中行(中行く)・ 中道・ 上中下・ 中は中・ 中今・ 中土・ 中界・ 中二人・ 中を取り持つ二柱の神・ 中界・ 中の神界・ 真中に御三体の大神様・ 中を取り持つ二柱の神 で検索NO3
|
|---|
動きなき動きであるぞ。 そのことよくわきまへよ。 今迄のこと、やり方かえねばならん。 一段も二段も三段も上の広い深い、 ゆとりのあるやり方に、 神のやり方に、 規則のない世に、 考へ方、やり方、結構であるぞ。 秋の巻 第19帖 (760)
![]()
使用さされた特殊文字 |
判らんと申してもあまりであるぞ。 同じ所に天国もあり、 地獄もあり、 霊界もあり、 現実界もあり、 過去も未来も中今にあるのぞ。 同じ部屋に他の神や仏をまつってはならんと申す一方的なメクラ宗教にはメクラが集まるのぢゃ。 病気が治ったり運がひらけたり、 奇跡が起ったりするのみをおかげと思ってはならん。 もちと大き心、 深い愛と真の世界を拝めよ。 とけ入れよ。 浄化が第一。 金が好きなら金を拝んでもよいのぢゃ。 区別と順序さへ心得て居れば何様を拝んでもよいぞ。 金を拝めば金が流れてくるぞ。 金を拝み得ぬイコヂさが そなたを乏しくしたのぢゃ。 赤貧は自慢にならん。 無神論も自慢にならん。 清貧はまけおしみ、 清富になれよと申してあろうが。 清富こそ弥栄の道、 神の道、
大 月光の巻 第23帖 (810)
![]()
![]() ![]()
|
心を残すと云うことは、霊界とのつながりがあることぞ。 つまらん霊界にいつ迄くっついてゐるのぢゃ。 何ごとも清めて下されよ。 清めるとは和すことであるぞ。 同じもの同士では和ではない。 違ったものが和すことによって新しきものを生むのであるぞ。 奇数と偶数を合せて、新しき奇数を生み出すのであるぞ。 それがまことの和であり清めであるぞ。 善は悪と、陰は陽と和すことぢゃ。 和すには同じあり方で、 例へば五と五との立場で和すのであるが、 位に於ては陽が中心であり、 陰が外でなければならん。 天が主であり地が従でなければならん。 男が上で女が下ぢゃ、 これが和の正しきあり方ぞ。 さかさまならんぞ。 これを公平と申すぞ。 口先ばかりでよいことを申すと悪くなるのぢゃ。 心と行が伴はねばならん。 判りきったこの道理が行はれないのは、 そなたをとり巻く霊の世界に幽界の力が強いからぢゃ。 そなたの心の大半を幽界的なもので占めてゐるからぞ。 己自身のいくさ まだまだと申してあろうがな。 このいくさ中々ぢゃが、 正しく和して早う弥栄結構ぞ。 そなたのもつ悪いくせを治して下されよ。 そのくせ治すことが御神業ぞ。 自分で世界を建直すような大きこと申して御座るが、そなたのくせを治すことが最も大切な御用でないか。 これに気がつかねば落第ぞ。 おそれてはならん。 おそれ生むからぞ。 喜べ、喜べ、喜べばよろこび生むぞ。 喜びは神ぢゃ。 神様御自身も刻々弥栄して御座るぞ。 故にこそ生長なされるのぢゃ。 人間も同様でなくてはならん。 昨日の自分であってはならん。 今の自分ぞ。 中今のわれに生きねばならん。 われにどんな力があったとて、 我を出してはならんぞ。 我を出すと力なくなるぞ。 我を、大き我に昇華させよ。 大我にとけ入らねばならん。 大我にとけ入ったとて、 小我がなくなるのではないぞ。 人おろがめよ。 物おろがめよ。 おろがむと自分の喜びとなり、 拝まれたものも喜びとなるぞ。 うれしうれしとはそのことぞ。 ヨコの十の動きがクラゲナスタダヨヘルであり、 タテの十の動きがウマシアシカビヒコジであるぞ、 十と十と交わり和して百となり九十九と動くのぞ。 過去も未来も霊界にはない、「今」があるのみ、 これを中今(ナカイマ)と申すぞよ。 竜宮の乙姫殿、 日の出の神殿、 岩の神殿、 荒の神殿、 風の神殿、 雨の神殿、 暗剣殿、 地震の神殿、 金神殿の九柱なり、 総大将は国常立大神なり、 このこと判りて下されよ、 教はなくなるぞ、 元の道が光り輝くぞ、 これを惟神(かんながら)の道と申すぞ。 紫金の巻 第12帖 (142)
