The Earth is Controlled by Evil Alien

天空編NO3431 

(天使のつぶやき)


中行(中行く)・ 中道・ 上中下・ 中は中・ 中今・ 中土・ 中界・ 中二人・ 中を取り持つ二柱の神・ 中界・ 中の神界・ 真中に御三体の大神様・ 中を取り持つ二柱の神 で検索NO4  


元の元のから

の中界を経て、

ウの現界に到る悉くの世界が皆人間に関係あるのであるから、

肉体はウであるが、

魂はに通じてゐるのであるから、

はヨロコビであるから、

喜びが人間の本体であるから、

神界と云ひ、

現界と云ひ、

一本の国であるから、

人間からすれば、

人間が土台であるから、

神の礎であるから、

神しづまれば神人となるのであるから、

神界、中界、現界つらぬきて居らねば、

マコトの和合して居らねば、

マコトの喜びでないから、

マコトの喜びが大神であるから、

大神の働きは人間によるものであるから、

心せねばならんぞ。

せねばならんぞ。

天使と云ひ、

天人と申すも、

みなそれぞれの国の人間であるから、

喜びの人間であるから、

この道理判りたら、

地の世界と、

中の世界と、

天の世界と、

みな同じであるから、

もちつもたれつであるから、

三千世界であるから、

地の上に禍あると、

天の国にも禍ふのであるから、

天の国の生活は地の上に根をつけてゐるのであるから、

遠くにあるのでないぞ。

同じ所にあるのであるぞ。

幽界と申すのは道を外れた国のことざと知らしてあらうがな。

地獄無いと申してあらうがな。

このこと間違はんやうに、

地獄地獄の言葉、

やめて下されよ。

言葉からモノ生むのぞ。

只モノが違ふのみであるから、

人間の心が神に通ずるときは喜びとなり、

幽人に通ずるときは悲しみとなるのであるぞ。

通ずる心あるから心に自由あるのであるぞ。

弥栄あるのであるぞ。

この道理よくわきまへて下されよ。

天人に結婚もあれば仕事もあるぞ。

死も亦あるのであるぞ。

死とは住む段階の違ふ場合に起る現象ぞ。

死とは生きることぞ。

人間は皆、かみかかってゐるのであるぞ。

かみかかってゐないもの一人も居らんのぢゃ。

かみかからんものは呼吸せんのぢゃ。

このこと判りて居らうがな。

霊人は人間の心の中に住んでゐるのであるぞ。

心を肉体として住んでゐるのぢゃ。

その中に又住んでゐるのぢゃ。

ひらたう説いて聞かしてゐるのぢゃ。

霊人と和合してゐるから、

かみかかりであるからこそ、

三千世界に働き栄えるのぢゃぞ。

神界のことも判る道理ぢゃ。

幽界のことも判る道理ぢゃ。

人間の云ふかみかかりとは幽界のカミかかりぢゃ。

ろくなことないのぢゃ。

かみかかりにも、

かみかかりと判らんかみかかり結構ぢゃなあ。

まことぢゃなあと知らしてあるのに 未だ判らんのか。

(五月八日)

白銀の巻 第06帖 (617)

使用さされた特殊文字  

●中二人


ささげてむ 和稲荒稲(わしねあらしね) 横山のごと。 

五人あるぞ、

中二人、

外三人、

この仕組 天の仕組。

一切と手をつながねばならん。

人民のみで世界連邦をつくろうとしても、

それは出来ない相談、

片輪車と申してあろうが、

目に見へぬ世界、

目に見へぬ人民との、

タテのつながりつけねばならん道理、

人民同士の横糸だけでは織物にはならんぞ。

天は火ぞ、

地は水ぞ、

火水組み組みて織りなされたものが、

ニシキの御旗ぢゃ、

ヒミツの経綸であるぞ。

扶桑の巻 第09帖(858)

●中を取り持つ二柱の神


根本の元の元の元の神はから一に、二に、三に、四に、五に弥栄したのであるぞ、

別天津神(ことあまつかみ)五柱と申してあろうがな、

五が天であるぞ。

五は数であるぞ、

転じて十となるなれど、

動き栄へるには+と−の神が現われねばならん、

これが中を取り持つ二柱の神ぞ。

至恩の巻 第07帖(954)

