The Earth is Controlled by Evil Alien

天空編NO3498 

(天使のつぶやき)


ひふみ神示 第四巻 天つ巻 第二十四帖(131)・第二十五帖(132)・第二十六帖(133) 


トッチさんのメール

トッチです。


ひふみ神示 第四巻 天つ巻 第二十四帖(131)

昭和十九年九月十日、

旧七月二十三日(1944年)

今の臣民めくら聾ばかりと申してあるが、その通りでないか、

この世はおろか自分の身体のことさへ分りては居らんのざぞ、

それでこの世をもちて行く積りか、

分らんと申しても余りでないか。

神の申すこと違ったではないかと申す臣民も今に出て来るぞ、

神は大難を小難にまつりかへてゐるのに分らんか、

えらいむごいこと出来るのを小難にしてあること分らんか、

ひどいこと出て来ること待ちてゐるのは邪(じゃ)のみたまぞ、

そんなことでは神の臣民とは申されんぞ。

臣民は、神に、わるい事は小さくして呉れと毎日お願ひするのが務めぞ、

臣民 近慾(ちかよく)なから分らんのぞ、

慾もなくてはならんのざぞ、

取違ひと鼻高とが一番恐いのぞ。

神は生れ赤子のこころを喜ぶぞ、

みがけば赤子となるのぞ、

いよいよが来たぞ。

九月十日、

ひつ九のかみ。


〔意訳〕

今の臣民はめくら・つんぼばかりと云いますが、その通りでしょう。

この世はおろか自分の身体のことさへ分っていないのです。

それでこの世を支えて行く積りですか。

分つていない云うでも余りではないですか。

神の云うこと違ったではないかと云う臣民も今に出て来るのです。

神は大難を小難に祀り替えているのに分らないのですか。

えらく酷いことになるのを小難にしているのが分りませんか。

酷いこと出て来ること待ちているのは邪(じゃ)の身魂なのです。

そんなことでは神の臣民とは云えないのです。

臣民は「神に悪い事は小さくしてください」と毎日お願いするのが務めのはずです。

臣民が近慾(ちかよく)ですから分らないのです。

慾もなくてはならんのです。

取り違いと鼻高とが一番恐いのです。

神は生れ赤子の心を喜ぶのです。

磨けば赤子となるのです。

いよいよの時期が来ましたよ。


〔解説〕

中々起きない大地震、大飢饉、大戦争、都市攻撃、ノアの大洪水。

ミロクの言う事は違うではないかと言う臣民も今に出てきます。

しかし、これは少しずつ少しずつ神が先延ばしにしているのです。

その間に臣民は気が付かなければなりません。

気が付けば大難が小難になるのです。

神は大難を小難に祀り替えているのに分らないのですか。

今の臣民、めくら・つんぼも程が有ります。

それでこの世を支えて行く積りですか。

醜い事を待ち望んでいるのは邪の身魂です。

ミロクの臣民であれば

「神に悪い事は小さくしてください」

と毎日お願いするのが務めのはずです。

臣民が近慾(ちかよく)ですから分らないのです。

しかし、慾もなくてはなりません。

慾は悪い物として消去し殺すやり方は間違いです。

取り違いと鼻高とが一番恐いのです。

神は生れ赤子(無為であるがまま)の心を喜ぶのです。

磨けば赤子となるのです。

いよいよの時期が来ましたよ。

こんな感じでしょうか。


ひふみ神示 第四巻 天つ巻 第二十五帖(132)

昭和十九年九月十日、

旧七月二十三日(1944年)

今に臣民 何も言へなくなるのざぞ、

神烈しくなるのざぞ、

目あけて居れんことになるのざぞ。

四つン這ひになりて這ひ廻らなならんことになるのざぞ、

のたうち廻らなならんのざぞ、

土にもぐらなならんのざぞ、

水くぐらなならんのざぞ。

臣民可哀さうなれど、

かうせねば鍛へられんのざぞ、

この世始まってから二度とない苦労ざが、

我慢してやり通して呉れよ。

九月十日、

ひつくのか三。


〔意訳〕

今に臣民は何も言えなくなるのです。

神の活動が烈しくなるのです。

目を明けて居れないことになるのです。

四つン這いになつて這ひ廻ることになるのです。

のたうち廻るようになるのです。

土に穴を掘って隠れなければならなくなるのです。
(都市攻撃の光線砲から逃れる為に)

