中行(中行く)・ 中道・ 上中下・ 中は中・ 中今・ 中土・ 中界・ 中二人・ 中を取り持つ二柱の神・ 中界・ 中の神界・ 真中に御三体の大神様・ 中を取り持つ二柱の神 で検索NO4
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ウの現界に到る悉くの世界が皆人間に関係あるのであるから、 肉体はウであるが、
魂は
喜びが人間の本体であるから、 神界と云ひ、 現界と云ひ、 一本の国であるから、 人間からすれば、 人間が土台であるから、 神の礎であるから、 神しづまれば神人となるのであるから、 神界、中界、現界つらぬきて居らねば、 マコトの和合して居らねば、 マコトの喜びでないから、 マコトの喜びが大神であるから、 大神の働きは人間によるものであるから、 心せねばならんぞ。
天使と云ひ、 天人と申すも、 みなそれぞれの国の人間であるから、 喜びの人間であるから、 この道理判りたら、 地の世界と、 中の世界と、 天の世界と、 みな同じであるから、 もちつもたれつであるから、 三千世界であるから、 地の上に禍あると、 天の国にも禍ふのであるから、 天の国の生活は地の上に根をつけてゐるのであるから、 遠くにあるのでないぞ。 同じ所にあるのであるぞ。 幽界と申すのは道を外れた国のことざと知らしてあらうがな。 地獄無いと申してあらうがな。 このこと間違はんやうに、 地獄地獄の言葉、 やめて下されよ。 言葉からモノ生むのぞ。 只モノが違ふのみであるから、 人間の心が神に通ずるときは喜びとなり、 幽人に通ずるときは悲しみとなるのであるぞ。 通ずる心あるから心に自由あるのであるぞ。 弥栄あるのであるぞ。 この道理よくわきまへて下されよ。 天人に結婚もあれば仕事もあるぞ。 死も亦あるのであるぞ。 死とは住む段階の違ふ場合に起る現象ぞ。 死とは生きることぞ。 人間は皆、かみかかってゐるのであるぞ。 かみかかってゐないもの一人も居らんのぢゃ。 かみかからんものは呼吸せんのぢゃ。 このこと判りて居らうがな。 霊人は人間の心の中に住んでゐるのであるぞ。 心を肉体として住んでゐるのぢゃ。 その中に又住んでゐるのぢゃ。 ひらたう説いて聞かしてゐるのぢゃ。 霊人と和合してゐるから、 かみかかりであるからこそ、 三千世界に働き栄えるのぢゃぞ。 神界のことも判る道理ぢゃ。 幽界のことも判る道理ぢゃ。 人間の云ふかみかかりとは幽界のカミかかりぢゃ。 ろくなことないのぢゃ。 かみかかりにも、 かみかかりと判らんかみかかり結構ぢゃなあ。 まことぢゃなあと知らしてあるのに 未だ判らんのか。 (五月八日) 白銀の巻 第06帖 (617)
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●中二人
五人あるぞ、 中二人、 外三人、 この仕組 天の仕組。 一切と手をつながねばならん。 人民のみで世界連邦をつくろうとしても、 それは出来ない相談、 片輪車と申してあろうが、 目に見へぬ世界、 目に見へぬ人民との、 タテのつながりつけねばならん道理、 人民同士の横糸だけでは織物にはならんぞ。 天は火ぞ、 地は水ぞ、 火水組み組みて織りなされたものが、 ニシキの御旗ぢゃ、 ヒミツの経綸であるぞ。 扶桑の巻 第09帖(858)
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●中を取り持つ二柱の神
別天津神(ことあまつかみ)五柱と申してあろうがな、 五が天であるぞ。 五は数であるぞ、 転じて十となるなれど、 動き栄へるには+と−の神が現われねばならん、 これが中を取り持つ二柱の神ぞ。 至恩の巻 第07帖(954)
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●中界
天つ国三つ、地(つち)の国三つ、 その間に一つ、 天国が上中下の三段、 地国も上中下の三段、 中界(ちうかい)の七つぞ、 その一つ一つがまた七つに分かれてゐるのぞ、 その一つがまた七つずつに分れてゐるぞ。 今の世は地獄の二段目ぞ、 まだ一段下あるぞ、 一度はそこまで下がるのぞ、 今一苦労あると、くどう申してあることは、 そこまで落ちることぞ、 地獄の三段目まで落ちたら、 もう人の住めん所ざから、悪魔と神ばかりの世にばかりなるのぞ。 この世は人間にまかしてゐるのざから、 人間の心次第ぞ、 しかし今の臣民のやうな腐った臣民ではないぞ、 いつも神かかりてゐる臣民ぞ、 神かかりと直ぐ分かる神かかりではなく、 腹の底にシックリと神鎮まってゐる臣民ぞ、 それが人間の誠の姿ぞ。 いよいよ地獄の三段目に入るから、 その覚悟でゐて呉れよ、 地獄の三段目に入ることの表(おもて)は一番の天国に通ずることぞ、 神のまことの姿と悪の見られんさまと、 ハッキリ出て来るのぞ、 神と獣と分けると申してあるのはこのことぞ。 何事も洗濯第一。
八月の十八日、 富士の巻 第09帖 (089)
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真の自由は、大神にのみあるものぞ。 大神の自由の一部が御喜びと共に神に流れ入り、 神に流れ入った自由は、 又神の喜びとなって人間に流れ入るから、 人間自身は自由をもってゐると信ずるのであるぞ。 本質的には自由はないのであるぞ。 人間には自由の影があり、 反影あるのざ。 それを人間は自由と心得てゐるのであるぞ。 自由の反影あるから、 悪にも善にも、陽にも陰にも為し得るのであるぞ。 又進歩、弥栄するのであるぞ。 悪自由を、人間は自由と心得てゐるが、 それは自由ではなく、 自分自身首くくるものぞ。 善自由こそ真の自由であるぞ。 自由は神から流れ出ると申してあらう。 他の世界と交流するは、 他の世界に住む人間を通じてするのであるぞ。 世界とは人間のことでもあるぞ。 人間が世界であるぞ。 よく心得なされよ。
