大本では、
出口ナオが、“厳(いず)”で
「縦」のお役、 王仁三郎が
“瑞(みず)”で
「横」のお役とされ、
縦横あやなす仕組みが行われて“みろくの世”という「錦の御旗」が
織りあがるとされる。
又ナオの筆先によれば、世界を立替・立て直し
、この「錦の御旗」を織り上げて末代動かぬ
神の世を顕現するためには、
「“四魂の神”が
打ち揃わねば成就しない」
とも言われていた。
その四魂の神とは
「艮(うしとら)の金神」
「坤(ひつじさる)の金神」
「金勝要(きんかつかね)の神」
「日の出の神」
の四柱である。
「艮の金神」は出口ナオに、
「坤の金神」は王仁三郎に
「金勝要の神」は二代教主であり王仁三郎の
妻である出口澄(すみ)に、
それぞれ神懸かりすることは明らかにされ、誰も異論を唱える者は
いなかった。
問題は
「日の出の神」
の御魂である。・・・・・
筆先によれば、“日の出の神”の御魂を持つ者は、
ナオの次男である出口清吉(せいきち)と定められていた。
だが、清吉は、戸籍上、明治28年に死亡したことに
なっている。
清吉は、ナオの帰神が始まった年である明治25年の12月
1日、東京の近衛師団に入隊し、台湾へ出兵、そのまま還らぬ人と
なった。
国からは戦死したという通達があり、ナオには弔慰金とともに
清吉のものとされる遺骨が引き渡された。
ところがナオが神に清吉の生死についてお伺いを立てると、
「清吉は死んでおらんぞよ」
という言葉が繰り返される。
例えば、明治30年1月7日の筆先。
「清吉は、死んでおらぬぞよ」
「神が借りておるぞよ」
「清吉殿とお直殿がこの世の始まりの世界の鏡」
「死んでおらぬ」
という表現は
「死んで」
「おらぬ」
と解釈した場合、もう死んでしまってこの世にはいないという
意味にも取れる。
しかし明治32年旧8月10日には、
「他ではいはれぬが、出口清吉殿は、死んではおらんぞよ」
「人民にもうしてもまことにいたさねど、清吉殿は
死なしてはないぞよ」
「今度お役に立てねばならんから、死んでおらんぞよ」
と出されている。
清吉はあくまで
「死んではいない」
というのである。
さらに筆先は、清吉を
「日の出の神」
と定める。
「出口清吉は、結構に艮の金神さま、竜宮の乙姫さまに
おせわになって、結構なことさしてもろうておりまする」
「清吉殿は艮の金神が日の出神と名がつけたるぞよ」
(明治32年8月10日)
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