水をくぐらななければならなくなるのです。

(ノアの大洪水から逃れる為ですが、この場合、お亡くなりになることを意味します。

ですが、神に印をされている方たちは別扱いとなります)

臣民は可哀さうですが、かうせねば鍛へられないのです。

この世が始まってから二度とない苦労です。

我慢してやり通してください。


〔解説〕

都市攻撃、ノアの大洪水が如何に激しく人類に苦痛を与える物かが分ります。

この世において、人類最後のめぐり取りです。

辛抱第一のようですね。


ひふみ神示 第四巻 天つ巻 第二十六帖(133)

昭和十九年九月十一日、

旧七月二十四日(1944年)

天の日津久の神と申しても一柱ではないのざぞ、

臣民のお役所のやうなものと心得よ、

一柱でもあるのざぞ。

この方はオホカムツミノ神とも現はれるのざぞ、

時により所によりてはオホカムツミノ神として祀りて呉れよ、

青人草の苦瀬(うきせ)なほしてやるぞ。

天明は神示(ふで)書かす御役であるぞ。

九月十一日、

ひつ九

使用された特殊文字 


〔意訳〕

「天の日津久の神」

と申しても一柱ではないのです。

日本お役所のやうなものと思えば良いでしょう。

しかし、窓口は一つですから、一つの神と考えてもよいのです。

この方は オホカムツミノ神=意富加牟豆美神としても現はれるのです。

時により所によりてはオホカムツミノ神として祀てください。

青人草=人々の苦痛なほしてやるのです。(衆生を救うのです)

岡本天明氏は 神示(ふで)書かす御役であるのです。


〔解説〕

・太陽さん

オホカムツミノ神=意富加牟豆美神の意味がわからないと、前半は 何を云いたいのか分からなくなります。

もも・モモ・桃が

「オホカムツミノ神=意富加牟豆美神」

であるようです。

死者の国と現世の境で、この桃を投げて、退散させていることから

「生死の分かれ目の時代に現れて、悪魔を追い払う」

の様な意味と受け取れます。

そうすると、次ぎの

「人々の苦痛なほしてやるのです。」

の意味と繋がります。

従って、この帖は おおよそ下記のような内容になります。

「天の日津久の神」

とは 役所のような組織で、人類との窓口は一つとなっていて、岡本天明氏はその一つだけの窓口の取り次ぎ役のようなものであると説明してあります。

また、この窓口で語られるのは この方=日月の大神=ミロクのことで、人々の生死の分かれ目の時代に悪魔を退散させる為に現れる内容です。

現れるのは 人々の苦痛=衆生を救う為に現れるのです。

我が家には 桃・モモ・ももファミリ−がいますので、コ−ド桃が一致して、何となく微笑ましいいえば微笑ましいです。


オホカムヅミノカミ=意富加牟豆美神の参考資料

イザナギが黄泉の国の裏戸口から

「まだ国を作り終えていないので帰って来い」

と言うとイザナミは、

「残念だが死者の食物を食べたので、戻れるかどうか」

「ちょっと黄泉神と相談してみるから見てはいけない」

と言われていたにもかかわらず、待ちきれなくて、 黄泉の国のすさまじい様子や、 うじの湧いた醜いイザナミの体の各部から 八つの稲妻が走っていたのを見てしまった。

畏れて逃げ出したら

「見たなぁー。」

「よくも私に恥じをかかせたわね」

と言って怒り、ヨモツシコメ(黄泉醜女=志許売族)に 追いかけさせたのである。

逃げるとき、持ち物(鬘、櫛)を投げつけると、 食べ物(ブドウ、竹の子)になり、 醜女が食べている間に逃げていた。

そこで八つの稲妻の神の軍隊も出動させた。

イザナギはトツカツルギ(十拳剣)を後ろ手で振りながら (呪う動作)、死者の国と現世の境である 黄泉比良坂(出雲国伊賦夜坂=八束郡東出雲揖屋)まで逃げてきて、 そこになっていた 桃(オホカムヅミノカミ=意富加牟豆美神)を 3個投げつけて退散させている。


