天つ巻 第二十七帖(134)内の「石」と「草」の考察
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トッチです。 julaさん、こんばんは。 合いの手を入れた甲斐が有りました。 より深いお考えを拝見できまして、とても嬉しい限りです。 julaさんのお話は、 「漏れる事無く論理的であり、且つ具体的に分りやすく示して下さいます」 ので、異を挟もうとする方々は及び腰になる事でしょう。 「同一意見は避けるべし」 なる太陽さんのお話にのっとり、私も何か言おうと試み ても隙が無し。 私の能力では追いつきません。 うーん、お会いした時にとことん意見を交わしたいですが、現実は雑談で終始する事でしょう。 ロックさん、ミカさんとのお電話で経験済み。 もっともっとjulaさんの頭脳(魂)から色々引き出したい衝動に駆られております。 皆様も同じご意見でしょう。 そこでです、 天つ巻 第二十七帖にあります「石」と「草」の解釈をお願いしよ うかと思います。 例えばパソコンのインターネットと草の根活動でしょうか? わたくし、もう寝ます〜。 へへへ・・・(^_^;) (週末はキツイ!)
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昭和十九年九月十二日、 旧七月二十五日(1944年) 石物いふ時来るぞ、草物いふ時来るぞ。 北おがめよ、 北光るぞ、 北よくなるぞ、 夕方よくなるぞ、 暑さ寒さ、やはらかくなるぞ、 五六七(みろく)の世となるぞ。 慌てずに急いで呉れよ。 神々様みなの産土(うぶすな)様 総活動でござ るぞ、 神々様まつりて呉れよ、 人々様まつりて呉れよ、 御礼申して呉れよ。 九月十二日、 一二か三。
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jula です。 いやはや恐縮です。 なんとなく思いついた事なんで。 でも、書いている時にわらわら思いつきつつ書いちゃっているので、自分で書いてい るというよりも、もしかしたら書かされちゃってるんじゃないかな〜などとも思います。 私はトッチさんとは逆に、合いの手などがとても下手だったりします。 ==; (石物いふ時来るぞ、草物いふ時来るぞ。) これなのですが、変に勘ぐらず、 「石も草もよく耳を済ませば自ずから色々な事を訴えて きますよ。」 といった事を言っているのでは無いかな〜と思います。 「テレパシー的なものを結構もっているようで、人の感 情に反応する」 といった話もありますし、樹木の状態を感知して処置を施すような人も います。 また石にしても、宝石などは 「所持者の念であったりを保持する」 というようなことが言 われたりします。 神示の中での霊界での食事について 「人が食べているのか食べられているのか分から ないくらいである」 といった記述や、 「食べられる土」 などの記述があります。 「“私をこれこれに使ってください。” みたいに訴えかけてくるのではないかな〜」 などと思います。 食べものなどは、人が一方的に食べるのではなく、むしろ、 「私を是非食べて役立てて ください、あなたの一部としてください。 私の気とあなたの気を合い交じあえましょ う」 といった具合に、食べ物となるものの方から訴えてくる感じなのかもなどと思い ます。 仕事にしても、仕事によって賃金という対価、報酬という形が返ってくるのではなく、 「成した仕事がそのまま役に立つというか、喜びといった気、みたいなもので満たさ れる、結果それがエネルギーみたいなものになる」 みたいな、 「より気持ちや精神を充足 するような世の中となる」 そんな様子を石や草で言い表わしているのではないかと思 っています。 特別なものが特別なことをするのではなく、そこらにあるありふれたものが、そのも のであるからこそとても役にたつ、必然であることを悟ってしまうよな、結果お互い に感謝せずには居られないような感じなのでは? 石であれ草であれ人であれ、 「お互いの存在を必然として認識し尊びあえば、みな光輝 いていくのでは?」 などと思えます。 こんなところで。
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ロックです。
「石も草も、この方ミロクの徳によって形成されてる」 そうなので、 この場合、 「隠徳みたいな表だって評価されることはないけれども 積み上げられてきた徳の様な物で」 いずれ時期がいたれば、 「その存在の主張に気付く」 ということでしょうか。 石は古代では、 「祭り事や神の宿る象徴や加工して 包丁」 にも使ってます。 草はひふみでは 「干して食糧に蓄えておきなさい」 という 記述もありますね。 ふとわいたのは、 「石(オグミオン)が 物言う(ノアの大洪水を開始を告げて鳴く頃) 草(保存した食糧)が物言う」 物質を蓄えるだけでなくて、 「身魂にミロクの徳を改心によって蓄えることが 最後に物を言いますよ」 なんて考えてしまいました(^^;)
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