+(陽)と−(陰)と +の陰には−があり、 −の陰には+がある。
その和の状態が +は+のみでは力ないぞ。 −は−だけでは力ないぞ。 +と−とだけでも動きないぞ。 生命の喜びないのであるぞ。 よく心得よ。
+−があり ここの道理よく得心、合点せよ。 +は人間にとって直接の喜びでない。
−も直接ではなく、
その二つが和し 天地の中間を中界と申すぞ。 天の息吹きと地の息吹きの中間ぞ。 天国へ行くのも、行かんのも先づ落ちつく、 死後の始めての世界であるぞ。 (一月二日) 白銀の巻 第05帖 (616)
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ウの現界に到る悉くの世界が皆人間に関係あるのであるから、 肉体はウであるが、
魂は
喜びが人間の本体であるから、 神界と云ひ、 現界と云ひ、 一本の国であるから、 人間からすれば、 人間が土台であるから、 神の礎であるから、 神しづまれば神人となるのであるから、 神界、中界、現界つらぬきて居らねば、 マコトの和合して居らねば、 マコトの喜びでないから、 マコトの喜びが大神であるから、 大神の働きは人間によるものであるから、 心せねばならんぞ。
天使と云ひ、 天人と申すも、 みなそれぞれの国の人間であるから、 喜びの人間であるから、 この道理判りたら、 地の世界と、 中の世界と、 天の世界と、 みな同じであるから、 もちつもたれつであるから、 三千世界であるから、 地の上に禍あると、 天の国にも禍ふのであるから、 天の国の生活は地の上に根をつけてゐるのであるから、 遠くにあるのでないぞ。 同じ所にあるのであるぞ。 幽界と申すのは道を外れた国のことざと知らしてあらうがな。 地獄無いと申してあらうがな。 このこと間違はんやうに、 地獄地獄の言葉、 やめて下されよ。 言葉からモノ生むのぞ。 只モノが違ふのみであるから、 人間の心が神に通ずるときは喜びとなり、 幽人に通ずるときは悲しみとなるのであるぞ。 通ずる心あるから心に自由あるのであるぞ。 弥栄あるのであるぞ。 この道理よくわきまへて下されよ。 天人に結婚もあれば仕事もあるぞ。 死も亦あるのであるぞ。 死とは住む段階の違ふ場合に起る現象ぞ。 死とは生きることぞ。 人間は皆、かみかかってゐるのであるぞ。 かみかかってゐないもの一人も居らんのぢゃ。 かみかからんものは呼吸せんのぢゃ。 このこと判りて居らうがな。 霊人は人間の心の中に住んでゐるのであるぞ。 心を肉体として住んでゐるのぢゃ。 その中に又住んでゐるのぢゃ。 ひらたう説いて聞かしてゐるのぢゃ。 霊人と和合してゐるから、 かみかかりであるからこそ、 三千世界に働き栄えるのぢゃぞ。 神界のことも判る道理ぢゃ。 幽界のことも判る道理ぢゃ。 人間の云ふかみかかりとは幽界のカミかかりぢゃ。 ろくなことないのぢゃ。 かみかかりにも、 かみかかりと判らんかみかかり結構ぢゃなあ。 まことぢゃなあと知らしてあるのに 未だ判らんのか。 (五月八日) 白銀の巻 第06帖 (617)
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●中の神界
今度はみづ逆さにもどるのざから、 人民の力ばかりでは成就せんぞ。 奥の神界では済みてゐるが、 中の神界では今最中ざ。 時待てと申してあろが。 人民 大変な取違ひしてゐるぞ。 次の世の型 急ぐ急ぐ。 八月六日、 アメのひつぐのかみ。 神示読まないで智や学でやろうとて、 何も、九分九厘で、終局(りんどまり)ぞ。 我(われ)が我(われ)ががとれたら判って来るぞ。 慢心おそろしいぞ。 夜明けの巻 第11帖 (331)
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●真中に御三体の大神様
よく集まったものぢゃと思ふであろが、 その我の強い者がお互に我を折りて、 解け合って物事成就するのぢゃぞ。 旧九月八日迄にすっくりとまつりかへてくれよ。 真中に御三体の大神様、 御三体の大神様、 天之日月の大神々様、 地の日月の大神々様、 雨の神様、 風の神様、 岩の神様、 荒の神様、 地震の神様、 弥栄祀り結構ぞ、 其の左に仏、 基、 マホメットの神様、 世の元からの生神様、 百々の神様、 産土様、 よきにまつり結構致し呉れよ、 その右に地の日月の神々様、 霊(たま)の諸々(もろもろ)の神様 厚く祀り呉れよ。
八月二十九日、一二 マツリの巻 第18帖 (422)
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●中を取り持つ二柱の神
別天津神(ことあまつかみ)五柱と申してあろうがな、 五が天であるぞ。 五は数であるぞ、 転じて十となるなれど、 動き栄へるには+と−の神が現われねばならん、 これが中を取り持つ二柱の神ぞ。 至恩の巻 第07帖(954)
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