が形成されているのです。
一枚の紙の裏表のようなもの、表ばかりのものもない。 裏ばかりのものもない道理。 数字にも文字にもそれぞれの霊が宿って居り、それぞれの能(ハタラキ)をしているのです。
順序が判れば初段、和に徹すれば名人なのです。

一つの生命体としてうまくやっていくためには、総てのものが霊と体とで形成されているという事が判らなくてはいけないようです。
霊とはそれ自体が神のような存在とするなら、我々はさまざまな神(霊)に囲まれて暮らしているとも言えるのかも知れません。
私見ではありますが、周りに具体的な神を求めなくとも、身近に神がいるということを知らせている内容かとも思いました。
順序という物も、周りの物に神(霊)が宿っているならば、周りの物(持ち物や食料)を大事にすることも自然な形で
ひふみ曰くの「祀る」ということに繋がり、さらにはそうした心がけが人間関係も含めて「和に徹すること」に繋がるような気もします。
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■平易意訳■
氷治氏の解釈 :(一巡目)
木にも竹にも石にも道具にもそれぞれの霊が宿っているのです。
人間や動物ばかりでなく、総てのものに霊が宿っているのです。
宿っていると云うよりは霊と体とで一つのものが出来上がっているのです。
一枚の紙の裏表のようなものです。
表ばかりのものはないのです。
裏ばかりのものが無いのも道理なのです。
数字にも文字にも、それぞれの霊が宿っています。
それぞれの能(ハタラキ)をしているのです。
順序が判れば、初段、和に徹すれば名人です。
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■解説と補足説明■
ロックさんの解釈 :(一巡目)
『 順序が判れば初段、和に徹すれば名人。』
同じフレーズのものがいくつか出てきます。
順序と言う語句が出てくるものを並べられたら何かわかるかもしれません。
総てのものに魂が宿るという考えは八百万の神々のことを考えるのにも繋がるかと思います。
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月光の巻第十四帖(801)
流れ出たものは又元にかえると申しても、そのままでは帰られんのであるぞ。 天から降った雨が又天に昇るには、形をかえるであろうが、
この道理をわきまえんと、悪かみかかりとなるぞ。
それはそなたの自己慾から出てゐるぞ。 自己慾もなくてはならんが、段々浄化して行かねばならん。
浄化して大き自己の慾とせよ。 自分のみの慾となるから弥栄えんのぢゃ。 弥栄えんもの神の御心に逆行。
自分で判断出来ることを何故にきくのぢゃ。
神にきけば神に責任をきせるのと同様ぞ。
人間の悪いくせぞ。
出直せよ。
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■平易意訳■
流れ出た物は又元に帰ると云っても、そのままでは帰られないのです。 天から降った雨が又天に昇るには、形を変えるでしょう、この道理をわきまえないと、悪神懸かりとなるのです。
それはそなたの自己欲から出ているのです。 自己欲もなくてはなりませんが、段々浄化して行かなくてはいけません。
浄化して大きい自己の欲として下さい。 自分のみの欲となるから繁栄しないのです。
繁栄しない物は神の御心に逆行します。
自分で判断出来ることを何故質問するのですか?