青人草の参考資料

六月に 『 口語訳 古事記 〔完全版〕 』 (文藝春秋)という本を出した。著者自身はもちろん、版元にとっても予想外の好評で版を重ねている。内容はいうまでもなく『 古事記 』 の神話や説話を口語に訳し たものだが、古老の語り部を登場させて神話を語らせているというのが類書にはない特徴になっているということはできると思う。

奇をてらっているとか語り口が好きではないとかいう声も聞こえてこなわけではないが、おおかたの読者には違和感なく受け入れられているようだ。そして、それは当然だろうと私には思われる。というのは、『古事記 』 という作品 は漢文 (といっても和風化した漢文)で書かれてはいるが、古層に「語り」を抱えこんでいるからである。

  ひとつだけ例をあげると、冒頭の部分に、葦原の中つ国(地上世界)に最初に成り出た神のさまが次のように語られている。まずは原文で引用する。

次、国稚如浮脂而、久羅下那州多陀用弊流之時、如葦牙因萌騰之物而成神名、宇摩志阿斯訶備比古遅神。 これを、訓読すると次のようになる。

次に、国わかく浮けるあぶらの如くして、クラゲナスタダヨヘル時、あしかびの如くもえあがる物によりて成りませる神の名は、ウマシアシカビヒコヂの神。

両方を見くらべてみればわかるとおり、この部分は、漢文で表記された部分と和語を生かすために音仮名(カタカナで表記した部分)を用いた部分とが、交互に組み合わされている。しかも、「国稚如浮脂」の言い換えが、和語のクラゲナスタダヨヘル(海月のように海面を漂っている)であり、「如葦牙因萌騰之物」 の言い換えがウマシアシカビヒコヂ(立派な葦の芽の男神の意)という神名になっているということに気づくだろう。ただし、これは説明の仕方が逆で、クラゲナスタダヨヘルを漢文に訳すと「国稚如浮脂」になり、ウマシアシカビヒコヂという神様の名前を漢文で説明すると「如葦牙因萌騰之物」になるといったほうが正しい。

『古事記』のすべてがこのような調子で書かれているわけではないが、和語を最大限に生かしながら漢文で書こうとする工夫がこうした文体を選びとったとみてよい。そして興味深いのは、この一つの文章で書かれたウマシアシカビヒコヂの誕生は、背後に、人の起源神話を抱えこんでいるらしいという点である。

『 古事記 』 には人間の誕生が語られていないというのが一般的な見解だが、私は、このウマシアシカビヒコヂこそ、最初に生まれた人を語っていると考えている。なぜなら、別のところ(黄泉の国の神話の最後の部分)で、人は「うつしき青人草」と呼ばれているからである。

ウツシキは現実のといった意、青人草は青々とした人である草の意である。この青人草を注釈書類は「青々とした草のような人」 と解釈することが多い。しかし、もしそういう意味な ら「青草人」 という語順になるはずで、「青人草」とはならないだろう。とすると、「青人草」の 「草」 を比喩とみることはできず、人と草とは同格で、「人である草」と 解するのが正しいのである。つまり、古代の人びとにとって、人はまさに「草」 そのものだった。とすると、泥の中から芽吹いてくるアシカビ(葦の芽)そのものをあらわすウマシアシカビヒコヂという神こそ、最初に地上に萌え出た「人」だったというのも頷けるのではないか。この神はアダムなのである。

「創世記」 (旧約聖書) では、アダムは、神が「地の土くれ」をこねて造った土人形で、それに神が息を吹き込むことで命を与えられ人となった。乾燥した砂漠地帯に生まれた神話らしい語りかたである。そして、一方のウマシアシカビヒコヂは湿潤なモンスーン気候の日本列島にふさわしい語られかただし、自然に泥の中から萌え出してきたというのも作為がなくていい。

大地に萌え出た植物の芽は成長し、そして枯れてゆく。人もまた土から生まれ成長し、子孫を残して死んでゆく。仏教的な輪廻転生のような哲学的な思惟としてではなく、ごく素朴な循環する自然観のなかでウマシアシカビヒコヂは語り出されたに違いない。

『 古事記 』 という作品そのものは、天皇家の歴史の優越性を主張するために八世紀初頭に編纂された国家神話という性格をもつのだが、その中に、ここにふれたような古層の神話世界が抱えこまれているのを見つけるとホッとする。そして、このように人の起源を語る人びとの健全さをうらやましくも感じるのである。



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