使用さされた特殊文字  + −

●中界


神界は七つに分かれてゐるぞ、

天つ国三つ、地(つち)の国三つ、

その間に一つ、

天国が上中下の三段、

地国も上中下の三段、

中界(ちうかい)の七つぞ、

その一つ一つがまた七つに分かれてゐるのぞ、

その一つがまた七つずつに分れてゐるぞ。

今の世は地獄の二段目ぞ、

まだ一段下あるぞ、

一度はそこまで下がるのぞ、

今一苦労あると、くどう申してあることは、

そこまで落ちることぞ、

地獄の三段目まで落ちたら、

もう人の住めん所ざから、悪魔と神ばかりの世にばかりなるのぞ。

この世は人間にまかしてゐるのざから、

人間の心次第ぞ、

しかし今の臣民のやうな腐った臣民ではないぞ、

いつも神かかりてゐる臣民ぞ、

神かかりと直ぐ分かる神かかりではなく、

腹の底にシックリと神鎮まってゐる臣民ぞ、

それが人間の誠の姿ぞ。

いよいよ地獄の三段目に入るから、

その覚悟でゐて呉れよ、

地獄の三段目に入ることの表(おもて)は一番の天国に通ずることぞ、

神のまことの姿と悪の見られんさまと、

ハッキリ出て来るのぞ、

神と獣と分けると申してあるのはこのことぞ。

何事も洗濯第一。

八月の十八日、の一二

富士の巻 第09帖 (089)


人間に自由はないのであるぞ。

真の自由は、大神にのみあるものぞ。

大神の自由の一部が御喜びと共に神に流れ入り、

神に流れ入った自由は、

又神の喜びとなって人間に流れ入るから、

人間自身は自由をもってゐると信ずるのであるぞ。

本質的には自由はないのであるぞ。

人間には自由の影があり、

反影あるのざ。

それを人間は自由と心得てゐるのであるぞ。

自由の反影あるから、

悪にも善にも、陽にも陰にも為し得るのであるぞ。

又進歩、弥栄するのであるぞ。

悪自由を、人間は自由と心得てゐるが、

それは自由ではなく、

自分自身首くくるものぞ。

善自由こそ真の自由であるぞ。

自由は神から流れ出ると申してあらう。

他の世界と交流するは、

他の世界に住む人間を通じてするのであるぞ。

世界とは人間のことでもあるぞ。

人間が世界であるぞ。

よく心得なされよ。

+(陽)と−(陰)とであるぞ。

+の陰には−があり、

−の陰には+がある。

その和の状態がであり(イノチ)するのであるぞ。

+は+のみでは力ないぞ。

−は−だけでは力ないぞ。

+と−とだけでも動きないぞ。

生命の喜びないのであるぞ。

よく心得よ。

があって+−があり、

+−がありがあって和があるのであるぞ。

ここの道理よく得心、合点せよ。

+は人間にとって直接の喜びでない。

がぢきぢきの喜びぞ。

−も直接ではなく、

が直接の喜びであり、

その二つが和しして嬉し嬉しと弥栄えるのであるぞ。

天地の中間を中界と申すぞ。

天の息吹きと地の息吹きの中間ぞ。

天国へ行くのも、行かんのも先づ落ちつく、

死後の始めての世界であるぞ。

(一月二日)

白銀の巻 第05帖 (616)