神に質問すれば神に責任を着せることと同様です。 人間の悪いくせです。 出直しなさい。
■「そなた」に言っている側面もあるみたいです。
天から降った雨が恵みをもたらせて、蒸気として天に戻っていく様のように、行き渡り形を変えまた戻っていくような道理をわきまえて欲を浄化するように導くとよいと云う事なのかもしれません。
それを外すと、我善しとなり、悪神懸かりとなるのかも。
全体の繁栄を促すような欲を浄化するとは、かなり大きなビジョンです。
「そなた」=もしかしたらイシヤの誰かに言っているのかも知れませんね。
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■平易意訳■
氷治氏の解釈 :(一巡目)
上の神から流れ出たものは元に帰ると云っても、そのままでは帰らないのです。
天から降った雨が、天に昇るには形を変えるでしょう。
この道理をわきまえないと、悪神懸かりとなるのです。
それはそなたの自己慾から出ているのです。
自己慾もなくてはなりませんが、段々と浄化して行かねばなりません。
浄化して、大き自己の慾としなさい。
自分のみの慾となるから、永久に繁栄しないのです。
永久に繁栄しないものは神の御心に逆行しているのです。
自分で判断が出来ることを何故に質問するのですか。
神に質問すれば、神に責任をきせるのと同しことです。
人間の悪い癖です。
出直しなさい。
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■解説と補足説明■
ロックさんの解釈 :(一巡目)
取り方次第では循環が可能なもので世界の役に立ちなさいという感じに聞こえます。 それを考えずして行うのは悪の履き散らかしになるという感じかと。
慾を持っても徐々にこの世界に対して役に立つものを作れというものを示唆しているようにも思えたりするのですが。
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月光の巻第十五帖(802)
与えることは頂くことぢゃと申しても、度をすぎてはならん。
過ぎると、過ぎるものが生れて、生んだそなたに迫って来るぞ。
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■平易意訳■
与えることは頂くことだと言っても、度をすぎてはなりません。 過ぎると、過ぎたる物が生まれて、生んだそなたに迫ってくるのです。
■これは十四帖に関するアドバイスでもあるような感じはします。
欲を浄化する過程の一つとして、与えることは結果返ってくる、頂くことだとしても、器にあったことをしていないと過ぎた物が生まれてこなせないことが迫ってくる。
虚栄心が起こしうることなのかも知れません。
自然体が一番なのかも。
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■平易意訳■
氷治氏の解釈 :(一巡目)
与えることが頂くことですと云っても、度を過ぎてはなりません。
度が過ぎると、度が過ぎるものが生れて、生んだそなたに迫って来るのです。
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■解説と補足説明■
ロックさんの解釈 :(一巡目)
後ろで誘導しているあめのひつくのかみプロジェクトの天使のことを話しているものと思います。
その中に隠れた九柱といえば、ひふみの神の子のこととします。 現われの五十柱とは、活動している人間の後ろで誘導している天使のことを含めた存在たちを言っているかと思いました。
諸世紀でも太陽の呼び名は何種類もあったことと符号する感じです。
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月光の巻第十七帖(804)
そなたの仕事、思いつき結構であるが、神の御意志を頂かねば成就せん。
神と申しても、そなたが勝手にきめた神や宗教で固めた制限された神ではないぞ。
判っただけでは駄目ぞ。
行じねばならん。 生活しなければならん。 芸術しなければならん。
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■平易意訳■
そなたの仕事、思いつきは結構ですが、神の御意志を頂かなくては成就しません。
神と申しても、そなたが勝手に決めた神や宗教で固めた制限された神ではありませんよ。 判っただけでは駄目なのです。
行じなければいけません。 生活しなければいけません。 芸術しなければいけません。

「そなた」は、イシヤの誰かとするならば、諭す際に、勝手に決めた神や宗教で固めた制限された神と出てくるのは自然のような気がします。
イシヤは、神サタンの配下の小悪魔と契約している立場ですが、その辺りは、神と申しても、そなたが勝手に決めた神や宗教で固めた制限された神ではないと言ってのけてますので、ひふみの神はそんな小さいことは気にしてなく、神の意志をいただけるようなことを「そなた」が行うのであれば、神は協力するということのようです。
それは判っただけでは駄目で、行じ、生活し、芸術しなければいけないようです。
「そなた」さんの奮闘に期待したいものです。
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■平易意訳■
氷治氏の解釈 :(一巡目)
そなたの仕事は思いつきは良いのです。
ですが、神の御意志を頂かねば成就しないのです。
神と云っても、そなたが勝手に決めた神や宗教で固めた制限された神ではないのです。
そなたが判っただけでは駄目です。
そなたは行をしなければなりません。
そなたは生活しなければなりません。
そなたは芸術しなければなりません。
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■解説と補足説明■
ロックさんの解釈 :(一巡目)
行がこの場合何なのか。
芸術もサタンによるプロパガンダの物にすぎないと考えてますので、どうもこれは生活手段のために得意であった絵を売るための方便のようにも聞こえます。
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