冠島(おしま)・沓島(めしま)開き
冠島(おしま)と沓島(めしま)は舞鶴湾のかなたに
うかぶ小さな島で、京都府丹波の綾部からほぼ北東の方角にある。
このうち冠島(おしま)には、老人島(おびとじま)
明神が祀られていて、漁民の崇敬をうけていたが、沓島(めじま)は、もっと小さな荒涼とした小島である。
はじめ、
「こんどの二度目の世の立て替えについて、冠島(おしま)に参りてくだされよ」
という筆先が出たとき、なおは、冠島(おしま)が、どこにあるのかはっきりと知らなかったらしい。
しかし、やがて冠島(おしま)などについての若干の知識をうると、明治33年6月8日、喜三郎、すみ、
四方平蔵、木下広太郎(四女りょうの夫)をつれて舞鶴へいき、舟で冠島(おじま)を訪れた。
ついで一ヶ月後の7月8日に、一行9名で、沓島(めじま)に向かった。
切り立った岩ばかりの島に上陸して、
綾部からもってきた材料を組み立てて祠(ほこら)を
作り、艮の金神などの神々を奉斉した。
「冠島(おしま)・沓島(めしま)開き」
と称されるこの
宗教的象徴行為の意味は、
1) 比世界には、神の住居を致す聖地(ところ)は
沓島(めしま)・冠島(おしま)の山よりない・・・
冠島(おしま)が海の竜宮、沓島(めしま)が入り口であるぞよ。
冠島(おしま)が竜宮の乙姫様の御住居所(おすまい)
であるぞよ。(筆先・明治33・6・8)
2) 沓島(めしま)にはせうまつ(正真)の神が、
昔の神世から住居を致して居る処じゃから、人民では
行かれんところなれど、今度は昔からの世の建て替えであるから、神から御苦労になりたのであるぞよ。
(筆先・明治33・8・6)
などとあるから、ほぼ理解することができる。
なおの教義によれば、艮の金神は沓島(めしま)へ、
竜宮の乙姫は冠島(おしま)へ(あるいは沓島(めしま)と冠島(おじま)の間のあたりの海底へ)押し込められたのであり、その神たちを世にだすことがこの
出修の意味であった。
「末代のことがわかる生神が世におしこまれて、
めしまのお山に住居を致しておりた」
のであり、そのゆえに、
「沓島(めしま)に人をよせなんだ」
(筆先・明治40・11・8)
のであった。
この出修が、まったく、なおの主導性のもとになされたこと
この世界の根源神の住居が、艮の隅の荒涼とした孤島に、それこそ悪神たちに押し込まれた神の
住居にふさわしいものとして発見されたこと。
そしてそこから、
「二度目の世の立て替え」
にさいして、いまや押し込められていた神々が
再登場しようとしているとされたことなど、なおの
教義の独自な具体化として重要な点である。
竜宮の乙姫は、なおの神憑りがはじまると
「はや竜宮へ聞こえました」
とのべて、真っ先に艮の金神に協力することを誓う神である。
この神の第一の性格は、もともと「我」が強く、
「誠に欲な醜き御心」
「じゃけんな御方」
であり、そのゆえに海の底に落とされたということである。
この神の第二の性格は、
1)竜宮様をお願い申せば、着類食べ物小遣ひなぞを御与え
なさるぞよ。(筆先・明治30・9・17)
2)竜ごん(宮)の乙姫、是からは金の世話させて戴くぞよ。
何程でも、乙姫は此世になれば金がいるから、金は、竜ごんには
何程でもためたるぞよ。・・・
艮の金神様と出口直とに、乙姫の竜ごんの御宝は差し上げるのざどよ。・・・
此乙姫が世に出たなれば、金の心配はいらんぞよ。
結構な世になりたぞよ。(筆先・明治32・8・4)
3)竜宮の乙姫様の御宝は、是は中々めったに因縁なくては
手に入らぬぞよ。
此宝が手にはいらんと此世は自由にはならんのざどよ。
(筆先・明治33・8・4)
だどとあるように、艮の金神に協力して立て替えによって
実現された世界を物質的にゆたかにするということである。
この物質的ゆたかというイメージも浦島伝説によって
竜宮には金銀財宝が豊かに蓄えられているとされていることに
由来しよう。
そして、沓島(めしま)と冠島(おしま)の間の海が、竜宮海と
呼ばれて、竜宮への入り口だとされるとともに、竜宮の乙姫が
財宝を捧げて艮の金神につきしたがうことになったのだから、
綾部の神域は、竜宮の乙姫の協力によってつくられた場所という
ことになり、
「陸(あげ)の竜宮館」
と呼ばれるようになった。
艮の金神と竜宮の乙姫は「我」が強く、それゆえに艮の隅や海底に
押し込められたという意味では、共通性もあるといえる。
しかし、艮の金神がもともときびしく正しい支配者であり、
「我」がつよいというのもそうした性格にそったものであったのに
たいし、竜宮の乙姫は「欲」で、「じゃけん」であることに
「我」があるのだから、まったく対立する特性をもっているとも
いえる。
しかし、ここで注意したいのは、「欲」で「じゃけん」で物質的
にゆたかな竜宮の乙姫が、まっさきに艮の金神の神業に協力すると
いうことである。
もちろんそのためには改心することが必要なのだが、改心
すれば「欲」で「じゃけん」で物質的に富み栄えることにも
積極的な意味が得られ、艮の金神のために
不可欠な協力者となるわけである。
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