|

●中土
天の大神は指を折りて数へ給ふたのであるぞ、 天の大神の指も五本であるから、 それを五度折りて二十五有法となされ、 五十をもととされたのぢゃ、 神々、神心、神理、神気、神境であるぞ、 この交叉弥栄は限りなし、 これを五鎮と申すのであるぞ。 上天、下地、照日、輝月、光星、 これを五極と申すぞ。 東木、南火、中土、西金、北水、 これを五行と申す。 裸物、毛物、羽物、鱗物、甲物を五生と申し、 文則、武則、楽則、稼則、用則を五法と申すのぢゃが、
それだけでは足りない、その中に 大神がましますのぢゃ、 人民の頭では中々に理解出来んなれど、理解して下されよ。 これが妙であるぞ、奇であるぞ、 天の父の教であり、地にうつした姿であるぞ。 極めの巻 第09帖 (936)
![]()
使用さされた特殊文字 |

●中界
天つ国三つ、地(つち)の国三つ、 その間に一つ、 天国が上中下の三段、 地国も上中下の三段、 中界(ちうかい)の七つぞ、 その一つ一つがまた七つに分かれてゐるのぞ、 その一つがまた七つずつに分れてゐるぞ。 今の世は地獄の二段目ぞ、 まだ一段下あるぞ、 一度はそこまで下がるのぞ、 今一苦労あると、くどう申してあることは、 そこまで落ちることぞ、 地獄の三段目まで落ちたら、 もう人の住めん所ざから、悪魔と神ばかりの世にばかりなるのぞ。 この世は人間にまかしてゐるのざから、 人間の心次第ぞ、 しかし今の臣民のやうな腐った臣民ではないぞ、 いつも神かかりてゐる臣民ぞ、 神かかりと直ぐ分かる神かかりではなく、 腹の底にシックリと神鎮まってゐる臣民ぞ、 それが人間の誠の姿ぞ。 いよいよ地獄の三段目に入るから、 その覚悟でゐて呉れよ、 地獄の三段目に入ることの表(おもて)は一番の天国に通ずることぞ、 神のまことの姿と悪の見られんさまと、 ハッキリ出て来るのぞ、 神と獣と分けると申してあるのはこのことぞ。 何事も洗濯第一。
八月の十八日、 富士の巻 第09帖 (089)
|
真の自由は、大神にのみあるものぞ。 大神の自由の一部が御喜びと共に神に流れ入り、 神に流れ入った自由は、 又神の喜びとなって人間に流れ入るから、 人間自身は自由をもってゐると信ずるのであるぞ。 本質的には自由はないのであるぞ。 人間には自由の影があり、 反影あるのざ。 それを人間は自由と心得てゐるのであるぞ。 自由の反影あるから、 悪にも善にも、陽にも陰にも為し得るのであるぞ。 又進歩、弥栄するのであるぞ。 悪自由を、人間は自由と心得てゐるが、 それは自由ではなく、 自分自身首くくるものぞ。 善自由こそ真の自由であるぞ。 自由は神から流れ出ると申してあらう。 他の世界と交流するは、 他の世界に住む人間を通じてするのであるぞ。 世界とは人間のことでもあるぞ。 人間が世界であるぞ。 よく心得なされよ。
+(陽)と−(陰)と +の陰には−があり、 −の陰には+がある。
その和の状態が +は+のみでは力ないぞ。 −は−だけでは力ないぞ。 +と−とだけでも動きないぞ。 生命の喜びないのであるぞ。 よく心得よ。
+−があり ここの道理よく得心、合点せよ。 +は人間にとって直接の喜びでない。
−も直接ではなく、
その二つが和し 天地の中間を中界と申すぞ。 天の息吹きと地の息吹きの中間ぞ。 天国へ行くのも、行かんのも先づ落ちつく、 死後の始めての世界であるぞ。 (一月二日) 白銀の巻 第05帖 (616)
![]()
使用さされた特殊文字 |
![]()
|
![]() |
![]() |
|
|||
|
|