使用さされた特殊文字  


元の元のから

の中界を経て、

ウの現界に到る悉くの世界が皆人間に関係あるのであるから、

肉体はウであるが、

魂はに通じてゐるのであるから、

はヨロコビであるから、

喜びが人間の本体であるから、

神界と云ひ、

現界と云ひ、

一本の国であるから、

人間からすれば、

人間が土台であるから、

神の礎であるから、

神しづまれば神人となるのであるから、

神界、中界、現界つらぬきて居らねば、

マコトの和合して居らねば、

マコトの喜びでないから、

マコトの喜びが大神であるから、

大神の働きは人間によるものであるから、

心せねばならんぞ。

せねばならんぞ。

天使と云ひ、

天人と申すも、

みなそれぞれの国の人間であるから、

喜びの人間であるから、

この道理判りたら、

地の世界と、

中の世界と、

天の世界と、

みな同じであるから、

もちつもたれつであるから、

三千世界であるから、

地の上に禍あると、

天の国にも禍ふのであるから、

天の国の生活は地の上に根をつけてゐるのであるから、

遠くにあるのでないぞ。

同じ所にあるのであるぞ。

幽界と申すのは道を外れた国のことざと知らしてあらうがな。

地獄無いと申してあらうがな。

このこと間違はんやうに、

地獄地獄の言葉、

やめて下されよ。

言葉からモノ生むのぞ。

只モノが違ふのみであるから、

人間の心が神に通ずるときは喜びとなり、

幽人に通ずるときは悲しみとなるのであるぞ。

通ずる心あるから心に自由あるのであるぞ。

弥栄あるのであるぞ。

この道理よくわきまへて下されよ。

天人に結婚もあれば仕事もあるぞ。

死も亦あるのであるぞ。

死とは住む段階の違ふ場合に起る現象ぞ。

死とは生きることぞ。

人間は皆、かみかかってゐるのであるぞ。

かみかかってゐないもの一人も居らんのぢゃ。

かみかからんものは呼吸せんのぢゃ。

このこと判りて居らうがな。

霊人は人間の心の中に住んでゐるのであるぞ。

心を肉体として住んでゐるのぢゃ。

その中に又住んでゐるのぢゃ。

ひらたう説いて聞かしてゐるのぢゃ。

霊人と和合してゐるから、

かみかかりであるからこそ、

三千世界に働き栄えるのぢゃぞ。

神界のことも判る道理ぢゃ。

幽界のことも判る道理ぢゃ。

人間の云ふかみかかりとは幽界のカミかかりぢゃ。

ろくなことないのぢゃ。

かみかかりにも、

かみかかりと判らんかみかかり結構ぢゃなあ。

まことぢゃなあと知らしてあるのに 未だ判らんのか。

(五月八日)

白銀の巻 第06帖 (617)

使用さされた特殊文字  

●中の神界


岩戸開きのはじめの幕 開いたばかりぞ。

今度はみづ逆さにもどるのざから、

人民の力ばかりでは成就せんぞ。

奥の神界では済みてゐるが、

中の神界では今最中ざ。

時待てと申してあろが。

人民 大変な取違ひしてゐるぞ。

次の世の型 急ぐ急ぐ。

八月六日、

アメのひつぐのかみ。 

神示読まないで智や学でやろうとて、

何も、九分九厘で、終局(りんどまり)ぞ。

我(われ)が我(われ)ががとれたら判って来るぞ。

慢心おそろしいぞ。

夜明けの巻

第11帖 (331)

●真中に御三体の大神様


何(ど)の身魂も我(が)の強い身魂ばかり、

よく集まったものぢゃと思ふであろが、

その我の強い者がお互に我を折りて、

解け合って物事成就するのぢゃぞ。

旧九月八日迄にすっくりとまつりかへてくれよ。

真中に御三体の大神様、

御三体の大神様、

天之日月の大神々様、

地の日月の大神々様、

雨の神様、

風の神様、

岩の神様、

荒の神様、

地震の神様、

弥栄祀り結構ぞ、

其の左に仏、

基、

マホメットの神様、

世の元からの生神様、

百々の神様、

産土様、

よきにまつり結構致し呉れよ、

その右に地の日月の神々様、

霊(たま)の諸々(もろもろ)の神様 厚く祀り呉れよ。

八月二十九日、一二

マツリの巻 第18帖 (422)

使用さされた特殊文字 

●中を取り持つ二柱の神


根本の元の元の元の神はから一に、 二に、三に、四に、五に弥栄したのであるぞ、

別天津神(ことあまつかみ)五柱と申してあろうがな、

五が天であるぞ。

五は数であるぞ、

転じて十となるなれど、

動き栄へるには+と−の神が現われねばならん、

これが中を取り持つ二柱の神ぞ。

至恩の巻 第07帖(954)

使用さされた特殊文字  + −



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